女が強い世界で剣聖の息子   作:紺南

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久しぶりの一人称




第23話

目に焼き付いて離れない光景がある。

 

それを目にしてから、前の人生で10年。一度死んで生き返ってから更に10年。合わせて20年以上経った今でも、瞼の裏に残ったまま消えてくれない。

 

ふとした瞬間に思い出し、そして悲しくなる。幻覚のように突然現れるものだから、ひょっとしたらトラウマになってるのかもしれないが、病院にかかったことはない。

甘んじて受け入れた。それは罪悪感からか。あるいは後悔か。

どちらでもいい。もし整理できるならとっくにしている。それが出来ないのが俺と言う人間なのだろう。

一生縛られて生きていくことを選んだ。不満があるとするなら、終わりを迎えたはずの人生に続きがあって、今もなお瞼の裏に強くこびりついていることぐらいだ。

 

 

 

 

 

 

――――故郷は海の近くの港町だった。

 

夏になれば太陽が燦燦と輝き、眩く輝く海と白く熱した砂浜は人でごった返す。

その騒々しさは大層な物だった。海風に乗って、家まで届くこともあった。

波の音に至っては、常日ごろ聞き慣れすぎて意識しないと聞こえているか分からないほどだ。

 

そんな町に生まれた人間にとって、海と言うものは体の一部みたいなものである。

海に生かされていることを考えれば、親とも言えるかもしれない。

もたらされるのは恩恵ばかりではなく、何十年に一度の津波とか、もしくは毎年のようにある人死だとか。

海水浴場が身近にあると意外とあるものだ。人が死ぬと言うことが。

 

町には毎年色々な人が来る。そして決まって海に行く。

浜辺で砂の城を作る親子。浅瀬で追いかけっこをする男女。

浮き輪を浮かべ、ビーチボールを投げ合い、サーフボードを担いで、夏の一時を目いっぱい楽しみに来る。

性別は違えど、人は違えど、目的は皆一緒だ。

 

一度に多くの人間が集まれば事故は起きやすい。

準備運動を怠って足がつったとか。目を離した隙に子供が流されたとか。

毎年毎年、聞くのは同じ内容ばかり。顔ぶれは毎年違うと言うのに。

 

人は油断している生き物だ。

身近に死を感じなければ生物としての本能は呼び起こされない。

海の危険性を真に理解している人間など、ほとんどいない。

知識はある。でも経験はない。それは理解しているとは言えない。ただ知っているだけだ。

 

母さんは理解している人だった。

この町に生まれて、この町で育った。

海は私の庭と豪語していて、監視員の仕事をしたこともあるらしい。

それなのに、最期は海で死んだ。

 

俺が見ている先で、流された子供を助けに行ってそのまま死んだ。

理解していても結局は死ぬのだ。なら、どうやったら生き残れたのだろう。

結局のところ運でしかないのか。たかだか運で、母さんは死んだのか。

 

俺が子供でなければ、もっと大きければ、母さんは死なずに済んだのではないだろうか。

ふとした瞬間に考える。考えるばかりで答えは出ない。仮定の話に答えなど出るはずはなかった。

忘れてしまえれば楽なのに、忘れることが出来ない。ずっと覚えている。

 

目に焼き付いて忘れられない記憶。

それは、白く輝く砂浜と抜けるような青空が目につく、夏の日のことだった。

 

 

 

 

 

 

唐突にスイッチが入れられた。そんな感じで、なんの予兆もなく、突然目を覚ました。

とりあえず目を開けたはいいが、身体は重くて頭には靄がかかっている。何が何だかよく分からない。

 

てっきり、天井には丸い蛍光灯があると思ったのにそんなものはなく、暗闇の中でうっすら木目が見えた。

ぼうっとそれを見ていると様々なことが思い出される。前世の記憶と今世の記憶。二つがごちゃ混ぜになってこんがらがる。

あれ?と一瞬思う。

答えを求めて周囲に目を配る僅かな間に、混濁した記憶は元に戻り、自分が誰なのか思い出す。前世の名前はすでに過去のもの。今はレンだった。

 

それを思い出せば記憶の整理は簡単に付いた。

古いものは古いところに。新しいものは新しいところに。区別をつけて整理する。

 

そうすると、わざわざ目で人を探す必要もない。気配を探ってみるとすぐ近くに母上がいる。そっちに目を向ける。

 

「……」

 

「……」

 

暗闇の中で爛々と輝く瞳と目が合う。馬鹿でかい猫かと思ったが違った。

刀と片膝を抱えて座る母上は、ぴくりとも動かないままじっと俺を射竦めていた。

 

「ぉ……」

 

とりあえず「おはようございます」と言おうとして、うまく言葉が出なかった。

掠れた声は長いこと声を出していなかったように思える。喉は乾き切っていた。

どれほど眠っていたのか分からない。直前の記憶を思い出せば、そもそも生きているのが不思議だった。仇は討ったが、代わりに死ぬものと思っていたのに。

 

「……おはよう……ございます……」

 

「……」

 

声が喉の奥に引っかかり、身体には小さな痛みが走る。どうにも真面に言葉を発することもままならなかったが、それでもなお無理矢理言ってみた。

 

たったこれだけのことでも結構頑張ったと言うのに、母上は何の反応も示さない。

返事はおろかあまりに動かないものだから、もしかしたらこれは人形かもしれないと思った。よくできた偽物。暗闇なら一見して気づかないぐらいの。

 

気配のことを考えなければその可能性もあった。でも気配があるから本人に間違いはない。それなのに全くと言っていいほど反応がないと、かえって不穏な気配を感じる。

 

どれほど待ったところで何も言わないから埒が明かない。

とりあえず体を起こそうと力を込めた瞬間、全身に激痛が走る。

 

「っ!!?」

 

内側から引き裂かれるような痛みだった。

 

条件反射で腕を動かそうとして、また同じ目に遭う。

今の俺は何をしても激痛に苛まれるらしい。あまりの痛みに目に涙が浮かぶ。

 

「動くな」

 

静かな声が静謐な空間に響く。

それは母上の声だった。やっと反応を見せた。どうやら本物らしい。

 

「……おはよう、ございます」

 

「ああ……」

 

唾を飲み込みながら苦労して挨拶する。

母上の返答はいつも通りだったがどこかぎこちない。いつもおかしな母上が輪をかけておかしくなっている。なにかあったらしい。

こっちも色々あったんだよと話したいことが次々浮かんだ。だが、それよりもまず聞かねばならないことがある。

 

「アキは……?」

 

「――――無事だ」

 

ほっと胸を撫で下ろし、激痛に顔を顰める。

胸の怪我だけが原因というわけではないようだ。全身あちこち痛んでいる。

 

原因不明の激痛に困惑する俺の横で、母上の纏っていた空気が和らいでいた。

なんでか知らないが、警戒心と緊張感の入り混じった険のある雰囲気を纏っていた。

どうしてそんな空気を醸していたのか聞きたくて仕方がなかったが、この体調ではうまく聞ける気がしない。それでも、やるだけやってみることにした。

 

「なにか……」

 

「なんだ」

 

「あった……です……か……」

 

「……声を出すのも辛いのか」

 

「……」

 

返答の代わりに聞き返された。返事をするのも辛かった。頷くだけでも辛くなる。

少し動くだけで、身体中に痛みが走る。どうしてこんなことになっているのか。

疑念の答えはいくつか浮かぶ。一番可能性が高いのはあの技だろう。

 

「……ろく……」

 

「――――六の太刀を使ったのか」

 

いつになく理解が早くて助かる。

返事の代わりに頷いてみたが、それは注視していなければ気づかないぐらいの小さな動きでしかない。

身体を動かせないことがこんなに辛いとは思わなかった。この先どうなるのか、以前聞いた母上の言葉と合わせて一抹の不安が浮かんだが、今は顔を背けておく。

 

「そうか」

 

その一言の後は沈黙だ。

雰囲気から責められている感じはしなかったが、自然と言い訳がしたくなる。

仕方がなかったのだ。突然現れた老婆にアキが斬られて、俺も冷静ではいられなかった。冷静でさえいられたら、もっと善戦出来たかもしれない。

 

そんなことを言おうと口を開き空気を吸い込む。肺が膨れてどこそこの筋肉が動く。それだけのことが痛かった。

 

「ぁ……て、き……」

 

「……」

 

「けん……せい」

 

「……」

 

痛みを無視して言葉を絞り出す。

絞り出すごとに痛みは強くなっている。そのせいで、どうしてもうまく言葉を出せない。

死に物狂いで戦った結果がこれかと悲観に暮れる。

 

「無理をするな」と母上に止められて口を閉ざす。神妙な顔で告げてきた。

 

「お前には言わねばならないことが山ほどある」

 

「……」

 

「だが今は言わん。身体を治すことに集中しろ」

 

そうしろと言ってくれるならそうしたい。

どの道話そうにも話せない。寝れば少しは良くなるかもしれない。

淡い期待で胸が膨らむ。

 

「――――まさかと思うが」

 

布団を直してくれた母上が、今度はどこか不安そうな調子を覗かせて尋ねてくる。

 

「眠ったらそれが最後などとは言わないだろうな」

 

「……は……?」

 

目だけで母上を見る。

その顔は至って本気だった。

俺のことを心配して出た言葉だろうが、今言われると真剣に考えてしまう。ちょっと縁起が悪い。

身体のことを考えれば、眠ったままぽっくりと言う結末も、正直否定できない。

 

「……」

 

「……」

 

何とも言えずに沈黙する。そうすると変な空気が漂い始めた。

話すのも辛いって言ってるのに……。

 

「……また、後で……」

 

気合を入れて声を出す。

頑張れば案外話せるかもしれない。でも長くは続きそうにない。やっぱり休んだ方が良い。

 

「ちゃんと起きますので」

 

「わかった」

 

たったこれだけのことが一仕事だ。

ほんのり安心した感じの母上を見れば、やるだけの甲斐はあったと思えはするけれど。

 

仕事を終えたなら一先ず寝よう。

起きるも死ぬもそれからだ。

これで死ぬのならそれが運命だったと諦める他ないだろう。

自分の生死をコントロールできるのなら、そもそも俺はこの世界に生まれてなどいないだろうし。

 

 

 

 

 

 

びっくりするぐらいあっさり眠りにつき、そして幸いなことに目は覚めた。

ぽっくりそのままあの世とは行かなかった。

先ほど起きた時とは違って木目がはっきり見える。まだ少し薄暗いが、眠っている間に朝が来たようだ。

 

起きてすぐは気怠くて動く気にならない。その場でじっとしていると、すぅすぅと穏やかな寝息がすぐ隣から聞こえた。

目だけでそちらを見ると、布団から半分身体をはみ出させて、少し寒そうに眠っている妹がいた。

 

「アキ?」

 

「……う……ん……」

 

思わず呼びかけた声に反応があった。珍しい。一度寝たら滅多なことでは起きないのに。それだけ寝づらかったのかもしれないが。

 

寒さに凍えて猫のように体を丸める姿が愛らしかった。うっかりぷりてぃとか言いそうになる。

見ているだけで辛抱堪らない。これを愛でるのは兄としての使命の気がした。使命を果たすため腕を動かす。

 

「いっ……」

 

身体の不調のことはすっかり忘れていた。痛みに襲われて思い出したが、眠る前に比べて多少治まっている。

 

愛おしさの前には多少の痛みも何のその。

一時は助けられなかった負い目で絶望に暮れていた。やけっぱちになった結果があの戦いだ。

 

生きてくれていて本当によかった。

猫かわいがりしたくて仕方がない。生きていることを確かめたい。力の限り抱きしめたい。

 

浮ついた気持ちに導かれるまま腕を動かし、布団がめくれてアキの身体が目に映る。

包帯が巻かれた上半身が見えて、冷や水を浴びせられたように熱が冷め、動きが止まった。

 

「…………あにうえ……?」

 

何も出来ないでいる内にアキが目を覚ます。

寝ぼけ眼で俺を見ている。

徐々に焦点のあっていく瞳を間近に捉えて、俺は何も言えなかった。

 

「あにうえ」

 

「……」

 

呂律の回り切っていない呼びかけには応じられない。

アキは未だ半分夢見心地だった。夢か現実か今一つ確信を持てていない顔だ。

俺が起きていることを確かめようとしたのか、おずおずと頬に触れてくる。

ぺたぺたと両掌で存在を確かめるように入念に。その遠慮のない手つきに顔を顰める。

 

「あ……」

 

「……」

 

おっかなびっくりとアキの顔が近づいてきて、ただでさえ近かった距離が更に縮んでいく。

これほど近くにいると表情の変遷が手に取るようにわかる。

じわりと涙が浮かび、頬は紅潮した。最初はどことなくふわふわした雰囲気だったのに、段々と感情が浮かび上がっていく。

 

あ、泣く……と察した瞬間、叫び声が上がる。

 

「兄上ぇっ!」

 

「むぐっ……」

 

溢れかけていた水がついに溢れた。その勢いを表すように、頭を抱えるようにして、力の限り抱きしめられる。

俺がやろうとしていたことをそのままやられてしまった。妹にこれをされると立場がない。

妹の胸に顔を埋める兄と言うとんでもない絵面だ。逆ならまだしも、こんなの微妙な気持ちにならない方がおかしい。

 

「よがっだぁ~!!」

 

頭上から、喜びの混ざった泣き声がほとばしっている。

それを聞くと否応なしに罪悪感が湧く。心配かけてごめんと言いたい。けど、俺も少し泣きたかった。

 

多少治まったとは言え、力いっぱい抱きしめられると激痛が走る。あまりの痛みに身体が硬直する。抵抗などろくに出来ない。息苦しい。

 

「ちょっと、離れて……」

 

「いやぁ!!」

 

いやじゃない。

本当なら気の済むまでさせてやりたいが、身体の痛みがそれを許さない。ちょっと尋常じゃなくなってきた。

 

なけなしの力で押し返そうとすると、さらなる力で頭を抱き寄せられる。加えて腹のあたりを脚で挟まれた。

これは絶対に逃がさないと言う意思表示以外の何物でもない。

 

「いたい……」

 

「あにうえーっ!!」

 

「いたいんだけど……」

 

「うぅっ!!!」

 

少しは人の話聞けよ。

心の中で思っても仕方がないことではあるのだが、くぐもった声ではアキには届かない。アキの声が大きすぎる。こうなってしまったらもうどうしようもない。泣き止むのを待つしかない。

いつ泣き止むとも分からないが、それしか方法が思いつかない。

 

「……」

 

「あにうえぇ!」

 

「……」

 

「あにうえぇ……」

 

少し経ったら勢いは治まったが未だに抱きしめられている。

頭を抱えられるのは諦めるから、せめて脚で挟むのだけはやめてくれないか。かなり力が籠ってて痛いから。

 

変な汗かいてきた。このままだと気絶してしまうかもしれない。

もはや声を発する気力もなかった。早く離してくれと内心叫びながら身体から力を抜く。こうなっては運命に身を委ねる他ない。……だれか来てくれないかな。

 

隣の部屋に居るらしい父上に心の中で念じてみて、けれどやっぱりその念は届かずに、ただただ時が過ぎるのを待つ他なかった。




当初、レン君の前世をヒロインとの出会いから別れまできっちり書こうとしていたのですが、冷静に文字数を考えるととんでもないことになりそうだったので、肝心なところだけ抜き出して書くことにしました

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