ど健全なる世界   作:充椎十四

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エロスは大変なものを盗んでいきました

 三十一日の昼、美馬坂近代医学研究所に着いた私を待っていたのは――正確に言うと待っていた訳ではなくブッキングしただけなのだが――毛利探偵一行+頼子ちゃんだった。私は患者の面会が目的ではないので美馬坂教授の解説つきで研究所内をぐるりと案内されていたんだが、美馬坂教授が今いる患者の診察に行くというので無菌テント前までついて行った。そして加菜子ちゃんと面会していたらしき毛利探偵一行と合流、というわけだ。

 

「これは先生! どうしてここへ?」

「毛利探偵こそ。私は美馬坂教授のお誘いで、研究所の見学に来ておりまして」

「なるほど」

 

 毛利探偵が加菜子ちゃんたちを知っているのは、予想通り事故現場に毛利探偵一行がいたからだという。最近知り合ったという小説家と呑んだ帰り、乗っていた電車で人身事故が起きたらしい。運が良かったのか悪かったのか監視カメラの範囲から外れた場所であったため犯人の姿は映っていないが、頼子ちゃんの証言によれば黒い上下の男が加菜子ちゃんを突き落としたとか。駅が高架じゃなかったため犯人は線路を走って逃げたのだろう。

 恐ろしいことをしやがるもんだぜ、と毛利探偵が肩をすくめたその時、室内に須崎の悲鳴が響いた。

 

 コナン君が黙って走り出し合成樹脂のカーテンを抜け中に入る。毛利探偵一行はもちろん私もその後を追い、テントの中に入る。機械の音がぶんぶんと響く中、ぽっかりと空いたベッドは人の抜け殻を呈している。枕のへこみや掛け布団の歪み、床に広がる砕けたギプス。

 頼子ちゃんを横目に見れば、彼女はまるで救いか悟りを得たような目をして微笑んでいた。

 

 

 

 毛利探偵事務所にその男がやってきたのは、盆休みの最中――十四日の九時過ぎだった。彼の妻が怪しげな新興宗教に入信しているので調査してほしい、と。その宗教の名は穢れ封じ御筥様と言うそうだ。

 男の名前は田子正平、妻は雅恵というらしい。

 

「寄付と言うんでしょうか、お賽銭と言うんですか、教主の男は箱の中に持ち金を入れさせて、穢れた金を浄化だとか何だとか、まあ詐欺ですよ、金を巻き上げていくんです。初めはまあ雅恵が何を信じようがホラ、信教の自由がありますし、構うつもりはなかったんですが、日に日にどんどんのめり込んでいって、家にある金目の物は全部処分しないとならない、悪い気が溜まっている、モウリョウだなんだと大騒ぎするようになったんです」

 

 汗かきらしい男……田子はハンカチで何度も額を拭いながら、ぶつぶつとその御筥様のやり口を非難する。おっちゃんは田子の言葉にウムと渋い声で頷いた。

 

「どう聞いても詐欺ですな」

「でしょう! だから毛利探偵には、あの御筥様とやらの化けの皮を剥がしていただいて、妻の目を覚まして、渡しちまった金を取り戻したいんです!」

「でしょうなぁ……。よしっ! 分かりました。この名探偵毛利小五郎が、その不信心な詐欺野郎をとっ捕まえてやりましょう!」

 

 最近は殺人事件ばかりに遭って食傷気味だったのか、地味な調査業務だというのにおっちゃんのやる気は高い。

 

「そのオンバコサマとかいう怪しい奴等など、私の手にかかればチョチョイのチョイですよ! ヌハハー!!」

 

 そう高笑いしたおっちゃんは二週間後に進捗を連絡すると伝え、田子さんは「かの有名な名探偵が太鼓判を押してくれた」といたく感激した様子で帰っていった。大丈夫か、これ。

 ――穢れ封じの御筥様なんて言う不可思議な名前の宗教団体については俺も初耳だ。怪しげな新興宗教、いいや、おっちゃんがさっき言っていた通り詐欺師に違いない。箱に悪いものを封じるというのはきっと方弁で、箱の中に入れさせた金品を着服しているのだろう。

 

 これからその御筥様を見に行くというおっちゃんに子連れなら怪しまれにくいよと説得をして事務所を出れば、なんとつい数日前にポアロへ案内したハーフの方の男と陰険そうな男の二人組がポアロから出てきたところだった。

 陰険な顔の男は葬式帰りのように全身真っ黒な恰好だ。黒の組織か……?

 

「先日のガキじゃないか! だが君、変な宗教団体に行きたがるなんて悪趣味極まりないよ」

「えっと……」

「ちょいと変なことを言うな、あんた。なんで俺とコイツが宗教団体を見に行くって知ってんだ?」

 

 流石にこの男の発言を危険に感じたらしい。おっちゃんがずいと前に出た。

 

「だって行くんだろう? なら分からない訳がないよ」

「榎木津、君のように一目で色々なものが見通せる者は少ないんだよ。論理的に説明されねば理解できないんだ」

「そうなのかい? 全く不便そうだな。まあ持たざる者の持たざるを以って悪となすなんてことは僕の美学に反する」

 

 陰険な男がきびきびした声でハーフの男へ話せば、ハーフの男は鼻を鳴らして肩をすくめた。おっちゃんの表情が厳しくなっていく。

 

「それで! どうして知ってるんだ!」

「だって依頼人と会ったろう。タコ焼きだかイカ焼きだか、僕はタコ焼きよりも明石焼きの方が上品で好きだけどね」

 

 男の言葉でおっちゃんの怒りがしぼむ。

 

「なんでぇ、依頼人の知り合いかよ心臓に悪ィ」

 

 本当に、この男は田子さんの知り合いだろうか? もし田子さんの知り合いで、彼の悩みを知っているほど親密なら、今ここに田子さんがいないのはおかしい。背中を押した友人たちに合流するものじゃないのか?

 

「ねえおじさん、おじさんは何で前と口調が違うの? 関西の人なんでしょ? じゃあ関西弁じゃないとおかしいよ」

 

 話題を繋ぐために話しかければ、ハーフの男は蠅を払うように手を振った。

 

「関西人なら必ず関西弁をしゃべるのか? あいにく空気は吸うばかりの物じゃないことを僕は知ってるし、イギリス人には英語で、フランス人にはフランス語で挨拶すべきことも知ってるよ」

 

 彼の言うことは分かりづらいが、きっと「相手に通じる言葉を選んでいる」と言いたいのだろう。

 

「さあ行くぞ本屋! あの引きこもりウジ虫もそろそろ起きだしてくる頃だろう。すこしのことにも先達はあらまほしき事なり。虫でも猿でもいないよりはマシだ」

「ああ、仁和寺の法師にはなりたくないからね。だが案内役なら猿より虫の方が好ましいな。虫は知らせるものだからね」

 

 陰険な顔の男はさして楽しくもなさそうな表情でそう言い放つ。話題にされている男に対してなんとも失礼な言い様だ。

 二人はもはや俺達のことなど眼中にない様子で、俺達とすれ違い歩き出す。

 

「なるほど、なら何の虫だい。猿顔の虫なんていたかな」

「ウジ虫は蠅になるだろう」

「蠅の知らせになんて僕は従いたくないぞ。奴らはゴミ箱にしか連れて行かないよ」

 

 ウジ虫やら猿やら蠅やら、貶されているにもほどがある誰かについて話しながら、二人は曲がり角に消えた。

 

「――行くぞ、坊主。……あの二人は見習うなよ。親しき仲にも礼儀あり、人を虫やら猿やらと言うもんじゃねえ」

 

 適当な推理で人を犯人扱いすることと、親しい相手をウジ虫扱いすることのどちらがより礼儀知らずなのか。前者じゃねぇかなと思うものの、言ってることは間違っていないから「はぁい」と頷いた。

 

 ――着いた御筥様とやらは四角い箱の形をした建物で、近所に聞き込みしたところ新興も新興の宗教組織だった。俺の役目は母親が入信してしまった可哀想な息子で、おっちゃんはその母親の兄。妹と甥っ子を心配して聞き込みに来た、という設定だ。

 

 子供がいる方が口が軽くなるのか、隣家の風呂屋の親父は色々と御筥様について教えてくれた。モウリョウと書かれたメモの入っていた壺の話や、御筥様の建物があの姿になったのは去年の八月末だとか、それから信者が増えていき今に至るとか。

 モウリョウ――またモウリョウだ。そのモウリョウとやらは何だっていうんだ?

 辞書アプリは『魍魎』という字を当てるのだと表示し、山や川に住む化け物や水の神等々、妖怪の総称だという。

 

「モーリョーねぇ……妖怪なんぞ河童しか知らんぞ。河童の川流れっつーくらいだ。よほど泳ぐのが上手い妖怪なんだろうな」

 

 事務所に帰ってから辞典を引いたおっちゃんが、ガニ股歩きで冷蔵庫に向かうとビールを取り出しその場でプルタブを開けた。

 

「モーリョーがなんだ。御筥様ァ? 変な名前しやがってよぉー!」

 

 回転椅子に飛び込むと机に両脚を上げ、テレビをつけてビールをまたゴクゴクと干した。

 

「受けるんじゃなかったぜ。ヨーカイなんぞてんで科学的じゃねぇってのに」

 

 その通り、科学的じゃない。宗教なんてそんなものだと言ってしまったらその通りなんだが、底冷えするような気味の悪さが付き纏うのだ。何かが起きる気配が――。




水木○げる不在の悪影響

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