フルメタル・パニック! その後の2人   作:Deetwo

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このエピソードの最終話となります。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。




vs. (完)

 ――10時間前。

 

 宗介と16歳の自分をマンションから追い出したあと、かなめがまずしたのは『ソフィア』と会話することだった。

(ちょっとソフィア、いったいどういうことよ。またあんたの悪巧み?)

(失礼なこと言わないで。こんなことわたしだって知らないわよ)

(あんた以外の誰がこんなふざけた真似ができるっていうのよ。隠すとためにならないわよ)

(あのねぇ、わたしは別に神様でも魔法使いでもないの。あくまで超先進科学の力で、この時代の技術力からしたら奇跡や魔法みたいに見えることが出来るだけで――あなただってそれぐらいわかってるでしょう)

 量子論的に『神様がサイコロを振る』以上、まったく同じ並行世界など存在し得ない。

 たとえ隣り合った世界線でも、どこかが違っている。

 もっともその違いは極小さく、差などないに等しいレベルだ。

 大きな差異のある世界など、隣の隣の隣の隣の……ずーっとずーっとずーっと隣ぐらいのはるか遠い世界にならないと存在しない。

 だから『ソフィア』は『囁く』ことで、その違いを意図的に大きくした。

 それでも自分の望みどおりに世界を改変するには何百、何千、何億という並行世界を繰り返す覚悟が必要だった。

(まったく、なにかあるといっつもわたしが悪者なんだから。愛の力で()()()()()()()()()、究極の悪者のあなた達だけには言われたくないわよ)

 かなめの頭の中で、ソフィアがぶぅぶぅと文句を垂れる。

(だいたい『TARTAROS』っていうのは、時間と空間を越えて『情報』をやりとりするものよ。時空を越えて『人間』その物をやりとりするなんて出来るわけないじゃない)

(でも『ラムダ・ドライバ』を使って、現実に物理現象を()()()()()改変してるじゃない。応用すれば人間が時空を越えて別の並行世界に行けるだけの『ワームホール』を作ることも可能なんじゃない?)

(あのねぇ、いまさらあなたにこんなことを講釈するのは『仏陀に教えを説く』でしょうけど、人間がどうやって『ワームホール』を認識するのよ? 認識できなければイメージもできないじゃないの。『ラムダ・ドライバ』は『オムニ・スフィア(精神世界の一種)』と物理世界の相互干渉の性質を利用して、人間のイメージを物理現象化するものよ。ソースケが最初それが出来なくてどれだけ苦労してたか。あなた達、それで破局しかけたじゃない)

(嫌なこと思い出させないで)

 そんなことはソフィアに改めて教わるまでもなく、かなめは百も承知であった。

 他時空につながっている『ワームホール』は、現実に存在している。

 しかし、それは目には見えない素粒子レベルの『観測不能な』大きさでしかない。

 ブラックテクノロジーを使っても、その中を通れるのは『情報』ぐらいのものだ。

 観測できない以上、その姿はあくまで『理論上』のものであり、人間にはイメージしようがない。

 したがって『ラムダ・ドライバ』を使って、人が通れる大きさに拡げることも不可能――というわけだ。

(……『情報』か)

 かなめは思考する。

 この自然界に存在する、4つの力。

 電磁気力、小さい力、大きい力、そして重力。

 このうち重力は、他の3つの力に比べて本当に小さい。

 字面からなんとなく強大な力のように思えるが、この地球全体の重力でも、人間の足の裏と地面との間にある電磁気力の反発には勝てない。だから人間は地球の中に沈み込んでいかない。

 それでは、本当に重力がとんでもなく微弱な力なのかというと、違う。

 なぜなら重力の大部分は、『ワームホール』によって別の次元に拡散してしまっているからだ。

 この性質を利用して、SFの世界では超高速通信である『重力波通信』なる設定がジャンルの黎明期から存在している。

『囁き』がまさにこれだ。

 重力は光と同じように、『波』であると同時に『粒』である性質がある。

 では、人間を素粒子レベルにまで『分解』して、ワームホールに送り込んだら?

 当然、他の並行世界に『重粒子』として越時空して、誰にも聞き取れない『情報』として霧散してしまう。

 ただ一人の人間を除いて。

 そう、この世界の特異点であり因果律で守られた異能生存体である『千鳥かなめ』だけは別だ。

『千鳥かなめ』だけは、越時空後に再構成され、他の並行世界に再び出現することが出来る。

 でもいったい、誰が、なんのために?

(……やっぱり、彼なのかしら?)

(そんなことできるのはあいつだけだろうしね。まぁレナードのことだから、あなたが絶対に振り向いてくれないなら、ソースケだけには渡すまいと他の世界に飛ばしちゃった――とかはありそう。あなた殺せないし。あいつまともじゃないし。『向かぬなら、飛ばしてしまえ、千鳥ギス』)

 かなめは、思いっきり引いた。

 本当にありそうで、笑えない話だ……。

 ……。

 自分を愛し、求めた二人の男。

 自身をまともじゃないと思い、まともになりたいと願った二人の男。

 一人は、あたしの究極の知識をもちいて世界を改変しようとした。

 一人は、あたしと一緒に学校に通いたいと望んだ。

 選択にすらならなかった。

『愛するから』と言っておきながら、あたしは結局レナードを愛してあげられなかった。

 それどころか、彼と共振して彼のトラウマを見たあとに、彼がもっとも嫌う『憐れみ』という思いを抱いた。

 ソースケに抱いたような愛しみの、慈愛の心はついぞ持てなかった。

 レナードが求めたのは『ウィスパード』なあたし。

 彼の孤独を理解してあげられる、彼の同類。

 母親。

 でもソースケのお母さんになってあげたいとは思えても、レナードにそんな思いは抱けなかった。

 かなめは、静かに嘆息した。

(仮に彼が今回の[[rb:メイルストローム > 中心]]だとして、彼は解いたのかしら? 『マスター方程式』を?)

 再びソフィアに語りかける。

 宇宙に存在する、4つの力。

 電磁気力。

 小さい力。

 大きい力。

 重力。

 かつて別々の力として認識されていた電気と磁力は、『マックスウェル』によって『電磁気力』という1つの力に統一された。

 そして、電磁気力と小さい力は、『電弱統一理論』として1つにまとめられた。

 しかし現在の科学知識では、電弱統一理論と大きい力を統一する『大統一理論』の完成にはまだ道半ばであり、さらにそこに重力をくわえた『超大統一理論』の完成は、はるか先である。

 現時点で『超大統一理論』に到達し、宇宙に存在するあらゆる力を制御できる『マスター方程式』を解き明かしたのは、無数の18年間をやりなおした『ソフィア・かなめ』だけのはずだが……。

(どうかしら? 確かにレナードには他のウィスパードよりも多くを『囁いた』けど、彼にはあくまでわたしの右腕としての知識しか与えなかったし。いくら彼でもあそこから自力で解明するにはまだ何年もかかるはずよ)

(そりゃそうよね。下克上されて取って代わられたら、あんたの立場がないもんね)

(そうそう。『マスター方程式』が解けるなら、自分で『TARTAROS』起動できちゃうわけだし。わたしは女王様じゃいられなくなる)

(それじゃ、あと考えられるのは……)

(彼のミス。時空に干渉するなんらかの実験の最中に事故を起こして、そのとばっちりで『向こう』のあなたが飛ばされてきた)

(……)

 可哀想なレナード……どの世界でもあなたは独りなのね。

 彼が癒やされる世界は、どこかに存在するのかしら……。

(どっちにしろ早く16歳のあなたには戻ってもらわないと、あなたの中が居心地悪くてしょうがないわ。あの娘を見るたびに罪の意識に苛まれてるんですもの。いい加減、吹っ切りなさいよ)

(あんたにだけは言われたくないわよ。あんたにだけは)

(まぁ、あなたがストレスためてる分、ソースケは3年前にできなかった『告白』ができるでしょうから、イーブンと言えばイーブンなんでしょうけど)

(ソフィア、おしゃべりは終わり。消えて)

(あ、ちょっとそういう扱い方ってひどいんじゃない?)

(居候が調子にのるな)

(ねぇ、お願いだから、今度一度入れ替わって、あたしにもソースケとえっちさせてよ。これじゃ蛇の生殺しよ)

(Доброй ночи(おやすみなさい))

 かなめはスイッチを切るように、ソフィアを頭の中から追い出した。

(……あの娘を元の時空に正確に送り返すには、越時空の際に発生する次元震の『揺り戻し』を利用する必要がある。『揺り戻し』は繰り返すうちにドンドン弱くなる――すぐに計算を始めないと)

「アル」

『Yes、Ms.』

「あなた、あたしを原子の塵にまで還元できる?」

 

 

 ――現在。

 

「な、なに、それ……どういうこと……?」

 宗介の腹部に縦に走る手術痕にくぎ付けになったまま、千鳥の口から震える声が漏れた。

 顔色は蒼ざめ、恐怖に身体が震えている。

「……千鳥」

「それ……まさか、あたしのせいで……」

「違う、これは――」

「そうよ。ソースケがこの傷を負ったのはあたしのせい」

 否定しかけた宗介を、かなめが遮った。

「かなめ……」

「いいのよ、ソースケ。もういいの」

 一度宗介に悲しげに微笑んだかなめが、再び千鳥を見つめる。

 その瞳は冷めていた。

「ソースケがこの傷を負ったのは、あたしが自分のやるべきことをやらなかったせいよ」

 かなめのその態度に、怯えていた千鳥の表情が一変した。

「やるべきこと……って。

 あたしはあなた、あなたはあたしでしょ! 教えて、あたし達に、あたしとソースケに何があったの!? あたしには知る資格があるはずよ! そうだ、共振ってやつを使えば――」

「甘えないで」

「……え?」

「あたしはあたし、あなたはあなたよ。あなたはあたしじゃない」

 かなめは、目の前にいるもう一人の自分を突き放した。

「この記憶も、想いも、後悔も、苦しみも、全部あたしだけのものよ」

 その冷えた眼差しに、千鳥は絶句した。

 目の前にいるのが、急にまるで見知らぬ女に見えた。

「あたしはソースケに抱かれるたびにこの傷に触れて、キスして、目と感触に焼き付けているの。なぜだかわかる? この傷はあたしが一生背負っていかなければならない罪と罰――業の象徴だからよ。

 あなたにはバラ色に見えるかもしれないあたしたちの生活は、血の色でもあるの。

 あなたにこの傷はまだ背負えない」

 かなめは思う。

 自分の恋は、血と鉄と硝煙の中から拾い上げたものだ。

 でも、目の前の『千鳥かなめ』の恋は、もっと純粋で幼く柔らかい。

 温室の中でようやく花開こうとする、文字どおりバラの蕾ような恋だ。

 寒風にさらされれば、すぐにしおれて枯れてしまうような。

「なによ……それ」

 千鳥は打ちのめされた。

 何もかもが違いすぎた。

 ソースケへの想いも。二人が積み重ねてきた時間も。

 目の前の二人がいるのは、自分が夢想していた平和で穏やかで優しい世界とはまるで異なる、過酷な世界。

 これが、あたしとソースケを待っている未来……。

 千鳥は、今まで自分が1人でダンスを踊っていたことに気づき、いたたまれなさに濡れた服のままマンションを飛び出した。

 その後ろ姿を見つめながら、かなめの表情から強がりが消えた。

「……あたしって、ほんと嫌な女よね。自分とすら仲良くなれない……」

 宗介は何も言わず、かなめを優しく抱き締めた。

 雨に濡れて冷たくなった彼の胸が、かなめの頬の熱を奪う。

 かなめは宗介に身を預けながら、グズった。

「……言えないわよ、あんなこと……言えるわけないじゃない」

 癒やしがたい傷、記憶というものは、確かに存在するのだ。

 かなめの中にある『一度は宗介を捨ててしまった』という負い目は、彼の愛に包まれてもなお、いやだからこそ、完全に消え去ることはない。

 レナードから彼の命を守るため……というのは、自分を正当化する言い訳にすぎない。

 あの時、かなめは逃げてしまったのだ。

 すべてを諦めて、宗介を諦めて、逃げてしまったのだ。

 彼と一緒に遠くへ逃げるという選択が、なぜ出来なかったのか。

 たとえ自分が特異点で死ねないとしても、あの時は知らなかった。

 それなのに隙を見て彼を撃ち殺し、自分の頭を撃ち抜くという行動がなぜとれなかったのか。

 その結果、宗介は一生消えることのない十字架を背負ってしまった。

 本来なら彼と結ばれるはずだった少女ナミ……。

 養父であり、実の父親以上の存在だったカリーニン……。

 その他にも……。

 自分が『何もしなかった』ために、宗介はあまりにも多くの犠牲を払ってしまった。

 今のこの幸せは、宗介の流した血のうえに築かれているのだ。

「君は『いい人』だ」

「……あんたって、そればっかり……」

「でも、あの言葉が俺を変えてくれた」

 優しくあやすように、宗介がかなめの髪をなでる。

 再会してからしばらく、かなめは悪夢を見た。

 そのたびに隣で寝ていた宗介は、こうやって彼女を慰めてくれた。

 ……ああ、まただ。

 ……コイツはこうして、あたしを無垢な少女に戻してしまう。

 ……男に抱かれる悦びを知って、男を虜にする悦びを知ったのに……コイツは時折、あたしを初心な少女に戻してしまう……。

 ……コイツは本当に、ひどい奴だ。

 かなめは宗介の胸から顔を離すと、掌底で涙を拭って微笑んだ。

「ありがとう。もう大丈夫。あたしはガッツのある女だから」

 今は少女でいていいときではない。

 もう一人の、本当に少女の自分が泣いているのだから。

「行ってあげて。あの子はまだ弱い」

「了解した」

 新しいシャツだけ身に付け、宗介は部屋を出た。

 見送るかなめの目に、彼の腰に差さるグロックの鈍い光が映った。

 

 

 千鳥は公園のベンチで、膝の上で握りしめた両拳をにらんでいた。

 目に涙がにじみ、悔しさと恥ずかしさに奮えている。

「……何しに来たのよ」

 近づく気配をさっして、千鳥は顔を上げないまま拒絶した。

「別に何も。ただ隣に座りに来た」

 宗介が隣に腰掛ける。

 屋根があるので、ベンチは濡れてはいない。

「……なんで、隠してたのよ」

「君には知る資格がないから」

「なによ、それ!」

 今度こそ『キッ!』っと、千鳥は宗介をにらみ付けた。

「戦う覚悟が出来てない人間に、この傷は重すぎる。この傷には何人もの死人がまとわりついている。君はそんな連中に取り憑かれたいのか」

「…………悔しいっ」

 再び歯がみをして、顔をうつむかせる千鳥。

「君がこの世界にとどまりたいなら、そうすればいい。俺は君もかなめも守る」

「はぁ? バカじゃないの。こんな世界にいたいわけないじゃない。誰があんな嫌な――」

 千鳥が自分自身を傷つける言葉を吐く前に、宗介は彼女の肩を抱き寄せた。

「――ちょっ、なによ! 何もしないって言ったでしょ!」

「変なことはしない。ただ君の肩を抱きたい。雨に濡れて身体が冷えている。君には温もりが必要だ」

 ソースケの肌の温かさよりもその思いやりに、千鳥の声は次第に弱々しくなっていった。

「なにが……温もりよ。だいたいあんたは……」

 こらえていた涙が、ボロボロと零れ落ちる。

「自分を責めるな、千鳥。この傷の責任は君にはない」

 いや、この傷だけじゃない。

 あの一連の事件のどこに、千鳥かなめの責任があった?

 千鳥かなめは普通の女子高生で、面倒見のよい友だち思いの少女だった。

 ウィスパードだかなんだか知らないが、そんな彼女によってたかって自分の運命を預けて祭り上げていった[[rb:根性なしのクソ野郎 > ファッキン・サノバビッチ]]ども。

 ソフィアも、レナードも、カリーニンも、どいつもこいつもみんなまとめて肥溜めで煮られて、犬に食われちまえ。

 俺がガウルンの何か1つを認められるとするなら、それは奴が自分と他人の死だけは平等に考えていたことだ。奴は運命など信じてなくても、死の平等性だけは信じていた。

 死んだ者は戻らない。

 汚した手は奇麗にならない。

 すべて背負って生きていくか、さもなくば死ぬだけだ。

 それが戦士の不文律だ。

「君にはなんの責任もない。君はただの女子高生だ。自分の幸せだけを考えて生きていけばいい、普通の女の子だ」

 どうして? なんで?

 このソースケといると、どんどん自分が弱くなる……。

 なにがソースケをこんな風に変えてしまったの……?

 そんなにつらい経験だったの……?

 そんなに苦しい思いをしたの……?

 ついに千鳥は、宗介の胸にしがみついた。

「……ソースケ……ごめん……ごめんね……あたし、何も知らなくて……」

「いいんだ、千鳥。いいんだ。君は何も悪くない」

「……怖いよ、ソースケ……元の世界に帰るのが怖いよ……帰らなくちゃいけないってわかっているのに……帰るのが怖いのよ……帰ったらあんたが……」

「無理に帰る必要はない。怖いのならここにいればいい。俺はムスリムだ。君も妻にできる。問題ない」

「……バカ……問題大ありよ……そんなことしたらあっちのソースケが可哀想じゃない……」

「それは確かに」

「……そうよ……」

「だが、もし君がこの世界にとどまることを望み、向こうの世界の俺が君を取り戻しに来たら、俺はもう一人の俺を殺す」

「……ソースケ」

「すべては君の望むとおりにしていいんだ、千鳥。誰も君の生き方を強制できはしない。たとえ『君の相良宗介』でもだ。君の人生は君だけのものだ。誰も便乗することなどできない。そんなことはさせない」

 ――もう二度と。

「ズルイよ……ソースケ……そんなこと言われたら、あたし、あんたのことが本当に好きになっちゃうじゃない……本当に帰れなくなっちゃうじゃない……」

「問題ない。俺は『千鳥かなめ』のだ」

 

 

 一人マンションに残されたかなめは、虚脱してダイニングテーブルに座り込んでいた。

 コーヒーを飲もうとしたがコーヒーメーカーは空で、インスタントで妥協したが、ケトルで湯を沸かすでもなく、そのままボンヤリしていた。

 一人きりだが不安はない。

 今は使われていない父親の部屋には、遠隔操作できるアルの現在の身体がある。

 不測の事態が起これば即座に起動し、宗介を上回る近接戦闘能力で自分を守ってくれる。

(……『ラムダ・ドライバ』を使うために、アルに新しい身体を用意しないと……

 ガーンズバックが手に入ればいいんだけど……マオさんやクルツくんに頼めばなんとかなるかな……

 テッサとミラにも連絡をとって……)

 ボーッと考えるうちに、飛び出していったもう一人の自分の姿が浮かんだ。

(……ほんと世話の焼ける……でも16歳なんて普通はあんなもんよね……)

「……普通に……まともになりたい……か」

『「ミズ・チドリ」、考え事の最中に失礼します』

「どうしたの、アル?」

『今朝ほどご指示を受けた計算結果が出ました』

「次元震の揺り戻し、トレースできたの?」

『肯定です』

 よかった。これであの娘を元の世界に帰してあげられる。

『ですが、よくない結果が出ています』

「……どういうこと?」

 

 

「……ふぅ」

 やがて千鳥は、顔を埋めていた宗介の胸から離れた。

「ありがとう、泣いたらスッキリした」

 憑き物が落ちたような、晴れやかな顔。

「いい笑顔だ。君はやはり笑顔が似合う」

「バ、バカ、もうそう言うのはいいから。大丈夫。平気。無問題」

 照れてそっぽを向く千鳥を、宗介は懐かしい思いで見つめた。

 初めて千鳥に胸で泣かれたのは、あの香港での再会のあとだった。

 学校に戻り、職員室でレーザーサイトを当てられた神楽坂先生をかばって押し倒したあとだ。

 職員室を出てから俺を上履きで殴りかけた千鳥は、自分に顔を寄せて激しく泣きじゃくった。

 あの時、俺は彼女を抱き締めることができなかった。

「完敗よ。やっぱり19歳のあたしは、今のあたしより全然先に行ってる」

 千鳥は、ようやく肩から力が抜けた様子だった。

「あたしが19歳のあたしに負けてるってことは、19歳のあたしは過去のあたしに勝ってるってことだよね。すごく悔しいけど、あたしはちゃんと成長してるみたい」

「君にそう思われているのを知れば、かなめも喜ぶだろう」

「内緒よ、内緒。あたしって、すぐに調子に乗るから」

「了解した」

「ソースケ、ありがとう。奥さんにしてくれるって言ってくれて嬉しかった。あたし、プロポーズされたの初めて」

「ふむ」

「でも、今のソースケに相応しいのは、あたしじゃなくてやっぱり19歳のあたしだよ」

 千鳥はベンチから立ち上がると、雨雲の去った夜空を見上げた。

 今の自分の心のように、晴れて星がのぞいていた。

「あたし、戻るね。自分の世界に」

「そうか」

「もしかして、あたしがこうするってわかってた?」

「君はガッツのある女だから。たとえ3年後の自分からだろうと言われっぱなしはありえない。必ず行動で見返す。それが君という女性だ」

「そうよ。だいたいあたしとも結婚したとして、第一夫人はどっちにするつもりだったの?」

「それは……すまない、君ではない」

 千鳥の意地の悪い質問に、宗介は即答し、素直に頭を下げた。

「ほ~ら、ごらんなさい。やっぱりあんたの『千鳥かなめ』はあたしじゃない」

 そしてあたしの『相良宗介』もあんたじゃない。

 千鳥は心の中で、自分のソースケ、まだ少年の面影を残す、ムッツリ顔のあいつを思い浮かべた。

 あいつも、このソースケみたいに変わることができるのだろうか。

 変われるとして、あたしはその隣にいるのだろうか。

 あいつに……会いたい。

 あたしのソースケに……。

「そもそもあんたの婚約者さまが、一夫多妻制なんて認めるわけないじゃない。もし認めるなら、とっくにテッサがあの部屋で暮らしてるわよ」

「ふむ、その手があったか」

「なんですって!?」

「いや、冗談だ」

「そういう冗談は、冗談にならないの。あたしには」

「わかった。記憶しておく」

 宗介は、ベンチから立ち上がった。

「帰ろう。君はシャワーを浴びて着替えなければ」

「うん」

 微笑む千鳥に、宗介は思った。

『そうだ。俺はこの笑顔に恋をしたんだ』

 彼の視界を、美しい桜の花びらが舞っていた。

 

 

 かなめは、アルに宗介に連絡するように命じると、父親の書斎 兼 寝室に走った。

 ああ、もう! なんでこうなるのよ!

 こんなのって、あり!?

 予定が根元から狂っちゃったじゃない!

 父親の書斎に鎮座する世界最少のAS『アラストル』――現在のアルの身体――に飛びつくと、ラップトップPCを接続して猛烈な勢いで制御アルゴリズムを書き換える。

 まさか最後の『揺り戻し』が、あと30分後だなんて!

 ガーンズバックどころの話じゃない!

 これでやらなければ!

 アルが『アラストル』のボディーを使って『ラムダ・ドライバ』を起動し、『千鳥かなめ』を『分解』して『ワームホール』に送り込む。

 分解されて重力子になった彼女は、越時空の際の次元震の『揺り戻し』効果によって正確に元の世界に戻り、因果律に守られる『特異点』の特殊能力によって再構成される。

 1発勝負だ!

 これを逃したら、いつ帰せるかわからない!

 問題は、このアラストルにはアルが直接搭載されていないということだ。

 アルの本体は宗介によって厳重に秘匿されていて、この部屋にはない。

 そもそも大きさが小さすぎて、アラストルにはアルを載せることができない。

 遠隔操作で起動している以上、アルがアラストルを自分の身体と認識できない可能性がある。

 アルはただのAIではない。

 自己を人間と考える、『人間』なのだ。

 人間とは、そういう不安定な曖昧さを常に内包する存在なのだ。

「アル! あなた、この身体が仮の物だって思ったらだめよ! これがあなたの本当の身体だと思うの! そうすれば、『ラムダ・ドライバ』は必ず起動するわ!」

『しかし、わたしの本体はここから遠く離れた場所にあります。使用できる電力量も少なく、その身体を通してこのマンションに疑似斥力を発生させられるかどうか、不確定要素が多すぎます』

「根性よ! 根性! あんた人間でしょ! 根性かませばなんでもできるのが人間ってもんでしょうが!」

『わかりました、「ミズ・チドリ」。やってみます』

「『やってみる』じゃなくて『やる』の! 絶対に『や・る・の』!」

 世界一の物理学者の口から語られる、超弩級のド根性論。

『Yes、「マスター・ヨーダ」。絶対に「やって」みせます』

 そして、家中のステレオシステムから流れ出すBGM。

「アル、これは?」

『わたしの勝負BGMです。タイトルは「疾走」』

「へぇ、いいじゃない。昔を思い出すわ。燃えてきた」

 機関銃のようにキーボードを叩きながら、かなめが不敵に笑った。

『肯定。これぞ、「フルメタル・パニック!」です』

 

 

「――なに? それは、本当か? 確定情報なのだな?」

「……?」

 耳にはめ込んでいる小型通信機で、誰か――おそらく口調からして相手はアルだろう――とやりとりする宗介の横顔を、千鳥はけげんな顔で見つめた。

「ああ、了解した。時間合わせをする……3、2、1、マーク。よし、すぐに千鳥を連れてもどる」

「どうしたの? 今の誰?」

「アルだ。千鳥、問題が起こった。至急マンションに戻らなければならない」

「なにがあったの?」

 表情を緊張させた千鳥に、宗介は今し方アルから伝えられたことを話した。

「つまり、その最後の『時空震の揺り戻し』っていうのが、今から30分後に起こるってこと?」

「肯定だ。その『揺り戻し』とやらを利用しなければ、今後君が元の世界にいつ帰れるかわからなくなるらしい」

 帰れることは帰れるだろう。

 彼女は因果律で守られた『特異点』なのだから。

 しかし無限にある並行世界の中から、この『千鳥かなめ』がいた世界を特定するのは、こちらの世界のかなめの頭脳を持ってしても困難を極めるはずだ。

 数ヶ月、あるいは数年。あるいはもっと年月が必要になるかもしれない。

 それでは、千鳥は愛する人たちと過ごす大切な時間を失うことになる。

 それでは、意味がない。

「走るぞ、千鳥」

「う、うん」

『ソースケ、そっちはどう』

 通信機に響く、かなめの声。

「かなめか? 今向かってる。そっちはどうだ?」

『こっちも根性かましてる、絶対に間に合わせてみせるわ』

「それでこそ、俺の戦友だ」

 その瞬間、久しく感じることのなかった殺気が、宗介のうなじを貫いた。

 千鳥を突き飛ばし、前方に回転受け身の要領で転がる。

 複数の銃弾が、宗介の頭のあった空間を撃ち抜いた。

「こんなときに!」

 前方に転がったときには、宗介の手は腰から抜き放ったグロックが握られていた。

 即座に反撃し、襲撃者2人を撃ち倒す。

 街中で銃撃戦など、まるであの時を模しているようではないか!

「痛たたた――な、なに?」

「どうやら、どこかの組織がかなめと勘違いして、君を奪いにきたようだ」

 かなめは昨日から部屋を出ていない。

 部屋は自分とかなめとアルが協力して、厳重な侵入・盗聴・盗撮防止のセキュリティーを構築してある。

 マンション内を確認を出来ない襲撃者が、千鳥をかなめと誤認したのだろう。

「こっちの世界でもなの?」

 嘆くかなめに、宗介が答える。

「ここしばらくはなかったんだがな。だが、これが俺とかなめの人生だ――そして、これからの君たちの」

 宗介の言葉に、千鳥が表情を引き締めてうなずく。

「こちら『ウルズ7』! 『エンジェル』、久しぶりに正体不明の敵の襲撃を受けた! 到着が少し遅れるかもしれん!」

 

 

「ぬわんですってーーーー!!?!」

 インカム越しに伝えられた宗介の報告に、かなめの顔面が崩壊した。

 ミスリル時代のコードネームでよび合うときは、敵の襲撃が起きた場合だと決めていた。

「よりにもよって、こんなときに!」

『「最悪の時に限って最悪の事態は起こる」、これを「SRTの法則」とよびます。楽しみましょう』

「はいはい!」

(ああ、もう! 昨日のうちに連絡しておいて正解だったかも!)

『わたしは直接援護することはできませんが、付近の監視カメラをハッキングして軍曹を支援します』

「あたしはこのまま、アラストルの制御アルゴリズムを『ラムダ・ドライバ』に対応したものに書き換えるわ」

『ウルズ7はこっちのエンジェルを護衛して、マンションに向かう!』

「OK! それじゃ、おっ始めるわよ、野郎ども!」

『いつでも』

『どこでも』

「Rock’n’Roll――!!」

 

 

 買い物客であふれる商店街を迂回して、できるだけ人通りの少ない道を走る。

『軍曹、そのまま50m直進し、右折すると後方への反撃に有利な路地があります。そこで敵の数を減らせます』

「了解した! 敵は何人だ!」

『確認できる追跡者は現在8人。さらに索敵を実施中』

 久しぶりに戦術支援AIとしての本領を発揮できて、アルの声が弾んでいる。

 宗介は後方に向けて発砲しながら走る。

 千鳥を見ると、目をつぶって耳をふさぐように走っている。

「目をそらすな、千鳥! これが君が選んだ世界、これから君と『君の相良宗介』が生きる世界だ!」

 宗介の言葉にハッとして、千鳥が目を開ける。

 蒼ざめた表情ながら、唇をかみしめて前を見据えて走る。

 二人は、アルの指示した路地に走り込んだ。

 宗介は建物の角から再度発砲。さらに2人倒して、残り6人。

「俺はここで敵を足止めする! 君は先に行け!」

 宗介は、千鳥に向けて怒鳴った。

 千鳥がこの世界で死ぬことは絶対にない。

 だが、ここでもたもたしていたら、元の世界に戻れなくなる。

 それでは彼女は幸せになれない。

 ここでは、時間が彼女の命だ。

「で、でも!」

「順安の時とは違う! 君は自分の世界にもどることだけを考えろ!」

「……ソースケ」

「君の戦場は向こうにある」

「……」

 千鳥は宗介の襟元をつかんでグッと引き寄せると、左頬の十字傷に唇を触れた。

「……ありがとう」

「幸運を祈る」

 その言葉を聞いて、千鳥は確信した。

 このソースケは、ソースケであってソースケじゃない。

 だけど、やっぱりソースケだ。

 だって、こんな時に『元気で』とか『また会おう』なんて、ソースケは絶対に言わない。

 ソースケが言うのは、万感の想いを込めた『Good Luck』。

 激しい銃撃に続き、迫る追っ手の足音。

「行け、千鳥!」

 宗介が援護の発砲。

 涙をこらえ、千鳥はマンション目指して走る。

 もう振り返らない。もう目は閉じない。

 前へ! 前へ!

 自分のいるべき世界へ!

 大好きなあいつの元へ!

 

 

「よし、終わり!」

 入力を終えてエンターキーを押すと、かなめが快哉を叫んだ。胸をドゴドゴ、ドラミングしたい心持ちだ。

 すぐさまかなめ特製の自己診断プログラムが走り、入力したアルゴリズムにエラーがないことをチェックする。

 エラーなし! 行ける!

「アル、いいわよ! 来なさい!」

『ラージャ』

 かなめの指示で、アルが自身の意識をアラストルにダウンロードし遠隔起動させる。

 メインセンサーに赤い光が走り、世界最小のアーム・スレイブ『Plan1211アラストル』――アルが立ち上がった。

『お待たせしました。ご命令を』

「リビングに移動して! あそこが一番元来た場所に近いわ!」

 時間は――あと3分!

「アル、あたしは!?」

『現在、この部屋のリビングまで約200mに到達。なおも急速接近中』

「どうにか間に合いそう!」

『アラート。マンション入り口に敵の待ち伏せが2人確認できました。現在わたしは動けません』

『いかん! 千鳥は今単独で行動中だ! こちらも敵と交戦中、援護に向かえん!』

「大丈夫、彼女がいるわ!」

 

 

「――はぁ、はぁ、はぁ!」

 着いた! あたしのマンション!

「千鳥かなめだな?」

 立ちふさがる2人のM・I・B(黒服の男)

「な、なによ、あんたたち!」

「ターゲットを確認した」

「一緒に来い」

「いやよ! あたしはこれから家に帰るんだから! 一昨日出直してきなさい!」

 千鳥は2人の黒服をにらみ付けると、見事な啖呵を切った。

 

 

 後方から銃撃されるのも構わずに、宗介は走った。

「――千鳥!」

 マンション前で、千鳥が2人組の男に羽交い締めされ、黒いワゴンに連れ込まれようとしていた。

 グロックの残弾は1発。

 リロードしている暇はない。

 2人から、9mm口径の自動拳銃が宗介に向けられる。

「――くっ!」

 1人を倒しても、残りから反撃を喰らう。

 構わん! 死ななければいい!

 千鳥を羽交い締めにしている男の眉間に、走射の照準を合わせる。

 コイツを倒せば、その隙に千鳥はマンションに駆け込める!

 A21事件の彼女を見ればそれは確実だ!

 あとは自分の悪運を信じろ! 土壇場のしぶとさが俺の取り得だ!

 トリガーを絞る!

 その瞬間、

『そいつらは、わたしに任せろ!』

 通信機に聞き覚えのある声が響く。

 直後2発の狙撃音が、ほとんど同時に周囲の建築物に反響した。

 額を撃ち抜かれ、倒れ込む2人の襲撃者。

「誰だ!? ――金玉姫か!」

『その名前でよぶな!』

 宗介は転がりながらマガジンを入れ替えると、後方の追撃者に向かって発砲しながら叫んだ。

「千鳥、行けっ! 行けっ!! 行けっ!!!」

 

 

 千鳥は部屋への階段を駆け上がりながら、身体に浴びた血飛沫に自分が汚された気がした。

 見知らぬ凶悪な男たちの血を浴びて、無垢な少女だった自分はもういない。

 いいんだ、これで! これで、いいんだ!

 廊下を走り、部屋のドア開け放つ。

 リビングでは19歳の自分と、2mはある機械仕掛けの大男が待っていた。

「はぁ、はぁ、はぁ――!」

「時間がないわ。覚悟はいい?」

 千鳥は仇を見るような目でかなめをにらむと、キッパリとうなずいた。

「アル、使うわよ、ラムダ・ドライバを」

『ラージャ』

「タイミングは任せるわ。『ラムダ・ドライバ』を起動。次元震の『揺り戻し』に合わせて目標を『ディスインテグレート』」

『「ラムダ・ドライバ」を起動。次元震の「揺り戻し」に合わせて目標を『ディスインテグレート』。ラージャ』

『「向こうの世界」のミズ・チドリ』

「なに、アル?」

『「向こうの世界」でお会いしましょう』

「うん。ありがとう、アル。元気でね」

『「向こうの世界」のミズ・チドリも。「向こうの世界」の軍曹殿によろしく』

 別れのあいさつを交わすと、アルが越時空の最終シークエンスに入った。

『これより「ラムダ・ドライバ」を起動』

 かなめが、低い作動音を唸らせ始めたアルを見つめる。

 やってみせなさい、アル。

 あんたは相良宗介の分身でもあるんだから。

 あいつなら、ここぞと言うときは外さない。

 アルの身体が疑似斥力場の光に包まれていく。

『――起動成功。カウントダウン開始。10、9、8、7――』

「……え?」

 かなめが千鳥に近づき、驚く彼女を初めて優しい笑顔で抱き締める。

 最後の抱擁を交わすと、かなめが千鳥を見つめて何かを伝えた。

『――3、2、1、0。目標を「ディスインテグレート」』

 アルのイメージが『ラムダ・ドライバ』を通じて物理現象化。千鳥を素粒子に分解した。

 発光し、さらさらと消滅していく千鳥。

 そして、彼女は帰っていった。

 最後の表情は、千鳥かなめらしい明るい笑顔だった。

 

 

「アル、ちゃんと起動したわね」

『肯定。やればできるものです』

 全身から白い煙を立ち上らせながら、アルが声だけで胸を張った。

 これから徹底的なオーバーホールが必要になるだろう。

 またミラの力を借りなければならないようだ。

『軍曹がお戻りです』

「無事か、戦友」

「無事よ、戦友」

 リビングに入ってきた宗介は、あちこち擦り傷だらけだったが、大きな傷は負っていないようだった。

 信じてはいたが、それでもかなめはホッとする。

「レイスは?」

「まだ周辺を警戒している」

「そう、間に合ってよかった――レイス、どうもありがとう」

 昨日のうちに連絡しておいた元『本物の護衛』に、かなめはインカム越しに礼を言った。

『ふん、あとでたっぷり事情を説明してもらうからな』

「いいけど、今回のはいつもに輪を掛けて信じがたいわよ」

 宗介は身動きのとれないアルに近づき、彼を見上げた。

「相棒、お前も頑張ったな。まさかその身体で『ラムダ・ドライバ』まで使いこなすとは」

『わたしは歴戦の戦士で、あなたと共に「戦士の回廊」を歩む者です。これぐらいは当然です』

 誇らしげな、アルの声。

 ここまで人間臭くなってくると、そのうちヒューマン・エラーを起こしそうで逆に怖い。

 宗介は苦笑しながら、アルにたずねた。

「なにかしてほしいことはあるか? トランザムはダメだが、新しい機械油ぐらいなら買ってやるぞ」

『軍曹殿、それではお言葉に甘えてお願いがあります』

「なんだ、言ってみろ」

『わたしのこの身体に、新しい塗装をしていただきたいのです』

「新しい塗装だと?」

『はい、軍曹好みのカラーリングで』

 ニヤリとしたアルの声。

「いいだろう。とっておきの塗装をしてやる」

 宗介もニヤリと応じると、かなめを柔らかく抱き寄せた。

「大変な24時間だったわね」

「まったくだ」

「ちゃんと、あたしに告白してくれた?」

「ああ、胸のつかえがとれた」

「そう。これで少しはあの娘も勇気を出せるでしょう」

「俺たちは歴史の改変をしてしまったんだな」

「少しぐらいいいでしょ。同じ並行世界なんて存在しないんだから」

「君らしい。いきなり現れて、散々かき回して、そして行ってしまった」

「3年前のあたしの苦労が、少しはわかった?」

「ああ、よくわかった」

 宗介は肯定するしかない。

 そして、誰かの保護者のような気分になるのも、悪くないと思った。

「――君は、よかったのか?」

 宗介は気づかいの眼差しを見せた。

 今回一番タフだったのは、間違いなく目の前の恋人だ。

「まぁ、あんなもんでしょ」

 予期せぬ自己との対面作業だったが、最後の最後に一番伝えたいことは伝えられた。

「一度くらいはあんたの恋バナで盛り上がりたかったけど」

 かなめは愛する男に寄り添いながら、そう微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

『……リ……ドリ……』

 誰かが……よんでいる……。

『……チドリ……千鳥……』

 知っている……この必死な声……あたしを心配して……とても怖がってる声……。

『……千鳥! ――千鳥!』

「……ソースケ……」

 目を開けると、そこに宗介がいた。

 いまだ少年の面差しを残す、生真面目で、抱き締めたくなるような顔。

「よかった、気がついたか! 千鳥!」

 微かに漂う、あの時の花の香り。

 ああ、戻ってきたんだ……あたしの世界に。

「君はこの24時間、いったいどこに行ってたんだ!?」

 宗介が自分をにらみ付けている。

 まるで、涙をこらえているようなその表情。

「……ソースケ、怒っているの……?」

「当たり前だ! 俺がどれだけ心配したか――」

「……ごめんね……」

「もういい、君さえ無事なら」

「……うん、無事だよ……」

「そうか、よかった……本当に」

「……あたしね……ソースケ……とっても良い夢を見てたんだ……」

「夢?」

 ……あたしがいて……ソースケがいて……アルがいて……。

 ……家族みたいに暮らしてるの……強い絆で結ばれて……。

「千鳥?」

「……あたしがこの24時間、どこにいたかって?」

「あ、ああ、そうだ」

「……あんたがテッサにばっかり構ってるから、ヤキモチ焼いて家出してたのよ」

「……なっ」

 絶句するソースケ。

 そうそう、あたしのソースケは、あたしの言葉にいちいち振り回されてる、可愛い男の子。

「……うそ……冗談……」

「そ、そう言う冗談は理解しかねるし、拒否したい」

「……ソースケ……」

「な、なんだ、千鳥」

「……背が低いね」

 戸惑うソースケに微笑んで、あたしは目を閉じた。

 そしてコイツが側にいる幸せを、思う存分味わった。

 

 

 君がいるから……。

 明日があるから……。

 一人きりじゃ生きていけないから……。

 こんなに近く感じる……。

 それが……。

 

 

 エピローグ

 

「――ところでさ」

 学校から帰り道。

 常磐恭子が、相良宗介の前髪を指さして言った。

「相良くん、最近髪伸ばしてる?」

 油断なく辺りを警戒していた宗介は、意表を突かれた。

「言われてみれば、そうね」

 千鳥かなめが、振り返って宗介の髪を見る。

「変か?」

 宗介が、前髪に手を伸ばす。

「それほどじゃないけど」

「でも、相良くんって、普段床屋さんとか行ってるの?」

「床屋とはなんだ?」

 興味深げにたずねた恭子に、宗介は質問で帰した。

 とこや? 初めて聞く単語だ。

「BARBERだよ」

「いや、いつも自分で切っている」

 宗介は、シャキンとコンバットナイフを抜いてみせた。

「うっ、なんか納得」

 恭子はギラリと光る抜き身のナイフを見て、こわばった笑みを浮かべた。

「あ、ねえねえ、いま思い付いたんだけど――」

「いいわ。これからあたしが切ってあげる」

 何かを言い掛けた恭子を、かなめが上書きした。

「うわ、カナちゃん大胆!」

 自分のアイデアのはるか斜め上をゆくかなめの言葉に、恭子が目を輝かせた。

 こんなことを、かなめが言うなんて。

 それも、自分がいる前で。

 しかも、まるでそれがごく当たり前というような、自然な表情で。

 これは明日の学校の一大ニュースだ。

「君が……か」

「そう。大丈夫よ、自分で切るよりはマシでしょ」

「い、いや、しかし、迷惑ではなかろうか……」

 明らかに戸惑い、動揺を隠せない宗介。

「恭子、そういうわけだから、今日はここでごめんね」

 そんな宗介を無視して、歩き出すかなめ。

「う、うん! 全然大丈夫!」

「行くわよ、ソースケ」

「りょ、了解だ――では常磐、また明日」

 慌てた様子で、宗介がかなめの後を追う。

「カナちゃん、今日は勝負の日だね!」

 遠ざかっていく二人の背中を見送りながら、恭子は心の中で最大限のエールを送った。

 

 

「は~い、お客さん。どんな感じにしますか?」

 洗面台の前に座らされ、ソワソワと落ち着かない宗介に、かなめが声を掛けた。

 手にしたタオルを、宗介の首に掛ける。

「苦しくない?」

 穏やかで温かな、かなめの気配。

「ああ、問題ない」

「よーし、じゃあ行くわよ」

 ふっ、ふっ、ふっ、ふっ! 不敵に笑ってハサミをジョキジョキさせる、かなめ。

 その様子に不安を覚えた宗介がたずねる。

「千鳥、散髪の経験はあるのか?」

「……」

「千鳥?」

「うん、もちろん。もう3年もやってるわ」

「本当か? それは……すごいな。まったく知らなかった」

 宗介は少なからず衝撃を受けた。

 事前のミスリルの身辺調査やこの半年間の自分の観察でも、そんな素振りはつかめなかった。

「あたしだってね。いろいろあったのよ」

 優しい指使いで、宗介の髪に触れる。

 最初は緊張していた宗介も、やがて、どこか懐かしい思いにとらわれていった。

 ずっと昔に、誰かにこうしてもらったような……。

 愛しみが、宗介を包み込む……。

 ダメだ……俺は千鳥の護衛だ……眠りに落ちるなんて……もっての外……。

 どのくらい微睡んでしまったのだろうか。気配にハッと目を覚ますと、眼前のかなめと目が合った。

 わずか数㎝の至近距離で、かなめが宗介を見つめている。

「ち、千鳥、何をする気だ?」

 狼狽えまくった宗介が、かなめにたずねる。

「キスをする気よ」

 対して、かなめの落ち着いた声。

「キ、キスだと?」

「そう、キス」

 さらに接近してくる、かなめの顔。

 もう、お互いの鼻がすれ違っている。

 顔にかかる吐息がこそばゆい。

「ち、千鳥、まつんだ。気を確かに持て。君は今、混乱しているのだ。散髪用の薬品の中にきっと有毒物質が――」

「あたしは正常よ」

「し、しかし、相手の同意を得ていないキスはレイプと同じだと言ったのは、君自身……」

「問題ないわ、あんたは嫌がってない」

「な、なぜ、それがわかる……」

「だって、あたしは『相良宗介』の専門家(スペシャリスト)だから」

「チド……」

「もう……しゃべらないで……」

 二人の唇が初めて重なり合う。

 触れ合う一点から全身に電流が走り、宗介が硬直する。

 だが、やがて、その緊張もやわらぎ……彼はおずおずとかなめの背中に手を回した。

 

 

 あの時、19歳のあたしは、母の笑顔でこう言った。

 ……タタカッテ。

 と。

 

 

End of Episode.

 

 

 




最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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