「せぇのっ!」
ドボン!豪快に水柱が上がった。天津風と照月の二人が鬱憤を晴らすために磯風を風呂に投げ入れたからだ。
意識がない人間を風呂に投げ込むなど殺す気でもあったのか疑いたくなるが、さっきまでこいつのせいで針の筵に正座させられていたのだからやむなしである。
ついでにいえばまだ磯風がやらかした尻拭いもしなければいけないのでこれぐらいは大目に見てもバチは当たらないだろう。
「さて、そういうわけで厨房まで来たわけだけど・・・」
「何この臭い・・・」
厨房のドアは閉まっているのだが、いざ前に立つと酷い異臭がする。例えるなら頭にガツンと来るやけに甘ったるい臭いなのだが。
「あれ、どうしたの?長10cm砲ちゃん」
照月の艤装でもある長10cm砲ちゃんが照月に何かを伝えようと手をワタワタさせている。同様に天津風の連装砲くんも異変を感じ取ったのか主に警告を出している。
「え・・・・・・青酸ガス?」
まさかの毒ガスが発生しているらしい。これでは厨房に進入することができない。
「どうしよう・・・」
「ココアさんの所に行ってみる?」
パラオの工廠で日夜某工作艦や某軽巡洋艦の様に何かしらの開発を行っている彼女なら防毒マスクを持っていても不思議じゃない。時刻はすでに十時を回った。急いでガスの発生源を封印しないと昼食の用意が遅れてしまう。
「そうね。連装砲くんにはここで誰も近づかないように見張っていてもらいましょう」
「長10cm砲ちゃんも一緒にいてあげてね」
(任せろ!)
(蟻んこ一匹近寄らせねぇよ)
「それに司令官にも報告しておきましょう」
「そうだね。それじゃ、ちょっと行ってくるからよろしくね」
二体ともやる気満々のようで主人たちが見えなくなると、とりあえずドアの前で陣取るように座り込んだ。しかし、時刻はまだ昼前。昼食の用意をするには早く、通り過ぎる人影すらない。そうなれば暇になるので世間話をして時間を潰すことにした。
(なあ、相棒)
(ん?)
(ふと思ったんだがよ。換気扇回せば毒ガス抜けるんじゃね?)
(俺たち艤装だからガスは効かないしな)
(誰も来ないし換気をするだけだったら直ぐ終わるだろうし)
(ちゃっちゃとやれば問題ないな。よし、行こう)
そう言うと二体は持ち場を離れて厨房内に足を踏み入れた。
厨房内は電気が点いていないから薄暗いが、隣接している食堂から明かりが漏れてきているからそこまで暗いとは思わなかった。二体が厨房内を探索しているとコンロの上で発光している鍋を見つけた。
これが原因だ。蓋の隙間からガスが漏れだしたのだろうが、怪しく光る鍋に近寄りたくはない。
とにかく換気扇を回そう。それでさっさとここから脱出しよう。そう思って換気扇のスイッチに手を伸ばしたところでふと気が付いた。
隣接している食堂の電気が点いている。
口うるさい駆逐艦がいるので人がいないときはこまめに電気を消すように言われているのに明かりが点いているということは・・・。
(相棒!)
(お、おう!)
元凶はこの際放っておくとして、まずは人命救助だ。急いで厨房と食堂を隔てるカウンターを飛び越えた先には真っ黒なレインコートを着た小柄な女性が机に突っ伏していた。
食堂にて艤装達が声にならない悲鳴を上げている頃、執務室では一人の男が書類を書き上げていた。
名は赤座 洋。長身の痩せ型で長い白髪と緋色の目をしているため幽霊やオバケみたいな印象を与えている。しかし誰よりも正義感に溢れ性格をしていたからかこの泊地に居る皆からはそこまで悪い印象は持たれていない。
ただしこの男、軍属ではない。かつては大本営にもその名を轟かせた提督であったがとある事件を引き起こし、現在はここパラオに数名の艦娘たちと亡命してきたのだ。
そんな理由があるものだからこのパラオ泊地では基本自給自足。足りない物資は近辺で横行している海賊や深海棲艦を襲って強奪。最早どっちが悪党だかわからないことをしている。
ただし現地の人には決して手は出さない。今書き上げている書類も近々行う漁の護衛任務に関する書類だ。
「メンバーはどうしたものか。レックスやヲリバーは何でかわからないけど人気がある。野分は何かしらの大物を獲ってきそうだし。この三人は確定としてまとめ役を誰にするか・・・」
まとめ役といえば現在哨戒に云っているあの娘が適任ではあるが、最近休みを殆ど取っていないから別の誰かに頼んでみようか。そう思案していると机の上にある無線機から反応があった。
『こちら哨戒中の旗艦・霞です。本部応答願います』
「こちら本部。何があった。どうぞ」
『任務中に所属不明の艦娘を発見。状態は大破。意識もありません』
捨て駒ならぬ捨て艦にでもされた、か。轟沈さえしていなければまだ入渠ドッグに入れられれば一時は凌げるだろう。
「本部了解。まだ付近に敵性艦が残っているかもしれない。僚艦には索敵を厳に―――」
『それなんだけれど、今僚艦がいないの』
「・・・え?」
数刻前にドッグで起こった大ゲンカを知らない司令官は頭が真っ白になっていた。
僚艦には磯風や天津風に照月と武闘派なメンバーで組ませてはいたが、まさか哨戒中にはぐれたのか?それよりも負傷者がいながら僚艦がいないのは危険すぎる。敵に狙われたら反撃もまともに出来やしない。
「今の座標を教えてくれ。援軍を向かわせる」
『今パラオの南東に3千程の地点よ』
「ところで磯風たちはどこに行った?無線は通じているのか?」
単艦で出撃させた覚えはない。一人での出撃は轟沈の危険もさることながら捕虜にされる危険もある。相手が紳士ならまだしも涼しい顔をして拷問にかけるド外道であればあの時の二の舞になりかねない。
「応答してくれ、霞。磯風たちは何処にいるんだ!」
しばらく沈黙が続いたがため息が一つ聞こえた後に霞は言った。
『磯風なら今頃湯舟の底でしょうね』
「湯舟?」
予想外の返答に思わず聞き返したところでノックする音が聞こえた。
「し、失礼します!」
ドアの向こうから現れたのはガスマスクを付けた不審者二名。ただ、着ている制服と声からおそらく天津風と照月だとは思うが何故そんな物騒なものを装着しているのか。
「厨房で毒ガスが発生しました」
「主犯は現在入渠ドッグにて気絶中です」
「・・・わかった。くれぐれも被害が拡大しないように注意してくれ」
毎度の事なのですべてを察した指揮官は頭を抱えながら二人に指示を出した。要はまた磯風がやらかして霞がキレて天津風と照月が後始末をさせられたんだろうと。
「大鳳とヲリバーを向かわせる。天津風と照月は泊地に残っている全員にガスマスクを配れ」
「「御意!」」
二人は敬礼後急いでまた工廠へと駆けて行った。
『ねえ。磯風を解体しない?こんな事件一度や二度じゃないのよ?』
「気持ちはわかるが冗談でもそんなことを言うな。こんなくだらないことで解体なんぞしたくはない」
既に犠牲者が一名出ているのでくだらないというのは失礼かもしれない。しかし今その被害者の存在を知っているのは連装砲くんたちしかいないので仕方がないことである。
「ドッグの手配はこちらで済ませておく。応援はすぐ向かわせるからそれまで耐えてくれ」
『了解!』
赤座は通信を切ると足早にドッグに向かった。
「高波はいるか?」
ドッグに到着早々、赤座は泊地で医療チームの主任をしている高波の姿を探していた。
「こ、ここにいるかも、です!」
棚の陰からひょっこりと小柄な少女が顔を出した。彼女がこのパラオ泊地で衛生を一手に任されている高波である。
「もうすぐ霞が負傷者を連れて帰還する。修復材とベッドの用意を頼む」
「わかりました!」
「それともう一つ。磯風が毒ガスを発生させやがったから急患が来るかもしれん」
「ま、またかも・・・です!?」
ちなみに今月に入ってからもう三回目だったりする。半月も経っていないのに。
「あ、それでさっきまで磯風さんがドッグで気絶していたんですね?」
「ああ、そうだ。まだドッグで伸びているのか?」
「もう大丈夫そうだったので医務室に寝かせているかも・・・です」
毎回半殺しの目に遭っているのに懲りないというか。いい加減に学習してほしいものだ。こうなれば次の演習はとびっきり過酷な演習にしてやろうか。
「先生~!急患でーーーーーーす!!」
盛大にため息をついたところで天津風と照月が誰かを運んできた。急患ということは運悪く厨房か食堂に居たせいで毒ガスの被害を受けたようだ。
「レックスさん!?だ、大丈夫です!?」
レックス――見た目は深海棲艦のレ級だが、何の因果かパラオに住み着いてしまった深海棲艦の一人だ。ちなみに他にも何人かいて先程霞の救援に向かったヲリバーも空母ヲ級である。
そして肝心のレックスだが白目をむき口からは泡、時折ビクンと痙攣を起こしている。
「意識はないですが、かろうじて死んではいません。応急処置をしますので、皆さんは退室してくれると助かるかも、です!」
「わかった。俺はココアの所にいるから何かあったら直ぐに呼んでくれ」
「私たちはまた厨房に戻りますね・・・」
「どこをどうすれば青酸ガスなんか発生させられるのよ・・・」
「すまないな、二人とも。あの弩阿呆が目を覚ましたらきつく言っておく」
その後目を覚ました磯風は釈明した。
『ブルーベリージャムを作っていただけだ』
と。
本当はすごい娘なんですけどね、磯風。いずれはちゃんと活躍する機会は作ってあげるつもりです。
ちなみにレックスとヲリバーはフラグシップです。メチャクチャ強いですが霞に一撃で落とされます。
それではまた次回。