ど健全なる世界   作:充椎十四

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我十有五にしてエロを志す

 最近ポアロに来るようになった、とある客から睨まれている。多方面から大小様々な恨みを買っている自覚はあるし、初対面の相手から睨まれたり罵られたりは日常茶飯事だけど、この男――沖矢昴から恨まれている理由がさっぱり分からない。数年前に当たり屋的運命の出会いを演出しようとした赤井をハイ論破しちゃったことを逆恨みされているとか? それならとんだ八つ当たりだ、当たり屋だけに。

 

 割と頻繁に命を狙われていることもあり、「通う店」は私のストレスが溜まらない最小限まで絞っている。ポアロはその中でも優良な店の一つだ。なにせ二階には警察と縁が深い毛利探偵事務所があり、毛利さんの元同僚の何人かがこの店の常連。店内は奥行きがあり実はテーブル板に鉄板が入ってる。

 だから、ポアロ通いを止めるというのは私の選択肢の中にはない。

 

「さっきからこちらをご覧の様子ですけど、何か私にご用でしょうか?」

 

 ずっと睨まれているのは気分が悪い。そう声をかけると沖矢昴はふっと鼻を鳴らした。

 

「いいえ、見ていたつもりはありませんが。何故僕が貴方を見ていると?」

「視線を感じましたので」

 

 沖矢昴の糸目を正面から見て、思いだしたことがあった。

 

「不躾な提案だとは思いますけど、その目、危ないから一度眼科を受診なさった方が良いと思いますよ」

 

 沖矢昴の糸目では、瞳孔が全く瞼に隠れてしまっている。これは眼瞼下垂という病気にあたり、生まれつきの人と、加齢などを原因とする人の二種類ある。

 眼瞼下垂の何が悪いかと言えば目に悪い。瞳孔が一部隠れていることで、視界全体を全円の瞳孔で見る時よりも目への負担が大きくなる。視力低下の原因の一つだ。

 他にも目への負担から頭痛や肩こりなどを発症することもあり、眼瞼下垂による不利益は大きいと言える。

 あと、目を大きく開こうとすると眉毛が持ち上がる。眉毛が持ち上がると額に皺ができる。額に皺ができる。額に皺ができるんだよ……。大事なことだから三回言った。眼瞼下垂、なんて恐ろしい奴なんだ。

 

 私の要らないお世話をどうとったのか、沖矢昴は「そのうち、自分が必要と思ったときに行きますよ」と返事した。

 沖矢昴の皮を剥いだ素顔はぱっちりした大きい目だし、自分には必要ないと思ってるんだろう。欧米の血が入った顔はこれだから羨ましい。ちょっと羨ましすぎて憎いし、睨んできたことへの仕返しだ、嫌がらせをしてやろうじゃないか。

 

 中に詰めた商品名を余さず記入した伝票を貼り付けた段ボール箱……その箱の側面には我が社のロゴがプリントされていて、中身も我が社が制作に深く関わる品々だ。特殊性癖のアダルトビデオとオナニーグッズ。オマケにお尻がポカポカするローションも入れてあげた。そして沖矢昴が不在の隙を狙い、日付・時間指定の宅急便でお届けし――灰原哀ちゃんが沖矢昴を見る視線が絶対零度を下回り、阿笠博士はそっと彼から距離を置いた。男の尻を狙う変態扱いだ、さぞかし心にクることだろう。

 今更私を敵に回すことの意味を知ったところでもう遅い、信頼は既に失墜したのだから。

 

 ちなみにこの嫌がらせ、諸伏君らによるとアングラ業界で「スケベ爆弾」と呼ばれているらしい。これをされた悪人はほぼ全員が健全な外国へ逃げるそうで、そのお陰か日本国内の治安は急激に改善されていっている。

 代わりに外国の治安が悪くなろうがそんなことは私の知ったこっちゃない。

 

 沖矢昴にスケベ爆弾を送った数日後、ポアロでコーヒーを飲んでいたら、私がカラメル半月であると知っているコナン君が店に駆け込んできた。

 

「先生、沖矢さんに何かしたろ!」

「沖矢さん? えーっと、私が知ってる人?」

 

 沖矢昴め、コナン君に「カラメル半月に理不尽な嫌がらせされたよう!」って泣きついたに違いない。自分の目的のために子供の純粋な感情を利用するなんて全くふてえ野郎だプンプン。

 

「その沖矢さんって人がどんな人か分からないんだけど、どんな人なの?」

「え……いや、知らないなら良いんだ。ごめんね先生、変なこと言っちゃって」

 

 痛い腹を探られた時にギクッとかハッとか口に出したり顔に出したりするのは少年向けマンガのキャラクターかコメディアンだけ、私は真面目で常識のある一般人だから正直に顔に出したりなんてしないのだ。残念だったね、はーっはっははーははははーひふーへほー!

 内心高笑いしながら優雅なコーヒータイムを過ごし、迎えのトヨ〇カロー〇に乗って家に帰った。

 

 ――私は着々と「存在感のあるサブキャラ」の地位を築いている。少年マンガワールドでは、主人公格キャラの隣家の住人とか、主人公が良く通う飯屋のオバチャンとかは事件に巻き込まれないし死なない。

 梓さんを見てみろ、存在感も名前もあるけど毒にも薬にもならない立場のサブキャラだから事件にさほど巻き込まれないし死を覚悟するようなシーンもない。つまり、こうして時々主人公と絡むシーンがある程度の私は絶対に死なないのだ。

 

 と、ストロン○ゼロを一人で開けてコンビニのレンチンおつまみを楽しんでいた時だ。スマホが震えメールの着信を伝えた。送信者は私が支援している研究者の一人・平畑さんで、メールの内容は私の寄稿に関する連絡だった。文庫本で四ページ分、期限は今月末まで、と。

 四ページ程度ならさして負担じゃない。了解ですと返信してスマホをテーブルに置いてまたチューハイを呷る。

 

 私が金銭的支援をしている学者さんたちの直近の成果は、一年近く前に出た「真・現代語訳 古事記」。この本は日本神話があはーんでいやーんだったということを日本中に広め……日本語を読める外国人らが「カラメル半月を生み出すくらいだ、そりゃあ日本人にはスケベ遺伝子が流れてるに違いない。神話からしてエロいんだ」と日本人を馬鹿にするという悲惨な事態が発生した。

 確かに日本人はスケベだ。だが、ギリシャ人とイギリス人、アメリカ人、インド人や中国人らに「やーいドスケベ遺伝子保持者!」と言われたくはない。てめえ本当のギリシャ神話を読んでから言え、イギリスもアーサー王物語とかその他スケベ有りの創作物を加筆修正して「エロス描写なんてなかった」ことにした癖に生意気だ、やーいお前イギリス人の子孫! カーマはどうしたオイこっち見ろよ、あんたんとこ官能小説たくさんあるでしょ。

 

 だからギリシャ神話をはじめ外国文学の研究者たちに発破をかけた。その結果が、今回寄稿についての連絡が来た本……再来月書店に並ぶ予定の「翻訳 ギリシャ神話完全版」だ。もちろん現代ギリシャ語版も出す。なおアーサー王物語は二年内に本の形にできると聞いているし、その他もおいおい手を出す予定。人のことを指差して嗤った奴等に鏡を見せてやれ。

 

 ――私がこうして手広くパトロン業務を始めたきっかけは平畑さんだ。日本文学スケベ発見事業をしていることを聞き付けた彼が「ギリシャ神話を知っていますか!」とうちに飛び込んできたのが初めての出会いで、彼の話がきっかけでスケベ発見事業が世界規模のものになった。

 ギリシャ神話を始め、世界の様々な昔話、文学、芸術……それらが書き換えられたり焚書されたり破壊されたりしたという。

 

 ギリシャ神話からは露骨な性描写が削られ、近親相姦した兄妹は他人ということになり、オナニーは全力疾走に変わり、浮気性のゼウスは三十人くらいに分裂してそれぞれが別神ということになった。神話や文学がこんな悲惨な目に遭ったというだけで気が遠くなるのに、彫刻や絵画は破壊、破棄。……気が付いたら病院のベッドで寝ていた。パジャマなのは気絶する前にゲロしたからだそうな。

 

「現実が辛すぎる……もうこのまま入院していたい」

「退院日は明日ですよ」

 

 駄々をこねたけど病院のベッド数は有限だし、私は胃壁を除いて健康だった。一晩だけ泊まって次の朝に追い出され、仕方ないから家で三日間ふて寝した。

 

 それから数週間後、私がギリシャ神話研究に金を出したことをどこから聞き付けてきたのやら、現れたのは國學○大學の若手神職の皆さん。日本神話も健全化修正受けてるんだよ、と肩に手を置かれた時は目が死んでそのまま腐り落ちるような気持ちになった。文明開化時に西洋の文化や考え方がどっと流れ込んできた際、明治政府の皆さんは悩んだ。「神の国日本」と国内外に語るための古事記・日本書紀がスケベ過ぎたからだ。

 

 かくして古事記はかつての内容を取り戻し、ギリシャ神話はそろそろ公開。

 半年前からギリシャ領事館が「変なことをするな」「何を考えている」「金ならいくらでも出す」と何度となく必死な調子で訴えてきているけど、誤解しないでほしい。私はただ、真実を明らかにしようとしているだけだ。不発弾のごとき扱いには全く疑問しかない。

 真実を明らかにするという点で私と探偵のどこに違いがあるんだ、答えられるなら答えてみろ。

 

 「翻訳 ギリシャ神話完全版」の出版から数日後、ギリシャ政府の広報担当官が「修正を受ける前のギリシャ神話は、先日出た本の通りです」と憔悴しきった顔で記者の質問に答えていた。




 目は大事ですよ。眼瞼下垂を疑って眼科に行ったところ、緑内障の危険があると診断されましたから。目は大事。

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