ふと意識が戻った。ぼんやりと開いた眼には、立ち並ぶ木々が広げた枝々の間からのぞく空の青さが沁みてくる。白い雲がぽっかりと浮かんで、風に乗って流れていく。ぼおっとした頭で、なんだかのどかな景色だな、などと思ってみる。頭にかかった靄のようなものが徐々に晴れていくと、遠ざかっていた音が戻ってきた。空気を切り裂くような風切り音、連続する射撃音、断続する爆発音。
「まだ戦闘中だ!」
ようやく意識がはっきりしてきた佐々木は、自分の置かれた状況を思い出してがばっと身を起こす。
「ううっ、痛い。」
身を起こそうとすると体中のあちこちがひどく痛む。当たり前だ、あれだけ木の枝に叩かれた挙句、地面に落下したのだから。それにしてもまあ魔法力の身体強化の力はたいしたもので、あれだけの高さから墜落したのだから、途中で枝にぶつかって勢いが減殺されていたにしても、地面に激突した衝撃で即死していたっておかしくない。それが、全身に無数の打撲傷や擦過傷があるにしても、骨折もせずに五体満足でいられるのだから、魔法力の持つ力に心から感謝しなければならない。また、魔法繊維が編み込まれた軍服もたいしたもので、軍服で包まれた部分には打撲はあっても傷はない。
全身至るところの痛みに耐えて、だましだまし身を起こして周囲を見回せば、周囲には大木が立ち並んでいて遠くまでは見通せない。目に入る人工物は足元に転がっているストライカーユニットくらいのものだ。そして右のユニットは、空中でちらっと見た通り、被弾した箇所で大きくゆがんでいて、どう見ても再び動かすのは無理だ。左のユニットは幾分ましだが、めくれ上がった外板の隙間に折れた木の枝が突き立っていて、とても応急修理で動かせそうにはない。耳に入っていたはずのインカムは、どこかへ飛んで行ってしまったようで見当たらない。どうやら最後まで握りしめていたようで、機銃には目に付くような損傷がないのがせめてもの慰めだが、飛ぶのはどう見ても無理なのだから、仲間たちがまだ戦闘中だといっても、戦闘に復帰するのはあきらめなければならない。
「さて、どうやって基地に帰ろう? っていうか、ここどこ?」
アクタウ基地に派遣されたのが初めてなら、カスピ海を渡ってコーカサス地域に来たのも初めてで、土地勘が全くない。ここがどこで、どっちの方向に行けば味方の基地があるのか、見当もつかない。痛む体を抱えて、味方の基地をあてどなく探し回らなければならないのかと思うと絶望感しかない。
「ユニットは・・・、後で取りに来ればいいよね?」
置いたままこの場を離れたら戻ってこられる気がしないが、ストライカーユニットはかなり重いのだ。生産数が少なくて貴重なことも、非常に高価なことも、本国から改めて取り寄せるとなると相当の期間が必要になることもわかってはいるが、ちょっと今の状態で担いで歩き回れる気がしない。無くしたことを報告した時の清末の怒る顔が目に浮かぶようだ。
ずしん、と重々しい音がして、地面が揺れた気がした。
「えっ? なに?」
きょろきょろと周囲を見回すと、再び地響きがして木の梢がぶるぶると震えた。そしてその向こう側から、黒く硬質の何かがぬっと姿を見せると、地響きを立てて地面に突き立てられる。
「あれはネウロイ!」
木々の陰から姿を見せたものは、地上型ネウロイの脚部にそっくりだ。続いてめきめきと音を立てて太い木を押し倒しながら、地上型ネウロイの本体が姿を現した。
タタタン、タタタンと反射的に機銃を連射する。機銃弾が命中するとネウロイの装甲が砕けて、破片が光を反射しながら散っていく。しかし、すぐに反撃のビームが来た。
「わっ!」
佐々木は慌てて身を伏せる。ビームが近くの地面に命中して盛大に土砂を振りまいた。すぐに次のビームが来て、今度はもっと近くに着弾して頭から土砂を浴びせかけられた。一か所に留まっていては危ない。ぱっと地面を蹴ると、大木の根方に身を潜める。ビームが一撃で大木を薙ぎ払い、倒れた幹が地響きを立てる。
「これでもくらえ!」
一方的にやられてばかりはいられない。佐々木は折られた木の陰から機銃をネウロイに向け、断続的に機銃弾を叩きこむ。即座に反撃のビームが来て、すぐ近くに着弾する。爆風で息が苦しい。やり返そうと構える間もなく、別の方角からもビームが来た。ネウロイは1体ではないらしく、それが集中して自分を狙ってきている。
「だめだ。銃撃すると位置が特定される。」
撃てば撃つほどビームが自分の所へ集中してくる。これではとても戦いにならない。とにかくこの場を離れようと、佐々木は身を低くしてネウロイから離れる方向へ走って逃げる。と、正面の木々がめきめきと押し倒され、新手の地上型ネウロイがぬっと顔を出す。近い。佐々木は咄嗟に自分の体を地面に叩き付けるように身を伏せる。
「無理だ。走って逃げるのなんか無理だ。」
素早く身を伏せたつもりだが、正面近くのネウロイは自分に気付いただろうか。少なくとも他に左やや後方と、ほぼ真後ろにネウロイがいて、自分を追ってきている。このまま囲まれてネウロイの餌食になるしかないのか。撃ち落されてもそんなに酷い怪我はせず運が良かったと思ったが、どうやらその幸運もここまでらしい。インカムはどこかに行ってしまったから、助けを呼ぶこともできない。森の中に落ちたから、上空からでは今いる場所を特定するのも難しかろう。孤立無援の中、ネウロイに囲まれてもはや逃れる術もなく、絶体絶命のピンチだ。地響きが近くなってきた気がする。
「お父さん・・・、お母さん・・・。」
もう二度と両親にも会えない。両目から自然と涙があふれてくる。戦死の報を受けて、両親は何て言うだろう。せめて名誉の戦死と褒めてもらいたい。
不意に甲高い破壊音が響き渡る。はっとして顔を上げれば、間近に迫っていたネウロイが今しも崩壊しているところだ。
「えっ? どうして?」
目を丸くする佐々木の耳に無限軌道のきしむ音が響く。
「もう一丁!」
掛け声と同時に砲声が響く。ネウロイが近くまで迫っていたので、発砲音の直後に着弾する。続けて砕け散ったネウロイの破片が佐々木の頭上に降り注ぐ。
「わっ、わっ。」
破壊されたネウロイが近いせいで、降り注ぐ破片はまだ細かくならないうちに落ちてくる。もしも当たったらただでは済みそうにない。ストライカーユニットを穿いている時のように華麗に回避することもできず、ごろごろ転がって破片を避ける佐々木は泥まみれだ。
そんな佐々木を尻目に、陸戦ユニットを穿いた一人のウィッチが、木々の間を縫うように走る。余程のベテランなのか、ちらりと振り返って佐々木を見た横顔には、これだけの数のネウロイを前にしていながら余裕が感じられる。陸戦ユニットの側面には太陽と月のマーク、扶桑の陸戦ウィッチだ。佐々木は海軍だから、陸戦ウィッチは初めて見た。地面を蹴立てて走る陸戦ウィッチは、速度は飛行するのに比べればずっと遅いはずなのだが、それを感じさせない機敏な動きでネウロイのビームを回避しながら見る見る肉薄して行く。また発砲、そしてネウロイが破壊される。あれよあれよと見守るうちに、視界内にネウロイは見当たらなくなった。
「やあ、大丈夫? でもこんなところに人がいたからびっくりしたよ。」
戻ってきた陸戦ウィッチが声をかけてきた。佐々木は泥まみれのまま慌てて姿勢を正す。
「はいっ! 危ないところを助けていただきありがとうございました。」
「いやあ、別に君を助けに来たんじゃなくて、攻め込んでくるネウロイを撃退しに来たら、たまたま君がいただけんだけどね。」
「いえ、それでもありがとうございます。私は海軍なので、陸戦ウィッチの方は初めて見ました。わたしも戦ったんですけれど全然歯が立たなくて・・・。それをあっという間にやっつけちゃうなんて、凄いです!」
興奮する佐々木に陸戦ウィッチはちょっと照れた風だ。
「まあ、経験は積んでるからね。でもわたし、陸軍だけど陸戦ウィッチじゃないよ。」
「え? というと・・・?」
「わたしは、原隊は扶桑皇国陸軍飛行第50戦隊で、連合軍第505統合戦闘航空団、ミラージュウィッチーズ所属の犬房由乃准尉だよ。もう21歳で飛ぶのがきつくなってきたから、今日は昔使ってた陸戦ユニットで出てきたんだ。」
「あっ、空でも陸でも戦えるんですね。凄いです。そうだ、わたし名乗っていませんでしたね。私は扶桑皇国海軍舞鶴航空隊アティラウ派遣隊所属の佐々木津祢子軍曹です。オラーシャ軍のアクタウ基地に応援に来ていて撃墜されました。」
「あはは、撃墜されちゃったんだ。でも大した怪我がなかったみたいで良かったね。でもどろどろだね。一度基地に帰った方がいいなぁ。」
「あ、はい、お世話になります。」
ぴょこんと頭を下げた佐々木だったが、正直なところ、もう立っているのも難しいほどふらふらだ。絶体絶命と覚悟を固めた、その緊張が急激に解けてきて、安心のあまり意識が遠のく。しかし、犬房の次の言葉で意識を引き戻される。
「部隊にはもう報告した?」
「あっ、そうでした、インカムがどこかへ行ってしまったから、まだ報告できていないんでした。」
「そうなんだ。じゃあわたしが連絡してあげるよ。報告は大事だよ。前に撃墜されて報告が出来なかったとき、戦死扱いになってたことがあるからね。」
「ええっ? 戦死になるのは嫌です。お願いします。」
勢いよく頭を下げた拍子に、背中がずきっと痛む。
「ううっ、痛い。」
「ああ、気を付けてね。しばらくは痛むと思うよ。」
はい、と答えて頭を下げながら、佐々木は今日は随分色々なことがあったと思う。まるで1日で1年分の経験をしたような気がする。まあそれでも、こうして一応無事でいるのだから、やっぱり自分は運が良かったのだろう。