「やっぱり、最後を迎えるのはここかな」
ナザリック地下大墳墓から己のギルドホームに帰還したルイは、真っ先にある部屋に赴いた。
其処は鏡の回廊に隣接する、王の寝室と呼ばれた部屋である。
扉を開けると、部屋の全てが金色であった。
壁は紅の地に金糸と銀糸が織り込まれたブローケド地の冬仕様であり、有り余る金色は天井にまで及んでいた。
この部屋だけで2階分の高さがあり、中心部には金色の光を放つ欄干、その奥にはダチョウとシラサギの葉飾りがついた天蓋のベッドがある。
ベッドの前にある黄金の欄干の扉を開けて、見るからにふかふかなベッドに倒れこむ。
しばらくうつ伏せになったまま動かなかったが、仰向けになると天蓋内に施された金色と紅色の糸で施された刺繍に目を向けて、じっくりと鑑賞する。
だが、すぐに飽きたのかチラリと時刻を確認した。
ユグドラシルが残り数分で消え去ることを考えたくないのか、両目を片腕で覆い隠してゆっくりと口を開いた。
「あと、2分か……あと、2分でこの世界が終わってしまうのか」
目を瞑ったまま動かないルイは、あと2分でサービスが終了してしまうことを嘆きながらも、脳裏に輝かしい過去の栄光を追憶していた。
(ああ、あの頃は本当に楽しかった……大学時代の友人達と関係を自然消滅させたくないことからユグドラシルを始めるようになったけど、思いのほか熱中しちゃって皆んなが引くほどプレイしてたっけ。最初はみんな種族がバラバラで悪さばかりするからいろんな人からヘイトを向けられてたな。まあ、たまに痛い目合ってたけど、そのおかげでたっちに出会えた。モモンガやギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の人達と出会った。どれだけお金を払おうとあの頃は戻ってこないけど、それでも出来ることならあの頃に戻りたい。戻って君に逢いたいよ、マリー……)
ユグドラシルの思い出に浸る上で決して避けては通れない人がいた。
その人の名前はマリーである。
彼女はルイの——朝島 淳の妻であった。
朝島は裕福な家庭に育ったお坊っちゃんであり、最終学歴が小学校であることも珍しくない世の中で、彼は並外れた頭脳と家庭の裕福さから一流大学を卒業したエリートであった。
その後、大企業に就職するとその語学力を見込まれてフランス支部に勤務することとなり、順調に出世街道をひた走っていたが心の底では何処か寂寥感が拭えない毎日を過ごしていた。
そんな彼に、運命が訪れた。
その日は、友人のフランス政府高官のお祝いパーティーの帰り道で、薄気味悪い誰も通らないような通りを歩いていたところ、一人の少女が道端で倒れていたのである。
すぐに救急車を手配して病院で治療なされたため命に別状はなかったが、しかし、少女——マリーはすでに社会人として働いているものの年齢は十三歳であり、この前までは学生であったらしい。
両親の他界によりお金に困った彼女は学校を中退して働くようになったものの、勤め先がブラックであったらしくあまりの激務に過労で倒れたようだ。
朝島はマリーと接するうちに彼女に惚れたらしく、彼女も同様に朝島に惚れて大恋愛の末に結婚した。
妻のマリーも朝島の影響によりユグドラシルをプレイするようになると、彼女はアバターを古代アッシリア帝国の女帝をモデルに、えげつない魔法で敵を蹂躙することからその名を知らぬ者がいないと言われるほどのトッププレイヤーにまで変貌した。
そして、結婚六年目にしてマリーが妊娠してこのまま幸せが続くと二人は思っていたが狂信的な環境保護テロリストのテロにより、偶然居合わせた妻と子は悲運にも重傷を負い、病院に辿り着くことなく亡くなったのである。
悲しみに暮れるあまり仕事に手がつかず、迷惑をかけることを拒んだ彼は辞職した。
それが三ヶ月前の出来事であった。
それなりの貯蓄があるため、今後の生活に困ることはないだろう。
しかし、どれだけお金を持っていようが最愛の妻とまだ見ぬ子は決して帰っては来ない。
追い討ちをかけるようにマリーとの思い出が詰まったユグドラシルのサービス終了には、さしもルイはこの残酷な世界に疲弊しきっていた。
(あ、なんだが急に眠くなってきた……サービス終了まであと数分なのに……)
不眠症により長く寝付けていなかったルイは、突如としてら睡魔に襲われて息をひきとるように眠りにつく。
そして、時刻は0:00を回った。
だが、ユグドラシルのサーバーはどういうわけか停止することはなかった。
雀の囀りが外から聞こえてくる。
長い間、外出することなく窓も開けていなかったため外からの音に敏感になっていたのか、雀の囀りを耳にして眠っていた体は自然と起きた。
装飾が施された重たい服を着ている上体を起こし、硬くなっている体を伸ばしていると、寝起きで朦朧としている意識の中で鮮明になってゆく目の前の景色に違和感を覚えた。
(あれ? おかしいな、ここ俺の部屋じゃないぞ。ここはユグドラシルで作り上げた王の寝室じゃないか……)
起きたら自分の知っている部屋ではなく、ユグドラシルで作り上げた仮想世界の寝室にいたのである。
どうやら、知らぬ間に眠っていたらしい。
時刻を確認すると、06:30と表記されていた。
「んん? どうしてサービスが終了していない? いや、待て。どうして口が動いているっ!?」
ユグドラシルのサービス停止が昨夜であり、今もこうしてプレイできていることは運営の方で何かしらの問題があって延期したのだろうと考えて、無意識に独り言を呟いたが、ルイは自らの口が動いたことに驚愕した。
DMMO-RPG上の常識からすれば口が動いて言葉を発することなどあり得ない。
外装の表情が固定されて動かないのが基本であり、そうでなければ感情アイコンが作られることはなかったのだ。
時刻は確実に過ぎている。
困惑するルイは、まず情報を得ようと通話回線をオンにしようとして、手が止まった。
コンソールが浮かび上がらなかったのだ。
焦燥と困惑が入り混じる中、他の機能を呼び出そうとするも、コンソールを使わないシステムの強制アクセス、チャット機能、GMコール、強制終了、どれま一切の感触がなかった。
まるで、完全にシステムから除外されたようだ。
(ユグドラシルがサービス終了していないことは、ひとまず置いておこう。何かしらの要因でまだサービス終了出来ていないのだろう。それ以上に問題なのは……)
「どうして口が動いている、ということか……」
逸る鼓動と困惑する脳内で考えがまとまらない。
その時、ドアをノックする音が聞こえた。
「王よ、時間でございます……」
ドア越しに聞いたことのない男の声がした。
バリトンの歌手さながらの太く、力強く、低く、男盛りの艶のある声である。
理解が追いつかない現状下で追い討ちをかけるような事態に直面に困惑しながらも、状況理解と打破のために情報が欲しいルイは乾いた喉を潤すかのように唾を飲み込んだ。
「誰だ?」
「ふむ……王よ。それは哲学ですかな?」
ドアの奥にいる男は、問いに困惑した様子であったが、ルイはそれ以上に困惑しているものの表に出さないように努めながら冷静な声音で返答する。
「言い方が悪かった。お前の名前は?」
「この声をお忘れですかな? まあ、起床したばかりでは頭が働いていないのでしょうな、いいでしょう。私の名前は、リシュリュー。アルマ・ジャン・デュ・プレシー・ラ・リシュリューでございます」
その名を聞いて驚愕のあまり絶句した。
アルマ・ジャン・デュ・プレシ・ラ・リシュリュー、彼は実在した人物をモデルにルイが作成したNPCの一人である。外見は鷹のように鋭い目つきで老獪の印象を与える白髪男性で、稀有な才能から政治家に上り詰めたという冷酷無比な信心ぶかき聖職者という設定がなされていた。
ユグドラシルでは、NPCは喋る、という機能がない。
にもかかわらず、ドアの奥にいる声の主は自ら手がけたNPCであるリシュリューの名を名乗ったのである。
混乱する頭を整理しながらもベッドから降りた。周囲を見渡すと、やはりというべきかユグドラシルで作り上げたギルドホーム『アンプルール天空城』の8階層にある『ヴェルサイユ宮』の王の寝室であった。
サーバー停止時刻はとっくに過ぎているにもかかわらず、ユグドラシルのサービスは終了しておらず、コンソールも反応しない。
これではまるで一昔前に流行った異世界転生物の娯楽小説みたいではないか、と蚊の鳴く声で独り言ちる。
逸る鼓動を抑えてドアノブを回すと、其処にはリシュリューが佇んでいた。
カトリック教会における教皇の最高顧問である枢機卿の証である赤い角帽、緋色の聖職者服を纏っており、ルイの顔を見ると気難しそうな顔つきで眉間にしわを寄せていた。
「今朝は随分と早いお目覚めで……王よ、顔色が悪いようですがどうかなされましたかな?」
「リシュリュー、GMコールが利かない」
「GMコール? それはいったいどのようなもので?」
「いや、なんでもない……それよりもだ、閣議の間に元帥達を集めてくれ。早急に会議を開く必要がある」
「畏まりました」
洗練された動作で恭しく一礼したリシュリューは、ルイの言動に不審感を抱いた様子もなく去って行く。
彼の背をルイはじっと眺めていた。
ユグドラシルでは、NPCには高度なAIは組み込まれていない。
だが、リシュリューと会話してルイは、まるで本物の人間と会話しているかのような感覚を覚えた。
それに加えて自分の命令を理解して行動している。
馬鹿げていると分かっていながらも、ここまでくると仮想世界が現実世界になったという娯楽小説のような展開に直面しているのではないか、と考え始めた。
「それよりも、だ。まずは、閣議の間で元帥達を待つとしよう。考えるのはその後だ……」
閣議の間、王の寝室から直接閣議の間に行けるようになっていた。
閣議の間は、宮殿内で最も重要な部屋である。
王の寝室ほどではないが白と金を基調にした部屋であり、扉、テーブルクロス、座卓には共通して青地に金の花を散らした絹織物が掛けられていた。
部屋の奥には、彫刻と金細工が施されたクルミ材の椅子がある。
その椅子に座ると、目を閉じて静かに息を吐いた。
待つこと5分、ドアノックが聞こえてゆっくりと目を開けた。
「入れ」
「失礼致します……」
麗しき二人のメイドが朝食を持ってきたようだ。
目の前で注がれる紅茶を見ていたルイは、仮想世界では電脳法によって五感の内味覚と嗅覚は完全に削除されており、そして触覚もある程度制限されていることを思い出した。なぜ、仮想世界が味覚嗅覚が遮断されているかというと、現実世界と混同しないようにという理由あっての事だとされている。
もし、紅茶を飲み味がするとするなら、ここは仮想世界ではない、若しくは何かしらの故障により五感が削除されていることを意味していた。
「どうぞ、お召し上がりください」
「ああ……」
湯気が立つ紅茶を差し出されたルイは、カップを持ちまず匂いを嗅いだ。
やはり、というべきか。
紅茶の香りがした。
香りからしてルイの好みであるアールグレイのようで、現実世界で見たフランスの高官がしていた紅茶の飲み方を脳裏に浮かべながらその通りに紅茶を一飲みした。
口内に紅茶の香りが広がる。
思わずため息が出てしまいそうなほど美味な紅茶であった。
温度、味、匂いとどれを取っても一級品で、以前宿泊したフランスの高級ホテルで出た紅茶をはるかに凌いでいる。
如何に愚かな運営だとしても電脳法を守らないのは考えられない。
もしくは、電脳法が遵守できない状況下に置かれているのか。
はたまた、何処ぞの三文小説ではないがこの現実世界が仮想世界になったのかと考えたが、その考えは現実的ではないと一蹴した。
目を瞑ったまま動かないルイにメイド達は怪訝そうな顔つきで見守っており、視線を感じて目を開けて小首を傾げた。
「如何なされましたか?」
「何か不備でも……?」
「いや、不備はないさ。ただ、この紅茶がとても美味しくてね。言葉が出なかったんだ。紅茶をありがとう」
さわやかな笑みを浮かべて謝辞を述べるルイに、褒められたメイドは感極まった様子で赤面していた。
あたふたするメイド達を尻目にルイはもう一口飲むが、その時、再びドアがノックされた。
「王よ、元帥達を連れてきて参りました」
「入るが良い」
ドアが開くとリシュリューを先頭に元帥の称号を持つ26人の男達が部屋に入室すると、メイド二人は優雅にお辞儀をして退出し、元帥達はメイドと入れ替わるようにルイの座る前に立ち止まった。
ルートヴィヒは、一人一人のNPCの顔を眺めていた。
フランス第一帝政期の26人の元帥達をモデルに作られたNPC達は、Mle1804元帥用大礼服と呼ばれるエポレットの付いた詰襟燕尾服型の大礼服を身に纏い、白色羽根を差し、金の刺繍が施された二角帽を被って厳つい顔つきで立佇している。
「こんな朝はやくから呼び出してすまない。さて、君たちを呼んだのは他でもない。今現在、緊急事態に直面しているからだ。ミシェル・ネイ、ジャン・ランヌよ。二人は今から完全武装して周囲1キロを調査してきてほしい。その際、知的生物がいた場合は交渉して友好的にここまで連れてきてくれ。あくまで武装は身を守るためだ。自ら戦端を開くことはするな。他のもの達は侵入者に備えて戦闘態勢で待機。何か質問あるものはいるか? ないのなら、早急に行動に移してくれ。以上だ」
本拠地を守るために創造されたNPCが外に出られるという、ユグドラシルでは絶対に不可能なことを命令したが、もし、NPCが外出できるとするなら現実世界の規則だけでなくユグドラシルの規則も瓦解していることを意味する。
今は何よりも情報を欲しているルイは、一先ず、ここが現実世界なのか、はたまたサービスが停止していないユグドラシルなのかを確認する必要があった。
颯爽と退出する元帥を見送ると、部屋に残ってあっリシュリューがルイの下へゆっくりと歩を進めていた。
猛禽類のように鋭く吊り上がった目つきは、見るものを萎縮させる凄味があり、虚言を吐くことを許さないと言わんばかりの穏やかではない雰囲気を漂わせていた。
リシュリューは、椅子に座るルイを見下ろしながら、ゆっくりと口を開いた。
「王よ、緊急事態とは一体どのようなことで?」
「緊急事態とは言ったが、実はまだ不確定なのだ。だがまあ、思い違いならそれでいいさ。だがな、リシュリュー。物事にはもしも、ということがあるだろう?」
「ええ、そうですな。懸念要素は早急に潰しておく必要がありましょう。それがたとえ骨折り損になろうとも、指を咥えたまま俯瞰するのは愚か者がする所業にございますからな」
「ああ、そうだな。一先ず今は、ジャンとミシェルの連絡を待つばかりだ。だかしかし、思い違いではなく私の予想通りであったのなら、早急に各同盟国の宰相達に連絡して欲しい。鏡の間にて会議を開く必要性がある」
「ええ、心得ております。しかし、我が帝国以外は、国を統べる皇帝陛下が御不在の状況でございます。ここは、陛下が主導となって今後の方針を打ち立てるべきでしょう」
「ああ、そのつもりだ。しかし、どの国も一筋縄ではいかないぞ」
「なに、策は考えております」
不気味な笑みを浮かべるリシュリューにルイは如何なる手法で丸め込むつもりか気になったが、彼のあくどい笑みを見ると詳細を知るのが少し恐くなったのであった。