女が強い世界で剣聖の息子   作:紺南

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第28話

目が覚めた、と思った。私は一体何をしていた、とほんの一瞬考えた。

考えを巡らせる暇もなく、強烈な飢餓感と喉の渇きに襲われて、何を顧みることなく走った。

 

本能の赴くまま母屋へ至り、汲んであった水を飲み干し、手近な物を口に放り込む。

手あたり次第、手の届く物すべて。

腐っているとか生だとか、そもそも食べ物ではないとか、気にする余裕はなかった。

何度も何度も咀嚼し、何度も何度も飲み込んで、ようやく落ち着いた。

 

口の周りが粘ついて不愉快だ。飲み零した水を衣服にひっかけている。

最悪の気分だった。夢から覚めた直後、粗相を見つけたような気分だ。

 

土間に座り込んで、一体何がどうしてこうなったのか考える。

直前までの記憶がない。襲い来るのは倦怠感と疲労感。頭には靄がかかっている。混乱の極みだ。

腹が減っている理由も喉が渇いている理由も、何も思い出せない。

 

私は暗闇の中にいた。日は完全に沈んでいた。

まだ昼前だったはずだ。いつの間に暗くなったのか。そもそも今の時間は?

そんなことも分からない。時間の感覚が失われている。どこか壊れてしまったのかもしれない。

 

指先一つ動かすのも億劫だったが、心を奮い立たせて立ち上がる。

母屋に人の気配はなかった。師や姉弟子たちの姿がどこにもない。

 

ひょっとして、と思い道場に引き返す。

来る途中、通ったはずの道は暗闇に包まれている。明かり一つない中を記憶を頼りに手探りで進む。

 

道場の戸は開けっ放しだった。

明かりは点いてなかったが、暗闇の中に複数の人影があった。

それが姉弟子たちなのは直感で分かった。

 

何をしているのか、とその場で問いかけたが誰も答えない。

何度か呼んだが一切返事がなかった。

 

そこにいるのは間違いない。応えられない理由があるのか。

確かめるために中に入る必要があったが躊躇した。なぜだかとても恐ろしかった。入ったら最後、恐ろしいものに出会ってしまう気がしてならなかった。怪物の巣を目の前にしたような気持ちだ。

 

しかし入らないわけにもいかない。そこに答えがあるのは分かり切っている。剣聖の弟子ともあろう者が、たかだか暗闇に臆するなど外聞が悪いことこの上ない。

 

慎重に進んだ。足音を立てない様に、一歩一歩確実に。

 

暗闇の中、顔が見えるところまで近づいた。

姉弟子たちが輪を組んで座っていた。輪の中には師と仙も居た。皆中央を見て座っている。

中央には刀があった。藤色の刀が暗闇の中でもくっきり見える。

 

それを見た瞬間、記憶が蘇った。

刀を持ってきた仙。それを抜いた師。

皆でそれを見ていた。目が離せなくなって、何も考えられなくなり、意識が遠のいた。

 

最後の記憶はそれだけだ。

それを思い出したところで、その状況を説明しきれない。

当時は何が起きているのか分からなかった。混乱の治まらぬ内に行動に移してしまった。愚かなことだ。考えることを放棄したのだ。もっと冷静になりさえすれば、他の手段を思いつけただろうに。

 

今でもよく夢に見る。皆の痩せこけた顔と微睡んでいるような瞳。

後になって、私は一つの推論を立てた。憶測と言っていい。

 

恐らく、私たちは何日もそうしていたのではないだろうか。

何日間も、飲まず食わずで、言葉を発さず、微動だにせず。ずっと、刀を見続けていた。

そう考えれば異常な飢餓感にも説明が付く。確証などない。だがそれ以外に考えつかない。

 

正気に返るまで、私もその輪の一員だったのだろう。

なぜか私だけ抜け出せた。意識を取り戻すことができた。

幸運だった。とにかく、他の者たちの目を覚まさせなければいけない。そう思った。

 

姉弟子の一人に声をかけ肩を揺する。

反応はない。強く揺さぶって、頬を叩いてもみたが同じことだった。

 

どうにか出来ないかと考えて、視界を塞いでみることにした。

片腕で目を塞いで、もう片方の腕で羽交い絞めにする。そのまま刀から遠ざければ何とかなると思った。

 

やってみたら、今度はすぐ反応があった。暴れ出した。人間とは思えない力で。

振りほどかれ、自前の刀を抜かれた。私は逃げ出した。

 

道場を飛び出し、しばらく走って後ろを振り向く。

追って来ていなかった。恐る恐る戻って中を覗くと、その姉弟子は輪の中に戻っていた。何事もなかったように。

 

他の手段を探した。時間がないことは分かっていた。とにかく何とかしなければいけなかった。

あれやこれやと試しては刀を抜かれ、一つ潰える。

ない頭を振り絞り、穏便なやり方を試し続けた。全て失敗し、ついに夜が明け始める。日の出とともに一人倒れた。

慌てて駆け寄ると息をしていなかった。死んでいた。

 

もはやなりふり構っていられなくなった。

穏便などと言っている内に人が死ぬ。手段は問わない。何としてでも正気に返ってもらわなければ。

 

暴れて刀を抜くと言うのなら、こちらも刀が必要だ。

獣のように暴れるだけなら、私ごときでも取り押さえられるかもしれない。

藁に縋る思いで刀を手に取り、一人ずつ試していった。

 

結果は無残だった。

正気を失っていても強い者は強い。自分の身を守るので手一杯だった。目を覚まさせると言う目的は吹っ飛んでしまった。

ふとした拍子に一人斬り殺してしまった。その時、私の中で何かが音を立てて壊れた気がした。

 

二人目を斬り殺し、三人、四人と殺していき、我に返った時には全員殺していた。

姉弟子たちの死体が足元に転がり、その中には仙もいた。仙は刀を抜いていなかった。

 

最後に師だけが残った。

私は全身血塗れで、切っ先から血を滴らせながら師に声をかけた。肩を揺さぶって、懇願した。

どうか、正気に戻ってくださいと。

 

師は答えなかった。藤色の刀を手に取って立ち上がった。

切っ先を向けられ、殺気を浴びて、覚悟した。私はここで死ぬのだと。

 

そこから、また記憶が曖昧になる。

無我夢中で戦った。死は覚悟したつもりだったが死にたくなかった。

 

いずれ死ぬのは分かっていた。剣士なのだから、人より早く死ぬだろう。

いつ死んでも良いように、腹はくくったつもりだった。

 

だが、死に直面して分かった。

覚悟なんて言葉にすれば簡単だが、実際は生半可なことではない。

腹をくくったつもりでくくれていなかった。私はみっともなく取り乱し生に縋りついた。生きたかった。何が何でも。

 

取り乱して、必死になって、無様に刀を振ったのだろう。もしかしたら、泣き喚いたかもしれない。

そんな状況で、何がどうなってそうなったのか分からないが、気が付いた時には師は倒れていた。腕が斬り落とされ、苦痛に悶えていた。

 

正気を失っていたとしても、全力には程遠かったとしても、私は勝った。勝ってしまった。あの、剣聖に。

 

『ナギ……今からあんたが剣聖だ』

 

正気に戻った師が私に告げた。

その日から、私は剣聖になった。

 

 

 

 

 

 

「それで、その後はどうしたんですか」

 

母上の語った過去は理解を超えていた。妖刀なんて代物、本来なら一笑に付したいところだが、こんな話を真顔で語られては信じないわけにもいかない。

その手で仲間を殺した母上の気持ちを慮るに、言葉をかけるのも躊躇われる。

だがそれと同じだけ確認しなければいけないことが多い。心を鬼にして、すぐさま口を挟んだ。

 

「一刻も早く刀をどうにかする必要があった。またいつ正気を失わないとも限らない。紐でがんじがらめにし、重しを付けて海に捨てた」

 

「……そうですか」

 

母上の腰にある刀に視線を移す。

赤い刀。色つきの刀。……妖刀。

 

「私が海に出ている間に、姉弟子たちの死体は師がなんとかしたようだ。近隣の手を借りて墓地に埋めていた」

 

「よく手を借りられましたね。触るのも嫌だったと思いますが」

 

「強い挑戦者にやられたと言ったらしい。実際、剣聖は戦いを挑まれることがよくあった。それは知れ渡っていたから、何の問題もなかっただろう」

 

その際の光景を思い出したのか、母上は深いため息を吐いた。

強い疲労感が滲んでいる。そんな姿を見るのは初めてだ。

 

そんなに辛いのならもういいですよ、と言いかけて無理やり口を閉ざす。

今やめたところで後で聞くことになる。気になることが多すぎる。時間が経てば経つほど痛みは増すだろう。

 

「師と別れた私は武者修行の旅に出た。強くなる必要があった。剣聖を名乗るには弱すぎた。ろくに『太刀』も扱えないのでは話にならない。剣聖の座を簡単に明け渡しては師の顔に泥を塗ってしまう。仙や姉弟子たちも浮かばれない。そう思って、がむしゃらに修行した。勝つためには手段は問わなかった」

 

そこで一旦口をつぐみ、言い辛そうな雰囲気を醸し出す。

チラリと俺の顔を見た。暗い光の宿った瞳には罪悪感と後悔が渦巻いていた。

 

「以前話した通り、剣聖になるには絶対的な強さか国王の認定が必要だ。私に強さはない。そして国王も、私を剣聖とは認めなかった。東の蛮族風情が剣聖を名乗るなど言語道断というわけだ」

 

「なんか実際そう言われたりしたんですか?」

 

「そう言っていた」

 

さらっと言った。

王様と縁があるらしい。剣聖ともなるとそう言う機会があるのかもしれない。名誉勲章でも授与されるのかな。

 

「国王は私を殺そうと躍起になった。腕の立つ者に片っ端から声をかけ、私を殺すよう命じた。私を殺せば剣聖だ。さらに国王から褒美として莫大な金が出る。剣聖の名を引っ提げていようと、噂の一つも聞かない小娘の首一つ取るだけでいい。乗らないわけがない」

 

「でも片っ端から返り討ちだったんでしょう。前に聞きました」

 

「今までの話を聞いて、どのように返り討ちにしたのか疑問には思わないのか。私ごとき、『太刀』すら使えなかった弱者がどのように勝ち続けたのか。運だけではどうしようもないことは分かり切っているだろう」

 

嫌な感じがする。

先ほど気になることを言っていた。母上には決して似つかわしくない単語だった。

 

「手段は問わなかったと言いましたね」

 

「そうだ。手段は問わなかった。私も、奴らも」

 

「……奴ら?」

 

「欲に支配された人間はどのような手も使う。寝込みを襲うのは当たり前だ。巻き込まれる人間にすら気を配らん。極めつけは人質だ」

 

ふっと自虐的に笑う母上は、空元気を振り絞って声の調子を上げた。

そうしないと向き合えないのだろう。自分の過ちに対して。

 

「人質をとった人間が目の前にいる。人質はその場に居合わせただけの赤の他人だ。そいつは私に死ねと言った。お前ならどうする」

 

「三の太刀で腕をぶった切って無力化します」

 

「……お前なら本当にやれそうだ。だが私は三の太刀が使えなかった。足も速くないし助けも借りられない。人質を救う手段がないが、死ぬわけにはいかない。ならばやることは一つだ」

 

想像は付いた。

聞きたくなかったが、ここまで来たなら聞くしかない。教えろと言ったのは俺だ。

目を閉じて母上の声を待つ。暗闇の中、一瞬の時が数分にも数十分にも感じられた。

それも過ぎて見れば錯覚だと分かる。間を開けずに母上は言った。

 

「人質ごと斬った。それしかないと己に言い聞かせながら」

 

知らず、奥歯を噛みしめていた。

予想通りではあったが、実際に聞くと衝撃を受ける。

 

「人質を取る方が悪いでしょう。関係ない人を巻き込んだのはそっちだ」

 

「いや。人質を救うことも出来ない人間が剣聖を名乗るべきではない。悪いのは私だ」

 

母上は俺の言葉を受け入れなかった。

自罰的だ。その考え方でよく今まで生きてこれたなと思うほどに。

 

「巻き込まれる人間を気にする余裕はなかった。襲い掛かって来た一人を殺すために、十人斬ることさえあった。そうして多くの死線を潜り、私は強くなった。『太刀』を使えるようにもなった。お前は以前言ったな。流石ですと。これを聞いてまだ言えるか。その言葉が」

 

「……」

 

言えなかった。言えるはずがない。

俺を見つめる母上の目は震えていた。これまで胸の奥に隠していた感情が溢れ出している。

見た目ほど強くないことは知っていたが、これほど弱い人だとは思わなかった。

 

「――――まだあるぞ。私の過ちは」

 

「何でしょう」

 

「お前たちを身籠ったことだ」

 

俺の訝し気な視線に耐えられなかったのか、母上は片方の掌で自分の顔を覆った。そのまま俯いてしまう。

 

「普通、剣聖は子供を作らない。結婚もしない。師はそうだった。その前の剣聖もそうだったと聞く。その理由は、お前ならわかるだろう」

 

「……守り切れないから」

 

「そうだ。大切な物は真っ先に狙われる。そして、大抵の場合は守れない。剣聖は万能ではない。家族への悪意を察知することはできない。出来るのは斬ることだけだ。守ることではない。だから家庭は持たない。普通はそうだ。普通なら」

 

普通は、と繰り返す母上は言外に自分は普通ではないと言っている。

普通ではないことが間違いだとは言わない。だが間違っていることもある。俺やアキが狙われた以上は間違っていたと言う結論になるのだろうか。

 

「それが分かっていて、母上はどうして結婚したんですか?」

 

「……」

 

「なぜですか?」

 

「……こんなことを言うと、失望されるだろうが」

 

躊躇と後悔の中、絞り出された声は掠れていた。だがはっきりと聞こえた。にも関わらず、聞き間違いかと思った。

 

「――――寂しかったんだ」

 

弱弱しくてか細い、吹けば飛びかねない少女のような声音。

聞き返そうとして、顔を上げた母上と目が合う。

覇気のない無気力な顔と真っ暗な瞳を目にして何も言えなくなる。

 

「祖母は小さいころに死んだ。母は師の元に厄介になってしばらくして死んだ。姉弟子達は私が殺し、唯一生き残った師は行方が知れない。家族も頼れる人もいなくなり、天涯孤独となって、来る日も来る日も命を狙われる。夜はろくに眠れず、人を巻き込みたくなくて出来るだけ一人でいた。剣聖であり続けることに固執し、生き恥を曝して生にしがみつく毎日だった。……ある時、ふと思った。私は何のために生きているのだろうと。そう思ったら、もう駄目だった。疲れてしまった。全てに」

 

我が母親ながら、なんと憐れな人だろうか。

聞いているだけで胸が苦しくなる。ただでさえ全身痛いのに、これ以上増やしてくるのか、この人は。

 

「そうして自棄になった私の前に、イーサンが現れた。あいつの自分の身を顧みない優しさに救われた。全てを知ってなお、受け入れてくれた。あいつのおかげで生きる気になれた。王と話をつけ剣聖として認めさせることが出来たし、故郷に戻ってくる気にもなれた。本当に感謝している」

 

辛い話の最中だったが唐突に惚気られた。途端に居心地が悪くなる。

母上が父上を口説き落としたと言うのもあながち嘘ではないのかもしれない。今は関係ない話だが。

 

「それで?」

 

「子供が欲しいと言ったのは私だ。イーサンは反対した。だが押し切った。私は欲深い女だ。足るを知らん。一度満たされるとそれ以上が欲しくなる。イーサンだけではダメだった。出来るだけ大勢の家族が欲しくなった」

 

「そう言いつつ俺とアキの二人だけですね」

 

「お前が猿に襲われた時に目が覚めたのだ。幸せに漬かって自分を見失っていた。過去の清算など出来ておらず、私自身は根本的に弱いままなのだと、ようやく思い出した」

 

血だらけになった俺はそれだけ衝撃的だったのか。

アキが斬られた時のことを思えば、その気持ちはよく分かる。

 

「私を恨んでいる人間は大勢いるだろう。手段を択ばず殺したいと考える人間もそれだけいるはずだ。なのにお前たちを生んだ。危険にさらすと分かっていながら」

 

最後に、母上はこれまで聞いた中で一番大きなため息を吐く。

 

「お前たちには本当にすまないと思っている。アキの怪我もお前の身体のことも、全て私の責任だ。私の向う見ずな行動が引き起こしたことだ」

 

静寂がやってきた。

話は終わったらしい。沈黙する母上は俺の言葉を待っている。

母上の気持ちは分かった。俺の怪我についてどう考えているのか知った。ついでに過去も聞けた。

なら、俺は俺のすべきことをするとしかない。

 

「よくわかりました。では母上ちょっとこちらに来てください」

 

「……分かった」

 

座ったままズリズリと近寄ってくる母上。

布団のすぐ隣までやって来る。そこでも十分近いが、俺は今満足に動けないのでもう少し近づいてもらいたい。

 

「もっと近く」

 

「……ああ」

 

「もっと」

 

「……」

 

「もっともっと」

 

「……まだ近づくのか?」

 

「枕元まで来て下さい」

 

何をされるのかと戦々恐々としている母上は、三十路のくせに年頃の少女のように見えた。ビクビクとおびえている姿は小動物っぽくてちょっと可愛い。

 

「……ここでいいか」

 

「いいですね。そこなら絶対外さない」

 

「……わかった……好きにしろ」

 

「もちろん好きにします」

 

母上は目を瞑った。

何をされようと覚悟の内らしい。

そんな母上めがけて、俺は飛び込んだ。

 

力を入れるのも身体を動かすのも痛かったが、そんな状態でも何とか縋りつくことが出来た。首からぶら下がっているような状態になる。

ちょっと無理をして母上を抱きしめ、その後頭部を撫でる。こうしてみると母上の身体は思いのほか大きい。俺が小さいだけかもしれないが。

 

「……何の真似だ」

 

「辛いことたくさんあったんですね。慰めてあげますよ」

 

頭を撫でながら耳元に優しい声で語りかける。

密着していると体温を感じる。俺よりも少し高いようだ。筋肉がたくさんあるからか。

今まで冷血漢のようなイメージを持っていたが、そんな物は当てにならないことをたった今思い知らされた。

 

「辛くて苦しくて悲しくて、幸せになりたかったんですよね。よくわかります」

 

「……離せ」

 

「子供だからって遠慮しないで。泣きたいなら泣いてもいいんですよ。おーよしよし」

 

「……」

 

力づくで無理矢理引き離そうとしてきたので、わざと声を上げて痛がってみる。

子煩悩な母上は咄嗟に力を緩め、俺を引き離すことは出来なかった。

 

「迷惑ですか? 嫌だっていうならやめますけど」

 

「……そんなことは」

 

「なら嬉しいですか?」

 

「……」

 

「実は幸せだったりしません?」

 

「……ああ、幸せだ」

 

幸せらしい。子供に抱き着かれるのがそんなに嬉しいのか。

今度から隙を見て引っ付いてやろう。

 

「じゃあ逆に俺は幸せだと思います?」

 

「……」

 

「どう思いますか」

 

「幸せなわけがない」

 

打って変わって、滑らかな口調で断言してきた。

理由を聞くと、理論整然と口を開く。

 

「六の太刀は限界以上の力を引き出す代わりに身体を内側から破壊する。外見は何ともないように見えても、中はズタズタだ。お前は今激痛に苛まれているはずだ」

 

「六の太刀にお詳しいようで」

 

「師の受け売りだ。過去、六の太刀を使った者は痛みに耐えきれずに自ら命を絶った。お前は今同じ痛みを感じている。幸せなはずがない」

 

「まあ、母上がどう思うのも勝手ですが、俺は今幸せです」

 

母上はぎょっとした。「嘘を吐くな」と口調に厳しさが宿る。

「嘘じゃないです」と否定しても、信じる気配はなかった。

 

「さっきの話ですが、母上は俺とアキを生んだことを間違っていたと言うんですか」

 

「お前たちは、生まれたその時から危険に曝されている。いつ何時命を狙われないとも限らない。普通の子供よりずっと可能性は高い。それは虐待と何が違う」

 

「父上はどうなんですか?」

 

「あれは自らの意思で選んだのだ。お前たちとは違う。子は親を選べない」

 

少しドキッとした。

前世で同じ言葉を聞いたことがある。……虐待か。

 

「確かに、母上の行いは他人から見たら間違いかもしれません。でもそれは所詮他人事ですし、好き勝手言えますから」

 

「……何が言いたい?」

 

「間違っているかどうか。決めるのは当事者である俺たちです。他人が間違っていると言うのなら、当事者である俺たちが正解に変えればいい」

 

言っている意味が分からないと、母上は眉をひそめた。

 

「これから先、父上とアキに振りかかる危険は全て俺が払います。それなら誰も文句は言えないはずです」

 

「……不可能だ」

 

「なぜ?」

 

「お前の身体は、治らない。一生そのままだ」

 

「受け売り以外何も知らない人がもう諦めてるんですか」

 

絶望を突き付けられたわけだが、ここまではっきり言われると妙な清々しさがある。

そんでもって、俺は母上のことをあまり信用していない。

 

「七の太刀って知ってますか?」

 

「……知らん。なんだそれは」

 

「母上の師匠が使ってきましたよ。おかげで死にかけた。すぐお返ししたからいいですけど」

 

会話に疲れたので母上の肩に顎を乗せる。

風呂に入ってる時、アキがよくこうしてくる。やってみて分かったがこれは楽だ。なんか落ち着く。

 

「間違ってる間違ってるって。さっきからずっと言ってるけど、それを聞かされてじゃあ俺にどうしろって言うんですか?」

 

「それは……」

 

「お前を生んだのは間違いだったって言われて、何も感じないわけないでしょう。それを聞かせて母上はどうしたかったんです? 楽になりたかった? 慰めてほしかった?」

 

「違う、私は……知るべきことを教えただけだ」

 

「生まなきゃよかったって言うのは必要なことでしたか?」

 

反論は続かない。

母上には未来がない。将来のヴィジョンが色あせている。

過去に縛られ過ぎて、未来を見る力がない。

 

「間違ってるのは分かりました。実際母上は間違った。それは間違いない。じゃあその先は? 間違った上でこの先どうする? 間違った過去を変えることなんて出来ない、この世の誰にも」

 

母上の肩から顎をどけ、面と向かってその言葉を吐いた。

心の奥底に隠していた感情があふれ出していく。

そのせいで、当初考えていた道筋と外れている。前世のことを思い出したおかげで感情的になってしまった。決して戻れない過去に恋々としているのは俺も同じだ。

 

声に勝手に力が入る。そのせいで痛みが増して呼吸が荒くなった。

母上の言った通り、この身体はボロボロだ。そんなことは分かっている。見据えるのはその先だ。

 

「母上はずっと過去を見てる。後ろ髪引かれて前を向いてない。後悔してるのは分かってる。未練があるのも、出来る事ならやり直したいって思う気持ちも、全部わかる! でも前を見ないと誰も報われない。死んだ人のために隣にいる人から目を背けんな! 俺もアキも父上も、まだみんな生きてるのに、間違った間違ったって嘆いてばっかでどうするんだよ! 間違っていようが一回選んだのなら最後まで全うしろよ!」

 

我ながら駄々をこねる子供のようだ。

出来ることなら母上の重荷を代わりに持ってあげたい。少し前の俺なら間違いなくそうしていた。

けれどもう背負えない。自分のことさえ何もできないかもしれない。

今まで折角頑張ったのに、また無力で無能になった。母上の話を聞いてこみ上げた感情や、胸に閉まっていた未練。その他色々な感情がごちゃ混ぜになって押し寄せて来る。もう自分でも止められない。

 

「……わかった。わかったから、泣くな」

 

「は? あれ……?」

 

行き場をなくした感情が、涙となって溢れ出していた。

こんなことで泣いている自分がみっともない。みっともなさすぎて余計泣けてくる。中身まで子供になってどうすると言うのか。

 

「お前の言いたいことは分かった。だが分からない。私は、何をすればいい?」

 

「……それぐらい自分で考えたらどうですか」

 

「わからないんだ。どうしたらいいか。何をするべきなのか。ずっと違う方を見ていたから」

 

「……やることは一つだけですよ。守ってください。アキと父上と、ついでに俺も」

 

「ああ……そうしよう」

 

「幸いにして、俺たちみんな生きてます。まだ間違ってません。間違ったなんて言わせません」

 

「……そうか」

 

「そうです。そのぐらいの意気でよろしくお願いします」

 

鼻をすすって母上を見る。

不本意なことに、母上は優しい顔で俺を見ていた。母親の顔だ。

脳裏に前世の記憶が蘇る。大昔過ぎてよく思い出せないが、母さんもこんな顔をしていた気がする。

どんな世界でも親と言うのは変わらないはずだ。そうであってほしい。

 

「もう一回言いますけど、俺は今幸せです。確かに身体は痛いですけど、我慢できない程じゃない」

 

「我慢、しているのか」

 

「男はいつだってやせ我慢する生き物なんです。背負うものが多いんだから。母上だってそうでしょう?」

 

「お前の価値観はどうなっている」

 

「頑張って適応しようとしてるんです」

 

余計なことを言っている自覚はあった。

これ以上話すのはダメだ。前世なんて単語がポロリと出てきてしまった時には始末に負えなくなる。

 

「……生きるには理由が必要だと思う。俺の信条ですが」

 

「刀を教えろと強請って来た時も同じことを言っていたな。お前はまだ5歳だったが」

 

「年はあまり関係ないでしょう。一貫してるってことですよ。……まあ、こんなことが生きる理由になるかはわかりませんが、一つだけはっきり言っておこうと思います。言えるうちに言っておきたい」

 

「なんだ」

 

「――――愛してる」

 

母上がきょとんとした顔で見つめて来る。

こんな言葉今まで一度だって使ったことはない。前世でも精々好きって言ったぐらいだ。

今更こっぱずかしくなってきた。大好きにしておいた方がよかったか?

 

「……顔が赤くなったな」

 

「うっ……」

 

「……恥ずかしいのか?」

 

「うぅ……」

 

「……可愛い奴だ」

 

「うぐぅっ……!」

 

恥ずかしすぎて死にそうだ。穴を掘って埋まりたいぐらい恥ずかしい。

 

穴の代わりに布団に隠れようとした俺を、今度は母上の方から抱きしめて来た。

それは労わるような力で、出来る限り優しい手つきだった。

 

「ありがとう」

 

耳朶を打つ声は震えている。

伝わる体温がやたらと熱かった。抱いていた恥ずかしさは潮が引くように消えていった。

 

「……母上は間違ったかもしれないけど、俺は本当に幸せなんです。アキも、父上だって幸せだと思います。だから後悔ばっかりしないでください。この気持ちを否定しないでください。悪いことばっかりじゃないんだから、前を向いて歩いてください」

 

「ああ、分かった……約束する。絶対に……」

 

母上は中々離してくれなかった。

どんな顔をしているのか俺からは見えなかったが、もしかしたら泣いていたかもしれない。

 

これで少しは前向きになってくれればと思う。

ちょっと怪我をしたぐらいで気に病まれても、俺の方が困ってしまう。

後遺症とかの問題は後で考えればいい。今はとにかく元気出して欲しい。

心の底からそう思う。




レン君の前世を飛ばしたので、レン君の言動が今一理解できないかもしれません。
後書きや前書きで解説してもいいんですが、とりあえずは解説なしで行きます。


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