『アマルガム』の脅威が去り、再び東京で平和に暮らし始めた宗介とかなめの前に、彼らのよく知る少女が現れたことで再びパニック!に巻き込まれてしまいます。
宗介を巡っての、かなめとその少女が火花を散らします。
ご一読いただければ幸いです。
――あ、来る。
千鳥がそう感じた時には、彼女の身体は重力を喪失していた。
リビングの床に倒れ込む。
手にしていた試用品の香水の瓶が割れて、小さな音を立てる。
せっかく瑞樹からもらったのに……。
そして、あの『囁き』が聞こえてくる。
でも……あれ、おかしいな。
『囁き』は聞こえるのに、どんどん気が遠くなって……。
こんなの初めて……。
ざまあみろ……誰だか知らないけど、あんたの声なんか聞く前に、ブラックアウトしてやる……。
(ソースケのご飯……作ってあげなきゃ……)
意識を失う直前、千鳥は何かの花の香りを感じた。
「かなめ、今帰った――かなめ!?」
宗介が玄関からリビングに入ると、恋人であり婚約者でもある千鳥かなめが床に倒れ込んでいた。
一瞬にして、血の気が引く。
宗介はすぐに駆け寄り、首筋に指を当てる。
脈はある。
鼻の前に手をかざすと、呼吸もしている。
少し、ホッとする。
問題は、頭を打ってないかだが……その痕跡もない。
うつ伏せに倒れているので、うまく手で受け身まがいの真似が出来たのかもしれない。
「かなめ……かなめ」
小さな声で呼び掛け、肩を軽くゆする。
「うっ……うん……」
急な貧血だろうか。
かなめは『重い方』で、特に初日が酷かった。
貧血で寝込むこともある。
しかし、周期がおかしい。今はちょうど中間あたりのはずだが。
とにかくベッドに運び、意識が戻ったら病院に連れて行こう。
宗介は軽々とかなめを抱えあげ、寝室に運ぶ。
以前はかなめが私室として使っていた部屋で、『アマルガム』の壊滅が確認されて逃避行から戻ってからは二人の寝室になっていた。
置かれているキングサイズのベッドは、二人で選んだ初めての家具だ。
取りあえず、着替えさせよう。
かなめをベッドに寝かせると、宗介は彼女のパジャマを探した。
それにしても……。
なぜ彼女は『陣代高校』時代の制服を着ているのだろうか?
宗介は怪訝に思ったが、すぐに、
(……きっと経験できなかった学園生活に想いをはせていたんだろう)
と考えた。
かなめは高校二年の三学期、彼女の特殊な能力を欲する秘密組織『アマルガム』によって拉致され、それから一年以上も世界各地のアジトを転々と連れ回された。
彼女が学校に戻れたのは元クラスメートたちの卒業式のまさに当日で、高校生活最後の年をまるまる過ごすことができなかった。
あの時点の自分たちの力では、それは防ぐことも回避することも不可能だった。
宗介もかなめも、そのことは理解している。
しかし宗介は、それでも他に何か方法はなかったのかと考えてしまう。
かなめに、普通の高校生活を送らせてやりたかった。
宗介は顔を振って夢想を振り払うと、彼女から制服を脱がした。
かなめが体調を崩したときによくやっていることなので、別段戸惑うこともない。
そういう場合、たいていかなめは、
『……えっち』とか『……今はおあずけよ』とか、発熱で上気した顔や苦痛を我慢する顔で、宗介をからかうのだった。
赤い大きなリボンを外し、上衣とスカートを脱がす。
紺色のソックスを脱がしたとき、宗介は見慣れているはずのかなめの肢体に妙な違和感を覚えた。
気のせいか、昨夜見たときよりもバストのサイズが少し縮んだような。
宗介の観察眼は鋭い。
元々は偵察を得意とするエリート兵士だ。
まさか、本当に何かの病気ではないだろうな?
一日で肉がげっそり落ちるほどの。
「……うっ……ううん……」
その時、千鳥が気がついた。
「……ソースケ……」
「気がついたか。気分はどうだ?」
「……あんまりよくないかも……」
なんだか、目の調子がよくない。
自室の見慣れた天井を背に、自分を心配げにのぞき込んでいる宗介の顔が、どこか違って見える。
「そうか、無理はするな」
「……うん」
「今、パジャマを着せてやる。もう少しして落ち着いたら病院に行こう」
「……パジャマ?」
宗介のその言葉に、ピンボケしていた千鳥の意識が急速に焦点を合わせた。
ベッドの脇に脱ぎ散らかされた陣高の制服。
そして、ブラとショーツだけの半裸の自分。
「な、な、な、な、な――なにしてるのよ、この変態!!!」
本当に久しぶりに、宗介の顔面にめり込むビンタ(グー)。
吹っ飛ばされ、縦に一回転し、そのまま寝室の壁に叩きつけられる宗介。
レーバテインの30G跳躍よりも……意識が飛んだ。
「あんた……あんた……まさか、人が気を失ってるのをいいことに、こ、ここまでするなんて……」
羞恥と怒りと失望と悲しみに、千鳥の身体がワナワナと慄える。
「お、落ち着け、かなめ。君は錯乱している。病気なんだ。すぐに病院に行こう」
「これが落ちついれいらるかーーーーっ!!! ってか、なにどさくさに紛れて名前でよんでるのよーーーーーーーーーー!!!」
かなめが帰ってきたのは、まさにその時だった。
「ただいま~、ごめん、遅くなっちゃった。すぐにお夕飯作るから」
キッチンに直行して買い物袋を置くと、リビングをのぞき込む。
「? ソースケ、いるんでしょ?」
『これが落ちついれいらるかーーーーっ!!! ってか、なにどさくさに紛れて名前でよんでるのよーーーーーーーーーー!!!』
どんがらがっしゃ~ん!!
寝室からこだまする若い女の絶叫と、昔よく聞いた何かが吹っ飛ばされて壁に叩きつけられる音。
かなめは手近にあったフライパンを手に、即座に走った。
あまりの怒声に意味は聞き取れなかったが、確かにあれは女の声だ。
それに室内での格闘の音。
アマルガムの残党!?
それとも別の組織!?
終わったと思ったのに――!
とにかくソースケが戦っている! 援護しなくちゃ!
待ってろ、戦友! 今行くわよ!
そしてかなめは、突入した寝室で見た。
脱ぎ散らかされた、陣代高校の制服を。
怒り狂う下着姿の少女を。
突き飛ばされて、尻もちを突いている自分の恋人 兼 婚約者を。
かなめの科学的・論理的思考にかけては世界一優秀な頭脳が、その光景を即座に分析する。分析した。
結果は――。
「お、お、おどれという男は、ついに女を連れ込みおったか」
かなめは最近、宗介が『その手』のことに妙な自信を付け始めているような気配を感じていた。
自分という女で経験値を積んだことで、女の扱いが上手くなっているような……。
しかも、連れ込んだ相手が陣高の女子生徒ときたもんだ。
なにやら過去の自分に欲情されたようで、そのインモラル感と嫌悪感ときたら、半端じゃない。
かなめは即座に決断した。
コイツを殺して、あたしは新しい人生を歩む!
もっといい男を見つけて、ベッドの中で『昔、こんな馬鹿な男がいたのよ』とせせら笑ってやる!
外道~~~~~~! 地獄に堕ちろ~~~~~~!
かなめは、持っていたフライパンを大上段に構えた。
千鳥は突然現れた揚げ句、フライパンを手に鬼の形相で宗介に迫る女を見て、
(え、なに!? テロ屋の襲撃!?)
と、いくぶん冷静さを取り戻した。
よりにもよって、こんな修羅場に現れるとは!
こんなサイテーな変態野郎でも、いちおうはあたしのクラスメートだ。
学級委員として助ける義務がある。
というより、コイツに始末をつけるのは、このあたしだ!
他の誰にもやらせてなるものか!
「ソースケ、危ない!」
千鳥は叫んだ。
『ソースケ』ですって!?
いつの間に名前でよばせる仲になったんだ、おどれらは!?
かなめは、宗介からベッドの上の半裸の少女に向き直った。
コイツ(宗介)の始末はあとでいい。
あとでゆっくり料理してやる。
その前に、まずは後輩! アンタだ!
千鳥は、ようやく目の前の女が自分にそっくりなことに気がついた。
変装――いや、整形?
この女、あたしに成りすます気ね!
そしてその隙に、あたしを拉致するつもりだ!
千鳥はテロ屋の計画を看破した。
「ソースケ、早くその女をやっつけて!」
この泥棒猫が! 言うに事欠いて、ソースケにあたしをやっつけろですって!?
少々、見てくれがいいからって、ずいぶん大きく出てくれるじゃない!
確かにそこいらの十人並みの女子高生よりは可愛いでしょうけど、あたしに比べればまだまだ……って、なによ、この泥棒猫の後輩! あたしにそっくりじゃない!
どういうこと、これ!?
――はっ!
もしかして、アマルガムの残党のエージェント!?
さては偽者でソースケをだましてる間に、あたしを拐(かどわ)かす作戦ね!
「ソースケ、その女はあたしの偽者よ! 構わないから撃ち殺して!」
かなめはフライパンを青眼に変化させて、ベッドの上の偽者を睨(ね)め付けた。
宗介は混乱の極みにあった。
歴戦の古強者である彼をして、ここまで狼狽した状況はかつてなかった。
以前、尊敬する上官であり、今もよい友人である『テレサ・テスタロッサ』が陣代高校に短期留学した際、かなめとの板挟みにあって命の危険を感じるほどに消耗したが、それよりもなお酷い。
なにしろ、ベッドの上で半裸で罵詈雑言垂れ流す少女も、フライパンを手に悪鬼の如き形相を浮かべる女も、宗介には『かなめ』に見えるのだから。
「どっちが本物のかなめだ!?」
「「あたしに決まってるでしょ!」」
宗介の問い掛けに、千鳥とかなめが同時に叫んだ。
「どっちが偽者のかなめだ!?」
「「その女に決まってるでしょ!」」
宗介の問い掛けに、千鳥とかなめが同時にお互いを指さした。
「「ソースケ、あんたにはわからないの!?」」
アンタにはあたしがわからないのか!? このあたしが!? アンタにご飯を作ってやってるのは誰だと思ってるの!?
業を煮やした千鳥とかなめが、同時に宗介をにらみ付けた。
「す、すまない。俺には……二人ともかなめに見える」
「「なんですって!!」」
「い、いや、しかし……」
宗介はかなめを見た。
「俺には、君の方がより『かなめ』なように見える」
さすがに一緒に生活する期間が長いせいか、はたまた身体の結びつきがあるせいなのか、宗介はかなめを、自分の『千鳥かなめ』だと認識したようだ。
「ちょっ! アンタ、何言ってるのよ! あたしが偽者だって言うの!?」
千鳥は深く傷つき、泣きそうになった。
ソースケが、あたしのことをわからないなんて、そんな……。
そして、千鳥は自我を保つために論理の飛躍をした。
アタシのことがわからないソースケも『偽者』だ。
「アンタも偽者ね」
「な、なに?」
「そういえば最初から変だと思ったのよ。なんかガタイがいいし、妙に落ち着いてるし、そもそもあのソースケがあたしの服を脱がして平然としていられるわけないし」
「俺はただ、制服では君が寝苦しいだろうと思って、パジャマに着替えさせようとしただけだ。君の体調が悪いときにはいつもやっていることだ」
「ほ~ら、ボロが出た。ソースケはそんなこと、今まで一度だってあたしにしたことないわよ」
『軍曹殿』
その時、ホームセキュリティを兼ねているアルの声がした。
「なんだ、アル。今立て込んでいる。つまらなことならあとにしろ」
『いえ、たいへん興味深い情報です』
「言ってみろ」
『バイオスキャンを試みた結果、あなたの前にいる女性は、どちらも「ミズ・チドリ」と判明しました』
「なんだと?」
『間違いありません。データ上は、お二人ともあなたの婚約者の「千鳥かなめ」嬢です』
「ポンコツめ、そんな馬鹿なことがあるか。もういい、引っ込んでろ」
「そーよ! あたしとソースケを勝手に婚約させないでよ!」
「まって」
さすがにここまで来ると、世界一科学的・論理的思考に優れるかなめの頭脳が、今度こそ本当に回転しだした。
「『ジェームス・ブラウン』が出演した伝説の『日清カップヌードルのCM、ミソッパ、カニッパ』。その時のスタジオ・ミュージシャンの名前は?」
「ギター松木恒●、ベース岡●章、ドラム渡嘉敷祐●」
かなめの質問に、千鳥が即座に答える。
『正解です。軍曹殿』
「偶然だろ」
『いえ、世界にエージェントは数いれど、こんな馬鹿な問題に答えられる人間はいません。答えられるのは「ミズ・チドリ」ぐらいでしょう』
「わるーござんしたね、馬鹿な問題に答えられて……」
「ねぇ、あなた。今日の日付が言える?」
かなめが再度、千鳥にたずねた。
「1998年9月9日でしょ? それがなによ」
その答えを聞いて、宗介とかなめが顔を見合わせた。
「おい、まさか……」
「……うん、でもまさかそんなことが」
「ああ、もう! いったいなんなのよ、イライラするわね!」
「もうひとつ質問させて。今あなたのクラスに、テッサ――テレサ・テスタロッサが2週間の短期留学できてるわね?」
「え、ええ。来てるけど」
宗介とかなめは、もう一度顔を見合わせた。
「ちょっと、いい加減にしてよ! いくら偽者でも、あたしとソースケが見つめ合ってるのを見せられるのって、すごいムカつくんだけど!」
「ごめんなさい。あなた『千鳥かなめ』さんよね?」
「ええ、そうよ。正真正銘のね」
「そう。でも、あたしも正真正銘の『千鳥かなめ』なの」
「はぁ?」
「ただし、2001年のね」
目をパチクリさせて、かなめの言葉の意味を咀嚼、理解しようと努める千鳥。
「それってつまり……」
「ええ。多分だけど、あたしは3年後のあなたなの。こっちは3年後のソースケ」
「うむ」
いきなり振られた宗介が、重々しくうなずく。
「あたしたちが認識している今日の日付が、2001年の9月9日。だから12月が誕生日のあたしは今19歳。ソースケは7月が誕生日だから20歳ってことになるわ」
再び、重々しくうなずく宗介。
「あなた、本気で言ってるの?」
「ええ。本気だとは思いたくはないけど」
「ええと、つまり……あたしとソースケは、3年後には付き合っていて、しかも同棲までしてると」
「そういうことになるわね」
「ぶははははははははっ!!!!!! ないないないないないないっ!!!!!!! ぜーったいない!!!!!!」
顔のデッサン狂いまくりで、大爆笑の渦の中心にいすわる千鳥。
「あたしが? あの唐変木の宗介と? なにそれ、悪い冗談? 悪夢? フェイクニュース? 情報間違ってるわよ。寝言はベッドでいいなさい、工作員カップルさん」
ドーンと落ち込む宗介。
(こ、このクソガキ……人がどんだけ苦労して、今のこの生活までたどり着いたと思ってるのよ)
かなめは16歳の自分に、本気の殺意を覚えた。
「そう……あんた、どうあっても信じない気」
「ええ、どうあっても信じない気」
千鳥のその表情に、宗介は見覚えがあった。
そうだ。あれはまだ陣代高校に通っていたころ。
当時の生徒会会長『林水敦信』に、かなめと共に弱小ラグビー部の立て直しを命じられたときだ。
あの時、ラグビー部員のあまりの女々しさに早々にさじを投げたかなめが、
『廃部よ、廃部。はい、けってー』
と、のたまったときの顔にそっくりだ。
「いいわ……それなら年上のメンツにかけて、絶対に納得させてあげる」
「ほ~、それは頑張ってね、おばさん」
「……ピキッ」
(マズイ……このままではかなめは千鳥を殺してしまう。そうすると、かなめ自身も消えてしまうのではないか? いや、待て。千鳥はあのアバズレと共振するまでは因果律に守られた『異能生存体』のはず。その心配はない……のか?)
止めるべきか、静観すべきか、歴戦の兵士である宗介にも判断がつかない。
「宗介、ちょっとこの子と二人きりにして。それからアル。あんたも聴覚センサーをオフにしなさい」
「かなめ、何をする気だ?」
「ちょっと本気で、このわがまま娘に喝を入れてやるのよ」
(そもそも、この子がもう少し勇気を出してあの時ソースケにキスしていれば、あの後あんなに悩まなくてすんだのよね。そう考えると、あー、マジむかつくわ)
「よせ、かなめ。まるでマオのようだぞ」
「いいから、アンタはとっととゲットアウトして」
「ゴクッ……かなめ、くれぐれも穏便にな」
宗介は、恋人から久しぶりにドス黒いオーラが湧き起こるのを見て、そそくさと寝室を出た。
「な、なによ。そんな怖い顔しても無駄よ。あたしだってそれなりに場数は踏んでるんだから」
かなめと二人きりになった千鳥が、気圧されて後ずさる。
「順安に有明に潜水艦でしょ。それよりも――」
かなめに浮かぶ、それまでとは打ってかわった静かな瞳。
「あなた、ソースケの汚れ物。洗濯してあげてるわよね」
「そ、それがどうしたっていうのよ」
「その時、アイツの服を抱き締めてるでしょ」
「!? 盗撮してたの!?」
「盗撮はしてない。でも知ってるのよ。その時、あなたが何を思ってたのかもね。
「『神様、お願い。ソースケを守って。アイツに弾が当たらないように。アイツがケガをしないように。アイツが死なないように……アイツに、ソースケにまた会いたいの。お願い』」
「――!?」
千鳥の顔から血の気が引き、真っ青になる。
「ど、どうしてそれを」
「だって、3年前にあたしが思っていたことだから」
「……」
「これでもまだ信じられない?」
「あなた……本当に未来のあたしなの……?」
逡巡のあと、千鳥の喉からかすれた声がもれた。
「ええ、どうもそういうことみたい」
「そんな……そんなことが……どうして……」
自分の置かれた状況のあまりの突飛さに、千鳥は思考が追いつかない。
「理由はまだわからない。でも必ず突き止めるわ」
あたしは、その手の問題に関してはスペシャリストなんだから。
「――それはともかく」
ここでようやく、かなめは彼女らしい包容力のある笑顔を浮かべた。
「久しぶり、16歳のあたし」
「え? その……あの……は、初めまして。19歳のあたし……」
千鳥が、毒気を抜かれたようにうなずく。
「それじゃ、いい加減服を着てくれる?」
「……え?」
「いくら過去の自分とは言え、ソースケの前で他の女に下着姿でウロウロされるのって、すごいムカつくから。あたしならわかるでしょ?」
「――はっ!?」
かなめに言われて、千鳥はようやく自分が下着姿のままだと気がついた。
あたふたと脱ぎ散らかされていた制服を身に付けると、視線が目の前のキングサイズのベッドにくぎ付けになる。
「こ、こ、こ、これって……」
「さすがに前に使ってたやつじゃ狭いから。アイツと選んで買ったのよ」
「そ、それってつまり……あ、あたし、アイツと……ここで……」
「あなたじゃなくて、あたしだけどね。ええ、寝てるわよ」
その寝てるというのは、ただ『寝てる』というだけでなく、複数の意味を持っているのだろう。
千鳥は固まった。
戦況は完全に逆転した。
「ほら、しっかりしなさいよ。それでもあなた、あたしなの。望みが叶ったんだから少しは嬉しそうな顔してよ。こっちも達成感がないじゃない。あたしは16歳のあたしと恋バナで盛り上がりたいんだから」
「望み……恋バナ……う、うははははは……」
(ごめん、ソースケ。今やっと理解したわ。こんなあたしじゃ、そりゃあんたも苦労したわよね……)
「とにかく改めてソースケを紹介するから。まぁ、あなたの知っているソースケよりいくぶんマシになってるから怖がらなくてもいいわよ」
千鳥は、かなめの後に続いて、ギクシャクとした動きで寝室を出た。
「それじゃ、改めて紹介するわね。ソースケ、こちら16歳のあたし」
「ああ」
「16歳のあたし、こっちが20歳のソースケ。どう? なかなか見られるようになってるでしょ?」
見られるどころか、千鳥は意識してしまって顔を上げられない。
真っ赤になって、うつむいてしまっている。
なんとか上目づかいに宗介を見て、どうにか言葉を絞り出す。
「お、おひさしぶりです。が、学級委員の千鳥かなめです。そ、その節はお世話になりました」
(うわ、なにそれ。あたしってば、もっと気の利いたこと言いなさいよ。相手はあのソースケでしょ)
内心では強がるものの、千鳥の口から出る言葉はどんどんドツボにはまっていく。
「あ、あのソースケ……さん。さっきはみっともないところを見せてしまって、ごめんなさい……反省してます」
「ソースケさん?」
面食らう宗介。
かなめと知り合って以来、いまだかつてそんな風によばれたことはない。
「かなめ――いや、千鳥。今の俺は君より多少長生きはしているが、君の護衛だった相良宗介であることは変わりない。普段どおり宗介とよんでくれ」
彫りの深い男臭い顔立ちに浮かぶ、穏やかで落ち着いた表情。
どこか少年の面差しを残していた16歳の宗介とは違う、精悍でそして理知的な青年の顔。
千鳥は思わず、見惚れてしまった。
これが本当に、あの宗介なのだろうか?
あの所構わず銃をぶっぱなし、後先考えず何でも爆破していた?
いや、ここにいるのは、宗介であって宗介でない。
戦いから解放され、武器を手放した、自分がこうなってほしいとずっと願っていた相良宗介だ。
「う、うん、ありがと。それじゃ、ソースケ」
「なんだ、千鳥」
「え、ええと、その、あの……う、うはははは、なんか恥ずかしいかも」
「そうだな。俺も久しぶりに陣高の制服姿の君を千鳥とよんで、面映ゆい思いをしている。だが、こうして今俺が生きていられるのも君のおかげだ。だからもっと堂々としてくれてかまわない」
(そ、そうは言われても……たった3年でここまで変わるものなの? どんだけ人生経験積んだのよ。ほとんど別人じゃないの)
「いちおー、20歳のソースケさんに言っておくけど、アンタの恋人はその子じゃなくてあたしだってこと忘れないでね」
かなめが、
「もちろんだ、かなめ。俺が愛しているのは君だけだ」
ポンッ!
千鳥の顔が、爆発した。
(あ、あ、あ、愛してる……あのソースケが、あたしに愛してる……)
「ど~も16歳のあたしには、この環境は刺激が強すぎるみたいね」
ボリボリと頭を掻きながら、かなめがさてどうしたものかといった感じで苦笑した。
「とりあえず、ご飯にしましょう。食べながらだったら、少しは『千鳥』も話しやすいでしょ」
「あ、手伝う」
「平気、平気。今回はあたしとソースケにご馳走させて」
「ソースケ……って、あんたも料理するの?」
かなめの言葉に、千鳥が驚く。
「ああ、君にこれから教わるからな」
「なんか変な日本語ね、それって」
「まったくだ」
かなめと宗介は、笑い合いながらキッチンに向かった。
ペアのエプロンを身に付けると、宗介が手慣れた手つきで野菜や肉を切り、かなめがそれらをテキパキと下ごしらえして、調理していく。
さして広くもないキッチンでぶつかり合うこともなく、まるでダンスを踊っているようだ。
出来上がった料理を宗介がつまみ食いしようとして、その手をかなめがピシャリとたたく。
お返しに宗介がかなめを背後から抱き締め、『もう危ないでしょ』と照れられる。
穏やかで、むつまじく、洗練された恋人たちの姿。
千鳥は、ポカーンとその光景に見入っている。
(……あれが、あたしとあのソースケ?)
ソースケもソースケだが、あたしも大概だ。
メークや服装の差もあるだろうが、ルックスが今の自分よりもグッと大人っぽくなっているし、なにより物腰が自然で女らしい。『無理している感』『背伸びしている感』が全然ない。
(……まるで、母さんがいるみたい……)
そうだ……これは確かにあたしが望んだ未来だ。
あたしは、ちゃんと手に入れたんだ。
手に入れられるんだ。
胸の中に熱い想いが込み上げてきて、千鳥は自分自身をギュッと抱き締めた。
……to be continued
お読みいただき、ありがとうございました。