ど健全なる世界   作:充椎十四

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愛痛くて愛痛くて震える

 本屋にかの撲殺鈍器がないことに気付いたのは、確か中学二年の春から梅雨あたりの頃だった。図書館にある反応が遅い検索端末で蔵書検索をしても、著者の名前はもちろん作品名すら一件もヒットしなかった。私がその時に探していた本は――前世で私が好んだミステリ作家の一人で、文庫本版が撲殺鈍器と呼ぶ他ない、京極〇彦の百鬼夜行シリーズだ。

 ミステリ界に彼が存在しないなんて信じられないというより、受け入れられない。似ているようで似ていない異世界だから等という理由であのシリーズを諦めきれるはずがなく、市内の大型書店に電話したり出版社の作品目録を一から確認したりと方々探し回った。探し回って、そして理解した。この世界は糞だ、と。京極堂おらずして日本のミステリを語ることなど出来ないし、京極堂なくして日本のナンバーワンミステリを名乗るのは笑止千万。

 

 存在しない物をいかにして世に出すか。お年玉とお小遣いの前借で買ったパソコンの微妙に粗い液晶を見ながら、マウスをただひたすらクリックする。突如開くワード7、白紙の文書が表示された。――いつの間にかポインタがワードの位置まで移動していたらしい。

 

「私が書け、ってこと……?」

 

 偶然の出来事だとは分かっているが、私はワード7が「言い出しっぺの法則」と囁いている気がした。だが私には知識がない。心理学から陰陽道から、あのシリーズは様々な知識を煮詰めて作られた傑作なのだ。私に書けるはずがない。はずがない、と思いつつ図書館で神道やら各国の風土記やら、本を探してネタを見つけてはノートにメモしていった。

 

 さて次は心理学について調べるか、と通い慣れた図書館を歩き回った私は頭を抱えることになった。心理学の本が、三冊しかない。それも専門用語が翻訳されておらず原語表記のままという翻訳書が二冊と、聞き覚えのない日本人の本が一冊だ。むろんア○ラー心理学とかそういうのもないし、心理学入門とかのテキストも存在しない。

 何が起きているのかさっぱり分からなかったが、そういえばここはコナンの世界だったということを思い出して、納得した。探偵が謎解きする理由はきっと、これなのだ。犯人の心理を感覚的に理解できるスキル持ちでなければ難事件が解決できないのだ。そういう世界なのだ。だから心理学の掘り下げが浅い。

 

 しかし一度かの撲殺鈍器を太陽の下に連れ出すと決めたからには立ち止まってなどいられない。本屋に何冊かあるのを見て学校の図書館に購入希望を出せば、学生が学術的関心を持っていることを喜んだ司書さんが数冊入荷してくれた。学生には手が出せない値段だったので有難く借りて、返却期限を三回くらい延長した。

 それでも足りない資料は、長期休みを利用して国立国会図書館まで行った。東京都心で勤めている叔母さんがいたから取れた手段だ。――そんな奮闘を続けることおよそ三年、どうにかそれらしい物が書きあがった。自分で読んでいても粗が多いし、文章に深みはなく、自己満足極まりない残念さが漂う。だけど自力ではこれ以上ブラッシュアップできないのだ。どこをどう直せばいいのか分からないのだ。

 

 書いている途中から薄々気付いていたことだが、これを発表するのは恥ずかしい。なにせ私は本当の京極堂を知っているからコレジャナイ感が凄いのだ。

 違うんだ、本当の京極堂はもっと頭が良いし言い回しも素晴らしいし皮肉っぽいし、違うんだ、こんなのじゃないんだ。そう思えてしまって、進むも退くもできなくなった。クオリティはどうであれ完成させたくて書ききったけれど……京極堂を名乗る駄作としか思えなかった。素人が思い上がって書いた劣化版だ。

 呻きながら自室のフローリングに転がり、ワードが表示されたパソコン画面を見上げてはまた呻き顔を覆った。自分の厚顔無恥さがみっともなく、恥ずかしかった。これを出版社の賞に応募するなんて、自分が京極堂の作者を詐称するなんて無理だ。

 

 でも、どこかで、誰かに読んでもらいたかった。

 

 散々迷いつつ投稿した先は小説家に○ろう。もしかしたら私と同じような境遇の人がいるかもしれない、その人が、前世で見覚えのある小説タイトルなどに反応してくれるかもしれない。そうなれば良いなと思って半年――UAは百に届かず、私の求める誰かからの反応はなかった。

 素人小説で、ミステリで、超長編。確かに初見バイバイだし、読む気が起きないのも分かる。分かるけれどショックで、私はなろうのマイページを開くことすら止めた。

 

 ……あれから約十年。今なら心理学ジャンルが悲惨だった理由が分かる。ギリシャ神話があの状態だったからだ。

 

 先日参加した――知り合いの文系教授経由で参加を捻じ込んだ、心理学を専門とする教授の皆さんの学会は、学会(仮)だった。日本全国から集まった人数、三人。日本の心理学教授の総数、三人。高校の漫研同期が数十年ぶりに集まって呑もうという同窓会にうっかり紛れ込んだ他人のような居心地の悪さを初めは感じたが、三人の教授は良い鴨がやってきたとばかりに心理学の素晴らしさを語りまくってくれ、贅沢な講義をほぼタダで受けてしまった。ちなみに出費は呑み代のみ。

 これから是非心理学の発展のため頑張ってほしいと言って小切手を三枚切れば、泣き上戸でもないのに彼らは滝のように泣いていた。

 

 私がエロ文学以外にも金を出すとどこから聞いたのか、ナンタラ研究所やらカンチャラ製薬やらドッタラ学研究室やら……色々なところから資金援助を希望するメールが届くようになった。その中の一件に既視感を覚えてむむと唸る。

 さっき秘書室の子が持ってきてくれたコーヒーから湯気がくゆりと舞い、ブラインドの隙間から差し込む青白い光をキラキラ反射した。

 

「美馬坂近代医学研究所ねぇ」

 

 どこで聞いたのだったか、医学なんて人間ドックくらいしか縁がないはずなのに。変に頭に引っかかるから何度もミマサカと唱え、そうだ、とパソコン画面へ身を乗り出した。魍魎の匣だ。そうとも、二巻の舞台じゃないか。

 メールの文面は見慣れたもの――様々な分野に関心を持っておられる貴殿に、是非我が研究所をご視察頂きたい、云々。色々なところに無心メールを送っているに違いないが、いかにもお堅そうなキンダイイガクケンキュウジョさんが、ジョークグッズ販売にAV製作や性風俗店運営なんぞしている私にこんなお願いをしてくるのだ。よほど切羽詰まっているに違いない。

 

「気になるけど、気のせいだよなぁ……きっと」

 

 液晶画面をなぞる。当たるも八卦当たらぬも八卦な我が勘は「関わらない方が良いんじゃない?」と言っているし、ぶっちゃけ面倒そうだ。

 

 これ以上メールを確認する気が起きず、なんとなく思い立って本棚に近寄った。私が関わる雑誌がきれいに整頓されて並んでいる。月刊誌の愛と欲、愛と欲別冊で季刊誌の変態性欲、月刊誌のゑろす、その他。

 愛と欲のバックナンバーから適当に一冊抜き出し、目次を上から下まで見て「ほう」と声が漏れた。「蒐集者の庭」が載っていた。表紙を確認すれば去年の七月号、新進気鋭の若手作家デビューの文字と共に作品タイトルと久保竣公の名前が踊っている。

 

 短い文字列から目を離せないまま椅子に戻り、座って、目次に書かれたページを開く。京極堂が端的に説明した粗筋に肉を付けた話だった。

 音量を絞ったテレビが、昨晩遅くに人身事故があり、女子高生一人が重体だと伝えている。

 

 まさか、いや……この世界は「コナンの世界」でしかないという思い込みをしていたのだろうか。京極堂は存在するのか。だが、この世界にはエロスと心理学がまだまだ不足している――。

 乾いた喉にぬるいコーヒーを流し込む。脂汗が背中をじっとりと濡らしていた。




そろそろ更新スピードが落ちます。ご了承ください。

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