女が強い世界で剣聖の息子   作:紺南

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第82話

アキの顔をした何かと相対する。

それが何者なのかは大した問題ではない。怖気が走るほどの腕力も、素人とは程遠い威圧感も。

ただ勝たねばならない。絶対に。何が何でも。是が非でも。

 

決意に心が激しく燃ゆる。血が滲むほどの力で刀を握り締める。

構え、迎え撃つ姿勢を作る。激しく脈動する感情に反して、感覚は研ぎ澄まされていった。相手の一挙手一投足を観察し、僅かな隙も見逃すまいと集中する。

 

刀を構えた俺を前に、アキの動きが止まる。

かなりの距離が離れている。手を伸ばしたところで届くはずはない。しかし命には届くだろう。互いにとって、この程度の距離は障害にならない。

 

瞬きは許されず、目が乾く暇すらない刹那。

先ほどと同じように、それは一瞬で距離を詰めてきた。今度は見逃さず、振り上げられた一太刀を五の太刀でいなす。

そして返す刃で首を狙いに行く。殺す気などないがための浅い斬撃をアキは上体を反らして躱す。その場でくるりと一回転しながら反撃してきた。

 

今度はこちらが上体を反らす番。視線は常にアキを捉え続ける。ほんの少しでも余計な動きをすればその途端劣勢に追い込まれるだろう。極限の緊張感。常に完璧な最善手を出し続けなければならない。

 

鍔迫り合いなど出来るはずがないから五の太刀を使う。右手に刀を持ち、左手で受け流し続ける。ほんの少しの狂いで左手を失うリスクはあったが、防御と攻撃を同時に出来るメリットもあった。リスクを背負わなければ勝てる相手ではない。

 

一進一退の攻防を繰り返し、少しずつ優勢を勝ち取っていく。このままいけばこちらの刃が届く。確信を抱いたのとほぼ同時に、アキが大きく後退してしまう。

攻勢を続けるか迷ったが、無理な攻めになることを恐れて受け入れた。仕切り直しだ。

 

「いやぁ、思ったより強いな。妹が妹なら兄貴も兄貴だったか……兄妹揃って化けモンだ」

 

「……俺のことはどう思っていただいても構いませんが、妹は侮辱しないでください」

 

俺はともかくアキは化け物ではない。

そう思って、そう願って、本心から反論すれば、返って来たのは苦笑だった。

 

「ただの事実だと思うけどな。気分を害したなら謝るよ。現実を直視した方がいいとも付け加えるけど」

 

よくわからない親切心を受けて会話を続ける気になった。一番の目的は時間を稼ぐことだが、戦う相手のことを知るのは悪いことではない。注意する必要はあるが。

 

「……あなたは誰ですか」

 

「ん? 死人の名前聞いてどうすんだ。哀れな被害者だと思っとけ。お前の妹に全部奪われたんだ。可哀そうだろう?」

 

「意外と自由に話せるな」とその人は独り言を呟いて、切っ先を俺に向けてくる。にやりと挑発的に笑って言葉を続けた。

 

「お前、手加減してるだろ。気持ちは分からないでもないがやめといたほうがいいぞ。殺せる内に殺しとけ。じゃないとあたしの二の舞だし、みんな不幸になる」

 

「妹をこの手にかけるほど不幸なこともないでしょう」

 

「今手にかけなきゃもっと不幸になる」

 

優しさなんて余裕のある奴が与えるもので、他人を救えるのは強い奴だけだとその人は言う。

どうやったって無理なもんは無理なんだと決断を迫ってくる。

 

何が何でも俺にアキを殺させるつもりらしい。その目的は何だろう。アキに全てを奪われたと言う自分をこそ救いたいのだろうか。

死が救いになると言う理屈はよくわかる。けれどそれしかないのかとも思う。自分勝手な気持ちだ。他人のことだから欲が出るのだろうか。

 

「大人しくしてもらえませんか。俺はアキを拘束したいだけです。怪我一つ負わせたくないんです」

 

「拘束してその後はどうするつもりだ?」

 

「医者に診てもらいます。きっと精神的な問題だから――――」

 

「じゃあ駄目だ」

 

言いかけた言葉は強い語気で拒絶される。

 

「これは病気じゃない。医者なんかに診せても解決しない。……賢そうな顔してるけど、そう言う奴に限って頑なだ。根本的なところで目を背けてるだろ、お前」

 

「……」

 

図星を突かれて言葉が出ない。

信じろと言うのだろうか。他者から人格を奪ったと言うその言葉を。何がどうしてそんなことが可能なのか。俺にはてんで理解できない。

 

「……そうだな。理解させる必要があるか。話はそれからってことで」

 

「何を……」

 

「少年と違って、あたしは怪我を負わせるのに躊躇なんかない。同じ轍を踏むほど馬鹿でもないしな」

 

いくぞと宣言を受け、殺気を全身に浴びる。

次の瞬間、顔面めがけて突きが来た。左目を狙っている。

頭を傾けて躱しつつ、無表情に俺を殺そうとしてくるその人と目が合った。

ぞくりと背筋に悪寒が走る。次の攻撃を予感し、とっさに鞘を抜いた。それで蹴りを防ごうとしたが、とんでもない衝撃を受けて左腕の感覚がなくなり、一瞬身体が浮いた。

 

間髪入れず胸ぐらを掴まれる。足が浮かんでいて咄嗟に逃げることは出来なかった。刀を振ろうとして、近すぎる距離に躊躇した。

引き寄せられて額に頭突きを食らう。二度、三度と続けて食らって額が割れたかと思うほどの激痛に襲われる。視界がぼやけて眩暈を感じた。

 

そうこうする間に放り投げられ、受け身を取れないまま背中から地面に落ちた。その衝撃で一時的に呼吸が出来なくなる。

苦痛に悶え、必死に息をしようとする。そこを包み込む人影。

 

「あたしが本気になったら少年は勝てない。剣術だけなら多少……かなり……すごーく強いだろう。それは認める。でも体術はからっきしだな。筋肉ないし背丈も小さいから打たれてもそんなに効かねえし、組めば絶対勝てる。殺し合いなんて勝ってなんぼだからな。剣術が得意な奴と剣術でやり合ってくれる阿呆はいないだろう」

 

覆いかぶさられて両手を上から抑えつけられた。

 

「さあ、これで話をする体勢が整った。安心しろよ。あたしは我慢強いから。性欲なんかに負けねえから」

 

左腕の感覚は未だにない。鞘は落としてしまった。刀を握ったままだが、抑えつけられて抵抗は封じられている。

 

「……話とは?」

 

「お。妹よりは融通利くか? こいつはこの状況でも滅茶苦茶暴れたと思うぞ」

 

確かに、負けず嫌いで諦めの悪いアキならそうしたかもしれない。だが、それを言うのが当の本人と言う矛盾。

快活で、それでいてどことなく不敵な印象を受ける笑みが目の前にある。

よく知っているのに知らない顔。心がざわめいて焦燥感に駆られる。

 

「今ので演技でも何でもないってことはわかったよな? 妹ちゃんはここまで強くないだろ」

 

言う通りだった。俺の知っているアキはそこまで強くはない。人間離れした膂力と言い、場慣れした体術と言い、初めて見るものばかりだ。

けれども、もしアキが東で経験を積んだのなら、実践を経て成長したのなら、もしかしたら……。

 

「理解したならさっきの続きを話そうか。と言っても言うことは変わらないけど。……なあ、あたしを殺してくれないか?」

 

「……冗談じゃない」

 

「そう言うなよ。いい加減気付いてるだろ。もうどうしようもないって、わかってるんだろ?」

 

歯を食いしばる。心のどこかで訴えかけてくる声。最早取り返しがつかないと判断している自分がいた。

だが、所詮は直感に過ぎない。現状、それが正しいと断じる根拠は何もない。

 

「なあ、頼むよ。今ならまだ殺せるんだ。これで何もかも振り切っちまったら、いよいよ無理なんだ。人である内に殺してやってくれよ」

 

「……妹を殺すなんて……」

 

「現実から目を背けんなって。どんだけやりたくなくても、やらなきゃいけないならやるべきだ。やりたくない理由に正論使ったら駄目だって。後悔するぞ」

 

左腕の感覚は戻りつつある。

試しに全身の力を振り絞って抵抗してみたがびくともしない。

 

「おい」

 

「……何と言おうと、殺すつもりなんてありませんよ」

 

「そこを曲げてさあ」

 

「あなたの言葉で人は殺せない」

 

言われたから、命じられたから殺すなんて、俺はしない。

命は大事なものだ。それを奪うからには相応の理由が必要になる。アキの命を奪うほどの理由を俺は持っていない。

 

「あなたの言っていることを間違っていると切り捨てる気はありません。でも、だからと言って理由にはしない。殺さなければならないなら、それは俺が自分で決める。誰かの言葉で決めたりはしない。自分の行動の責任を他人に背負わすつもりはありません」

 

俺の言葉を聞いたその人は、何かを言おうとして口をつぐみ、結局何も言えず微笑んだ。

 

「何かを決断するには順序が必要です。まずは知ることから。それが普通でしょう?」

 

「……理屈っぽくてうんざりするな。もう少し楽に生きたっていいんじゃないか?」

 

「苦しく生きてるつもりもありませんが」

 

「そうか」

 

そう言って、その人は俺の上から退いた。

俺を見下ろし、溜息を吐いて離れていく。隙だらけのその背中に追撃することは可能だったが、それをするつもりはとうにない。

すでに俺の役目は終わっていた。身体を起こし、木々の間から現れた人影を見る。ゆっくり近づいてくるその人。

 

「今、戻った」

 

――――母上が帰って来た。

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