ど健全なる世界   作:充椎十四

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スケベが欲しけりゃ馬鹿になれ

 有り難いことに、と言うべきか。どこぞの産院で母娘三名死亡――なんていうセンセーショナルな事件は、秘書室の子を全員動員しても風見君ネットワークを突いてみても見つからなかった。姑獲鳥はなかったのだ。

 ならばあのニュースは単なる偶然で、同名の小説を同名の作家が書いただけ……と思いたいところだが、こうも要素が重なってしまうと不安が消えない。胸の中がもやもやしてどうしようもないのだ。

 もしかして京極堂の面々が別名で存在するのではとも思ったが、新○にはうつ病を抱えた前衛小説家なんていなかったし、実家が清明神社な編集者もいない。中野に古書店を営む宮司はもちろん神保町に探偵社を構える財閥次男もおらず――京極堂も薔薇十字探偵社もないのだ。百鬼夜行シリーズのような猟奇事件が起きないことを喜ぶべきなのだろうが、あの小説とあの名前が頭の端にずっと引っかかっているから、むしろ存在してくれなければ困る。

 

 だが、現実に京極堂はいない。事件の気配はある。

 

「私に憑き物落としをしろと……? 悪魔憑きにする自信はあるけどドーマンセーマンは無理だって」

 

 助けてよ皆のヒーロー陰陽師! 呼ぶから今すぐ来てくれ。

 

「そのツキモノオトシってのは何だ?」

 

 溜息を吐いたところで部屋に入ってきた諸伏君は、早い夏季休暇を取った社員の土産――萩の月と煎茶を二人分、盆に乗せて持っている。

 

「憑き物落としっていうのはまあ、何て説明したものかな。こういうのは京極堂の十八番であって私は専門家じゃないんだけど、ざっくり言えば相手の思い込みを解消することかな。

 目から鱗が落ちるって慣用句があるでしょ? あれは新約聖書が由来の表現で、ペテロだかパウロだか、そんな名前の男の目から鱗のような物が落ちてイエスキリストの信者になった、って話が元。相手の目から鱗を落としてやって、理論的で整頓された世界に導くのが、さっき私が言った憑き物落とし」

「教師の授業のようなものか?」

「理論武装した宗教学って言う方が近いかな。お説教やらお説法やらを聞かせるから」

 

 机の端に置かれた煎茶に手を伸ばす。淹れたてはクーラーで冷えた指先には熱すぎるけど、熱いのを飲みたいから茶托を引っ張ったら諸伏君が「零れるだろ」と手元に運んでくれた。

 湯気に顔を突っ込むようにしてお茶を飲む。これから起きるかもしれない惨劇を思うと寒くてならない――萩の月の包装を剥いで半分食べた。甘い。そしてお茶は熱い。

 

「よく分からないが、なんか御大層なものみたいだな」

「頭が良くて知識も豊富なら誰でもできるよ。私はどっちも足りないけど」

「先生は色々知ってるじゃないか」

「スケベだけね」

 

 私が関わる雑誌・愛と欲は、書店に平積みする関係上、載せる内容には強い制限をしている。小児性愛や売買春、死姦その他様々な「反社会的性癖」は愛と欲に載せてはいけない、と。私は、道徳がどうとか反社会的な知識がどうとか、そういう区分けなんて正直面倒くさいと思っている。だけどこういう「リアルに持ち込まれると大変な性癖」を書店で仕入れられてしまうと、性的に早熟なだけの馬鹿が周囲を巻き込んで事件を起こしてしまう可能性が否定できない。そんな事件が起きてみろ、私は槍の穂先でツンツク突かれて躍ることになるし、マナーを守って性癖を隠している面々の肩身が狭くなる。それでは困るのだ。

 となると、そういう「一般でやるとかなりヤバい」性癖に関する投稿があった際にどうするのかという問題が生じるんだが、それは「別の掲載先を作る」という方法で解決した。その別の掲載先こそ愛と欲別冊の変態性欲。別冊にするだけでは子供の目に留まるから通販限定、通販できるのは三年以上愛と欲を定期購入した二十五歳以上に限る。

 

 こうして絞ったおかげで購読者数は七百人ほどだけど、どいつもこいつも真の変態ばかりで飽きがない。読者投稿欄などいつも各々の性癖暴露大会で混沌の様相を呈し、罵倒とマウントの取り合いにより戦争が起きた回数は両手で足りない。中にはお仕えしているお嬢様に関する惚気という一見まともそうな投稿もあるが、数少ない。

 『~前略~

 彼女の若く柔らかい手がこのみっともない髭面に触れる度、彼女の張りのある美しい声が耳垢だらけの耳管を打つ度、私は胸が苦しくなり泣きそうになる。だが私はけっして小児性愛でも少女性愛でもなく、ただ彼女が彼女であるというだけで幸福感の海に浸ることができるだけだ。変態性欲の読者の一人として、私の異常な性癖を語るべきなのだろうが、私は彼女によって齎される全てが愛しく尊く思える、輝きに満ちた毎日を自慢したい。

~後略~』

 数回にわたり、この投稿者への罵倒メッセージが掲載された。投稿者自身も「でも羨ましいんでしょう?」と一言載せたから質が悪い。

 

 なお、紙面で紹介のあった異常性癖に類する性犯罪等があった時には購読者名簿を警察に提出すると先に通知している。仲間から性犯罪者を出すな、が変態性欲のモットーなのだ。おかげで皆よく訓練された変態ばかりだよ、わが軍は。

 毎号表紙イラストを頼んでいる変態が事故で腕の骨を折った際、表紙イラストがないよりはと思って私が習字で書いた「僕たち変態紳士」の一文が受けてからというもの、投稿者のペンネームは皆「変態紳士・○○」「変態淑女・○○」に変わり、読者投稿欄の名前は「変態紳士淑女の集い」に変わった。

 

 私もそうだが、彼らは誰も彼も自由気ままで手前勝手で、仲間には親切だ。マウント取り合うけど。

 

「話は変わるんだけどさ、諸伏君、変態紳士の一人としての君に頼みたいことがあるのよ」

「へえ、どんな頼みだ?」

 

 電話機の横のメモに手を伸ばして、名前と職業を書いていく。

 中禅寺秋彦(宮司兼古書店主)、榎木津礼二郎(探偵)、関口巽(前衛ないし幻想小説家)、木場修太郎(刑事)。

 

「この四人。もしかすると苗字が違うとかして微妙に名前が違う可能性はあるけど、この職業の、こんな感じの名前の人がいないか調べてくれない?」

「……期限は?」

「今月末まで」

「二週間足らずか。問題ないぜ」

「有難う変態紳士!」

 

 諸伏君の仕事なら簡単に調べられることだけど、これは個人的なお願いだ。だから変態紳士という仲間の親切に頼る。

 彼らが存在するならする、しないならしない。それをハッキリさせないと熟睡できやしない。事件も起きるなら起きる、起きないなら起きないとハッキリ教えてくれれば良いのに。

 

 ――調査結果は思った以上に早く、頼んでから五日後の昼過ぎにあった。ペラペラのA4一枚に四人の簡単な情報が纏められている。

 

「興禅寺秋彦、青森県八戸市在住の宮司兼古書店主……青森県ね、そう」

 

 幼い頃に青森県の祖父母に預けられてからずっと青森暮らしで、都心で暮らしたことは一度もない。――待ってくれ、驚いた時に「わいはー」って言う京極堂が想像できない。八戸なら南部弁だったか、もし彼に「んがほんずなしじゃ(君は非常識な人だな)!」と言われてもその場で意味を理解できる気がしない。私は南部弁のネイティブスピーカーではないのだ。

 

「大岡礼二郎、京都の名家大岡家当主の弟。大阪市堺筋本町にビルを所有し、薔薇十字探偵社を構えている。住民票からはその持ちビルが住居兼事務所と思われる……。はあ?」

 

 何故大阪に行った。関西弁の榎さんなんて見たくないぞ私は。一階の借主から「どないでっか?」と聞かれて「ぼちぼちでんな」と答える榎木津礼二郎なんて私は想像できない。無理だ。いいや、違う。京都出身なら京都弁だ。いけずなことを言うに違いない。止めろ!

 

「関口達也、東都生まれ東都育ち。これまでの短編作品は全て文芸春○に寄稿している前衛作家。ライバル出版社にいたのかこの野郎! ぶっ殺すぞ!」

 

 関さんは罵っても良い、私知ってる。

 

「木場秀介、大阪府警捜査一課所属の刑事。鬼の木場秀と呼ばれており、府警の服部平蔵本部長からの評価は高い。大岡礼二郎とは高校の同級生で今でも親交がある……ふぇぇ、もう駄目だ……!」

 

 こんなにバラバラに住んでいたらもう、どうしようもない。京極堂なんて青森にいるんだぞ、青森に。東北新幹線の中でも東京から青森まで行く列車ははやぶさのみ、そして八戸は一部列車通過駅。どうしろと言うんだ。八戸から三沢空港に行って飛行機に乗るとしても一日三便。ちなみに三沢空港に自前の滑走路はなく、隣接する航空自衛隊三沢基地のそれを借りている。

 東都に来いよ! 住居から何から世話するから! 主人公が青森に引きこもってて不在です、なんて冗談ではない。ドーマンセーマン! ドーマンセーマン! 今すぐ呼びましょ陰陽師! シャケ召喚!

 

 机に伏せて泣いたら諸伏君が「どうしたんだ先生、辛いならベッド行くか?」と声をかけてきたけど、そっち方面の慰めは今は要らないから後でおいで。




現在青森暮らしのため、周囲には南部弁だけならまだ良かったのに津軽弁ユーザーが多い。若い人の津軽弁ならまだ聞き取れるのだが、老舗な津軽弁ユーザーの方々の言葉は魔法の呪文である。
ちなみに私は大阪府出身で京都人を親に持ち、高校でクラスメイトに大阪京都奈良和歌山兵庫(瀬戸内海側)三重がいたため関西ごちゃまぜ弁ユーザーである。

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