今日は中野の初出撃だ。朝から緊張の面持ちの中野に対し、もう初出撃を済ませた佐々木は実に気楽そうにしている。
「迪子ちゃん、出撃って言っても哨戒任務はただ一回り飛んでくるだけだから、気楽なものだよ。むしろ訓練より楽なくらいだよ。」
そんな佐々木の気楽さに、中野はちょっと恨めし気に返す。
「そりゃあ津祢子ちゃんはもう初出撃は済んでるし、ネウロイと遭遇することもなかったからそうだろうけど、わたしは今日が初出撃なんだから緊張するよ。」
しかし、佐々木はあくまでお気楽だ。
「まあそんなに緊張することないから。大丈夫だって。ほら、緊張ほぐして。」
佐々木は中野の肩をもみほぐす。でもそんなことで中野の緊張が解けることはない。
「もう、津祢子ちゃんは無責任だなぁ。津祢子ちゃんだって昨日はあんなに緊張してたくせに。」
しかし喉元過ぎれば熱さ忘れるを地で行くように、佐々木はにこにこしながら大丈夫を繰り返すだけで、自分が緊張しまくっていたことなどすっかり忘れてしまったかのようだ。ひょっとすると佐々木は鳥頭なんじゃないだろうか。あるいは、無事に初出撃を終えたことで、すさまじい緊張感から解放されてハイになっているのかもしれない。
そんなことには関係なく、今日の出撃の時が近付く。
「今日の哨戒任務は、栗田さん、児玉さん、中野さんの3人で務めてもらいます。」
そう言った安藤大尉は、中野に目を合わせてにっこりと笑いかける。
「中野さんは初出撃だから緊張するだろうけれど、栗田さんと児玉さんがついているから何も心配することはないわ。」
なるほどさすがはベテランの隊長だ。ちゃんと初出撃する新人の気持ちを慮ってくれている。しかも、佐々木の多少適当な励ましと違って、本当に安心感を抱かせてくれるものがあり、多少なりとも緊張が緩むのを感じる。これならどうにか初出撃を無事にこなせそうだ。中野は元気良く答える。
「はい! 了解しました!」
安藤大尉、清末、佐々木に見送られながら、栗田少尉、児玉、中野の3人は哨戒任務に出撃する。勇躍出撃、と言いたいところだが、目的は哨戒で、ネウロイ出現の可能性はあまりないとなればそれほどのこともない。ただ淡々と哨戒空域を回ってくるだけだ。それでも初出撃ということで緊張感を見せていた中野も、落ち着いてくるに従ってだんだん緊張感が弛緩してくる。眼下の風景は単調で、哨戒飛行も単調だ。これでいつネウロイが出てくるかわからないと言われれば否応もなく緊張するところだが、ネウロイの出現頻度は高くないと言うし、昨日の佐々木もネウロイには遭遇しなかったと言うし、最初の興奮が過ぎてしまえばあまり緊張する要素もなくなってくる。
「これはひょっとすると、津祢子ちゃんの言ってた訓練より楽っていうのが本当かもしれないわね。」
中野は小さく呟いた。もちろん、上官2人には聞こえないように。
「迪子、ついてきて。」
不意に児玉がそう言うと、軽くバンクして降下を始めた。それほどの急降下ではないので、緊急事態というわけでもなさそうだが、どうしたのだろうか。不得要領のまま中野は児玉を追いかける。
「児玉さん、どうしたんですか?」
「うん、地上で何か光った気がしたんだ。何かの見間違いかもしれないけど、一応確認しておこうと思ってね。」
児玉にそう言われると中野はドキリとする。児玉が指さす方に目を凝らしても、中野には何も見付けられない。見間違いかもしれないけれど、見間違いじゃないかもしれない。もし見間違いじゃなかったら、いきなり戦闘に直面することになる。中野の全身を、ぶるっと震えが走った。
そこに厳しい声で通信が入る。
「児玉曹長、どうして編隊を離れているの。すぐに定位置に戻りなさい。」
児玉が黙って離れたので、栗田少尉はおかんむりだ。児玉が答える。
「えっと、ネウロイらしいものを見付けたので、確認してきます。」
しかし、児玉の説明にも栗田少尉は納得しない。
「とにかく一度戻りなさい。何か発見したならしたで、報告して許可を取った上で確認に行きなさい。そんなこと訓練学校で教わってるでしょう?」
確かに、原則を言えばそうだ。だが既に動き出しているのに、一度戻ってやり直せというのはいくら何でも無駄なんじゃないか。
「ええと、一度戻るのも無駄だと思いますから、このまま行かせてください。すぐに確認して戻ってきますから。」
児玉の返信の声音にやや面倒くさそうな色を感じ取ったのか、栗田少尉は一段ときつい調子で通信を送ってくる。
「そういう問題じゃないでしょう。いいからさっさと戻ってきなさい。命令です。」
年端のいかない少女ばかりといってもウィッチ隊も軍隊なのだから、命令と言われてしまっては、児玉も従うしかない。
「迪子、戻るよ。」
一声かけて児玉は上昇に転じる。
編隊に復帰した児玉は、改めて申告する。
「栗田少尉、左前方にネウロイらしき目標を視認しました。接近降下して確認します。」
それに対して栗田少尉の反応はあっさりしたものだ。
「許可します。」
なんだそれだけかと、児玉は拍子抜けだ。わざわざ呼び戻すから何があるのかと思ったが、士官が指示を出してそれに従って部下が動くという、言ってしまえば形式を整えるためだけだったのか。そりゃあ確かにそれが原則だし、今は原則を守れないほど危急存亡の時というわけではない。だから栗田少尉は正しいのだし、文句を言う筋合いなどないのだが、前の部隊では何かに気付くなり動き出して、動きながら報告するのが常で、それが習い性になっている児玉としては胸にもやもやしたものが残る。上官じゃなかったら、とろくさいこと言ってんじゃないよ、ぐらいのタンカは切りたいところだ。だが、上官と無意味な軋轢を起こして良いことなどないことくらい児玉にもわかる。児玉は文句を言いたいところをぐっとこらえる。
「了解しました。」
児玉は改めてネウロイらしき目標の確認に向かう。中野は今度も後に従う。児玉は不満かもしれないが、中野にとってはきちんと上官の指示を仰がなければならないことを実体験できて、案外良い教育になったかもしれない。
「どう? わかる?」
児玉の問いかけに、中野が目を見開いて探すと、なるほど荒野の一角に何やら黒い点のようなものが見える。最初は岩か、あるいは繁みかわからなかったが、近付くにつれてそれが紛うことなき地上型ネウロイであることがわかってくる。と言っても、中野はネウロイを見るのは初めてだ。漆黒の箱型の筐体から、左右に二本ずつ細長い脚が伸びていて、それを動かしながら進んで行っているのがわかり、これがネウロイというものだと知る。
「こ、これがネウロイですか?」
中野の少し震える声に対して、児玉はさすがに豊富な経験に裏打ちされて落ち着き払っている。
「そう、でもこれは地上型だからね。わたしたちにとってはそれほどの脅威じゃないよ。」
「そうなんですか? じゃあ他にどんなのがいるんですか?」
「他はねぇ・・・、うーん、まあいろいろだよ。」
細かく説明しだすときりがないので児玉はあいまいな返事を返す。でも、あまり詳しく説明するのもどうかという面はあるが、ここまで具体性がないと、あらぬ空想を呼んで新人たちに無用の混乱を招きそうだ。
「地上型ネウロイ1機を確認しました。攻撃します。」
児玉の報告に、栗田少尉から簡素な応答が返ってくる。
「了解。攻撃を許可します。」
あまり簡単な応答で、ぶっきらぼうとの感を抱かないでもないが、まだ実戦指揮の経験がほとんどない栗田少尉には、気の利いた言葉を加える術もない。そんなことは知らない児玉は、報告を要求しておいて注意喚起の一言もあるわけではない栗田少尉に、何とはなしに不満を覚える。しかしそんなことは些細なことだ。今は攻撃に集中しなければならない。
「迪子、爆撃するよ。」
「はい。」
「サポートするから迪子が攻撃して。」
「えっ? は、はい、了解しました。」
「大丈夫だよ、訓練通りにね。」
「はい。」
いきなりのご指名に動揺した中野だが、訓練通りと言われて、訓練通り、訓練通りとつぶやきながら態勢を整える。投下索を握れば、手のひらにじっとりと汗がにじんでいるのを感じて、慌てて軍服の裾で手のひらをぬぐって、投下索を握り直す。
「行きます。」
中野はネウロイめがけてぐっと降下角を深める。たちまち速度が乗ってきて、ネウロイの姿がどんどん大きくなってくる。ネウロイは4本の脚を蠢かせて前進しているようだが、高速で肉薄する中野から見れば止まっているのも同じだ。
「迪子、少し時間差をつけて2発とも投下して。」
「えっ? いいんですか?」
「実戦では余程のことがない限り確実に命中させることを優先するんだよ。」
「わかりました。でも・・・。」
「でも?」
「もし他にもいたらどうするんですか?」
「あはは、まあ正確に狙えば1発で破壊できるけどね。でも多分他にネウロイはいないから使っちゃっていいんだよ。それに万が一次のネウロイが出現したとしても、わたしも鈴江もまだ爆弾持ってるしね。」
「そ、そうですね。」
一発必中を目指す訓練と実戦との違いに、中野は戸惑うことしきりだ。
いよいよネウロイが迫ってきた。少し間隔をあけて児玉が続く。万万が一の飛行型ネウロイの出現への警戒と、もしも中野が外した時の2撃目に備えてのことだ。しかし、嫌という程訓練を繰り返した中野にはいささかの不安も感じさせないものがある。いよいよ投下高度だ。
「投下!」
中野が投下索をぐっと引く。一瞬でネウロイ上空を越えて、ぐっと引き起こして水平飛行に移りながら退避する。教科書通りの見事な攻撃だが、中野本人は結構一杯一杯で、振り返って戦果を確認している余裕はない。
目も眩むような閃光とともに強烈な爆発音が響く。飛び散る砂塵に立ち上る黒煙、甲高い音を立ててネウロイが砕け散ると、破片がきらきらと光を反射しながら広がった。
「ネウロイの破壊を確認。」
児玉の冷静な通信が流れる。この落ち着きぶりからすると、中野が失敗するとは露ほども思っていなかったに違いない。
「了解。編隊に戻って。」
栗田少尉のぶっきらぼうな応答が返ってくる。緩やかに上昇しながら振り返った中野の目に、きらきら輝くネウロイの破片が散っていくのが見えた。
「これが実戦かぁ。」
なんだか全身がじんじんする。
「・・・、わたし、ネウロイを倒したんだ。」
思いもかけずにあげた初戦果に、ぎゅっと握りしめた拳に力が籠る。だが、今回上手く行ったからと言ってネウロイとの戦いを甘く見たら大間違いだ。中野の前途には、まだまだ果てしない困難が待ち構えているはずだ。