週に二回更新することもあれば、一か月音沙汰無いこともあるかもしれません。
書くのが嫌になったら他の小説に逃げます。モチベーションが回復次第戻ってきます。
そんな感じでよろしくお願いします。
町に近づくにつれて人の気配が色濃くなってきた。
段々と道は広くなり、代わりに自然は姿を消していく。踏み固められた土は人の往来を示していた。
未だ町は遠いというのに、この場からでも一目瞭然の建造物が目に映る。
それはどことなく見覚えがあったが、記憶を漁ってもすんなりとは出てこない。目を凝らし観察して、ようやく思い出した。たぶん、あれは物見やぐらだ。
やぐらだと分かれば全体像も把握しやすい。
よくよく見てみると、急造りと分かる歪な形をしている。少し斜めになっていた。
生まれて初めて目にした町の建築物にしてはあまりにお粗末だ。もう少し豪華なものを望んでいた。
若干複雑な気持ちを抱きつつも馬は歩みを止めることなく、いよいよ町は目前に迫る。
ようやくやぐら以外の建物の形状がはっきりしてきた。
まず瓦が見える。暗色系の瓦屋根だ。見える範囲、ほとんどの建物は瓦屋根のようだ。
建物自体は木造建築。町全体を見回しても、あまり背の高い建物はなかった。
そうやって町の作りを観察していると、否応なく既視感を覚える。懐かしい感じがした。心の奥底にしまいこんでいた感情が刺激される。
刀がある時点で多少予想はしていたが、ここまで前世の記憶と酷似していると、もしかしたらと思ってしまう。
つまり、この町はひょっとして京都ではないだろうかと。
京都じゃないにしても、鎌倉とか江戸とか日本に属する町ではなかろうかと、そんなことを考えてしまい、一抹の希望で胸が膨らむのを抑えられない。
とっくの昔に否定したはずの希望だった。
見慣れない土地に聞き覚えの無い国名、見知らぬ動植物。ひいてはまるで異なる歴史と来たら、そんなことはありえないと猿でも分かる。
それなのに、突然現れた微かな希望に縋ってしまった。
目の前の町に日本の風景を重ねてしまう。一歩近づくたびに胸の鼓動は大きくなる。理性が崩れていく音を聞いた。
「おぉっ!」
そんな俺の視線を塞ぐようにして、アキが馬の上に立ち上がる。感嘆の声を上げ、噛り付くようにして町の様子を眺め始めた。
肩に手を置かれ圧し掛かられてすらいるのに、母上は何も言わずされるがまま。
いつもだったら「危ないから座れ」ぐらいは言っただろうに、今だけは黙認している。
二人の様子を見ていると、期待と希望で早鐘を打っていた鼓動が落ち着いて行く。
浮ついていた気持ちも治まった。一度冷静になってしまえば、ここが日本ではないことを思い出す。
何してるんだろうと自嘲した。
蘇りかけていた記憶を引き出しの奥にしまい直す。
決して戻ることのできない過去よりも、今目の前にある物に目を向けるべきだ。
何度か浅い呼吸を繰り返し、町に視線を戻したところ、先ほどまで空だったはずのやぐらに人がいることに気が付いた。
いつの間にか三人ほどがやぐらに上がり、周囲を観察しているようだ。
キョロキョロとしきりに頭を動かして注意深く辺りを見ている。何か探し物だろうか。
やがて、その内の一人が俺たちの方向を見る。――――目が合った。
遠すぎて確信には至らないものの、視線が交わった感覚がする。
その人はじっと俺たちを凝視していた。
それに釣られてか、残りの二人もこちらを見た。やはり微動だにせず俺たちを見つめる。
一番最初の人が何か指示を出したようで、他の二人がやぐらの上から消える。
残った一人はそのやぐらに留まって俺たちを見続けた。
……なんだあいつ。手でも振ってやろうか。
そんなことを考えてみるも、本気でやろうとまでは思わない。
どう見ても危ない雰囲気だ。ああ言うのとは出来ることなら関わらずに済ませたい。こちらからアクションを起こせば、面倒事を含めたその他諸々まで大挙して押し寄せかねない。
君子危うきに近寄らず。だからと言って、絶対あっちから近寄ってくるのは火を見るより明らかで、あまり意味もなさそうだが。
「着いたぞ」
その一言でやぐらに捕らわれていた意識が目の前に舞い戻る。
急に視界が開けたような気がした。実際にはずっと開けていて、全然目の前を見ていなかっただけだ。
土を踏み固めただけの幅広な道路は人が行き交い賑やかだった。
立ち並ぶ家々は瓦屋根と木材で出来た平屋ばかり。たまに思い出したように赤いレンガの建物がある。それが景色に馴染まず異様に浮いていた。
軒先には適度な距離を置いて屋台が連なり、行列が出来ているものもある。
たまにある灯ろうは看板代わりに置いてあるらしく、文字が書かれていた。
「馬を降りろ。ここからは引いて行く」
「……ここまで来ておいてなんですが、この町で何をすればよいのですか?」
「見て回る。目の肥やしにでもしろ」
「はあ……」
前世を知っていると、この世界に生まれたときから肥えていることになるのだろうか。
少なくともこの町を見て既視感こそ覚えども、心動かされることはない。別の意味で動揺はしたが。
こうして眺めてみても、興味の湧く物は何もない。京都や映画村に来たような気分だった。何も目新しいものはない。
「アキは何か見たいものあるか?」
「見たいもの……」
母上に馬から降ろされながら妹に訊ねてみると、妹は歩いている人を見つめる。
視線は手に持っている棒に注がれていた。
「あれか」
母上がその視線の先にある物を捉える。
それを持っている人は総じて口に含んでいるから、食べ物なんだろう。
食欲旺盛な妹は花よりも団子なお年頃らしい。一生こうではないと信じたい。
「あれは水飴だ。食べるか?」
「はい」
元気のいい返答。
観光に来て特に見る物もなく食い気に走るのは、例え世界が違っても変わらないらしい。
水飴を売っていたのは行列の出来ていた屋台だった。
子供から大人まで結構な人数が並んでいて、多少待ったが三人分買うことが出来た。
受け取った棒には琥珀色の液体がこびりついている。
粘性が強く、思いっきり振り回さない限りは垂れることはなさそうだ。
まじまじ見つめて匂いを嗅ぎ、試しに一口食べてみる。
「あま……」
甘かった。味は薄味。と言うかほとんどしない。
食べた瞬間ガツンと甘さが襲ってくる砂糖ドバドバな前世の飴とは違い、沁みわたるような優しい甘さだ。長く食べるならこっちの方がいいかもしれない。
「美味いか?」
「ん、ん」
コクコクと棒を舐めながら猛烈に頷く妹。
少しも経たずに完食した。未練がましく棒を睨んでいたので、食べかけの棒を渡してみる。
申し訳なさそうにしながら目は輝いている。こんな顔をされたらいくらでも貢いでしまいそうだ。しかし幸か不幸か、財布を握っているのは俺ではない。
「母上。あちらの屋台はなんでしょう?」
「あれは……椿餅らしいな」
「ではその隣は?」
「団子と書いてある」
「こちらは」
「
俺が指さす屋台全てに簡潔に答えてくれた。
他にも煎餅らしきものを扱っている店もある。
「なるほど」などと言いながらチラリとアキを窺ってみた。
その瞳は今まで見たことがないほど光り輝いていた。
「懐はどれほど温かいですか?」
「安心しろ。こうなることが予見できないほど耄碌してはいない」
食い道楽に走ることは分かり切っていたらしい。
良かったなと気持ちを込めてアキの頭を撫でる。
顔を上げた妹は、満面の笑みを浮かべていた。
「……げぷっ」
馬を引く母上に数歩遅れて、腹をパンパンに膨らませたアキの手を引く。
足元が覚束なくなるほど食べたのは、いささか以上に食べ過ぎている。
全店網羅する勢いで屋台を巡った結果である。とんでもない食欲だった。
「気分は?」
「……悪いです」
「食べ過ぎ」
「面目次第も……」
「気持ちはわかるけど、少しは抑えるように。腹八分ぐらいが健康にいいらしい」
「覚えておきます」
本当に覚えておくだけで終わりそうだ。
返事だけは殊更良くて、それ以外は死ぬほど聞き分けが悪いから。
「吐き気はあるか?」
「……ありません」
「正直に」
「あります」
吐かれたら屋台に費やした金が全て無駄になる。
出来れば安静にさせてやりたいが、ここは道のど真ん中だ。ろくに休ませられない。
「じゃあ仕方ない。おぶってやろう」
「兄上……良いのですか?」
「いいよ」
恥ずかしそうはにかまれた。とても可愛い。
食い過ぎて吐き気に襲われてる事実がなければ思いっきり抱きしめていた。
表面上は遠慮気味なくせに、おぶっておぶってと背中にくっついてきた妹を背負う。
腹が膨れているせいか心なしいつもより重い気がした。背負ってるだけで結構つらい。
これから更なる成長期がやってくることを考えると、いずれ背負うことすら出来なくなる。兄としてはそんな未来は想像したくもないが、致し方ない運命なのかもしれない。
「……兄上」
「なんだ?」
「獣くさいです」
「文句があるなら下りろ」
「文句ではありません。ただ、これ脱いでください」
「着てなきゃいけないんだよ」
「せめて頭だけでも」
「それが一番大切なんだ」
無理矢理フードを脱がそうとしてきたので抵抗した。
折角背負ってやったのに思っていたより元気そうだ。
これだけ元気なら吐く心配もないだろう。このまま地面に落としてやろうか。
「母上。アキは必要以上に元気です」
「何よりだ。……あれは饅頭か。食べるか?」
「誰が食べるんですか」
「甘いものばかりでは食べた気がせんのだ」
「お好きにどうぞ」
「では買ってくる。ここにいろ。手綱はアキが持っていろ」
「母上、私の分も」
「わかった」
「アキの分はいりませんよ」
世迷言を真に受けているようだったので念を押しておく。
アキには明瞭に返答した癖に、俺には返事もくれずに行ってしまった。
「まだ食べる気か?」
「いいえ。兄上がお腹空いているのではないかと思いまして」
「私の分もって言ったじゃないか」
「言葉の綾です」
調子よく嘯きやがるので、ゆさゆさ揺らしてお仕置きした。
「あー」と悲鳴を上げていたかと思うと「気持ち悪いです」と訴えてきたのでやめた。
体調不良を都合のいい言い訳に使われている気もしたが、この体勢で吐かれたら困るのは俺だ。
「今日は昼飯いらないだろ?」
「夕飯は必要です」
「父上に感謝してお腹一杯食べると良い」
そう言えば、父上にお土産を買わないといけない。
だが食べ物を持って帰るのは不安だ。何か他に丁度いいものはないだろうか。
「……兄上」
立ち並ぶ屋台を眺め土産物を検討していると、なぜかアキが声を潜めて俺を呼ぶ。
耳元に口を寄せてくるので内緒話のようだ。
何事かと身構えたが、大したことではなかった。
「見られています」
「気にせずに堂々としていなさい」
「……はい」
とても今更なことではあるのだが、この町に来てからずっと俺たちは見られている。
もうはっきりと監視と言っていいか。たぶんやぐらに居た輩どもの仲間だ。
そもそも母上と妹はかなり目立つし、顔を隠している上に刀を佩びている俺も負けず劣らず目立つ。
見られる理由はそれだけあって、視線の大半が面白半分で好奇心に満ちている理由でもある。
問題なのは、アキが言っているのはその面白半分な視線のことではなく、たまに混じる悪意に満ちた視線のことだということ。
それがあまりに露骨なので、ついにはアキにまで気取られてしまっている。
出所は道の隅で3人集まってこっちを見ている目つきの悪い連中だ。
そいつらは同じデザインの袢纏を着込んでいるので、仲間であることに間違いはない。
背中に花紋があしらわれたデザインは中々良い趣味している。
趣味が良いというだけで何気に好印象だったりするのだが、そもそも大人の女性三人がひたすら睨み続けて来るだけなのでそれほど害がない。精々たむろする不良が通行人を睨んでいるぐらいの危険度だ。
母上が離れて接触して来るかと思ったが、近づいてくる素振りはなかった。俺が持っている刀が怖いのかもしれない。
付かず離れず見られ続けるのは気持ち悪いが、ノーリアクションなので対処しようがない。藪をつついて蛇を出したくもないので、今は無視するのが一番良い。
そうこうする内に、母上がまんじゅう片手に戻ってきた。
「何かあったか」
「何事もなく無事ですが、特に何も言わず囮にするのはおやめください」
「まさか気づいていなかったのか?」
「たった今アキも気づきました。隠す気があるのか謎ですね」
「初めから露骨ではあったがな。あちらから来る気がないのなら放っておけ」
横目に花紋の連中を見た後、二つに割ったまんじゅうの片割れを妹に差し出した。
妹はそれを普通に受け取って、代わりに手綱を返しながら尋ねる。
「……母上はいつから気づいていたのですか?」
「やぐらの上から見られている時から気づいていた」
「やぐら……? ……さすがです」
それしか言いようもあるまい。
背中でむしゃりと咀嚼する音がする。
「美味いか?」
「美味しいです。兄上もどうぞ」
口元に差し出されたので頬張ってみる。
まんじゅうと言いつつ、中身は塩気のある肉だった。肉まんに近い。
「母上。父上にお土産を買いたいのですが」
「む。そうか。そうだな。何が良い?」
「食べ物は途中で冷えるでしょう。ならそれ以外が良いと思うのですが詳しくないので、何か知恵をお借りできればと」
「そうだな……」
母上は屋台を飛び越え軒を連ねる店を見る。
「西の食べ物を出す店があると聞いたのだが……見当たらないな」
「何という食べ物ですか?」
「確か、タルトと言ったか」
聞き覚えがあるし、何なら見覚えだってある。
思い出すのは、前世のケーキ屋で売っていた生クリームと果物がたっぷり乗ったフルーツタルト。
この世界のタルトがそれほど贅沢を極めているとは思わないが、そもそも冷えて美味いかどうかが分からない。それ冷えても美味いの?って問いたい。
「ん……。ここにはないようなので別の物を」
「別か。……ならばあれにするか」
「あれとは?」
「金平糖だ」
俺の知っている金平糖ならば、冷えた所で味に影響はなさそうだ。
土産物としては、まあありか。
「ではそれにしましょうか」
「ああ」
店を探してしばらく町を歩いた。
メインストリートと思しき大きな道を一本逸れて、ようやく見つけたのは屋台などとは比べようもなく立派な建物だった。
軒先には人が座れるスペースが設けられており、外でも食事が楽しめるようになっている。
「ここはなんの店ですか」
「菓子を扱っている店のようだ」
灯ろうには菓子と書かれている。
菓子を扱っている店は屋台を初め他にもあるが、ここは何が違うのだろう。
「ここに金平糖があるんですか?」
「ここ以外にそれらしき店がない。恐らくここだろう」
「屋台には売っていないのですか?」
「やたらと高い。屋台では扱えんはずだ」
金平糖の原材料は確か砂糖だ。
今の時代だとかなり貴重らしい。
馬を店の脇に止め手綱を結び付けている間、母上とアキが話をした。
「母上。その金平糖とやらは美味しいのですか」
「以前食べたことがあるが、甘かった」
「水飴よりも?」
「ああ」
「それは良いことです」
食べ物のこととなれば妹は黙らない。
こうしている間も俺に背負われているくせに。
暖簾をくぐり店に入ると、店主と思しき男性が椅子に座って俺たちを出迎えた。
その人は見るからに幸薄そうで儚げな気配を漂わせている。顔色は良いから病弱と言うわけではなさそうだが、目を離した隙に消えてしまいそうな気がした。
「いらっしゃい」
見た目を裏切らず消え入りそうな声音。
細目を僅かに開いて母上を見、次いで俺と妹を見る。それから一瞬刀に目を向けた。
「何をお求めですか」
「金平糖はあるか」
「ございます」
「小瓶一つ分もらいたい」
「小瓶一杯となりますとかなりお高くなりますが」
店主の懸念に対し、母上は懐から小袋を取り出し店主に押し付けた。
「それで足りるか?」
「十分です。すぐご用意します。少々お待ちください」
店主は奥に声をかけ、やってきた若い女性に金平糖を持ってくるように告げた。
それから「良ければそちらでお待ちください」と、店内の半分以上を占めている飲食スペースを指差す。
畳が敷かれていて、長机と座布団がいくつも置かれていた。
丁度いいからそこに妹を落した。「へぶっ!?」と悲鳴が上がる。
その横に腰を下ろし、店の中を観察して暇をつぶした。
店主のいるカウンターには何故か天秤が置いてあった。
色はくすんだ金色で、茶色ばかりの内装にはあまり似つかわしくない。商売道具だろうか。
壁にはいくつか風景画が飾ってある。森や川や町並みなどが描かれていて、その内の一つに興味が惹かれた。
その画は中心に大きな木が描かれていて、ピンク色の花びらが全体を舞い、それを見上げる女性が一人。
ひょっとして桜の絵だろうか。しかし俺はこの世界で桜を見たことがない。
袖を掴んで抗議していた妹に「見覚えはあるか」と訊ねてみたが、頬を膨らませながら首を横に振った。
母上にも同じことを問うてみる。
「母上はあの画に描かれている木が何の木かお分かりになりますか?」
「どの画だ」
「その木の画です」
壁にかかっている画をじっと見つめ、顎を撫でた。
「桃色の花が咲く木か……」
「お分かりですか?」
「いいや。このような木に見覚えはない」
母上ですら知らないようだ。
どうやら、この世界では桜は一般的ではないらしい。
「その画がどうかしたのですか?」と訊ねる妹におざなりに返事をし、じっと画を見つめる。
心の中で郷愁が鎌首をもたげ、束の間過去のを偲んだ。隣で母上が店主に尋ねる。
「店主。あれは何の画だ?」
「え? ああ……。あれは海の向こうで描かれた画だそうで。詳細はよく分からんのです」
「東国でか」
「最近はそう呼ぶそうですね」
丁度その時、先ほどの女性店員が戻ってきて、小瓶一杯に詰まった金平糖を店主に渡した。
「こちら金平糖です」
「いくらだ?」
言い値を払った結果、母上の財布が一気に軽くなった。
目玉が飛び出るほど高かった。これを土産にして良かったのかと聞きたくなるぐらい。
お金を数え終わり、「ありがとうございました」とホクホク顔で頭を下げる店主。
間違いなく、母上は今日一番の上客だろう。一度に払った額なら年一かもしれない。
「……よかったのですか?」
「なにがだ」
本気で何も感じていないご様子。金銭感覚どうなってるんだろう。
金平糖と小袋を懐にしまい「行くぞ」と声をかけられた瞬間、暖簾の向こうにたくさんの気配を感じる。
「なんか一杯いますね」
「そうだな」
そのやりとりで遅ればせながら妹も気づき、慌てた様子で立ち上がる。あからさまな臨戦態勢になった。
その姿は勇ましくて頼りがいがあるが、木刀を持っていないから戦力外だ。飛び出さないように首根っこを掴んでおく。
一応、お客の可能性を考えて店主に尋ねた。
「店の前に集まっている人たちに心当たりはありますか?」
「店の前?」
訳が分からないという顔で出入り口を見る。
人のざわめきが聞こえ、静かにするよう指示を出す声がした。
何故か知らないが、店に入ることもせず大勢の人間がたむろしているようだった。営業妨害甚だしい。
気配を探ってみると、集まっている人間の中に今日一日俺たちを監視していた例の三人組を捉えた。
「母上。集まっているのは目つきの悪い連中です」
「わかっている。袢纏を着ていた奴らだろう」
その会話に店主が反応した。
「袢纏と言うと、背中に藤の紋が描かれている方々ですか?」
「藤かどうかは知らんが、変な紋様は入っていたな」
「ははぁ……」
母上を見て、アキを見て、最後に俺をじっと見つめる。
フードで隠した顔を覗こうとちょっと身を屈めてすらいた。
「あの、店を壊すようなことはちょっと……」
「わかっている。出来る限り避ける」
「出来る限りでは困ります」
「血で汚れるぐらいは目を瞑れ」
「余計困ります」
冷や汗を流す店主さんが不憫になる。
血で汚れる可能性が結構高いことを考えると余計にそう思う。
「レン。アキを守れ」
「はい」
「アキはレンから離れるな」
「はいっ」
アキが右腕にしがみついてきた。
そっちは利き腕だから逆にしてほしい。刀抜けない。
「では、行くか」
「なんか面倒ですね」
「言うな。私とてそう思っている」
ため息を吐いて店の外に向かう母上。俺とアキもその後に続く。
そう言えば、外に繋いでいた馬たちは無事だろうか。
もしほんの僅かでも傷をつけていたなら、確実に血の雨が降ることになるだろう。
短慮軽率を慎むことこそが、この世界で長生きする何よりの秘訣だと思うが、果たして外の奴らは慎んでくれただろうか。