宗介とかなめが『ルパン三世 カリオストロの城』の23年後のカリオストロ公国を舞台に、ウィスパードを巡る陰謀に巻き込まれます。
カリオストロの城のネタばれがありますので未見の方は御注意ください。
またオリキャラがでますので苦手な方はブラウザバックを推奨いたします。
第2話は宗かなとお姫様との出会いです。
引き続きお読み頂ければ幸いです。
ローラー車に激突した瞬間、宗介の意識が一瞬飛んだ。
咄嗟に運転席で失神していたウェディングドレスの少女をかばったせいで、衝撃に備えることが出来なかったのだ。
意識の焦点が再び合ったときには、宗介と少女はほぼ全損したクラシカルなスポーツカーと共に、ガードレールの切れ目から30mはある崖下へと落下していた。
身体が浮遊感に包まれる。
運が悪いことに直下は湖ではなくゴツゴツした岩場で、この高さから叩きつけられれば即死は確実だった。
急激に加速を増す視界の隅を『何か』が掠める。
宗介は右腕で、乱暴に扱えば折れてしまいそうな少女の細腰を抱え込むと、左手でフック付きのワイヤーをその『何か』に向かって投げつけた。
フックが崖から突き出していた朽ち木に危うく引っ掛かり、ワイヤーが装着してある強化繊維製のベルトに2人分の荷重がかかる。
鍛え抜かれた宗介の腹筋は衝撃に辛うじて耐え、内臓破裂を免れた。
スポーツカーが水打ち際に落下し、盛大な水飛沫と共にバラバラになる。
総身から、ドッと冷たい汗が噴き出した。
危機的状況には慣れていたが、以前とは違い死に対して確かな恐怖を覚えるようになっている。
かなめと結ばれた今の宗介にとって、死とは一般人と同じようにもっとも忌むべき存在だった。
不快な汗が肌を伝う中、宗介はかたわらに抱えた少女の顔をうかがった。
気を失っているため頭が垂れているが、端正な横顔は確認できた。
(……やはり、この娘は)
パンクの修理中に一瞬だけしか視認できなかったが、やはりこの少女は……。
「……あ」
宗介の視線が呼び水となったのか、少女が意識を取り戻した。
蒼い瞳が見開かれ、美しい碧眼が間近で見つめる宗介の顔を映す。
驚きと戸惑い、そして……。
それは宗介も同様だった。
驚きと、なにより強い畏敬の念。
人が決して触れてはならない、神聖にして侵すべからざる存在。
それを間近にして、跪きたくなる人間の原初的な本能。
「お怪我はありませんか?
宗介はからくも、必要最低限の言葉を口に出来た。
軍隊生活が長かったため、礼を失することがなかったのは幸いだった。
「……は、はい」
少女がうなずく。
受け答えから、この少女が現カリオストロ公国の第一公女『フランソワーズ・ド・カリオストロ』であることは間違いないようだった。
「状況が状況です。お身体に触れるご無礼をお許しください」
今の自分たちは細いワイヤー1本を頼りに宙づりになっている状態だ。
パニックになられないように、宗介は冷静に語りかけた。
「自分が置かれている状況は理解しています。どうぞ、あなたの良いようになさってください」
元々白磁のように白かった肌が透き通るほどに青ざめていたが、フランソワーズは気丈だった。
幼少期から、どんな事態にあっても動じることのないように教育を受けてきたのだろう。
「では自分にしっかりとおつかまりください。これから地上に降ります」
「わかりました」
フランソワーズは、おずおずと宗介の首に両手を回した。
宗介はストッパーを少しずつ外してワイヤーを伸ばし降下していく。
20m、15m、10m……ASの全高を下回り、やがて湖岸へ。
「足元にお気をつけください」
宗介はフランソワーズがしっかりと立ったことを確認すると、彼女の腰から手を離した。
フランソワーズも宗介の首から両腕をほどく。
「ありがとう。どなたかは存じ上げませんが、危ないところを助けていただき感謝いたします」
多少硬くはあったが、フランソワーズはそれでも十分に気持ちの伝わる笑顔を浮かべた。
「自分は……」
……なんと名乗るべきだろうか?
今ここで正直に説明したところで、すぐには信用してはもらえないだろう。
かなめがいれば――そうだ、かなめは無事だろうか!
「――危ない!」
突然、フランソワーズが宗介を渾身の力で押し倒した。
ワイヤーを引っ掛けていた朽ち木が崖から抜け落ち、たったいま宗介が立っていた場所に落下して文字どおり木っ端と砕ける。
「お怪我はありませんか?」
今度はフランソワーズが宗介にたずねた。
「もうしわけありません。突然のことで……」
それ以上は言葉にならない。
声と身体、そして瞳が細かく震えている。
後先考えず咄嗟に動いたが後になって恐怖が襲ってきた……ただそれだけではないようだ。
「い、いえ、ありがとうございました。助かりました」
今さらながらフランソワーズの華奢な身体の柔らかさを意識し、宗介は狼狽した。
彼とて、すでに何事にも無知で純情なティーンエイジャーではないのだが……。
「「……あ、あの」」
お互いの吐息がかかる距離で宗介とフランソワーズが硬直していると、
「――ちょっと、なにやってるのよ!!!」
空から怒声が降ってきた。
ウィンチに吊られて、怒りの天使が舞い降りてくる。
「人が死ぬほど心配してるのに、こんなところで他人様の花嫁と重ね餅とはね!」
宗介はかなめのその声色を久しぶりに聞いた。
9ヶ月しか通えなかった陣高時代の記憶が甦る。
(……マズい……これは非常によくない)
宗介は自分共々フランソワーズをバッと立ち上がらせると、脂汗を垂らしながらかなめに向き直った。
「ち、千鳥、君は何か勘違いをしている」
「千鳥ですって……?」
ピキピキ……!
かなめのこめかみにくっきりハッキリ浮かび上がる、見事な青筋。
(こいつ、本気でパニクってやがる……)
なにかしら、この懐かしくもドス黒い嫌~な気持ちは。
そう、確かにこの気分には記憶があるわ。
あれは陣高時代、こいつのセーフハウスで初めてテッサと会った時……。
「あ、あの、あなたは……?」
フランソワーズは、突然崖の上から降りてきた魔女の形相をした若い女に訊ねた。
「どうもどこかの花嫁さま。あたしですか? あたしはそこにいるケチでつまらない男のケチでつまらない婚約者ですよ。ええ、ほんの30分前に『この国で式を挙げよう。俺は本気だ』って真顔で言われたね」
「捨てられたの?」
訊ねてしまってからフランソワーズはうろたえ、恥じ入った。
会ったばかりの人間に、なんて不躾な質問をしてしまったのだろう。
それでも彼女は……理由はわからないが……訊かずにはいられなかったのだ。
「捨てられてないわよ! これから捨てるかもしれないけど!」
「よ、よさないか、かなめ。フランソワーズ殿下だぞ。この国の姫君だ」
「あたしの姫様じゃないわよ」
実にトゲトゲしい、かなめの声、態度。
宗介同様、陣高時代にメンタルが退行してしまったようだ。
その時、湖から湖上ランチの航走音が響いてきた。
「彼らです!」
フランソワーズが叫んだ。
宗介とかなめがレクリエーションから醒めて、湖を近づいてくる小型の蒸気船を見た。
船上に、先ほどと同じグラサン黒服の男の姿がある。
「早く上へ!」
かなめがうながす。
ウィンチは遠隔操作が可能だ。
「3人一緒なら奴らも撃ってこないわ」
まさか自分たちが狙っているお姫様がいるのに撃ちはしないだろう。
車はまだ動く。武器もある。
「ダメだ。射撃に自信がある人間なら、俺たち2人だけを射殺することなど造作もない」
フィアットに積まれているウィンチはパワーはあるが、巻き上げ速度が遅い。
「射的の的になるだけだ」
「それじゃ、どうするのよ!」
「森へ!」
フランソワーズが指差した。
100mほど先に鬱蒼とした森がある。
「走れ!」
宗介が叫ぶ。
武器はグロックしかないが、あの森で迎え撃てば勝算はある。
宗介はかなめとフランソワーズをかばうポジションを取りながら、湖岸を森へと走った。
ランチが急速に近づき、並走に近い格好になる。
鬱蒼とした森に逃げ込めたとき、かなめは心底ホッとした。
身を隠す場所に困らないというのは、本当にありがたい。
逆に宗介は、内心で舌打ちしていた。
この森、思っていたよりもずっと狭い。
湖と崖に挟まれた僅かの土地に、樹木が群生しているだけだ。
陣高の校庭の半分の広さもないのではないか。
「あいつら、来ないわね」
かなめが樹の陰から湖を行ったり来たりしているランチを見て不審がった。
接岸さえしてこない。
「増援を待っているのだ」
「どういうこと?」
「この森は狭い。湖からなら誰かが森を出ればすぐに発見できる。少人数で森に踏み込む危険を冒すより増援の到着を待って確実に俺たちを包囲・捕捉にする気だ」
「それじゃ……」
「俺たちは袋の鼠だ」
「すみません……わたしの判断が誤っていました」
フランソワーズがうつむく。
「そんな、あなたのせいじゃないわよ」
かなめが落ち込む姫君を元気づける。
「ありがとう、あなたは優しい方ですね。ごめんなさい。最初はもっと怖い方かと思っていました」
「う、うははは! よく言われるかも」
微笑むフランソワーズに、かなめは後頭部に手を当てて目を逸らした。
「『フランソワーズ・ド・カリオストロ』です。フランシーヌとお呼びください」
「あたし、千鳥かなめ」
かなめがフランソワーズ――フランシーヌに笑顔を返す。
「そんで、こっちのムッツリ顔が――」
「相良宗介であります」
ビシッと背筋を伸ばす、宗介。
「日本の方ですね?」
「はっ、肯定であります」
視線を合わさず、フランシーヌに答える。
「ったく、相変わらず地位とか階級とかに弱いんだから。人間はみな平等なのよ」
「いや、かなめ。それは違う。人権は平等だが人間は平等ではない。この方はこの国では人々の尊敬を集める貴人であらせられる。礼を失するわけにはいかない」
フランシーヌは、そんな2人のやり取りを好ましい思いで見つめた。
善良で勇敢な異国の旅人。
これ以上、彼らを巻き込むわけにはいかない。
「――相良さま。あなたは軍隊にいた経験がおありですね?」
「肯定であります」
「では、これからわたしがこの森を反対に逃れますから、あなた方はあのランチが離れたらさっきの崖まで戻ってください。車はまだ動きますね? でしたらすぐにこの国を離れてください。あなたなら出来るはずです」
「囮になる気!? そんなのダメよ!」
「応援がきたら、あなた方まで捕まってしまいます」
静かだが固い決意と、相手を従わせるにたる威厳を含んだ声。
宗介の脳裏に、アッシュブロンドの少女の姿が浮かんだ。
「殿下、お助けできずに申しわけありませんでした」
「ちょっと、宗介!」
「かなめ、殿下の仰るとおりだ。このままでは3人とも捕虜になってしまう。それは最悪の事態だ」
「……」
かなめとて、幾度となく修羅場を潜ってきた身だ。
2人が正しいことは十分に理解している。
「……ごめんなさい、フランシーヌ」
「いえ、いいのです。あなた方にお会いできてよかった。どうかご無事で」
最後にもう一度、優しく微笑むプリンセス・フランシーヌ。
「――では」
フランシーヌはスカートをつまんで裾を持ち上げると、ドレスを翻して走り出した。
純白のウェディングドレスが樹木の中をすり抜け、遠ざかっていく。
湖上のランチがその姿に気づき、後を追う。
「……かなめ、敵の増援が来る前に行くぞ」
「……」
かなめは黙って宗介に続き、彼の言葉どおり敵の増援が到着する前にウィンチを使って崖の上の車まで戻った。
あちこち壊れたフィアットに乗り込むと発進。
向かう先はもちろん国境ではない。
『カリオストロ城』の城下町に行き、ミスリルの指定した宿屋で先に潜入しているエージェントと合流するのだ。
「……ソースケ、あの娘に何があったのか。絶対に突き止めないとね」
「……肯定だ」
× × × × × ×
宗介とかなめがカリオストロの城下町に入ったのは、夜になってからだった。
しばらく近くの森に身を潜め、様子をうかがっていたのだ。
カーチェイスを演じた黒服たちや湖水ランチの乗員から、2人の人相くらいは漏れている可能性が高い。
乗用車に乗っていた連中は全員始末したが、カーチェイスの途中で無線連絡ぐらいはしていただろう。
この際、宗介とかなめが東洋人というのも目立つ要因だ。
観光地だけあって東洋人のカップルも珍しくなかったが、絞り込む要素にはなる。
仮にも一国の姫君を拉致しようとしていたのだ。
どこぞの企業や犯罪組織の仕業と推論するより、この国の国家権力が動いていたと考える方が妥当だろう。
望遠レンズで丹念に偵察したが、衛士たちの数や動きに不審な点は見られなかった。
誰かを捜索しているような気配はない。
ミスリルに指定された宿屋に入ると、一階の酒場は満席に近い状態だった。
それでも調理場から裏口に続く一番近い席――従業員の出入りが激しいので客に不人気な席――を確保することが出来た。
窓から遠いため狙撃の心配が少なく、いざというときの脱出路にも困らない。
宗介が最も好む席だったが、かなめが最も好まない席でもある。
「問題はその理由よね。果たしてウィスパード絡みなのか否か」
目の前の大皿に零れんばかりに盛られた『スパゲティ・ミートボール添え』を自分の皿に取り分けると、かなめが塩とコショウとタバスコを大量に振りかけた。
戦傷で食事制限の必要がある宗介のために、調理人に魅惑的な笑顔で頼み込んで作ってもらった特製の減塩料理である。
「彼女の人となりから、結婚が嫌で逃げ出したとは思えないが……」
同様に自分の取り皿にパスタを取り分ける宗介。
こちらは何もかけない。
ほんの僅かな時間を共有しただけだが、宗介にはフランシーヌの人柄が理解できた。
幼い頃から徹底的に帝王学を仕込まれ、強い責任感を身につけた女性。
同時に周囲から確かな愛情を受けて育ち、深い慈愛の心も持ち合わせている。
結婚が嫌だから逃げ出すような女性には見えなかった。
「事前の調査でも、あの娘が結婚を控えてるなんて情報はなかったのよね」
ミートボールにフォークを突き刺したかなめが、小首を捻る。
事前調査といっても、レイスが諜報員のマニュアル通りに調べて、かなめがネットで簡単にハッキングした程度であるが、それだって接触対象の結婚の予定など、いの一番に判明してしかるべき情報のはずだ。
まして相手は、妙齢かつ絶世の容姿を誇る一国の姫君なのである。
「しかし、あのドレスは婚礼用の物だったぞ。ただのフォーマルでは――」
宗介がそこまで言ったとき、
「――Bon Soir.日本の旅のお方」
カメラを手にした、ブロンドの青年が話しかけてきた。
少々頼りなさげだが、丸眼鏡の下に人懐っこい笑顔が浮かんでいる。
「ハネムーンですか? よかったら記念に一枚撮らせてくれませんか?」
「え? そんな照れちゃうな、どうするソースケ?」
かなめが満更でもない顔でパートナーに訊ねる。
「写真を撮られたあとで法外な請求をされるかもしれん。ちゃんと確認したうえで契約書を交わすなら問題はなかろう」
「……あんたって、そーゆーところはほんと変わらないわよね」
「もちろんお代はいりません。あなた達2人の幸せな笑顔で十分です」
ブロンドの青年が本心から言った。
「それじゃ、お願いします――ほら、ソースケ」
「うむ」
かなめとソースケが肩を寄せ合う。
ハネムーンの最中の幸せなカップルの姿が、そこにあった。
「それじゃ行くよ――はい」
パシャッ、
「ありがとう、お礼に一杯おごらせてください――すみません、ワインを!」
かなめが、そばかす顔の給仕の少女に手を上げる。
「それでは、お言葉に甘えて」
青年が空いている椅子に腰を下ろす。
「見知らぬ土地で見知らぬ人と酒を酌み交わす。これこそ貧乏一人旅の醍醐味です」
極々自然な様子で、日本人のカップルとブロンドの青年は同席した。
「久しぶりだね、かなめさん。そしてソースケ」
席に着くと、青年――ミシェル・レモンが懐かしげな笑顔で2人を見た。
「レモンさんも元気そうでなにより」
かなめも感慨深げに、レモンを見る。
3人はあのアマルガム事件の折に知り合い、死線を越えあった仲だ。
3人のうちの誰か1人が欠けても他の2人は生きてはおらず、また世界も存続していなかった。
「あんたが来ると思っていた」
宗介もうなずき返す。
レモンが接触してきたということは、周りのテーブルはすべて彼の配下の工作員たちであり、安全が確認・確保されているということだろう。
「今の職場はどう?」
レモンは元々
「ハンター次長は仕事のしやすい人だからね。満足してるよ」
レモンの現在の上司――ギャビン・ハンターはミスリル情報部香港支局の責任者だったが、今は出世して情報部のNo.2の地位にまで登り詰めている。
元の情報部長だったメイヤー・アミットがアマルガムの内通者だったことが発覚し行方をくらまして以降、情報部は混乱を極めた。
物的被害こそ作戦部ほどではなかったが、最高責任者だったアミット自身が敵組織の人間だったのだ。あらゆる情報、特に各地に潜入しているエージェントの情報がすべて漏れてしまった以上、諜報機関としてのミスリル情報部は死んだも同然だった。
正体を暴露されたエージェントたちが潜入先で次々に命を落とし、また自ら姿を消す中、ハンター自身はミスリルの情報部員として行動し続け、途中で重傷を負いながらも最後までアマルガムと戦った。
その功績と信頼できる人間性を買われて、ミスリルの最高司令官に就任したジェローム・ボーダ提督によって情報部の要職に抜粋されたのだ。
ハンターの指揮の下、ミスリル情報部は組織の立て直しに奔走していたが、往年の力を取り戻すにはまだまだ時間を必要とするだろう。
宗介やかなめも、香港やメキシコで度々助けられている。
2人が現在こうしていられるのも、ハンターのお陰だった。
「次長も君たちによろしくと言っていたよ。もっともレイスを引き抜かれたことには恨み節だったけど」
「うははは……それは、ごめんなさい」
これはもう広い心でゆるしてもらうしかない……。
この借りは、いずれ返しますから……。
「それよりも、この国はいったいどうなっているのだ?」
宗介が話を進める。
「そうそう、それよそれ」
かなめも我に返って相づちを打った。
2人は昼間に遭遇した一連の出来事をレモンに説明した。
「呆れたな。僕と接触する前にすでにフランソワーズ殿下とお会いしていたとは」
ナンセンス……といった様子で顔を振るレモン。
「君たちは本当にウィパードと運命的に結び付いてるんだね」
「それが比喩じゃなくて本当にそのとおりだから苦労してるのよ」
冗談めかしているが、かなめの苦悩は深い。
まさにそれ故に、自分たちは今の仕事を立ち上げたのだから。
「でも、それは運がよかったとも言える。フランソワーズ殿下はここ最近、滅多に公の場に姿を見せない。それというのも城の研究室に籠もりっきりだからだ」
城――というのは、この小さな城下町のすぐ先の湖に浮かぶ、『カリオストロ城』のことだろう。
以前は摂政カリオストロ伯爵の居城であり、ゴート札を巡る陰謀の中心だった城だ。
23年前のインターポールの強制捜査後は、大公女クラリスの公邸 兼 私邸として使われてきた。
もっとも大公女自身はこの城を気に入ってはいなかったようで、一国の元首が執務を執り行うに足る設備の整った施設が他になかったのが使われ続けてきた理由らしい。
在りし日の彼女は質素で倹約家だった。
新しい官邸を建てるという発想はなかったようだ。
「母親の治療のためね」
「そう。姿を現すのはスイスのある研究機関に極秘で入院している母親の見舞いに行くときぐらいさ」
「冷凍睡眠の研究をしている研究所か?」
「カリオストロ公国の援助で設立された財団だよ。大公女クラリスはそこで今眠りに就いている」
宗介は考えた。
状況から察するに、人体を冷凍保存する技術はすでに確立されたとみていいだろう。
あとは癌を根治するための治療法か……。
「……」
かなめは黙って手の中のワイングラスを見つめている。
内心の思いは宗介よりも遙かに複雑のはずだ。
「ではなぜ彼女は城から逃げ出したのだ? 母親の治療法を探しているのなら研究施設のある城から逃げ出す理由はないだろう?」
「しかも、ウェディングドレス姿でね」
宗介の疑問に、かなめが補足を入れる。
「うむ」
「それについては推論というより想像に近いのだけど……もしかしたら治療法が見つかったのかもしれない」
「「?」」
レモンの意見に、宗介とかなめが意味がわからない――と言った顔をした。
「治療法が見つかったからお城を逃げ出したの? ええとそれって要するに、お城には大公女様の回復を望まない連中がいるってこと?」
頭の中で情報と状況を整理したかなめが訊ねた。
今のレモンの話を総合すると、つまりはそういうことになってしまう。
「大公女様が入院している間だ、国の政務は誰が執っていると思う?」
「それは……旦那さん?」
「他国から政略結婚で婿に入った男にそんな資格はないよ。今この国の舵取りをしているのは長男の『アルセーヌ』さ」
「でも彼はわたしと同い年だから、まだ20そこそこのはずでしょ? それが――」
「レナード・テスタロッサは、わずか18で世界を滅ぼしかけたよ」
「……」
レモンの言葉に、かなめは押し黙った。
「ウィスパードの知能は常人を遙かに超える。それは囁かれるブラックテクノロジーだけに限ったわけでじゃない。テスタロッサ大佐を見れば一目瞭然だ。彼女は潜水艦の技術だけでなく一個戦隊を預かる軍人としても極めて有能だった。後天的に接した知識に対する深い理解力とそれを実践する能力――彼女の場合は軍籍に身を置いてわずか4年程度であそこまで登り詰めてしまった。物心着いた頃から帝王学を叩き込まれてきたアルセーヌなら別に不思議なことじゃないよ」
……こんなことを言うのは、お釈迦様に説法だろうけど。
レモンはいささかバツ悪げに釈明した。
「……」
もちろんかなめは、レモンから聞くまでもなくそんなことは理解していた。
でも理解したくはなかった。
(……それってつまり自分の政治的権力を維持するために、実の母親を見殺しにするってことでしょ?)
病気の母親を助けられるのに、自分のエゴで助けない……。
それはまるで……。
「――かなめ」
宗介の声が、暗い思考からかなめを引き戻した。
彼女の婚約者が、気遣わしげな眼差しで見つめていた。
「ごめんなさい、少し酔ったみたい。このワイン、ちょっとあたしには強かったわ」
かなめは笑顔を浮かべたが、本人が思っている以上にそれは弱々しいものだった。
「アルセーヌ本人の意思なのか、あるいは彼を操っている個人や組織がいるのかは不明だけどね。正直言って僕も大公家の内情がここまで複雑だとは思わなかった。今回僕が受けた指示は大公女の2人の子供の日常をリサーチして君たちが接触するお膳立てをすることだったから」
……あの城はやっぱり伏魔殿だよ。
最後の言葉はレモンの嘘偽らざる心情だった。
「ウェディングドレスについては謎のままか」
「ああ、フランソワーズ殿下の結婚話なんてこれまで一度も出ていない。恋人がいるって話だって聞いたことがない。今まで浮いた話ひとつなかったんだ。そんな話があれば世界中のパパラッチや王室マニアが大騒ぎしているよ」
「ならばなぜ? 秘密の結婚相手でもいるのか?」
宗介は論理的に説明がつかない事態というのが苦手だ。
ある特定の状況や関係だけで通用する特殊な事情や感情、風習といったものが理解……というか想像できない。
どうにも腰の据わりが悪く、落ち着かない気分になる。
「秘密にしている結婚相手がいてそこから逃げ出したっていうのかい? それなら初めから結婚の約束なんてしなければいいだけじゃないのかな?」
「そのとおりだ……」
宗介はレモンの反論に、あっさり負けを認めた。
あのドレス姿に関しては、どうにも辻褄が合わなすぎる。
「おおかた仮装パーティーでもしてたんじゃ」
肩をすくめるレモンは、どこか元同僚のクルツ・ウェーバーを思い起こさせた。
そして現在、彼の連れ合いになっている女性も。
「マオならわかるかもしれん。彼女は実際に自分の結婚式から逃げ出した経験があるからな」
「……あたし、わかった気がする」
結婚式から逃げ出した経験のないかなめが、血の気の失せた顔で呟いた。
ウィパードであるフランソワーズを秘密裏に妻に迎えたいと考える相手。
そして彼女が命懸けで逃げ出したいと考え、実際に行動に移した相手。
無意識に手の甲で唇を強く拭う。
かなめは、今度こそ本当に吐き気を催した。
× × × × × ×
・
・
・
どのくらい眠ったのだろうか。
酒場の二階にある客室のベッドで、かなめは目を覚ました。
年代物のランプの明かりが、細く室内を照らしている。
壁に飾られている調度品の斧と槌矛に、炎の影が揺らめいていた。
「……目が覚めたか」
ベッドのかたわらに、簡素な木製の丸椅子に腰を下ろした宗介がいた。
「気分はどうだ?」
「うん、ありがとう。もう平気」
かなめは身体を起こした。
「今何時?」
「夜中の1時を少し回ったぐらいだ」
「そんなに寝ちゃったんだ」
驚くかなめ。
4時間以上、眠り込んでしまったことになる。
「ここ数日野営が続いたからな。加えて昼間の活劇だ。疲労がたまっていたのだろう」
宗介がナイトテーブルの水差しからグラスに水を注ぎ、かなめに手渡した。
「ありがとう」
かなめは半分ほど一気に飲み干した。
「美味しい」
かなめの声に、ようやく生気が戻った。
「レモンさんは?」
「すでに発った。もう一度情報を集めると言ってな。仲間も一緒だろう。アジトを教わったから俺たちも夜が明けたら移動しよう」
この宿屋も安全とは言えない状況だ。
状況的にやむを得なかったとはいえ、この国の国家権力にケンカを売ってしまったのだ。
長居は無用だ。
「今回のこと……テッサに話さなくてよかったわ」
かなめは手にしたグラスを弄びながら言った。
残った水にランプの炎が反射して万華鏡のような光彩を放っている。
ウィスパードの兄妹という時点で彼女には辛すぎると思い、敢えて何も伝えなかったのだ。
まして自分のおぞましい想像が当たっているとしたら……。
いや、確かに当たっているはずだ。
かなめには、わかるのだ。
高度な知能ゆえに、周りの人間がすべて愚者に見えてしまうウィスパード。
そんな中で唯一理解し合える同胞。
思い焦がれ、渇望する存在。
自分と同じウィスパード。
それが例え血を分けた実の妹だったとしても。
アルセーヌ・ド・カリオストロは、実妹のフランソワーズと強引に婚姻を結ぶつもりなのだ。
「……君の想像が当たっているとして、その場合はミスリルの助けは得られないだろう」
ミスリルが宗介たちと協力しウィスパードの保護に当たっているのは、あくまでブラックテクノロジーの拡散を防ぐ観点からである。
ウィスパードが望まぬ結婚を強いられているから救出する――なんて戯言に力を貸すわけがない。
はたから見れば立派な略取誘拐。
まして相手は小なりとはいえ歴とした国連加盟国のプリンセスである。
内政干渉もいいところだ。
よくて武装中立。
悪くすれば、こちらがミスリルから追われるハメになる。
「でも……それでもあたしはあの娘を助けたい」
かなめは強く思った。
今のあの娘は、かつてのあたし。
今のフランソワーズ・ド・カリオストロは、かつての千鳥かなめなのだから。
「わかっている。俺も同じ気持ちだ」
ミスリルなんて関係ない。
これは、かなめと宗介だけが感じる怒りなのだ。
その時、宗介の野生動物じみた鋭敏な感覚が、階下から夜陰に乗じて近づく気配を察した。
かなめに目配せし、危険を知らせる。
すでに幾度となくこういった場面に遭遇してきたかなめは、すぐにベッドから降りて靴を履いた。
宗介はランプに駆け寄り明かりを消すと、壁の調度品から槌矛を取る。
錆びついた模造品だが、使う者によっては充分な武器になる。
かなめも続いて斧を手にしようとしたが、宗介に押し留められた。
暗闇でかなめに斧を持たせるなど怖ろしすぎる。
かなめは不満げな表情を見せたが、しかたなく斧の下に飾られていた『盾』を持った。
いざとなったら、これで引っ叩いてやるつもりだ。
宗介が錆びた槌矛を手にドアの横に陣取る。かなめがその後で盾を構えて防御した。
気配が、それも複数、近づいてくる。
ドアの前まで――来た。
ドアレバーがゆっくり、動く。
宗介が、槌矛を振りかぶり――。
ガシャンッ!
いきなり天窓を破って、黒い影が落ちてきた。
「「――!」」
黒づくめの人影が、宗介に襲い掛かる。
両手にはめ込まれた鋭い鉄爪に、寸でのところでかわした宗介のジャケットが切り裂かれる。
反撃に転じた宗介が、渾身の力を込めて槌矛を振りおろす。
キンッ!
『影』は鋼製の手甲を装着した右腕をかざして、簡単にその一撃を防いだ。
間髪入れずに左手の手甲から刃が飛び出し、宗介の胴を払う。
宗介はまたもギリギリの間合いでこれをかわした。カッターが裂かれる。
「このおおっ!」
かなめが雄叫び共に『シールドバッシュ』!
しかし背後から襲い掛かるのに声を上げてしまうあたり、やはりかなめは戦いの素人だ。
『影』が左手で雑作なく受け止める。だが一瞬だけ動きが止った。
その瞬間を見計らい、宗介が再度槌矛を振りおろす。
槌矛が当たる刹那、膝だけの跳躍で『影』が再び天窓から屋根へと消えた。
まるでASのような信じられない跳躍力だ。
ガチャ、
ドアが開き、ゾロゾロと今天窓に消えたのと同じ『影』たちが侵入してきた。
「だ、団体で来たわよ!」
盾の後から目だけ出して、かなめが叫んだ。
宗介はそのかなめをかばって槌矛を構える。
一切の言葉を発せず、ただただ殺しにかかってくる。
獲物を前に舌なめずりなどしない。
宗介は防ぐだけで手一杯だ。
とても反撃など出来ない。
「な、なによ、こいつら!」
怖気をふるう、かなめ。
恐いのはもちろんだが、カサコソとした昆虫の群れを思わせる動きが生理的に受け付けない。
「暗殺のプロだ!」
暗殺者たちの一瞬の隙をついて宗介がグロックを抜き、数発発砲する。
1発が頭に命中したが、鋭い金属音がして9mm口径の拳銃弾はあっけなく弾かれた。
破れた覆面の下から、不気味な鉄仮面が覗く。
9mmパラベラムどころか、下手したらマグナム弾でも防ぎそうだ。
顔や腕だけでなく、おそらく全身をこの頑丈な甲冑で包んでいるのだろう。
……ボン太くんを持ってくるべきだった!
宗介が内心で毒突いた。
あれがあればこんな奴ら瞬く間に制圧できたはずだ。
同時に、それはとてつもなくシュールな光景になるだろうが……。
「ソースケ!」
突然かなめが宗介の名を呼んだ。
宗介がチラリと見やると、いつの間にか検問所で着けていたサングラスをかけている。
右手が耳のイヤリングを握っていた。
瞬時にかなめの意図を悟った宗介が、顔を背け上腕で目を守る。
「こんの、バカヤロー!」
かなめがイヤリングを引き千切り、暗殺者たちに投げつける。
星形のアクセサリーに仕込まれたマグネシウムが100万カンデラの閃光を発し、僅かの間『影』たちの視力を奪った。
バンッ!
宗介が両開きの窓を蹴破ると、かなめの手を取って隣家の屋根に飛び降りた。
フィアットが止めてある場所まで疾駆する。
かなめにとっても屋根の上を走るのは、陣高時代からの十八番だ。
――昼休みの購買競争で鍛えた足を舐めないでよ!
『影』たちは初期の混乱からあっという間に立ち直り、すぐさま後を追ってきた。
フィアットの上まで辿り着くと、宗介はサンルーフ目掛けて飛び降りた。
狙い違わず180cmの長身が運転席に納まる。
かなめも飛び降り、サンルーフから頭上を見上げた。
「急いで!」
宗介がセルを回し、エンジンをかける。
4人の『影』が降ってきたのとフィアットが急発進するのは、ほぼ同時だった。
2人が振り落とされ、2人が車体にしがみついた。
かなめがフライパンで、1人の頭をガンガンと叩く。
宗介は車体を傾け、残りの2人を石造りの家壁に挟み付けた。
タイヤと金属の擦れる耳障りな音が石造りの街路に響き、しぶとくしがみついてきた最後の2人を振り落とした。
「……本格的に攻めてきたわね。この事件、裏が深いわよ」
「……ああ、面白くなってきた」
かなめと宗介は軽口を叩き合って、萎えかけた気力をなんとか支えた。
2人を乗せたフィアットは闇の中へと走り去っていく。
……to be continued
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