女が強い世界で剣聖の息子   作:紺南

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久しぶりの三人称でござる


第33話

少女は帰り、レンは眠った。だと言うのにトカゲは依然元気である。

何とかして小屋に戻さなければならない。難しいことは分かる。とても元気だ。押そうが引こうが梃でも動こうとしない。しかし何とかしてやらねばならない。それが自分に与えられた仕事である。

アキは腕をまくって気合を入れた。さあやるぞとトカゲを睨んだ。トカゲは無感情にアキ見つめ返す。シューっと突き出された舌が私を嘲っている気がする。そうアキは思った。

 

――――当然のこと、一仕事終えるまでに紆余曲折あった。

トカゲの住まう小屋は馬小屋の隣にある。そこまで連れて行くだけでも相当の苦労だった。

最終的に力に頼ったアキはトカゲを押し込めた後、力づくで戸を押し閉めた。そうしてようやく平穏が訪れる。乱れた息を整えるため大きく息を吸い込んだ。

 

服が乱れているのはそれだけ大変だったからだ。

襟を咥えられ天高く放り投げられたり、頭から丸飲もうとしたり、隙あらばレンの眠る部屋に突貫しようとしたり。

 

色々あったが、努力叶ってトカゲを小屋に押し込むことが出来た。

はあと息を吐く。もうダメ疲れた。

弱音が零れる。戸にもたれかかってズルズルと脱力する。

気を抜いたその瞬間を見計らったように、ドンっと戸に巨体のぶつかる音がした。

衝撃で跳ね起き、ついに壊す気かクソトカゲ、と戸を押さえつけにかかる。

 

戸の向こうでトカゲが蠢く気配がする。藁の上をカサカサと歩き回る音。シューっと空気の抜ける音。

その音を聞くとアキの背中をぞぞっと怖気が走り、無意識に手は木刀を探ってしまう。

しかし木刀は部屋に置いて来た。兄に殺すなと厳命された以上、間違って殺してしまわないよう配慮した結果である。果たしてそれが間違いだったのか。この状況を鑑みれば間違いだったのだろう。

 

戸が壊されたら今度こそおしまいだ。食べられる。どうしよう……。

悲観するぐらいには、かなりの危機が訪れていた。

 

トカゲの本意がどうだろうと、その巨体で手加減なく接してくるのなら、人の身体など容易く壊れる。

すでにアキは何度か壊れかけた。その経験が警鐘を鳴らす。逃げろ、と。

 

ついに戸から手を離し、少しずつ後ずさったアキは、しかし続く衝撃が来ないことに気づいた。

恐る恐る戸に近づき耳を澄ます。先ほどあれだけ聞こえた音が聞こえない。小屋の中は静かだ。

 

唾を飲み込み、額に掻いた汗を拭う。どっと疲れが押し寄せた。

トカゲと相対する以上、ある程度の疲労は致し方ない物ではあるが、今日のそれはいつもより大きく酷い。

それもこれもあいつのせいだ。全部、あいつのせいだ。

喉元にせり上がった物を噛み殺し、もう一度唾を飲む。

 

胸の奥で渦巻く感情はいったん捨て置き、次のことを考えた。まだやらなければいけないことがある。餌やりが途中だ。

馬に餌をやらなければ。大分遅れてしまった。腹を空かせているだろう。それを済ませれば、一先ず家事手伝いは終わりである。

 

前もって用意してあった飼い葉を腕一杯抱え込む。

量が多くて前が見えない。けれど何となく歩けた。えっちらおっちら馬小屋に向かう。

 

アキの姿を見て捉え、栗毛の馬は尻尾を高速で回し始めた。そのあまりの回しっぷりに、隣にいた黒馬はぎょっと驚いた。尻尾の回転に合わせて黒馬の首も回っている。

 

飼い葉を置きつつ、その光景を見たアキはくすりと微笑んだ。

ささくれだった心が癒えていく。馬と言うのは思いのほか可愛い。感情豊かで人に懐く。表情は分からずとも仕草で考えていることが分かる。母上とは大違い。

 

ああ、可愛い……。

 

最近のアキは可愛いものに目がない。

それはストレスが溜まっているせいもあるし、別の理由もある。

とにかく可愛いものを見るとたまらなくなる。抱きしめて頬ずりしたいぐらいに。

 

疼く身体を抑えじっと馬たちを見ていたアキは、はっと我に返って仕事を思い出す。餌をやりに来たのだ。

 

両方の馬に飼い葉を与える。少量の果物もやった。

勢いよくがっつく栗毛と上品に頬張る黒馬。ペットは飼い主に似ると言う。だとするなら、この違いは育ちの違いだろう。この黒馬の飼い主はよほど高貴な身分に違いない。

レンが思ったのと同じことを、異なる経緯を経てアキも思う。

 

異なる二頭の様子をいつまでも見ていたかったアキだったが、生憎のこと時間は有限である。気を抜くと瞬く間に日が沈む。

最後にそれぞれ一度ずつ撫で、急ぎ家に戻る。木刀を腰に差して臨戦態勢になった。

家事の次は鍛錬と相場が決まっている。兄から受け継がれしルーチンである。

 

さあ、鍛錬だ。鍛錬だ。鍛錬だ。

心の中で三回唱えて気合を入れる。

しかしいつもと違ってしっくりこない。理由は分かっている。あの少女のせいだ。

 

その顔を思い出すとまたムカムカしてきた。

アニマルセラピーは応急処置でしかない。その可愛さのおかげで一時忘れることが出来るが、すぐに思い出す。そうなったら元の木阿弥である。

 

苛立つ心を持て余しながら、アキは気配を忍ばせてそっと母の部屋を覗き込む。そには当然椛がいる。

椛は胡坐を組んで沈思黙考に耽っていた。その足元には手紙があり、何か文字が書かれているが、アキはそれに興味がなかった。

重要なのは母が動こうとしないことである。その理由まではアキのあずかり知るところではない。

 

椛がこうして黙念としているのは、当然手紙の内容が理由であった。先方と交わし合う手紙の量は、今やあちらから届くことの方が多くなっている。

多い時で週に一度、家に遣いがやって来る。返事など待たずに次々送ってくるのだ。

私が送るのを待て、と件の遣いに苦言を呈しても、「いやぁ。なんか面白がってますよ」とけんもほろろであった。

 

提示された条件に悩む椛。その間にも早く早くと催促の手紙が溜まっていく。

急かされている。一刻も早くと言って来ているが、向こうの考えが読めず躊躇した。考えなくてはならない。人の人生を左右する重大な決断だ。考えて考えて、決断しなければならない。

 

そんな母の迷いと悩みなど知ったことではないアキは、動かない母をひとしきり眺めた後、これ幸いとばかり一人で訓練場へと向かった。

 

訓練場にひと気はない。他に誰も居ない空間にただ一人。

思春期を迎えたアキにとって、自分以外の気配がない場所と言うのは心休まる空間だった。

 

父の小言が気に障り、母の物言いたげな視線が煩わしい。

村人たちの兄を心配する言葉などはアキの神経を逆なでた。

 

他人の目のないこの場所では、何をするにしたって自由である。何でもできる。好きなことを。自由に。

 

アキは木刀を握りしめ手頃な木へ近づいていく。

身体から漂う暴力的な気配を行動で表すように、その幹を打ち付けた。

 

重苦しい音が鳴り響いた。

衝撃は枝葉まで伝わり、葉が擦れ合う音と共にヒラリヒラリと落ち葉が舞った。

 

微かに痺れる手を無視してもう一度木を叩く。

身に染みている型はある。しかしそれでも乱雑な所作は隠しきれない。

二度目の打ち付けは手が痺れていた分だけ威力が落ちた。音も軽くなっている。それに構うことなく木刀を振り上げ、何度も何度も木を打ち続ける。

 

やがて手の感覚がなくなった頃、アキは木刀を取り落とし、ようやく木を打つのをやめた。

ぽたぽたと汗が地面に染みていく。肩で息をしながら瞑目する。

感覚のない腕にあるのは痺れのみ。脳髄に突き刺さるような痺れが、アキの頭を明瞭にしていた。

 

自分のことを考える。近頃怒りっぽくなった。色々なことが癪に障る。些細なことから大きなことまで。感情に振り回されている自覚はあったが、だからと言ってどうすることも出来ない。

胸の内に渦巻いていた感情も、今ので発散し切れたわけではない。未だ燻っているものがある。

 

無性に身体を動かしたい。何かに当たり散らしたい。暴れて暴れて暴れまわりたい。

手は動かず木刀は握れない。すでに喉元までこみ上げている感情を御することは出来ず、アキは大口を開け力一杯叫んだ。

 

「ああぁっ――――!!」

 

なぜこんなに苛立つのか。

原因は明快だ。あの少女。(えんじゅ)と言う名の子供。あれが非常に腹立たしい。

 

アキは言ったのだ。もう来るなと。次来たら殴るとも言った。

なのに性懲りもなくまた来た。それもアキの面前で。嘲笑うように。

思い通りにならないことがアキにとっては不愉快だった。傲慢とも言える考えだが、事実それで気を損ねている。

 

どこに手抜かりがあったのか。もっと激しく言えばよかったのか。暴力に訴え、罵詈雑言の限りを尽くせばあいつはここに来なかったのか。

アキは考える。思い出すのは数日前。洗濯物を干していた時のことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日は久しぶりによく晴れた。

晴れたからには洗濯が捗る。アキは自分の寝間着や下着を手で洗い、洗い終わったものを物干し竿にかけていた。

 

竹で出来た竿は衣服がかけられると重みに耐えかね湾曲する。ぐにゃりと曲がった竿は見るからに頼りない。折れてしまいそうな気もする。けれど見た目ほど脆くない。経験でそれを知っているアキは乱雑に干していく。

 

自分の着るものだから、適当に扱ってもいいと思っていた。これが他人の衣服なら丁寧に扱うのだが、所詮は自分の物である。最悪半渇きで、変な臭いがしていようとどうでもよかった。

 

適当に干された衣服たちは、適当に干されたなりの格好で日に照らされている。

アキはそれらを眺め、まあこんなものだろうと踵を返す。さあ、桶を戻して鍛錬だ。

 

一仕事終えた直後、達成感から意気揚々と歩を進めるアキだったが、歩いている最中ふと視線を感じて立ち止まる。

誰かに見られていると言う感覚が確かにあった。つい数か月前までは分からなかっただろう人の気配や視線でも、今なら薄々察知できるようになっていた。

 

頭を回して周囲を見回す。それらしき人影はない。

気のせいかと踵を返す。しかし首筋にチリチリとした感触が付いて回り、やっぱり誰かいると再び周囲を探った。

 

一度見回した時には分からなかったが、二度三度と視線を巡らしてようやく分かった。やけに小さいのが物陰に隠れてアキを盗み見ている。

それを見つけた瞬間、アキの身体に威圧感が纏う。手は木刀にかけられ、いつでも抜けるよう油断なく構えた。

 

「誰だ」

 

鋭く言い放つ声には警戒心が滲んでいた。

これら過剰ともいえるほどの態度の理由は、先代の剣聖に斬られたことに起因する。油断したところを背中から斬られた。辛うじて命は救ったが、だからこそ他人への当たりは一層強くなった。

特に見ず知らずの人間への警戒心は、もはや敵愾心と言って良いほど膨れ上がっている。さらに今回は盗み見られてもいる。アキは短慮で直情的な気質そのまま、殺すことすら視野に入れた。例えそれが自分より小さな子供であったとしても。

 

「出てこい」

 

「……」

 

少女が姿を現した。

見るからに子供である。年のころは7~8歳と言ったところか。

黒いおかっぱ頭の少女は、アキの威圧感に当てられて酷く怯えていた。

 

アキは少女の怯えた様子など気にも留めず、冷静に観察する。

武器の類は持っていないように見えた。しかし懐に隠しているかもしれないから油断はできない。

両手で握りしめている花は、レンの枕元に置いてある花と一緒だ。

 

アキは眉をひそめる。それを見た少女は殊更に縮こまった。

 

「何の用?」

 

「……」

 

アキの言葉には先ほどまでの敵愾心は消えている。しかしそれでもなお警戒心は滲んでいた。ぶっきらぼうな物言いは、アキ本来の口調であった。

 

少女はアキの問いかけに対し沈黙し、手の中の花とアキの顔を交互に見た。言いたいことはあるようだが、その口は呼吸を繰り返すだけで言葉が紡がれることはない。

 

少女の煮え切らない態度にアキは苛立つ。聞くべきことを聞いているのだから、少女は当然答えるべきである。盗み見ている理由とここに来た用件。その二つを答えるだけでいい。簡単なことだ。だと言うのに何を悠長にしているのか。

 

「……」

 

「……」

 

沈黙が場を支配する。

アキの苛立ちは怒気となって少女に伝わった。

身の危険を感じ始めた少女は何か言わなければと焦る。しかし頭は真っ白になって言うべき言葉が出て来ない。

 

「ぁの……ぉ……」

 

「は?」

 

「ひぅ!?」

 

あまりにか細く要領を得ない言葉に、アキはそのように聞き返す。

当然のことそこに労わりや優しさなどない。それが余計に少女を委縮させる。

 

「ぉ、ぉ……」

 

「お? なに?」

 

「ぉに……おにい……」

 

「おにい?」

 

ノロノロと喋る少女にアキは我慢の限界を迎えそうだった。

もう放って帰ろうか。そう思ったとき、聞き捨てならない言葉が少女の口から飛び出した。

 

「おにいさんに、謝りたくて……」

 

「は?」

 

何を言っているのだとアキは少女を凝視する。

今や少女は俯いて、喋ることだけに集中している。

 

「私のせいで、怪我しちゃったから……」

 

「――――」

 

すうっと血の気が引いていく。

頭の中を占めていた苛立ちや煩わしさが一瞬にして消え、真っ白になる。

 

「……なに? なんて言った?」

 

「あの……その……」

 

言い渋る少女に詰め寄って、肩を掴んで詰問する。

 

「怪我? 兄上が? いつ? なんで?」

 

鬼気迫る勢いだった。

身体を揺さぶられる少女は涙目になっている。

 

怯える少女への気遣いなど微塵も見せないアキに対し、少女は答えることを余儀なくされる。

恐怖に支配された中での受け答えである。アキの鬼気迫る勢いと相まって、半狂乱に近い会話が二人の間で交わされた。

 

「わ、私が邪魔して……! お兄さんが怪我しちゃって!」

 

「邪魔って何のこと? 怪我って何の怪我? いつ?」

 

「前、戦ってたとき……春ぐらい」

 

「あの婆が襲って来た時のことか?」

 

「ばばあ……? わ、わかんない!」

 

「わかれよ!」

 

相次ぐ質問で混乱に陥った少女を、アキは鬼の形相で睨み付ける。

少女は生きた心地がしなかった。殺されてもおかしくない。そんな雰囲気が漂っている。

 

「お前が兄上を邪魔して、それでどうなった? 兄上は怪我したの? 傷を負ったの?」

 

もはや少女に言葉を発する余裕はなく、ただただ頷くのみ。

そこまで追い詰めたのはアキ自身だ。それは分かっている。だがあと一つだけ聞かなくてはいけなかった。

 

「どれぐらいの傷だった?」

 

「……」

 

「答えろ」

 

「……血が、いっぱい……」

 

それを言うのが精いっぱいで、後はハラハラと涙を流す少女をアキは無表情で見つめる。

その手に握られた黄色い花は見舞いの品だろう。分かっていて聞いた。

 

「その花は?」

 

「……」

 

「花は?」

 

「……謝りたくて」

 

「必要ない」

 

でも、と取り縋る少女を拒絶しアキは背中を向けた。これ以上お前とは話さないと態度で示した。

その無碍ともいえる態度を前に、少女は頬を濡らしながらも退くことはしなかった。

 

「……会いたい」

 

「帰れ」

 

「ちゃんと謝りたい」

 

「帰れ」

 

「一度でいいから」

 

「帰れ!」

 

アキは声を荒げる。

振り向いた顔は鬼の様相。ただし見た目ほどの威圧感はない。それは自分自身への罪悪感のせいであった。

 

「兄上はお前と会わない! 怪我が治らなくて大変なのに! また死んじゃうかもしれないのに! お前なんかと会わない! 帰れ!」

 

そこまで言ってなお少女は帰ろうとしない。

木刀を手に取り、切っ先を少女に突き付けて唸る。

 

「帰らないと殴る。また来ても殴る。二度と来るな二度と近づくな。兄上はお前とは会わない。絶対に」

 

目前に迫った身の危険を前にして、ようやく少女は踵を返す。

全力で逃げ去る背中を見届け、アキは木刀を地面に叩きつけた。

行き場のない怒りが彼女の内に満ちていた。

 

「……っ」

 

それを向けるべきはどこなのか。

今のアキにはそんなことも分からず、怒りに震えながらその場に立ち尽くした。




感想にて、タグを追加するべきと言うご指摘を承りました。
描写不足を痛感し、早く次の展開に向かうべくすっ飛ばしていた部分を、今話と次話で書かせていただきます。
それらの感想やご意見を参考にタグを追加するか否か判断させていただきます。

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