オラーシャ南部のカスピ海上空を、1機の零式輸送機が北を目指して飛行している。カスピ海の南にあるペルシアのテヘランを発って、北岸にあるオラーシャのアティラウに軍需物資を輸送している途中だ。カスピ海は南北1,200キロもあるので、飛行機でも相当の時間がかかる。この飛行機には乗員5名と、輸送する物資に付き添う主計科下士官が搭乗している他、便乗者が2名乗っている。便乗者はいずれもまだ幼さの残る少女だ。セーラー服に身を包んで、長旅にいささか飽きが来ている様子で、でも幾分かの緊張感を漂わせながら、機内の座席にちょこんと座っている。軍の輸送機に便乗しているのだから、もちろんただの少女ではない。アティラウに開設された扶桑皇国海軍舞鶴航空隊アティラウ派遣隊に配属が決まり、着任のために移動中のウィッチだ。一人は清末晴江上等飛行兵曹、15歳、もう一人は児玉佳美上等飛行兵曹、13歳で、二人とも先日まで横須賀航空隊欧州分遣隊の一員として、カールスラント解放戦に参加しており、ベルリン解放に伴って欧州分遣隊の解散が決まり、新たな任地に向かっているところだ。
「あーあ。」
児玉が大きく伸びをした。狭い機内だが、小柄な児玉の事だから、伸ばした腕がどこかにぶつかる気遣いは特にない。ただ、操縦に忙しく便乗者を見ている暇のない操縦関係の人たちはともかく、物資輸送の主計科下士官の目があることに気付き、あわてて腕をひっこめ、姿勢を正して座りなおす。便乗して移動しているだけだといっても、軍務の最中なのだからあまりだらけた姿を見せるわけにはいかない。そんな児玉を見て清末がくすくす笑う。
「児玉、別に伸びくらいしてもいいんじゃないの?」
「いやだって、主計科の人が見てるから。だらけてると叱られちゃうよ。」
「えぇ? 伸びくらいで叱られないよ。訓練中ならともかく。ねえ、そうですよね?」
清末が主計科下士官に振ると、ちょっと困ったような表情を浮かべながら答える。
「あのー、二人は上飛曹ですよね。俺は一主曹だから、年はとってても二人の方が上官ですよ。上官を叱ったりはできないなぁ。」
「あっ、そうなんだ。でも上官って言われてもねえ。」
親子ほども年の違う主計科下士官に上官といわれても実感が湧かない二人は、顔を見合わせてくすくす笑う。あどけないその姿に、主計科下士官もふと和む。しかし、この二人はこれから最前線に行って命をかけて戦うのだ。それを思うと胸が詰まるが、主計科の身としては一緒に戦うこともできない。せめて、この子たちが不自由することのないように、前線への物資補給に努めるしかない。
輸送機はカスピ海の真ん中を飛んでいる。小さな窓から地上を見下ろすと、カスピ海の広さもさることながら、東側と西側の風景の違いに驚かされる。東側は平坦で薄茶色の乾燥した大地が広がっているが、西側は険しい山脈が延びていて緑に覆われている。
「西側から半島が突き出てるよね。あれってどこなんだろう? 一主曹さんは知ってますか?」
小首をかしげて尋ねる清末の姿が愛らしい。主計科下士官は、上官でもあることから可愛いと思ったことを表に出すわけにもいかず、ちょっとどぎまぎしながら答える。
「ええ、あれはアブシェロン半島です。このあたりの中心都市のバクーがあって、周囲には油田が広がっているので石油の生産で栄えています。」
物資輸送のために数えきれないほど行き来している主計科下士官はこのあたりに詳しい。一方の清末は、このあたりに来るのは初めてで何も知らないから、感心してうなずく。
「ふうん、そうなんだ。」
感心する清末に気を良くしたのか、主計科下士官が説明を追加する。
「近くには第505統合戦闘航空団が基地を置いていて、扶桑陸軍の支援のもとで、ネウロイの侵攻を防いでいるんですよ。」
「統合戦闘航空団かぁ。すごいなあ。わたしたちなんかとはレベルが違うんだろうなぁ。」
「でもでも、わたしたちだって第501統合戦闘航空団にいた宮藤さんに指導されてたんだから、そんなにひどく劣るわけでもないんじゃない?」
「児玉、あのね、考えてみなさいよ。統合戦闘航空団ってことは、宮藤さんみたいな人がいっぱいいるんだよ。」
「宮藤さんがいっぱい・・・、うっ、それは怖いね。」
宮藤から受けた厳しい訓練の数々を思い出し、児玉は表情をひきつらせる。
「それか、坂本さんがいっぱい・・・。」
「うっ、それも怖いね。」
坂本の、過酷な指示を出しながら高笑いする、その笑い声が耳に蘇ってくる気がする。
二人の内輪話には加われない主計科下士官は、二人の話が途切れたところで説明を続ける。
「アブシェロン半島のあたりから向こうに向かって伸びているのがコーカサス山脈です。最高峰のエルブルス山は5,600メートルもあって、欧州最高峰なんです。」
「5,600メートル! すごいね。ええと、扶桑最高峰の新高山は何メートルだったっけ?」
「えっ、そんなこと覚えてないよ。」
清末から振られても、小学校を出る前にウィッチ訓練学校に入った児玉は、一般教科の勉強はあまりしていないので、もちろん答えられない。それを、主計科下士官が引き取る。
「新高山は3,900メートルですよ。」
「そうか、じゃあ扶桑の山よりずっと高いんだね。」
「そりゃあそうです。こっちは大陸ですから、何もかもスケールが大きいです。」
二人も、この1年ベルギカやカールスラントにいて同じようなことを感じていたので、うんうんとうなずく。
「このコーカサス山脈が欧州と亜細亜の境になっていて、北コーカサスは欧州、南コーカサスは亜細亜に入ります。北コーカサスは未だネウロイの支配下にあって、コーカサス山脈の天険に依ってネウロイの南への侵攻を防いでいる状況です。」
上空から見下ろす分には、北コーカサスも南コーカサスもさしたる違いはないように見えるが、地上の状況は大違いということだ。
「あと、カスピ海を境に東側が亜細亜ですけれど、カスピ海が天然の要害になってネウロイの亜細亜への侵攻を防いでいます。カスピ海の北側は、今はボルガ川の線で対峙していますね。」
二人はうんうんとうなずく。もっとも、カスピ海は見ればわかるが、ボルガ川がどこにあるのかは知らない。
「今向かっているアティラウはウラル川の河口に開けた港湾都市です。近くで石油が産出するので、石油生産も盛んです。あと、カスピ海は漁業も盛んで、チョウザメの卵、キャビアはカスピ海産が最も良いと言われているんです。」
二人はにこにこして聞いているが、キャビアなど食べたことがないのはもちろん、見たこともない。北海道の天塩川にはチョウザメが遡上するというから、扶桑国内でお目にかかる可能性がないわけではないが、普通は見たこともない。アティラウに着任したら食べられるのかしら、等と思ってみる。
「カスピ海の北側はウラル川が欧州と亜細亜の境になっています。アティラウの町はウラル川の両側に広がっていますから、欧州と亜細亜にまたがる街なんです。」
すると、欧州と亜細亜を歩いて行き来できるのだろうかと、ちょっと不思議な感覚だ。もっとも、川などのはっきりした境界で区切られていない場所もあるから、それほど珍しいことでもない。
「アティラウは、オラーシャの中でもカザフスタンと呼ばれる地域の中にあります。カザフスタンとはカザフの国という意味で、カザフ人と呼ばれる亜細亜系の人たちが、古くから草原で遊牧をして暮らしていた地域で、カザフというのは突厥語で放浪者とか冒険者という意味なんだそうです。カザフ人は亜細亜系の人たちなので、見た目は扶桑人とよく似た人たちも多いんですよ。」
なるほど、見た目が近いと何となく親しみやすいかもしれない。遊牧民がどんな人たちなのかは知らないけれど、これまでいたベルギカやカールスラントといった国とは、また印象が違ってきそうだ。
北上するにつれ、カスピ海の東岸が大きく張り出してくる。マンギシュラク半島だ。ここには港湾都市のアクタウがあって、冬でも凍りつかないことから海上交通の要衝になっている。マンギシュラク半島を過ぎると再びカスピ海は幅を広げ、やがて北岸が見えてくる。目的地のアティラウが近付いてくる。長い旅路だったが、同乗していた主計科下士官がいろいろ説明してくれたおかげで、それほど退屈もしないで済んだ。アティラウはどんな所で、どんな人たちがいて、そしてどんな戦いが待っているのだろうか。二人は若干の不安を抱えつつも、新しい世界への期待に胸をワクワクさせながら、近付いてくるアティラウの町を見つめている。
◎登場人物紹介
(年齢は1947年4月1日時点)
清末晴江(きよすえはるえ)
扶桑海軍上等飛行兵曹(曹長)(1932年2月7日生、15歳)
舞鶴航空隊アティラウ派遣隊
新人の実戦教育のために設置された横須賀航空隊欧州分遣隊に配属され、欧州に赴く。ベルリン奪還作戦の支援を行ううち第一線での戦闘に巻き込まれ、ベルリン解放までの激戦を戦い抜いた。欧州での戦いを終えて帰国した後は、舞鶴航空隊に配属。欧州の戦場への派遣を希望し、カスピ海沿岸のアティラウに派遣され、防衛任務に就く。
児玉佳美(こだまよしみ)
扶桑海軍上等飛行兵曹(曹長)(1933年6月6日生、13歳)
舞鶴航空隊アティラウ派遣隊
新人の実戦教育のために設置された横須賀航空隊欧州分遣隊に配属され、欧州に赴く。ベルリン奪還作戦の支援を行ううち第一線での戦闘に巻き込まれ、ベルリン解放までの激戦を戦い抜いた。欧州での戦いを終えて帰国した後は、舞鶴航空隊に配属。欧州の戦場への派遣を希望し、カスピ海沿岸のアティラウに派遣され、防衛任務に就く。