アザミに連れられて宿に戻ることになった。
辺りは暗い。花街から出た途端に明かりは少なくなった。
闇夜に目が慣れるまで少しかかって、歩幅はアザミの方が大きかった。
途中、少し置いて行かれてしまい、はぐれることを心配したアザミに手を引かれる形になった。こうなると少し早足で歩かなくてはいけない。
「で、少年。
その問いにわずか考える。そう言えば、あの人はどこに行ったのだろうか。
「わかりません」
「お? なんだなんだ。一人でどっか行ったのか? さては遊びに出たな」
「あー……。少年はさあ、どう思う?」
「何をですか」
「本当に紫苑様が遊んでたら」
首を傾げる。そんなことを聞かれても、と言うところ。
「お酒ぐらいみんな飲むんじゃないですか」
「うん、まあそう。でもそれだけじゃなくて、男を侍らして遊んでたらさ」
言わんとするところを理解する。
前世で言うところのキャバクラとかそういう場所。あるいは風俗街について言っているのかもしれない。
キャバクラみたいな場所で格好いい男の子とか、可愛い男の子を相手にお酒を飲むシオン。
そんな光景を想像するだけで胸の奥がざわめきそうになる。それを胸に手を置いて抑え込み、重ねて想像する。花街で男を物色するシオンの姿を。
道端で男の子を捕まえて、値段を聞いて、建物の中に入っていくシオン。
今度はよりはっきりと胸の中がざわめいた。それだけはやめてくれと言いたくなる。しかし、それを咎めることは出来ないとも思った。
俺の知っている男はそういうものだった。だからこの世界の女はそうなっているのだろう。遊びぐらい大目に見てやれと、どこかで誰かが言っていた気がする。
結局、俺が文句を言う筋合いなどないのだろう。狭量と思われるのが落ちだ。
答えは決まっている。あとはどんな言葉で答えるか。
悩む俺のことをアザミは眺めていた。
やっぱりその顔からは楽し気な雰囲気が感じられた。俺の返事を楽しみに待っている。だから俺はこう言うしかなかった。
「別に、どうも思いませんよ」
「そうかそうか」
アザミは笑う。
いつも通り楽し気に。そして言う。
「ま、今回は遊びに出たわけじゃなさそうだから、安心していいんじゃない?」
まるで心を見透かしたようなことを言う。
俺は何も答えなかった。もうすぐ宿に着く。そこにはシオンの気配があった。向こうも俺たちのことに気づいているに違いない。揺れ動く気配からは機嫌の悪さだけが伝わって来る。
気配がしたからには、当然そこにはシオンが待っている。それがどんな様子でいるのかは、気配からは何となくしか分からない。
目の当たりにして分かる怒りの程度。仁王立ちで立ち塞がるその身体から発せられる怒気。とりあえず、誰に言われるでもなく正座した。
「言い訳を聞こうか」
「ごめんなさい」
初手に謝罪。それ以外に手はないと思った。けれどシオンには通用しない。
「言い訳を聞いているんだけど? なんで謝る? 謝るようなことをしたって理解してるってこと? それをした理由を聞いているんだけど?」
向けられる視線の険しさに一旦目を逸らした。
言い訳と言われても何も思いつかない。一体何を言えばいいのか。自分の膝を見つめて考えたが言葉一つ出てこない。
そうして無言の時間が流れていくが、その間も怒気は和らぐことなく突き刺さって来る。
「……君、謝ればいいって思ってるんでしょ? それで全部済むって考えてるんだろ?」
「……いいえ」
「じゃあ言えよ。なんで謝る? なんで、どうして、言うこと聞かないで花街に行った? 行くなって言っただろ? ここにいろってさ。言わなかった? ……言ったよなあ?」
今まで聞いたことがないぐらいの口調の荒さ。暴力の一つ振るわれてもおかしくない。積み重なって来たものが爆発しかけているのだろうか。
どれだけ口調が荒くなったところで、前世で経験した怖さとはかけ離れている。さほど恐怖は感じない。……感じないはずなのだが、なぜか身体が竦み、のどが渇く。
これは一体どうしたことだろうと思考が逸れかけた。直後、そんなことを考えている場合ではないと思い直す。
今は目の前のことを何とかしないといけない。どうすればいいのかは皆目見当もつかないのだが。
「あの……」
「なんだよ。言ってごらんよ。僕が納得できる言い訳だったらいいね」
考えの纏まらないまま言葉を発したことを後悔する。
違ったらどうなるのだろうか。仮に納得させられなかったら。
どれだけ時間をかけたところで言い訳は思いつかない。シオンを納得させられる言葉なんてあるはずがない。
俺は行きたくて、シオンはそれを止めた。意見は食い違い、俺は俺の我を通した。
それで、やっぱり、危ない目には遭ったのだけど。多分シオンが考えていた通りになってしまったのだけど。
結局のところ、なぜ俺は花街に向かったのだろうか。
自分で自分を問い質す。答えは明白。見たかったからだ。そこがどういう場所なのか。父上がいた場所はどういう場所なのか。俺の知っている世界と何が違うのか。
思っていた通り、あそこはそういう場所だった。男は男で、女は女だった。
驚きなんてない。予想外なんてない。
十分以上に予想通り。目にしたもの全て、嫌になるぐらい。
「……」
一向に言葉は出てこない。開きかけた言葉は自然と閉じてしまった。
視線を落として思い出す。あの時見た光景。抱いた不快感。吐き気を催すほどの嫌悪感。
それを思い出すといつの間にか鼓動が激しくなっている。口元を手で抑える。考えてしまった。父上と母上のことを。あの時の光景に重ねて。
一気に何かが込みあげてくる。背筋が冷えて頭の中がぐるぐると回り出した。
これ以上考えるのはまずいと判断して、思考を逸らす。そのまま、何も考えていないままにシオンに答えようとした。開いた口から声が出かける。
それに被せるようにシオンが腕を伸ばしていた。そのまま抱きしめられる。発しかけた言葉共に俺を包み込むように。
「……あの?」
「怖かったみたいだね。大丈夫だよ。ここは大丈夫」
突然の温かさに目を瞬く。鼓動は落ち着いて気分も良くなってきた。
直前まで考えていたことが消えていく。抑え込んでいた感情も一緒に。
頭を胸に抱かれ、俺は何も出来ず、シオンはアザミと話し出す。
「何があった?」
「あー……いや、ちょっと声かけられてて……値段交渉と言うかその……まあ、怖かったんだろうなあ……」
怖くないと言いかけた。
けれど振り返ってみればアザミの言う通りだった。
あの時、俺は恐怖を感じていた。ただ、肩を掴まれただけで。ただ、引き寄せられただけで。ただの女性だった、あの人に。
例え力で劣っていたとしても、その気になればいくらでも手はあった。
噛みつくなり、目を狙うなり、なんとでもなった。なのに、あの時、俺はそれを何一つ思いつかなくて、ただただ怖がっていた。押されれば押されるだけ縮こまる。か弱くてひ弱な、言ってしまえば手弱女のような態度。この世界の普通の男子ならいざ知らず、そんなの全く俺らしくない。
らしくないのにそうしていた自分。そう思うと途端に不思議に思ってしまう。
理由を探る。どうしてそんなことになったのか。花街に来て動揺していたから? それはあるだろうが、それだけじゃないような気がする。
先代剣聖と戦った時は怖くなかった。
猿に襲われた時も怖くはなかった。
猿を殺しに行った時でさえ、恐怖なんて抱かなかった。
一体何が違うのか。……刀を持っていなかったからだろうか。
きっとそれは違う。直感が囁く。
しかしこれ以上考えても答えは分かりそうにない。分からない問いを考え続けている暇はない。少なくとも、今は。
シオンの胸を押してその腕から離れる。
「大丈夫です」と言葉を発する。
「別に怖くなんかなかったですよ」
嘘だった。心配させたくなかったから。あるいは見栄を張りたかったから。多分後者だ。それぐらいは自覚している。
「どうしていいか分からなかっただけです」
無意識の内に、あの時掴まれた肩に手を置いていた。
一体何を思ってそうしたのか。自分でも分からない。
ちぐはぐだった。心と体が。
あやふやだった。思考と言葉が。
自分で自分のことが分からない。分からないことを考え続けている暇はない。
だからとりあえず微笑んだ。
「大丈夫です」と言葉を重ねた。
手は肩に置かれたままで。
心はそれを考えたままで。
シオンは何も言わなかった。
アザミの身動ぎする音が聞こえた。
夜は更けている。
窓から光が差し込んでいた。朝が来た。眠気はない。