女が強い世界で剣聖の息子   作:紺南

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第65話

食料にするなんて勇ましいことを言っておきながら、結果として失敗した。

黒い猿は粉微塵になり、他の猿たちも半分はバラバラになって、もう半分は木の下敷きになっている。

怒りで我を忘れてしまったなんて、そんなのは言い訳にもならない。

 

七の太刀で一網打尽にするのは予定通り。しかし、予想以上の斬撃の嵐は敵を細切れに切り刻んだ。

黒い猿がいた場所には血の跡が残るのみで、成れの果てが肉片となって散らばっている。

周囲を取り囲んでいた猿たちも似たような末路を辿った。目に見える範囲全ての木が切り倒されている。気配を読むまでもなく、生き残りはいない。こんな状況で逃げおおせるはずもなかった。

 

やりすぎたといえばそれまでだが、まさかこれほどの惨事になるとは思いもせず、そもそもここまでする気もなかった。数か月寝たきりだったというのに、一体どこからこんな力がわいたのか不思議でならない。

 

限界以上の力を絞り出したのは言うまでもない。その代償で、身体の芯から襲い来る激痛に座っていることもままならず、その場に崩れ落ちた。

 

土の香りをかぎながら浅い呼吸を繰り返す。深く息を吸い込むとそれだけで痛みが増した。

どうすれば痛みが和らぐのか。どの体勢がましなのか。自然と頭はそればかり考えるが、いくら考えたところで指一本動かせない。

 

「やあ、これはすごいなあ」

 

シオンの声がした。

突っ伏しているから顔は見えない。声を聞く限りでは怪我一つなく、それでいて驚いているように聞こえる。

 

「これは先生の技なのかな? こんな技を作ってるなんて……なんと言うか、すごいなあ」

 

先生というのが母上のことなら、その推測は間違っている。これは先代剣聖の技だ。

その間違いを正すほどの余裕はなく、痛みに呻くばかりで立ち上がることもできない。

 

「それで、君は大丈夫なの?」

 

「……そう、見えますか?」

 

「全然見えないよ。一見すると死にかけてる。一応聞くけど、どうしたのかな」

 

見当ぐらいついていると思うが、念のための確認らしい。こうしている間もただただ辛く、口を開くとより辛いので短く答える。

 

「無茶を、しすぎました」

 

「だろうねえ。怒りに我を忘れて本気の本気って感じだったよ」

 

そんな身体で無茶をしたら駄目だよと言いながら、シオンは俺を引っくり返した。うつ伏せから仰向けになり空が見える。

痛みに顔をしかめながら、久しぶりに空を見た。記憶にあるそれよりも少しだけ紫がかっている。時間のことなんて頭にもなかったが、寒くなるにつれ日が落ちるのが早くなった。この分では、あと二時間もしない内に暗闇に包まれるだろう。

 

そんなことを考えながら空を見ている間に、身体のあちこちを物色されていた。シオンは懐や袖の下に手を突っ込んで何かを探している。追剥でもするつもりだろうかと半ば覚悟していると、シオンは目当ての物を探し出して俺の口元に差し出してきた。薬草だ。

 

「お食べ」

 

それの苦さを知っている分だけ躊躇し、小さく口を開いた。シオンは容赦なく薬草を突っ込んでくる。

良薬は口に苦しと言うが、これだけ苦い物を他に知らない。噛んでいる内に思わずむせそうになり、襲い来た激痛に咀嚼が止まった。

 

「仕方ないなあ」

 

俺の様子を見ていたシオンが若干面倒そうに呟いた。そして葉を一枚自分の口に含み、俺の上に跨りながらモグモグと口を動かし始める。

顔色も変えずによく噛めるなといささか場違いなことを思い、何をするつもりだろうかと一瞬だけ考える。すぐに思い至って、慌てて言葉をかける。

 

「自分で――」

 

言い切る前に唇が重なった。

条件反射で押し返そうとしたが、跨られている上にしっかりと両手も抑え込まれていて何もできない。

唇を引き結ぶ暇もなく、押し込まれるように舌と苦味に犯された。

 

「んっ……」

 

擦りこむような舌の動きに顔をしかめる。やめさせようとこちらも舌を動かしたが逆効果だった。自然と舌同士が絡むことになり、なぜかより激しくなる。

 

間もなく、ドロドロとしたものが流し込まれてきた。次から次へと来るそれを、味わえば吐き気を催すのは目に見えているので、味を感じる前に必死に嚥下する。

口移しとはいえキスをしている。互いに目は開けていたから、至近距離で目が合った。

やめてくれと訴えてみるも無視される。あるいは通じなかっただけかもしれない。

 

見つめ合いながら、舌を絡ませるほどのキスをする。

字面で見ても、実際に目にしたとしても、傍目には睦み合っているように見えるのだろうか。仮にそうだとしても、当事者としては拷問に近い。

 

飲むものを飲み干し、流れてくるものがなくなった所で、シオンが唇を離す。

上気した頬に濡れた唇。瞳には昨晩チラリと垣間見せた色を湛えて、反面、声には刺々しさを感じる。

 

「積極的なのは喜ばしいけど、いくらなんでも情熱的すぎだよ。これじゃあ先が思いやられる」

 

何故だか諫められた。どうして諫められたのか分からない。

キスの間、抵抗できないようにずっと両手首を抑えられていた。吐き気をこらえて全部飲んだ。その結果、諫められた。

 

そもそも、一言断ってくれればよかったのに。突然こんなことをされたら、抵抗してしまうのは当たり前だ。抵抗したから強く抑え込まれて、色々と激しくなってしまった。心の準備をする時間が欲しかった。

 

酷く理不尽な気分になる。無性に拗ねたくなって、そっぽを向く。

 

「もう、終わりですか?」

 

自然と口を衝いて出たのがそれだった。それは念のための確認に過ぎなかったが、言った後に言葉を間違えたことに気づく。

もう、なんて言わなくてよかった。これではおねだりしているように聞こえてしまう。すごく恥ずかしい。

 

カッと熱くなった俺の頬にシオンが手を当ててくる。そのまま首を伝って鎖骨のあたりを撫でた。

くすぐったさに身をよじり、何をされるかと緊張する俺に向け、妖艶な笑みを浮かべる。

 

「薬草は効いたかな?」

 

「……はい」

 

「じゃあ行こうか」

 

先に立ち上がったシオンは手を差し伸べてくる。

迷いと困惑を抱きながらその手を取った。

 

「急がないと日が暮れる。こんなところで野宿は嫌だからね」

 

夜に山を下るほど危険なことはないとシオンは言った。

山は登るよりも下るほうが危険だ。それに加えて真っ暗闇ときたら、それはもう自殺行為だろう。

だから日が暮れたならここに留まるしかないが、こんなところで野宿なんてしたくない。猿たちの死骸が無数にあるのだ。何が寄ってきてもおかしくない。

 

頷きを返して杖を拾う。最後に血染みと肉片を一瞥して来た道を引き返す。

復讐は成ったが虚しさを覚えた。なくしたものは返らないのだから当然だ。結局、食料も手に入らなかった。

 

俯きながら歩き始める。何歩か進んだところで背後から風が吹いた。

押されるぐらいの強い風。風に紛れて、誰かの呼び声を聞いた気がした。おにいさん、と。

 

足を止めて逡巡する。薬草のせいか、頭がうまく働かない。背後に何者かの気配を感じる。そんなはずはないと否定しながら、少女の姿を思い浮かべながら振り返る。

 

――――黒い猿が、拳を振り上げてそこにいた。

 

迫りくる拳に、身体は指一本動かなかった。何一つ反応できない内に殴り飛ばされる。骨の折れる音を聞き、運よく吹っ飛ばされた先で木の幹にぶつかって止まることができた。

身体がバラバラになったかと思うほどの衝撃で、息は止まり口の中に血の味が満ちたが、痛みはそれほどでもない。薬草はよく効いている。

 

咳き込み血を吐いた後、直前まで俺が立っていたその場所で、シオンが殴り飛ばされるのを見た。

身体が宙に浮き、斜面を落ちていく。助けたかったが身体が動かない。三の太刀が使えない。

 

雄たけびを上げた猿が俺の方を向く。

相も変らぬ邪悪な顔。弧を描いた口が開き、咽喉が震えて言葉を発する。

 

「オニイサン」

 

悪意に満ちていた。

嘲笑に歪んだ醜悪な顔を、歯を食いしばって力の限り睨む。

 

七の太刀で殺したはずの猿が、五体満足で生きている。

気配はほとんど同じだった。ほとんど。わずかに違和感があるだけで、別個体というわけじゃないはず。そもそも奴は突然現れた。なくなったはずの気配が、殺したはずの場所に現れた。

 

常識が音を立てて崩れていく。

再生したとしか思えない。間違いなくバラバラにしたはずなのに。そんな生き物がいるのか。そもそもあれは生き物なのか。

 

激流のように絶え間ない疑問。今考えるべきではない。しかし頭から離れない。どうにもこうにも、行動が遅れている。

 

一切合切の思考を頭から追いやり、無理やり立ち上がる。

気付けば呼吸が荒い。深呼吸したがうまくできなかった。

 

カタカタと身体が震えているが、理由はわからない。武者震いでも、怯えでも、怒りでもない。しかし震える。

痛みがないからどこをどう怪我したのかわからないが、直感を信じるなら手遅れな気がした。

肋骨が折れて肺に刺さっているとか、内臓が損傷しているとか、そういう次元の。

 

「……六、の太刀」

 

シオンの気配はまだある。だからそっちに懸けるべく最後の手札を切ったが使えなかった。もう、それだけの力も残されていなかった。

 

黒い猿が近づいてくる。

杖を構えて迎え撃とうとしたが、持ち上がらない。歩を進めようとしても、足から力が抜けて膝をつく。これでは、戦いにもなりはしない。

 

どこまでも無防備な俺を見て、猿は何か考えているようだった。

罠かもしれないと思ったのだろう。シオンが落ちた方向を見て、戻ってくる気配がないことを確認する。

恐る恐るという様子で、杖を握っていた腕を掴まれる。持ち上げられて左右に振られた。どうやら杖を奪いたいらしい。絶対に放すものかと、思うように動かない身体に喝を入れて力を込めた。

 

俺の顔を覗き見て、力の籠った腕を見た後、猿はおもむろに指を摘まんでくる。ゆっくりと力が込められていく。そこから何が起こるのかは容易に想像できた。赤子の手を捻るよりも簡単に、人差し指は本来曲がらない方向へと折り曲げられた。

 

痛みはなかった。しかし衝撃はあった。自分の指がそんな方向に曲がるのは未だかつて見たことがない。

人差し指の次は中指。薬指。小指。続けざまに三本、計四本の指が折られ、物理的に杖を握っていられなくなる。

 

取り上げられた杖は猿の背後に捨てられた。

手を伸ばして届かなくても、万全なら一秒足らずで届く位置だ。だが、今の俺にはそれすら届きそうにない。

 

折られた指を見ていたら嫌な汗が噴き出してきた。痛みはなくても、視覚的に理解しているのなら身体は反応するらしい。

 

今度は腕を掴まれ、反対側に折り曲げられる。骨が折れる音はこんなにもはっきり聞こえるのかと思った。

もう一本の腕も折られる。その間、猿はじっと俺を見ていたが、腕を折った後はどこか気味悪がっているように見えた。

 

「オニイサン」

 

恐らく、いたぶるためにしているのだろうが、猿はもう一度その言葉を使った。

目論見などお見通しで、そもそも絶望などするはずもなく、敵を喜ばせる趣味もない。ただただ殺意を抱く。

目に力を込めて猿を睨む。猿は望み通りの反応を見られず興が削がれたらしい。

気味悪がる気配はそのままに、頭を掴まれる。

変な方向に力が籠っている。このままへし折るつもりだろう。当然、そんなことはさせじと抵抗するが、俺ごときの抵抗など意にも介されず、あっさりと首をへし折られた。

 

ボキリという音が外からも内からも聞こえた。首から下の感覚がなくなる。視界が明滅し始めて、鼓動が弱くなっていく。呼吸が途絶えて目が見えなくなった。

感覚が消え、意識が消えて、闇の中に消えていく。痛みこそなかったが、それが死そのものだと言うことを、俺は知っていた。


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