扶桑海軍は5分前行動が基本だ。だから朝は総員起こし5分前に号令がかかり、総員起こしの号令がかかるまでの5分間はじっと寝床の中で待機して、号令がかかると同時に跳び起きて、素早く寝床の片づけや着替えを済まさなければならない。もし事前に準備が必要な場合は、5分前までに全て済ませて、5分前になったら寝床に入って待機しなければならない決まりだ。はるかオラーシャのアティラウ派遣隊といえども、扶桑海軍の基地である限りこの原則に変わりはない。
ところが、この基地にはウィッチが3人しかおらず、支援部隊にも女子の配属がないので、ウィッチの宿舎は文字通り3人だけしかいない。その結果、自分でやらなければ5分前の号令をかける人がいないのだ。児玉がつぶやく。
「総員起こし5分前の号令ないね。」
「そりゃそうよ。号令する人がいないもの。あんたがやればいいじゃない。」
「総員起こし5分前。」
寝具にくるまったまま、呟くように号令をかける児玉に、清末がくすくす笑う。
「児玉、それでいいの? やり直し、とか言われちゃうよ。」
「大丈夫。宮藤さんはそんなことには厳しくないから。」
「いや、もう隊長は宮藤さんじゃないから。」
「ああそうか。でも安藤大尉も優しそうだったから大丈夫だよ。」
「まあそうだね。」
もし号令をきちんとかけるべきだと考えていたら、交替で号令をかけるように指示があっただろう。それがなかったということは、安藤大尉もそんなに杓子定規には考えていないということだろう。
起床喇叭が鳴った。
ぱっと跳び起きるとさっと軍服に着替え、素早く、しかし丁寧に毛布をたたむ。ウィッチ訓練学校にいたときは、寝具をきっちりとたたんでいないと全部ひっくり返された上でやり直しを命じられたものだ。今は点検に来る人はいないが、過去の訓練の成果できれいに畳む習慣が身についている。ざっと顔を洗うと、前庭に駆け出す。他の兵舎からもばらばらと兵士たちが駆け出してくる。部隊ごとに整列すると、恒例の海軍体操だ。こんな辺境の砂塵舞う基地でも、腕を振り、足を上げ、一糸乱れぬ体操が行われている。基地はオラーシャ軍の基地の一部を借りて使っているから、同じ敷地内にオラーシャ軍の兵士もいる。オラーシャ軍では朝の体操はしないのだろう、ちょっと珍しいものを見るような目で、遠巻きにして見ている。体操をしながらちらっと見てみると、オラーシャの中でもカザフ人が多く住むこの土地では、欧州分遣隊の時に出会ったオラーシャの人たちとは、肌の色が肌色っぽかったり、顔の彫りが浅かったりと、見た目が違うようだ。
朝食を済ませて、姿勢を正して軍艦旗掲揚に臨めば、今日の課業開始だ。隊長室へ行くと安藤大尉からの説明がある。
「昨日も話した通り、ネウロイとはボルガ川の線で対峙していて、わたしたちの任務はボルガ川を越えて侵入してきたネウロイを撃破することです。ボルガ川がカスピ海に流れ込むあたりに開けているのがアストラハンの町で、ネウロイと対峙する前線基地になっています。ただ、町は度重なるネウロイの襲撃でほぼ廃墟になっていて、オラーシャ軍の前線基地があるだけです。なお周辺には他にこれといって有力な拠点はありませんから、くれぐれも不時着するようなことのないように気を付けてください。不時着した場合、これといって目印になるようなものがない上、近くに拠点があることは期待できないから、救援はまず来ないと思ってください。」
「はい。」
答えながら清末は思う。不時着したら救援はほぼ見込めないという意味では大変だが、少なくともネウロイ支配地域ではないのだから、そういう意味では安全だ。思えば、欧州分遣隊にいたときは、ネウロイ支配地域に深く進攻を繰り返していたから、もし不時着したらすぐにネウロイが襲ってきて、まず生きては帰れないような状況で、ずいぶん過酷な環境で戦っていたものだ。それに比べれば、こんな環境でもずっとましというものだ。
「アストラハンまでの距離は350キロで、その間は概ね砂漠地帯です。北側は半砂漠地帯で、乾燥した大地にわずかな植物がみられる程度の状況です。だから、上空からでもネウロイの発見は比較的容易ですが、岩陰に潜んでいたり、砂をかぶって偽装していたりすることもあるので、注意深く哨戒する必要があります。ネウロイを発見したら確実に撃破してください。」
安藤大尉の説明に、児玉が、はいはい、と手を上げて質問する。
「出現するのは地上型ネウロイだけですか? 飛行型ネウロイは出現しないんですか?」
児玉の質問に、安藤大尉は曖昧に微笑んで答える。
「うーん、それはね、わたしも着任して日が浅いから良くわからないんだけど、オラーシャ軍からの情報では飛行型ネウロイは殆ど出現しないってことよ。」
だが、その情報は清末には疑問だ。監視所が少なくて、飛行型ネウロイが侵入してきても気付いていないだけなのではないか。
「アストラハンは繰り返し襲撃されて廃墟になっているってことですけど、地上型が繰り返し襲撃してきて廃墟になったのなら、とっくに占領されてるんじゃないですか? 飛行型の襲撃だから廃墟になったけどまだ占領されていない気がするんですけれど。」
清末の意見に安藤大尉もうなずく。
「それもそうね。飛行型ネウロイも警戒するべきでしょうね。そうすると、哨戒に行くときはみんな機銃も持って行った方がいいわね。」
安藤大尉の答えに、清末は違和感を覚える。
「あの、機銃を持って行った方がいいって、機銃を持って行かないことなんてあるんですか?」
「ええ、地上型ネウロイを攻撃するには爆弾を使うから、機銃は持って行かなくていいのよ。」
事もなげに答えた安藤大尉に、清末は驚きを隠せない。
「えっ? 爆弾ですか? わたしたち爆弾って使ったことないんですけれど・・・。」
「あら、爆撃をしたことないの? じゃあ訓練が必要ね。」
「は、はい。」
欧州分遣隊の時は、地上型ネウロイも銃撃で撃破していた。だから爆撃はやったことがない。ウィッチが爆撃をするのを見たことはあるが、それは爆撃専門のウィッチだった。機銃なら地上型相手でも飛行型相手でも使えるから機銃の方がいいのにと思うが、隊長の指示とあっては従うしかない。
そこで早速爆撃訓練となる。格納庫内のストライカーユニットの脇には爆弾が並べられている。清末と児玉は爆弾を間近に見るのは初めてなので、まじまじと見つめる。黒光りする爆弾は、大きいものと小さいものがある。
「こんな大きいの抱えて飛べるのかな?」
児玉が不安げに呟くが、安藤大尉は慣れているのか何の不安もないようだ。
「大きい方が60キロ通常爆弾、小さい方が演習用爆弾よ。地上型ネウロイは堅固な装甲で覆われているけれど、60キロ爆弾で十分破壊できるわ。」
「ええと、地上攻撃ウィッチはもっと大きい爆弾を使っていたような気がするんですけれど。」
「そうね。地上攻撃ウィッチなら250キロ爆弾を装備できるわね。でも私たちの零式艦上戦闘脚では250キロ爆弾を装備するのは、搭載量の重量制限の関係でちょっと難しいのよ。それに、60キロ爆弾でも十分強力なのよ。地面なら深さ2メートル程度の弾痕ができるし、鉄筋コンクリートの建物なら3層を貫通する威力があるのよ。普通のネウロイなら一発で粉砕できるわ。」
なるほど、機銃とは比較にならない威力で、地上型ネウロイに対しては効果抜群というわけだ。しかし自分たちがそれをやるとなると話は別だ。果たして自分たちに爆撃などできるのだろうか。もちろん爆弾を持って行って落とすだけならできそうだが、正確に狙って命中させるとなるとまた別だ。不安を感じた清末が、隣の児玉の方を見やると、やはり不安そうな表情を浮かべていた。