ご一読いただければ幸いです。
相良宗介が朝食の支度をする姿を、千鳥かなめは目を細めて見つめていた。
動きやすいケーブルニットにジーンズというラフな格好に、かなめとペアのエプロン。
逆三角形の背中が無駄なくキッチンを行き来している。
レンジに二つのフライパンを置いて、片方でフライドエッグ。
もう片方でクリスピーなベーコンを焼いている。
フライドの方には、温め終えたフライパンに減塩バターを一さじ落とし、卵を二つ割る。
中火で少し焼いてから火加減を弱くし、ふたをして1分少々。
白身はふんわり、黄味はとろ~りのかなめ好みフライドエッグが出来あがり、皿に盛られる。
ベーコンの方にはバターも油も敷かず、脂身自体で焼き上げる。
トースターにパンをセットする間に、時々ひっくり返して、クリスピーに仕上げる。
やがて頃合いよし、と宗介が判断し、カリカリのベーコンがフライドエッグの横にそえられる。
「――出来たぞ、かなめ」
宗介が振り返り、ダイニングテーブルに料理が盛られた皿を置く。
他には宗介の好物であるトマトを使った簡単なサラダと、新鮮なフルーツジュース。
あとはトーストと淹れ立てのコーヒー。
「ありがとう。うんうん、上出来上出来」
テーブルに並べられた朝食を見て、かなめは満足げにうなずいた。
普段は持病の低血圧のため朝はすこぶるテンションが低いのだが、今日はこれから友人と会う約束をしているので、すでにシャワーも浴びてシャンとしている。
「その言葉は食べてから言うべきだと思うが」
「お料理も男もまずは見た目よ。一目見て『食べてみたい』と思わせないとダメ」
「君は最近、稲葉のようなことを言うようになった」
宗介は微苦笑を浮かべながら、かなめの友人の名を上げる。
「瑞樹か、しばらく会ってないな~」
そう言いながら、いただきます――とかなめが箸を取る。
かなめは目玉焼きには絶対にしょうゆ派だ。
コショウだ、塩だ、ケチャップだ――は、ちゃんちゃらおかしい人倫にもとる行為だと思ってる。
友人たちから『田舎くさい』『おばさんくさい』と言われようが、これだけは譲る気にはなれない。
「うん、美味しい。ソースケ、また腕をあげたわね」
とろ~りした目玉焼きを口に運んだかなめが、称賛のまなざしを宗介に向けた。
「そ、そうか。君にそう言ってもらえると俺も嬉しい」
かなめいわく、『目玉焼きは料理の初歩にして極意』――らしい。
料理に不慣れだったころの宗介は、時間の節約のためになんでも高火力で『ガーッ!』と焼いてしまい、よくかなめにあきれられたものだ。
「あんたもようやく余裕が出てきたのね。いいことだわ」
「ここは戦場ではないからな」
早飯早×芸の内……である必要はない。
「でも、あんたは目玉焼きの焼き方に文句を言っちゃダメよ」
「? なぜだ?」
「女に嫌われる男の上位に、『目玉焼きの焼き方に文句をいう男』っていうのが入ってるからよ」
「ふむ……」
男がダメなら、女ならいいのだろうか? それともダメなのだろうか?
宗介がそんな疑問を抱いたとき、
『戦士は戦場に立つ者を意味します。戦場ではすべてを自分でこなさなければなりません。料理が出来るようになったことで、軍曹殿はより戦士としての高みに昇ったと言えるでしょう』
ホームコンピューター 兼 ホームセキュリティー 兼 自家用世界最強ASの戦術支援AI 兼 カーナビのアルが会話に混じってきた。
「ここは戦場ではないと言ったはずだぞ、アル」
『いえ、戦場です。銃弾こそ飛んできませんが、人生とはすべからく戦いなのです』
えらく深遠なことを言うホームコンピューターもあったものである。
『例えば軍曹殿が、いつまでもミズ・チドリと出会ったばかりの軍曹殿であったとしましょう。これから生涯をともにするあなたがいつになっても朝食の支度ひとつ出来ないとしたら、ミズ・チドリの愛情もやがて色あせ、2人の関係は冷え切り、寝室も別となり、最後は……』
「料理もできないお前に言われる筋合いはない!」
『料理はできませんが、わたしはこれでも
「
『はい、軍曹。わたしは”ハイオク”しか食しません。”レギュラー”などお断りです』
最近、念願かなって1982年型の黒のポンティアック・ファイアーバード(トランザム)を手に入れたアルが、『わたしは違いがわかる人間なのです』と言わんばかりに主張した。
「お前の……あの大食らいの中古車のガス代は誰が出していると思っている……!」
『軍曹殿、あなたは今や世界一の大富豪です。しかもミズ・チドリの金融予想アルゴリズムのおかげでその資産は1日平均約15億円ずつ増え続けています』
なに尻の穴の小さいことを言ってるんだ――と言わんばかりのアル。
……プルプル!
「はいはい、そこまでそこまで」
宗介の顔が見る見るこわばったのを見て、かなめが割って入った。
まったく、ソースケってば『16歳のあたし』がポーッとしちゃうくらい格好良くなってるのに、『アル』のことになると出会ったばかりのころの軍曹殿に戻っちゃうんだから。
こうなると、わんぱくな双子を持ったお母さんの気持ちになってしまう。
そんなことを思っていると、かなめの頭にふとあるアイデアが浮かんだ。
(……そうね、それならいっそ)
「かなめ、早く食べないとミラとの約束に遅れるぞ」
「おっと、そうだった、そうだった」
かなめは不機嫌な宗介の声に、慌てて食事を再開する。
今日はこれから、宗介と2人で立ち上げる予定の新事業のために、共通の友人である久壇未良をスカウトする交渉がある。
すでにもう1人の引き抜き対象である『レイス』こと『金玉姫』からは、色よい返事をもらっている。
ミラの応諾がもらえれば、当面はこの4人にアルをくわえた5人での運営となるだろう。
ミラは白紙の小切手を渡してでも、ぜひとも迎えたい人材である。
新事業――ミスリルと提携しての『ウィスパード』の捜索・保護を専門とする企業の立ち上げが、いよいよ動き出したのだ。
× × × × × ×
その日の夕方、相良宗介はかなめと同棲している彼女のマンションからほど近い貸倉庫にきていた。
貸倉庫といっても、最近流行のコンテナを連ねた個人用の収納スペースではない。
倒産によって宙に浮いていた運送会社の倉庫を借りたもので、彼の愛機でありアルの本体でもある『レーバテインII』が降着姿勢で格納されている。
(……異常なし)
宗介お手製の厳重なセキュリティーが構築されているため、侵入者の痕跡はない。
もっとも何者かが侵入したとしても、アル本人が起動して即座に拘束してしまうだろう。
アルは普段、千鳥家のホームコンピューターとして彼女のマンションに常駐しているが、いざとなればかなめの考案した『ドッペルゲンガー・システム』で、こちらでも自律行動ができる。
単独でラムダ・ドライバを起動できるレーバテインIIに、悪さをできるような人間がいるとも思えなかった。
(……あとはこの倉庫を正式に買い取って、ミラの仕事がしやすいように改造するだけだな)
久壇未良のミスリル研究部からの引き抜きは成功し、すでに正式な契約書も交わしている。
ミスリルは、当初優秀なAS開発者である彼女を引き抜かれることに難色を示していたが、今のミスリルはアマルガムによる壊滅からの再建途上であり、正面装備の充実が最優先の課題だった。
研究費に回す予算の捻出にも苦しく、それならいっそ外注先に出向させるつもりで元隊員の相良宗介の立ち上げる新企業に送り出してもいいだろう――との最終判断が下された。
(この陰にはミスリル最高司令官となったボーダ提督への、テレサ・テスタロッサの口添えがもちろんあった)
そうすることで、いざというとき世界有数のASオペレーターである彼と彼の所有するラムダ・ドライバ搭載機の力を借りることができる。
バニ・モラウタの自死以降、ミスリルはラムダ・ドライバ搭載機の新規建造ができないままなのだ。
(……さて、そろそろ夕飯の時間だ。かなめに頼まれている買い物を済ませて早く帰ろう)
× × × × × ×
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――ドサッ、
リビングの床に、宗介の手からスーパーの買い物袋が零れ落ちた。
目を疑うような光景が、キッチンに広がっている。
身の丈2mはある大男が、かなめと仲良く料理にいそしんでいたのだ。
「アル……貴様、何をしている?」
『あ、軍曹、お帰りなさい』
何が『あ、軍曹』だ、俺が帰ったことなど、センサーでとっくに感知していたくせに。
「あ、ソースケ、お帰り」
「いったい、何をしているのだ、かなめ?」
『見てのとおり、夕食の支度です』
かなめよりも先に、アル――白と濃紺の特殊塗料(ラムダ・ドライバ発動時でも剝がれない)で再塗装された『Plan1211アラストル』改め自称『アーバレストII』――が答える。
「夕食の支度だと……!? 馬鹿な、お前にそんな真似ができるはずがない!」
「あたしが新しいアルゴリズムを書き加えたのよ。アルもソースケが朝食の支度をするの見て、自分でもやってみたいって言って」
『食事の支度は戦士のたしなみです。わたしとて軍曹殿と「戦士の回廊」を歩む者。これぐらい出来るのが当然かと』
「そうそう、家族全員が料理できるなんて理想じゃない。主婦の負担の1番は何と言っても家族全員の食事の支度なのよ」
『懸命なご判断です、ミズ・チドリ。負担は分散させるのがリスクマネジメントの基本です』
「ありがと、アル」
『――ミズ・チドリ、あ~ん』
「ん? あ~ん」
パクッ、
『いかがでしょう、わたしの玉子焼きの味は』
「うんうん、美味しい美味しい。すごいじゃない、アル。初めてでこんなに上手に焼けるなんて」
(あ、あ~んだと!? しかも、俺にはまだうまく玉子焼きがやけないというのに! さらにそれは俺のエプロンではないか!)
俺は……悪い夢でも見ているのか?
自分とかなめの愛の巣に突如として現れた脅威。
宗介には対応策がまるで浮かばなかった。
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・
夕食が始まっても、宗介は終始不機嫌だった。
面白くない。
はなはだ面白くない。
かなめと……そしてアルが作った料理は申し分なく美味かったが、アルが作った料理が美味いというのが気に入らない。
料理とは失敗を重ねて上達していくものだ。
どんな天才シェフだって、最初は黒焦げか生煮えの料理だったはずだ。
そもそもこれは、チートではないか。
優秀なのはかなめの書いたプログラムであって、アルの腕前ではない。
だいたい口がないのにどうやって味見をしているのだ?
味見もしてない料理を人に出すなど、不誠実ではないか。
宗介の内心の葛藤をよそに、アルはかなめのかたわらに立ち、手に白いナフキンを掛けて給仕役を務めている。
『ミズ・チドリ、ワインのお代わりは?』
「ありがとう、いただくわ」
「……かなめ、アルコールは脳細胞を破壊する。何度言えばわかるのだ」
「少しのアルコールは脳と身体をリラックスさせてくれるのよ」
『ミズ・チドリの言うとおりです。特にミズ・チドリは頭脳労働者です。脳細胞の活性化のためにも少量のアルコール摂取は有効です』
「……」←典型的な肉体労働者。
宗介は自分が忍耐強い性格だと自負している。
しかし、怒りの感情がまったくないのかというとそうではなく、実は結講熱くなるタイプだ。
特にかなめに対する執着心・独占欲は尋常ではなく、彼女が自分の物にならないのなら爆破して、いっそこの世から消し去ってもいいくらいに思っている。
それをたとえAIとはいえ、こうも目の前で意気投合されると心中穏やかではいられない。
いや、穏やかでいられないどころか、すでに心の中は大嵐である。
『ミズ・チドリ、実は折り入ってお願いがあるのですが』
「なに、アル?」
『わたしのこの顔についてです。以前から気になっていたのですが、この顔は「悪人面」です。ミズ・チドリの護衛としふさわしくありません。あなたの護衛にふさわしいデザインにリファインしていただけないでしょうか?』
「トランザムといい、あなたって意外と面食いなのね。いいわ、ミラが来たら一緒に考えてあげる」
『恐縮です』
「なにか具体的な要望はあるの?」
『メインセンサーはデュアルアイを希望します。一つ目はいけません。次に二本の角に擬したブレードアンテナ、これは額へ装着してください。口元ですとひげに見えてしまい、国辱のデザインとなってしまいます』
ガタッ、
「……馳走(ちそう)になった」
宗介は立ち上がると、今日は疲れたのでもう休むと言い残し、バスルーム、そして寝室へと消えてしまった。
(……やれやれ)
かなめはボリボリと頭をかいて、今後の対応策を考えた。
× × × × × ×
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ガチャ、
入浴をすませ、水分補給もし、TVも見終えたかなめが寝室に入ってきた。
以前はかなめの私室として使っていたこの部屋は、今は宗介と選んだキングサイズのベッドが置かれ、二人の寝室となっている。
宗介は、右側を向いて眠っている……フリをしている。
普段は規則正しく真上を向いて寝るのだから、非常にわかりやすい『拒絶』のサインだ。
(あ~、あ~、まったく子供なんだから)
「ね~、今夜は変なことはしないの?」
かなめはベッドに入ると、あまったれた猫なで声で訊ねた。
「……」
「ね~、ね~」
「……今夜は変なことはしないぞ」
「なんで? あたしはしたいな~、ソ~ちゃんと変なこと」
(ソ、ソ~ちゃんだと?)
(……うっ!?)
ぷにゅっ、と背中に押しつけられる柔らかくも豊かな膨らみ。
「き、君はズルい、そうやって肉体を使って男を籠絡するなど、破廉恥だ」
「昼は淑女のように夜は娼婦のように、これっていい女の基本なのよ」
ふっ、と宗介の耳元にかかる、甘い吐息と囁き。
「こ、交渉は拒否する! こちらにその意思はない!」
「でも、こっちの意思はあるみたいよ」
かなめの手が宗介の下半身に伸びる。
「か、かなめ、出会ったばかりのころの君は、こういった行為には嫌悪感を抱いていたはずではなかったかのか」
「あたしをこんな風に変えた張本人が何を言うか」
行為の前から珠の汗をダラダラ流して、すべての自制心を総動員する宗介。
ここでかなめの誘惑に負けたら、抗議の意思を自分で撤回することになる。
そもそも、幼いころから戦場という常に生命の危険に晒される環境で育ったせいか、宗介の肉の欲望はとても強い。
陣代高校に転入したてのころ、かなめと出会ったばかりのころはまだ経験がなく朴念仁の名をほしいままにした彼だったが、一度その味を知ってしまうと自分でも浅ましいと思うほどに際限がなかった。
かなめもかなめで、男女の直接的な関係については臆病で、宗介の言うとおり汚らしいものとして嫌悪すらしていた。
それは父親との確執の裏返しの感情でもあったのだが、宗介との出会いと一時の離別、そして再会を経験した後は、父親との関係ともども自然に乗り越え、別離の影響もあって今は健康な若い女性相応の願望を身に付けていた。
要するに、どちらも愛するパートナーのこういったアプローチには、すこぶる弱い。
「……ね、しよ、ソースケ」
「……くっ! だ、断固拒否する!」
「……し・よ、ソー・ス・ケ」
相良宗介、ラムダ・ドライバ、発動。
× × × × × ×
宗介が睡眠状態から覚醒したのは、普段よりずっと遅い時間だった。
ハッとして、上半身を起こす。
時計を見ると、午前7時を回っている。
いつもより2時間以上も遅い時間だ。
(……いかん、寝過ごした)
隣では、生まれたままの姿にシーツだけをまとったかなめが、スゥスゥと子供のような寝息を漏らしている。
乱れた髪がドキッとするほど艶っぽい。
(……っ)
宗介は、またぞろ邪な欲望が頭をもたげそうになったので、頭を振ってベッドを出た。
今日は筋トレもロードワークもしている時間はないな。
急いでシャワーを浴びて、昼食の支度をしなければ……。
宗介は寝室を出ると、リビングを素通りしてバスルームに……。
リビングを素通りして……。
リビングを……。
「――アル、貴様そこで何をしている!」
キッチンでは昨夜と同じように、エプロン姿のアルがいそいそと朝食の準備にいそしんでいる。
『おはようございます、軍曹殿。昨夜はよくおやすみになったようですね』
「大きなお世話だ!」
なにやら自分とかなめの営みを揶揄されたようで、寝起きの機嫌の悪さも手伝って、宗介は声を荒らげた。
アルが何をしているかなど一目瞭然だが、それでも問いたださずにはいられない。
「俺は何をしているのかと聞いている!」
『もちろん、朝食の準備です。軍曹殿も早く顔を洗ってきてください』
にこやかな声でアルが答えた。
『あ、それとも先に味見をしますか?』
アルが宗介に近づき、菜箸でつまんだ玉子焼きを差し出す。
『軍曹殿、あ~ん』
プチッ!
「……いいか……アル……この際、鉄頭のお前にも理解できるようにハッキリと言ってやる……」
「――千鳥の朝食を作るのは、俺の仕事だ! 貴様に朝のキッチンに立つ資格はない!」
その様子を、全裸にシーツだけを巻き付けた姿のかなめが、ゲンナリとした表情で見ていた。
シャワーを浴びにズリズリと寝室を出て、リビングの入り口までやってきたのである。
(……あ~あ、またやってる……昨夜のあたしの苦労はなんだったのよ……)
ただでさえ低い朝のテンションが、さらにだだ下がりである……。
(おまけに千鳥ときたもんだ……)
宗介がかなめではなく千鳥とよぶときは、心底激高しているときである。
アマルガム相手に、かなめを奪い返すべく孤軍奮闘していたころの彼に精神状態が戻っている。
『軍曹殿、僭越ながら反論を述べさせていただきます。それを決める資格はあなたにはありません』
「なんだと!」
『あなたはミズ・チドリの婚約者ではありますが、まだ結婚したわけではありません。よってこの家での家事に関する一切の決定権はあなたではなく、ミズ・チドリにあります。ミズ・チドリにこの家の正式な所有権はありませんが、所有権を所持している父親からこの家を任されている以上、彼女にその決定権があると考えるのがこの場合は妥当です』
「屁理屈を言うな!」
『軍曹殿、これは屁理屈ではなく、立派な理屈です。むしろ軍曹殿の主張こそ、屁理屈にもなっていない非論理的な非常に幼児的なわがままと言えるでしょう』
(……アル、あなたの言ってることはまったく正しいわ……でもそれを言っちゃおしめえよ……)
かなめは額を抑えて、ガックリと頭を垂れた。
「……アル、お前の上官として命じる……俺がいいと言うまで部屋にこもって出てくるな。これは命令だ」
アルのセンサーが、宗介の背後で深いため息を吐いているかなめを捕らえた。
かなめが同情のこもった瞳でうなずく。
『はい、軍曹殿』
アルは了承の意を示すと、丁寧に宗介のエプロンをたたみ、リビングを出て行った。
「……おはよ、ソースケ」
「むっ……起きていたのか」
宗介は驚いた様子で振り返った。
背後のかなめに気がつかないほど、感情を高ぶらせて――動揺していたらしい。
かなめは宗介の気配に、ここ最近まとっていた余裕がないのを感じた。
かなめにはわかる。
宗介がこういう状態になるときは、必ず自分が関係しているときだ。
宗介にとって、自分は恋人であり、親友であり、姉であり、そして母親でもある。
安らぎであり、希望であり、憧憬。
光であり、救済であり、温もりそのものなのだ。
別に驕慢になっているわけではない。
むしろ、他の男女にはないこの関係性を忘れてはいけないのだ。
「また、アルとケンカしたの?」
優しい表情でかなめが訊ねる。
「別に、ケンカなどしてはいない」
どこか拗ねたような宗介の表情、声。
「ただ、あいつが自分の分を超えた行動をしたから注意したまでだ」
「アルはね、ただあなたに、ソースケに喜んでもらいたかっただけなのよ」
「……」
「あなたはアルの大好きなお兄さん。お兄さんは、少しぐらい嫌なことがあっても我慢してあげなくちゃいけないの」
自分とあやめの関係。
それはかなめにとってつらい記憶だったが、決して間違っていたとは思っていない。
むしろ今は、あれで正しかったのだと思う。
「ねぇ、ソースケ」
「なんだ?」
「あたしが、アルと駆け落ちでもしちゃうと思ってるの?」
クスクスとおかしそうに笑うかなめを、宗介がギョッと見た。
要するに、それがこの問題の本質なのだ。
「も、もちろん、そんな心配はしていない」
さすがに羞恥心に顔を赤らめる宗介。
「だったら、そんなに怖がらないで。素直に弟がお料理を覚えたことを喜んであげて」
「……」
沈黙した宗介の左頬、その十文字の古傷にかなめが手を伸ばし、触れた。
「ソースケ、あたしが『ウィスパード』の頂点に立つ存在、『ウィスパリング』だってことは知ってるわよね?」
突然、そんなことを言い出したかなめを、宗介は驚いて見つめた。
「今のあたしは世界最強のASを設計することも出来るし、実用化にはまだ何十年もかかる量子コンピューターだって建造することも出来る」
少しだけ悲しそうな、かなめの笑顔。
「でもね、アルだけは作り出すことが出来ないの」
「アルだけは、作り出せない」
かなめは、もう一度繰り返した。
「相良宗介が残酷で無慈悲な破壊と殺戮、戦争と混沌の中で、それでもその時その時で、バダフシャンのマジードや、老ヤコブ、そしてあたしたちを出会わせてくれたアンドレイ・カリーニンから、確かな愛情を受けて育った、闇の中で光を失わなかった奇跡の存在なのと同じように……。
アルも、バニ・モラウタの生命への敬意と誠実な優しさ、そしてテレサ・テスタロッサへの真実の愛情から生まれた奇跡の存在なの。
あなたたちは数ある並行世界の中でも、ともにこの世界線、あるいはこの世界線と隣り合う世界線にしか存在しないイレギュラーなのかもしれない。
あなたとアルが兄弟だと言うのも、そういうことなの。あなたたちは、数え切れないほど鍛えられた日本刀の中に極まれに生まれる本当に希少な刃文と同じなのよ。同じものは二度と生まれない。それがあなたたちなの。
だからこそ、歴史改変をとめられたのかも」
だからこそ、あなたたちは生き残れたのかも。
本来ならあのメリダ島での最後の戦いのおり、レーバテインがレナード・テスタロッサのベリアルにコクピットを貫かれたときに2人とも命を終わらせていたのかも。
それを生き残れたのは、やはりこの世界線での宗介とアルが特別な存在だったからなのかもしれない。
「だから仲良くしてあげて。アルはもう一人のあなたなのだから」
かなめの真摯な言葉に、宗介は恥ずかしさにいたたまれなくなった。
自分はなんと幼く、未熟な態度を取ってしまったのだろうか。
今になって、猛烈な後悔が襲ってきた。
「……しかし、何と言って謝ればよいのかわからん」
宗介は途方に暮れてしまった。
簡単に謝罪ですむほど、自分がアルに投げつけた言葉は軽くない。
「大丈夫、お母さんに任せなさい」
かなめがシーツに包まれた豊かで形のよい胸を叩いた。
兄弟げんかの仲裁は母親の仕事だ。
かなめは宗介にリビングで待っているように言い残すと、ひとまず寝室に戻って下着とスエットの上下を身に付けた。寝癖がスーパーサイヤ人だったがこの際、気にしてはいられない。
かなめは、今はアルの居室となっている父親の書斎 兼 寝室の前に来ると、ドアをノックした。
『……どうぞ』
沈んだ声にうながされて、中に入る。
部屋の中央に、悄然と肩を落とす『アーバレストII』がいた。
「……アル、大丈夫?」
『……ミズ、チドリ。わたしは軍曹殿に嫌われてしまったようです』
ハッキリそれとわかる落ち込んだ声。
「そんなことないわよ。ソースケはアルを嫌ったりしてない。あれはね、あなたに甘えているだけなの」
『軍曹殿が、わたしに……ですか? それは非常にユニークな意見です』
「わたしも経験あるのよね。よかれと思ってあいつにしたことが、逆にあいつを苛立たせちゃって」
『差し支えなければ、その時の状況を教えていただけないでしょうか?』
かなめはアルに、ガウルンによる<トゥアハー・デ・ダナン>のシージャック事件の話をした。
あの時、自分はソースケと本当の意味での喧嘩をし、そして彼に初めて八つ当たりという名の甘えを受けたのだった。
「人間ってね、親しくなるとその人との距離感がわからなくなってしまうの。ついその人の大切にしているものとか、気にしていることに無遠慮に触れてしまうのよ」
『つまり今回はわたしが、軍曹殿が一番大切にしている物に触れてしまったということですね』
「そういうことになるわね」
『それはつまり、ミズ・チドリあなたのことですか?』
かなめはニッコリ微笑んだ。
「それを考えるのが人間ってもんでしょ」
× × × × × ×
アルはかなめに伴われて、リビングに戻ってきた。
ぽつねんと部屋の真ん中で立ち尽くしていた宗介が振り返る。
「……アル」
『……軍曹殿』
ここで感動的な和解劇が演じられるのかと思いきや、
「和平交渉を要求する」
『よろしいでしょう。和平交渉に応じます』
と、きたもんだ。
「こちらの提示する和解の条件だ。週に2回、お前に朝食を作る権利を与える。夕食の手伝いも同じだ」
『みみっちいですね、軍曹。朝食の支度、およびミズ・チドリの夕食の手伝い、ともに4回を要求します』
「論外だ」
『では、この交渉は決裂ですね』
「~~~」
頭を抱えるかなめ。
いかなる時も相手に弱みを見せないコンバットな軍人精神がたたき込まれているせいか、まずは謝罪という仲直りの基本がわかっていない。
「……」
『……』
対峙する、宗介とアル。
「では、どちらも週3回だ。これ以上の譲歩はできん。拒否するなら戦争だ」
『
「いいだろう。ではこちらはこれより武装解除に移る」
『こちらも臨戦態勢を解きます』
和平交渉は成立した。
かなめは2人に近づくと、
「――よしよし、いい子、いい子」
と、2人の頭をくしゃくしゃとなでた。
「2人が一両ずつ損して、あたしが二両の得をする! これぞ本当の大岡裁きね!」
日々の食事の手伝いを2人も得た時代劇マニアかなめが、颯爽と叫んだ。
「本日の白州はこれまで!」
× × × × × ×
その日は朝から雨が降っていた。
午前中をなんとはなしに過ごし、宗介と一緒にアルの作ってくれた昼食をとったかなめは、ダイニングテーブルで紅茶の湯気を顎にあてながら、ぼんやりと雑誌をめくっていた。
めくっているだけで、読んではいない。
なんとなく気だるい午後である。
ふと、リビングを見ると、宗介とアルがソファに座って、TVゲームに興じている。
「アル……お前、さっきからいきなり強くなったな。まさかチートしているのではあるまいな?」
『
「本当だろうな。ならばなぜ急にここまで戦力差がひろがったのだ?」
『↑↑↓↓←→←→LR、これはチートではなく裏技の基本です、軍曹殿』
しれっと答えるアル。
こめかみをひくつかせながらも、お兄さんとして怒りを抑え込んでいる宗介。
かなめはクスッと笑って、再び雑誌に目を落とした。
雨の日には、子供は家の中で遊ぶものなのだ。
目玉焼きと玉子焼き――どちらも元をただせば同じひとつ。
End of Episode.
お読みいただき、ありがとうございました。