イギリス旅行が決まった。なんと旅費はあちらの国持ちだと言う。
「イギリスに行きたい! 行きたい行きたいとても行きたい! 返事は『いいとも!』しか認めない!」
大使館経由で届いたお誘いが魅力的過ぎて机をバンバン叩いたら、諸伏くんが気楽な声音で答えた。
「いいともーっ!」
「えっ、マジで? いいの!?」
「良いからこうして持ってきたんだぜ」
海外旅行は夢のまた夢だと思っていた。空港で入国拒否されるならまだ良い。某一神教の非合法武装組織に飛行機がハイジャックされて機内と私が蜂の巣になることはほぼ確実、一方通行で引き返せない空の旅にアテンションプリーズ。国内線でも飛行機に乗れない身には国際線など自殺行為でしかない。
というわけで一般旅客機だと私が死ぬため、プライベートジェットを使うらしい。
「プライベートジェットってことはまあまあ人数が乗れるよね?」
「ああ」
「そんで、お手紙にはあっちでSPも付けてくれると書いてある」
「もちろん日本人の護衛もついていくけどな。あちらさんにしか分からないような道もあるだろうから有難い」
「マーブリックも連れていこう」
「は?」
「女子旅だよ女子旅。あの三人も旅行しづらい身だし、私一人で遊ぶより女四人で遊ぶ方が楽しいからさ。あと、一人で行ったら三人から向こう五年は恨まれそうだ」
たとえば航○自衛隊を退役してロッカーになった異色の経歴持ち某大阪府民からは「ふざけとんのちゃうぞオイ、なに一人でワクワク旅行しとんねんおかしいやろ。うちらも呼ばんのかいオイ」と口汚く罵られることが確実だ。他の二人からもじっとりとした目を向けられること間違いなし――イギリスが国として歓迎してくれるという今回を逃せば次の機会などないかもしれないのだ。今しかない。今でしょ。
諸伏くんには悪いが、婚前旅行はまた別の機会にしようじゃないか。流石に他人の金でハネムーンの予行など私はしたくないのだ。
ということで、目立つのを避け関空からプライベートジェットで飛び立った。楽器ケースは持ち込まなかったがスーツケースは四つ以上持ち込んだ。
「私がルートマスターの上に乗るから、車を皆で囲んで『ダビデだ!』って口々に叫んでほしい。これは真面目なお願いです」
「すまん私は敖閏より敖紹のが好きやねん。一人でやっとってくれ。……先ず行くんはキングスクロス駅やろ、オクスフォード大のクライストチャーチとボウドリアン図書館はロンドンから一時間やし、できればダラム大聖堂も見たい。あとリバプールに行かせてほしい」
「敖炎は半月さんのすぐ横に同じ声がいますけどね。私はギムナジウム巡って制服男子を見れればもうわが生涯に一片の悔いなし。私いつ死んでも良いわ」
「ゴウエン……? とりあえず私は大英博物館に籠ってても良いですよね?」
駄目だこいつら。それぞれ行きたい場所やしたいことを考えてくるようにと伝えておいたはずなんだが、一人はロケ地巡りを推していて一人は欲望剥き出し、最後の一人は団体行動をするつもりすらない。私を含む四人のうち二人が下戸で残る二人は呑める方だが呑むスピードを抑えており、一人も酔っぱらってもいないのにこの惨状。
ちなみに私は終の真似がしたいからルートマスターを半日貸し切りにする予定だ。
バスの上に立ってダビデコールをされるためなら、金なんていくらでも積む。天使のなっちゃんがいないのは諦めるとして、せめて「オーッ! デイヴィッド!」と呼ばれたい。
――人目をはばかる様にして夜の十一時に関空を飛び立ってから九時間が過ぎ、今のところ空の旅は平和で何の問題もなく過ぎている。イギリスまでは十三時間ほどの航路だと言うからあと四時間くらいだ。
昨晩、私はCAさんが出してくれたフランスワインやらスコッチウィスキーやらを水で割ったりウィル○ンソンのジンジャーエール(原材料に生姜は入っていない)で割ったりしながらナッツをポリポリしたが、辛口の酒が苦手な椎野と呑めない二人はラズベリーモヒートの着色料で盛り上がったりジュースを飲んだりチョコレートを摘まんだりしていた。ちなみにあの鮮やかなピンク色はやはり着色料らしい。
そんな風に夜遅く(日本時間)までウェーイしていたせいで朝八時(日本時間)を回った今もまだ眠い。朝食も有名店の監修したお弁当のはずなんだが、睡眠不足で何もかもが喉に引っかかる。旅行先に着く前から既にしんどい。
「半月さん元気ないですねぇ」
「タダやからって呑み過ぎたんやろ。すみませんスッチーさんウコン系ドリンクありませんか」
「先生大丈夫ですか?」
三人とも口では心配そうなことを言っているが、声が笑っているせいで心配されている気がしない。CAさんがくれたウ○ンのチカラを飲んでまたソファー席に沈んだ。
「元気が出ない。もうこれはルートマスターの上でダビデコールしてもらえないと元気が出ない。顔が濡れて力が出ない」
「餓鬼か」
「友達が二人だけって寂しい人ですね」
――だが、こんなにも終ごっこを楽しみにしていた私に、空港で迎えてくれた大使館の職員は冷たかった。
「狙撃されたいんですか?」
「いえ……されたくないです……」
国家機密レベルで私の訪英は秘密にされているが、どこに他国や狂信的な宗教家の皆様の耳や目があるか分からない。馬鹿なことを言うなと怒られ、一般的な観光旅行の範囲を逸脱しないツアーで満足しろと言い含められた。夢破れた悲しみのあまり「そうなるだろうと思ってた」などと抜かしたマーブリックの連中の身柄をイギリスに売り払ってやったが、私は全く後悔していない。
なに、旅行期間は十日あるのだ。今回の金を出してくれたのはイギリスだし、そのうち二日くらいイギリス人にあちこち引きずり回されたくらいで文句をいうな。――そのあいだ私は諸伏くんと二人で良い感じのカフェとかレストランとかも巡るつもりだ。邪魔がなくて良いや。
結果、椎野ちゃんはライブハウスに、玉城ちゃんはイギリスの放送局に、何故か秋山ちゃんだけ本人の要望通り大英博物館に連れ去られていった。玉城ちゃんが「こっちへ来るな! 私は行かんぞ! 俺のそばに近寄るなぁぁ!」とか叫んでいたが、ネタに走れるくらいだから大丈夫だろう。
後から聞いた話によると椎野ちゃんはライブハウスで通夜の歌とマリアを称える歌で盛り上がり、秋山ちゃんはイギリス紹介番組やらバラエティ番組やらにゲストとして引きずり出され、秋山ちゃんは宗教的制約のため表に出せない芸術品を見せて貰ったらしい。私はその間に日英の大使館へ呼ばれたり、国の偉い人と旅行会社の偉い人たちから日英の国際便の本数を増やすから水○敬ランドもとい一日全裸遊園地企画実施日を月に三日くらい入れてほしいと言われたり、諸伏くんと案外美味しかったキュウリのサンドイッチを共有したり、なんか思っていたより柔らかくてレバーっぽかったブラックプディングに首を傾げたり、ネタで注文したスターゲイジーパイをもそもそ食べたりして過ごした。
三人と合流してから観光に行くのだ。ロンドン市内から出なかった私は三人から礼を言われこそすれ、怒られるなど心外である。
「で、我々を売った言い訳は?」
「ムシャムシャしてやった。今は反芻している」
「この牛野郎!」
「ンモっ!」
二日目の晩に帰って来た三人に囲まれ怒られたが、チョップ一発で許された。
終ごっこができないのは残念だが、イギリスの魅力はルートマスターだけではない。ルートマスターは惜しいが、蝋人形館とかホームズ博物館とかといった屋内で完結する名所もある。玉城ちゃんがやりたがっている制服男子観光もそうそう危険ではないだろう。
観光地を巡り、椎野ちゃんの希望で最後に向かったリヴァプール。そこの酒場の舞台に立っていたのは前世で見た覚えがある顔ぶれ――グループ名は『ロング・ジョン&シルヴァー』。なんだその名前。ビートルズじゃないのか。
「なんで名前がそれのままで燻ってんねん……アッ、宗教的制約……! って分かるかそんなもん」
頭を抱えた椎野ちゃんの腕を掴み、さあ
ちなみに通夜の曲はFinnegans Wake、マリアを称える歌はHail Holy Queen。
リヴァプール出身のロックグループやミュージシャンは何人もいるんだぜ。