舞台版ではオーベルシュタインには腹違いの兄がおり、兄=シュテファンをイゼルローンの折りに亡くしています。
ほとんどの人間が知らない事実だが、現夫妻であるリリーシャとオーベルシュタインの出逢いはイゼルローンだ。
神聖ブリタニア帝国の忌み姫と銀河帝国の義眼の大佐。
本来まず交わらないはずのふたりは、主にリリーシャの軽率かつ浅慮かつ自暴自棄(散々指摘されたし、本人にも自覚がある)な行いによって出逢った。
今でこそ安定して暴れているリリーシャだが、当時は精神的にかなりまいっていた。
愛情を惜しみなく注いでくれた両親をテロで失い、唯一遺された家族である兄のジェレミアは戦場で行方不明。
一年近くの間半死人のように過ごしていたが、兄の生存がテレビの映像でわかり、リリーシャは喜びに喜んだ。
しかし兄と再会した後、衝撃の事実に打ちのめされたのだ。
自身がどの皇族かまでは知らないが、一応皇族なのはかなり前から知っていたので驚くところではない。
なんと現皇帝である実兄のルルーシュはテロリストのゼロで、ジェレミアを悪戯に陥れ生来の体を失わせ、両親を奪う遠因となった男だったのである。
一番の被害者であるジェレミア自身は『自分の力不足ゆえのこと』と主君の責任ではないことを主張したが、リリーシャは到底納得出来るものではない。
この男さえいなければ両親は死なず、兄は変な組織に連れていかれて改造などされなかったはずなのだ。
ルルーシュさえいなければ、自分は今も幸せだったはずなのだ。
実際はそんなことはなかったかもしれないが、その時はそうとしか思えなかった。
必死に実の兄妹の仲を取り持とうと心を砕くジェレミアに気を使って、言葉にしないよう態度に出さないよう神経を張っていたが、伝わるものなのだろう。
初顔合わせからしばらくしても、ルルーシュとリリーシャはぎくしゃくし続けていた。
そんな時、ふとしたきっかけからジェレミアがメイド長の小夜子と恋仲であることを知ったのだ。
兄まで自分を置いていくのか。
リリーシャは絶望でおかしくなりそうだった。
いや、その時はすでにおかしかったかもしれない。
頭ではジェレミアは結婚しようと子供が出来ようとリリーシャを邪険にしたりしないし、愛し続けてくれるとわかっている。
きっと両親が生きていれば、多少拗ねたり嫉妬したりしながら祝福出来ただろう。
でも両親はもういない。
このままでは自分の残された支えが、幸せが連れていかれてしまう。
なら兄であるジェレミアとは血が繋がっていないのだから、自分が結婚すればずっと一緒にいられる。
後から振り返るとかなり異様な発想だが、リリーシャはその時本気でそう思っていた。
その後ジェレミアに告白して振られ、ますますどうすればいいのかわからなくなっていた _意外なことにリリーシャには戦友や部下はいるが、通常の友人がひとりもいない。家族以外に相談相手すら思いつかない_時、転機が訪れた。
両親を殺したテロリストどもの居場所がわかったのである。
ずっと捜索させ続けていたが(最初は自ら行っていたが、根詰めすぎるためジェレミアに止められていた)、それがようやく実を結んだのだ。
行き場のない様々な感情のぶつけ先がわからずに押し潰されかけていたリリーシャは、その情報に飛びついた。
兄達が止める間もなく無理矢理持ちだした量産型のKMFを駆って、報告されたアジトに襲撃をかけたのである。
その襲撃でテロリストの半分以上を屠ったが、生き残った連中の脱出を許してしまい、リリーシャは連中の航路から相手の目的を察して追いかけた。
ここで銀河帝国とブリタニアとの行き来の手段について触れる。
このふたつの国々は別な星系にあり、ゲートで行き来可能だ。
ゲートとは宇宙空間内に自然発生した孔であり、空間と空間を繋ぐトンネルだ。
これを使えば極端な話、数分でオーディンへ行けるくらいの大移動が可能となる(実際はオーディン近くに出るゲートは確認されていない)
ゲートごとに繋がる先も移動距離も千差万別であり、全部が全部往復出来るタイプというわけではなく、一方通行のものもあれば、電波だけが通るものもあり、大きさも様々ある。
銀河帝国領内にはほとんどないが、ブリタニア側には無数に点在している現象であり、古くから使われてきた。
ブリタニアの戦艦は別として、宇宙船でワープ機能がついていないものが多いのはゲートの存在のせいである。
その数少ない銀河帝国領内に繋がっているゲートの一つがイゼルローン要塞の近海_船乗りの墓場_にあった。
テロリストどもはそこから要塞に助けを求めて、銀河帝国に亡命するつもりだろう。
そうなれば復讐の機会は二度と訪れない。
絶対に逃がしてなるものか。
報いを受けさせてやる。
備え付けの薬物を使うことも厭わずに、何日も追い続け、ようやく相手の艦を射程距離におさめたのはゲートを抜けて銀河帝国領内に入ってからだった。
その頃にはリリーシャも疲弊しきっていたが、仇を消すことに問題はなかった。
何隻もあった戦艦を次から次へと撃ち落とし、最後の一隻となった時こう吐き捨てたのだ。
「もっと時間をかけて殺せないのが残念だ」
仇を全て宇宙の藻屑に変え終えた後、リリーシャは大きくため息をついた。
薬の効果が切れたのか、さらに凄まじい疲労が押し寄せてきた。
ようやく最愛の両親の仇をうてた。
ひとりでここまで来たことは怒られるだろうが、連中を堕としたことは褒めてもらえるに違いない。
大きな瞳から零れる涙がどういうものなのかわからないまま、拭うこともせずに放っておいていると、覚悟していた現実が警報として鳴り響いた。
やはりというかイゼルローンに駐留している艦隊が、こちらに向かって来たのだ。
どうやら先程消した連中が救難信号を送っていたらしい。
さらにこちらに投降するようにとの通信が送られてきた。
どうするべきか。
普通そこは悩むところではないはずだが、その時のリリーシャは悩んだ。
逃げるのは論外だ。
後ろから集中砲火を喰らって消し飛ぶ。
相手がすくないならば避けられるが相手の艦は万を超える。
どうやっても無理だろう。
逃げられないならいっそ立ち向かって旗艦だけでも堕とすか。
それが良いかもしれない。
銀河帝国はそもそも敵国で、現在も戦時中だ。
ならば多少の武勲を遺して逝って問題あるまい。
このまま死ねばもう自分の居場所に悩むこともないのだしちょうどいいかもしれない。
そこまで疲れた思考が到達して、ジェレミアが今も必死に自分を追ってきているだろうことを考えた。
兄達を悲しませたくない。
でもこのままでも辛い。
その後もしばし悩んだが、結局投降することにした。
ブリタニアから捕虜になる人間はあまりいないため、ひどい目にあうだろうが、いきなり銃殺もされないだろう。
生きてさえいれば脱出も出来る。
リリーシャはため息をつきながら相手の誘導に従った。
この決断が後の自身の人生を決定づけることとなることは、この時知る由もなかった。
正直拷問されるくらい覚悟していたリリーシャだったが、イゼルローン駐留艦隊の取り調べの大雑把さに逆に驚いた。
セクハラめいたことは散々言われたが、実兄と瓜二つの顔を誰も指摘しないし、いつも使っている偽名や所属を確認され撃ち落とした連中のことを軽く聞かれただけで、後は艦内の牢獄に放置だ。
イゼルローン基地内に連れていかれるかと思っていたが、基地のトップと艦隊のトップが仲が悪いらしく連絡すら取りたくないらしい。
階級を大尉と名乗り、平民出身としたからかもしれないが、普通ならもっと色々聞いてくるものだろう。
聞かれても答えるつもりはさらさらなかったが、あまりの雑さに呆れてしまった。
一応次の連絡船でオーディンに移送されて、追加尋問を受ける予定だが、それも実行されるか怪しいと睨んでいる。
どこかで隙を見て逃げ出した方が良さそうだ。
リリーシャは牢屋でひとりになった段階でかなり冷静になっており、自分がやったことを思い返していた。
ちなみにひとりでテロリストどもを殲滅したことは後悔も反省もしていない。
捕まったことも自業自得なので仕方がない。
あそこで誰かを連れて来たり、報告したり指示を仰いだりしている余裕などなかったし、連中を皆殺しにするという目的はきちんと果たしていた。
自分は一応血筋的には皇族だが、皇族自体が三桁いるため別に希少価値はないし、現皇帝の実妹だが公式で認められてもいない。
大体リリーシャという名前は両親がつけてくれたもので、前帝やマリアンヌ皇妃は知りもしないのだ。
皇族のリリーシャ・ヴィ・ブリタニアなど今も昔も存在しないのである。
ジェレミア・ゴッドバルトの妹のリリーシャ・ゴッドバルトは病弱設定でこんなところにいるはずはないため、現在の自分は平民出身騎士のリリー・エバンズ大尉だ。
もし脱出に失敗したとしても、本当のことなど絶対に言わない。
しかしそうなると心配なのは兄ジェレミアだ。
兄は絶対にリリーシャを心配し、助け出す手立てを考えているに違いない。
兄には本当にすまないことをしたと思っている。
両親を失ったのは自分だけではないことにどうして思い至らなかったのか。
自分の感情ばかりで、どうして兄のことを労ってやれなかったのか。
考えだすと泣きたくなるほどの自分勝手さだ。
再び会えるならば謝りたかった。
そして義姉との関係を改めて祝福したかった。
リリーシャが独房で静かに家族を思っていると、不意に牢の外に複数の気配が近づいてきた。
食事の時間ではないし、巡回の時間でもない。
何か状況に変化があったのか。
訝しく思って待っていると、鍵が外される音と共に扉が開き兵士達が入って来た。
「何か?」
この時かなり油断があったとリリーシャは後に振り返っている。
さらに言うなら拘束衣を着せられていたため、普段のような動きが出来なかった。
だからにやついた男6人がかりで、粗末な寝台の上にいきなり押さえつけられることを許してしまった。
リリーシャは無知ではない。
今から何をされようとしているかくらい察しがつく。
拘束衣の適当な場所を破くつもりなのか、兵士達の手にはナイフがあった。
だが大人しくやられてやる筋合いはない。
力任せに体を跳ね上げ、正面にいた相手に強烈な頭突きを見舞ってやった。
悲鳴すらも残さず、牢の外へ吹き飛んだ男は鼻が潰れて意識を失ったようだ。
「なっ!?このくそ女!!」
「しっかり押さえてろ!」
思わぬ反撃に苛立った他の男にのしかかられる。
やはり手足が使えないと全員を倒すのは難しい。
負けるものか。
リリーシャが食いちぎってやると内心で意気込んでいると、思わぬ助けの手が差し伸べられた。
「何をしている」
とても素敵な声(後のリリーシャ談)が、場の空気を一瞬で凍結させた。
扉の前に立っていたのは背の高い、細身の佐官_確かあの階級章は大佐_だ。
その手にはブラスターが握られている。
「捕虜への虐待と判断する。即時銃殺も許される案件だ」
淡々とそう告げると、極寒の視線で凍り付いた男達が何かを言いかけたが、それは未遂に終わった。
「逃げようとは思わないことだ。貴官らの顔は覚えた。部屋で謹慎していたまえ。この場で撃ち殺されたくなければな」
実質の死刑宣告に、男達は怯えた顔で走り去った。
残されたのは彼とリリーシャのみだ。
まだ多少息を乱している捕虜を見た彼はブラスターを下ろし、丁寧な所作で起き上がらせてくれた。
顔を近くで見ると彼が義眼であることに気付く。
「怪我は?」
「いえ。助けてくださってありがとうございます」
「こちらこそ詫びねばならない。捕虜への虐待は重罪だ。今回が初めてか?」
普通もっと躊躇して聞きそうなことを無表情かつ直球に尋ねてきた。
緊張が解けたせいか、不快に感じることもなくなんだか面白く思えて笑ってしまった。
「ええ、何度も来ていたらさすがに騒ぎになったでしょう」
視線を廊下で昏倒している男に向けると、痩身の大佐はそちらを確認もせずに頷いた。
そのまま去ろうとしたので、リリーシャは慌てて声をかける。
「お名前を伺ってもよろしいですか?」
恩人の名だ。
覚えておきたかった。
大佐は振り返りもせずに平坦に答えた。
「君が本名を名乗る気になったら教えよう」
すぐに返された言葉にぎょっとした。
その驚きを見もせずに、扉は閉まり、施錠がなされた。
残されたリリーシャはしばし呆然としたが、また笑う。
どこまでかわからないが、自分のことは少なくとも彼にはばれているらしい。
そしておそらくは彼は誰にもそのことを話していないようだった。
真意は不明だが、悪意はないと思う。
銀河帝国にも優しくて頭が良い人がいるのだ。
何故だかそれが嬉しくて笑ってしまう。
心から笑えたのは本当に久しぶりだった。
「いつか名乗れれば良いのですが。素敵な大佐さん」
いつかがわりはすぐにくることを、その時のリリーシャは当然知ることはなかった。
捕虜になってからさらに数日は何も起こらなかった。
しかしその数日の後にとんでもないことが起きた。
戦闘だ。
窓などあるわけがない独房では詳細はわからないが、とりあえずこの艦がどこかと戦っていることはわかる。
おそらくブリタニアではない。
これはどさくさに紛れて逃げることが出来るだろうか。
下手したらこの艦が沈むのでのんびりはしていられない。
リリーシャは起き上がると、力任せに拘束衣を破れるかどうか試してみた。
だが当然破れるはずはない。
さて、どうしたものか。
悩んでいると、規則正しい足音がこちらに近づいて来て、扉が開いた。
「・・・・あ、貴方は」
一瞬鏡を見たのかと思った。
入ってきたのはリリーシャを助けてくれた大佐だ。
前に助けてくれた時も顔色は良くなかったが、今はさらに悪い。
彼とは当然性別も何もかも違う。
だが何故か鏡を見たような気がした。
その理由はすぐにわかった。
彼の目だ。
作り物の双眸。
その目は兄が戻ってきてくれる前のリリーシャの目だ。
大切な誰かを喪った人間の目だ。
リリーシャには兄が戻ってきてくれた。
だが、きっと彼の大切な人はもう戻ってこないのだ。
そのことが頭ではく心でわかり、リリーシャは不意に泣きたくなった。
「出たまえ。この艦は沈む」
大佐は端的にそれだけ告げると、手早く拘束衣を脱がせ捕虜の手を引く。
リリーシャは一瞬躊躇した。
どこでもそうだが捕虜を逃がすことも、敵前逃亡も重罪だ。
彼が何故そこまで自分を気遣ってくれるのかはわからないが、恩人である彼にそんな迷惑はかけられない。
リリーシャは一瞬逡巡したが、すぐに紫水晶の双眸に決意の光を宿した。
細い手が痩身の大佐の腰からブラスターを引き抜き、そして彼の腕を掴んで走り出した。
出会う兵を時々脅し、時には撃ち、長身の男を引きずっているとは思えない速度で駆け抜けていく。
さして激しい妨害には合わず、なんとか救命シャトルへたどり着き発進させた。
「貴方は逃げたんじゃない」
シャトルが艦を離れ、トールハンマーが多くの命を絶つのを見ている大佐に、リリーシャはそう話しかけた。
リリーシャはじっと男の仮面のような顔を見つめる。
宝石がはめ込まれたような双眸は、何か激しい感情を湛えて潤んでいた。
「貴方は逃げたんじゃない。私が貴方を人質にして無理矢理この船を出させた。だから貴方は逃亡兵じゃない。私の人質」
「・・・・・・」
「報告ではそう言ってください。都合が悪いことがあったら全て私のせいにしてかまわない」
こうして生き延びることが出来たのは、目の前の無愛想な彼が助けてくれたからだ。
命を救ってもらったのだから、これくらいの申し出はしたかった。
銀河帝国の軍法では敵前逃亡は極刑のはずだ。
この後の予定としては、このままシャトルでオーディンまで行って、その前に自分は大佐に捕縛されたことにしようと考えていた。
向こうでかなりひどい目にあうだろうが、どうせあのままだったなら消し飛んでいたはずの命だ。
別にかまわない。
多分殺されはしないだろう。
生きてさえいれば脱出のチャンスはある。
それに彼には生きていてほしかった。
彼はきっとひとりになってしまった。
このままひとりきりで死んでほしくなかった。
ブリタニアの姫は、胸の奥に流れる甘く、苦しい感情の正体がわからず、ただただ彼の人工の双眸を見つめる。
鋭い光を放つ瞳が薄く驚きを含有させたように見えた。
「・・・助けてくれてありがとう。本当に嬉しかった」
語尾が震えていた。
その後長い沈黙があった。
おそらく一時間以上無言だったと思うが、実際はもっと短かったかもしれない。
リリーシャはただ男の言葉を待った。
「・・・・貴官、いや、君の国と連絡をとりたい。とれるか?」
無愛想な大佐は相変わらず淡々とそんなことを聞いてきた。
「本当に来てくださらないのですか?」
リリーシャは何度目かになる問いを投げるが、彼はまた首を縦に振ってしまった。
イゼルローン近海に潜んでいたリリーシャ捜索部隊との連絡がとれ、彼らと合流する間際のことだ。
大佐はリリーシャをブリタニアに帰すと言い、断固として連れて行ってはくれなかった。
彼が罪に問われることを気にして散々粘り、ならば一緒に来ないかと誘ったがそれも拒否された。
彼はどうしても銀河帝国でなさねばならないことがあるのだという。
その目的については教えてもらえなかったが、死刑になる危険をおかしてでもやりたいことなのだろう。
「気が変わったらいつでも連絡してくださいね。歓迎します」
その言葉にも無言の首肯。
きっと本気ではないと思っているに違いない。
「・・・私の名前はリリーシャ・ゴッドバルト。貴方の名前を教えてください」
「パウル・フォン・オーベルシュタイン」
今度は答えが返って来た。
それが嬉しくてにっこりと笑いかける。
「綺麗な名前ですね、オーベルシュタイン大佐。どうか、お元気で。貴方が私に何をしてくれたか、一生忘れません」
この後、ふたりは歴史に残る国際結婚をすることになった。
公式での出会いは終戦記念パーティーであり、それ以前の面識については少数の人間の胸の中にのみ収められている。