ど健全なる世界   作:充椎十四

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一部
俺が不健全にしてやるぜ


 初めに違和感を覚えたのはいくつの時だったか……確かまだ一桁の年齢の時だったと思う。

 地元の小さい本屋には成人向けの本が一冊もなく、テレビで報道される様々な事件に性犯罪はない。年齢を重ねるとともに増えたコンビニの本棚は性的に健全な雑誌ばかりだし、保健体育の教科書はまるで生物学的で犬猫の交尾の記述に似ている。中学に入って知った英語の「セックス」は「メイクベビー」であって「メイクラブ」じゃないらしい。なんとも微妙な違いだ。

 

 私の今いる世界が何なのかは、高校受験を視野に入れ、進学塾の行う全国統一模擬テストを受けるようになった中学二年の夏に明らかになった。模試の結果と共に送られてきた上位五百名の氏名と点数、二度目の人生だというのにその一覧に載れなかった私はふてくされながら同世代の天才君たちの名前を流し見て、目を剥いた。全国三位、降谷零。

 目を細めてみた。三位に降谷零。見間違いかと思って目を閉じて揉んでからもう一度。上から三行目に降谷零。これを同姓同名の偶然だろうと笑い飛ばせない理由、証拠は実は他にもいくつかあるのだ。日本の首都の呼び方が東京ではなく東都、ナイトバロンとかいうミステリー小説が本屋に並んでいる。ちなみに作者の名前は知らない。

 

「まじかぁ」

 

 少年向けマンガの世界だったのなら、この健全具合にも納得がいく。主人公はもちろんとして、度しがたいスケベが一人として存在しない世界なのだ、ここは。だから主要キャラがコンビニに並んでいるアダルト雑誌を見かけて照れることも、主人公たちがうっかりレンタルビデオショップで十八禁コーナーに入ってしまうこともない。そういう性的な情報が未成年の視界に入ることがないよう、路地裏にある薄暗いお店とか寂れたビルの地下にあるネオンが点滅するお店といった「未成年お断り」な場所が別にあるに違いない。

 健全な世界、凄い。住み分けが半端ない。そう思っていた。

 

 

 

 帝丹ではない地元の進学校を卒業して、東都大ではない地元の有名私立大に入り……入ったテニスサークルの先輩たちの健全度合いに首を傾げた。ヤリサーじゃないのは良いことだけど、他称「スケベな先輩」によるセクハラが紳士的すぎる。手を握るだけ、肩に触れるだけ、口説くだけ。確かにセクハラで、人によっては嫌悪感で吐いてしまうこともありうる接触だけど――ぬるい。

 無理やり肩を抱いて頬と頬がくっつく距離まで顔を近付けられるわけでも、腰やお尻に手を回して揉んでくるわけでもない。なのに他の人からの評判がスケコマシでスケベ。

 

 貴様らはもじもじしてる中学生かと思いつつケータイで調べたワードは「春画」、検索結果はまさかのゼロ。ドーナッてるのーこの島はー? 日本から春画とエロなくしたらどうなるのよ、ただ嗜好がちょっとやばげな国民という要素しか残らんではないかどうするつもりだ。島国の誇りはどこに消えた。

 次に検索したワードは「成人向け」。検索の結果出てきたのはグロ画像だけだった。そうだね成人向けだね確かにね。エロは?

 

「嘘だろおい……まじかよ」

 

 続いて検索した「セックス 方法」は、「刺して出して抜いて終わり」としか言いようがない代物だった。エロスが完璧に不足している。おいおいマジかよエロのない人生とか灰色過ぎだわ信じられるかコレ冗談だろ? エロがないなんて逆に不健全だと思わないのか。青春の熱い情動をスポーツだけで発散できる訳がないように、人類の性欲を抑圧してどうするんだ欲だけに。

 

 そして何よりエロが足りない現実に打ちのめされて、私は――この人生はじめての同人誌「エロス―性春―」を二週間で書き上げていた。文章俺、絵俺、印刷俺の全部俺の愛に溢れたエロの本、略してエロ本。コンビニコピー機と人力ホチキス止めの表紙込み八ページで少部数、かつネタがネタなので、性行為(刺した! 出た! 終わった!)ありの少女マンガ描いてるネッ友のスペースに委託させてもらい、私は市場調査という名目の買い物に回った。

 ちなみに私はネッ友の本をうっすらエロい少女マンガだと思っていたが、この世界の常識ではかなり際どい本だったらしい。どうりで絵柄もマンガも上手いのにフォロワー数が少なくて面子が濃いわけだ。

 

 ネッ友による濃い面子への拡散のお陰あってか刷った五十部が全て捌け、るんるんと新幹線で家に帰ってエロさに欠ける戦利品を熟読していた時のことだ。呟きったーの通知が鳴った。なんと珍しい@通知、それもフォロー外の人からだ。

 

「この本の内容は本当ですか? って本当だよ私自身で試したことに誤りはない」

 

 刺して出したら終わりなこの世界にジョークグッズはない。ジョークグッズはないが、電動マッサージ機はある。執筆の二週間で入ってはならないゾーンに突入したまま戻れなくなった感もある。今までの交尾に戻れなくなる覚悟があるなら試して味噌と返信してその晩は寝た。

 

 アラームに起こされた朝、ガラケーの下半分に表示されている呟きったーからの通知を押した。

 

@_seisyun 彼氏と本の内容試してみました!すごかったです!新しい扉開けました!

 

 ほらな! 私の言った通りだろ!

 ――しかしそんな風に鼻を高く伸ばしていられたのは数日だけのことで、続々と増える実体験報告に私は切れた。彼氏いない女によくも惚気られたもんだ、表へ出ろ寝取ってやる。

 幸せカップルが視界に入るだけで腹立たしいので、しばらく呟きったー休みます宣言して通知も切り、彼氏は出来ないのに男友達は増える女子大生生活に頭を捻りながら二ヶ月ほどを過ごしたある日のことだ。男友達の一人・タダシの手に、見覚えのある本があった。

 

「タダシどうしたそれ」

「従兄から送られてきた本。すげーやばいからマジでこれ。試したらマジでやばい。天国見たわ」

「うん、やばいよタダシ、あんたの語彙が特に」

 

 タダシの手にあるのはどこからどう見ても私のコピー本だ。どうなってるんだこれ。急用が出来たと言い訳して代返をタダシに頼み教室を出る。学費が高い私立大らしく綺麗なトイレの個室を一つ占領し、久しぶりに呟きったーを開く。

 通知がカンストしていた。上からざっと流し読みすると「もっと色々知りたい」「知らない世界に来た心地です」「もう以前のセックスには戻れません」「見せてもらっただけなので手元に一冊ほしい」「印刷所で製本してくれ金なら出す」「全国の本屋に置くべき性教育入門の書」「○潮新書です。先生の書かれたご本についてお話をしたいのですが」云々。DMには複数の出版社からメッセージが来ている。

 

 長い溜め息が漏れた。マジか、まさか私がエポックメイキングしてしまうとは思いもしなかった。いいぞもっとやれ。エロよ増えろ。きっと私は後世に渡って「エロの先駆者」とか呼ばれるんだろう……あれれソレどんな羞恥プレイ? まだエロスの伝導者と呼ばれる方がマシな気がするから先にエロスの伝導者を自称しておこう。

 プロフィールを編集して名前を「カラメル半月★エロスの伝導者」に変更する。鎌倉○月は美味しい。キャラメル○ンデーのドゥーブルキャラ○ルムーンも美味しい。名前の由来なんてそんなもんである。

 そして一番上に「復帰しました」と呟きを固定し、続けて「コピー本に続けて第二段の構想があるから、前の分とまとめて本にする。原稿はこれから書くから待ってちょ」「まさかここまで広まるとは予想外でした。商業で出すかについてはまだ考えたいので時間をください」と呟いた。はやく制限文字数百四十字に変わらないだろうか、七十字はきつい。

 

 サークル参加申込可能かつ日帰り可能な場所で開催される直近のイベントにサクサク申し込んでデビットカードで支払いを終え、申し込みましたと呟いてトイレを出た。

 

 ――私はただ、不健全に餓えているだけなのだ。尻が踊り脚が舞い汗と汁が飛び散るエロい本を読みたいだけなのだ。ベビーをメイクするためだけの行為ではなくラブをメイクする行為の方が魅力的だと思っているだけなのだ。男同士や女同士も素晴らしいむしろもっとやれ。

 だがこの世界に不健全な本はなく、ド健全な本が溢れている。愛の確認作業たるセックスはなく、交尾にしか見えないセックスがこの世に溢れている。BL? 今まで本屋で見かけたことがありませんね。GL? 存在しないジャンルですよ。ああ、なんて健全すぎて逆に不健全で不健康な世界!

 

 私は他人が描いたエロ本を読みたい。他人が書いた濡れ場を読みたい。肉体関係から始まる恋物語、なんて粗筋を聞いただけで涎が溢れる。

 体はエロを求めている。エロほしい……エロほしい……! エロゲが元になった名作なんて数多あるし、エロゲ音楽には神曲が多い。エロがない世界なのに日本でWind○wsが普及した理由がよく分からない。なんでだろう。

 

 閑話休題。読者からの熱いエールにやる気スイッチがオンした私は、イベントに悠々間に合う日数で第二段を書き上げた。第三段も出せるのではないかと一瞬思ったけどすぐにその思い込みは捨てる。こういう時はだいたい脱稿できないものだ、次のイベントで出そう。

 そして参加したイベントは、サークル主参加は初なのに壁に配置されて困惑。一般参加者入場時間前に出来た長蛇の列を見ながら、誰にも売り子を頼まなかったことを嘆いた。あと、叶うなら前世で壁サーになりたかった。そして今生は石油王になりたかった。

 

 それから私はサークル参加を五回ほど繰り返し、商業に移動した。この不健全・エロス推進同人誌が新○新書になったことでバラエティ番組に取り上げられ、顔にモザイクかけて声にボイスチェンジャーかけたカップルが「新しい世界開けましたー!」とか「これは革命ですよ」とか話す様子が放映された。ちなみに私は聖飢魔○な化粧をしてインタビューを受けたはずがモザイクにされていた。

 ――その年の本屋大賞やベストセラーに自分の本が輝くのを印税ワイン(白)を傾けながら見て、次のイベント日程を確認する。俺、次のイベントではエロ本を探して歩くんだ……。

 

「なんでだよぉ!」

 

 エロい本がない。オリジナルから二次創作まで、広い会場を一つ一つ見て回ったのにエロい本がない。ネッ友の薄い性描写あり少女マンガ以上のエロを描いた本がない。なんでだよ、エロに目覚めたんじゃないのかよ。BLくれよ……って、待てよもしかして男色すら存在しなかったとかそんなことないよね。

 男色の検索結果、ゼロ。ここは性行為が交尾でしかない世界なんだぞ、男同士のオセッセが生まれると思っていた私がバカだったのだ。馬鹿者が、大間抜けめ!

 

 唇を噛み締めながら家に帰り、呟きったーを開く。「成人指定のエロスの本描くわ。次のイベントでは年齢が確認できるもの持ってきてください」と書き込んで返信を見ず画面を閉じた。

 

 それからエロ本作家の先駆者として、自らもエロ本を描きつつ、保健体育の教科書のコラムに寄稿したりAV制作のオブザーバーしたりジョークグッズ会社の役員になったり変態性欲と題した寄稿同人誌の編集したりしていたら、マネジメントを外注している会社経由で連絡が来た。貴方にしか頼めないことなのです、警察庁でお会いしたい、交通費なら出す云々。

 私は、変態的なことをしている以外は全うに生きているつもりだ。親に顔向けはできないしテレビで顔出ししちゃったから帰省もできないけど犯罪には関わってないし。すまんな孫の顔は弟に頼んでね。何ら後ろ暗いことはないぜ、と警察庁に行った私を待っていたのはなんと、「表舞台に立てない警察官」のためのハニトラ教育担当官をしないかという話だった。臨時勤務扱いだが三年契約だから公務員共済にも入れるよ、年金も増えるよ、と言われてホイホイ判子を押した。大学に通ってることを考慮して東都通いを週一に抑えてくれたあたり、流石公務員。

 

 一年目はハニトラ教官になる警官を相手に、あーんなことやこーんなことや男同士でも気持ちよくなれるんだぜ前立腺って言ってだなグフフ……先ず洗浄からな、を教えた。女同士でもこういうU字状のを使えばゲヘヘ、とかも教えた。会社で絶賛開発中なので発売したらよろしく。

 二年目は、大学を卒業して東都に拠点を移したことで授業頻度が週二に増えた。教官見習いたちと一緒に潜入捜査官向けエロス講座をねっちょりやって過ごした。

 三年目、生徒の中に私が一方的に知ってる顔があった。降谷零と諸伏景光の二人だ。流石主要キャラ顔がいい。存在が既に星のように光り輝いている。

 

「本物の半月先生……! サインください!」

「うおっ、まじだ! サインください!」

 

 ちょっと何が起きているのか訳が分からないです。


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