女が強い世界で剣聖の息子   作:紺南

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第31話

――――それは、まだ兄妹そろって寝込んでいた時のこと。

 

時の流れる速度と言うのはこんなにも早かっただろうか。

眠るために潜りこんだ布団の中で、することもなく天井を見つめながら、ふとそんなことを思った。

 

遅々として進まぬ時間に辟易としたのはつい数時間前のこと。

その時は疾く過ぎてくれと切に願っていたのに、今や無情に過ぎて行くこの瞬間を名残惜しく感じてなどいる。

 

大切な瞬間ほど足早に過ぎ、退屈な時ほど停滞する。

それがどういうことかと言うと、やはり気持ち次第と言うことなのだろう。

 

時刻は夜。

空から月が見下ろす夜半。

鳥だか獣だか、もしかしたら幽霊かもしれないが、得体の知れない鳴き声がどこからともなく木霊する深夜。

 

そんな時間に、すでに怪我が治りつつある我が妹君は、俺の布団に潜りこんですやすやと穏やかな寝息を立てていた。

その寝息を聞きながら、かく言う俺はと言うと、眠気を妨げる鈍痛に苦しんでいる。

 

「いたい……」

 

そうやって、思わず呟くぐらいには苦しんでいた。

緑色のクソ不味い液体を飲みさえすれば、それだけで解消される安い苦しみではあるのだが、実の所あまり頼りたくなかった。

 

痛み止めとしてならまだしも、睡眠薬さながらの副作用はあまり喜ばしいものではない。

一口飲むだけで数時間は夢の中。夢も見ずに熟睡する。そんな有様では日常生活を送るのは困難だ。

 

贅沢は言わない。痛みに悩まされてもいい。ただ、普通の生活を送りたかった。

果たしてそれが可能かどうか。一先ずは痛みに耐えて眠れるのか。それを試して早数時間。痛みに悩まされたこの数時間は、早く寝ようと焦れば焦るほど刻々と過ぎ去っていった。

 

結論から言ってしまえば、難しいようだ。

ズキズキと身体の奥から絶えず止まない痛みは、それ一つは大したことでもないのだが、日常茶飯事ともなると大した敵になる。眠ろうにも眠れないぐらいには憎々しい敵だった。

 

あと少しで眠れるけど、決して眠れない境目でうつらうつらとし、ひょっとしてこれは拷問ではないかとようやく思い至る。

その頃には月でさえ下り始めていた。魑魅魍魎が宴会を開いて大騒ぎしている時分だ。

 

いい加減薬飲もうかなと大真面目に検討し、でもやっぱりもう少し頑張ろうかと無意味に気張ってみる。

結局眠ることは出来なくて、渋々薬を飲もうと決心したその瞬間。

ふと、意識の端に何かが引っかかって目が冴えた。ぱちりと瞼を開き、周囲に目を向ける。

 

暗闇の中でも間近にある物ならよく見える。隣にある空っぽの布団と、俺の布団に潜りこんでいるアキの顔はよく見えた。その寝顔は安らかで、すぴーと寝息が聞こえてくる。

 

てっきりアキが寝相の悪さにかこつけて何かしたのかと思ったが、違和感の正体はこいつではないようだ。

他の原因を探して周囲を探る。ついでとばかりに気配も探ってみると、いつの間にやら廊下に人の気配がある。それに気づいた瞬間、驚きで心臓が脈打った。

 

咄嗟に部屋の隅に置かれた刀を見る。手の届く距離ではなく、そもそも俺は今満足に戦えない。

とりあえずアキを起こすべきか。でも寝てるのを起こすのは気が引ける。いや、そんなこと言ってる場合じゃない。ていうか、そもそもこいつ起きるのか?

 

堂々巡りの思考を他所に、音もなく戸が開く。僅かに覗く隙間から真黒な人影が見えた。

すわ襲撃者か、はたまた魑魅魍魎かと背筋が冷えた。しかし、落ち着いて探ってみると覚えのある気配だと気づく。その正体が母上だと知って胸をなでおろした。

 

こんな時間に何をしているのか。

驚かされた分、怒りを孕んだ声を出しかけ、眠りこける妹を思い出しすんでのところでやめる。

半開きの戸の向こうに立つ母上は、アキが寝ているのを見、俺が起きているのを確認し、静かに声をかけてきた。

 

「起きていたか」

 

「まあ……」

 

「眠れないのか」

 

その視線が例の薬を探してあちこち行き交っている。

ちゃんと飲んだか確認しようとしていた。生憎と薬はちゃんと飲んでいないし、所在も俺の懐の中だ。いつでも飲めるように隠し持っていたのが功を奏した。我慢比べも限界を超えてはいたので、後でしっかり飲んでおくことにする。

 

「なにか?」

 

「いや……」

 

疑わし気な顔にしれっと尋ねる。

母上は首を横に振り、惑っていた視線はアキの寝顔に止まった。

二つ並んでいる布団の内、なぜか俺の布団に潜りこみ、あまつさえぎゅっと抱きついている我が妹は、俺たちの会話で起きる気配もなく、一定のリズムで呼吸を繰り返している。

 

数瞬、アキの寝顔をじっと見ていた母上は、おもむろに部屋に入ったかと思うと、無造作にアキの襟を掴んで俺から引き離した。

脱力しきった身体がずるりと布団の上を擦れる。

くかーと寝息を立てる妹に、やはり起きる気配はない。

そのまま隣の布団に適当に寝かせ、毛布で全身を覆った母上は、これでよしとばかりに手を叩いて俺に向き直った。

 

少しの間見つめ合う。

やがて目を逸らした母上は、言い辛そうにしながらこんなことを言った。

 

「……少し、出るか」

 

「は?」

 

「外へ行かないか」

 

またぞろ突拍子もないことを言っている。

 

「外ってどこですか?」

 

「どこへなりと、気の向いたところに」

 

ふむと頷きつつ考えてみた。

こんな時間にどこ行くつもりだ、とか。体痛いんだけど、とか。明日じゃダメなの、とか。

そんなことを考えて、しかし途中で考えるのをやめた。俺も久しぶりに外に行きたかった。もう長いこと外出していない。外の空気吸いたい。

 

「じゃあ、運んでもらえます?」

 

「ああ」

 

その答えを聞いた母上の行動は早かった。何の遠慮もなく横抱きに抱え上げられる。

それだけでも結構痛かったし、歩く振動でさえも痛い。痛みで身体は強張り顔は歪んだ。

そんな俺を慮ってか、母上の歩幅が段々と小さくなって振動も減った。

 

玄関へと赴き、土間を踏んで外に出た途端、強風に吹かれて前髪が煽られる。毛先がチクチクと目を刺して鬱陶しい。

ざわりと枝葉が揺れ、狼らしい遠吠えがどこか遠くから聞こえる。

曇天半分、星空半分の夜天は半月が見え隠れして星が瞬いた。

思わず見惚れた。久しぶりの世界だった。

 

いつものように無言で歩く母上に倣い、俺も口を聞かず行く先だけを見ていた。

どこに行くのかは知らないが、目的地に着けばどうせ喋る。そのために連れ出したのだろう。それなら、今はこの世界を堪能したい。

 

折角の外界だ。家に比べてとんでもない解放感を味わっている。家で缶詰になっていたストレスは少なからずあったらしい。

こうしているだけで心が浮つき気分も上向く。やっぱり人間たまには外に出ないとダメだ。

 

「行きたいところはあるか」

 

「お好きなところへどうぞ」

 

家の敷地から出てすぐのところでそう尋ねられた。

けれど行きたいところはなかったから、母上にお任せする。

暫し考えて、村の外に足を向けた母上は、林の先の鍛錬場へと向かっているようだった。

 

木漏れ月に目を瞬かせ、林を越えた向こうには、毎日見ていた景色が広がっている。

だが深夜の景色と言うのは珍しいかもしれない。思い返せば、いつだかアキが無茶をした日まで遡る。

途切れ途切れの月明りや星空。連峰の山頂にかかった雨雲など、普段とは違う見所は大いにある。

 

母上は辺りをきょろきょろと見回して、一本の木の根元に俺を下ろした。

地べたに下ろされたものだから土汚れが気になったが、ここはあえて考えないことにする。多分母上もその辺りのことは何も考えていない。

 

俺を下ろした後、母上は数歩離れて景色を眺めた。

その視線を追うように、俺も山々を見る。弱弱しい月明りと、時たま通過する雲のせいではっきりとは見えなかったが、山頂は白みがかかっている気がした。まだ春だから、山の上の雪は融けていない。

 

会話がないままに時は過ぎていく。

いつの間にか周囲の音も止んでいた。風も鳥も獣も。その他ありとあらゆる生き物の音が聞こえなくなった。

静謐な空間で、俺と母上の二人だけが遠く夜景を眺めている。

 

なんだかロマンチックだ。そんな感想を抱いたが、その気持ちもそう長くは続かなかった。

かなり長い間そうしていた。ロマンが吹き飛ぶぐらい長かった。その間、ただ座っているだけだったから体が冷えた。

吹き付けた風にぶるりと身体を震わせる。それに母上が気づき、振り向いて「寒いか」と尋ねてくる。「寒いです」と率直に答えた。

 

「そうか」と端的に言った母上は、さてどうしたものかと考え込んでしまう。

何か言いたいことがあるらしい。どのように切り出そうか迷っている。

無表情の癖になんてわかりやすい。母上の過去を聞いてから、更に母上のことが分かるようになった。

この調子だと、その内以心伝心でテレパシーまで出来ちゃいそうだ。数年後の自分に期待してみよう。

 

そんなことを考えておいて、ふっと自嘲が浮かぶ。

我ながら可笑しなことを考えた。数年後自分がどうなっているかなんて、俺自身にさえ分からない。期待なんてするもんじゃない。

 

「それで、一体どのようなご用件でしょうか?」

 

思わず浮かんだ自嘲を誤魔化すために口火を切る。寒空の下でこれ以上待ちたくないと言う気持ちも勿論あった。

母上は眉間に皺を刻み込んで、訥々と話し出す。

 

「用件、と言うほどの物ではない。だが、聞いておきたいことがある」

 

「わざわざ外に連れ出すほど大事なことですか?」

 

「家で聞いても良かったが……皆、寝ていただろう?」

 

だろう?と言われても。

そもそも深夜に訊ねて来るな、と言いたいところだ。

ひょっとして、母上って思い付きで行動しているんだろうか。だからこんなよくわからないタイミングでやって来るんだろうか。

……いや、さてはあれだな。眠れなくて悶々と考えていたら、居ても立っても居られなくなったんだろう。それなら理解できないこともない。それ以外の理由なら理解できない。理解する努力が必要だ。

 

「それで、ご用件は?」

 

「結婚するつもりはあるか」

 

突拍子もない言葉には慣れっこだ。いや、本当に。慣れっこだよ。

 

「はあ……? 結婚……」

 

「前々から言ってあっただろう。婿に行けと」

 

「……そう言えば」

 

つい最近もそう言う話をした気がする。色々あってすっかり忘れていた。

俺はまだ11歳だし、あと三~四年は先のことだと思っていたが。

 

「実は先方と話は付いていた」

 

「……あ、そうですか」

 

「だがお前は怪我をした。それも含めて、また話し合わなければならない」

 

色々言いたいことは飲み込んで、ちょっと考える。

 

六の太刀の後遺症は、今のところ治る見込みがない。

かねてから母上が仰っていた通り、二度と刀が振れないぐらいの怪我が残っている。

 

刀を振るどころか立ち歩くことも出来ない。箸を握ることさえ出来ていない。

今まで難なく出来ていたことが何一つ出来ない現状は最悪だ。胸に巣食う不安は日に日に大きくなっている。

 

その不安を押し殺し「お手数おかけします」と他人事のように言った。外面だけでも取り繕わなければ、簡単に押し潰されてしまう気がした。

 

「また一から話は進めるが、その前にお前の意思を確認しておきたい。結婚する気はあるのか?」

 

「確認するの遅くないですか?」

 

母上の言葉通りなら、怪我さえなければ話は勝手に進んでいたわけだ。

前に自由恋愛推奨とか言っていたが、見合い話ってそう簡単に断れるものだろうか。家同士の話なわけだから、難しい気がする。

 

「お前に結婚する気がないと言うなら、この話はここで終わりだ。する気があるなら、また話し合う」

 

「いや、まあ……別にどうだっていいですけど」

 

「なに?」

 

怪訝そうにする母上に、小難しい理屈なんざ捨て置いて、本心を吐露する。

 

「この怪我が治るかも分かりませんし、最悪一生このままの可能性も高いですし。こんな欠陥こしらえた奴、欲しがる物好きはいないでしょう」

 

俺の言いぶりを聞き、母上は無表情でじっと見つめて来る。

その影に隠れている感情を察するに、ちょっと悲しんでいるようだ。子供を守れなかったと言う負い目がそうさせているのだろう。

 

「だから、どっちでもいいですよ。こんなんでも結婚したいっていう人がいるなら、俺も前向きに考えます。十中八九いないでしょうけど」

 

「……そうか」

 

「母上の好きにしてください」

 

話は終わった。たったこれだけのために、そこそこ長い時間をかけてしまった。

ずっと木にもたれかかっていたから、ちょっと背中が痛くなった。だが痛みを和らげるために少し身体を動かすと、それ以上の痛みに襲われる。

 

なんだかなぁ、といささかうんざりしてきた。何をするにしても痛みを伴ってばかりで、いっそ不愉快になってくる。

不愉快は怒りに繋がる。けど、怒れている間はまだいい。その内怒る気力もなくなるだろう。そうなった時には終わりが近い。

 

なんだかなぁ、と口の中で繰り返す。

それは声に出していなかったが、母上は俺のことを心配そうに見ていた。

色々なことを知った後にその表情を見ると、少女然とした雰囲気を感じてしまうのが不思議だった。

俺が今まで抱いていた人物像よりも、素の母上の精神年齢は低そうだからだろうか。

 

この状況でそんなことを考える自分にふっと笑って、折角だからと母上に一つお願いする。

 

「不躾で申し訳ないですけど、ちょっと刀振ってもらえませんか?」

 

「なに?」

 

「母上が刀振ってるところが見たいです」

 

訝し気な母上に再三お願いした。

なぜそんなものが見たいんだと母上は疑問を問い、俺は端的に答える。

 

「ただ、見たいんです」

 

子供の願いに嫌とは言えぬ母上は、溜息を吐いて刀を抜く。

そして振り始めた。上から下に。下から上に。斜めに切って、そして突く。

今まで何度も何度も見た光景は、けれども初めて見た時と同じ気持ちを抱かせる。

 

初めて母上が刀を振る姿を見たのは5歳の時。

猿に襲われ、ズタボロに傷つけられ、朦朧とした意識で見たあの光景。

俺は今、あの時と同じ気持ちを抱いている。やっぱり何年経とうともこの気持ちは変わらないらしい。

その気持ちに名前は付けていない。憧れだろうか。あるいは羨望か。もしくは渇望か。

目の前の光景を見ていると、そんなことはどうでもよくなってくる。

 

頼りない月明りに照らされて、母上は刀を振る。

切っ先が線を描き、瞼の裏に焼き付く。目を閉じれば浮かび上がる赤い軌線。

 

比べれば、俺はまだまだだと思い知らされる。

いつかあれに届く日が来るようにと刀を振り続けていた。

果たして、届く日が来るか否か。一抹の希望と不安をそっと胸にしまい込み、その光景を目に焼き付ける。

ちょっと元気が出た。明日からまた頑張ろうと思うことが出来た。

 

――――そういうことが、春の終わり頃にあった。

 

それからほどなくして、ゲンさんが情報を持ってきた。

いわく、母上が紙を大量に仕入れた。

いわく、農作業の監視に来た役人をとっ捕まえ、手紙を届けさせた。

いわく、上等な馬に乗った騎士みたいな奴が、度々この村に来るようになった。

 

そんな情報。

聞いてもいないのに勝手に伝えて来るゲンさんは、母上が何をしているのか知りたかったらしい。

生憎と俺は何も知らないので答えようがなかった。

何か良からぬことを企んでいるんじゃないかとゲンさんは心配していた。正直俺も若干心配だった。

 

そうは言っても、何となくではあるが、母上は俺の見合いの件で手紙を送っているような気がした。あくせく動いているのだろうと察した。

 

だから手紙の内容にも興味はあったが、詮索はしないことにした。必要なことであれば母上の方から言ってくるだろう。見合いの件をカミングアウトされた時期を思い返せば、やはり若干心配ではあるが、どうせなかったことになる。

この身体が治らない限り、見合い話は流れるに決まっているのだから、聞いたところで意味はない。

 

そう考え、手紙の件は意識の外に追い出していた。結末は一つだけだと思い込んでいたのだ。

もっと気にかけておくべきだった、と後悔することになるとは、この時は夢にも思わなかった。




今更なんですが、読み返したときに気になったところをちょくちょく修正しています。
30話も「読みにくい……」「なんだこれは……」と思った箇所を修正しました。
たぶん31話も後ほど修正すると思います。

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