フルメタル・パニック! その後の2人   作:Deetwo

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前回から引き続きのエピソードとなります。

ご一読いただければ幸いです。


vs. (2)

 翌日。

 千鳥は、普段と同じ7時に目が覚めた。

 低血圧なうえ、昨夜いろいろ考えてなかなか寝付けなかったのに、妙に覚醒している。

 見慣れない天井に、見慣れない部屋。

(……昨日のことは、やっぱり夢じゃなかった)

 妹あやめのベッドで上半身を起こしながら、千鳥はふぅ……と嘆息した。

 ここが自分の部屋の自分のベッドだったら、最高の夢だったのになぁ。

 どうやら『良夢』は続いているらしい。

 ――よし、起きる!

 ピシャピシャと頬をたたくと、千鳥は気持ちを切り替えた。

 覚めない悪夢にうなされ続けるより、よっぽどいいわ。

 ここは腹をくくって、あたしのバラ色の同棲生活とやらを、じっくり見学してやろうじゃない。

 取りあえずシャワー、シャワー。

 

 

 千鳥が妹の部屋からリビングに出ると、ダイニングテーブルに宗介がすでに着いていた。

「……あ」

「起きたか、千鳥。おはよう」

 宗介が手にしていた英字新聞から顔を上げた。

 白と濃紺のストライプのサマーニットに、青のジーンズ。

 長い脚を組んで、コーヒーカップを手に新聞を読んでいる。あのソースケが。

 これが自分の知っている16歳のソースケだったら、

『……あんた、そのあざとい姿はなに? なんかの寸劇?』

 と、顔が引きつっていただろう。

 しかし目の前の20歳のソースケは、その姿がごくごく自然で絵になっている。

「……」

 昨晩に続き、またもやポーッとしてしまう千鳥。

「まだ目が覚めてないようだな。コーヒーを飲むか?」

「う、うん、大丈夫。先にシャワー浴びるから。あの、あたしは?」

「君はまだ寝ている」

 どこか楽しげに、宗介が答える。

 どうやら、その変な日本語の会話を楽しんでいるようだ。

「君が朝弱いのは変わらない」

「あははは……どうもそうみたいね」

 どうにもソースケに圧倒されている気がする。

「でも、ソースケ早いね。いつもこうなの?」

「だいたい、君よりも2時間早く起きるようにしている」

「2時間!?」

「ああ、ロードワークと筋トレ。シャワーに朝食の準備と、それぐらいの時間は必要だ」

「ちょ、朝食の準備まで……」

「君は放っておくと、朝はコーヒーだけですませてしまうからな」

 今度こそマジで圧倒された。

 ちょっと19歳のあたし。隙見せすぎじゃない?

 食事の支度まで任せちゃったら、あたしの立場がないじゃない。

 そもそも、宗介は几帳面で生真面目な性格だ。

 食事はもちろん、掃除洗濯、その他家事全般、覚えてしまえばなんでもこなせてしまう下地はあった。

「問題ない。昼食と夕食の支度は君がちゃんとしてくれているし、君が作る方が断然うまい」

 宗介が安心させるように言った。

(……ソースケが、ちゃんとあたしの表情を読んでくれてる)

 千鳥は胸の奥がジンとして、目頭が熱くなった。

 もうこの世界のあたしはソースケを見て、あの痛々しくて、切なくて、抱き締めたくなる思いをしないでいいんだ。

 それは少し寂しい気もしたが、それ以上に嬉しかった。

「……」

「? どうしたの?」

「いや、16歳の君のパジャマ姿を見るのはもしかしたら初めてだと思って」

「……え?」

 そう言われて、千鳥はまだ自分が着替えを済ませていないことを思いだした。

 急に恥ずかしさを覚えて、バスルームに駆け込む。

 

 

 シャワーを浴び、着替えと軽いメークをすませて、千鳥はリビングに戻った。

 服は昨夜のうちに、19歳の自分と選んでおいた。

 当たり前だが今の自分の趣味よりも大人っぽい。

 まだ母親が生きていたころ、こっそりその服を着てみたときのことを思い出す。

「ど、どうかな?」

 千鳥は気恥ずかしげに頬を染めて、キッチンで朝食の準備をしていた宗介にたずねる。

「似合っている。ぐっと大人っぽくなったようだ」

 フライパンを上げながら振り向くと、宗介が褒めた。

「えへ、そ、そうかな。ありがとう」

 まったくコイツめ、お世辞を言うことを覚えやがった。

 でも、まんざらでもない。

 なんといっても、千鳥はずっと宗介にこういう態度を取ってもらいたかったのだから。

「もう一人の君はまだだが、先に食べよう。腹がすいた」

「いいの?」

「昨夜ベッドで、起きてこなかったら先に食べていいと言われている」

「ベ、ベッドで……」

 自分と宗介の匂い立つようなシーンが、千鳥の頭に浮かぶ。

「問題ない。昨日はそういうことはしていない」

「う、うはははは……な、なんのこと?」

 またもや表情を読まれてしまった。

 あたしってば、もしかしてソースケに子供扱いされてる?

 それはそれで、ムカつくような、頼りがいがあるような……。

 宗介が作った朝食は、スクランブルエッグとウインナーソーセージ。トマトとレタスとキュウリのグリーンサラダ。厚切りトースト。絞りたてのオレンジジュースに、コーヒーor紅茶というものだった。

「簡単な物で申し訳ないが」

「そんなことないよ。すごいよ、ソースケ。あのソースケが作ったとは思えない」

 とても干し肉とカロリーメイト(フルーツ味)オンリーだった軍曹が作ったとは思えない。

「食事を取る楽しみは、君が教えてくれた」

「そ、そうだっけ? う、うはははは……それじゃ、いただきます」

 気恥ずかしさを笑いでごまかすと、千鳥はストレートのブラックティーを一口すすった。

 ふんわりしたスクランブルエッグをフォークで口に運ぶ。

「どうだろうか?」

「うん、美味しい。よくできてる。でもちょっとお塩が足りないかな」

 昨夜ご馳走になった料理もそうだったが、美味ではあったがどれもみな薄味だった。

 濃い目の味付けが好きな千鳥にすると、ちょっと物足りなくもある。

「あ、ああ、ちょっと事情があって、今は減塩嗜好(しこう)なのだ」

 宗介はまさか、被弾によって自分の肝臓その他の臓器が一部欠損していて、生涯食事制限が必要になってるとは言えない。

「ふうん、健康に気を使ってるんだ」

 見ると、しょうゆも減塩、バターも減塩。かじってみればウインナも減塩だった。

 結講、徹底している。

「そ、そう思ってくれて問題ない」

 見えないところで脂汗を流す宗介。

 人の表情の変化が見て取れるようになり、世辞も言えるようになったが、嘘やごまかしが苦手なのは変わらない。

 幸いにして千鳥は食事に意識を奪われていて、宗介の微妙な変化には気づかなかった。

「でも、それってすごくいいことだと思うよ。前のソースケって、自分の身体を取り換えがきく機械みたいに考えてるみたいで、見てるこっちが怖かったから」

「それは……すまなかった」

「ほんとよ。ああ、もう。帰ったらとっちめてやる」

 スクランブルエッグに食塩を振りかけながら、千鳥がブツブツこぼす。

「でも、今のソースケはとってもいい感じだよ。表情も穏やかだし、服のセンスもいいし、すごく雰囲気がよくなった」

「服は君が選んでくれた物だ。俺は相変わらず服飾品にはうとくて」

 視線をそらして頬をかく宗介。

 照れたときの彼の癖だ。

 こういうところはやっぱり変わってない。

 千鳥はなんだか嬉しくなった。

『おはようございます、軍曹殿。おはようございます、ミズ・チドリ』

 その時、リビングのラップトップPCから電子音声が響いた。

「あ、おはよう、アル」

『ミズ・チドリ。あなたに耳寄りな情報をお教えします。軍曹殿のその服はわたしの以前の身体と同じカラーリングです』

「偶然だ」

『いえ、偶然ではありません。あなたの婚約者のかなめ嬢は、軍曹の好みをわかっていてその服を選んでくれたのです』

「状況を自分の都合のいいように解釈するな。それでも戦術支援AIか」

『軍曹、今のあなたのような態度を世間では「ツンデレ」といいます』

「俺はお前にデレたりなどしていない!」

「あはははは! ほんと、そういうところは変わってないわ!」

 千鳥は腹を抱えて笑った。

 もうなんか嬉しくてたまらない。

 なにこの世界、最高じゃない。

「でも、あなたたちって、そんなに仲良かったっけ?」

 千鳥が知っているのは、夏休み中に起きた『TDDー1 トゥアハー・デ・ダナン』のシージャック事件までの宗介とアルだ。

 あの時の宗介は、アルに対して信頼とはほど遠い嫌悪感と拒否感を抱いていた。

『軍曹とわたしが信頼関係の醸成に成功するのは、「1998年の10月後半」以降になります。ですからそれ以降であれば、そのカラーリングの品をプレゼントするのは、軍曹に対する有効な戦術となり得るでしょう。それ以前では逆効果です』

「ありがとう、覚えておく」

 笑いが治まりきらず、クスクスと笑いながら千鳥が目尻の涙を拭った。

「う~ん、なんかこれじゃしばらく元の世界に帰りたくないかも」

『そうなのですか?』

「うん、だってここって平和で楽しすぎるし、しばらくいてもいいかなって――あ、もちろんあなたたちさえよければだけど」

「俺は問題ない」

『わたしもです』

「――でもそれじゃ、あんたがいない間に、テッサがあっちの宗介とくっついちゃうかもよ」

 その時、もうひとりの『千鳥かなめ』が起きてきた。

 ボサボサの髪。

 スエットの上下。

 がに股。

 大あくびをしながら、おまけにお腹をポリポリと掻いている。

「うー、ねみぃ……」

(あ、あんた、だから隙見せすぎよ)

 千鳥がそんなかなめを見て、ピキッ……と固まった。

 宗介がこんなにも格好良く魅力的な男性になってるっていうのに、肝心のあたしがなんでそうなのよ!

 逃げられるわよ! 他の女に取られるわよ!

 昨夜見た母さんに似たあたしはどこに行ったのよ!

「ソースケ……コーヒー……」

「ほら」

「ぁりがと……ぶは~、これ飲まないと、シャワー浴びる気にもなれない」

「ちょ、ちょっと19歳のあたし。今言ったのってどういうこと? 昨夜の話じゃ、あたしは絶対元の世界に帰れるんでしょ?」

 昨夜の夕食後、千鳥はかなめから、未来が変わってしまう危険があるので詳細は話せないが、自分は必ず元の世界に帰れると告げられていた。

「うん、詳しい理由は言えないけど、それは確実」

 まさかあんたが、あの世界を構成する因果律で守られた『かなめ』(特異点)だとは言えない。

 少なくとも、一度は『ソフィア』と共振して『ウィスパリング』となるまでは、千鳥かなめは絶対に元の世界から消えることは出来ないのだ。

「それじゃどうして」

「問題は、『いつ』戻れるかなのよ」

「?」

「すでにこっちにきて一晩たっちゃってるわけでしょ? もしかしたらあんたがいた元の世界でもそうなんじゃないかってこと」

「……つまり、この世界に長くいればいるほど、向こうの世界でも時間が流れちゃうってこと?」

「ちゃんと計算してないから、まだ確実とは言えないんだけど」

「ちょ、そんなの困るわよ!」

 かなめの言葉に、千鳥が蒼くなる。

 19歳の自分が言ったとおり、あっちの世界では今テッサが宗介と一緒にいるのだ。

 あたしがいなくなったら、彼女がどういう行動に出るかなんて火を見るよりも明らかだ。

 まぁ、実際にそういう事態になっているなら、宗介は大慌てで千鳥を捜しているはずだし、テッサも協力しているはずだ。

 二人がいきなり急接近してくっついてしまうなんてことはないだろうが、この世界に何日もいたらわからない。

 千鳥は恋する少女だ。

 真っ先にに想像してしまうのは、それだった。

「身体ごと向こうに送り返すとすれば、どうしてもそうなっちゃうのよねぇ。でも精神だけ送り返すのなら、もしかしたらあんたがこっちにきた瞬間に入れ替わる形で戻れるかも……あ~、ダメ。シャワー浴びないと頭が回らない」

 んじゃ、ちょっくらひとっ風呂……と言った感じで、かなめがバスルームに消えていく。

「し、心配するな、千鳥。かなめはあれでも世界一の物理学者だ。必ず君を元の世界に戻してくれる」

「戻れなかったら、あの女を殺して、あたしが成り代わる……」

 ゴゴゴゴゴッ! と炎立つ千鳥の闘気に、宗介は、

(……千鳥、それは非常に……よくない……)

 と、壁に張り付いた。

 

 

 シャワーを終え、着替えてとメークを終えたかなめは、さすがにシャキッとしていた。

 知的で、快活で、行動的。

 若さと美貌と躍動感にあふれる姿に、これこそ自分の正当進化形だと千鳥は少し安心した。

「ソースケ」

 かなめが焼きたてのトーストを囓(かじ)りながら、宗介に呼び掛けた。

 リビングのラップトップPCで何やら作業を始めようとしてる。

「なんだ、かなめ」

「今日、あたしと一緒に出掛けててくれる? 出来れば夜まで戻らないでいてくれると助かる」

「了解だ」

 自分の婚約者が本気モードに入っていることを見て取り、宗介は即座に了承した。

「あ、あの、いきなりどういうこと?」

「ちょっと一人で今回のことをいろいろ考えてみたいのよ。向こうに戻ったときのために、デートの予行演習だと思っていってきて」

「デ、デ、デート……」

「そそ、ソースケとはまだだったでしょ」

(くっ……年上の余裕……ええ、そうよ。悪うござんしたね。あたしはまだソースケとデートしたことないわよ。南の島で30分釣りしただけよ。でもアンタだってそうだったでしょうが!)

「キスまでならゆるすわよ」

 ――ガチン!

「言ったわね……どうせあたしにはできないとでも思ってるんでしょ。後悔しても知らないわよ」

「……後悔はしないわよ、絶対に」

 千鳥と宗介に背を向けたかなめが言った。

 ラップトップPCに置いていた指の動きが止まっている。

「ただし……それ以上『変なこと』したら、ソースケ、わかってるわね」

「き、君の期待は裏切らないと約束する、かなめ」

「んじゃ、行ってきて」

 

 

「ちょっとソースケ、あんた『彼女教育』ができてないんじゃないの!」

 マンションを出るなり、千鳥が宗介に噛みついた。

「う、うむ……しかし、あれでも彼女はとても『いい人』なのだ」

「なによそれ。完全に尻に敷かれているじゃない。情けないわね! だいたいアンタは女ってものに免疫がなさ過ぎるのよ! 女に対して、ファッキン・ガッツが足りないのよ! ファッキン・ガッツが!」

 この会話は……明らかに変だ。

 なにかが決定的に狂い、論理が破綻し、議論が混迷を来している。

 そうは思うものの、宗介が口に出したのは別の言葉だった。

 この会話を続けていても、千鳥の機嫌は直らない。彼は3年前の彼ではない。

「とにかく、今日は俺が君をエスコートする。せっかくのデートなんだ。気持ちを切り替えて楽しもう」

 ドキ!

(ああ……ブーメランしちゃった。免疫がないのあたしの方だ……)

 千鳥は顔を真っ赤にして、宗介にギリギリ触れない距離で歩き出す。

(それにしても……)

 横目でチラリと、頭ひとつ高い宗介を見上げる。

 変われば変わるもんね。

 身長も伸びてるし(これなら腕にぶら下がるやつとかも出来る? ……ちょっとやってみたいかも)。

「どうした、千鳥?」

「う、うん、ソースケ、背が伸びたなーって思って。何cmくらいあるの?」

「この間スーパー銭湯とやらで図った時には、180cmちょうどだったな――それがどうかしたのか?」

「ううん、別に」

 まったく3年でこんなに見違えるようになるなんて。

 さっきから中高大学、OL問わず、視線引きまくりじゃない。

 服のセンスもいい感じだし。

 19歳のあたしは、たしかに男をプロデュースする才能を開花させたのかも。

 あ、でも……。

「ソースケ、いろいろ見違えるようになったけど、髪型はあんまり変わんないだね」

「これか?」

「そそ、見慣れたザンバラ髪」

 これにはちょっとホッとする。

「これは変わらず君に切ってもらってるからな」

「……え? あたしに?」

「ああ、もうずっとだ」

「そ、そうなんだ」

「初めて切ってもらったのは、たしか君がこの世界にくる1カ月後ぐらいだったはずだ。それまではナイフで自分で切っていた」

「でも……どうして? 床屋さんとか美容院は?」

「あの頃もそうだったが、俺は今でも刃物を持った他人に後に立たれるのが苦手で……わかってはいるんだが、その……どうしても落ち着かないのだ」

 その恥じるような宗介の表情に、千鳥は、

 ……やっぱり、まだそういうのがあるんだ。

 ……そうだよね。

 ……ずっと戦い続けてきたんだもんね。

 ……そう簡単にはいかないよね。

 あの切なく、痛々しく、宗介を抱き締めたい思いに駆られた。

「でも、君なら平気だ。君だと安心していられる。だからいつも君にやってもらってる」

「そっか。あたしも少しはアンタの役に立ってたんだ」

「もちろんだ。君がいるから今の俺が存在する」

(今はもう年下の女の子なのに、そんなに真顔で。こういう生真面目なところも変わってない)

「そんじゃ、お礼して。今日のデートはアンタのおごりね。あたし女子高生でお小遣い少ないんだから」

「問題ない。『トゥアハー・デ・ダナン』に乗ったつもりで安心しろ」

「あ、あれは結講危なかったわよ……」

 

 

 その日のデートは、映画のハシゴに決まった。

 なんといっても千鳥にしてみれば3年後の映画を観られるのだ。

 これはすごいことだ。

 この事実の前には、遊園地だの水族館だのは、ちゃんちゃらおかしくてヘソが茶を沸かすレベルだ。

(『ハリーポッター 賢者の石』と『ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間』の公開まであと数ヶ月だったことを、千鳥は女神ウルズに本気で呪った。真剣に公開までこの世界にいようかと考えた)

 映画館を出てしばらくの間、千鳥は非常に雄弁で多弁だった。

 見たばかりの映画についてあれこれとマニアックなうんちくを垂れ、論評する。

 それに対して宗介は、多少とんちんかんな返答はあったものの、3年前の彼よりは十分まともな受け答えをしてみせ、千鳥を大いに満足させた。

 満足はさせたが……。

 千鳥は次第に口数が少なくなっていき、やがて無口になった。

 そしておずおずと……。

「あ、あのさ……」

「なんだ、千鳥」

「……な、なんでもない」

「そうか」

「……ね、ねえ、ソースケ」

「なんだ」

「……や、やっぱりいい」

「そうか」

「……」

「千鳥」

「な、なに?」

「未来の恥はかき捨てだぞ」

 ぐはっ!

 このタイミングで、そういう気の利いたジョークを言う!?

 しかも、そんなにサラリと自然に!?

 こんなの絶対ソースケじゃない!

 そ、そうよ。

 ここにいるのは、ソースケであってソースケじゃない。

 そしてこのソースケは、あたしたちのことについてなんでも知っている。

 どうせ、元の世界に戻る身だ。

 ここで恥をかいたって、あとで恥ずかしい思いをするのは19歳のあたしだ。

 ここで勇気を出さないでどうする。

「ソ、ソースケ」

 千鳥が立ち止まって宗介を見、すぐに目をそらす。

「あ、あたしの相談に……乗ってくれる?」

 そこには恋に恥じらう少女の顔があった。

 

 

「さあ、なんでも相談してくれ。俺に出来ることならなんでもしよう」

 手近な喫茶店に入るなり、宗介が身構えた。

 こういうところも変わってない。

「い、いや、相談というより、聞きたいことと言ったほうがしっくりくるんだろうけど……」

「そうか、それなら何でも聞いてくれ」

 くっ……ここまで来て、なにをいまさらためらってるのよ。

 ソースケはあたしに(正確にはあたし本人じゃないけど)、愛してるとまで言ってるのよ。

 付き合ってるのよ。同棲してるのよ。婚約までしてるのよ。

 結果は勝ち試合じゃない。それもほぼパーフェクトゲームの。

 あとは試合経過を聞くだけじゃない。

「あ、あのさ……」

 言え! 聞けっ! これは予行演習だろう! ここでダメなら本番もダメだぞ! 行ったれ! 闘魂込めろ! 

「あの……」

 ファッキン・ガッツ! ファッキン・ガッツ! ファッキン・ガッツ!

「その……」

 ガン・ホー! ガン・ホー! ガン・ホー!

「う~~~~~~~っっっ!!!

 ソースケは、いつからあたしのことが好きだったのっ!!!」

 ギュッと目をつぶり、膝の上で両拳を握りしめ、千鳥は叫んだ。

 ここが喫茶店だということも忘れている。

 当然、他の客が一斉に自分を見ていることにも気がつかない。

(つ、ついに言ってしまった……聞いてしまった……しかも告白される前に……なんてデタラメなあたし……)

 千鳥は恐る恐る目を開けて、上目づかいに宗介を見た。

 宗介は目をパチクリさせていたが、元の生真面目な顔に戻って答えた。

「ふむ……『出会ったときから』と答えるのが、こういう場合の礼儀なのかもしれないが……たぶん俺が君に恋をしたのは、あの桜の木の下の駅のベンチに座った時だろう」

「……え?」

 キョトンとする千鳥。

「ちょ、ちょっと待って。そんなに早く?」

 え? え? それじゃ、もしかしてあたしよりも早いじゃない。

「千鳥、君はたまに自分の魅力に無自覚になるな」

 穏やかな微苦笑を浮かべる宗介。

「君のような美しい女性にあんな言葉を掛けられてみろ。男なら誰だって恋に落ちる」

 ポンッ!

 千鳥かなめ、ただいま最高血圧のレコード更新中。

 レコーダー回しておけばよかった……脳出血で倒れる前に。

 ――あ、でも!

「ちょ、ちょっと待って。それっておかしくない? アンタあたしに全然気のない振りしてたじゃない!」

「だから『振り』をしてたのだ。常に護衛対象に対して冷静さを保つのが、護衛任務の絶対条件だからな。

「しかし海水浴の時の君の水着姿や、あの不破という先輩とのデートを見守ったときなど、さすがの俺も自制心が吹き飛ぶかと思ったぞ。椿などは何度射殺しかけたか。君もひどい」

 くら~っ……。

 ひ、ひどいのはアンタだ……あたしのこれまでの苦労はなんだったの……。

「だが、君への感情が『愛情』だとハッキリ認識できたのは、もっとずっと経ってから、君の誕生日だった」

「……イブ」

「肯定だ」

「そ、そんなに印象的なクリスマスイブだったんだ」

「う、うむ。印象的と言えば、これ以上ない。おそらく君の生涯で一番印象深いイブだっただろう」

「そ、そうなんだ……そんなにステキなイブだったんだ」

 もはや夢見心地の千鳥。

 だんだん息苦しさを覚えてきた宗介。

「ね、ねえ、それじゃファースト・キスは!?」

「ファースト・キス!?」

「そ、それは……」

 正直に、

『卒業式の時だ!』

 ……などといえば、

『は? アンタ1年以上も何してたのよ?』

 と突っ込まれることは確実だ。

 さらに、

『実は事情があって1年以上別れていた』

 ――などと言えば、

『アンタ、もしかしてその間他の女と付き合ってたわけ!? まさかテッサじゃないでしょうね!?』

 こういう脳内暴走を起こしかねない。

 いや、確実に起こす。

 そして一度暴走を起こしてしまえば、もう何を言っても会話は成立しない。

 宗介には経験上、嫌というほどそれがわかった。

 それが『千鳥かなめ』という少女だ。

「千鳥、それは知らない方がいい。それを知ってしまっては、最初のキスの感動が半減してしまうだろう」

 半分は本心。あとの半分は……。

 宗介は、かなめの最初のキスの相手が『レナード・テスタロッサ』であることを知らない。

 彼女が囚われていた時、ぶたれたあげく『ミシェル・レモン』の助命と引き換えに唇を奪われたことも知らない。レモンは友人である宗介にその事は話さなかった。

 かなめも宗介には告げていない。

 たとえ恋人同士でも、いや恋人同士だからこそ、言えないこともある。

 それは宗介が、ナムサクで出会った赤毛の少女のことをかなめに話せないのと一緒だった。

 だが、もしかしたら囚われているときにそういうことがあったかも……という怖れは常につきまとっていた。

 どちらにしろ、真実を目の前の千鳥に告げることはできない。

 それは昨日ベッドの中で、かなめと話し合って決めたことだ。

 これから自分の身に降りかかる事態を知れば、おそらく彼女の心は……。

「そ、そっか。そうだよね。ごめんね。デリカシーのないこと聞いちゃって。あたし、なんか舞い上がっちゃって。うははははは!」

「いや、本来なら俺はもっと早く、君に気持ちを伝えるべきだったんだ」

 ごまかし笑いをする千鳥に、宗介は真面目な表情で言葉を続けた。

「しかし俺は、自分が抱いていた君への感情が愛情だということが理解できなかった。そのせいで君につらい思いをさせてしまった。本当にすまない」

「……ソースケ」

「あのころの俺は、たとえ負傷しようが、最悪死のうが、君を守れればそれでいいと思っていた。それがあの当時の俺の愛情表現だったんだろう。

「でも、そういう俺の態度が君を傷つけた。愛する人が自分のために傷つくのは、自分が傷つくよりももっとずっと苦しい。

「でも、そんな俺を君が変えてくれた。君だけを守るのではなく、君と一緒に生きたいと思うようになったんだ。

「君は……俺をまともな人間に近づけてくれた」

 千鳥の瞳から涙が零れた……零れて……零れて……零れて……それでも彼女は笑っていた。

「アンタ……それ3年前に言ってよ」

「すまない。気づくのが遅すぎた。でも、こうして16歳の君に伝えることはできた」

「ああ、もう! 予行演習なのに、涙が止まらない!」

 千鳥は借り物の服の袖で、ゴシゴシと目をこすった。

 構いはしない。

 どうせ、これはあたしの物だ。

「これってさ。『チート』じゃないよね」

「判断の難しいところだが、あの時の俺が今の君の立場だったら、今のかなめに同じことを聞きたかっただろう……もっとも絶対に聞けなかったとは思うが」

「あははは、それは絶対無理ね。手玉に取られた揚げ句、下手したら手込めにされちゃうわよ」

「千鳥……君はすごいことを言うな」

「あたし、絶対に帰らなきゃ。何があっても帰らなきゃ」

「そうしてくれると、今ごろ君を必死になって捜しているもう一人の俺も助かる」

「ごめんね、やっぱ最初のキスはアイツのためにとっておくね」

「俺も17歳の俺に仁義は通すつもりだ」

「でも、ソースケのこと大好きだよ」

「俺も、千鳥のことが大好きだ」

 周囲の客たちに、どうやら新しいカップルが誕生したらしいと、ホッコリした空気が流れた。

 

 

「ねえ、今日の晩ご飯はあたしが作るわ。19歳はなんかの作業に没頭してるんでしょ?」

「君が夕食を作ってくれるなら、かなめは君をこの世界に残したくなるだろうな」

「~あたしゃ、『パーマン』の『コピーロボット』か」

 喫茶店を出ると、千鳥と宗介はなじみの商店街で買い物をした。

 宗介は何も言わずに、千鳥の荷物を持った。

 その自然な動作が嬉しくて、千鳥は彼の前で軽やかに身を躍らせた。

 自分が望んだ情景が、この世界にはある。

 そして元の世界で待っている。

「千鳥、急ごう。一雨来そうだ」

 宗介が、急に雲行きの怪しくなってきた空を見上げた。

 さっきまでの快晴が嘘のように薄暗くなり、雷鳴が近づいてきた。

「ああ、無粋な空ね!」

「今の季節は仕方がない」

 宗介と千鳥は自宅のあるマンションに向かって駆け出した。

 大きく生温かい雨粒が、二人の後を追い掛ける。

 

 

「もう最悪! あんたといるとほんとパニック率高すぎ!」

 部屋に戻るなり、ビショぬれの千鳥がぼやいた。

 せっかくソースケとの最高の初デートだったのに、最後の最後にこれだ。

「順安の時のように機銃掃射のおまけがついてないだけましだ」

「お帰り。ひどいありさまね」

 かなめがラップトップから顔を上げて苦笑した。

「かなめ、千鳥にタオルと着替えを」

 宗介はそう言うと、ぬれそぼってサマーニットを脱ぎ捨てた。

「ソースケ!」

 かなめの鋭い声が飛ぶ。

 宗介はその意味するところ瞬間的に悟って、自分の迂闊さを呪った。

 千鳥が真っ青な顔で口に手を当てて、自分のみぞおちからヘソ下まで続く手術痕を凝視していた。

 

 

……to be continued




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