フルメタル・パニック! その後の2人   作:Deetwo

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(3)の続きとなります。

軍曹とレイスがようやくカリオストロ城に侵入します。
オリキャラが登場しますので、苦手な方は御注意ください。
ご一読いただければ幸いです。


炎のたからもの (4)

「――ぶえーーっくしょん!」

「――ぶえーーっくしょん!」

 

 もひとつおまけに、

 

「――ぶえーーっくしょん!」

 

「……おお、ぶるっときた」

 

 豪快なくしゃみ3連発のあと、ずずっと鼻水をすすってかなめが身体を震わせた。

 

「風邪、引いちゃったんですか?」

 隣で同様にPCのモニターを監視するミラが気遣った。

 

「うははは……昨夜、おなか出して寝ちゃって」

 

 言えない……。

 昨夜、冷たい泉の中でしちゃったなんて……しかも2回。

 それに、よく考えたらキャンプで飲料水に使ってる小川って、あの泉が源泉なのよね……。

 言ったが最後、ミラに口をきいてもらえなくなる……。

 入社早々に退社されてしまうかも……。

 

『こちらレイス。くしゃみをするならレシーバーを外してくれ。鼓膜が破れるかと思ったぞ』

「こ、これは失礼」

 インカムから入るレイスの抗議に、小さくなって謝る社長。

「……ソースケ、あんたは体調大丈夫?」

『問題ない』

「そ、そう、それはなによりだわ」

 重要な潜入作戦を前に頼もしい限りだが、こいつはアザラシの生まれ変わりか何かなのか?

 皮下脂肪なんてまったく付いてるようには見えないのに……。

 

 かなめたちのチームが、カリオストロ公国で合流して10日目の夜。

 準備を重ねた『カリオストロ城』への潜入作戦が、ようやく実施されようとしていた。

 潜入するメンバーは、宗介とレイス。

 かなめとミラは、ベースキャンプで2人のバックアップを担当する。

 札束で横面を引っ叩くように急きょ呼び寄せた2人は、回収班として所定のポイントで待機。場合によってはゴムボートを出して潜入班を回収する。

 アルはキャンプでかなめとミラを護衛し、いざという時はレーバテインIIで宗介の元に駆け付ける。

 

 宗介とレイスは、気泡の発生しないアメリカ海軍特殊部隊SEALsと同様のクローズド・サーキット方式の潜水器具を装備して、すでに城の対岸にある水門の付近に待機している。

 宗介は、その他にもM4カービン銃や愛用のグロック19、コンバットナイフ、手榴弾。潜入用の特殊な登攀器具、フックランチャーなど、彼の想定するあらゆる状況対応できる装備を身に付けていた。

 宗介以上に潜入のスペシャリストであるレイスは、武装と言えば愛用の小型の自動拳銃と小振りなナイフだけの軽装備で、あとは最低限潜入に必要な機材だけだった。

 

 レイスが、宗介の重装備を見て、

 

 ――貴様、戦争をしに行く気か?

 

 と眉をひそめたのは、これまでに2人がこなしてきた潜入任務に差異があるせいだろう。

 

 諜報員のレイスにとって、潜入とは基本的に気づかれずに忍び込み、気づかれぬままに脱出する情報収集が主であり、SRT要員であった宗介のそれは人質救出や攪乱、破壊工作が主である。

 同じ元ミスリルとは言え、諜報活動が任務の情報部と実働部隊で荒事が仕事の作戦部では、潜入任務に対する意識からしていろいろと違う。

 

 なので潜入後は連携した行動はとらず、各々の経験と勘を頼りに高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応(出たとこ勝負で)、作戦目的を遂行する。

 

 宗介は、孤塔に幽閉されているフランソワーズ・ド・カリオストロとの接触。

 レイスは、かなめがBLACK BOXと称した城の中央地下の不可視区画の確認(可能なら調査)。

 

 素人のかなめの目から見ると随分とずさんな計画だが、宗介にしろレイスにしろ、この方が動きやすいらしい。

 両人ともお互いが巻き起こすかもしれない混乱を利用するなど、朝飯前だ。

 

 彼らの前には夜の湖にそびえるカリオストロ城が、魔王の城のような黒い影をさらしている。

 

『こちらウルズ7、これより状況を開始する』

『こちらレイス、同じく状況を開始する』

 

「こちらエンジェル、了解。2人とも、Good Luck」

 

 これから水道橋を抜けるまでは通信が途絶する。

 2人が城に潜入したら、かなめはここから警備装置をハッキングして援護する。

 ECCSをはじめとする城外に向けられた軍事的警戒装置は外部からのハッキングに対して過度に厳重だが、城内を守るセキュリティーはそれよりは劣る。

 内部のセキュリティーは基本的に城内の人間が元首官邸として能率よく行動がとれるように構築されていて、そこにつけいる隙がある。

 城に潜り込めさえすれば、やりようはあった。

 

 あとは……2人を信じるだけだ。

 

 かなめは胸の中で、宗介とレイスの無事を祈った。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

 宗介とレイスが城への進入路に選んだ古代ローマの水道橋は、23年前の水門開放による水位の上昇から今は1mほど水中に没している。

 水道橋の中は120cmほどの四角い水路になっていて、もちろん照明などはなく漆黒の闇に包まれている。明かりがあればあったで、たとえ閉所恐怖症の人間でなくてもその閉塞感と圧迫感には長時間は耐えられないだろう。

 水道橋の入り口、今となってはカリオストロ城の用水路の吸水口に到達した宗介とレイスは、水中用のヘッデンを灯すと流木などの大きな異物の侵入を防ぐための鉄格子を外す作業に取りかかった。

 作業が完了すると、宗介、レイスの順で水路に入る。

 

 水路の中には、侵入者を探知するためのセンサーの類いはない。

 湖に生息する大型の淡水魚が、頻繁に水路内に入り込んでいるからだ。

 警報装置など設置した日には、連日連夜誤作動を起こして大変な騒ぎになる。

 レイスが例の『酔っぱらいの大泥棒』の話に真実味を見いだしたのは、この点が大きい。

 実際、ヘッドライトの明かりの中を、コイだのナマズだのが何匹も通過していった。

 

 レイスの前方を、相良宗介の落ち着いたフィンが動いている。

 あれだけの重装備をまといながら、狭い水路の中を側壁にぶつかることなく真っすぐに泳いでいく。

 精鋭ぞろいの元ミスリルSRT要員の中でも凄腕と言われていただけのことはある。

 

(……ふん、友人にするなら失格だが仲間にするなら頼もしい)

 

 ……。

 友人だと?

 かつてこの自分が、友を持つなどと考えたことがあったか?

 まったく敵地に潜入中に、こんな余計なことを考えるとは。

 わたしもヤキが回ったものだ。

 

 それでもレイスは、この狭く暗い水路の中に1人ではないことが心強かった。

 

(……)

 

 レイスの前方を進む宗介は、ひたすらに集中していた。

 かなめがハッキングして入手した城の構造は、3日を掛けて頭に叩き込んである。

 水道橋を抜けた後のどのルートを使って、フランシーヌが幽閉されている北側の孤塔にたどり着くか。

 たどり着いた後、どのように彼女を説得し、城外へと連れ出すか。

 複数のプランを立案してチーム全員に伝えてあるが、そのどれもが使えないなんて状況はこれまでにも数多く経験している。

 結局のところ、最後はミスリルでSRT要員に求められていた能力――どんな不測の事態が起こっても独力で任務を達成し、帰還できる――を活かすしかない。

 ASの操縦と格闘術ではクルーゾーに劣り、電子戦ではマオに劣り、狙撃ではクルツに劣る。

 すべてが一流だがすべてが超一流でない宗介がSRTで凄腕と認識されていたのは、まさにその能力。土壇場でのしぶとさなのだ。

 

 やがて狭く長く暗い水路を抜けた。

 水路の出口は、城内の風車塔だった。

 円筒形の塔の天辺に、小さな風車小屋がある。

 かつては風車の力で引きこんだ水を城内にまで汲み上げていたが、今は電動式のポンプがその役割を担っている。

 塔の内部には赤外線を使った警備装置と、それに連動したレーザー型のセントリー銃が設置されている。

 

 宗介は水中から顔を出さずに、腕のG-SHOCKを見た。

 ちょうど午前0時を回ったところだ。

 プラン通りなら、すでにかなめが城内の警備装置をハッキングして無力化しているはず。

 

 腰からコンバットナイフを引き抜くと、宗介はそっと水面に突き出した。

 セントリー銃はなんの反応も示さない。

 宗介はレイスに親指を立てると、水中から顔を出した。

 ボンベやフィンを外し、頂部の風車小屋から水面に突き刺さって低い駆動音をあげているポンプに手をかけ、よじ登っていく。

 宗介にしろレイスにしろ、この手の行動はお手のものである。

 ほどなくして2人は風車小屋に達した。

 

 宗介は無線機を取り出し、ベースキャンプと連絡を取る。

 

「こちらウルズ7、ポイントαに到達した。レイスも無事だ」

『こちらエンジェル、ご苦労さま』

「引き続き、プランAで行動する」

『エンジェル、了解』

「交信を終わる」

 

 必要最低限の通話をすると、宗介とレイスは風車塔の外に出て今度は地上まで懸垂降下。

 カリオストロ城の外庭に降り立った。

 

「ではな」

 レイスが珍しく宗介に微笑んだ。

 

「幸運を」

 宗介がムッツリ顔で答える。

 

 ここから2人は別行動を採る。

 運が良ければ、再び会えるはずだ。

 

 先にレイスが姿を消し、宗介も彼女とは反対の方向に消えた。

 

(……また会おう、レイス)

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

 宗介はカリオストロ城の中枢である巨大な居館(パラス)、その外壁に沿って張り巡らされた露天階段を上っていく。

 大公女息女フランソワーズが幽閉されている北の孤塔に行くには、城の要部を抜けるしかない。

 

『ここから先は信用ある者しか入れない』――場所であり、

 

 カリオストロ城に勤務する職員でも、セキュリティーレベルの高い人間しか入れない区画だ。

 

 露天階段から要部への入り口のある居館に入る。

 入り口には機器による警備だけでなく、時代掛かったコスチュームをまとった衛士が2名、常時張り付いており、その奥にある両開きの扉を守っている。

 情報によれば、扉の奥にはさらに1個分隊の衛士の詰めている待機所があるはずだ。

 

 宗介の手にはサプレッサー付きのM4カービンがある。

 銃撃して無力化するのはたやすいが、今の彼が採るべき手段ではない。

 あの2人の衛士を、どうにかして持ち場から遠ざけねばならない。

 

「……こちらウルズ7、ポイントB到達。支援を求む」

 

 周囲に人の気配がないのを確認すると、宗介は無線機に小声で呼びかけた。

 

『エンジェル、了解』

 

 すぐにかなめの声が聞こえた。

 事前の計画どおり、かなめが警備システムを操作して陽動をかける。

 

 宗介はふと、23年前に若き日の大公女を救い出した大泥棒がいったいどうやってこの警備を潜り抜けたのか興味が湧いた。

 年代的に考えて、現在ほど警備システムへのハッキングは有効ではなかったはずだが……。

 

 宗介の後方で、火災報知器が鳴った。

 2人の衛士が驚き、そしてすぐにどこかと連絡を取る。

 何かしらの指示を受けると、衛士は物陰に身を潜めた宗介の横を駆け抜けて階段を下りていった。

 

 宗介は物陰から姿を現し――何を考えてか、もう一度潜めた。

 

 ガチャッ!

 

「――続けえぇぇぇ!」

 

 入り口の両扉が勢いよく開き、中からサーベルや消火器を手にした衛士の集団が現れ、階下に向かって突撃していく。

 先頭に立って集団を率いているのは血相を変えたゴリラのような大男で、どうやら衛士を率いる身分のようだった。

 

(……すごいな)

 

 宗介は素直に感心した。

 いささか猪突猛進のきらいはあるが、指揮官陣頭の鉄則を守っている。

 自ら死地に飛び込んでいくのは統率の原則だ。

 

 しかし、これで待機所の衛士は全員が持ち場を離れたはずだ。

 あの指揮官の男の形相を見るに、念のために誰かを残しておく……などという戦術は採らないだろう。

 

 宗介はカービン銃を手に、今度こそカリオストロ城の要部に踏み込んだ。

 

 華美な装飾の両扉の奥はノーブルな内装が施された回廊になっていた。

 

 案の定、衛士の気配はない。

 ないが……。

 

 回廊の真ん中に、これ見よがしに石膏の胸像が置かれている。

 

(……なんだ、これは?)

 

 石膏像に擬した、セントリー銃か?

 いや、かなめがハッキングで得た情報では、ここにそんな物は設置されていなかったはずだ。

 

(……ただの調度品か?)

 

 宗介は一歩踏み出しかけた。

 途端にうなじの産毛がチリチリと逆立った。

 

 宗介は思いとどまり、天井から吊されている照明にフック付きのワイヤを引っ掛けた。

 胸像の横まで振り子の要領で飛ぶ。

 シャンデリアが落ちないかとひやひやしたが、どうやら重装備の宗介の重さにも耐えてくれた。

 

 ネットワーク化された高度な警備システムから完全に独立した、昔ながらのトラップ。

 落とし穴だろう。

 知らずに扉の奥の床を踏むと、奈落の底に呑み込まれるという寸法だ。

 

 数百年にわたって『ゴート札陰謀』の中心だった城である。

 ハッキングには引っかからない、アナログな罠が存在してもおかしくない。

 むしろ存在すると考えるのが妥当だろう。

 

 宗介はさらに警戒心を研ぎ澄まして、古城の奥へと足を踏み入れる。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

 宗介と別れたレイスが、真っ先に向かったのは実に彼女らしい場所だった。

 官邸職員用の更衣室。

 難なく潜り込むと、ロッカーから自分の背格好にあった制服を拝借して身にまとう。

 

(……さすが由緒あるカリオストロ公国の大公女官邸のコスチュームだけあって、なんとも大時代的なデザインだな)

 

 レイスは、胸の内で独り言ちた。

 彼女に言わせればこのような機能性を無視した服装など非合理の極みだったが、観光立国として生きるしかない小国としては、これもやむなしと言ったところか。

 

 着替えを終えたレイスが更衣室を出ようとすると、目の前の廊下を給仕の服装をした2人の男が歩いていくところだった。

 レイスはドアの隙間からその男たちを一目見て、ただの食堂係でないことを見抜いた。

 身のこなしにまったく隙が無い。明らかに特殊な訓練を受けた男たちだ。

 

「……火災報知機の誤作動らしい」

「……なぜ俺たちがわざわざ?」

「……3日前にネズミを1匹始末したばかりだ。上が神経質になってるのかもしれん」

 

(……おそらくこいつらが例の『影』だろう……それにしてもネズミとはなんのことだ?)

 

 自分たちの前に、誰か他の工作員がこの城に潜ったのか?

 だとすれば、迷惑な話だ。

 

 幽鬼の名を持つ工作員は、内心で舌打ちをした。

 

(……どこのどいつか知らないが、余計なことをしてくれた)

 

 男たちの気配が消えると、レイスは今度こそ更衣室を出た。

 

(火災報知器が鳴ったということは、事前の計画通りサガラはポイントBまでは到達したのだろう。こちらもペースを上げねば、いざというとき奴が起こす混乱を利用できん)

 

 レイスは宗介とは逆に、下へ下へとこの城の子宮を目指す。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

 

 宗介は夜のカリオストロ城を、フランソワーズ・ド・カリオストロが幽閉されている北の孤塔を目指して進んでいる。

 孤塔に至るには、普通に考えれば塔への唯一の通路である伸縮式の連絡橋を使うしかない。

 連絡橋の基部は居館の北側にある尖塔にあり、最低でも1個小隊の衛士により厳重に警備されている。

 宗介1人での制圧は困難であった。

 仮に制圧できたとしても、すぐに敵の応援がきて包囲されてしまう。

 

 宗介はこの城でもっとも高い場所、居館の最上層にあるフランス語でドンジョン、ドイツ語でベルクフリート呼ばれる、日本の城であえて言うなら天守閣のような構造物に向かった。

 可能な限り屋内を進んだ後、窓から外壁に出る。

 両足に特殊なアイゼンを装着すると2本のピッケルを手にウォールクライミングで、カリオストロ城の文字通り頂点を目指す。

 

 重装備をものともせず、驚異的な筋持久力で黙々と壁を上っていく宗介。

 それでも少しずつ着実に、筋肉に乳酸が蓄積されていくのがわかる。

 疲労で動けなくなる前に登りきらなくてはならない。

 ひたすら目の前の壁だけに集中し、ピッケルを打ち込み、アイゼンを蹴り込んでいく。

 

 やがて垂壁を登りきり、宗介はドンジョンの屋根へと出た。

 屋根の淵に立ち、フランシーヌが囚われている目の前の孤塔を見る。

 胸に言い様のない怒りが湧く。

 宗介は風向きを確認すると、さらにその切り立った屋根をも登っていく。

 ジリジリと……しかし確実に。

 

 ピッケルとアイゼンを駆使することしばし、ついに宗介はカリオストロ城の頂点にたどり着いた。

 

 さすがの宗介も、全身汗だくだった。

 息こそ乱れていないが、しばらく屋根の頂上で休息する。

 ここまでくればもうあと一歩だ。

 わずかの時間休むと、鍛えられた宗介の身体は活力を取り戻した。

 すぐにこの時のために背負ってきた、とっておきを下ろす。

 

 有効射程距離200mの強力なフックランチャー。

 

 見た目は、入国初日に黒服の乗った高級乗用車を吹き飛ばしたロケットランチャーに似ている。

 違いは厚い岩盤や氷壁にすら突き刺さる、ワイヤ付きの強力な()を発射することだ。

 

 宗介はランチャーを右肩に担ぐと、前方下方に見える孤塔に砲口を向けた。

 フランシーヌが囚われている孤塔の前にも、より低い小さな尖塔がある。

 

 一瞬この屋根の急傾斜を利用し、全力で駆け下りて跳躍。目の前の小さな尖塔を足場に再度跳躍すれば、あるいはあの孤塔まで跳べるのではないか……そんな馬鹿な考えが浮かんだ。

 

(……本当に馬鹿な考えだ)

 

 宗介は頭を振って、気持ちを切り替えた。

 風向きや、ワイヤを撃ち込んだ後に取りつける滑車と自分の体重、滑走時の加速度と自身が壁に接触する際の衝撃などを計算して照準を合わせる。

 

 トリガーを押し込むと、バシュッ! と乾いた発射音がして銛が撃ち出された。

 

 長さ1mほどの太い銛が細いワイヤを引きながら高速で飛翔し、狙い違わず宗介が照準を合わせた場所に突き刺さった。

『かえし』のついた特殊な形状の穂先は、フル装備の兵士2人分の荷重を支えられ、容易に脱落しない。

 宗介はワイヤを少しの弛みなく引くと、登山のハーケンに似た器具を足元の屋根に打ち込み、通した。

 

(……屋根の強度が足りない気がする)

 

 一抹の不安がよぎる。

 長い年月、風雨・風雪に晒されてきた中世以来の城である。

 必要に応じて補修作業は行われてきただろうが、400年という経年劣化の前にはそれも限界がある。

 

 何度か強度を確かめてみたが、ぐらつくようなこともなく、もちろん外れたりもしない。

 気のせいだ。

 宗介は楽観論で不安を打ち消した。

 

 滑車状の特殊な吊具をピンと張られたワイヤに装着し、宗介は小さく息を吸った。

 吊具に手を掛け、屋根を蹴る。

 勢いよく滑車がすべり、宗介の身体を空中の牢獄へと運ぶ。

 見る見る加速し、鋭い風音が宗介の鼓膜を叩く。

 

 ……バキッ、

 

 その風切り音に紛れて、後方で小さな破砕音が響いた気がした。

 宗介の身体がいきなり落下する。

 

 先ほどの楽観論が、手痛いしっぺ返しとなって降りかかってきた。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

 

 レイスは城の中央地下にあるに一画に向かっていた。

 長い石造りの階段を、物音を立てずに下りていく。

 照明は薄暗く、ひんやりとした空気は循環が不充分で澱んでいる。

 埃臭く、カビ臭く、苔臭い。

 まるで古い墓の臭いだ。

 実際、大昔には代々カリオストロ家の地下墓所として使われていた場所だという。

 

 外部から完全に遮断さられた不可視区域。

 かつてゴート札を造幣していた地下工房のあった場所。

 現在は何もない空っぽの空間で、単に放置されているだけ――とは考えにくい。

 それならなおのこと簡単な警備装置くらい設置されていてしかるべきだ。

 仮にもこの城は一国の元首が政務を執る官邸なのだ。

 常識的に考えて、使用されていない区画にもそれなりの警備態勢が敷かれているはず。

 たとえそれがなおざりの警備であったとしても、だ。

 何もない空間が存在すること自体、そこに何かある証左なのだ。

 

 隠身をして気配を消し、一歩一歩下りていく。

 所々に極小の中継器を設置してきてはいたが、キャンプとの通信状態は悪い。

 これから先は、かなめやミラの支援は受けられないと思った方がいいだろう。

 どの道、不可視区域にハッキングは効かない。

 やがて視界の先に、より明瞭な明かりが見えてきた。

 

 レイスはようやく、カリオストロ城の子宮――BLACK BOXの際にたどり着いた。

 

 一見すると、そこは何かの[[rb:研究施設 > ラボ]]の入り口のように見えた。

 空港の保安検査場にある物と似た機器が設置されていて、X線による手荷物検査の装置、ゲート型の金属探知機などがあり、2人の衛士が操作している。

 その奥に網膜認証と暗証番号を入力するタイプの入室用のドアがあった。

 

 もちろん、今のレイスの装備ではこれ以上の侵入は不可能だ。

 レイスは、衛士に気づかれないように引き返した。

 

 不可視区域に『何かある』ことは確認できた。

 

 本来ならこういった調査は、対象組織の身内として潜入し、何ヶ月あるいは何年もかけて内偵を進めていくものであり、今のレイスの立場ではそこまでは出来ないし、する必要もない。

 彼女が出来るのはこの情報をかなめ経由でミスリルなりに流して、彼らの善処を期待することだけだ。

 これ以上は、()()()()()()諜報機関の仕事である。

 

 ……。

 

 階段を上るレイスの歩みが止まった。

 側壁から、ほんの微かな空気の流れを感じたのだ。

 頬をなでる微風……よりも、なお弱い大気の動き。

 壁に触れないように注意しながら、手をかざして位置を探る。

 

 そして、見つけた。

 確かに壁の向こう側から空気が流れ込んでいる。

 

 壁の一画をぐっと押してみる。

 反応はない。

 もう一度、別の場所を押す。

 

 ……ズズっと岩が擦れる重い音がして、壁に人一人がやっと入れるほどの空洞が現れた。

 

 フラッシュライトをかざすと、狭い通路が数m先で右に折れている。

 隠し通路だ。

 厚く堆積した埃から、百年単位で開かれた様子がない。

 

 レイスの心に、魔が差した。

 

 当初の計画どおり、このまま脱出するか。

 それとも、この先を少しだけ探ってみるか。

 敵も知らないこの通路。

 幸運が味方すれば、あるいはこの先のBLACK BOXに通じているかもしれない。

 

 悪魔の口のごとき隠し通路が、幽鬼を誘っていた。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

「かなめさん、聞いてもいいですか?」

 ミラが、隣でコーヒーカップを片手にPCのモニターを監視するかなめに訊ねた。

 

「ん~? なに?」

 モニターを注視したまま、かなめが答える。

 潜入中の宗介たちに異常があれば、即座にここアラートが表示される。

 

「弱体化したミスリルに代わってウィスパードを保護をする会社を設立する……とても立派な考えだと思うし、感動もしました。だからわたしもこの会社で働くことにしたし……でも今のかなめさんたちなら、自分たちでこんな危険な真似までしなくても十分にウィスパードの力になれたのに。なぜなんです?」

 

 今のかなめと宗介の財力なら、たとえばミスリルに資金援助をして専門の部門を設立させるだけで十分にウィスパードの力になれる。

 何も自ら場合によっては弾雨にさらされる場所に出てくる必要はない。

 

「これはわたしたちの問題だから――偶然が積み重なって急にお金持ちになったからって、自分たちは金だけ出して安全な場所から他人に戦ってもらうほど、ソースケもあたしも年をとってないのよ」

 

 かなめはミラを見て笑った。

 

 ――要するに、まだまだ青いのよ、わたしたち。

 

「ねえ、ミラ。ミラが考える、一番怖い『敵』ってなに?」

 

 今度はかなめが、そんな謎かけじみた質問をした。

 

 一番怖い『敵』?

 強大な敵? 残酷な敵? 何を考えているかわからない、理解不能な敵?

 しかし、ウィスパードとして特にASに強い個体であるミラは、かなめの求めている答えがおぼろげながらにわかった。

 

「『ファントム・メナス』……ですか?」

 

 数年前に公開されたSF映画のタイトルになぞらえて、ミラが答えた。

 

「巧いこと言うわね。でもそのとおり、正解よ。この世で一番怖い『敵』は『ファントム・メナス』――見えない脅威よ」

 

 ASが最強の陸戦兵器といわれるゆえんは、単にその戦闘力だけを指しての言葉ではない。

 第二世代機の登場により、よほど特殊な状況下でない限り、ほぼすべての戦場で戦車や戦闘ヘリすらも撃破が可能になったAS。

 しかし兵器としての何よりの強みは、その踏破性能からくる活動範囲の広さである。

 市街地、森林、山岳、砂漠、湿地――多少の得手不得手はあるものの、既存の陸戦兵器を上回る強力な兵器が戦場を問わず投入可能。

 言い換えれば、どこに出没してもおかしくない。

 備える側からすれば、どこに拠点を構えようとも安心できない。

 常にASの影におびえ、防衛のためのコストは跳ね上がり、間接的に戦力を削がれる。

 ASとは装備するだけで、あるいはそう思わせるだけで、敵対する勢力に有形無形の様々な圧力を与えることができる、まさにファントム・メナスなのだ。

 

「アマルガムが完全に壊滅したって聞いて東京に戻って、最初は半信半疑でおっかなびっくりだったけど、それでも半年ぐらいなんにもなくて……ああ、これでやっと元の普通の生活に戻れるんだ……そう思った直後に、プロジェクト4だなんて訳のわからない武器商人に襲われて……」

 

 かなめは、天幕と森の樹木の間のわかずかな夜空を見つめた。

 アルプス上空の空は澄んでいて、東京の何倍も星が輝いている。

 

「あたしもソースケも、もう慣れっこだったし、覚悟もしてたんだけどやっぱりショックでさ」

 

「……」

 

「それで思ったのよ。たとえP4を潰しても、この先何年かしたらまた別の組織とか企業が現れて、戦って撃退して、そしてまたショックを受けて……あたしの頭の中の知識が陳腐かするまで、ずっとこの繰り返しなんだな……って」

 

 ミラは吸い込まれるように、かなめの横顔を見つめている。

 

「あたし、あいつの子供が欲しいし、普通に結婚もしたい。でもいつ来るかもしれない、来ないかもしれない敵にずっと怯えてる今のままじゃ、無理だと思ったの」

 

 かなめの吐露する思いを聞き、確かにそのとおりだろう……とミラは思った。

 

 妊娠中に襲われたら?

 出産直後に襲われたら?

 幼稚園の送り迎えのときに襲われたら?

 

 たとえ元ミスリルSRT要員の相良宗介の力を持ってしても撃退は困難だろう。

 運よくその折々で襲撃者を撃退できたとしても、かなめたちに大きな傷を残すのは確実である。

 

「だったらこっちから攻めてやろうと思ったの。見えない脅威に怯えて幸せな人生をつかみ損ねるなんて真っ平御免よ。姿が見えないなら炙り出して、こっちから叩きつぶしてやるの。あたしとソースケにはその力がある。幸いにして津雲さんから一生かかっても使い切れない額のお金を譲られたしね」

 

 運命の不思議から元傭兵の津雲真――旧姓風間真から譲り受けた莫大な海外資産。

 自分たちの能力とその資産を使えば、ただ逃げ回るだけでなく、こちらから撃って出ることも可能なはずだ。

 

「あたしってこう見えても実はすっごい臆病者でさ。しかもそれプラスすっごいひねくれ者の強がりで、何かあると本当は怖いくせに、そのたびに変なスイッチが入って強行突破を試みちゃうわけ」

 

 おそらくそれは幼少期より、天真爛漫でいられた妹に対して姉として常に我慢を強いられてきたせいだろう。

 本当は妹と同じように両親に甘えたかったのに、それが許されないと知って今度は痩せ我慢を身に付けた。

 妹が年に二度、誕生日とクリスマスにプレゼントをもらえるのに、自分はもらえない。

 それについて抗議をすれば、わがままだと言われる。お姉ちゃんなのだから我慢しなさいと。

 理不尽だと思ったし、不平等だとも思った。

 同じ両親から生まれた同じ子供なのに、差別されていると思った。

 でも、それ以上口にすれば両親に失望される。

 だから、ある時から変なスイッチを入れて『聞き分けのよいお姉ちゃん』を演じた。

 プレゼントを年に1回しかもらえないことなんかなんとも思ってない。全然平気。問題なし。

 

 問題は大ありで、彼女の変なスイッチはしだいに条件反射となり、後天的な性格となってかなめを縛り始めた。

 悲しいのに悲しいと言えない。寂しいのに寂しいと言えない。欲しいのに欲しいと言えない……好きなのに好きと言えない。

 

 言ってしまえば、否定されたときにとても傷つくから……。

 やっぱり言わなきゃよかったと、とても後悔するから……。

 

 素直な感情表現は、いつしか彼女にとってわがままと同義語になっていた。

 

 そのおかげで、中学時代は学校で酷く孤立し、心に深い傷を負った。

 敵意を向けてくるクラスメートにはズケズケとものを言えたのに、親身になってくれた唯一人の先輩には気持ちを伝えられない。

 憧れの先輩は、好意を伝えられないまま卒業してしまった。

 

 高校に進学してからは友人に恵まれ、中学時代とは真逆の明るい学校生活を送れたが、それでもクラスメートとの間には見えない壁を確かに張っていた。

 必要以上に親しくならない。

 親しくするのは、自分が学級委員だから。生徒会副会長だから。必ずそういう理由付けをした。

 今にして思えば親友の常盤恭子との間にだって、その壁はあったように思う。

 ずっと抱えていた家族との葛藤を話せなかった……。

 いつの間にか一杯一杯になっていた、あいつへの想いを相談できなかった……。

 

 そしてそんな見せかけの強さはあの日、アマルガムの陣代高校への襲撃によって微塵に砕かれた。

 かなめはすべて諦めてレナード・テスタロッサの元へ行き、残された宗介は彼女を取り戻すべく、単身孤独な戦いに身を投じることになる。

 

「それ以来、なんか萎れちゃってさ。なんとか気持ちを奮い立たせてミラが完成させてくれたラムダ・ドライバ・キャンセラーの理論とか考えてみたけど、行く先々で前みたいに思い切った行動が取れなくて……何度もソースケたちの足を引っ張っちゃったのは知ってるでしょ?」

 

 かなめの話にうなずきながらも、ミラはそれは仕方のないことだとも思った。

 アマルガムのような強大な組織相手に、普通の高校生でしかなかったかなめが強さを保つことなど出来るわけがない。

 むしろ、完全に折れることなくギリギリのところで踏みとどまったことこそ、彼女の強さの証明なのではないか。

 

「メリダ島でテッサたちに助け出されて、死んだと思っていたソースケとも再会できて、それからしばらく2人で世界中を逃げ回ってる間も、ずっとそんなままで……」

 

 照れくさそうに述懐する、かなめ。

 あの逃避行生活は甘美ではあったが、宗介との共依存の日々でもあった。

 互いの体液の染みついたシーツにくるまって、傷をなめ合う毎日。

 心身ともに傷を負い疲弊した自分たちには、そういった日々が確かに必要だったのだろう。

 

「でもね、慣れ親しんだ東京の水がやっぱり合ってたのかな。あの町に戻ってから少しずつだけどね、昔のあたしが戻ってきたみたいで。『武器商人だか軍需産業だか知らないけど、上等じゃない、そっちがその気なら、受けて立ってやるわよ!』みたいな気分になってきたの」

 

「……」

 

 人間は回復する。

 どんなに酷い傷を負っても、時と共に回復し以前よりもさらに強くなる。なれる。

 それは同じように過去の傷に苦しむミラにとって希望だった。

 

 そしてかなめは、宗介が恋した学級委員の顔で言った。

 

「あたし、いつまでもソースケに抱かれてやっと眠れるような、初心な女でいたくないの。

 それはソースケにも同じ。あいつにはいつまでも女の愛撫で立ち直るような間抜けな男でいてほしくない」

 

 ――まぁ、強がりだって強さのうちって感じかな? うはははは。

 

 かなめさん、それはきっと強がりじゃないと思う。

 以前のかなめさんには、確かに強がりだったかもしれない。

 でも今のかなめさんには、きっと……。

 

 ミラは再び、自分のモニターに視線を戻した。

 先ほどかなめが誤作動させた火災報知機以外、城内の警備態勢に目立った変化はない。

 今のところ宗介とレイスの潜入は順調に進んでいるようだった。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

 ――!!!?

 

 突然、宗介の身体に掛かる慣性のベクトルが変わった。

 ガクンと、身体が沈み込む。

 咄嗟に、吊具のストッパーを押し込む。

 制動機構が働いて、滑車がワイヤをくわえ込んだ。

 再び慣性の方向が変わり、今度は振り子のように前方に振られた。

 

(……くっ!)

 

 孤塔の壁が見る間に近づく。

 このままの勢いで叩きつけられれば、全身の骨という骨が砕ける。

 

 せめて高所からの着地するように、宗介が体勢を変える。

 その直後、足先からバラバラになるような衝撃が身体中に走った。

 鼻の奥がツンと焦臭くなり、意識が飛びかける。

 ほとんど生存本能だけで、撃ち込んだハープーンから垂れ下がっている細いワイヤにしがみつく。

 

 ドッと汗が噴き出した。

 

 どうも今回は『落ち物』系のトラブルが多い。

 それ系のゲームは得意だが、自分が連鎖の対象になるのは願い下げだ。

 

 宗介はミノムシのようにワイヤにぶら下がりながら動悸が治まるのを待った。

 呼吸が平静に戻ると、滑車の制動機構を巧く利用してワイヤを登っていく。

 

(……最後の詰めを誤るのはアマチュアのやることだ)

 

 宗介は自身を叱咤しながらワイヤを登り切り、孤塔の屋根に手を掛け、身体を引き上げた。

 

 

     ×     ×     ×     ×     ×     ×

 

 

 

 月光が差し込む窓辺に椅子を置き、フランソワーズ・ド・カリオストロは、今夜も眠れぬ夜を過ごしていた。

 憂いを帯びた瞳が、膝の上に落ちている。

 近しい者が、フランシーヌと呼ぶ彼女。

 カリオストロ公国大公女クラリスの第一息女にして、今は虜の姫。

 

 1年前のあの日、母が病に倒れて以来、すべてが変わってしまった。

 いや、変化はそれよりもずっと以前から少しずつ訪れていたのだ。

 あの『囁き』が始まってから、少しずつ……。

 

 最初は呪わしかったあの『囁き』が、人の病を治すための知識だとわかったとき、そして母を救う手だてとなったとき、自分の中で呪いは祝福へと変わったはずだった。

 

 それなのに……彼には呪いのままだった。

 

(……あの方たちは無事にこの国を出られただろうか)

 

 フランシーヌの思いは、彼女の一番近しい存在であった彼から、先日知り合った男女に移った。

 花嫁衣装の仮縫いの一瞬の隙をついて逃げ出した際、自分たちの危険も顧みず追っ手から彼女を助けようと尽力・奮闘してくれた恋人たち。

 

 明朗で快活で、それでいて慈愛に満ちていた美しい女性。

 寡黙だが強い意思と誠実さで、自分を守ってくれた青年。

 

 あの日以来、フランシーヌは折あるごとに2人のことを……特に青年のことを思い出してしまう。

 

 彼に抱えられながら崖を下りた時のことを。

 落ちてくる朽ち木から救うために、咄嗟に彼を押し倒してしまった時のことを。

 あの黒く深い瞳を思い出すたびに、胸が切なく、苦しく、そして高鳴ってしまう。

 

(……どうか逃げ延びていてください)

 

 囚われの姫は、視線を窓の外に向けた。

 せめて美しい月に、彼の無事を祈るように。

 しかし雲が流れ、月を覆い隠す。

 月明かりが遮られ、瀟洒な虜囚部屋に闇を落とす。

 母が嫌い、即位後はずっと閉じられたままになっていた部屋。今は彼女の唯一の世界。

 フランシーヌは、悲しげに目を伏せた。

 

 空気が動いた。

 外気が夜風に運ばれて、フランシーヌの髪とリボンを揺らした。

 

 ……キィ、

 

 頭上で金属がきしむ音が聞こえた。

 天井付近の円形の扉がいつのまにか開け放たれていた。

 ロープが垂れ下がっていて、人影が立っていた。

 

「……どなた?」

 フランシーヌは立ち上がって身をこわばらせた。

 

「……傭兵です」

 人影が答えた。

 

「……傭兵……さん?」

 

 その時、再び雲が流れて月光が闇をはらった。

 窓から差し込む月の光の中に、人影が歩み寄る。

 

「夜分、許可なく御寝所に立ち入る無礼をお許しください」

 

「……あなたは」

 闇の中から現れた青年に、フランシーヌの瞳が見開かれた。

 そして口から零れる、胸の中で何度も繰り返してきた彼の名……。

 

「……サガラ・ソースケさま」

 

「覚えていていただき光栄です、殿下」

 M4カービンを手にした宗介がうなずく。

 

「……どうして、ここに? 見つかったら殺されるというのに……」

 

 フランシーヌは目の前の光景が信じられない。

 自分はいつの間にか眠ってしまい、夢を見ているのではないか。

 自分は絶望のあまり、正気を失ってしまったのではないか。

 

「戦い、守るのが傭兵の本性です。仕事が終われば帰ります」

 

「お仕事……わたくしに何か差し上げられる物があればよいのですが、今は虜の身……」

 

 あ……。

 

 フランシーヌの目が、左手にはめている指輪にとまった。

 母のクラリスがカリオストロ大公家の正統な公女の証しとして作ってくれた物だ。

 銀の山羊の指輪。

 売れば幾ばくかの金にはなるだろう。

 

「これを……」

 指輪を抜こうとしたフランシーヌの細指を宗介が押しとどめた。

 

「自分の目的は『ウィスパード』の保護と救出にあります」

「『ウィスパード』……?」

「今から2年半前までに『囁き』聞いた者たちです」

 

「……!」

 フランシーヌの手が、思わず口元を押さえた。

 

「ど、どうしてそのことを御存じなのですか?」

「世界には殿下の他にも『囁き』を聞いた者たちがいます。自分はそういった者たちを守り、助けることを生業とする人間です」

 

 宗介は一歩下がり、尊貴なる姫に一礼した。

 

「どうか自分に、あなたを守り、お救いする栄誉をお与えください」

「わたくしを……」

「はい。あなたが自分を雇い『あなたを守りここから救い出せ』と命じてくだされば、自分は直ちに任務に就けます」

「わたしを自由にしてくださるの?」

 囚われの公女の顔に希望の光が灯る。

 

「肯定です」

 

 フランシーヌはうつむき、椅子に腰を下ろした。

 

「……ありがとう。とてもうれしいの」

 再び顔を上げフランシーヌは、気遣わしげに彼女に歩み寄った宗介を見上げた。

「でも、あなたはカリオストロ家の恐ろしさをご存じないのです」

 

「……どうかこのまま帰って」

 

 長い間絶望に晒されてきた者は、容易には希望の到来を信じられない……。

 

「殿下、傭兵の力を侮ってはいけません。その気になれば傭兵はたった1人でも世界を相手に戦争を仕掛けます。ライフル弾を腹に受けようが、5.5メガトンの戦略核を撃ち込まれようが、生き延びて目的を達します」

 宗介はうつむくフランシーヌを真っすぐに見つめて語りかけた。

 

「あなたが信じてくだされば、傭兵は空を飛ぶことも湖の水を飲み干すことも可能です」

 

 そう言うと、宗介はバックパックからゴソゴソと何かを取り出した。

 

「……? それは?」

「緊急脱出用のバルーンです。これで殿下をこの城からお救いします」

 

 それは陣高時代、友人たちと海水浴に行った際に、崖の上の富豪の屋敷から千鳥かなめを救い出したときに使った物だった。

 

「空を飛んで……」

「はい、自分は嘘は申しません」

「では、湖の水も飲み干せるのですね?」

「当然であります」

「まぁ」

 大真面目にうなずく宗介に、フランシーヌはようやく笑顔を浮かべた。

 

「殿下……」

 フランシーヌの肩が震えた。

 細い喉の奥から嗚咽のような願いが漏れる。

「わたしを……助けてください……どうか助けて……ここから連れ出して……あなたの力で……」

「了解しました」

 

 口頭での略式契約だが、相良宗介は彼女の――フランソワーズ・ド・カリオストロの傭兵になった。

 

 突然、室内に明かりが灯った。

 

「「――!?」

 

 宗介はカービン銃を構えると、フランシーヌを背後にかばった。

 ひし形の格子がはめられた窓に、壁と同じ意匠が施されたシャッターが下ろされる。

 古代ローマの神殿を思わせる円柱の陰から例の『影』たちが姿を現すと、まるで統制された()のような動きで2人を取り囲む。

 

 背後から気配が忍び寄ってきた。

 

 宗介はフランシーヌを掠め取られる前にその『気配』をカービンのストックで殴り倒し、可動部のため装甲が薄いはずの首筋に5.56mmNATO弾を叩き込んだ。

 貫通力に劣る小口径高速弾、さらにはサプレッサー付きだが、さすがにこの距離なら『影』の着込んでいる鎧を貫通できる。

 

 乾いた拍手の音が響いた。

 人をバカにしたようなそのリズム。

 

『影』の包囲たちが割れて、フランシーヌと同じ髪の色をした青年が姿を現した。

 

「見事な手並みだ。とても平和な日本にお住まいの方とは思えない」

 

 宗介の背中で、フランシーヌが身を固くする。

 

「カリオストロ城にようこそ、旅のお方。当城の主『アルセーヌ・ド・カリオストロ』です」

 

 ナルシシズムを感じさせる耽美な容姿と表情が、宗介を苛立たせた。

 

 

……to be continued

 

 




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