宗介とかなめが『ルパン三世 カリオストロの城』の23年後のカリオストロ公国を舞台に、ウィスパードを巡る陰謀に巻き込まれます。
カリオストロの城のネタばれがありますので未見の方は御注意ください。
またオリキャラがでますので苦手な方はブラウザバックを推奨いたします。ご一読いただければ幸いです。
第1話は冒頭のあのシーンまで。
南仏からスイスに至る田舎道を、1台の小型車が走っていた。
古いアスファルトの舗装は所々痛み、ガタコトとした振動を車体に伝えてくる。
周囲には、牧歌的な高原地帯がどこまでも続いている。
9月の暑い盛りだが、海洋性の気候にしては湿度が低く、また好天に恵まれて過ごしやすかった。
時折大きな千切れ雲が風に流されて、手の届きそうな頭上を通り過ぎていく。
「ねぇ、今なにを考えてた?」
助手席に座る若い女――その面影にはまだ幾分少女の面影を残していた――が、運転席の男にたずねた。
男を試すような、悪戯っぽい、無邪気な声。
視線の先では、放牧された羊の群れがのんびりと草を食(は)んでいる。
「たぶん、君と同じことだ」
ハンドルを握る男が、穏やかな表情で答えた。
浅黒く精悍な顔に、年若な年齢に似合わない沈着な雰囲気を漂わせている。
左頬の十字の古傷だけが、男の過酷な過去を匂わせていた。
「ふ~ん」
若い女――千鳥かなめは、満足げに返事をした。
運転する男――相良宗介が、自分と一緒に羊を見て連想することは一つだけだ。
かなめはたまに、こうして恋人であり婚約者である宗介の気持ちを試したりする。
性格的に『あたしのこと好き?』とストレートに訊けないので、少々もってまわった言い方になる。
以前の宗介ならここで、
『――あの羊群に爆弾を装着されて、一斉に向かわれてきた場合の対処法を考えていた』
と、無粋かつ物騒な答えを返したものだが、かなめと付き合い始めて2年半。
そういった彼は、すでに過去の存在になっていた。
はた目にはハネムーン、あるいは結婚を約束したカップルの婚前旅行に見えることだろう。
日本人にしては、海外経験が長く旅慣れた印象だ。
実際に2人は、目的地に着くまでは半分はそんな心持ちだった。
目的地はフランスとスイスに挟まれた、とある小国だった。
宗介とかなめはそこに、2人が立ち上げた新事業の初仕事として向かっていた。
業務内容は、現地で確認されている『ウィスパード』との接触。
彼らが抱いているであろう自身への疑惑と怖れに対する説明とケア。
くわえて置かれている危機的状況の対策の提案。場合によっては説得。
宗介とかなめ以外の3人の同僚も、機材と共に別ルートで現地に向かっている。
他にも提携先の<対テロ私設傭兵部隊ミスリル>から、諜報員が派遣されている。
まずは彼か彼女と接触して、最新の状況説明を受けなければならない。
エージェントの素性は万が一の場合を考えて明かされないのがこの世界の鉄則だが、地理的要因その他を鑑みて派遣されているのはおそらくあの男だろう。
宗介が停車させた。
目の前を、長く連なる古い貨物列車がのろのろと進んでいる。
かなめはこちらに来てから調達した小型車、クリーム色の『フィアット500』のサンルーフから上半身を出した。
なじみの武器商人に依頼して用意させた車である。
屋根の後部に盛大に載せている荷物にぶつからないように、グッとのびをする。
狭い屋根には大型の旅行鞄だの、テントや毛布、バケツに鍋にフライパン、スコップなどがくくり付けられている。
宗介も運転席を出て、ストレッチをしている。
目的地まで、あと山を三つも越えなければならない。
今回の仕事では必要なさそうだが、かなめや宗介自身が彼らを利用したい組織や企業からいまだ狙われている身なのである。備えは必要だった。
君さえいれば武器はいらない――。
あの陣代高校での劇的な再会のおりに、宗介がかなめに口にした言葉だ。
しかし、それは武器を手放すということではない。
生活の糧を得るために傭兵をする必要がないということだ。
かなめからブラックテクノロジーの知識が消えない以上、宗介には武器が必要だった。
それが2人の歩む道だった。
かなめはサンルーフから身体を乗り出しながら、地図を拡げた。
「――う~ん、このままだと今夜は野宿になりそうね」
このままだと、日が暮れるころにはちょうど人里離れた森の中――だった。
「問題ない。食料も装備も十分に用意してある」
長い間戦場で生きてきた宗介は、文字通り野営のスペシャリストだ。
アマルガムからの逃避行のおりも、かなめと2人なんども星空の下で夜明かした。
かなめはそんなときでも、宗介のおかげで不便を感じたことはほとんどなかった。
「OK~、それじゃ今夜は久しぶりにキャンプとしゃれこみましょ」
かなめはウキウキした気分を抑えきれない。
AIのアルと同居するようになってから、宗介と本当の意味で2人きりになるのは久しぶりである。
目的地に着くまでは、2人だけの時間を思い切り満喫してやるのだ。
同僚の久壇未良が、
『え~、そんなかなめさんたちだけズルいです!』
と抗議の声を上げたが、かなめは社長権限で却下した。
アルも、
『わたしも愛車のトランザムで、ぜひアウトバーンをぶっ飛ばしてみたいです』
とわがままを言ったが、これもやはり却下。
公私混同は、経営者の特権だ。
目的地の『カリオストロ公国』までは、まだ数日の距離がある。
一足早いハネムーン気分を味わうには、十分な時間だろう。
× × × × × ×
3週間前。
東京都調布市、かなめのマンション。
新設予定企業、有限会社<名称未定>
第n回、重役会議。
「……『カリオストロ公国』? 聞かない名だな」
初めて耳にする国名に、企業オーナー 兼 総務部長(何でも屋の公称)の宗介が呟いた。
「人口8900。モナコ公国を抜いて、世界一小さな国連加盟国だ」
情報部長 兼 要人警護担当官のレイスが答える。
「加盟当時は3500人だから、これでも倍以上には増えている」
――アル、地図を出してくれ。
レイスがアルに命じて、リビングの大型液晶TVに『カリオストロ公国』の位置を映し出す。
ヨーロッパ大陸のほぼ中央。
フランスとスイスに挟まれた、ほんとうに小さな国だ。
「現在の主な産業は観光と羊毛品や工芸品の輸出。距離的にスイスと近いせいもあって、かつては時計細工も盛んだったが、今は日本製に押されて衰退している」
代表取締役のかなめや、技術部長の久壇未良も黙ってレイスの話に耳を傾けている。
「歴史的な特色としては、建国以来一度も他国の併合を受けていないことだろう。こんなちょっとした街に毛の生えた程度の規模の国としては、これは奇跡に近い」
「なにか理由があるんですか? その、独立をたもてた」
久壇未良――ミラが、行儀よく手を上げて訊ねた。
「その理由は、この『カリオストロ公国』の真の産業にある」
「真の産業って?」
かなめが思わず身を乗り出した。
そこはかとない陰謀の臭いがする。
007シリーズは、かなめの大好きな映画だ。
「偽札造りだ」
かなめの予感はあたった。
「かつて本物以上と讃えられた、偽札の中の偽札『ゴート札』の心臓部がこの国だ」
レイスの口調に迫力が増す。
「中世以来、ヨーロッパの動乱の陰に必ず蠢いていた謎の偽金。ブルボン王朝を破滅させ、ナポレオンの資金源となり、1927年には世界恐慌の引き金ともなった」
……ゴクリ、
かなめが唾を飲み込んだ。
「わたしたち諜報員の間では有名な話だ。偽札界のブラックホールとな」
「ブラックホール?」
「ちょっかい出して帰ってきた者はいない」
「「……」」
ドン引きする、かなめとミラ。
「歴史の裏舞台、ブラックホールの主役『ゴート札』。その震源地をのぞこうとした者は1人として帰ってこなかった」
レイスの声から、ふっと重さが抜けた。
「だが安心しろ。それはもう過去の話だ。23年前にインターポールの大規模な捜査が入り、今はもう犯罪行為は行われていない」
どうやら、かなめやミラをからかって楽しんでいたらしい。
レイスにはこういう悪癖があるから困る。
「ちょっと脅かさないでよ。一瞬マジでヤバい仕事かと思っちゃったじゃない」
かなめがホッと息を吐いた。
記念すべき、このチームでの初仕事である。
まずは簡単な内容のものからこなして経験値と自信を積み重ねたい。
犯罪組織との大立ち回りなんて、願い下げもいいところだ。
数ヶ月前の中東でのAS戦は、完全なイレギュラーである。
「ただ、これはお前たちとまったく関係のない話ではない――アル、次の資料を出してくれ」
『Yes、エージェント』
TVに映し出されたのは、いかつい顔をした壮年の男だった。
眼光鋭く、えらが極端に張った四角い顔。ブラウンの頭髪は年齢にしては豊かだった。
「うへぇ……典型的な悪人顔ね」
あたしはノーサンキューと……言った顔のかなめ。
「この男の名は、カリオストロ伯爵。23年前まで『カリオストロ公国』の摂政だった男で、偽札造りの首謀者だ」
「今はどうしているのですか? どこかの刑務所に服役中とか?」
ミラが訊ねる。
「いや、死んだ。インターポールの手入れのどさくさでな。口封じに謀殺されたのではないかとのもっぱらの噂だ」
「謀殺って誰に? この男が親玉だったんでしょ?」
「アマルガムに――だ」
「「「……!」」」
レイスの言葉に、宗介、かなめ、ミラの顔がこわばった。
「この男はアマルガムの構成員だった。コードネームは<ミスタ
「アマルガムの潜在的脅威者ね」
アマルガムの幹部は、全員が『金属』のコードネームを与えられている。
その際に水銀と結び付かない金属名がつけられるのは、組織に対して潜在的な脅威だと思われている者、すなわち忠誠を疑われている者だ。
たとえば、あの<ミスタFe>――ガウルンのように。
もっともそのアマルガムも、安全牌だと思われていた<ミスタAg>――レナード・テスタロッサのクーデターによって崩壊したことを思えば、あくまで警告以上の意味はなかったようだ。
「さっきも話したが『ゴート札』の歴史はアマルガムのそれよりもはるかに古い。アマルガムが設立された最初期にどちらかが、あるいは双方から近づいて、一応の協力態勢を採ったのだろう。アマルガムの当初の目的は第三次世界大戦の抑止だ。世界中に偽札をばらまくことで利益を得ている『カリオストロ公国』は世界が滅びてもらってはこまる――実際、アマルガムの資金源のひとつにもなっていたようだ」
重い沈黙がリビングを支配する。
アマルガム――かなめの、ミラの、そして宗介の運命を狂わした忌むべき名。
彼らのこれからの人生には、この組織の亡霊が常について回るのだ。
「……先を続けていいか?」
「う、うん、お願い」
アルがレイスに命じられて、次の資料をTVに映す。
その瞬間、すでに見知っていたレイスをのぞく全員の口から吐息が漏れた。
驚き……賛嘆……それすらを超えた畏敬の念。
「……美しい女性だ……」
宗介の口から無意識のつぶやきが漏れた。
彼がかなめ以外の異性を美しいと言ったのは、これが初めてだった。
しかし、かなめは宗介を責める気にはなれなかった。
なぜなら、美しさと優しさと強さを兼ね備えた、理想の女性がそこにいたからだ。
「これが現『カリオストロ公国』元首、大公女『クラリス・ド・カリオストロ』だ」
「23年前に『カリオストロ伯爵』が死んだあと、大公息女であった彼女が国家元首に就任した。まだ16歳の若さだった」
「……それだけ彼女のカリスマ性が必要とされたのだろう。『ゴート札』という国家収入を失った以上、『カリオストロ公国』は文字通り、世界最小の国家にすぎない」
宗介が嘆息した。
16歳といえば、テレサ・テスタロッサがTDD-1<トゥアハー・デ・ダナン>艦長に就任し、ミスリルの西太平洋戦隊の司令官に任じられた年齢と同じだ。
国家元首となれば、そのテッサ以上の重責だろう。
運命とは時として、年齢以上の重荷を人に押しつけてくる……。
「……とても39歳には見えませんね」
ミラが画面のクラリスに目を奪われたまま言った。
「……ほんと、どう見ても20代に見えるわ」
同様にTV画面の女性を見つめながら、かなめが答えた。
女性としての柔らかく温かな包容力と、自立した一人の人間としての凜々しさが同居したたたずまい。
宗介が美しいといったのは外見だけの印象からではない。
常に質実剛健の彼は、人間の外面にはだまされない。
宗介は直感的に人の内面を察する。
それは戦場で長く生きてきた彼の本能のようなものだった。
宗介はこの女王に、人間としての真の美しさを見て取ったのだ。
「これが即位当時の彼女だ」
映し出された若き日の、まだプリンセス時代のクラリスには、もはや誰も何も言えなかった。
華奢で儚げな印象の中に、それでも優しさと強さを宿す、言葉通りの絶世の美少女。
「……こんな人がこの世界に本当にいるのねぇ」
「……ええ、いるんですねぇ」
やがて、かなめとミラが深々とため息を吐いた。
実は2人とも、自分の容姿にはそれなりの自信を持っていた。
ウィスパードの共通点として常人をはるかに超える知能があるが、同様に一般人と比して秀でた容貌がある。
かなめは中学時代から、すでに同世代の少女たちに比べて一頭どころか二頭も抜きんでた容姿をしていたし、ミラも同様だった。
その2人をして、16歳のクラリスにはただただ賛嘆の思いしか浮かばない。
嫉妬、悔しさ、羨望、それらをまとめた敗北感……すら感じなかった。
「目の保養はもういいか?」
レイスが真面目な声が、かなめたちを現実に引き戻した。
「が、眼福でござった」
時代劇マニアのかなめが、どこかホッとしたように答えた。
(……ヤバい、吸い込まれそうだった)
「話を先に進めるぞ。この大公女クラリスだが、実はこの1年ほど公に姿を現していない」
「事故か? それとも何かの病気を発症したのか?」
レイスの言葉に、宗介が問い返した。
かなめには、その理由がすぐにわかった……いや、最初からわかっていた。
「……癌ね」
彼女の最愛の母親を奪った、人類最大の敵。
いよいよ、話が核心に近づいてきた。
「エンジェルの言うとおりだ。1年前の検診で彼女は進行性の早い膵癌が見つかった。膵癌は早期発見が難しく、発見されたときには手遅れの場合がほとんだ」
「では、彼女は今その治療に専念を?」
宗介の言葉にレイスが頭を振った。
「どうやら違うらしい。発見された癌は異常に進行が早く、通常の治療法では間に合わないと判断された」
「でも今もまだ生きてるんですよね? 治療をしてないのならどうして……」
「……冷凍保存よ」
ミラの疑問に答えたのは、またかなめだった。
「そうだ。大公女クラリスは病の治療が不可能と判断された時点で冷凍保存された――本人の意思に反して現在の技術レベルでは不可能なこの処置を施したのが、次の画面の2人」
さらに、画面が切り替わる。
画面には、線の細い神経質げな少年と、16歳のクラリスとうり二つの少女が映し出された。
「『アルセーヌ・ド・カリオストロ』と『フランソワーズ・ド・カリオストロ』。クラリスの実子で二卵性双生児の兄妹。生年月日は1981/12/24」
「――『ウィスパード』だ」
× × × × × ×
かなめの目の前で、宗介の熾した火がパチパチと爆(は)ぜていた。
うっそうとした森の中。
辺りにはすでに夜の闇が満ちている。
かなめの予想したとおり、今夜は野営することになった。
周囲には宗介が設置した動体センサーに連動した警報装置とトラップが張り巡らせてあるが、それでも近くの小川で彼が汚れた食器を洗う音がしなければ、心細さに1秒だっていられなかったかもしれない。
夕食は、ソーセージとポテトをフライパンでボイルしたもので簡単にすませた。
質素な料理だったが、星空の下で宗介と2人で取る食事は格別だった。
楽しくそして幸せだったが、宗介が後片づけに離れると、揺らめくたき火の炎はかなめを物思いの淵へと誘った。
……『アルセーヌ・ド・カリオストロ』と『フランソワーズ・ド・カリオストロ』。
確かにあたしは、あの2人に囁いた。
正確には、別の世界線の『ソフィア・かなめ』が囁いた。
理由は、癌で早逝した自分の母親を生き永らえさせ病を根治させるため。
国家元首の子供なら教育費他の資金も潤沢であり、実用化も早いと思ったのだ。
しかし結局自分は、自分の望む他のすべてを諦めてでも相良宗介という一人の少年を選んだ。
その結果、歴史改変はなされず、自分の母親は逝ったまま甦ることはなかった。
理想の家族は理想のままで終わり、代わりに自分は宗介という新たな家族を得た。
そして無駄になったと思っていた『囁き』が今も影響を残し、成果を上げていた……。
食器を洗い終えた宗介が戻ってきた。
「……ソースケ、側に来て」
たき火を挟んで対面に座ろうとした宗介を、かなめが誘った。
宗介は米軍が使う野営用のモスグリーンのブランケットを持つと、自分とかなめに掛けて、彼女の肩を抱いた。
宗介は、いざというときにどうしようもなく行動を制限してしまう寝袋は使わない。
かなめと自分の体温を高原の冷たい地面が奪っていくのを防いでいるのも、もう1枚の毛布だ。
「……あたしね……ずっと『囁き』は世界に混乱と破壊をもたらしただけかと思ってたけど……あの2人の兄妹を思うと、もしかしたら唯一の希望をもたらしたのかもしれない」
火と宗介の2つの温もりを感じながら、かなめは呟いた。
あの悪夢のメリダ島から宗介に救い出されたあと、かなめは頻繁にうなされた。
自分が消し去ってしまった『よりよい世界』、自分にその実現を託して散っていった多くの命。
背負っていくと決心した罪の意識が、彼女を毎夜のように苛んだ。
宗介はベッドの隣で泣きじゃくるかなめの肩を抱き、そして喝破した。
――君に責任はない。
ソフィアもレナードもカリーニンも、そして君に自分の人生を勝手に託した人間、どいつもこいつも、みんなまとめて根性なしのクソ野郎どもだ。
人は、自分の人生にすべての責任を持つ。
成功しようが、失敗しようが、立ち向かおうが、逃げ出そうが、すべて自分の選択、人生だ。
誰かにやり直してもらうことなど出来やしない。
君に自分の人生を勝手に乗っけて馬鹿騒ぎを演じた揚げ句、死んでいったのは所詮そこまでの人間だということだ。
他人に、君の人生が左右されてはいけない。
それがたとえ俺でもだ。
かなめがうなされて目を覚ますたび、宗介はそう繰り返した。
やがて悪夢を見る回数は徐々に減り、今はもう完全に解放された。
――そう、あたしにあの事件の責任はない。
あたしは、巻き込まれただけ。
そうでなければ……そうでなければ、わずか8歳で暗殺者に仕立て上げられ、戦争の中で生きることを強制された宗介はどうなるの? その責任も宗介にあるというの?
あるわけがない。
あっていいはずがない。
あたしが今も感じ続けている罪の意識は、あの時傷ついた宗介を置いてレナードの元に行ってしまったことだけだ。
あとのことは、すべて根性なしのクソ野郎どもが勝手に自爆しただけだ。
あたしには関係ない。
でも……それでも、心のどこかで許しを求めていた。
かなめの優しく母性に溢れた心が、確かに苦しんでいた。
アルセーヌとフランソワーズの2人は、その許しと癒やしをかなめに与えてくれたような気がした。
「……ソースケ、キスして」
かなめは宗介に甘え、すがり、宗介はそれに応えた。
(でもね、ソースケ……あたしはあんたにだけは、あたしの人生を左右してほしいんだよ)
× × × × × ×
青、白、青の縦じまの中央に、盾のフィールドに山羊の紋章が描かれた国旗が翻っている。
その下には『CAGLIOSTRO』の標識。
古い石造りの物見台を利用したカリオストロ公国の国境検問所だ。
「サイトシーン?」
カリオストロ公国の警官『衛士』がパスポートを見ながらなまりのある英語で訊ねると、助手席のサングラス姿のかなめが両手にピースサインで、
「ノー! ハネムーン!」
と幸せいっぱいの笑顔で答えた。
国境での入国審査はそれで終わりだった。
車を出し検問所を離れてしばらくしてから、
「少し、わざとらしかったかな?」
と、かなめが笑った。
「少しな」
と、宗介が苦笑する。
牧歌的というか、ザルというか。
まぁ、後部座席の裏に荒事用の武器をしこたま隠している身としては、入国審査があの程度だったのはありがたかった。
とにもかくにも、2人はあっけないほど簡単にカリオストロ公国への入国を果たした。
「この後はミスリルから指定された宿屋に行けばいいのよね?」
「そうだ。そうすれば先に潜入しているエージェントが見つけて接触してくる」
「それまでに少しぐらいは観光したいわよね」
かなめが検問所でもらったパンフレットを広げ、声を弾ませた。
「せめて仕事を終えてからにしたらどうだ?」
「仕事って言ったって別にドンパチしにきたわけじゃないし、王子様、お姫様を誘拐しに来たわけでもないし、ただ会って話すだけだし」
普通なら王子様、お姫様と会って話をするだけでも大事なのだが、かなめは『ウィスパリング』である。共振を使ってアルセーヌ&フランソワーズと意思の疎通を図ることが出来る。
あとは、先に潜入しているエージェントが調べた2人のスケジュールを元に、目視できる距離まで近づけばいいだけである。
共振は対象者との距離が近ければ近いほど成功しやすい。
『TAROS』も『TARTAROS』も使えない以上、面倒だがそれしか手がなかった。
「へぇ――ねぇ、ソースケ知ってる? 23年前のインターポールの強制捜査のときに、なんかのはずみで湖の水門を塞いでいた大きな時計塔が崩れちゃったんだってさ」
「時計塔? 湖の水門?」
どいういうことだ、説明を求む――とばかりに宗介が聞き返す。
「このパンフレットによると、お城のある湖のすぐ隣の少し高い土地にもうひとつ湖があって、その二つの湖を時計塔の水門が塞いでいたんだって」
「ふむ」
宗介が頭の中に地図を思い描く。
つまり高低差のある二つの湖が隣接していて、それを時計塔が蓋をした水門が隔てていたわけか。
「それで時計塔が崩れて、その水門から上の湖の水が抜けたら――どうなったと思う?」
「どうなったのだ?」
「なんと湖の底から――」
お化けが出たんだぞー、とばかりに狭い車内で両手を広げるかなめ。
「湖の底から?」
「やっぱりやーめた。うん、知らないのなら知らない方がいいわ。現地についてからその目で見た方が絶対に感動するもの」
うんうん、と自分一人で納得のうなずきを繰り返す。
見ていてほほ笑ましくなるほど、実に楽しそうである。
「楽しそうだな」
「愚問ね。あたしは今、幸せの大波に乗っているのよ」
「ならばいっそのことこの国で式を挙げるか?」
「……え?」
宗介からの突然の申し出に、かなめが固まった。
そして真っ赤になって聞き返す。
「ほ、本気?」
「俺はいつだって本気だぞ」
いつもならここで、
『バ、バカね、まだ早いわよ』
と照れ隠しと一緒にはぐらかすのだが、今日はなんだか宗介の提案がとてつもなくよいアイデアに思えた。
(……それもいいかもしれない)
答えはとうの昔に出ているのだから。
ただ、今までは忙しさと落ち着きのなさにかまけて、先延ばしにしていただけで……。
ミラや、レイスや、アルも後から来る。
テッサやマオやクルツも、呼べばきっと来てくれるだろう。
恭子はどうだろうか? 航空券を送ればきてくれるかな?
「ソースケ……あたし……」
パンッ!
その時、鋭い破裂音がして、車体が左にガクンと傾いた。
そのままスピードを落とし、ズリズリと路肩に停車する。
左の後輪がパンクしていた。
「く~っ!」
かなめが、顔面を押さえて悶絶した。
なんであたしはこうも、毎度毎度肝心なときにタイミングを逸するのか。
何かに取り憑かれているとしか思えない。
(呼んだ?)
(呼んでない)
呼びもしないのに出てきた頭の中の居候を、すげなく追い返す。
「……ソースケ、お願い」
かなめがゲッソリした声で宗介に頼んだ。
とてもじゃないが、今はパンクの修理などする気にはなれない。
「了解した」
宗介が運転席から下りて、ボンネットを開ける。
中からジャッキとスペアタイヤを取り出す。
機械いじりは好きなので、この手の作業は苦にならない。
「なんだ、このスペア。丸坊主じゃないか」
――マッコイの爺様め、こういうところでケチりやがる。
宗介は心の中でなじみの武器商人を毒突いた。
こちらの指定通り、わずか2週間で限界ギリギリのチューンナップまで施してくれたのだから文句はないが、ちょっと気を許すと途端に『節約癖』を出すのだから困る。
まぁ、出発前にエンジン周りと電装品ばかりを点検して、他をなおざりにした自分が一番悪いのだが。
かなめはサンルーフから身体を出して、屋根に座り込んだ。
ジャッキがキコキコ上下するたびに、車体ごと身体が持ち上げられていく。
ひばりがさえずり、緑の高原を雲が低く流れていく。
周りには色取り取りの花が咲き乱れ、草花の香りが鼻腔をくすぐる。
「はぁ……平和だわ」
かなめは今し方の激しい落胆も忘れて、穏やかな気持ちに包まれた。
うっとりと目を閉じる……。
グォオオオッッッ!
どこか遠くで、激しいエンジン音が聞こえた。
タイヤの軋む耳障りな音も。
かなめは煩わしげに目を開けて、音のする方向を見た。
途端にその音が爆音へと変わり、クラッシックタイプのスポーツカーが、こちらに向かって疾走してくる。
「な、なに!?」
びっくり仰天のかなめのすぐ目前を、スポーツカーが通り過ぎる。
「……え?」
かなめは見た。
運転席に座る、純白のウェディングドレスを着た少女を。
そしてその後を猛追する、4人の
あの娘は――!?
「ソースケ!」
「乗れ、かなめ!」
かなめが屋根の上からボンネットを蹴り閉め、宗介が交換したばかりのタイヤを足蹴りし、運転席に飛び込む。
インパネ下のレバー引くと、R-33のナンバーがついたリアハッチが跳ね上がり、スーパーチャージャーを回転させたエンジンが轟音とともに始動。マフラーから爆煙を吐き出したクリーム色のチンクェチェントが散弾砲弾さながら勢いで発車した。
急激な発進で車体が左右に振られるのを宗介が無理やり抑え込む中、かなめが大慌てで屋根の荷物を後部座席にしまい込んだ。
マッコイ商会特製のチューンナップを施されたフィアット500が、曲がりくねった湖畔沿いの道路を爆走。先行する2台にあっという間に追いつく。
「どっちにつく?」
「女の子に決まってるでしょ!」
「だろうな!」
念のために聞いた宗介に、かなめが間髪入れず答える。
すぐ前を疾駆する黒服たちの高級乗用車がさらに加速、ウエディングドレスの少女が運転するスポーツカーに体当たりをした。
少女は必死にハンドルにしがみつくが、ガードレールとの高級車の間に挟まれて運転の自由が利かない。
スポーツカーのサンルーフから、少女のケープがはためいている。
「ソースケ、タイヤ!」
「了解!」
助手席からハンドルに飛びつくかなめに運転を託し、宗介がグロック19を抜き放つ。
アクセルもかなめに任せて、サンルーフから上半身を出す。
狙う!
撃――
突然、ガードレールに擦られ続けていたスポーツカーの左前輪のフェンダーカバーが外れて、フィアットのボンネットを直撃した。
宗介がもう一度、狙う!
撃――
パー! パー! パー!
激しいクラクションと共に、2台の間を割って突っ込んでくる大型の路線バス!
「「――!!?」」
かなめが急ハンドルを切り、寸でのところでバスとの正面衝突を回避。
引き換えにフィアットは大きくバランスを崩して、左のタイヤが浮き上がった。
横転する!
「このおおおおっっっっ!!!!」
かなめが絶叫し、根性で車体を建て直す。
宗介も身体を精一杯左に倒して、バランスを取る。
辛くも――取った。
「かなめ! 君はもう因果律の護りは受けてないんだ! あまり無茶はしないでくれ!」
「この状況でそんなこと言ってんじゃねーわよ!」
――この状況、有明であの馬鹿でかいASに追われていたときを思い出すわ!
でも、もうあの時のあたしじゃないんだからね!
「『パニック!歴』4年は伊達じゃないわよ!」
助手席からハンドルにかじり付きながら、かなめが吠えた。
三度、宗介が狙いを定める。
今度こそ――撃つ! 撃つ!
二連射。
グロックの薬室から連続で排莢。
高級車のリアタイヤに2発とも命中。
しかし――!
9mmパラベラム弾は、高速回転する車輪にあっけなく弾かれた。
「くそっ! ただの車じゃない!」
お返しとばかりに高級車の小さなリアウィンドウが開き、独逸製のM24型柄付手榴弾、通称ポテトマッシャーが路上に落とされた。
「いっ!?」
さすがに固まるかなめに代わって、再度ハンドルを握る宗介。
右に蛇行、急回避。
回避――成功!
タイミングを見計らって、2本目が投げ落とされる。
BOM!
左に車体を戻したところに、今度は直撃。
「熱ちちっ! やったわねー!」
自慢の黒髪をチリチリにされて、怒髪天のかなめ。
パンツが見えるのも構わず、全面にひびが入ったフロントウィンドウを蹴り割る。
――ほんと、有明のときみたい!
宗介も、グロックの銃把でガラスを叩き割る。
すぐにフィアットのフロントウィンドウはきれいさっぱりなくなった。
「――面白くなってきた!」
宗介の口元がニヤリと歪んだ。
シンプルな強制とその応酬。
これぞ戦争だ。
彼はこの単純さが大好きだった。
「この話、アルが聞いたら悔しがるでしょうね!」
「肯定だ!」
アドレナリンがほとばしる状況の中、宗介とかなめの息はピッタリと合っていた。
アルは最近、新しい身体のひとつのポンティアック・ファイアバードで、しきりにカーチェイスをしたがっているのだ。
左側はガードレールの向こうは湖に垂直に落ち込む絶壁。
右側は同じくほぼバーチカルな崖。
――ならば!
「まくるぞ、かなめ!」
「え!?」
宗介の言葉に、先ほどパンツが見えるのも構わず窓を蹴り破ったかなめが、思わず丈の短いスカートを押さえた。
ミッション、スーパー・ロー・チェンジ!
――右肩輪かかった、行ける!
力のベクトルをそのままに、ほぼ垂直の崖を駆け上るフィアット!
「――ぎょえええええええっっっっっっ!!!!!??」
さすがのかなめも、これには度胆を抜かれた。
――うそっ!? この車ラムダ・ドライバでも搭載してるの!?
自分の婚約者の最大の長所が、土壇場でのしぶとさ――火事場の馬鹿力だということを今度こそ本当に思い知った。
宗介の力が乗り移ったかのようなフィアットは一気に崖を登り切り、直角に進路変更、崖の上にひろがる森の中に突入した。
すでにフロントウィンドウがなくなっているため、折れた枝だの、生きたひばりそのものだのが、遠慮会釈なく車内に飛び込んでくる。
――ここをショートカットすれば、奴らの前に出られる!
「――かなめ、ハンドル頼む!」
「え!? ここで!?」
「ここでだ!」
宗介は再びかなめにハンドルを任せると、後部座席に手を伸ばした。
車内に吹き荒れる折れ枝の嵐の中、屋根から下ろされた荷物もあって、リアシートの裏側から目的の品を引っ張り出すのにはえらく苦労した。
――ズボッ!
文字通りそんな勢いで、宗介とかなめの駆るフィアットは唐突に崖の上に広がる森を突き抜けた。
眼下の道路では、クラシカルなスポーツカーと乗用車とのカーチェイスが引き続き繰り広げられている。
「――とったーーー!」
かなめが勝利の絶叫と共にハンドルを左に切った。
フィアットが進行方向へのベクトルを維持したまま崖を駆け下りる。
高級乗用車の黒服がドラムマガジンを装着したトミーガンで応戦してくるのにも構わず、無理やり2台の前に出た。
「――今度のはただの弾じゃない」
宗介がサンルーフからもう一度身体を出した。
彼が後部座席から取り出して肩に担いだのは、
M72 LAW
旧式ながら、レナード・テスタロッサが操る当時世界最強のAS『Plan1055 ベリアル』にトドメを刺した、使い捨ての対戦車ロケット弾である。
即座に照準を合わせ、躊躇なくトリガーを押し込む。
ほぼ無反動で66mmのHEAT弾が発射され、半瞬後、4人の黒服の乗る乗用車が木端微塵に吹き飛んだ。
「クリア――問題ない」
「さ、さすが軍曹……そこに痺れる憧れる……」
かなめは久しぶりに、宗介の戦争馬鹿ぶりを堪能した……。
(……そうだった……あたしが惚れたのはこういう男だった)
「――宗介、あの娘は!?」
かなめはハッとして、宗介にたずねた。
「運転を代わろう」
三度、ハンドルを取る宗介。
クラクションを鳴らして、スポーツカーの横に並ぶ。
かなめもサンルーフから身体を乗り出して、少女の様子を確認した。
「――ちょっ、ソースケ! この娘、気絶してるわよ!」
スポーツカーの車内では、ウエディングドレス姿の少女がハンドルに突っ伏していた。
まずいことに、道は下りに入っている。
コントロールする者を失ったスポーツカーがスピードをぐんぐん増して、幾度もガードレールに衝突。
そのたびに、次々に部品を欠落させていく。
「これじゃバラバラになっちゃうってば!」
かなめが悲鳴を上げた。
「ハンドルを頼む!」
「ええ、またぁ!?」
――これで何度目よ!
かなめは内心で愚痴りながらもハンドルに飛びついて、フィアットをスポーツカーに寄せる。
宗介は運転席からサンルーフに身体を出して屋根に乗り、バランスを取った。
ギリギリまで近づいたところで屋根から屋根に飛び移り、スポーツカーのサンルーフから車内に侵入する。
ハンドルから少女の身体を起こしたのと、目前に迫った道路工事用のロードローラーに気づいたのはほぼ同時だった。
フルブレーキング!
だが――止まりきらない!
宗介は咄嗟に少女の身体をかばった。
ローラー車に激突して、スポーツカーは半壊。
かなめの乗ったフィアットはスポーツカーに続いてロードローラーに激突し、ドテっと止まった。
「痛たたたた――!」
(ソ、ソースケは!?)
頭を振って無理やり意識を覚醒させたかなめの目の前で、大破したスポーツカーが事故で壊れたガードレールの切れ目に向かって惰性で進んでいく。
切れ目の向こうは垂直の崖――そして湖だ。
「――ソ、ソースケ!!!?」
かなめが悲鳴を上げた直後、宗介と少女を乗せたスポーツカーは湖へと消えていった。
……to be continued
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