旅館編は眠る前に、どうぞ。
「――これまた、随分と古臭い鏡ねー」
廊下に置かれた机、その上に鎮座する鏡をアリサが覗き込んでいた。
「あ、でも周りはソレっぽいけど、鏡自体はまだ写るんだ。ホラ、あたし達の顔もハッキリ見えるよ!」
「いわゆる、銅鏡といったものではないのですね」
アリサの横に並んではしゃぐアリシアと、やはりソレを覗き込みながら感慨深そうなルティシア。
縦長三十センチ程の壁掛け式の鏡で、楕円形のミラー部分を装飾が施された青銅らしき素材の枠で囲っている。
アリシアの言う“ソレっぽい”というのは、おそらく枠組みが、いかにも曰くがあります然としているからだろう。
手や足にも見えるその形は、例え製作者にそんな意図が全くなくても、そういう視線で見ればいくらでも怪しく思えてきてしまうのが不思議である。
鏡面の大部分は黒ずんでいたが、三人の顔をしっかりと写していた。
「そういえば……こういう古そうな鏡って、こんな場所によく置かれてたりしない?」
アリサに訊かれたアリシアが、顎に人差し指を当ててうんうん考え始める。
「う~ん、あたしはこういう旅館に来るのは初めてだから……。でも、マンガとかだとよく見る気がするかな? 団扇とか人形なんかも、結構飾ってあったりするよね!」
「鏡や団扇には魔除けとしての意味もありますから、そういった関係があるのかもしれませんね」
横で、ルティシアがそう解説した。
「そうなの?」
「はい。他に鈴や櫛、箒に箸にも、そういった意味があるそうです」
「へー……凄い、ルティシアさん。物知り!」
話を聞いたアリシアが感嘆の声を上げる。
「箒は神社とかお寺でも使われてるし、何となく分かるけど。櫛や箸は聞いたことないわね」
「私も詳しくは知らないのですが、日本の神事では昔から櫛が身に付けられていますし、箸も使われていたそうです。それに……」
ルティシアが鏡の枠、その上部で埋もれているために目立たない紫色の宝石を示した。
「宝石も儀式などでよく用いられますし、普通の石についても、峠や山道に設置されていますね」
「確かにそうねぇ。お地蔵様も石だし」
「ゲームでも、石とか宝石って何か効果があったりするし!」
説明に納得したのか、二人が頻りに頷いていた。
「私はうろ覚えですが、みゅー姉さんやすずか、はやてなら詳しく知っているのではないでしょうか?」
「じゃ、あとで聞いてみよーっと!」
元気よくアリシアがそう言った時、
「ナニをです?」
彼女の耳元で、囁くようにして声が呟かれる。
「ヒィイイイッ!?」
息がかかるほどに近くからだったため、アリシアは驚き、縮み上がった。
横にいたアリサも、突然のアリシアの悲鳴につられて尻餅をついている。
「いつもそれくらい熱心に勉強してくれたら」
「リ、リニス……脅かさないでよー。心臓が止まるかと思ったじゃない!?」
ため息をついている姉貴分に、心臓を押さえながらアリシアが抗議する。
しかしリニスは全く意に介した様子はなく、呆れたようにアリシアを見下ろしていた。
「そんなに元気で勉強熱心なら、ユー……家庭教師の先生にもっと厳しくしてもらわないと」
「やめてー!?」
プレシアの使い魔であるリニスは、当然のように彼女と共に現在管理局で働いている。その間、無限書庫で働く傍ら、プレシアやリニスから頼まれたユーノが家庭教師を務めていた。
もちろんそれは毎日では無いため、空いている日にアリシアが何をして過ごしているかは、推して知るべしである。
「……って、驚いたのはこっちよ!?」
「あ、ごめんなさいね」
平然としたルティシアに助け起こされているアリサに、リニスは結果的に驚かせてしまったことを謝罪する。
そこへ、
「いたいた。リニスー、温泉行こう。面白そうな所がいっぱいある」
技術部の同僚であるエスロを始め、エイミィ、美由希の年長組が曲がり角の奥からやって来る。
エスロの手には旅館案内があり、あちらこちらに印が書き込まれていた。
「ルティシアとアリサちゃん、アリシアちゃんもこんな所にいたんだ。なのは達が探してたよ?」
美由希が、自分達が来た方を指差す。そちらから、いない三人の名を呼ぶ友人達の声が聞こえてきた。
「あ、あたし達、荷物も置いてない!」
荷物を手に持ったままアリサが言うと、ルティシアも自分のを示しながらため息をつく。
「ここの方に案内されている途中で、アリサが足を止めましたしね」
「じゃ、じゃあ急いで置きに行かないと! ね、急ごう!?」
「ちょっとアリシア、引っ張らないでってば!」
「アリシア! 廊下を走ってはいけません!」
アリサの腕を取って駆け出すアリシアに、すぐさまリニスから注意が飛ぶ。
はーい! という返事だけは返ってくるが、そのまま部屋まで駆け抜けたようだ。
「お姉さんも大変だねぇ」
と、エイミィが笑いながら嘆息するリニスに声をかけている。
「エスロさん。印、写しても良いですか?」
「いいよー。クロスとかガンビットだっけ? 貸してとは言わないから」
「いえ、言われても困るのですが。――ここと、ここと……そういえば、みゅー姉さん」
サイドポーチから取り出した旅館案内に早速書き込みながら、ルティシアは美由希に気になっていた疑問を訊ねた。
「ここの利用客は、私達だけですか?」
そうみたい、と美由希は頷いた。
「ここは、ツアー専用の場所なんだって」
「なるほど、そういうのもあるのですね」
「だから、温泉も気兼ねなく入り放題だよ」
「私は別に入り放題でなくてもいいのですが……ありがとうございました」
話している間に写し終わり、借りていた旅館案内をエスロに返す。
「帰りは、ここまでバスが迎えに来てくれるのですよね?」
この旅館にも駐車場はあるのだが、職員用の小さなものしか無かった。そのため、バスは一行を降ろすとそのまま帰ってしまっている。
「そうだよー。明後日の九時頃には、旅館前に来てるってさ」
「九時……と」
案内の隅に書き込む。
それも終われば、自分の案内をポーチの中に仕舞いこむ。
「エスロん、後でマリーのお土産買うのを忘れないでね」
肩をつつきながら言うエイミィに、エスロは自分の髪に手をやって三つ編みの紐を解きながら、笑って頷く。
「大丈夫だって。まだ覚えてるよ、エイミィ。でも、飛び込みの仕事なんてイヤだよねぇ」
「クロノ君も、残ってた仕事持ってきてるよ」
「みんな真面目だー」
エイミィがつついているのとは別の肩に、リニスが手を置いた。
「エスロ? 確か、納期の物がいくつか……」
「あ、あはははは。ガンバルヨ? 帰ったらバリバリ本気出すから!」
「エスロん、駄目な人にしか聞こえないよ」
そう言いながら奥に歩いていく三人。
それを笑って見送っていた美由希が、背後からルティシアを胸に抱いた。
「ミッドチルダの人も、あたし達と変わんないね」
「そうですね。魔力や魔法技術、社会性といった違いはありますが、人間性には大きな差は無さそうです」
そう言うルティシアの表情に、僅かに影が射す。
ミッドとの違いで、ルティシアが一番気にしているのはあちらの就業年齢の低さだった。フェイトはもとより、はやても将来あちらで働くことを宣言している。
なのはも、時折フェイトと共に“アースラのお手伝い”をしているために、そのままあちらでの生活を選ぶ可能性は高い。
(それを、私には止める権利はありませんね)
人間同士の争いに関与してはならない。
見護るべき立場にある自分達が、その対象である人間を絶対危機的状況以外で傷付けてはならない。
つまり、なのはやフェイト達のそういった仕事に、自分は共に行くことが出来ないのであった。
ミッドに魔族が侵入していることは、これまでの簡易調査でも分かっている。他にも、敵か味方か曖昧な立場に、冥魔王までもが存在していた。そして、なのは達を将来巻き込むことを宣言されている。
それに、ルティシアが護りたいのはこの世界もであった。高町家の人達や、すずかやアリサ達が安心して暮らせるように。
魔族達が、少数だったとはいえこの世界にも存在していたし、今後も現れないという保証も無い。
以前リンディやクロノにも言われたが、一人で出来ることには限りがある。分かってはいても、そのための打開策が思い付かず深くため息をつく。
「ルティシア。悩みがあるなら、一人で抱え込んじゃ駄目だよ?」
「みゅー姉さん?」
美由希の抱き締める力が強まり、ルティシアが戸惑いの声を上げる。それと同時に、少女がセイティーグにいた頃のことを思い出していた。
ひたすら鍛練に打ち込んでいた時、心配した長姉に抱き締められたことを。
「なのはの時は、ルティシアが支えてくれたからね。あと、フェイトちゃん達もそうなのかな? だから、今度はあたしの番。悩み事なら、いくらでも相談に乗るからね?」
火竜である自分が持つ熱とは別の温もりを感じながら、ルティシアはそっと眼を伏せる。
「……ありがとうございます、美由希姉様」
激しい稲光と共に、叩き付けるような雨音が聞こえてきた。
「あちゃー、降りだしちゃったか」
予報では晴れだったのにね、と美由希が愚痴る。
「バスを降りた時には、既に雲が広がってきていましね。山の天気は変わりやすいというのは、実に的を射た言葉です」
「そうだね。ここも、中はそうでもないけど、見た目は古いからどこかで雨漏りしてたりして」
「それで大怪我……は避けたいですね」
冗談ぽく、実際に当たれば言葉通りになることを言いながら、ルティシアが美由希を促す。
手を離した美由希が先に立って、奥――部屋に向かって歩き始めた。
少し行った先には、温泉に行くというエイミィ達が美由希を待っている姿が見える。
美由希の後をついていっていたルティシアが、数歩進んだところで勢いよく背後を振り返った。
折れて玄関ホールに続く通路と、角に置かれた机の上に鎮座する鏡が視界に入る。
そちらをジッと凝視したまま、身動き一つしない。
「ルティシア? どうかしたー?」
エイミィ達が不思議そうにこちらの方を見ていることに気が付き、それが自分ではなく後ろの人物だと察した美由希は振り返ると同時に、足を止めていたルティシアに声をかける。
「……いえ」
結局三十秒ほどそうした後、ルティシアはゆっくりと踵を返すと四人の方に歩き始めた。
「何か聞こえたような気がしたのですが、勘違いだったようです」
「風も出てきたし、そのせいじゃないかな?」
エイミィがガタガタと音を立てている窓を指すと、隣ではエスロが悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「呼んでる声ならいっぱい聞こえるけどね」
利用客が自分達だけということもあって、部屋は自由に使って下さいと旅館側から話があったらしい。
そこで、今回は繋がった大部屋を三つ借りることにしたようだ。
内訳は男性、女性、そして子供達用。
もっとも、割り振りに不満を申した者がごく一部にいたようだが。
子供達に割り振られた部屋に入るなり、少女を「おそーい!」という声が出迎える。
言っているのは、自分より少し早く合流した金髪の友人の一人だが。
「ルティちゃん、遅かったけどどうかしたの?」
ポーチを外し、背負っていた荷物を下ろすルティシアの横に、なのはとフェイトがやってきた。
二人とも、どこか不安そうにしている。
「いえ、アリサ達が行ってしまった後で、みゅー姉さんと話をしていました」
「お姉ちゃんと?」
「はい」
小首を傾げるなのはにルティシアが返事を返した時だった。
窓の外で激しく光が瞬くや否や、轟音のような雷鳴が辺りに響き渡る。
「ふぇっ!?」
「……っ!?」
身を縮ませて、咄嗟にルティシアにしがみつくなのは。
悲鳴はなんとか噛み殺したものの、青い顔をしたフェイトは親友達の服を掴んでいる。
「音が近いのは、やはり山だからでしょうか?」
稲光を窓から見ようとしたルティシアだが、二人に掴まれている今は無理そうであった。
見れば、部屋の隅ではアリサとすずか、アリシアが身を寄せあっている。
さすがのアリサも、先程までの威勢の良さは鳴りを潜めているようだ。
しかし、その一方で。
「……やはりおかしい。どうして私が子供扱いされねばならない」
「ったく、お前はいつまでもしつけぇな。どう見たって今のお前は子供だろ!」
「……むしろ、あなたはどうしてそうすんなり受け入れられる?」
「はやてもこっちだし、なのは達もいるし丁度いいだろ!?」
赤髪の少女が二人――ヴィータとメーアは、外の雷鳴も気にならない様子で舌戦を繰り広げていた。
「……それなら、この国の法律に従って、あの執務官達もこっちのはず」
「意を汲んでやれ!」
圧倒的な男女比率。
胃の辺りを押さえたクロノが強く男性部屋を主張したのも、無理もない話である。
そのクロノも、現在フェレット姿で参加しているユーノに文句を言っている最中であった。
「ふ、二人とも~……喧嘩はあかんよ~……?」
丸くなっている狼形態のザフィーラに埋もれるようにして、はやてがそっと二人を注意する。
もちろん、ヴィータとメーアがはやての手の届く範囲にいるのは言うまでもない。
そのザフィーラだが、隣の女性部屋から視線を注がれているのを感じていた。
羨望と、僅かに嫉妬。
視線の持ち主は……リィンフォース。
不安そうなはやてに駆け寄りたいものの、他の子の親が行っていないのに自分が向かっても良いのか分からず――結果オロオロと状況を見守ることしか出来ないでいた。
よって、その傍らにいる守護獣に複雑な想いが込められた視線をぶつけることにする。
何となくはやてと共に部屋に入ってしまったザフィーラとしても、この状況は想定していなかったため、何とも居心地の悪い思いをしていた。
そんな二人の気持ちを察して、
「はやてちゃん。シグナムも美由希さん達と行きましたし、わたし達も温泉に行ってみませんか?」
苦笑しながら、隣室からシャマルが子供部屋に声をかける。
「そ、そやな。じゃ、じゃあ、“待望の時間”に行こうか? すずかちゃん達も行かへん?」
はやてが友人達に呼びかけると、それぞれ頷きを返してきた。
「我が主、そちらには私が共に行きます」
すぐさま駆け寄ってきたリインフォースが、ザフィーラからはやてを抱き上げる。
リインフォースが、ザフィーラに向けている視線の意味に気付いているはやては、銀髪の女性に慈母の笑みを浮かべる。
「だいぶん歩けるようになったんやけどな~。しょうがないなぁ」
鳴り止まない雷鳴に、戦々恐々と準備を始める。
ただ一人だけ、
「行ってらっしゃい」
と手を振るルティシアをフェイトが引っ張り、三人分の着替えをなのはが用意していく。その手際は、もう慣れたものだった。
アリサ達も準備を整えると、少女達は固まって移動を始める。
足音が遠くなり、誰もいなくなった子供部屋の中、仲間による針のむしろから解放された蒼い狼が嘆息する。
その背後で、部屋と廊下を仕切る障子が――
――音も無く、閉ざされた。