仲の良い友人同士での旅行中は、ちょっとした移動もダラダラとしたものになりがちですが……
踏む度に軋む古びた廊下を、九人の少女(見た目も含む)と女性二人は温泉を目指して歩いていた。
ただし、その速度は遅々としたものであるが。
「ふぇ!? また光った」
窓を通してカメラのフラッシュの如く閃光が瞬き、次いで地鳴りのような激しい雷鳴が轟く。
今の雷はこれまでで最も大きく、旅館の建物も小さく振動している。
「ち、近いね……」
先頭で旅館の間取り図を見ながら歩くルティシアの身体に、なのはと二人で密着しているフェイトが、チラリと外へ視線を向けた。
外では叩き付けるような雨も降っており、まるで滝の中にいるような気持ちにさせられる。
「ルティは、怖くない?」
視線を戻して、ポニーテールを揺らしながら前を歩く親友に声をかけるが、
「はい、特には」
彼女はフェイトの方に顔だけ向けると、小首を傾げながらもあっさり頷いて見せた。
その上で、
「一応、私には雷竜の血も少しですが流れていますから。それで怖がるというのも、おかしな話になりますしね。……全くいないというわけでもありませんが」
「少しはいる?」
「はい。普段はそれほどでもないそうですが、一度気にしたら怖くなったとか、他にも生まれつきだという珍しい話も聞いたことがあります」
「そうなんだ」
彼女なりに思い当たることがあり、小さく頷くフェイト。
プレシアやリニス、なによりフェイト自身も雷の魔法を多用するが、ソレらと今外で鳴っているのとでは全く別物に感じられた。
自然界の雷を発生させるサンダーレイジにしても、自分が使った魔法であればある程度タイミングが掴めるし、その分心構えも出来るのだが……。
たぶんそれと同じようなこと、とフェイトなりに解釈したのである。
窓の外がまたもや光を放つと、元々体を縮こまらせていたなのははもとより、フェイトも反射的に身を竦めた。
自分の背中に隠れるようにしている二人に対し、
「私にも怖いものがありますから」
ルティシアは雷の音に被せて、聞こえないように小さく呟く。
怖がる自分の姿は何人かに知られ、見られてもいるものの……やはりソレはソレである。
「そうですね……雷ではありませんが」
「な、なに? ルティちゃん?」
少し考えるような仕草をする妹に、怖さを紛らわせようとなのはが訊ねる。
「今でしたら、宿が壊れて雨に打たれることが怖いです」
「違う意味でそっちの方が怖いから!?」
妹の言っている意味は分かるが、やはり少しズレているその内容になのはがツッコむ。
そのようなやりとりがされている時、
「ねぇ……ちょっと、ルティシアー? まだ着かないのー?」
すずかやアリシア達と共に、戦々恐々といった呈のアリサがなのは達の後ろからか細い声で問いかけた。
「もう少しですが……」
そこで言葉を切ると、ルティシアは普段とは雰囲気が異なる友人に視線を向ける。
「アリサ」
「な、何よ?」
「もしかして、怖いのですか?」
「な……!?」
訝しげでもなく、かといって小馬鹿にするふうでもない。至って普段通りの真面目な口調で言われて、アリサの中の負けん気がムクムクと膨れ上がっていく。
すずかとアリシアに掴まれている上に着替えなども小脇に抱えたまま、アリサは器用に両手を腰に当てると、大きく胸を張って――言う。
「こ、こここ、こわ、怖くなんか、ないない、ないにきま、決まってる、でしょっ!? オーホホホホホ!」
声は裏返り、言葉にも詰まるという、誰が見ても分かる虚勢振りであった。
「あ、アリサちゃん……」
隣でひきつった笑い声を上げている友人の袖口を引っ張り、何かを言いかけたすずかより早く、
「そうですか。では、あと少し……このペースで十五分程、といったところでしょうか?」
手元の間取り図に視線を戻し、淡々とした口調でルティシアが告げた。
「えっ!?」
「ウソッ!?」
「え、ええええーーっ!?」
一斉に上がる、雷にも負けぬ音量の悲鳴とも抗議ともつかぬ、少女達の声。
それらが収まるのを見計らって、さらに一言。
「冗談です」
そう言ったルティシアの声は、やはりいつも通りの淡々としたものだった。
「「「「「全く冗談に聞こえないから!?」」」」」
今度も仲良く同じタイミングで、ほぼ全員が異口同音の声を上げる中、
「あんたのは冗談に聞こえないのよ!!」
アリサは一人、怒声と共に持っていたタオルを投げつけていたのだった。
「変ですね」
この場にいる同世代の少女達の中で、一番背が高いせいだろう……的にされた頭の上に、飛んできたタオルを落とさないように載せたまま、ルティシアは小さく首を傾げる。
「怖い時には、軽い冗句が一番とあったのですが」
「だ・か・ら……! あんたのはちっとも笑えないのよ!?」
「なるほど、やはり難しいです」
「ため息つくな!」
嘆息する少女の姿を逃さず、すぐさまアリサがツッコむ。
「すずかとはやて。また今度、本を貸して下さい」
「う、うん」
「ええよ~」
申し訳なさそうに控え目な返事をするすずかとは違って、はやてのソレは込み上げてくる笑いを必死に堪えるかのようであった。
事実、リインフォースに抱き上げられている彼女は口元を押さえて、肩を震わせている。
その様子から、誰の仕業かは一目瞭然である。
「はやてのせいか!?」
「い、いや~。普段言わん子が言うたらどうなるんかなって。ほら、ギャップ萌えってあるやん?」
アリサの矛先がはやてに向かうが、当の彼女は悪びれることなく、笑いながらそう話す。
「すずかも。アレがすぐに影響されるの知ってるんでしょ? 変な本を読ませちゃ駄目よ!」
「ご、ごめんね、アリサちゃん。でも、私もちょっと見てみたいかなって」
はやてについては諦めたアリサが、忙しなく今度は右隣のすずかに言えば、視線を逸らした親友からは衝撃のカミングアウトを受ける。
「すずかー!」
「でも、はやてさんの言うことも分かるかも!」
「そやろ? いつもちょっとズレてるルティシアちゃんなら、きっとコレにも変わった反応してくれると思うたんや」
そんなアリサを横に、アリシアとはやてがそう頷きあっていた。
「酷い言われ方をされている気がするのですが」
三人を相手に孤軍奮闘するアリサや、後方で行われているそれらのやりとりを聞きながら、竜の娘はそう一人ごちる。
「でも、影響を受けやすいのは事実だよね? ルティちゃん」
「自分としてはそんなつもりはないのですが……」
――ウソを言うのは苦手だと自覚はしているが、言われるほど自分は影響を受けやすいだろうか?
思考を巡らすルティシアの袖口が引っ張られる。
「ルティ。私も一緒に読んでいい?」
「あー……フェイトちゃんも、読まない方が良いんじゃないかなぁ」
「え、そう?」
何とも言えない表情を浮かべたなのはを見て、フェイトは不思議そうにしていた。
魔導師としての活動をしている時はともかく、友人達と一緒にいる時のフェイトは、なのはから見るととても純粋かつ天然である。
もし、ルティシアだけではなくフェイトまでもが感化されてしまえば、自分が今のアリサのポジションになってしまうのは明らかであった。
ただでさえ、はやてとアリシアという強力ペアがいるのだ。思い出したように時々おかしなことを始める妹を止めるためにも、“こちら側”の人数は多いにこしたことはない。
もっとも、今回のようにいつもは“こちら側”にいるすずかが、ちょっとしたことから“あちら側”になってしまうことも少なからずあるのだが。
逆に、自分達も“あちら側”になってしまえばとも思うが、その時はアリサや他の誰かが苦労することになるだろう。
そして、それの大変さが身に染みて分かっているからこそ、なのはは自分は止める立場にあり続けようと決意を強くする。
雷は未だ鳴り続けているが、少女達の足取りは幾分か軽くなっていた。
「……ふむ、感情のコントロールか」
最後尾をヴィータやシャマルと共に歩くメーアが、目の前のやりとりの一部始終に感心した声を上げる。
「……恐怖を払拭するための鼓舞、戦場では有効な手法だな」
「いや、そんなつもりは全くないんじゃねぇか?」
静かに事態の推移を見守っていたヴィータは、隣の人物のそれが過大評価であると呆れていた。
「単なる偶然だろ?」
「……戦場では、確かに戦意上昇を目的とした鼓舞の方が、分かりやすく効果的だろう。しかし、あのようにそれとなく普段の自分を引き出させるというのも、有効な場合がある。平常心は、常に持ち合わさねばならない」
「どう聞いても、お前が難しく考え過ぎてる気がするんだが」
説明だけは非常にもっともらしい。
「……恐怖を糧とする、我々魔族からすれば厄介な手法。感情豊かな人間の負の心は良い食事になるが、払拭した者はそれまで以上の力を発揮することも少なくない。それだけ、感情の力というのは大きい。自他共に、益にも不益にもなる」
「今のお前は人間だろ。それと、他の連中の前でんなこと言ってたら、イタい奴にしか聞こえないからな」
「……いたい? 痛みは特に伴わないが」
「その痛いじゃねぇ! 何でそういうとこだけ知らねぇんだ!?」
「……魔界にはないから」
二人のそんな会話を微笑ましく見ていたシャマルだったが、ふと自分が何も持ってきていないことに気付いた。
はやて達のを用意した際に、自分のを横に置いてそのままにしてきたらしい。
「着替えを忘れてきちゃいました!」
そう言って踵を返したシャマルは、薄暗い廊下を急ぎ戻っていく。
「ここまできて思い出したのかよ。てか、部屋とかここまでの道、きちんと覚えてんのか?」
ヴィータはメーアや話を聞いて足を止めたリインフォース、はやてと共に、闇の中に消えていく彼女の背中を見送りながら言った。
「……そこまで入り組んだ場所でもない。うっかりと言っても、大丈夫では?」
「湖の騎士……シャマルにも困ったものです。どうしますか、我が主?」
大切な家族である騎士達に訊かれた王たる少女は、先頭の友人に振り返って訊ねる。
「ルティシアちゃん。ホンマのところ、温泉まであとどれくらいなん?」
すると彼女は、自らの横にあるドアと暖簾を指し示した。
「着いてます」
「じゃ、分かりやすく目印か〈遠話〉したら大丈夫そうやね」
アリサにはたかれている友人を見ないことにして、一つ頷いたはやてはそう纏める。
「すずか、離して! アレを殴れない!」
なおも追撃しようとしたアリサを、すずかは後ろから羽交い締めにすることで止めた。
「ら、乱暴はダメだよ、アリサちゃん!?」
「アリサー! 殿中、殿中でござるー!」
「また知らない言葉だ。アリシアはどこで覚えてくるんだろう? なのはは、あれがどういう意味か知ってる?」
フェイトから質問を受けたなのはであったが、言葉自体は聞いたことがあっても、詳細は知らないため教えることが出来ない。よって、横で傍観者を決め込んでいる妹へ疑問を投げることにする。
「うーん……えっと、ルティちゃん。デンチュウってどういう意味?」
しかし、そのルティシアも知らないらしい。いつもは説明してくれる彼女も、今回は首を捻るばかり。
「電信柱ではないでしょうし……。後で調べておきます。辞書に載っていたら良いのですが」
「だ・か・ら! アンタは何を他人事のようにしてんのよ!?」
※ ※ ※
あれこれ紆余曲折はあったものの、ようやく辿り着いた温泉。
この旅館の名物というソレを前にして……少女達は立ち尽くしていた。
「え、えっと……コレ?」
開け放った脱衣室と浴室とを繋ぐ横開きの戸口からは、サウナよりも凄まじい熱気が流れ込んでくる。
髪を結ぶリボンも外したなのはがひきつった笑みと共に、中を指差しながら友人達に視線を向ける。
生まれたままの姿になった彼女の身体には、戸を開けただけだというのに既に玉のような汗が浮かんでいる。
なのはだけではない。
フェイトを始めとした友人達もみな同様の状態であり、同じようにひきつった表情をしていた。
いつもは飄々とした態度が目立つメーアも、今の肉体は人間の子供に近いせいか蒸せ返るような熱気に眉をひそめ、バスタオル姿のリインフォースにしてもそれは同様。表情こそ平静そのものであったが、その肌はやはり上気していた。
そして……
「はい、間違いなくここです」
ただ一人、平然としている人物が相槌を打つ。
「……って、何なのよ、これはー!?」
アリサの絶叫が、広い浴室内に反響する。
洗い場を含む床はゴツゴツした岩場に酷似し、壁には重苦しい暗い灰色で塗装されていた。
床の所々に、腰を下ろせと言わんばかりに手頃な大きさの、赤熱化している円石……円岩? が置かれてある。
しかし、それらだけならまだ良かったのかもしれない。
問題は、部屋に充満している熱気や赤熱化した岩の原因と思しき、楕円に切り取られた岩盤の中にあった。
ボコボコ……と幾つもの泡が湧き立つ、赤から黄、橙色に染まったドロドロとした液体。
「この旅館の目玉温泉の一つ、『身も心も熱く燃え上がる、灼熱ぶ――』」
「そのまま燃え尽きるでしょうが!」
淡々と話すルティシアの後頭部に、アリサは容赦なくツッコミを入れる。
「しかし、これを知った上でツアーの参加を決めたのでは?」
と、ルティシアは振り返って不思議そうに言う。
その至極もっともな意見に、「うっ!?」と言葉を詰まらせたアリサだが、
「み、ミステリーツアーだから、内容は公表されないのよ」
「なるほど、そういうものなのですね」
という言葉で、あっさり納得させてしまった。
もちろん、ミステリーツアーという内容上アリサの言っている話も間違いではない。
しかし、両親から貰ったチケットのツアー名を見た上で、友人達を誘って参加という判断をしたのもまた事実である。
面白さからくる好奇心という誘惑に、抗えなかったが故に……。
「あ~……ちなみに、他の温泉はどうなん? ルティシアちゃん」
言葉が出なさそうなメンバーを代表して、はやてが訊ねる。
そうですねと呟き、思い出しながら一つ一つ上げていく。
「『永遠なる氷の時代、極寒風呂』とか」
「そ、それも嫌やなぁ」
「針山、釜茹で、糞尿、血の池、海、竜巻。今言ったモノ以外にも色々ありましたが」
「ロクなモノがねぇな」
そう、ヴィータがキッパリと言い切った。
「……地獄ならばそれも当然では?」
「そ、それに、途中に変なのが混じってたような」
それぞれに反応を示す。
「ルティシアさん、ふっつうの温泉はないのー?」
「私やバリアジャケットを纏える者はいいが、他の者にはいささか辛いのではないだろうか?」
アリシアの後を、リインフォースが継いだ。
「いえ、普通の温泉もありますが……」
「ありますが?」
「なに、ルティちゃん?」
何やら言い澱むルティシアを促す、なのはとフェイト。
「ツアー名を考えると、こちらの方が良いのかと思いまして」
「なんで! こういうときだけそんな気を回すのよ、あんたはー!?」
「ああ、アリサちゃん、落ち着いてー!?」
「それに――」
顔を紅潮させたアリサには構わず、ルティシアは浴室に足を踏み入れた。
そして、そのまま浴槽に向かってゆっくりした足取りで歩き始める。
濃紺色の髪に足首まで覆われてほぼ見えない彼女の背中を、他の者は戸口から静かに見つめていた。
途中で、持ち手付きの黒ずみいびつな形の桶を拾った彼女は、湯槽の縁までくると片膝をついて前屈みになる。
一同の位置からも、微かに見える腕や髪がその液体に照らされ、赤々と染まっているのが見えた。
片手に持った桶を、躊躇うことなく泡立つドロドロした液体の中に入れると、一気に掬い上げる。
フライパンを水に漬けた時のような音と共に、中から白く激しい蒸気が上がっているそれを肩の高さまで持ち上げ、
「ルティちゃん!」
「ルティ!」
そのまま被った。
直視出来ず、すずかは眼を伏せると同時に祈るように強く指を組む。
赤く、ドロドロとした液体がルティシアの裸身を流れていく。
そうして、後方にいる仲間達の方に顔を向けると、
「見た目こそ変わっていますが、これもお湯です」
そう言って、素手を湯槽の中に入れてみせた。
みんながホッと一息をついている中、腕を入れた状態で考え込んでいたルティシアが、なんでもないことのように言う。
「温度も60℃くらいですしね」
直後、浴室に「十分熱いから!!」という少女達の叫び声が響き渡る。
――ゴボッ、と陰を含んだ大きな音が湯槽の中から聞こえた。
――煮えて湧き立つ液体とは関係なく、表面は静かに揺らめいている。
いつの間にか雨が上がった旅館は、山奥ということもあり静けさを取り戻していた。
何も聞こえてこない。
……何も。
今回は温泉に移動するだけで終わってしまいました、申し訳ありません。
舞台が温泉ということではやてタイムをお待ちの方(いるかな……)は、次回をお待ち下さい。