フルメタル・パニック! その後の2人   作:Deetwo

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番外編の2作目になります。
すでに、かなめと付き合い始めている世界線での『デイ・バイ・デイ』といった内容です。
ご一読いただければ幸いです。


番外編2 天使の伝承  続くデイ・バイ・デイ

 ――現在。

 

 俺は街のチンピラではない。傭兵だ。

 売られたケンカを買う主義などない。

 まして相手が上官ならなおのことだ。

 上官が黒だといえば、白でも黒になるのがこの世界だ。

 だが尊敬する亡き隊長を侮辱された揚げ句、素行が悪いとは言え同僚をぶちのめされ、最後にはゲーム(AS同士の私闘)の誘いと来たもんだ。

 

『機体の無断使用が怖いなら、命令してやってもいいんだぞ?』

 

 俺という人間の根源――規律には決して逆らえない男――を見透かした嘲笑のようで、そうまで言うのなら受けてやる。

 

 相良宗介は『ARX-7 アーバレスト』を、メリダ島地上の訓練場へと上げるエレベーターに誘導しながら思った。

 

 宗介は今、自分が普段の精神状態でないことを知っている。

 常に冷静沈着を心掛け、それを習慣のようにまとっているいつもの自分ではない。

 ぶっちゃけて言えば、むしゃくしゃしている。

 宗介は冷静な兵士だ。

 しかし、その下には激しやすい年相応の少年の一面も、また持ち合わせていた。

 いいだろう。あんたが何者で、何が目的かはしらないが、そこまで挑発するなら目に物見せてくれる。俺をそこいらのルーキーと同じだと考えているなら、大変な間違いだ。

 

(後悔させてやる)

 

 ジェネレーター、制御系、電子兵装、センサーその他、すべて正常。

 訓練場にあがると再びエレベーターが下がっていく。件(くだん)の上官(中尉)が自分のASを上げてくるのだろう。

 まつことしばし……。

 

『待たせたな』

 

 昇りきったエレベーター上のAS。

 その外部スピーカーから、中尉の声が響いた。

 

「あの機体は」

 

 黒いM9。

 まちがいない。シチリアでの作戦で出会った、あの機体だ。

 

『自己紹介がまだだったな。地中海戦隊<パルホーロン>から転任してきた、ベルファンガン・クルーゾー中尉だ。本日付けで<トゥアハー・デ・ダナン>のSRTに配属された。ちなみにコールサインは”ウルズ1”だ』

 

 クルーゾーの駆る漆黒のM9のデュアル・アイが、獲物を狙う猛禽のまなざしで宗介を捕らえていた。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

 ――24時間前。

 

「ふぅ……」

 さて、今日の報告書はやっかいだぞ。

 

 頑丈さだけが取りえの簡易テーブルに置かれたノート型PCを前に、宗介は気を入れ直した。

 これから直属の上司であるメリッサ・マオに送る、今日1日の報告書を書かなければならない。

 同僚のクルツ・ウェーバーと違い、几帳面で生真面目な宗介は、報告書一つとっても決して手は抜かず、その日1日にあったことを詳細に書き起こして送信していた。

 もっとも、それは決して手間のかかる作業ではなく、慣れてしまえば就寝する前の15分で出来てしまうようなものだった。

 日報などよほど特殊な事態が起こらない限り、軍隊だろうが企業だろうがそんなものだ。

 そう――よほど『特殊な事態』が起こらない限り。

 キーボードの上で、宗介の指が止まる。

 

(……いったい、なんと書けばいいのだ?)

 

 護衛対象の千鳥かなめと、本日より交際を開始。恋人関係は良好――以上。

 これで……いいのだろうか?

 それとも交際に至るまでのあの散髪の状況を詳細に書き起こすべきだろうか?

 しかし、あれはおそらくプライベートに類するもので、そこまでは書く必要はないはずだ。

 まったくわからない。

 マオに相談してみるか?

 しかし、マオに出す報告書の内容についてマオに相談するというのも、なにか変な気がした。

 となると、クルツか?

 確かに、こういった男女の関係についてはクルツが一番経験を積んでいる。

 しかし……。

 

 宗介は、そこはかとない不安を感じた。

 このことだけは、クルツに相談してはいけないような気がした。

 なにか、話があらぬ方向に暴走し、取り返しのつかない事態をまねくような……。

 

 ピンポン♪ ピンポン♪

 

 宗介が頭の中で、クルツ・ウェバーという選択肢を排除したとき、セーフハウスに呼び鈴の音が響いた。

 

(……こんな時間に誰だ?)

 

 宗介の頭でアラートが灯る。

 すぐさまホルスターからグロック19を抜く。

 左手には盾代わりの防弾ベストを持ち、気配を立てずに玄関に向かう。

 ドアビュアーをのぞくような真似はせずに、かがみ込んでいきなりドアを開き、銃を突き付ける。

 ただドアの前にいた人間は、これあることを予想していたようで、さして驚かず、

「おいおい。あたしよ、あたし」

 と、言った。

「千鳥」

「まったそ~ゆ~物騒な物を」

「こんな時間にどうした?」

「ん? え~と、うははは! なんか遊びにきちゃった」

 かなめは、恥じらいを後頭部に手を当てた笑いでごまかした。

「あがっていい?」

「あ、ああ、構わないぞ」

「お邪魔しま~す」

 かなめにとっては勝手知ったる他人――改め、恋人の家である。

 ことさら意識しているようには見えない。

 逆に宗介は困惑した。

 かなめとは、放課後『おはいお屋』で買い食いし、初めて手をつないで帰宅し、そのまま彼女の部屋で夕食をご馳走になり、宿題を手伝ってもらい、最後には別れ際のキスまで交わして部屋を辞した。

 まさか、その後またかなめが訪ねてくるとは。

 しかも、こんな時間に遊びに来たとは。

 そもそも、このセーフハウスにかなめが『遊びにきた』ことなど、これまでなかった。

『交際』するということは、こうも男女間の関係性が変化するものなのか。

 

(わ、われながらちょっと暴走気味かしら?)

 

 平静を装ってはいたが、かなめも内心動揺していた。

 一緒に帰宅した宗介に夕食を振る舞い、彼の宿題を手伝って、最後に通算4回目のキスまでして送り出し、その後お風呂に入って、やることもないのでベッドに入ったところ……目が冴えて眠れない。

 これまでにも宗介を想って、こんな風に眠れなかったことは多々ある。

 締め付けられるような胸の切なさに、涙を零したことも。

 しかし今夜はそれらとはまるで反対で、想いが伝わり恋が成就した幸福感に一向に眠気が訪れない。

 これは脳内でほとばしっている恋愛物質で、自家中毒を起こしているとしか思えない。

 聞いたところによると恋愛初期の男女の脳は、麻薬中毒患者と同じような状態らしい。

 要するに、今のかなめは完全に『ハイ』になっていた。

 これはもう眠れないと腹をくくってベッドから出てTVをつけたが、頭に浮かぶのは宗介のことばかり。

 会いたくてたまらない。

 声が聞きたくてたまらない。

 ひっついていたくてたまらない。

 結局、

 

(べ、別に夜這いにいくわけじゃないし! そこまでふしだらじゃないし! ただちょっと話に行くだけだし! あたし彼女だし!)

 

 と、それでもしっかりバイオリズムを確認して、いそいそと宗介の部屋までやってきてしまった。

 まぁ、付き合い始めたばかりのころなんて、誰だってたいがいこんなものである。

 

「あ、あははは! ソースケ、1時間半ぶりね!」

「そ、そうだな。だいたいそれぐらいぶりだ」

「げ、元気してた?」

「も、問題ない」

 

 誰がどう見てもバカップルの会話である。

 

「い、いきなり遊びにきちゃって、忙しかった?」

「い、いや、報告書を書いてしまえば、今夜はもう何もすることはない」

「そ、そう、よかった」

「し、しかし、遊びにきたと言っても、この部屋には娯楽になるようなものは何もないぞ?」

「そ、そうね……」

 娯楽のない部屋で、男女がする娯楽と言えば、もう決まっている……。

 かなめの思考は、結局そこにいきついてしまう。

「ま、まぁ、それはその報告書とやらを片づけてから考えましょ! う、うはははは!」

「そ、そうだな。ではお言葉に甘えて、そうさせてもらう」

 宗介はそういうとパイプ椅子に座って、再びノートPCをにらんだ。

 かなめはホッとして、彼のためにコーヒーを淹れてやる。

「難しい顔してるけど、報告書を書くのってそんなに大変なの?」

 手に湯気の立つマグカップを2つ持ちながら、キッチンから戻ってきたかなめが宗介にたずねた。

「いや、君とこういう関係になったことを、どう報告したらいいものかと思ってな」

 ふぅ……と、ため息をつく宗介。

 宗介はかなめの護衛として、この場所にいる。

 その護衛と身体のつながりはまだないとはいえ、男女の関係になってしまったのだ。

 軍隊の規律に疎いかなめにだって、それが容易ならざる事態であることは理解できた。

「どうするの、ソースケ? 秘密にしておくの?」

「いや、それは出来ない。それではマオやクルツ、カリーニン少佐、ひいてはテスタロッサ大佐の信頼を裏切ることになる」

「そうね……」

 テスタロッサ大佐――テレサ・テスタロッサのことを考えると、幸福感に満ちていたかなめの心も重く沈む。

 同じように宗介に恋をした、同い年の、同じ『ウィスパード』……。

 正々堂々の勝負だった。

 自分は東京の日常で、あの娘はメリダ島と戦場で、それぞれ宗介を支えた。

 しかし自分と違い、テッサには軍隊の階級。指揮官と部下という立場の壁があった。

 かなめのように勇気を出すだけでは、どうにもならない高い壁があった。

 だからこそテッサが陣高に短期留学してきたとき、心の底からは彼女が宗介にアプローチするのを邪魔をする気にはなれなかった。

(結果として、予期せぬ突発事態によってかなめが未来に飛ばされてしまったことで、その思いは無駄になってしまったが……)

 でも……。

 

(……ごめん、テッサ。他のことならともかく、こいつのことだけはゆずれないの)

 

「……ソースケ、あたしと付き合い始めたこと後悔してるの?」

 PCを前に本気で悩んでいる宗介を見て、そんなことはないとわかっていながら、聞かずに流せるほどかなめはこなれていない。

 これまでの彼には、軍隊という組織がすべてであったことをかなめは理解している。

「馬鹿な、そんなことは決してない! それは君の完全な誤解だ!」

「…………うん」

 かなめはムキになって否定する宗介を見て、数日前までよく感じていた自己嫌悪に襲われた。

 

(吹っ切れたように思ってたけど、こういう卑怯なところは変わってない……)

 

「正直に話そうよ……」

 それがあの娘への、せめてもの仁義だ。

「わかってる。俺もそのつもりだ、千鳥」

 そもそも、俺は命令違反をしているわけではないからな――と続ける宗介。

「命令書のどこにも、君と交際を禁ずるとは書かれていない」

 そんなことは命令以前の問題だ! ――戦隊副司令のマデューカスならば激高しただろう。

 そしてその後、彼の敬愛する上官にして娘のように溺愛するテッサに悪い虫が付かなかったことに、密かに胸をなで下ろしただろう。

 それから宗介とかなめは二人で報告書の文面をいろいろと考えた。

 これがえらく難しかった。

 二人であーだ、こーだと、悩むこと数十分……。

 

 拝啓 紅葉の候

 皆様におかれましては

 いよいよご清祥のこととお慶び申し上げます

 さて わたしたち相良宗介と千鳥かなめは

 このたび交際をはじめ

 恋人として新しい一歩を踏み出すことになりました

 皆様におかれましては

 これまでとご同様

 なにとぞ暖かい目でお見守りくださいますよう

 お願いいたします。

 

「ど、どーよ、これで?」

「う、うむ、よく書けていると思う」

「結婚式の招待状のテンプレートを改ざんしたんだから、礼は失してないはずよ」

「そ、そうだな」

 通常の報告書とはかなり文体が異なるが、内容が内容だけに、これでいいような気がしないでもない。

「で、では、送信するぞ」

「う、うん」

 宗介がマウスを操作すると、マウスカーソルが送信アイコンの上に移動する――。

 そしてクリック――しようとした瞬間、OSデフォルトの着信サウンドがモノラルスピーカーから鳴り、メールが受信された。

「……む?」

「どうしたの?」

「すまん、千鳥。少し後を向いていてくれ。メリダ島からのメールだ」

「う、うん」

 宗介に言われるままに、かなめは後を向いた。

 いきなり目の前の宗介との距離が開いたように思え、自分たちの関係がある点ではこれまでと何も変わっていないことを痛感した。

 胸の中で、不安が急速に膨らむ。

「なにかあったの……?」

「あ、すまない。もうこちらを向いてくれて構わない」

 宗介はPCの蓋を閉じていた。

「新しい命令?」

「そうなのだが……妙なのだ」

 宗介は顎に手を当てて、小首をかしげている。

「至急メリダ島に戻れと言うことなのだが、理由が一切記されていない」

 普通なら『新たな任務に就くため』……ぐらいの一文は記されているはずだのが。

「それに、何がどうだとは言えないが、ここ最近雰囲気が変なのだ」

「それってメリダ島でのこと?」

「肯定だ」

 宗介の話によると、1ヶ月ほど前からメリダ島の雰囲気がおかしいらしい。

 情報関係の部署が慌ただしく、所属する隊員たちに箝口令が敷かれている気配がある。

 基地内での雰囲気の変化に、兵士たちは敏感だ。

「おそらく上層部レベルで、なにかが起こっているのだろう」

 

(……まさか、あれは関係ないわよね)

 かなめは、ドキッとした。

 1ヶ月ほど前と言えば、自分が1日だけ『未来に飛ばされた』時期と重なる。

 まさか、それがミスリルの上層部に動揺を与えているとは思えないが、妙な符合ではある。

 

「とにかくメリダ島に戻らなければならなくなった。

 千鳥、すまない……その、せっかく君とこういう関係になれたのに……」

 宗介はすまなげな、それ以上に苦しげな表情で、かなめを見た。

「いいよ。あんたがそういう職業に就いてるってわかってて付き合い始めたんだから」

 かなめが微笑む。

 顔で笑って、心で泣いて……。

 付き合い始めた次の日にしばらく彼氏と会えなくなってしまうなんて、普通の女子高生にしたら結講な悲劇だろう。

 でもあたしが付き合っているのは、ただの高校生じゃない。

 傭兵……それも古強者の傭兵だ。

 こんなことは、最初から覚悟のうえだ。

「でも必ず無事に戻ってきてね。付き合い始めて早々に、あたしに未亡人の気分なんて味わわせないでよ」

「もちろんだ」

 宗介はギコチナイ動作でかなめにキスをし、荷物をまとめるとすぐにセーフハウスを出た。

 そして笑顔で恋人を送り出したあと、かなめは身体を半分引き裂かれるような孤独と不安に襲われ、自分を抱き締めた。

 

 

 宗介はセーフハウスを出るとすぐに駅前でタクシーをつかまえ、調布飛行場に直行した。

 チャーターしてあるセスナで八丈島まで飛び、そこからはミスリルの輸送機でメリダ島に向かう。

 飛行中に仮眠を摂るように努めたが、頭にかなめのことばかりが浮かんできて、宗介もまた彼女と同様に寝付くことが出来なかった。

(……東京に戻ったら、千鳥とデートをしよう……初めてのデートを……どこに誘えば彼女は喜んでくれるだろうか……)

 宗介は初めて幸せな未来予想図を描くという行為に没頭した。

 やがて彼を乗せた輸送機は、メリダ島へのアプローチを開始した。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

 メリダ島に到着するなり、宗介は自分ら陸戦コマンドを指揮する直接の上官であるカリーニンにではなく、戦隊司令官のテッサの元に出頭するように指示を受けた。

 カリーニンが別の任務でメリダ島を離れているため、テッサ直々に報告を受けるようだ。

 戦隊司令官の執務室の前までくると、秘書に来訪理由を告げて室内に通される。

「――大佐殿。相良軍曹、参りました」

「ご苦労さまです。サガラさん、楽にしてください」

 テッサは相変わらず穏やかな微笑を浮かべていたが、宗介にはどこかその表情が硬いように見えた。

「はっ」

 テッサの許しを得て、休めの姿勢をとる宗介。

「留学中はお世話になりました。とても楽しかったです」

「いえ、自分こそ大したお世話もできずご不便をおかけしました」

「それで……カナメさんはあの後、変わりありませんか?」

 あの後……というのは、かなめがテッサの留学中に1日だけ失踪したことだろう。

 かなめに理由を問い詰めると、『あんたがテッサばかり構ってるから、むくれて連絡が取れないようにしてたのよ』とのことで、話はそれっきりになってしまった。

 その後の様子がおかしいようならさらに問い詰めるつもりだったが、むしろ以前に増して快活さに磨きがかかり、自分の世話もそれまで以上に親身になってしてくれているので、結局うやむやなままだった。

「問題はなさそうです。むしろそれ以前に比べて精神的には安定しているように見えます」

「そうですか。なにかよいことでもあったのでしょうか?」

 テッサにしても釈然としない。

 あの時の宗介の様子を思い出せば、かなめへの不信感すら募る。

 あの時、宗介は明らかに我を失っていた。

 テッサの身辺警護に心をとらわれてしまったせいで、元々の護衛対象であるかなめを拉致されてしまったのではないかと、自分を責めに責めた。

 側で見ていたテッサはかなめを心配すると同時に、宗介をこんなにも動揺させる彼女に嫉妬心を抑えきれなかった。

 幸い、かなめはすぐに見つかり、どこかの組織に拉致されたような痕跡も見受けられなかったし、それ以降もテッサには親切に接してくれた。

 

(……でも、再び発見されたかなめさんは前日までとどこか違っていた。やはり『囁き』が何か関係しているのかしら? そうだとすれば、それは同じ『ウィスパード』であるわたしにも話せないことなの?)

 

 友だちだと思っていたのに……。

 そんな風に感じてはいけないとは理解していたが、恨めしく思う気持ちがどこかにあった。

 

(……どちらにしても相良さんには新しい命令が出ている。もっとも今の上層部――特に情報部の混乱した状況を考えると撤回される可能性が高いし、伝える必要は今のところないのかもしれないけど……)

 

 現在ミスリル上層部、特に情報部はある組織についての情報収集に忙殺されている。

 組織の名は『アマルガム(水銀)』。

 順安でのハイジャック事件、有明の巨大AS騒動、そして先日のTDD-1シージャック事件。

 そのすべてに暗躍しながら、名前すら判明しなかった組織だ。

 そのアマルガムが1ヶ月前から突然崩壊を始めた。

 組織を構成する要人や企業の名前が『世界同時スキャンダル』として暴露され、一斉にマスコミが騒ぎ始めた。

 マスコミと同調するように各国の司法が動き始め、すでに何人かの逮捕者も出ている。

 ミスリル内部にも同調者が複数名いたことが判明し、即座に身柄を拘束された。

 目下、元イスラエル諜報機関『モサド』の長官だったメイヤー・アミット将軍率いる情報部が全力で、事態の解明および収拾に当たっているが、アマルガムがなぜ突然自壊を始めたのか原因は情報部でもいまだにつかめていなかった。

 わかっているのは、一般人にもその名前が知られている複数の企業の株価が大暴落し、それを引き金として世界同時株安、あらたな金融恐慌が進行中だということだ。

 下手をすると第三次世界大戦につながりかねない、金融恐慌が……。

 テッサにはわかっていた。

 テッサだけには……。

 

(レナードの身に何かがあったのだ……)

 

 アマルガムに身を置いていた、双子の兄のレナード・テスタロッサの身に何かが起こった。

 内部抗争に巻き込まれたか、あるいは彼の方から組織を見限ったのか。

 レナードは自分を含む人間すべてに絶望している。

 当然人間が作った組織などには髪の毛一本ほどの価値も認めていないだろう。

 彼がいざという時のために仕込んでいた『爆弾』が、なんらかの理由によりアマルガム内部で炸裂したのだ。

 

(レナード……兄さん、あなたは一体なにを考えているの? 今、どこで何をしているの?)

 

 聡く賢しいテッサも、レナードの身に起きた異変が1ヶ月前のかなめの失踪を引き起こし、その結果宗介とかなめの関係に劇的な変化をもたらしたことまでは、さすがに思いが及ばない。

 

「――大佐殿」

「……」

「大佐殿」

「……え?」

 思考の沼に沈んでいたテッサを、宗介の声が引き戻した。

「大佐殿、ご気分がすぐれないのではありませんか?」

 宗介が心配げな表情で見つめていた。

「い、いえ、大丈夫です。ごめんなさい、少し考え事をしてました」

 テッサは慌てて取り繕った。

 彼女は普段厳しい宗介が極たまに見せるこういう優しい表情を見るのが大好きだった。

「大佐殿、実はご報告したいことがあるのですが……」

「? なんです?」

「その、任務には直接関係ない……いや、大いにあるか……」

 左頬の十字の古傷を人さし指でかきながら言いよどむ、宗介。

 報告は常に簡潔・明瞭な宗介にしては珍しい。

「サガラ軍曹、報告は簡潔・明瞭にお願いします」

 わざと上官ぶって、テッサが命じる。

「は、はっ! 申しわけありません、Ma’am!」

「ふふっ、冗談ですよ。そんなに言いづらいことなのですか? わたしはこれでもカリーニンさんやメリッサよりも怖くない人間だとは思いますけど?」

「そ、そのとおりであります」

 ゴクリ……と唾を飲み込み、宗介は意を決したように顔を上げた。

「実は――実は自分は現在、エンジェル――千鳥かなめと交際しております! Ma’am」

「………………え?」

「報告書はまだ提出していないのですが――任務には支障ありません! むしろ好都合です! 護衛対象と交際関係になったことにより、常時彼女の側にいる大義名分を得ることが出来ました! これにより今までよりもはるかに厳重に彼女を警護することが出来ます!」

 勢いに任せて一気に宗介は報告した。

「……サガラさんと……かなめさんが……ですか……?」

「は、はっ! その……お恥ずかしい話ですが」

「……そうですか」

 

 あなたは……わたしにそんな顔で……そんな話をするのですね……。

 恥ずかしげな……誇らしげな顔で……そんな顔で……。

 

(……おめでとうって言わなくちゃ……祝福してあげなくちゃ……問題ありませんって言ってあげなくちゃ……)

 

 戦いの中で生きてきたサガラさんが、初めて見つけた恋なのだから……。

 初めて実らせた恋なのだから……。

 お祝いを言ってあげなくちゃ……。

 お祝いを……祝福を……。

 

「……そうですか。ですがそれは残念ですね」

 テッサの口から、本人でも驚くほど冷たい声が漏れた。

「……え?」

「サガラ軍曹、あなたの千鳥かなめさんへの護衛任務を、ただ今を持って解除します」

 この命令は上層部で決定されたことだ。

 アマルガムの自壊で宙に浮いた状態だが、まだ撤回はされていない。

 しかし、あえて今伝えるべき命令なのか?

 それも、こんな高圧的な口調で?

 宗介は、テッサの口から出た言葉の意味を呆然とした表情で聞いていた。

 そしてその意味を理解したとき、狼狽した。

「待ってください! 自分は決して命令違反はしておりません! 自分はただ千鳥と――」

「あなたがプライベートで彼女とどんな関係になろうが、ミスリルとしては関知しません。興味の無いことです」

 突き放す――どころか突き刺さる、テッサの言葉。

「これは、あなたにより重要な任務に就いてもらうために上層部で決定した措置です」

 

(そうだ……これは上層部の決定だ。軍人であるわたしには従う義務がある。そして彼にも。わたしは悪くない)

 

「より重要な任務……ですか」

「『ARX-7 アーバレスト』の操縦です」

「――」

「現状で、ミスリルで運用可能な『ラムダ・ドライバ』搭載機はあれ1機のみで、他の機体を建造する余裕はありません。敵がすでに『ラムダ・ドライバ』搭載機を量産して実戦投入している以上、あなたにはあの機体で我々を守ってもらわなければなりません」

「しかし、それでは千鳥の護衛が――」

「エンジェルの護衛は、情報部が引き継ぎます」

「『レイス』ですか。しかし奴は信用できません! ハイジャック事件の時も、A21の時も、奴は動かなかった! 奴が護衛として不適当との意見書はこれまでにも何度も提出しているはずです!」

「エンジェルの護衛は確かに重要です。ですがそれはあなた以外でも出来ることです。必要ならあなた以外の人員を戦隊から割きましょう。わたしにはわたしに従ってくれる兵たちの命を守る義務があります。わが戦隊にはアーバレストを操れるあなたが必要なのです」

「……」

「あなたが休日に東京に戻りエンジェルと会うのは自由です。ですがあなたは傭兵としてミスリルと正式に契約書を交わし、わたしの指揮下に配属された兵士です。命令には従ってもらいます」

 ミスリルの魔女。

 弱冠16歳にして、ミスリル一個戦隊を統率するテレサ・テスタロッサの凄み。

 初めての恋愛に浮かれていた宗介は、テッサのその凄みに冷水を浴びせられた気になった。

「わたしからは以上です。他に報告がないのなら退室してください」

「…………Yes、Ma’am」

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

「……」

「……ナちゃん」

「……」

「カナちゃん」

「……」

「カナちゃん!」

「……え? なにキョーコ?」

 何度も名前をよばれて、かなめはようやく我に返った。

 休み時間。

 かなめは自分の席で半身をひねり、誰もいない後の席を見つめていた。

「暗いな~、まるでお通夜だよ。なんかカナちゃん、夫を戦場に送り出した銃後の妻って感じ」

 いきなり恭子に核心を突かれてしまいドキリとする。

 未亡人……。

 昨夜、なぜ自分はあんな不吉なことを言ってしまったのだろう?

 自分の言動のひとつひとつが、いちいちあいつの運を逃がしてしまったような気がして、かなめの心は揺れた。

 

(……なんか、『あっちの世界』でいろいろあって、いろいろ見て聞いて。最後はどこの誰だか知らない男の血と脳漿まで浴びて。それで肝が据わったみたいに思ってたけど、こういうところは全然変われてない)

 

「三歩進んで二歩下がる……か」

「へ?」

 

 ガタン、

 

「ごめんね、キョーコ。あたしちょっと電話してくる」

「あ、カナちゃん! もうすぐ5時間目の授業始まっちゃうよ!」

 

(三歩進んで二歩下がる)

 

 かなめは、この学校で1番電波状況のよい屋上へ駆け上がる。

 

(――でも三歩は下がらない)

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

 司令官室を退室後、宗介は格納庫で自機ARX-7(アーバレスト)を見上げていた。

 白地に濃紺の塗装を施された、第三……いや第四世代型強襲機兵。

 

 あの時、俺はたしかに大佐殿に呑まれていた。

 大佐殿のおっしゃったことは正論だ。

 毛一筋ほどの誤りもない。

 ただ学校に通えなくなるだけで、千鳥と別れろと命じられたわけではない。

 休日には会いに行くことが出来る。

 元々、俺は彼女の護衛ではなく囮だ。

 大佐殿は、必要なら俺以外の人員を割くともおっしゃってくれた。

 何も問題はないはずだ。

 

 ――遠距離恋愛は破局する。

 

 千鳥の護衛を解任されたとき、真っ先に浮かんだ言葉がこれだ。

 以前に、クラスの女子たちが話していた。

 戦隊全体の命を預かる大佐殿の重責に比べれば、俺の悩みはなんて矮小なのだろう。

 だが……

 今の俺には切実だ。

 切実なんだ……。

 

 その時、彼の携帯電話が振動した。

 表示された番号を確認するなり、慌てて通話ボタンを押す。

 

「千鳥か、どうした!? なにか問題か!?」

『――ウソ、つながった!』

 携帯の向こう側で響く、逆にビックリした声。

『こっちは大丈夫よ。そっちは?』

「俺か? 俺は……」

 

 俺は……。

 ……。

 問題ある……。

 もう俺には、君と1秒だって離れているのが耐えられない……。

 

『ちょっと、ソースケ聞いてるの? そっちは大丈夫なの? ドンパチしてるの!? 怪我とかしてない!?』

「いや……してない」

『いい、ソースケ! 何があっても絶対に生きて帰るのよ! あんたの帰る場所はこっちなんだからね!』

「俺の……帰る場所?」

『そうよ! あたしたち付き合ってるのよ! 傭兵だろうが、兵隊だろうが、付き合ってる恋人のところに帰るのが当然でしょ! まともに考えて!』

「……千鳥、俺は……」

『ああ、もう! ちゃんと会話を成立させなさいよ! 聞こえてるの? もしもーし!』

 言わなければならないことがあるのに……。

 話さなければならないことがあるのに……。

 言葉にすることができない。

 言葉にすれば、きっと彼女が悲しむ。傷つく。

 いやだ。

 彼女が悲しむ顔は見たくないんだ。

『ちょっとソースケ! 聞いてるの!?』

「……日曜には帰る」

 東京からのかなめの声に、宗介はそう答えるのが精一杯だった。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 ――現在。

 

 メリダ島の夜の訓練場では、今まさに相良宗介とベルファンガン・クルーゾーの私闘の幕が切って落とされようとしていた。

 

『――サガラ・ソウスケ軍曹、カリーニン少佐の話だと君はAS同士の格闘戦(グラップリング)では右に出る者はいないようだな。お手並み拝見といこうか?』

 

(……言ってろ)

 

 開始30秒でアーバレストはファルケ(漆黒のM9)に翻弄されていた。

 いや、宗介がクルーゾーに――だ。

 ほとんど蹂躙と言っていいような、一方的な私闘だった。

 機体のパワーは互角。

 テクニックも、宗介が大幅に劣っているわけではない。

 だが……。

 機体の動きが、ファルケが『人間』ならアーバレストは『人形』だ。

 

(強い……!)

 

 宗介は慄然とした。

 まさか、ここまで差があるとは。

 アフガン以来7年もの操縦経験がある俺が、まるで子供扱いだ。

 

『思った通り、2流の操縦兵(オペレーター)だ』

 数合の打ち合いのあと、ファルケの外部スピーカーからクルーゾーの失望した声が聞こえた。

『君の戦い方は、(スキル)ではあっても(アート)ではない――この違いがわかるか?』

 

 そんなものがわかるか!

 人殺しのやりかたに、スキルもアートもあるか!

 

『こんなじゃれ合いでは、見えもしないか』

 

『この際だ、真剣勝負といこうじゃないか』

 ファルケが自身が持つグルカナイフ型のIMI<クリムゾンエッジ>単分子カッターから、保護ペイントカバーを捨て去る。

 

『警告、α1が単分子カッターを駆動させています』

 アーバレストの戦術支援AIのアルが、淡々と警報を発する。

 

(本気か?)

 

 (ファルケ)が飛翔する。

 最初の一撃で、宗介の単分子カッターはへし折られた。

 受け損なったわけではない。

 ちゃんと力を受け流すように刃を合わせたはずだ。

 それなのに、アーバレストのジオトロン・エレクトロニクスGRAW-2単分子カッターは、刀身の中ほどから折れ飛んでしまった。

 

「……くそっ」

 ファルケによる、アーバレストの蹂躙は続く。

 致命傷を負わないようにするだけで精一杯だ。

 吸収機構で相殺しきれない衝撃が、見る見る宗介の体力を奪っていく。

 

『……醜いな。まったく醜い』

 ファルケが、倒れ込んだアーバレストを睥睨する。

『不器用で、強引で、柔軟さの欠片もない』

 外部スピーカーから響く、クルーゾーの侮蔑の言葉。

『立て、軍曹。その機体のすべてを引き出してみろ。わかるか、すべてだ』

 

 くっ、せっかく千鳥と通じ合えたと思えたらこれだ!

 せっかく勇気を出して彼女に気持ちを伝えたというのに!

 ……。

 伝えた……だと?

 俺が何を伝えたというのだ……?

 勇気を出してくれたのは千鳥だ。

 キスをしてくれたのも、交際を申し込んでくれたのも、すべて俺ではなく千鳥だ。

 俺はまだ何もしていない!

 

 宗介の中で燻っていた感情が、ようやくそれをぶつけるべき対象を発見した。

 燻りは怒りとなって燃え上がり、ぶつけるべき対象――宗介自身を叱咤する。

 

 千鳥、俺はこんな方法でしか君への想いを形に出来ない男だ。

 だが、それでも俺は君の側にいたい! 君の元へ帰りたい!

 

「――アル、使うぞ! 『ラムダ・ドライバ』を!」

『ラージャ』

 

 アーバレストの肩部および背面が解放され、作動音と共に輝く粒子が放出される。

 

 そして――形勢は一気に逆転した。

 ファルケの放つ攻撃はすべてアーバレストの斥力の障壁に弾かれ、虹色のきらめきを残すだけに終わる。

 格闘の防御技術もクソもない。

 宗介はイメージするだけで、クルーゾーの攻撃をすべて無力化してしまうのだ。

 元々戦場で生まれ育ってきた宗介は、超現実主義者だ。

『見えない壁が単分子カッターを弾く』なんてふざけたイメージを頭に浮かべるなんて出来るわけがない。

 戦場でそんな夢想をしていたら、真っ先に死ぬ。

 彼に明確にイメージできることは、ひとつだけ。

 

『――生きて千鳥の元に帰る!』

 

 必要だったのは、不可視の壁が単分子カッターを弾くイメージではなかった。

 なぜ不可視の壁が単分子カッターを弾く()()()()()()()――そのイメージだった。

 宗介の脳裏には、白く輝く千鳥かなめの姿があった。

 ラムダ・ドライバは確実に作動した。

 

 

「――そこまでです、サガラさん! もう充分です!」

 西太平洋戦隊司令センター――TDDーHQにテッサの悲鳴が響いた。

 ラムダ・ドライバの発動が確認され、そのデータが取れた以上、この『演習』の目的は達した。

 これ以上の戦闘は不要だ。

 このままでは、本当に死人が出てしまう!

 元々この私闘は、ラムダ・ドライバを扱いきれない宗介に対するショック療法として、着任早々のクルーゾーの提案によって計画されたものだ。

 それをテッサが許可し、実行された。

 酒場で宗介にケンカをふっかけ、彼を窮地に追い込み、潜在能力を解放させる。

 HQにはアーバレストに取りつけられた中継装置から刻々と各種データが送信されてきていて、技術士官のレミング少尉が逐一チェックしている。

 宗介は体のよいモルモットにされていたわけである。

 テッサは思わずにはいられない。

 あの時、宗介があんな誇らしげな顔でかなめとの交際を告げなければ、自分はこんな乱暴な計画に許可など与えなかったのではないか。

 自分は失恋の八つ当たりとして、彼を危険に追い込み、彼に取り返しのつかない罪を犯させようとしているのではないか――いや、実際にそうなろうとしている。

「お願い、やめてサガラさん!」

 

 

「無理です。今の彼は集中力の鬼です。彼にはもうこれは演習ではありません。生きるための戦いです。我々は寝た子を起こした」

 クルーゾーは、通信機越しにテッサの甘さを指摘した。

 そもそも最初からこれは、そうすることが目的のはかりごとだったはずだろうに。

 牙持つ相手を生き死にの際まで追い込んで、目論みどおり『魔法』が見られたら、はい、それまで。

 そんな虫のいい話があるわけがない。

 人を呪わば穴二つ――だ。

 日本語に造詣の深いクルーゾーは、ファルケのコクピットで腹をくくる。

 

 ――俺にとっても、これは生きるための戦いだ。

 

(現状の戦力比は1:8、いやそれ以上の開きがある!)

 

 クルーゾーは体勢を立て直すため、丈高い熱帯雨林に機体を移動させる。

 密林が視界を遮り、夜の闇とともに漆黒のファルケを包み込む。

 以前テッサが、マオとの模擬戦で使った戦術だ。

 機体を静止させ、スリープ。あらゆるノイズの発生を抑制し、隠身に徹する。

 音響索敵から身を潜め、機会をうかがう。

 

(不意を突くしかない。あの障壁はサガラのイメージによって形成される。奴がイメージするよりも早く、予期せぬ攻撃をくわえてその一撃で倒す)

 

 だが、どう一撃する?

 コックピットを破壊すればサガラを殺すことになり、ミスリルは『ラムダ・ドライバ』を起動できる唯一のオペレーターを失うことになる。この任務は失敗だ。

 同様にパラジウム・リアクターなどのASの急所も論外。あの機体を失うわけにはいかない。

 手加減はできない。

 そんなことをすれば、次の瞬間こちらがバラバラになっている。

 

(一撃で、サガラの意識を刈り取るしかない)

 

 クルーゾーには、その手段があった。

 

 アーバレストが跳躍。

 高い位置から、こちらの位置をつかもうと言うのだろう。

 

(冷静さを失ったな、サガラ!)

 

 AS戦はジャパニーズ・アニメーションではない。

 三次元機動は諸刃の剣だ。

 空中にいるとき、ASはその最大の長所である機動性を発揮できない。

 熱帯の樹木をなぎ倒しながらアーバレストが着地する瞬間、サガラの意識を刈る。

 位置取りは、こちらが有利。

 アーバレストはこちらに背を向けて着地する。

 間合いを計り、クルーゾーが動く!

 闇夜の鷹が、白き獲物をそのかぎ爪でとらえる!

 ――かに見えた瞬間、アーバレストが樹木の()()()()に再跳躍した!

 

「――なんだと!?」

 

 クルーゾーに広がる『驚』の感情。

『驚』は突発的な感情だ。

『怒』や『怖』と違って精神修養だけでは抑えることができない。

 もはや、クルーゾーは丸見えだ。

 

(掌で遊ばれた!)

 

『驚』は『恐』へと変化、ファルケの動きを止める。

 しかし、ベルファンガン・クルーゾーとて練達の戦士だ。

 死地に身を置けば置くほど、身体は無意識の反応を示す。

 破滅が訪れるよりも早く『恐』の感情は打ち消され、ファルケの足が大地を蹴る。

 強力なマッスル・パッケージが慣性を上回る力を発揮し、黒い機体は後方に飛び退った。

 アーバレストが半瞬前にファルケがいた空間に拳を打ち下ろす。

 大量に雨を吸った熱帯の柔らかい泥土が、半球形状にヘコみ込む。

 

(なぜ、指向性の斥力波を撃たない?)

 

 貴様なら撃てるはずだぞ。

 あのヴェノムのようにな。

 グラップリング(格闘)での決着にこだわってるのか?

 

(らしくないな、サガラ。獲物を前に舌なめずりは2流どころか3流のすることだぞ)

 

 何を馬鹿正直に、俺の敷いたレールに乗り続ける?

 戦士の矜持か?

 それとも俺の言葉の暗示にかかっているのか?

 ならば、まだつけいる隙はあるぞ。

 

(たとえ俺の奥義でも、物理的な力である以上あの魔法の壁は破れない)

 

 だが純粋な動きの速さなら、クルーゾーに分がある。

 アーバレストはラムダ・ドライバを搭載している分、モデルとなったM9ガーンズバックよりも若干機動が重い。

 ガーンズバックと同系列の機体であるファルケもまた同様だ。

 ファルケとアーバレストは対峙したまま、互いにSideling(横歩き)で密林を出た。

 

(奴が拳に斥力波を込めて打ち出すのに合わせて、後の先を取る)

 

 いくらサガラでも、自分が殴りかかる瞬間に防御のイメージはまとえまい。

 ASを手足のように扱う自在さなら、自分に一日の長がある。

 奴が勝っているのは、あの魔法を使えるということだけだ。

 

(――来てみろ、サガラ! お前にAS戦の神髄を見せてやる!)

 

 対峙する漆黒のファルケと、白きアーバレスト。

 アーバレストの右拳が、虹色の輝きをまとう。

 音が――消える。

 周辺の野生動物の鳴き声も、風の音も、太平洋の海鳴りさえもはるか遠くにかき消えた。

 数秒の対峙のあと、両機が同時に動いた。

 マッスル・パッケージの爆発的な瞬発力が、半瞬の間にゼロ距離まで黒と白の機体を接近させる。

 

()った!)

 

 ファルケの掌底から勁が発せられ、アーバレストの胴を抜き透す!

 その瞬間、クルーゾーは見た。

 アーバレストの拳に、斥力の虹色の輝きがないことを。

 ならば、あの魔法はどこに?

 刹那、ファルケが吹き飛ばされ、全身がバラバラになるような衝撃がクルーゾーを襲った。

 いつのまにかアーバレストの周辺に形成されていた球形の疑似斥力の壁が、瞬間的に膨張したのだ。

 いや、それはもう『壁』とは呼べない。

 自身を守るのと同時に侵してきた敵を粉砕する、『陣』。

 ラムダ・ドライバを使った宗介の攻防一体の秘技が、クルーゾーが極めた東洋の武術を打ち破ったのだ。

 

 アーバレストが行動不能になったファルケに近づく。

 

 

「まさか、トドメを刺す気か!?」

 

 表情を強ばらせるマデューカスの横で、テッサは黙ってモニターを見つめていた。

 

 

 アーバレストが至近でファルケを見下ろす。

 

『これはもうナンセンスだぞ、軍曹』

 ファルケの外部スピーカーから、クルーゾーの疲れ切った声が響いた。

『よい訓練でした、中尉。またお願いします』

 宗介の冷静な声が、アーバレストの外部スピーカーから漏れる。

『ああ、いつでも揉んでやる』

 

(人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られてなんとやら……か)

 

 クルーゾーは気力が欠片もなくなった胸の内で呟いた。

 

(馬に蹴られなかっただけ、まだましか……)

 

 

「アル、今作動したな」

『肯定』

「動いたり、動かなかったりデタラメな装置だ」

『ですが、今後は必ず作動するでしょう』

「少しは問題が解決した。そういうことだろうな」

 ……いや。

 まだだ。

 まだ、肝心な問題が解決していない。

「――”TDDーHQ”、こちら”ウルズ7”」

 

 

「こちら”TDDーHQ”、”アンスズ”です」

『――大佐殿、サガラ軍曹です。お願いがあります』

「なんでしょう?」

『自分の契約の見直しについてです』

 宗介の声は、静かだが揺るぎなかった。

 テッサには、半日前に司令官室で話した彼とは別人に聞こえた。

『アーバレストには乗ります。いえ、乗らせてください。

 その代わりに、今までどおりエンジェルの護衛を自分に命じてください。学校にも通わせてください。

 その間の報酬はなしで結講です』

「……それは脅迫ですか?」

 テッサも動じない。

 宗介とテッサは階級の差を超え、ようやく同じ舞台に立って対等の会話をしているのだ。

『俺はミスリルに人生まで売った覚えはありません。受け入れていただけなければ、自分は違約金を払って隊を去るのみです』

 そして宗介は、自分の想いを明確にテッサに伝えた。

『は帰巣本能にしたがって帰るべき場所に帰ります』

 沈黙が、宗介とテッサを支配した。

 様々な感情がテッサの中を走り去る。

 上官と部下。

 命じる者と命じられる者。

 男と……女。

「……わかりました。あなたの要望に沿った新しい契約書を用意しましょう」

『感謝します。大佐殿』

 回線が閉じられ、通信が終了した。

 

 

「……よろしいのですか、これで?」

 マデューカスはいたわりのこもった声でテッサに訊ねた。

「……神の御使いたる天使は『地獄でもがく者に手を差し伸べ、そこから救い出せる』と伝承にあります」

 前髪で表情を隠して、テッサが答える。

「……神の慈悲にすがるわたしたちに、どうしてその行いの邪魔をすることなどできましょう」

 

 ――本日の演習は、これまでとします。

 

 顔を上げて退室するテッサに、司令センター要員の全員が立ち上がり、敬礼した。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

「そう……あいつが人生って言ったのね」

「……はい」

「……」

 テッサの私室で空になった缶ビールをもてあそびながら、メリッサ・マオは感慨に浸った。

 人生……それは先日のイタリアでの作戦のおり、彼女が宗介に投げつけた言葉だった。

 あの時、自分は宗介にこんな意味のことを言った。

 

『あんた、人生設計とか考えてるの? 任務とか命令とか、そういう方便に逃げてない?』

 

(そっか……あの朴念仁がそこまで言ったか)

 

 出来の悪い弟のように思っていた宗介だが、少しは成長したようだ。

 マオは嬉しくもあり、そして自分でも驚いたが、ほんの少し寂しかった。

 でもその寂寥感は、一回り離れた目の前の親友とは比べものにならないだろう。

 

「わたし……サガラさんに嫌われてしまいました」

「それはないと思うけどね~」

「いえ……絶対に嫌われました」

 自己憐憫と自己嫌悪の塊になっているテッサ。

 派手な失恋をしたときは泣いて飲むのが一番だとマオは思っていたが、この不器用な友人はそのどちらも出来ない。

「なんであんな言わなくてもいいことをいってしまったか……」

 あんなことさえ言わなければ、たとえ失恋したとしても、まだ友人として付き合えたのに……。

「それが若さってもんでしょ」

「……慰めになってません」

 どんよりウジウジ悩むテッサ。

 一個戦隊の戦力を束ねるミスリルの魔女といえど、その素顔は恋に悩み傷つく16歳の少女なのだ。

 

 その時、司令官私室のインターホンが鳴った。

 

「は~い、どなた?」

 膝の間に顔を突っ込んでるテッサに変わって、マオがインターホンに出る。

 

『相良軍曹です』

 

「サ、サガラさん!?」

 ガバッと顔を上げるテッサ。

 泣きたくても泣けず、自分が泣き腫らした目をしていないことに感謝した。

 髪と衣類を整えて、指揮官然とした雰囲気を演出して、ドアを開ける。

「ご休息中、失礼します」

「……どうしました?」

「自分はこれより東京に戻り、再び千鳥かなめの護衛任務に就きます」

「……そうですか」

 

 そんなこと、わざわざ言いに来なくてもいいのに……。

 テッサは、宗介の律儀さが恨めしかった。

 

「ですが出発する前に、どうしてもあなたに伝えたいことがあります」

 宗介が、あの生真面目で真摯なまなざしで、テッサを見た。

「大佐殿は恋愛に浮かれていた自分に、戦士としての有様を示してくださいました。自分は大佐殿となら、ともに『戦士の回廊』を歩めます」

 

 ああ……この人は……鈍感で……野暮で……本当にどこまでも信頼できる……最高の……部下だ。

 

「ありがとう、サガラさん。それは、わたしがあなたに言われて……一番嬉しい言葉です」

「では、失礼します。ご休息のところ、申しわけありませんでした」

 宗介は敬礼すると踵を返して、八丈島行きの輸送機が待つ格納庫に向かった。

 その背中を見送りながら、テッサの肩が細かく震え始める。

 やがてずっと求めていた涙が、せきを切ったようにあふれ始めた。

 

「飲もっか、テッサ」

 

 たった今ひとつの恋を終えた親友を見つめるマオの目は、どこまで優しかった。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

 もうすぐ。

 もうすぐだ。

 かなめは、さっきからリビングの時計ばかり見ている。

 先ほど宗介から連絡があり、今調布の飛行場に着いたらしい。

 これからタクシーを拾って戻るそうだ。

 それ以来、かなめはもうソワソワと何も手に付かない。

 PHSを片手に、宗介の番号にダイヤルする誘惑に必死に耐えている。

 キッチンのレンジには、大鍋に入った作ってから2日目のカレーが鎮座している。

 ごはんも炊きたて。

 ナーンも買った。

 ついでにお風呂にも入って下着も替えた。

 やるべきことは、すべてやった。

 そのまま、永遠に思えるような時間が過ぎた。

 チャイムが鳴って、かなめはつんのめるように玄関に走った。

 ドアを開けると、そこに野戦服姿の宗介が立っていた。

 

「……今帰った」

「うん」

 

 ソースケだ。

 ソースケが無事に帰ってきてくれた。

 肩に兵隊用の大きなザック。

 自分のセーフハウスにも寄らず、直接あたしのところに帰ってきてくれた。

 かなめは、喜びと感激と安堵のない交ぜになった思いに揺さぶられ、涙ぐんだ。

 

「お帰り……ソースケ」

「ただいま……千鳥」

「ソースケ、あんた……今ただいまって」

 涙に潤んだかなめの瞳が、驚きに見開かれる。

『戻った』とか『帰った』とかは言っても、今まで『ただいま』とは言わなかった。言ってくれなかった。

 それが……。

「ここは……俺の帰る場所()だからな」

「こ、こ、このやろ~! あんたはまだうちに婿入りしたわけじゃないわよ!」

 喜びと、気恥ずかしさと、そしてやっぱり喜びのヘッドロック。

「そ、そういう意味で言ったのでは……」

「わかってる! わかってる! さあ、荷物を下ろして手を洗ってきて。ご飯できてるから」

「ふむ、この匂いはカレーだな」

「正解、しかも作ってから2日目のカレーよ」

「千鳥」

「なに?」

「ヘッドロックを解除してくれんと、手を洗えないのだが」

「う、うはははは! こりゃ失敬!」

 

 かなめは宗介の首から腕を放すと、彼の顔を穏やかに見つめた。

 

「……ソースケ」

「なんだ、千鳥」

「……なんだか、すこし大人っぽくなったね」

「……え?」

「なんでもない。さ、食べよ、食べよ」

 かなめは宗介の手を引き、彼らの食卓に向かった。

 

 渡り鳥は長い放浪のすえに、ようやくその傷ついた羽を休められる場所を見つけた。

 

End of Episode.




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