カッ、カッと軽やかな蹄の音を響かせながら、砂塵を蹴立てて馬が一頭走ってくる。御するのはまだ10代と見られる少女だ。馬の扱いには相当慣れているようで、巧みな手綱さばきで馬との一体感を見せながら疾走する。馬上の少女は扶桑人を思わせる黄色っぽい肌に整った顔立ちで、黒っぽい髪を風になびかせている。
丁度外で体操をしていた佐々木と中野が、基地に走り込んでくる馬を見付けた。
「ねえ迪子、馬が走っているよ。」
「うん、女の子が乗っているね。」
扶桑では馬に乗る習慣がないので、騎兵隊でもなければ人が馬に乗っているのを見ることは滅多にない。まして少女が馬に乗っているのを見ることなどまずないから驚きの光景だ。その少女はどんどんこちらに向かって馬を走らせて来る。そして目の前まで来るとぐいっと手綱を引いて馬を止まらせると、ひらりと飛び降りる。あまりに見事な一連の動きに、佐々木と中野は目を奪われて、思わず黄色い歓声を上げる。そう、ウィッチとして最前線で命をかけた戦いをしていても、本来は中学生の歳なのだ。娯楽の少ない辺境の町で格好良く馬を乗りこなす女性を見れば、銀幕のスタアを見るような気持にもなろうというものだ。
「君たちは噂の扶桑から来たというウィッチかな?」
その少女から問いかけられて、ちょっとどぎまぎしながら佐々木と中野は答える。
「はい、扶桑皇国海軍舞鶴航空隊アティラウ派遣隊所属、佐々木津祢子軍曹です。」
「同じく、中野迪子軍曹です。」
二人の答えに笑顔を返すと、その少女も名乗る。
「私はオラーシャ空軍第4航空旅団第116飛行連隊アクタウ小隊隊長のディリナズ・ドスパノワ上級中尉だ。」
そしてパチッとウィンクする。なかなか様になったその仕草に、佐々木と中野は胸がキュッとなる。およそ扶桑では見たこともない。もっとも、扶桑人が真似してみても野暮ったいだけになるのがおちだ。さすが欧州の人は少女のうちから格好良い。
「時に、隊長の所へ案内してくれるかな?」
浮かれ気味だった二人は、案内を請われてはっとする。そうだ、別に遊びに来ているわけじゃない。これも任務と思えば浮かれている暇はない。二人は慌てて気を引き締めて姿勢を正す。
「はい、ご案内します。」
二人は浮かれた反動か、やや緊張気味にドスパノワ上級中尉を安藤大尉の元へと案内する。
コンコンと隊長室の扉がノックされて、佐々木がまず入室してくる。
「失礼します。オラーシャ空軍の方がいらっしゃいましたのでお連れしました。」
安藤大尉が立ち上がると、ドスパノワ上級中尉が入ってくる。ドスパノワ上級中尉を見た安藤大尉は、意外の念を抱いた。オラーシャ人と言えば、金髪で青い目というのが典型と思っていたところが、扶桑人と言っても通るほど、典型的な亜細亜人の容貌だったからだ。もっともこれは安藤大尉の認識違いで、オラーシャは広大で多種多様な民族がいるので、外見の多様性は相当に高い。アティラウは欧州と亜細亜の境目に位置するが、ここに多く住むカザフ人は元来は蒙古系の人々なので、外見は亜細亜人の特徴を示し、ヨーロッパロシアに多い典型的なオラーシャ人とは異なっているのだ。
「お初にお目にかかる。オラーシャ空軍第4航空旅団第116飛行連隊アクタウ小隊隊長のディリナズ・ドスパノワ上級中尉だ。よろしく頼む。」
ドスパノワ上級中尉の自己紹介に、安藤大尉も応える。
「扶桑皇国海軍舞鶴航空隊アティラウ派遣隊長の安藤昌子海軍大尉です。ドスパノワ上級中尉とは、これまで手紙や通信はたくさんやり取りしていたけれど、お会いするのは初めてね。こちらもよろしく。」
挨拶を済ますと、安藤大尉はドスパノワ上級中尉に長椅子を勧め、佐々木達にお茶を淹れさせて一息ついてもらう。
「アクタウからここまで来るのは遠くて大変だったでしょう? ストライカーで飛んできたの?」
ドスパノワ上級中尉が答えようとすると、さっき見た雄姿から強烈な印象を受けた佐々木が、我慢できずに口を挟む。
「ドスパノワ上級中尉は馬を走らせてきたんですよ。すごくかっこいいんです。安藤大尉も一度見せてもらってください。」
「えっ? 馬で? そんな無茶な・・・。」
安藤大尉が驚くのも無理はない。アクタウとアティラウの間にはカスピ海が大きく張り出しているので、陸路では大きく回り込まなければならず、実に900㎞もあるのだ。馬を走らせて来られる距離ではない。ドスパノワ上級中尉が笑って答える。
「そりゃそうだよ。オラーシャ軍の基地まで飛んできて、そこで馬を借りたんだ。」
それでもそこで車ではなく馬を選ぶあたりがすごいと思う。
「それでもやっぱり恰好いいです。わたしたちなんて馬に乗れないのはもちろん、人が馬に乗っているのを見たこともありません。」
やたらと感心している佐々木だが、ドスパノワ上級中尉にすれば馬に乗ることは当たり前すぎて感心されるのも照れ臭い。
「私たちカザフ人は昔から遊牧生活を送っているんだ。だから家畜を追うのにも、移動するのにも、馬に乗るのは必須で、誰でも小さい頃から馬に乗っているんだ。だから、そんなに感心されても反応に困る。」
まだ言い足りなそうな佐々木だったが、ドスパノワ上級中尉は安藤大尉に向き直って本題に入る。
「今日わざわざ訪ねてきたのは、作戦支援の依頼と、打ち合わせのためだ。」
安藤大尉は、事前に一報入っているので黙ってうなずく。
「アティラウと北方のオラーシャ中心部を結ぶ街道で、軍需物資輸送のトラックがネウロイの襲撃を受けた。この輸送ルートが断たれると重大な支障が生じるので、速やかにネウロイを排除しなければならない。そのためにネウロイを探索し、撃破するための作戦を行う。その作戦を扶桑に支援してもらいたい。」
「あら、そんなことがあったなんて初耳だわ。北方は定期的に索敵をやっているのに見落としたのね。」
「いや、これだけ広大なんだから、侵入してきたネウロイをすべて発見するのは至難の業だ。扶桑隊が来るまでは、被害が出て初めて出動するような状況だったから、ずいぶん助かっているんだ。」
「そうなのね。それならいいけど・・・。」
安藤大尉としては、自分たちが見落としたのなら責任重大だと感じたが、特に問題とはされていないようなので、胸を撫で下ろす。
「それで、私たちはどういう支援をすれば良いのかしら。」
「うん、うちの隊員をこの基地に派遣するから、ここを拠点に作戦するための支援をして欲しい。それから、可能だったら出撃するときは護衛をしてもらえると助かる。」
「そう? それだけでいいの? 私たちでネウロイへの攻撃をしても良いわよ。」
「いや、どうせネウロイの数は1機か2機だろうから、そんなに大勢で攻撃する必要はないだろう。うちの隊員が攻撃に専念できるように、もしもの飛行型ネウロイの攻撃に備えて、護衛してもらえればいい。」
「わかったわ。それで、アクタウ隊のウィッチは何人来るの?」
「一人だ。」
「一人? それだけ?」
「アクタウ隊は私を含めて全部で3人しかいないんだ。カスピ海上の船舶の上空直衛もしなければならないから、一人出すのがやっとなんだ。」
「あら、それならこっちで引き受けてもいいのに。」
「輸送路の防衛はこっちの任務だからね。全部任せるわけにはいかないよ。護衛してもらえるだけで御の字だ。護衛があると安心感が違うから、ネウロイの探索に集中出るんだ。」
「うん、わかった。じゃあ護衛は責任をもって引き受けるわ。」
かくてネウロイ掃討作戦の協力体制が決まった。
それから数日、アクタウ隊のウィッチが飛来する。迎えに出た佐々木と中野は、ちょっとがっかりしている。今回も格好良く騎走する姿が見られるかと期待していたのに、普通にストライカーユニットで飛んできたからだ。しかし、ちょっと考えればわかるが、前回は打合せだったから馬に乗ってきても良かったが、今回はアティラウ基地を起点にネウロイ掃討作戦を実行するのだから、ストライカーで来なければ意味がない。着陸するウィッチを見ると、ドスパノワ上級中尉と同じように、やはり亜細亜系の顔立ちだ。ただ、ドスパノワ上級中尉より幾分彫が深く、目鼻立ちがはっきりしている印象だ。あるいは、同じカザフ人でもコーカサス系の血が濃いのかもしれない。それより目を引くのは背負った長大な銃だ。明らかに身長より長く、2mはありそうだ。あの長大な銃を使ってどんな戦い方をするのだろうか。新人二人の興味は尽きない。
◎登場人物紹介
(年齢は1947年4月1日時点)
ディリナズ・ドスパノワ(Dilnaz Dospanova)
オラーシャ空軍上級中尉(1929年5月15日生、17歳)
オラーシャ空軍第4航空旅団第116飛行連隊アクタウ小隊隊長
カスピ海東岸の町アクタウに置かれた対地支援部隊の隊長で、小型爆弾を使った地上型ネウロイの破壊に熟達している。夜間視の能力があり夜間爆撃もこなす。使用するユニットのラヴロフ設計局 La-7は、1850 魔力の出力で、最高速度597 km/h、実用航続距離635 kmの戦闘脚で、200 kgまでの爆弾も搭載可能。