「おいで」と言われた。
呼ばれたからには行かなければならない。その後どういうことになるのかは、正直分からないけれど。
もしかしたら、するのかもしれない。しないのかもしれない。どっちなのか俺ごときに分かるはずがない。分からないからこそ、覚悟を決めてシオンのもとに四つん這いで這って行く。
静けさの中に息遣いを感じた。移動の最中、ちらりとシオンの顔を覗き見るとシオンも俺を見ている。
窓から差し込む明かりに照らされて、その顔はいつもと少しだけ違って見えた。それが影響しているのかは知らないが、なぜだか余計に緊張する。息を呑んで視線を逸らす。心臓が早鐘を打ち始めた。
シオンの元に辿り着き、床を見れば、そこに敷いてあった布団は一つだけ。……やはりそういうことなのだろうか。
何となく、布団の側で正座する。ついつい目線が下がってしまい、シオンの顔を直視出来ないでいた。上目遣いに伺って、目が合ってまた逸らす。
「寝ようか」
シオンが言う。
俺は上手く答えられず、ただ口を引き結んだ。
一つの布団に二人が寝転ぶ。
俺は身体が小さいから多少余裕があるが、それもほんの少しに過ぎない。身動きしたらどこかしらが触れてしまう。その度にドキッとする。鼓動が治まらない。喉が渇く。
「レン」
呼びかけられて、恐る恐るシオンの顔を見る。
何か言いたげな表情に思えた。
やっぱり何も言えないでいると、引き寄せられて、ぎゅっと抱きしめられる。
シオンの胸元に顔を
「疲れた?」
「……いいえ」
「嘘つけ。疲れたでしょ」
「疲れてませんよ」
「ふーん」
ずっと背中を撫でられている。
赤ん坊をあやすように、時折ぽんぽんと叩かれる。
「緊張してる?」
「いいえ」
「本当に?」
「はい」
嘘をついた。どうして嘘をついたのか。自分のことなのに分からない。分からないことが多すぎる。
「安心してよ」
「……」
「今日はしない」
息を吐く。悟られないように、ゆっくりと長く。
「まだ11歳だから、するのはもうちょっと先」
「……」
「だから、ほら、落ち着いて」
変わらず背中を撫でられている。どうやら、落ち着かせようとしてくれていたらしい。
ありがとうと言うべきなのだろうか。でもそれはちょっと違う気がする。
言葉が出ない代わりに、とりあえず抱きしめ返してみた。
そうするとシオンは一層強く抱きしめてくる。負けじと力を込めて、シオンも力を込めて。
言葉に出来なかった思い。それが通じ合う感覚。
心がいっぱいになる。気持ちが零れそうになる。
じっとしていられなくなって、身動ぎして距離を取る。シオンの顔を見つめる。月明りのせいか、瞳が濡れて見えた。
一杯になった気持ちが零れる。理性が止める間もなく身体が動く。顔を近づけ、キスをした。
「――――」
唇同士が触れあった僅かな時間。
息をするのも忘れ、顔を離した途端、小さな吐息が漏れる。
「……レン?」
その声で我に返る。
「あ」と言う心の声。やってしまったと言う罪悪感。
許可を得ず、勝手にキスをしたと言う事実が、これ以上ないぐらいの罪悪感を運んできた。
碌な言い訳も出来ないまま、みっともなく狼狽えて身体を起こす。
シオンの視線が追いかけてくる。責められている気がした。何てことをしてくれたんだと言っている気がした。
「あの、違う……えっと……」
「……違う?」
「違っ……違う、わけではないです。すみません。あの……」
やってしまったことの罪悪感で思考が滅茶苦茶だ。
言葉を探しても安易な言い訳しか浮かんでこない。今更誤魔化しなんて利くはずもなく、みっともない言い訳を述べるよりも、正直なところを言った方がいいのだと悟った。
「何故だか、したくなって……。すみません……もうしません。ごめんなさい……」
穴があったら入りたいとはこのことだろう。
恥ずかしさのあまりシオンのことを直視できない。
頭を冷やす意味もかねてこのまま外に出ようか。ついでにアザミを探しに行くのもいいかもしれない。今はシオンの側にはいたくない。
そう思って外の気配に意識を飛ばした。立ち上がろうと足に力を込めた、その瞬間、突然押し倒された。
「んっ!?」
押し倒されながら、唇に柔らかいものが押し付けられる。
生暖かい息遣いを感じ、状況を理解する前に、口の中に何かが入ってくる。
水っぽい音が自分の中から聞こえる。ざらざらとした感触が舌の上を滑っていく。
痺れるような感覚が全身を貫いて、頭が真っ白になった。
とにかく何かに掴まりたくて、目の前のものに全力で縋りつく。
口の中、放っておけばどんどん深くまで入り込んでくるその感覚に、危機感を覚えて声を上げる。
口が塞がれているせいで意味をなさないその声は、自分のものとは思えないほど弱弱しく、弱いところを
それで、ようやくシオンが離れた時、俺の身体は脱力し切って、思考は纏まらず、上気したシオンの顔を間近に、銀色の一本の線が視界の端に消える。
呼吸を整えるため、状況を理解するための僅かな休息。
仰向けに押し倒された俺と馬乗りで覆いかぶさっているシオン。
火照った身体はそのままに、熱に浮かされていた頭だけが冷え、散らかっていた思考が纏まり出した頃、自分の口の端を垂れる涎に気が付く。
子供のようでみっともないと言う羞恥心が先に立ち、ぺろりと自分の唇を舐めた。直前にもっとも恥ずかしいことをしていたのも忘れて、その行為がシオンの目にどう映るのかも考えず、条件反射的にやってしまう。そして、シオンがまた唇に吸い付いてきた。
長く深く、ただそれだけを求められて。
逃がす気はないのだとその力強さに悟りつつ、けれど抵抗する力はとっくの昔になくなっていた。
今度はそれほど長い時間は経たなかった。顔を上げたシオンと目が合う。獣を彷彿とさせる目。色々な欲望がないまぜになった表情。
理性ではなく本能で、魂ではなく、この身体の奥深くに刻まれた何かが身を竦ませた。
身体は強張り、けれど力は入らず、ぎゅっと目を閉じて顔を逸らす。決めたつもりの覚悟なんて、所詮その程度のものでしかないと、己への失望感を感じながら。
そのまま少しの時間が過ぎ、何も起こらないことに訝しんで目を開ける。
横目にシオンを伺うと、さっきまでの欲情し切った表情はどこにもなく、何かに気づき、取り乱した顔のシオンがそこにいた。
「……シオンさん?」
「ぁ……」
聞いたことのない弱弱しい呟き。
そしてぐっとこらえるような素振りを見せて立ち上がった。
「ごめん!」
その一言のあと、逃げるように部屋の外に飛び出してしまう。その背中を目で追った。
気配を探ると建物からも出てしまったようだった。一体全体、何だと言うのか。
身体を起こして状況を把握しようとする。突然一人置いて行かれた意味が分からない。
何かに気づいたようだったが、何に気づいたのだろう。
周囲に気になることはなく、考えても分からない。
はぁと息を吐く。身体に籠った熱を吐き出した。けれどもまだ身体は火照ったままだ。
このまま寝てしまおうかとも思ったが、この状態で眠れる気がしない。身体全体がゆだっている。少なくとも時間をおかないとダメだろう。それならばと、折角だからアザミを探しに行くことにする。
ふらりと立ち上がり、覚束ない足取りで部屋の外に向かう。
途中、壁に手を置いて息を吐く。何度か繰り返し吐いてみたが、いつもとは違う熱の籠った吐息ばかりが零れた。
時間を置けば元に戻るだろうとそのまま歩き始める。
着の身着のまま、自分の格好に頓着することもなく外に出る。
アザミの気配を探して、当てどなく歩き始めた。
気配の多い場所に行けば見つかるかもしれない。そう思って向かったのは、この時間帯、この町で一番明るい場所。いわゆる花街だった。