ど健全なる世界   作:充椎十四

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失ったエロばかり数えるな

 市街地からほど近く、サラリーマンや学生がふらりと入りやすい喫茶店・ポアロ。蘭の家の真下ということもあり月に二三度は来ているその店で、時々顔を見る女がいる。

 ――その女はいつも五人から六人くらいの美男美女を連れていて、女以外のメンバーはコロコロ変わる。美男美女らから先生と呼ばれている姿を何度も見た。何の教師をしているのだろうと思ったけど、蘭の親父さんから「お前にゃまだ早い。せめて高校……三年かそこらになってからだな」と止められてしまった。中一にはまだ駄目なことって何なのかは分からないけど、親父さんの目が真剣だったから言いつけを守っている。

 

 夏休みも終わりだるい二学期が始まったばかりのある日、美男美女を連れていない「先生」と、三十路半ばだろう男がボックス席にいた。

 

「小学生が楽しみながらだんだんと性の自覚を持てるようなゲーム、ですか」

「はい。教科書は先生のコラムも交えた物に改訂しているのですが、現場の教師が教えたがらないそうで。別のアプローチをしたいんです。今はゲームと言いましたが、別の何かでも全くかまいません」

「なるほど」

 

 生の自覚とはどういうことだろうか。生きているという自覚……みんな普通に自覚してると思うんだけど。自分が死んでると思って生きてる奴なんてそうそういないだろ。

 

「最近の小学生ってスマホ持ってますよね」

「ええ。親とスマホを共有しているとか、こども用スマホとか聞きますね」

「ようつべも見れますよね」

「ええ。動画を流すんですか?」

「動画というより、歌がメインです。楽しく歌って、知らぬ間に性に感心を持つような歌を拡散しましょう」

 

 その二ヶ月後だ。部活終わりに仲間がスマホを出し、聞いたら絶対に笑える歌があると言われて画面を覗く。スピーカーから流れ出したのは妙に深く良い声で――金○がどうのと歌っていた。

 

「なんだこれ」

「金太の大○険って歌」

 

 そういうことを聞きたいんじゃない。

 

 ――今ならおっちゃんの言葉の意味が分かる。あの「先生」と呼ばれている女はカラメル半月、性行為の革命児で、教育者。性風俗の歴史資料をどこからか発掘しては研究させる歴史学者のパトロン。また、俺が美男美女だと思っていたのは全員女の舞台スタァ。東都と宝塚に専用の舞台を持つ歌劇団の団員だった。性風俗関連だけでなく様々な文化活動――歌劇団を始め、私立美術館の設立、伝統芸能や古典音楽の発掘に再興――にも私財を投じるカラメル半月の活動を、ある人は「ゲスの人気取り」と貶し、ある人は「彼女こそまさしく色女」と褒めた。

 あと、カラメル半月は金○の冒険やバスト○いの歌の作詞者だ。落差が激しすぎる。

 

「店員すゎ~ん! ビールお代わりぃ!」

「かしこまりましたー!」

 

 最近出来た居酒屋に夕飯を食べに来たが、おっちゃんがいつものように酔っ払ってしまい大声で店員に注文したのを、蘭が「そんなみっともない大声出さないの!」と叱りつけた。蘭の言うとおりみっともない。

 

「店員すゎ~ん! 生大ジョッキ二つと枝豆とキムチ~!」

「はいはいかしこまりましたー!」

 

 別の席から上がった声に顔を上げれば、少し離れたテーブルでポアロの常連――カラメル半月が笑顔でこちらに向かってにこにこと手を振っていた。向かい側の席には背の高い黒髪の男が座っていて、苦笑している。

 

「あー、あの人かァ。敵わねえよなぁ」

「そうね、いい人よね」

 

 おっちゃんがカラメル半月の対応に頭を掻き、蘭がそれに頷く。会話が自然と途絶えた俺の耳にカラメル半月とその連れの話し声が聞こえてきた。

 

「やればやるほど失われた百年の悪影響があっちこっちにあるのが見えてきて、もう涙も出んわ」

「まあ先生呑めよ。呑んだら気が楽になるから」

「――かぁーッ! ビールが美味い! この世は糞!」

 

 既に三分の二減っていた大ジョッキを干し、カラメル半月は分厚いガラスのジョッキをドンとテーブルに叩き付けた。

 

「金瓶梅が! 発禁! 焚書! 写本もなし!」

「まあ呑めって。な?」

「諸伏君は分かってないんだ、金瓶梅が白話小説に与えた影響というものを全く分かっていない。金瓶梅が一瞬輝いただけで消えたらドミノ式に紅楼夢も生まれませんでした、とか普通思わないじゃん!? ウィキのあの記述の薄さったらもう悲惨という他ないよ。つまり宗教が悪だったんだ。全ての国民よ今こそ決起し悪を討つべし! 天に代わって誅をなす!」

「先生呑もう」

 

 彼女が何を言っているのか分からないが、何かショックなことがあったらしいことは分かった。

 

「神が人を救ってくれるというのか?――キリスト教の坊さんも仏教の坊さんも、祈れ修行しろ喜捨しろと人に偉そうなことを言うくせに祈っても奇跡は起きず、修行したら世俗との関わりを失い、喜捨しても幸運は巡ってこず、ただ奪われていくばかりだ。知ってるか、うちの店に来る外人の八割はクリスチャンだし、坊主頭の客のほとんどは生臭坊主だ」

「お待たせしました生大ジョッキ二つでーす」

「ありがとうございまーす聞いているか諸伏君」

「へ? ああ、はい」

「その点多神教は素晴らしい。あいつらは人類を救うとかそんなこと考えちゃいないし、ぶっちゃけるならただの天災の擬人化だもん。初めから人を救う意思のない神ってのは救いや奇跡を期待させないから良い。修行を強いず、喜捨も強いず、そして何よりスケベが多い。最高じゃん」

 

 結局はそこに行き着くのかと呆れてしまって、メニューに視線を落とす。もう少し何か食べたいと胃が主張しているのだ。

 

「コナンくん、何か食べたいのあるの?」

「あ、蘭ねえちゃん。あのね、あとちょっとだけ食べたいなって思うんだけど……」

「じゃあこのだし巻き卵はどう? わけっこしよ」

「うん!」

 

 写真のだし巻き卵はふっくらとしていて確かに美味しそうだ。

 注文しただし巻き卵は写真の通りに分厚く、柔らかく口中に出汁が溢れた。はふはふと言いながら食べ終えて店を出る時、カラメル半月のいるテーブルを振り返った。

 

「日本に生まれて良かったよぉ」

 

 どういう話の流れがあったのか、カラメル半月はめそめそと泣いており向かいの席の男に慰められていた。

 後日、呟きったーで「金瓶梅の写本持ってる人いない?」という彼女の投稿がリツイートで回ってきたが、俺のアカウントに回ってくる前に「うちの土蔵にありました。送りましょうか」という画像付き返信が届いていた。そしてその返信に彼女本人が「貴方のご先祖様が素晴らしい色男であったことに感動の涙が堪えきれません。DMから住所を教えて頂けませんか?学者と一緒にお伺いさせて頂きます」と返信しているのを見て、インターネットの凄さを改めて感じた。

 

 あれから数年が過ぎ金瓶梅が現代語訳され新○文庫から出版された数日後、中○共産党の広報担当官が顔を真っ赤に染めて「あれは我が国の小説ではない。日本人の創作だ!」と叫んでいた。ギリシャみたいに認めれば良いのに、否定すれば否定するだけドツボに嵌まり抜け出せなくなると分かっているんだろうか。

 半月さん本人から貰った金瓶梅に集中するため、ニュースを流しているテレビの電源を切った。




名言とか名コピーで上手く合うのを探すのが大変になってきた。
ところで一時日刊ランキング1位だったってマジですか。

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