フルメタル・パニック! その後の2人   作:Deetwo

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エピソード完結です。
ウルズチームのカリオストロ城への再潜入と花嫁の奪還。
レーバテインIIvsゴシック・ベリアルの最終決戦。
そして『とんでもない物を盗んでいく』軍曹。
長くお付き合いいただきありがとうございました。


炎のたからもの (完)

 千鳥が……去っていく。

 完膚なきまでに叩きのめされ傷ついた俺に、一瞥もくれることなく。

 差し出された暗銀のASの手に乗り、手を伸ばしても決して届かない空の高みに。

 

 あの雨の山中から逃れられずに彷徨い続けてきた俺たちが、惹かれ合ってはいても理解し合えてはいなかった俺たちが、最後にたどり着いた終焉の地。

 始まりの地でもあったその場所は硝煙と弾痕に蹂躙され、近しいと思い始めていた人々の目に映る俺は怪物の姿をしていた。

 

 メリッサ・マオが言っていた。

 

『人生について考えているのか』

 

 ――と。

 

 これが俺の人生だ。

 

 大切な物は奪われる。

 

 母親は、温かな記憶と共に冷たい北の海に沈んだ。

 人としての心は、ナージャ(ナイフ)の名を持つ連中に血の色で塗り固められた。

 家族として迎えてくれた誇り高きゲリラたちは、村ごと九龍に焼き尽くされた。

 

 そして、千鳥。

 安らぎであり、希望であり、憧憬。

 そうしたすべての代名詞であった彼女。

 

 信じていると言われたのに、裏切った。

 守ると言ったのに、守れなかった。

 

 俺は何度、彼女を失望させたのだろう。

 俺はどれだけ、彼女を傷つけてきたのだろう。

 

 千鳥……会いたい……もう一度。

 

(……ケ……スケ……ソースケ……)

 

 ああ、君の声が聞こえる……。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

「……ソースケ、ソースケ!」

 

 昏々と眠り続けていた宗介に、覚醒の気配があった。

 かなめはベッドのかたわらに膝をついて、ショックで容体が急変しない程度の声で名前を呼び続ける。

 愛する人を失うかもしれない恐怖に、呼び掛ける声が、見つめる瞳が、手を握る手が、震えている。

 

 かなめの祈りが通じたのか、宗介がうっすらと目を開けた。

 

「ソースケ!」

「……千……鳥……」

 

 宗介の目に涙がにじみ、零れた。

 

「……すまない……すまない……俺はまた……君を守れなかった……」

「……ソースケ……」

 

「傷による一時的な記憶の混乱だ」

 宗介に手術を施したレイスが、かなめの横で言った。

 2人の後ろでは、ミラとレモンが痛ましげな表情で宗介とかなめを見つめている。

 

「……ソースケ。あたしは大丈夫。ちゃんとあんたが助けてくれたから」

「……助ける……」

「……そう、いつでも、どこでも、あんたが白いASに乗って助けにきてくれたんだよ」

「……助ける……」

 涙混じりで微笑むかなめに、ピントのぶれた目で宗介が繰り返す。

 

 ……助ける……助ける……。

 

 ボヤけていた意識の焦点が合い、表情が一気に険しくなった。

 

 包帯で厚く覆われた上半身を、ガバッと起こす。

 

「――かなめ! 今日は何日だ!? あれから何日経った!?」

 

 かなめの表情が再び憂いを帯びた。

 

「……3日よ」

「なんだと!? それでは式は明日ではないか! こうしては――ぐっ!」

 

 傷口を襲った激しい痛みに、宗介が苦悶の表情を浮かべて身体を折る。

 

「無理をするな。傷口が開くぞ」

 

 レイスが冷めた口調で忠告する。

 病院にも運べず、医薬品も不足する中、素人に毛の生えた技術での緊急オペだったのだ。

 奇跡的に銃弾は血管も内臓もそれていたが、それでも背中から胸に風穴が開き、肋骨が4本へし折れている。絶対安静が必要なことは変わりがない。

 

「……状況を知りたい」

 

 宗介が身体を折りながら訊ねた。

 

「……今はまだ休んで」

 

「……状況を知りたい」

 

 繰り返す宗介に、かなめが諦めの吐息を吐いた。

 

「……ここはレモンさんたちミスリルのアジトよ。あなたはカリオストロ城で胸を撃たれて3日間眠り続けていたの。レイスが手術をしてくれなかったら危なかったわ。あなたの他は全員無事よ。

 ……ただアルと連絡が取れなくなっているの。アーバレストIIはあたしとミラを助けるために森の中でラムダ・ドライバを起動させて機能を停止したわ……たぶん敵に接収されたと思う。

 レーバテインIIはベリアルと小競り合いをして湖に水没したままになってる」

 

「……ベリアル」

 

 宗介は身体を折りながら視線だけで宙をにらんだ。

 悪夢の中から現れたように、再び彼の前に立ちふさがった暗銀の悪魔。

 

 そしてかなめが、今回の事件の真相を語り始めた。

 

「すべては1年前――」

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

 相良宗介が意識を取り戻したまさにその時、アルセーヌ・ド・カリオストロもカリオストロ城の私室で目を覚ました。

 すぐに老家令に連絡が行き、ジョドーが姿を現す。

 

「お目覚めになりましたか」

「……フランシーヌはどうしている?」

 

 ベッドの天蓋を見つめながら、アルセーヌが訊ねた。

 口内が渇き唇が乾き割れているので、声がかすれている。

 

「姫様も今お目覚めになりました」

「俺は何日眠っていた?」

「3日でございます」

「では予定通り式はできるな」

「はい。城の方は……」

「『地下工房』が無事ならそれでいい。あとはお前に任せる」

「はっ」

 

 ジョドーは頭を下げながら、内心アルセーヌの変化に戸惑っていた。

 どこか人が変わっている。

 粗野に――というより、自分の感情により忠実になっているように見えた。

 

「奴はどうした?」

「逃げおおせました」

 

 奴を指しているのが忍び込んだネズミの1匹であることはわかっている。

 

「現在探しておりますが、あの傷ではもはや何も出来ますまい」

「生きている限り、あいつは来るさ」

 

 宿敵などではない。

 どちらかが生きている限り邪魔し合う、互いの行く道を塞ぐ煩わしい障害物。

 砕いて捨てることになんの躊躇もない。

 ただただ気に入らない相手。

 

「来たければ来るがいい。今度こそ引き裂いてやる」

 

 アルセーヌはベッドから起き上がった。

 その肩にジョドーがナイトガウンを掛ける。

 

「式の準備を監督する。お前はお前の仕事をしろ」

「御意」

 

 狂乱の饗宴に向けて事態が収束・加速を始めた。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

「……食料がいる」

 

 かなめの話を聞き終えると宗介が言った。

 

「今の貴様では粥ぐらいしか受け付けんぞ」

 レイスが熱のない声で再度忠告する。

 

「……血が足りない。問題ない。何でもいいから……大量に持ってきてくれ」

 

「僕がなんとかしよう」

 レモンが調達を買って出た。

 事件の真相が明るみに出た以上、彼らは戦わなければならず、戦うには宗介の力が必要だった。

「できる限り塩分を含まない物を買ってくるから、調理の方はかなめさんが頼む」

 

「……わかったわ」

 かなめが血の気の失せた顔で、それでも冷静にうなずく。

 不安はある。

 恐れもある。

 しかしこれが、彼女と彼女の男が選んだ道だ。

 

 

 

 

「あ、あのもう少しゆっくり食べてください。レイスの言うとおり胃の方が受け付けませんよ」

 

 かなめの調理した食事を猛然と詰め込む宗介を、ミラがオロオロと気遣う。

 

「問題ない」

「で、でも」

「ミラ、12時間あればASだって直る」

 

 ズイッと言った直後、ミラの心配したとおり食物が胃から逆流し、宗介の顔が見る見る青くなった。

 

「言わぬことではない。洗面器か?」

 呆れ顔でレイスが訊ねる。

 

「……」

「え?」

 両手で口を押さえる宗介に、ミラが耳を寄せる。

 

「なんと言っていた?」

「……食べたから寝るそうです」

「……」

 

「ソースケは?」

 牧羊小屋の粗末な厨房から、かなめが戻ってきた。

「眠りました」

「……そう」

 

「かなめ、少し話があるのだが」

「いいわ。外に出ましょう」

 

 かなめはレイスと連れだって小屋を出た。

 宗介が休んでいる側で会話はしたくない。

 小屋の周辺はレモンの部下たちが警戒しているので、誰かに見られる危険は低いはずだ。

 

「それでなに?」

「いいのか、これで?」

「いいも悪いも、これしかないじゃない」

「いや、ある! 事の真相が明らかになったのだ、ミスリルに援護を頼み――いや、あとは連中に任せるべきだ! こんな最悪の状態で戦いを挑む必要などない!」

 肩をすくめるかなめに、レイスが声を荒らげた。

 

 宗介は重傷を負い、頼みのASも使えない。

 武器と言えば小火器の類いが少々。

 この状況で再びあの城に挑戦するなど狂気の沙汰だ。

 

「相手は小なりとは言え国連加盟国よ。ただのテロ屋やゲリラじゃない。ミスリルでもそうそう手出しはできないわ。なにより時間がない。フランシーヌは24時間後にはあいつと結婚させられる」

「不本意な婚姻だろうが、命まではとられない!」

「でも心は殺される」

 

 静かに切り返したかなめに、レイスは押し黙った。

 感情的になるかなめに対して、常に自分は冷静に……冷ややかに接する。

 それが普段の自分たちだったはずだ。

 

 しかし今のレイスは、自分でも抑えきれないほどの激しい憤りに支配されていた。

 

 何に対しての憤りか?

 誰に対しての憤りか?

 

 わかりきっている。

 彼女たちのあまりに過酷な運命と、それに立ち向かう愚直なまでの生真面目さにだ。

 

「ソースケは、あたしに属するすべての世界を護衛してくれるのよ」

 

 かなめは悲しげに微笑んだ。

 

「ウィスパードはあたしの一部。彼女たちの苦しみはあたしの苦しみ。だからソースケは戦う……本当にバカよね」

 

「……だからといって、サガラが死んだらどうするつもりだ」

 

 それでは……何の意味もないではないか。

 

「わんわん泣いて。物凄く後悔して……そして新しい男を見つけて生きていくのかな。あたしはガッツのある女だから」

 

 レイスはやるせなさを持て余した。

 

 嘘だ……。

 

 それならばなぜメリダ島から生還した直後、わたしの護衛を断ったのだ?

『囁き』が聞こえなくなったとはいえ、お前の頭にはブラックテクノロジーの全てが詰まっている。

 本当にガッツがあるなら、生きる決意が出来ていたなら、絶対に護衛を断ったりしなかったはずだ。

 サガラを失ったと思っていたお前は、あの時生きる気力をなくしていたのではないか? 半分死んでいたのではないか?

 

 お前たちはすでに2人で1人の存在だ。

 片方が死んで片方だけが生き残るなんて……そんな都合のよい真似が出来るわけないだろうに……。

 

「……レイス、巻き込んでしまってごめんなさい。そしてありがとう、力を貸してくれて」

 

「……お前たちは揃いも揃って馬鹿者だ」

 

 ……だが、だからこそ、これ以上ない似合いの2人だ。

 

「マオさんたちが戻ってきたみたい」

 

 レイスが顔を上げると、マオとクルツが月光に照らされた丘を登ってくるところだった。

 2人が目的の物を見つけてきたのなら、明日の夜は決戦だった。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

 窓から差し込む月明かりで、かなめが寝汗にもつれた宗介の前髪を梳いてやっていた。

 唇が割れないように、時折少量の水を垂らしてやる。

 

 何度目かの水滴が唇に落ちたとき、宗介が身じろぎをして目を覚ました。

 

「……おはよ」

「……ああ」

「……お水、飲む?」

 

 宗介はうなずくと、かなめの手ごとコップをつかみ、ゴクゴクと口の端から零しながら一気に飲み干した。

 

「……痛む?」

「……問題ない」

「……熱は下がったみたいね」

 

 額に当てられたかなめの手はひんやりと冷たく、火照った宗介の肌には心地良かった。

 

「……かなめ」

「……なに?」

「……愛している」

「……うん、知ってる」

 

 かなめが笑う。

 

「……あたしも、ソースケを愛してる」

「……知っている」

 

 宗介も微笑む。

 その微笑みに、かなめの瞳が揺れた。

 

「……ソースケ……このまま日本に……」

「……君はきれいだ……」

 

 かなめの言葉をさえぎり、今度は宗介が彼女の髪に手を伸ばした。

 月の光を受けて神秘的に煌めく黒髪。

 宗介にとってのかなめの象徴が、指先でさらさらと零れる。

 

「……憂いを帯びた君も……楽しげに笑う君も……怒った君も……いつの君もすべて」

 

「……でも俺が一番好きなのは……学級委員だったころの君だ……とても眩しく輝いていた……俺を照らしてくれた……」

 

「……それは、あたしが老けたってこと?」

「……大人っぽくはなった」

「……ものは言いようね」

 

 穏やかなやり取りに、かなめは思う。

 

 相変わらず、ずるい奴。

 こいつはこうして、あたしの口を封じてしまう。

 物語のヒロインなら、ヒーローに向かって逃げてと言える。

 でも学級委員なら無理だ。

 

 学級委員が言えるのは……。

 

「……あの娘を助けるわよ」

「……了解だ」

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

「……結局、こうなってしまうのか」

 小屋の外で火の着いていない煙草をくわえながら、レモンが呟いた。

 

「……彼らが選んだ道だ。われわれがどうこう言う筋合いはない」

 狙撃銃を持ったレイスが、辺りを警戒しながら答えた。

 

 優秀な工作員である2人の聴覚は、今し方小屋の中で交わされていた宗介とかなめの会話を捉えていた。

 

「……さっき『どうこう言っていた』のは君だと思うけど」

「……わたしは彼らに雇われる身だ。雇い主に忠告はするが最終的な決断を下すのは経営者だ」

「……経営者か。相変わらず素直じゃないね」

 

 レモンとレイスは元同僚で旧知の仲だ。

 ともに死地を乗り越えた戦友でもある。

 

「……薄気味の悪い事件だ」

「……ああ」

 レモンの述懐にレイスが同意する。

 2人は今回の事件に同じ思いを抱いていた。

 

「……何もかもが4年前のアマルガム事件と、23年前のゴート札事件を模しているようだ。符合が過ぎる」

「……だがかなめの言うとおり、黒幕があの男ならそれもうなずける」

「……いや、わたしにはそれ以上の何かを感じる。まるで誰かにこうなるように仕組まれていた気さえな」

「……狂言回し(トリックスター)がいる、そう言いたいのか?」

 

 牧羊小屋の壁に寄りかかりながら、レモンが言った。

 彼が今くわえているのは、地下牢で彼と宗介を導いた『蛍』と同じ銘柄の煙草だった。

 

「……あくまで心証の話だが、われわれは要所要所でそいつの望む方向に誘導されている気がするのだ。まるでビリヤードの球を寄せるようにな」

 

 この国に入ってからずっと付きまとわれている気がする、偶然を装って介入する何者かの意思。

 マオとクルツが見つけてきた()()などその最たる例だ。

 

「……それで、君のその心証が正しかったとして、トリックスターは僕たちに何を望んでいるんだと思う?」

「……われわれと奴らを争わせて共倒れさせ、漁夫の利を得ようとしている。そう考えるのが妥当だろうな。大方どこかの国の諜報機関の仕業じゃないのか。たとえばお前の母国とか」

 

 レモンの問いに対するレイスの答えは、なんの面白みもないものだった。

 ありがちすぎて意外性の欠片もない。

 だからこそ自分たちが属する世界での最適解。

 

 しかしレモンは、レイスが本当の答えを語ってないことがわかった。

 レイス自身があまりにもばかばかしく感じ、口に出すのをはばかったのだろう。

 

「それじゃ夢がないな」

 レモンが笑った。

 

「それなら、お前はどういう解を導き出したのだ?」

 問い返す、レイス。

 諜報戦の世界で夢ときたものだ。

 

「正義の実現……とかどうだい?」

 

 レモンの答えに、うっすらと皮肉めいた笑みを返すレイス。

 

 夜明けまで1時間。

 小屋の中から、起き出した宗介やマオたちが装備を整える音が聞こえてきた。

 

 レイスも自分の準備のために小屋に戻った。

 今夜の作戦の成否は彼女にかかっている。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

 太陽は中天に達していた。

 晩夏の日差しは古城の石壁を温めてはいたが、その冷たさを奪うまでには至らない。

 

 老家令と衛士長が胸壁の隙間から見下ろす中、黒塗りのリムジンが入城してきた。

 後部座席からカソック姿の老いた聖職者が降り、十字を切る。

 バチカンから派遣された大司教がようやく到着したのだ。

 

「やっとお着きになったか」

 

「崖崩れで街道がふさがれており、迂回路の田舎道を通ってきたそうです」

 

 大司教に向けて形だけの十字を切るジョドーに、冷めた視線を向ける衛士長。

 言外に『あんな放水をするからだ』との非難の色がある。

 父子二代にわたって衛士長を務める大男は、1年前に突然舞い戻ってきた老家令に良い感情を抱いていない。

 先代の衛士長であり23年前にもこの家令の下で働いていた彼の父は、当時からこの男を憎むこと甚だしかった。

 

「傭兵どもめ。来るのでしょうか?」

「花嫁はわしの『影』どもがお守りする。お前たちは門を守っておればよい」

 

 ジョドーもまた、脳味噌が筋肉で出来ているような大男を頭から馬鹿にしている。

 しょせんは『影』にもなれなかった男の息子だ――と。

 

「予定が遅れている。さっさと来賓室にお通ししろ」

「……はっ」

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

「――お断りする! わたしがこの国に招かれたのは、埋葬された地下牢の亡骸たちの鎮魂ミサのためだ。それを兄妹の結婚式などとおぞましい。神の教えに背くにも程がある――即刻、帰国させてもらう!」

 

 貴賓室のソファから、大司教が憤然と立ち上がった。

 

「おかけください、大司教様。お茶が冷めますぞ」

 

 対面に座るジョドーが大司教をたしなめた。

 ティーカップをソーサーに戻しながら、悠然と湯気を顎に当てている。

 

「バチカンは小なりとは言えれっきとした国家で、カソリックの総本山。このような無礼な振る舞いは大きな問題となりますぞ!」

 

「では聖歌隊の少年とあのような行為をするのは問題にならぬと仰るのですな。あれこそ神の教えには背く行いだと思いますが」

 

 大司教の顔が一気に青ざめた。

 

「な、なんのことだ」

「皆まで言うことでもありますまい。蛇の道は蛇……とだけ申しておきましょうか」

 

 大司教の背筋が凍った。

 老いたるアーチビショップは、このカリオストロ公国がかつてどのような国家であったのかを思い出さずにはいられない。

 

「ここ最近はいささか疎遠になっておりましたが、元々わが国とバチカンは切っても切れぬ間柄。またあのように親密な関係を築きたいと考えているところでしてな。大司教様にはそのためのお骨折りをしていただきたいのです。今回の結婚式はその手始めということでご理解いただきたい」

 

「……地獄に堕ちますぞ。家令殿」

 

 大司教はさらに10歳も老け込んだように、ガックリとソファにくずおれた。

 

「生き恥を晒すよりもマシでしょう」

 

 人も、そして国も。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

 

 

 夜は更け、今日が昨日に変わる時刻。

 重々しい鐘の音が、この城で果てた数多の死者を呼び覚ますように城内に響き渡った。

 鐘音は城壁を越えて湖を渡り、近隣の村々まで伝わっていく。

 

 城主『アルセーヌ・ド・カリオストロ』と実妹『フランソワーズ・ド・カリオストロ』の禁断の婚儀が執り行われようとしていた。

 

 城内は闇が支配している。

 灯されているのは、必要最低限の松明だけ。

『影』たちが進む『柱の回廊』には、その松明さえもない。

 円柱が林立する回廊を、カピロテを被った黒衣の『影』たちが手にする蝋燭の明かりだけを頼りに、静々と進んでいく。

 その様子は、まるで鐘の音に誘われて甦った亡者たちの葬列だ。

 

 やがて『影』たちは花嫁が控える小部屋の前に向かい合って列した。

 手にしていた蝋燭が長大な剣に持ち替えられる。

 

 控えの間の扉が開くと、清楚で飾り気のないウエディングドレスに身を包んだフランシーヌが姿を現した。

 感情を喪失した表情。

 処女性の象徴である白いベールが髪を隠し、銀のクラウンが仄暗い煌めきを放っている。

 色のない瞳がを虚空を見つめていた。

 

 金の山羊の黒い仮面と濃紺のマントを身にまとったアルセーヌが、控えの間に入ってくる。

 

「光と影がひとつとなるときがきたのだ。来い、フランソワーズ」

 

 アルセーヌがマントをひるがえすと、外側とは対照的な鮮やかな緋色の裏地と同色の軍服が現れた。

 血を思わせるその赤に魅了されたように、フランシーヌが進み出す。

 

 向かい合う『影』たちが長剣を掲げ、頭上で切っ先を交差させる。

 荘厳なパイプオルガンの演奏が始まる。

 

 刃のトンネルの下を、禁忌の新郎新婦が進む。

 アルセーヌとフランシーヌは『影』たちに守られ、婚礼の間である礼拝堂に向かう。

 

 人を拒絶する冷たい回廊が続く。

 階段の石壁に、列伍の灯影が幽鬼の如く揺らめく。

 

 長く続いた階段を登り切ると礼拝堂の扉が開かれ、婚礼の列が招き入れられた。

 

 礼拝堂に参列者の姿はない。

 あるのは蝋燭を持つ黒衣の『影』と、祭壇の前で新郎新婦を待つバラ色の祭服を着た大司教と助祭だけだ。

 

 アルセーヌとフランシーヌが、大司教の前に進み出る。

 

 付き従っていた『影』たちが長剣を収め、刃の側を手に掲げ直した。

 

「――由緒ある古き血の一族カリオストロの正統な後継者である証をここへ」

 

『影』の1人が、銀と金の一組の山羊の指輪を運んでくる。

 

 銀の指輪は、大公女クラリスが双子の兄妹に贈った揃いの品のひとつ。

 金の指輪は、この日のためにアルセーヌが象嵌させた物。

 

 金の山羊は23年前に滅んだ伯爵家の紋章だ。

 謀略と暗殺を司り、長きにわたってこの国を影から支えた闇の血脈の証。

 

 アルセーヌがわざわざこの指輪を作らせたのはジョドーの勧めがあってのことだが、家令の懐古趣味に同調したのか、それとも彼自身この婚礼を皮肉な目で見ているのか。

 

「古の習いに従い、指輪を交わして婚姻の誓いとなす」

 

 大司教が厳かに宣言する。

 

「カリオストロ公国大公女息女、フランソワーズ・ド・カリオストロよ。この婚姻に同意するか? 異議なきときは沈黙をもって応えよ」

 

「……」

 

 フランシーヌは沈黙をたもつ。

 

「神の祝福があらんことを」

 

 大司教が新郎新婦に手をかざして祝福を与えかけたその時、パイプオルガンの演奏を引き裂いて大音声が礼拝堂に響き渡った。

 

『――異議を申し立てる! この婚礼は欲望の穢れに満ちている!』

 

 直後、豪奢な十字架が備えられた祭壇が轟音と共に爆破された。

 間髪入れず、もうもうたる土埃の中から3人の人影が飛び出してきた。

 十字架が倒れ、四散する。

 

「殿下、お迎えに上がりました」

 

 ショットガンを構えた宗介が、大司教にかばわれるフランシーヌに呼び掛けた。

 フランシーヌは、変わらず色のない瞳で空を見つめている。

 

「ソースケ。どうやら彼女、クスリを盛られたみたいよ」

「ひでーことしやがる。このシスコンの変態野郎が」

 

 宗介の両脇を固めるマオとクルツがそれぞれショットガンと対物ライフルを手に、嫌悪感を露わにした。

 

「あんたは招待していないと言ったはずだ。サガラ」

 

 アルセーヌが一歩前に進み出た。

 侮蔑の視線が宗介に刺さる。

 

「俺も徹底的に邪魔をすると言ったはずだ。アルセーヌ」

 

「――いや、()()()()

 

「何を言っている。俺はアルセーヌ・ド――」

 

「違うな。お前は()()()()()()()()()()()だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――な」

 

 ショットガンの銃口を黒い仮面に向けたまま、宗介が断言した。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

 そしてかなめが、今回の事件の真相を語り始めた。

 

『すべては1年前――別の世界線のあたしがこの世界に飛ばされてきた時に始まったの』

 

『でも彼女はまだウィスパードとして完全に覚醒していたわけじゃなかったから、越時空を可能にする装置を開発する知識はなかった』

 

『1998年9月の時点でそれが可能だったのは「レナード・テスタロッサ」ただ1人』

 

『……「TARTARUS」だな』

 

 ベッドで身体を折りながら宗介が呟いた。

 傷の痛みは耐えがたかったが無視は出来る。

 彼は幼いころから、そう自分自身を訓練してきたのだ。

 

『ええ。でもあの時点でメリダ島は陥落していなかったから、使われたのはあたしたちが阻止した「TARTARUS」じゃないわ』

 

『……レナードは慎重な性格よ。メリダ島の装置の前にプロトタイプを建造していたはず。たぶん、その装置の実験中に事故が起こって16歳のあたしと彼自身がこの世界に飛ばされてきたんだと思う。あたしの脳波データは順安の事件のときに取られていたから、「オムニ・スフィア」を通じて本人にも物理的影響が及んだんでしょうね』

 

『16歳のあたしはあっちの世界の「特異点」として因果律に守られているから、「囁き(情報)」に分解されてワームホールを抜けたあとにこの世界で再構成されたけど、レナードは違う』

 

『彼は「特異点」ではないから、本来なら誰にも聞き取れない「囁き」として重力子に分解されたまま霧散してしまうはずだったの』

 

『それなのに……聞き取れる人がいた』

 

『……「アルセーヌ・ド・カリオストロ」か』

 

『そう。今の彼はレナードの「囁き」に乗っ取られて、彼と共振して溶け合ってしまっている』

 

『あの娘がこの世界に来てから一緒に飛ばされたはずのレナードがどうなったのか気にはなっていたの。霧散してしまったと思っていたんだけど……ベリアルの話を聞いてすぐにピンときたわ。あの機体を建造できるのは彼だけだから』

 

『今のレナードは自分をアルセーヌだと思ってる。でも考え方や行動、願望や欲望はレナード・テスタロッサのまま』

 

『――「ヤムスク11」でソフィアに乗っ取られたあたしと同じよ』

 

『それなら拷問でもエクソシズムでもなんでもして、奴をアルセーヌから叩き出すまでだ』

 

 宗介は闘志を失っていない。

 むしろレナードが相手とわかって、さらに激しく燃え上がっている。

 

 宗介にとって『いいレナード』は、死んだレナードだけだ。

 

『ええ、そうしなければ世界が滅ぶことになる』

 

 かなめの言葉に、宗介が視線を彼女に向けた。

 

『レモンさんが城の「地下工房」でコピーしてきたデータ。ソースケが寝ている間に分析してみたの。B兵器(生物兵器)のものだったわ』

 

『……どんな兵器なのだ?』

 

『ウイルスに感染した人間を悪性の脳腫瘍にする』

 

『ただし「ウィスパード」だけは例外。このウイルスは脳が特定の活動をしている状況では休眠状態を保つの』

 

『……特定の活動?』

 

『高次精神活動よ』

 

 高次精神活動。

 ウィスパードの高い知能、高次推論能力の脳での活動を称してそう呼ぶ。

 TAROSを通じてラムダ・ドライバを起動させ、オムニ・スフィアのイメージを具現化するのも脳のその働きだ。

 その際に強く発せられる脳波がガンマ波である。

 

『……そんなウイルスを作れるのか』

 

『癌を治すために癌を作り出す研究もされてるのよ。ずっと以前からね。アルセーヌは生化学に特化したウィスパード。十分に可能だと思う』

 

『レナードはこのウイルスを使って、ウィスパードだけの新世界を創造する気よ』

 

 TARTARUSを使った世界の改変に比べれば現実的にも思えるが、どちらにしても相変わらずまともじゃない。

 ソフィアと共に、核の炎で世界を焼き尽くそうとしただけのことはある。

 

『生物兵器として開発されているだけあって感染力が高いうえに空気感染をするから、一度まかれたらパンデミックが世界を覆い尽くすことになるわ。しかも腫瘍が治療不能な大きさになるまでの期間は2週間もない』

 

『さらに付け加えると脳腫瘍を治療できる医者は全体の極一部。患者が大挙して押し寄せてきたら病院も何もできない――まあこれは、どんなパンデミックにも言えることだけどね』

 

『……ワクチンは?』

 

『今のところ作られてないみたい。もし作れる人間がいるとすれば……』

 

『……フランソワーズ・ド・カリオストロ』

 

『そういうことになるわね』

 

 かなめ自身にも可能ではあるだろうが、レモンが奪ってきたデータだけでは無理だった。

 ウイルスを入手し一から分析してワクチンを作り出すまで、相応の時間が掛かる。

 それまでに散布されてしまったら打つ手がない。

 短時間でワクチンを開発できるのは、兄と同様に自身が研究者であるフランシーヌだけだった。

 

『……もう一度あの城に潜入しなければならない』

 

 フランシーヌを助け出さなければ世界が終わる。

 レナード・テスタロッサは、ブラフでも何でもなく本気で()()()()()滅ぼしたがっている。

 

 しかし、奴のベリアルに対抗できる唯一の切り札は湖に没したままであり、かなめやミラが何度呼び掛けても応答しない。

 

 なによりも潜入する手段がなかった。

 一度侵入を許し、相手も警戒している。

 当然先の侵入路は洗い出されているだろうから、前回使った水道橋はもう使えない。

 

『それなんだけど……もしかしたら、別の潜入手段があるかも』

 

『……なに?』

 

『あたしとミラを助けてくれた猟師さんが話してくれたんだけど、この近くに城の地下牢に通じている抜け道があるらしいの。もちろん本当かどうかその猟師さんも確かめたことがない古い言い伝えなんだけどね。かといって他に方法があるわけでもないし、今マオさんとクルツくんに探しに行ってもらってるところよ』

 

 あの地下牢は、元々城が敵の軍勢に占拠されたときに城内の人間が最後に立て籠もる場所のはず。

 だとすれば、当然城の外に通じる秘密の抜け穴があって然るべきだが……

 

 しかしそんな抜け道が、そう簡単に見つかるものなのか?

 言い伝えを頼りに秘密の抜け道を探すなど、干し草の山に落ちた針を探すよりも確率の低い作業に思える。

 

 だが、それでも――。

 

『……食料がいる』

 

 かなめの話を聞き終えると宗介が言った。

 

 たとえ死んでも鋭い骨となって敵が踏むのを待ち続ける――相良宗介はそういう男だ。

 可能性がわずかでもあるなら、彼にとっては十分だった。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

「――わけのわからないことを」

 

 アルセーヌが黒金の山羊の仮面の下で眉をひそめた。

 視線の先では、黒いASスーツを着た若い傭兵が自分にショットガンの銃口を向けている。

 わずか3人で数十人の『影』に囲まれているというのに、顔色一つ変えない。

 

 苛立たしい。

 なぜか意識してしまう。

 薄汚い傭兵のくせに、他の人間のようにただ見下すことが出来ない。

 フランシーヌはこの男に惹かれている。

 嫉妬という名の敵愾心が抑えきれない。

 自分の何がこの男に劣るというのだ?

 

「お前の顔は見飽きた。式の余興に血祭りにあげてやる」

「下品な地が出たな。貴様はそういう男だ。()()()()

「その名を口に出すな!」

 

 激したアルセーヌが手を掲げ、振りおろす。

 それを合図に長剣を構えた『影』が一斉に宗介ら3人に突き進んだ。

 宗介がスモークグレネードを焚く。

 しかし煙幕で身をかわすには、『影』たちの動きはあまりにも敏捷だった。

 煙る白煙の中で3人が次々に串刺しにされる。

 

「――!!」

 

 その光景に、色を失っていたフランシーヌの瞳に輝きが戻った。

 手にしていたブーケが祭壇の破片が散乱する石畳の床に落ちる。

 

「きゃああああぁぁぁっ! サガラ様!」

「ああ、いけません、近づいてはなりません」

 駆け寄ろうとするフランシーヌを大司教が押しとどめる。

 

(……殿下、落ち着いてください。彼ならば大丈夫です)

 

 顔を覆って泣きじゃくるフランシーヌの耳元で大司教が囁いた。

 

 腹の底に響く重い射撃音が立て続けに轟いた。

 黒衣の下に着込んだ鎧ごと身体に大穴を開けられた『影』たちが、塊となって吹き飛ばされる。

 

「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャ~ン」

 スモークの中から、ひらひらと不思議な動きをするマントをまとったクルツが現われた。

「でもあと1秒まとうのが遅かったらやばかったかな――にしても相変わらず気色の悪いマントだぜ」

 

「串刺しにされなかったんだから贅沢いわないの」

 12ゲージのスラッグ弾で『影』のどてっ腹に大穴を開けたマオが、ポンプアクションで次弾を装填しつつ軟派な亭主にツッコミを入れる。

 

「どうした、レナード。何を驚いている? お前の開発したマントだぞ。もっとも防刃機能はかなめが付け足した物だがな」

 マオと同じレミントンM870を構えた宗介が、悠然と白煙の中から姿を現した。

 

「お前と遊んでやってもいいが、今はこの汚らわしい場所から殿下をお助けするのが先だ」

 

「状況は何も変わってないぞ。ここからどうやってフランシーヌを盗み出すつもりだ?」

 

「実は――もう助け出している!」

 

 宗介が叫ぶなり、大司教が自分の顔面に手を掛けむしり取った。

 

「――あなたは、レイスさん!」

「お迎えにあがりました、殿下」

 驚くフランシーヌに、レイスが微笑む。

 

 宗介が、マオが、クルツが、ショットガンと対物ライフルを撃ちまくって『影』たちをなぎ倒す。

 その隙にレイスが祭服の下から取り出したフックランチャーを天井目掛けて撃ち込んだ。

 トリガーを押し込むと穂先に『かえし』の着いた銛がワイヤを引いて発射され、石造りの天井に突き刺さる。

 

「殿下、しっかりつかまっていてください」

 垂れ下がっているワイヤに上昇用の特殊な滑車を取りつけると、レイスがフランシーヌを抱きかかえた。

 クルツが天井付近の窓を、窓辺で軽機関銃を撃っていた『影』ごとバレットM82対物ライフルで吹き飛ばす。

 

「先に行くぞ、ウルズチーム!」

「援護する!」

 

 スイッチを押すなり滑車が勢いよく上昇し、レイスとフランシーヌの身体をあっという間に天井近くまで運び上げた。

 懸吊状態からレイスが前後に反動をつけて、たった今クルツが吹き飛ばしたばかりの窓に飛び移る。

 

「次、マオ!」

「了解!」

 マオが自分の滑車を取りつけ、レイスたち同様に天井付近まで身体を運び上げる。

 宗介とクルツは被弾を重ね、すでに防弾衣はボロボロになっていた。

 

「先に行くぜ!」

 クルツが攻撃型手榴弾を『影』たちに投げつけ、怯んだ隙に滑車を上昇させた。

 

 宗介も手持ちの手榴弾の安全ピンを全て抜き、タイミングを計って『影』に放る。

 自身の滑車を取りつけて上昇したときには、彼を守り続けていたマントは機能を喪失していた。

 

 宗介が壊れた窓から礼拝堂の外に出ると、そこから城壁近くの風車塔に向けてすでに別のワイヤが張られていた。先に潜入した際に宗介とレイスが水道橋から侵入した塔だ。

 フランシーヌを抱えたレイスが先行して滑走しており、マオとクルツが続いている。

 

 宗介は肩越しにチラリと足元を見た。

 憎悪に燃える目で、この城の主が見つめている。

 交錯する2人の視線。

 途端に、激しい銃撃が襲ってきた。

 宗介は役割を終えたマントを脱ぎ捨てると、滑車を握り風車塔に向かって身を躍らせた。

 

「――サガラ様!」

 

 風車塔に滑り降りるなり、フランシーヌが抱きついてきた。

 

「よかった……よかった無事で……生きていてくれて……わたし……わたし……」

 

「で、殿下」

 顔を赤らめながら、軽く、ほんとうにごく軽く、泣きじゃくるフランシーヌを抱き締める宗介。

 

「やっぱお前、ジゴロの才能あるわ」

 清楚を絵に描いたような姫君に抱きつかれている親友を見て、クルツが目をパチクリさせた。

 その横ではレイスが苦虫を噛み潰したような顔で、友人の婚約者をにらんでいる。

 

「なに羨ましがってるの!」

 マオが追っ手を防ぐために礼拝堂から張られているワイヤをショットガンで断ち切った。

 城内の至る所から激しい銃撃が浴びせられ、塔の胸壁から顔を出すことができない。

 

「殿下――フランソワーズ殿下」

「は、はい」

 宗介に初めて名前を呼ばれて、フランシーヌが我に返った。

 

「ひとまず城外に脱出します」

「わ、わかりました」

「マオ、クルツ、レイス、あとを頼むぞ!」

 

「任せとけ! ここで食い止めるぜ!」

 対物ライフルを城内に向けてぶっ放しながら、クルツが頼もしげに言い放つ。

 

「お姫様を必ず無事に連れ出すんだよ――ったく、ほんとゴキブリみたいに湧いてくるわね」

 ショットガンのチューブマガジンにスラッグ弾を押し込みつつ、マオが城内からあふれでてくる『影』をにらんだ。

 

 宗介が懸垂降下用のロープを城外に垂らしている間、フランシーヌがマオたちの所に戻ってきた。

 

「みなさん、どうかお気をつけて。クルツさまも」

「……っ!」

「必ず無事に戻ってくださいね。ご恩は一生忘れません」

「さあ、早く行って」

 クルツがハトが豆鉄砲を喰らったような顔をし、マオが微笑む。

 

 フランシーヌは最後にレイスを見た。

 

「レイスさん……本当にありがとう」

「……い、いえ」

 

「殿下、お急ぎください!」

「はい!」

 

 フランシーヌはブーケとクラウンを脱ぎ捨てると、宗介の元に走った。

 

「……クルツさまだと」

「……可憐だ」

 思わず呟いてしまったレイスが、直後に『……うっ』と顔を赤らめた。

 

 いったん止んでいた銃撃が再び風車塔に浴びせられる。

 

「おっぱじめようぜ!」

 クルツがフランシーヌの置いていった銀の冠を頭に乗せる。

 

「今夜のマオ姐さんはひと味違うわよ! ――野郎ども覚悟はいい?」

「いつでも!」

「(女だがな)どこでも!」

 

「――Rock’n’Roll!!」

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

 フランシーヌを抱きかかえた宗介が、風車塔から懸垂降下で城壁を越え城外に逃れる。

 ダムの放水によって湖の水位が下がり、古代ローマの水道橋が1mほど湖面に姿を現して対岸への細い架け橋のようになっている。

 宗介とフランシーヌは、その水道橋に降り立った。

 

「滑ります、お気をつけください!」

「はい!」

 

 2人は手に手を取り合って走った。

 

 フランシーヌが宗介の顔を見ると、ビッシリと脂汗が浮かんでいる。

 

「傷が痛むの!?」

「問題ありません!」

 

 宗介の力強い声に、フランシーヌの胸が熱く高鳴る。

 

 城から湖上ランチが出て2人に急速に追いすがってきた。

 

 船上の黒服がサブマシンガンを撃ってきた。

 

 細い水道橋の上では逃げ道がない。

 両脇は湖だ。

 

 宗介が手にしていたショットガンをランチに向けて発砲した。

 対『影』用に強力なスラッグ弾を装填しているので、エンジンを狙えば脱落させることができるかもしれない。

 

 撃つ!

 効果無し!

 

 ポンプアクション!

 

 再度撃つ!

 効果無し!

 

 宗介が苛立つ。走射なうえに傷の痛みで反動を抑えきれない。

 

 やがて弾が尽きた。

 補弾している間に、ランチが水道橋に幅寄せしてくる。

 完全にサブマシンガンの射程に捕まった。

 

 銃弾の雨が宗介たちに襲い掛かる直前、突然ランチが爆発炎上した。

 

「誰だ!? クルツか!?」

『――あ!? なんだって!? 今ちょっと立て込み中だ!』

 

 ヘッドギア内臓のインカムから、クルツの緊迫感のある声が返ってきた。

 

 ――クルツじゃない!? では誰が撃った!?

 

 宗介が疑問に思ったとき、対岸の森からシモノフPTRS1941対戦車ライフルを伏射した老猟師が、くわえ煙草の口元をニヤリとゆがめた。

 

『それよりもマズいぞ、ソースケ! たった今、ベリアルがそっちに向かった! 俺たちには見向きもしねえ!』

 

「ウルズ7、了解!」

「どうしたの!?」

「レナードがASで来ます!」

「レナード?」

「あなたの兄君を乗っ取っている『囁き()』です!」

 

 走りながら、宗介が言った。

 

「その男を叩き出せば、兄君は元に戻られます!」

 

『――叩き出す? どうやって?』

 

 空から響く、アルセーヌの――レナードの嘲笑。

 城から湖を一息に飛び越え、磨き上げられた暗い銀色の神像を思わせるASが湖面に降り立った。

 ラムダ・ドライバの擬似斥力が足元の水面に複雑な波紋を出現させる。

 

「拷問でもエキソシズムでも、なにをしてもだ!」

 

 フランシーヌを背にかばいながら、宗介が言い放つ。

 

『ASもなしにか? 素手のお前に何ができる』

 

「素手では――ない」

 

「――貴様、いつまで寝ているつもりだ! いい加減に目を覚まして自分の戦争に復帰しろ!」

 

『Yes、Sergeant』

 

 湖面が盛り上がり、白と赤のアーム・スレイブが姿を現す。

 デュアルアイが緑色の輝きを放ち、宗介とフランシーヌの背後に守護神のように立った。

 

 対峙する『暗銀の悪魔』と『炎の魔剣』。

 

『そのASにお前を乗せると思うのか、サガラ』

 

 ベリアルが手にする長大な弓――アイザイアン・ボーン・ボウを宗介に向ける。

 

「乗せるさ。お前はそういう男だ。このまま俺を射殺すだけではお前は満足できない。なにしろその機体で一度俺に負けているのだからな。そうだろう、レナード・テスタロッサ」

 

 ハッタリを交えた駆け引き。

 相手が乗ってこなければ、宗介に待っているのは確実な死だ。

 

『俺はレナードなどではないが――いいだろう。乗れ。言い訳できない条件で叩きつぶしてやる』

 

「……サガラ様」

 

 フランシーヌが不安に満ちた顔で宗介を見上げる。

 

「殿下、少しの間お側を離れることをお許しください」

「……サガラ様。もし兄が元に戻らないときは、その時は……」

「自分の仕事はすべての『ウィスパード』の救出と保護です。必ず兄君を連れ戻します」

「…………はい」

「では」

 

 レーバテインIIのハッチが開放され、宗介が差し出された手に飛び移ってコックピットに滑り込んだ。

 

『おはようございます、軍曹殿』

「アル、ハッチ閉鎖。モード4に調整開始。バイラテラル角4」

『ラージャ。RUN、モード4。BMSA4。コンプリート』

 

「お前、かなめやミラの呼び掛けになぜ応えなかった?」

『わたしとて軍曹と共に「戦士の回廊」を歩む者。戦列に復帰する際はどんな美女の励ましよりも、あなたの叱咤が相応しいと思っただけです』

「そうか」

 

 相棒の言葉に、宗介はふっ……と笑った。

 

「アル、ベリアルのデータを洗い出せ。奴は前回と同じ性能か?」

『外見上は基本的に同じですが細部に微差が認められます。まるっきり同じ性能と判断していると足元をすくわれる危険があります』

 

『軍曹殿』

「なんだ」

『あの野郎とは通算一勝一敗ですが、今度こそAS戦で決着をつけたいものです』

「ああ、俺もそのつもりだ」

『以降、あの野郎を「Gベリアル(ゴシック・ベリアル)」と呼称します』

 

 宗介はフランシーヌを対岸の安全な丘の上に移すと、再び月光に照らされる湖上に戻りGベリアルと対峙した。

 両機の足元で発生した波紋がぶつかり合い、打ち消し合う。

 

「待たせたな。では始めるぞ」

『来い、サガラ』

 

 レーバテインIIとGベリアルが、水面から弾けるように飛翔した。

 

 通常、ラムダ・ドライバは一瞬だけしか起動できない。

 ラムダ・ドライバを働かせるには極度の集中力が必要であり、長時間の持続は不可能なのだ。これは宗介も例外ではない。

 常時起動できるのはウィスパードの能力を使ってオムニ・スフィアに接続できるレナードか、あるいは『Ti971』系の薬物を投与された人間だけだ。

 しかしその影響は甚大で、性格は凶暴化し、投与し続ければ対象者は短期間で廃人となる。

 

 ただし――アルだけは別だ。

 

 アルは以前、宗介を核攻撃とその後の影響から守るため、24時間ラムダ・ドライバによる障壁を張り続けた。

 そして今はその能力を、飛行を含むレーバテインIIの三次元機動に使っている。

 

 宗介はレーバテインIIをGベリアルに接近させ、格闘戦(グラップリング)に持ち込もうとした。

 

 Gベリアルの主兵装であるアイザイアン・ボーン・ボウは、擬似斥力の不可視の矢を超高速で放つ長大な弓だ。

 視認することのできない矢を防ぐ障壁はイメージできず、したがってラムダ・ドライバで防ぐことができない。

 唯一完全に無力化できるのは『妖精の羽』――ラムダ・ドライバ・キャンセラーを使い発射される指向性の擬似斥力を無効化することだが、レナードもそれがわかっているため、決して機体を湖の上から出さない。

 湖上で『妖精の羽』を使えば、2機のASは飛行能力を失い水没する。

 水中ではラムダ・ドライバ・キャンセラーは電荷の関係で効果を発揮しない上に、ASの機動力は著しく低下する。

 そこを狙い撃たれれば、敗北は必至だ。

 

 弓を使わせないためには、ギリギリまで接近するしかない。

 

 レーバテインIIの単分子カッターがGベリアルの障壁に弾かれ、Gベリアルの貫手がレーバテインIIの障壁に防がれる。

 

『擬似斥力の障壁を作り出すためのパラジウム・リアクターの出力はこちらが上回っていますが、障壁を具現化させるオペレーターの想像力の強さでは野郎が勝ります。このままでは千日戦争(サウザンド・ウォーズ)です』

 

『軍曹、もっと気張ってください』

「やっている!」

 

 機体の性能ではこちらが勝っているがオペレーターの能力では向こうが上――露骨すぎるアルの言葉。

 だが冷静に考えれば前回は、ここまで互角には戦えなかったのだ。

 

『さすが、かなめが一から設計したASだな! 見事な機体だ!』

 外部スピーカーから響くアルセーヌの声。

 

『だがラムダ・ドライバの扱いはまだまだだな――ラムダ・ドライバにはこういう使い方もあるんだ!』

 

 アルセーヌが叫んだ瞬間、Gベリアルを包む斥力の障壁が急激に膨張した。

 障壁と障壁がぶつかり虹色の光芒が走る。

 

 不意を衝かれたレーバテインIIが圧力に屈して弾き飛ばさされた。

 

『離れたぞ!』

 

 Gベリアルが長弓を構える。

 

「アル、乱数機動で回避しろ! 敵のAIに予測されるな!」

『予測? 八つ裂きにしてやります』

 

 途端に、アルが滅茶苦茶な機動を開始する。

 GベリアルのFCSの照準補正を上回る動きで、レーバテインIIが放たれる不可視の矢をかわす。

 アルの計算と()()に基づく機動が、GベリアルのAIによる未来位置の予測を寄せ付けない。

 

『まったく見事なASだ。かなめの設計した機体に、バニ・モラウタの生み出したコア・ユニット』

 

『それに比べて、どうしたサガラ! 大口を叩いた割りにこの程度じゃ拍子抜けだぞ!』

 

 アルセーヌが嘲る。

 

「――はぁ、はぁ!」

 

 レーバテインIIのコクピットでは、宗介が呼吸を乱していた。

 

 先ほどから傷の痛みでいつもの集中力が出ない。

 判断力が鈍るのを嫌い鎮痛剤を用いなかったのが裏目に出ていた。

 イメージの強さで負けている。

 

 Gベリアルは次々にアイザイアン・ボーン・ボウを放つが、レーバテインIIを射貫くことは出来ない。

 逆にレーバテインIIもGベリアルに再接近出来ず、火器の照準も合わせられない。

 

 しかし、アルセーヌはしたたかだった。

 レーバテインIIを捕捉できないなりに、徐々に自分に有利な状況を構築していった。

 

 やがて、レーバテインIIの動きが止まった。

 

「どうした、アル! なぜ回避機動をとらない!?」

『……やられました』

「なに?」

『動けません。われわれの後ろには古代ローマの遺跡があります。われわれが回避すればこの国の唯一の外貨獲得手段が失われます』

「……っ!」

 

 動けば、遺跡を破壊される。

 遺跡など無視して回避し続ければいずれ自分が力尽きる。

 強引に接近すれば狙い撃ちだ。

 

 どちらにせよ、長くは持たない。

 すでに傷口は開き、ASスーツの内側で厚く巻いた包帯が血を吸って重くなっていた。

 

(この国には――フランシーヌには、あの遺跡が必要だ!)

 

(どうする? どうする?)

 

『はははは! どうした、サガラ! そんなガラクタが大切か? 俺の知っているサガラ・ソウスケはそんな柔な男じゃなかったぞ!』

 

「生憎、お前と違って少しずつまともになってるんでな」

 

(……メリダ島の亡霊め!)

 

(考えろ! 考えろ!)

 

(どうすれば、この状況を逆転できる!?)

 

(――考えろ!)

 

『ナイトを気取ったまま、死ね! サガラ!』

 

 暗銀の悪魔が破滅の長弓を引き絞る。

 

 かつて、アンドレイ・カリーニンは相良宗介を評していった。

 

 才能がない――と。

 

 相良宗介は、そんなことはとうの昔に知っていた。

 

 ASの操縦でも、格闘術でも、電子戦の知識でも、狙撃でも、自分を上回る人間はいくらでもいた。

 

 自分の強みは、土壇場でのしぶとさだけだ――と。

 

 しかし、その能力に関して言えば――相良宗介は紛れもない天才だった。

 

「――アル」

『はい、軍曹。よい考えが浮かびましたか?』

「湖の水を飲み干すぞ!」

『……え?』

 

 宗介の高次精神に浮かぶ、湖中のイメージ。

 深く、濃い藍。

 実際にその湖水に身を浸した彼には、水温から水の感触、においまで詳細に思い浮かべることできた。

 

「――インパクト!」

 

 GベリアルとレーバテインIIの間の水中で、極限まで凝縮された擬似斥力が水蒸気爆発となって弾けた。

 湖面が盛り上がり、白い瀑布が天に向かって逆流する。

 

『情けない目くらましだな!』

 

 アルセーヌが嘲笑と共に不可視の矢を放つ。

 降り注ぐ大量の湖水を穿つ、矢の()()

 

「――見えた!」

 

 一点集中。

 イメージは分厚い斥力の大盾となり、悪魔の矢を弾き返す。

 

「報復をくわえるぞ! アル、デモリションガンだ!」

『ラージャ、デモリションガン・ガンハウザーモード』

 

 レーバテインIIに背負われていた巨大な大砲が組み上がり、Gベリアルに向けられる。

 

 ベリアルは――アルセーヌは動かない。

 次矢をつがえて引き絞り、レーバテインIIを――宗介を迎え撃つ。

 

 両者が同時に、必殺の一撃を放つ。

 

 虹色の光芒を引いて砲弾と矢がすれ違う。

 

 レーバテインIIの右腕がデモリションガンごと斥力の矢に吹き飛ばされ、Gベリアルの左腕がアイザイアン・ボーン・ボウを握ったまま166mm榴弾砲弾に爆砕された。

 

 右腕を失った勢いでレーバテインIIは回転、再びGベリアルに向き直ったときにはボクサーII散弾砲を左手に握っていた。

 Gベリアルも右腕の40mm砲を露出させ、狙いを定めている。

 

 再度、両者が同時に発砲。

 互いの防御障壁にそれぞれの砲弾が弾かれる。

 

『サガラー!』

「レナード!」

 

 2機のASが残された火器を撃ちまくりながら、急速に接近する。

 どちらも回避機動は一切とらない。

 己の張った斥力の壁だけを頼りに、一気に距離を詰める。

 

 装弾数をすべて撃ち尽くしたレーバテインIIが散弾砲を捨てた。

 黄金に輝く放熱策を棚引かせながら、炎の魔剣がゴートの悪魔に肉薄する。

 Gベリアルが40mm砲を連射する。

 残らず弾かれた。

 

『かなめめ! なんてASを作ったんだ!』

 

 Gベリアルが貫手を構える。

 かつてメリダ島での決戦のおり、初代レーバテインのコクピットを貫いた致命の一撃を再び叩き込む。

 だがそれよりも早く、レーバテインIIの正拳がGベリアルの貫手をカウンターで粉砕し、そのまま暗銀の顔面にめり込んだ。

 

 宗介が最後の集中力を振り絞り、さらに同部位に正拳三連を叩き込む。

 

「かなめ、かなめと――馴れ馴れしいんだ、クソ野郎っっっ!!!」

 

 Gベリアルの頭部がひしゃげ、潰れ、もげ飛んだ。

 

 レーバテインIIはそのままの勢いで、カリオストロ城の城壁にGベリアルを叩きつけた。

 ベリアルの障壁が頑丈な城壁に半球形のへこみを着け、2機のASがそのくぼみの中でもつれあう。

 

「今だ、アル! 羽を使え!」

『ラージャ』

 

 宗介が一気に畳み掛ける。

 左肩に残されていたラムダ・ドライバ・キャンセラーが発動し、周囲から擬似斥力を消し去った。

 即座にレーバテインIIが左右のニーカッターでGベリアルの両脚を刺し貫き、最後の機動力を奪う。

 

 頭部と両手両脚を破壊された『ゴート族の悪魔』は、戦闘力を完全に喪失した。

 

『Gベリアルの沈黙を確認』

「アル、あとを頼む」

『ラージャ』

 

 宗介はホルスターからグロックを抜くとコクピットを出た。

 失血で足に力が入らない。

 湖からの風が汗に濡れた宗介の前髪を揺らした。

 

 アルが抑えつけている大破したASに飛び移りハッチを強制開放すると、搭乗者の死角になっている位置から銃口を突き付けた。

 

「……まさか、こうも一方的にやられるなんてな」

 

 アルセーヌが薄い笑みを浮かべた。

 

「経験の差だ。俺は一度ベリアルと戦っている」

「……まだ俺をレナードだと思っているのか?」

「ああ、お前はレナード・テスタロッサだ。このベリアルを建造したのが何よりの証拠だ」

「……頭に浮かんだままを作っただけなんだけどな……」

「お前はレナードの『囁き』に乗っ取られている。共振して溶け合ってしまっているのだ」

 

 ふん……と鼻で笑う、アルセーヌ。

 

「……さあ、それでどうするんだ? 言ったとおり拷問するのか?」

「必要があれば、そうする――コクピットから出ろ」

 

 視界がかすむ。

 消耗を悟られないよう平静を装って、宗介が命じる。

 

「……わかった」

 

 アルセーヌがマスター・スレイブ方式の操縦桿から手を抜く……かに見せかけて、ハンド・グリップのスイッチを押した。

 

 大破した胴体から隠し腕が現れ、アルが指摘した細部の微差が宗介をつかむ。

 傷の痛みで反応が一瞬阻害され、逃れることができなかった。

 

「逆転だな」

「……起爆装置の次は隠し腕か、相変わらず小物臭が漂っているな」

「切り札は最後まで取っておくものだ――動くな、AI!」

 

 アルセーヌが宗介救出の気配を見せたレーバテインIIを、鋭く牽制する。

 

「その格好じゃ拷問はできそうにないな」

 

 機械の手でギリギリと宗介を締め上げながら、アルセーヌが満足気に言った。

 今や彼が宗介を拷問する立場だ。

 

「ああ、だがエクソシズムはできる」

 

「ほう。どうやって神父でも呼ぶのか?」

 

「レナード。ひとつ教えておいてやる。獲物を前に舌なめずりは3流のやることだ。だからお前はいつも俺に足元をすくわれる」

 

「なに?」

 

「――来い、かなめ!」

 

『ありがとう、ソースケ。あとはあたし達に任せて』

 

 ヘッドギアのインカムからかなめの声が響き、アルセーヌが目を見開いて硬直する。

 

 近くて遠いはるか精神領域の世界で、アルセーヌ・ド・カリオストロからレナード・テスタロッサを駆逐するための悪魔払いが始まった。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

 白と赤のASが、気を失った若き城主を巨大な手に乗せて中庭に降り立ったとき、城内の戦いは終わった。

 ASの外部スピーカーから、戦闘の中止を呼び掛ける声が響く。

 

 誰しもが戦う目的が失われたことを悟り、銃や剣を下ろした。

 

 レイスはマオとクルツにあとを任せると、混乱に紛れて1人城内に消えた。

 

 マシンピストルを手に、礼拝堂の祭壇にある隠し通路から地下に下りる。

 冷たい石造りの階段を音もなく下る。

 

 やがて目指す『地下工房』にたどり着いた。

 

 『地下工房』には人の気配がない上に、入り口が開け放たれていた。

 外気が直接流れ込んでいる。

 生物兵器を製造している工場としては考えられないことだ。

 

 万が一、ウイルスが漏洩すれば……。

 

 工房から微かな物音が響いてくる。

 

 男が1人、ウイルスの培養装置を前に作業をしている。

 

「――動くな」

 

 レイスは銃口を男の背中に向けた。

 

「銃が狙っている。両手を頭の後ろに当てて、ゆっくりとこちらを向け」

 

 狐狸を思わせる老人が振り向いた。

 

「また会ったな。女ネズミ」

 

『影』の首領と幽鬼の名を持つ工作員が、世界を滅ぼす力を持つ極小の生き物たちに囲まれて対峙した。

 

「そのウイルスをどうするつもりだ?」

「知れたこと。ここでまくのよ」

 

「狂ったか、貴様」

 ジョドーの言葉に、引き金に掛けたレイスの指に力がこもった。

 

「所詮は実の妹への妄執に憑かれた若造よ。あの方の代わりになどなりはせぬ。人も国も、生き恥を晒すくらいなら滅びた方がよいのだ」

 

「この国は生き恥を晒してはなどいない」

 

「どこがだ? かつて400年にわたり世界を裏から支配したカリオストロ公国が、つまらぬ観光を生業とする小国として細々と生き永らえるなど生き恥以外の何者でもなかろう」

 

 ジョドーは殺気立つでも、威圧するでもなく、淡々と言葉を続けた。

 

「影は光の中では生きられぬ。ただ自分の生涯をかけて仕事をするのみ。その仕事がこのような結末に終わるなど納得できるわけがなかろう。お前とて影に生きる身、理解できるはず」

 

「光の中で生きられないのは影ではなく闇だ。わたしはすでに闇から救われている。貴様とは違う」

 

「しかし今だ影であることには変わりあるまい。日の当たる世界には戻れていまい」

 

「それがわたしの生涯をかけた仕事だからだ。光が強まるほど影もまた濃くなる。お前は闇に呑まれただけにすぎん――妄執に憑かれているのは貴様だ、老人」

 

「互いに仕えた主が違ったと言うことか。お前は光に。わしは闇に」

 

 ジョドーは頭の後ろから両手を下ろし、レイスに言った。

 

「これでカリオストロも本当に終わりだ……撃て」

 

「ああ、そうさせてもらう」

 

 レイスは躊躇なく引き金を絞り、23年前に斬られることを望んだ男は眉間に穴を開けられて倒れた。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

 上も下もない虚無の中に、フランシーヌの自我は漂っていた。

 広さも狭さも、光も闇も、時間さえも存在しない空間とも呼べない場所。

 

(どうして……わたしはここにいるの?)

 

 ぼやける思考の片隅で、フランシーヌは思った。

 フワフワとした心持ち。

 このまま眠ってしまいたい。

 だが目を開けても光は見えず、目を閉じても闇は訪れない。

 

 それでも彼女の思考は徐々に薄れていく。

 意識も、自我も、すべてが。

 

「意識をしっかり保って。そうしなければ溶けて取り込まれてしまうわ」

 

 声が響いた。

 温かく生命に満ちあふれた、力強い声。

 

(誰?)

「あたし」

 

 何もない宙空に、突然湖畔で出会った黒髪の女性が現れた。

 

(あなたは……)

「千鳥かなめよ。あなたはあたしの呼び掛けに応じてくれて一緒にここに来たの」

(呼び掛け……応じて)

「このままじゃ話しにくいわね。姿を見せてくれない?」

(姿……でもどうやって?)

「自分の姿を強くイメージするの」

 

「イメージ……こうですか?」

 突然、白いブラウスに紺のスカート姿のフランシーヌが現れた。

 

「そうそう、上手上手」

 かなめが、うんうんとうなずいた。

「ついでに上と下もお願い。浮いたままだと落ち着かなくて」

「上と下……」

 

 またもや突然、2人の足元にどこまでも続く平面世界が出現した。

 

「お~、すごい、すごい。初めてだとなかなかそこまでイメージできないんだけどね」

 

「やっと会えたわね、フランシーヌ」

「はい、かなめさん」

 

 フランシーヌは自分の姿と共に、これまでの記憶も思い出した。

 自分は千鳥かなめの共振に応じて、ともにアルセーヌの意識に入り込んだのだった。

 

「ここはどこですか……?」

「オムニ・スフィアよ。人の精神が作り上げている一番近くて一番遠い場所。この領域を通じてあたしたちはみんなつながってるの。だからここはあたしの意識でもあり、あなたの意識でもあるわけ――もっとも、この場所を認識できて任意に接続できるのは、あたしたちウィスパードだけなんだけど」

 

「では、ここにアルセーヌもいるのですね?」

「ええ、彼を取り込んでいるレナードと一緒にね」

「そのレナードという人は、どういう人なのですか?」

「……悲しい人よ。とっても」

 

「でもいったいどうすれば彼に……」

 キョロキョロと辺りを見回しても、永遠に続く平面が存在するだけである。

「またイメージするのですか?」

 

「自分の姿はイメージすれば現れるけど、他人の姿はその人にイメージしてもらわないとダメなのよね」

「それでは……」

「大丈夫。あいつはナルシシストだから、姿を隠したままでなんていられない。それにキモい変態ストーカー野郎でもあるから、今も近くであたし達を見ているはずよ」

 

 かなめの十八番、怒濤の罵詈雑言。

 本物のお姫様が隣にいようが、相手が本物の王子様だろうが、躊躇もなければ容赦もない。

 

「――いるんでしょ、レナード! 嫌なことは早くすませたいの。とっと出てきなさい!」

 

「やれやれ、散々な言い草だね。よっぽどそのレナードっていう男が嫌いなんだね」

 

 アルセーヌ・ド・カリオストロが平面上に現れた。

 

「アルセーヌ!」

「お目に掛かれて光栄です。我らが女王陛下」

 アルセーヌがかなめに向かって、優雅に頭を下げる。

 

「そうそう、そういう慇懃無礼なところがピンポイントで虫酸が走るのよね――お久しぶり、レナード」

「僕はあなたの言うレナードではありませんよ、陛下」

「いーえ、あんたはレナード・テスタロッサよ。その証拠にソースケととことん相性が悪い。すなわちあたしと相性が悪い」

 

「……」

 

 かなめの口から宗介の名前が出て、アルセーヌの表情から余裕が失せた。

 

「かなめさん……」

「大丈夫よ、フランシーヌ。あたしも前に別の『囁き』に乗っ取られたことがあるの。でもその時はソースケの愛ある罵倒で意識を取り戻せたわ。あー、今思い出してもマジムカつくわー」

 

 そしてかなめが、優しい笑顔でフランシーヌを見た。

 

「だから、フランシーヌ。あなたのお兄さんも大丈夫」

「はい」

 

「それでどうやって僕の意識を取り戻すというんだい? フランシーヌに君の言うような愛ある罵倒は無理だと思うのだけど?」

 

 フランシーヌがアルセーヌに向かって一歩進み出た。

 

「アルセーヌ」

「なんだい、フランシーヌ」

「あなたは、わたしに何を望むのですか?」

「もうわかっているだろう」

「言葉に出して、ハッキリと言ってください」

 

「僕たちウィスパードは凡百の人々とは相容れない存在だ。だから僕たちは――」

「そんなことを聞いているのではありません」

 

 ピシャリとアルセーヌの言葉を封じるフランシーヌ。

 

「あなたがわたしにどうしてほしいのか、それを聞いているのです」

 

「わたしに結婚してほしいのですか?」

「……」

「わたしにあなたの妻になってほしいのですか?」

「……」

「答えてください、アルセーヌ」

 

 かなめは驚いていた。

 そう、レナード・テスタロッサなら、この問いには答えられない。絶対に。

 

 レナード・テスタロッサは、自分を含むこの世界のすべて否定している。

 その中でも絶対に認められないのが、結婚・夫婦の関係だ。

 それを認めてしまえば、レナードをレナードたらしめている根幹が崩れてしまう。

 

 アルセーヌは妹を愛している。世界の中の誰よりも愛しみ、守りたいと思っている。

 子供のころと同じように、出来ることならこの先も生涯をともにしたいと願っている。

 しかし、彼女を本当に愛しているのならそれは絶対に叶わない望みだった。

 叶えてはいけない望みだった。

 

 それなのに、どちらかがフランシーヌとの婚姻を望んでいる。

 矛盾が浮き彫りになった。

 

「レナード・テスタロッサ。あなたは結婚を否定していますね? 愛を否定していますね? だからアルセーヌとわたしを結ばせることで結婚も愛も汚したいのですね?」

 

 支配し、隷属させること。

 人の心の隙間に付け入り、弱さを炙り出し、屈服させること。

 それがレナードの愛情表現だ。

 それしか彼は出来ない。

 それ以外の関係を彼は築くことができない。

 

「なんど言えばわかるんだい、フランシーヌ。僕はレナードでは――」

 

「いいでしょう、アルセーヌ。あなたが望むのでしたら、あなたの妻になります」

 

「かなめさん。これからアルセーヌと結婚式を挙げます。立会人になってください」

 

 かなめは黙ってうなずいた。

 自分がフランシーヌという女性を見損なっていたことを思い知らされた。

 芯の強い女性だとは思っていたが、とんでもない。

 フランシーヌはかなめが出会った中で、誰よりも強い女性だった。

 

 意外な成り行きにアルセーヌも驚いていた。

 しかしすぐに面白がり、状況の推移に身を任せている。

 

 フランシーヌはアルセーヌの正面に立った。

 そして兄の顔に両手をそえ、自分の顔を寄せる。

 

 婚姻の証。

 誓いの口づけ。

 

 2人が目を閉じ、唇が触れ合う――。

 

 ドンッ!

 

 アルセーヌが妹を押しのけた。

 

「や、やめろ、フランシーヌ……」

「どうしたのです、アルセーヌ。すべてあなたの望んだことでしょう」

「違う……僕はそんなこと……」

「では誰が望んだのですか?」

「ぼ、僕ではない……僕は……君を……傷つけたりは……汚したりは……」

 

 溶け合っていた自我の中から、アルセーヌの意識が分離されていく。

 

「違う……お前はアルセーヌじゃない……アルセーヌは僕だ……お前は僕じゃない……!」

 

 アルセーヌがうずくまり、頭をかきむしった。

 

「アルセーヌ、あなたはいったい何者なのです!? あなたとはいったい何なのです!?」

 

 フランシーヌの語気が強まる。

 

「ぼ、僕はアルセーヌ・ド・カリオストロ……ぼ、僕は君の……フランソワーズ・ド・カリオストロの双子の……双子の――双子の兄だ!」

 

 乾いた拍手が響いた。

 人を馬鹿にしたような、そのリズム。

 

 3人の側に、いつの間にかアッシュブロンドの少年が立っていた。

 整った耽美な容姿に、均整のとれた体格。

 

「お見事――まさかあれだけ深い共振から抜け出すなんて」

 

 かなめの見知ったレナード・テスタロッサが、雨の雑居ビルの屋上で出会ったままの姿で立っていた。

 

「あなたがレナード……」

 

「お初にお目にかかります。フランソワーズ殿下。そして――千鳥かなめさん」

 

「お初どころかトラウマ級の再会よ――下がっていて、フランシーヌ、アルセーヌ。ここからはあたしの役目よ」

 

 かなめが兄妹をかばうように、レナードの前に立つ。

 

「僕の言葉に嘘はないよ、かなめ。あっちの世界では僕たちはまだ出会っていなかったからね」

「それだけがせめてもの慰めよ。向こうの世界のあたしがあんたを知らなくてすむのは」

「嫌われたものだな」

「ええ、大嫌いよ」

 

 肩をすくめるレナードに、敵愾心を滾らせるかなめ。

 

「でもそれは僕を意識しているということだろう?」

「好きの反対は無関心っていうやつ? そういうこと言ってるからキモいって思われるのよ」

 

「レナード。あんたはもう負けてるの。あんたがこの先も存在するにはアルセーヌの中に居候するしかないけど、それは無理よね?」

 

「当然だ! 誰がそんな男をもう一度自分の中に入れるものか!」

 

「……本当に嫌われたものだな」

 

「自業自得よ。今まであんたがしてきたことを考えれば」

 

「それで君たちは――君は僕をどうするつもりなんだ。かなめ?」

 

「憑代だったアルセーヌに拒絶された以上、あんたはここで誰にも聞き取れない『囁き』として自我が消えて霧散するまで漂うしかない」

 

 オムニ・スフィアには物質世界との相互干渉という特性がある。

 肉体を失っているレナードの自我は、いずれ消え去るしかないのだ。

 

「それはどうかな。このままここで頑張って消滅する前に接続してくる他のウィスパードを乗っ取るって手もあると思うけど」

 

「確かに……確率はすごく低いけど可能性がないわけじゃない……だから、それを阻止するわ」

 

 いつの間にか、かなめの手にエングレービングの施された古風なリボルバーが握られていた。

 

「……それは」

 

「……レナード。あなたの一番の願いは叶えてあげられなかった。だから二番目の願いで我慢して……」

 

 かなめが銃口をレナードの額に向ける。

 

 沈黙が2人の間を支配する。

 

 やがて……。

 

「………………わかった。それでいい」

 

 レナードがうなずいた。

 彼も理解していた。

 どんなに強がり、悪あがきをしたとしても、もう自分に逆転の目は残されていないと。

 

(それでも……あの男なら、この状況でも諦めずにいただろうか)

 

「……今度生まれてくるとき、もし雨に打たれて濡れている女の子と出会ったら……その時はキスではなく傘を差し出してあげて……そうすればもしかしたら……」

 

 それは、かなめが初めてレナードに見せた、悲しみと……慈愛の表情だった。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

「終わったか」

『どうやらそのようです』

 

 レーバテインIIの手に乗せられていたアルセーヌの表情が、苦悶に満ちたものから穏やかな寝顔に変わった。

 オムニ・スフィアでの戦いにも、決着がついたようだ。

 

『軍曹殿』

「なんだ」

『あの程度で「飲み干す」と表現するのはいかがなものかと』

「アル」

『はい、軍曹』

「黙れ」

 

「フランソワーズ殿下と合流するぞ」

『ラージャ』

 

 レーバテインIIはラムダ・ドライバを起動させて、城の中庭からフワリと浮き上がった。

 湖を飛び越えてフランシーヌの待つ丘に降り立つと膝を折り、彼女のかたわらに静かに兄を下ろす。

 

「アルセーヌ!」

『眠っているだけです。じきに目を覚ますでしょう』

 外部スピーカーから宗介の声が響いた。

 

 オムニ・スフィアでの対決はごく短い時間に思えたが、現実の世界では8時間以上が経過していた。

 すでに夜は明け、青空が見晴らしのよい緑の丘を優しく包んでいた。

 

 宗介はコクピットを出ると、フランシーヌと共にアルセーヌの容体を確認した。

 

「大丈夫、眠っているだけです」

 

 医学の心得があるフランシーヌが安堵の吐息を漏らした。

 

 2人の頭上を大型機の編隊がカリオストロ城に向かって爆音を轟かせながら通過していく。

 城の上空で旋回すると、兵士たちが次々にパラシュート降下していった。

 

「あれは?」

「ミスリルが重い腰を上げたようです。地中海戦隊が生物兵器の無力化のために派遣したのでしょう」

 

 宗介とフランシーヌは並んで丘の上に立ち、開傘するパラシュートが舞う湖の古城を見つめた。

 明るく晴れ渡る空を映した湖の深い青。

 しかしフランシーヌには、その青がいたたまれぬほど寂しく悲しい色に見えた。

 

「……行ってしまうの?」

「……自分の任務は終わりました」

 

 フランシーヌの心を葛藤が苛んだ。

 

 一緒に行きたい。

 この人と一緒に。

 

 戦い方は知らないけどきっと覚える。

 アーム・スレイブの操縦だってきっと覚えてみせる。

 だから……だから……。

 

 しかし、フランシーヌは恋に恋することが許されるただの少女ではない。

 彼女は、この国の公女。

 元首である母は病に伏し、摂政である兄はこれから罪に問われる身。

 

 彼女にはこの国を建て直す使命があった。

 

「傭兵サガラ・ソースケ」

 

 フランシーヌが毅然とした表情で、宗介を見た。

 

「はっ」

「この国に対するあなたの勇気ある貢献に心から感謝いたします。これからのあなたにどうか神の御加護がありますように」

 

 フランシーヌが右手を差し出した。

 宗介がその手を取り、跪いた。

 頭をフランシーヌの腰より低くし、そっと彼女の手に唇を触れる。

 

「あなたの力が必要になったときは、また助けてくださいね」

 立ち上がった宗介に、フランシーヌが寂しげに微笑んだ。

「必ず。地球の裏側からでも殿下の下に駆け付けます」

 

「……ううっ」

 

 その時、呻き声がし、アルセーヌが意識を取り戻した。

 

「アルセーヌ!」

「……フランシーヌ」

「ああ、よかった、兄様!」

 妹が兄を抱き締める。

 

 宗介は再会を喜び合う兄妹に踵を鳴らして敬礼すると、きびすを返した。

 それを合図にレーバテインIIが音もなく浮かび上がり、ECSを作動させて空に溶け去る。

 

「――ソースケ!」

 走り去る宗介に、フランシーヌが初めて――初めて彼のファーストネームを呼んだ。

 

「お別れです、殿下!」

 丘を駆け下りた宗介の横に、あちこち壊れた黄色い小型車が乗り付けた。

 

「お姫さーん!」

 サンルーフからクルツが身体を出して両手を振った。

 

 宗介が助手席に乗り込むなりFIATが発進する。

 後部座席のマオがリアウインドから二指の敬礼を送っていた。

 

 レイスの運転するトレーラーが続き、助手席からミラが手を振っている。

 

「ありがとう、みなさん! さようなら!」

 

 フランシーヌが声の限りに叫び、手を振る。

 

 金髪の柔和な顔つきの青年がひょっこり丘を登ってきた。

 

「やれやれ。別に泥棒じゃないんだから、そんなに慌てて帰ることもないだろうに。まあ正義の味方らしいといえばらしいんだけど――どうも初めまして。ミスリル情報部のミシェル・レモンです。調整役としてしばらく残らせていただきます」

 

 レモンが穏やかに自己紹介すると、宗介たちの走り去った街道を見た。

 

「それにしてもソースケの奴。ナムサクに続いてまんまと盗んでいったな」

 

「いえ、あの方は何もとらなかったわ。わたしのために戦ってくださったんです」

 

 フランシーヌがレモンを見て、真摯な表情で弁護した。

 

「いえ、あいつはとんでもない物を盗んでいきました」

 

 微笑むレモン。

 

「あなたの心です」

 

「はい!」

 

 フランシーヌの顔に、心からの笑顔が浮かんだ。

 

「さて、自己紹介もすみましたので自分は城に戻ります。殿下ももう少ししたらお戻りください」

 

 登ってきたときと同じように、ひょこひょことレモンが丘を下りていく。

 

「なんて気持ちのよい人たちだろう」

 

 立ち上がったアルセーヌが妹のかたわらで呟いた。

 

「わたし、ずっと昔からあの方を知っていたような気がするの」

 

 フランソワーズ・ド・カリオストロは晴れ晴れとした表情で、心優しい異邦人たちが走り去った先を見つめた。

 

「ソースケ。きっと、きっとまた会えるわ」

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

 FIATには宗介とかなめだけが乗っていた。

 

 この車はミスリル時代のシチリアでの作戦を思い出すからと、マオとクルツは早々にミラたちのトレーラーに移ってしまっていた。

 

「あ、あのさ」

 

 助手席のかなめが、運転席の宗介に遠慮がちに訊ねた。

 

「なんだ?」

「き、傷の具合とか大丈夫なの?」

「問題ない」

「そ、そう、よかった」

 

(違う、違う、傷の具合も気になるけど、あたしが聞きたいのはそれだけじゃない)

 

「あ、あのさ」

「なんだ?」

「な、なんというか……い、いい娘だったわよね……彼女」

 

 モジモジと膝の上で遊ばせる指を見つめながら、かなめがもう一度訊ねた。

 チラリと運転する宗介の横顔見る。

 

「そうだな」

 

(ぬ! こいつ、あっさり肯定しやがった!)

 

「あ、あんた、もしかして自分だけ残りたいとか思ってるんじゃないでしょうね!」

「かなめ」

「な、なによ?」

「以前にも言ったが俺の姫は君だけだ。出会った時から変わらずにずっと」

 

 ボン! と、かなめの顔が真っ赤になる。

 

「あ、あたしの……ナイト……だって、あんただけよ……出会った時から……これからもずっと」

 

「少し暴力的だが」

「ぬわんですって!」

 

 突然蛇行を始めたクリーム色の小型車の先に、海を望む港町が見えてきた。

 

 相良宗介と千鳥かなめはまた一つの旅を終えて、2人の家に帰っていく。

 

 

 

 




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