空が低い。雲がとろい。地上の果ては容易く見え透き、海の底は失望する価値も無いほど浅い。
とある高層ビルの屋上に少年は寝転がっていた。高い所が苦手でない者でもつい腰が引けてしまいそうなビルの縁に足を投げ出して空を仰ぐ。屋上へ出る扉は固く施錠され、近くにこのビルほど高い建物は無い。全面ガラス張りの建物の屋上へ一体どんな方法で彼がここにこれたのか、誰も知る由もない。
色素の抜けた白い髪。病的なほど白い肌。身長は高いが線は細く、例えるなら透明色の人間だった。影が薄いという意味ではない。むしろ逆で、異様に尽きるその風貌は一際他者の目を惹くことだろう。
「――――――――」
唐突に彼は目を開いた。赤い瞳。
上体を起こす。
地上数百メートルの縁に平然と身を乗り出す少年の端正な鼻が一度、二度と動く。
「…………」
屋上から眼下を見下ろし、彼は薄く笑った。口端をほんの僅か吊り上げる微笑。
徐々に少年の上体が前へ傾斜する。即ち足場の無い宙空へ。
それは止まらず、傾き、傾き、傾き――――……。
少年の姿がビルの屋上から消えた。
★
武偵。
年々増加する凶悪犯罪を警察組織だけでは対処出来ず生まれた資格であり職種。武装の許可。逮捕権など、犯罪者を取り締まるため与えられる権限は様々ある。
ただし国家公務員である警察と決定的に違うことがある。武偵はあくまで資格に過ぎず、誰かが依頼し、それを受けて初めて動く。彼等は報酬によってのみ働くのだ。
故に、武偵法が許す限りどんな手段も選ばず、正義の味方というよりは便利屋としての印象が強い。
そんな超法規的措置で生まれた武偵を育てる機関がある。東京。レインボーブリッジ南に浮かぶ長方形の
★
遠山 キンジは後悔していた。朝、メールチェックにかまけてマヌケにもバスを逃してしまったことを。仕方なしに乗った自転車のチェックを怠ったことを。しかし何よりも後悔するのは、
――――未だ武偵などというものにかかずらっていることだ。
割りと最近まで世間を騒がせていた凶悪犯がいた。その名も『武偵殺し』。
名前の通り武偵を狙った連続爆弾魔であり、遂に一人の武偵を船もろとも沈めた。
しかし、犯人は捕まった。だからキンジも気を抜いていた。いや、たとえ捕まっていなくとも、
そう、彼の自転車に爆弾は仕掛けられていた。
爆弾は一定のスピードに達すると始動し、以降速度を落とすと爆発する。ご丁寧に途中で降りられないようにセグウェイなどという懐かしい乗り物にUZIなんて物騒な機関銃を取り付けたものを並走させて。
『武偵殺し』はすでに逮捕されている。ならばこれはその模倣犯だとキンジは考えた。
だからなんだ。そんなことがわかっても何も解決せず、ただ無為に終わりのない自転車マラソンをさせられていたとき
建物の屋上から身を呈して自分を助けてくれた少女。ピンク色のツインテール。気高い光を宿したカメリア色の瞳。おそらく高校生の自分より下の中学生であると思われる小さな女の子。
不安定な空中でありながら見事な銃捌きであっという間に機関銃装備のセグウェイを破壊するとパラシュートを開いて少女はキンジを掻っ攫っていった。
殺しきれなかった勢いに爆風まで相俟って転がった先はどうやら学校の倉庫だった。
半ば飛んでいた意識が覚醒して、キンジはどうやら自分がなにかとてつもなく柔らかい物に包まれていることに気付いて。
(ああ、畜生……)
心底キンジは後悔した。
朝、バスを逃したことを。自転車のチェックを怠ったことを。さっさと武偵を辞めなかったことを。そして、
体が熱くなり、意識が遠退く――――……。
★
アリアはもうわけがわからなかった。
どうやら自転車に爆弾は仕掛けられているらしく、彼は必死の形相でペダルを回していた。
ため息が一つ。
それは服装から察するに、仮にも同業者である少年があんな見え透いた仕掛けに気付けなかったことへの落胆。
だが次の瞬間少女の頭の中で巡っていたのは少年を救う方法だった。少年を見捨てて犯人を追うなど、彼女の中では選択肢にすら出なかった。
武偵憲章一条。仲間を信じ、仲間を助けよ。
それが彼女にとって当たり前のことだったから。
そうしてなんとか少年を救い出したはずだったのだが、思うようにスピードを殺せず少年と絡み合うように地面を転がり、挙句爆風に吹き飛ばされてしまった。
不覚にも短い時間意識を失っていたアリアが意識を取り戻すと、なんと助けたはずの少年が服を脱がしているではないか。しかも顔を埋めている。
まさか爆風に巻き込まれてどうやってかわからないが飛び込んだ跳び箱――――防弾性――――の中で、まさか偶然服がずり落ちて、偶然胸に顔を埋めていただなんてあり得ない。
この男は見た。触った。自分の胸を。下着を。胸を! 胸を!
羞恥と怒りで頭が真っ白になる直前、再び先ほどと同系統の玩具がわんさと現れた。数は七。一斉にこちらへ機銃を向ける。
辛うじて平静を取り戻したアリアは防弾性の跳び箱にそのまま身を隠しながら応戦していたはずなのだが、急に静かになった少年に不審がる。今度はパンツでも見ていたなら、奴等より先に風穴を開けてやると決めつつ。
「やったか?」
急に尋ねてきた。
一時的に押し返しただけ。またすぐに攻撃は始まると答える。
「強い子だ。それだけでも上出来だよ」
「え? ――――きゃ!?」
どこか雰囲気が変わったことを不思議に思うより先に、少年はアリアを抱き上げた。背中を支え、膝裏から足を抱き上げる――――所謂、お姫様抱っこ。
「ご褒美だ。お姫様」
「!!!??!?!?」
状況を理解するより先に気障ったらしいセリフが降り注ぐ。それで余計に困惑するアリア。
急変した雰囲気に面食らっている間に、彼はあまりにも堂々と建物の外へ出て行ってしまう。
アリアを守る。――――そう言って。
その後の光景はさらに信じ難いものだった。七のラジコンセグウェイに真っ向から立ちはだかった少年は、完全に弾道を見切って銃弾を躱す。それだけでなく彼女の目を持ってしても霞むほどの
「大丈夫だったかい、子猫ちゃん」
思わず呆然としていたところへ少年に声をかけられてハッとする。――――というか誰が子猫ちゃんだ。
「あ、あんな玩具! わたし一人でなんとか出来た。ホントよ!?」
決してそれは彼女の強がりではない。あんな簡易遠隔兵器、たとえ一人でもアリアなら破壊することは可能だ。彼女は世界でも有数のSランク武偵。それも
だが、そんな彼女でさえ目の前の少年ほど圧倒できる自信はなかった。彼の実力は……認めたくはないが自分と同等、もしくはそれ以上だ。
(一体何者なのよ……この変態)
爆風に煽られたときか、スカートのチャックが壊れて手こずっていると彼は何も言わず自分のベルトを投げて寄越した。一瞬迷うもそれを使って応急処置でスカートを止める。
それでようやく人心地つくも、すると先ほどの出来事が再燃する。
「こ、こんなことで誤魔化そうたって駄目なんだからね! アンタ、わたしが気絶している間に服を脱がして……む、胸をさ、さわわわわわっ!!」
「それは悲しい誤解だよアリア」
「気安くファーストネームで呼ばないでよ!」
そんなじゃれあいをしていて気付くのが遅れた。コンクリートを転がる車輪の駆動音に。
「「!?」」
二人が揃って気付いたときには再び機銃を備えたセグウェイが横一列に展開していた。
(しまった……っ)
もう敵はいなくなったと思って気を抜きすぎた。今アリア達は建物からも出てしまっている。先ほどのように遮蔽物に隠れることは出来ない。おまけに敵の数は十にまで増えている。
アリアはレッグホルスターから、少年は懐から銃を抜く。
激しい銃撃戦を覚悟する。
――――しかし、前触れもなく飛来した
★
「なに……?」
アリアは声も出なかった。隣のキンジも同様に。
二人の視線はたった今現れた人物に注がれている。今まさに自分達に牙を剥こうとしていたセグウェイの群れ。その中心に立つ少年。
透き通るような白髪。高い身長の割に体は細く、かつ血の気のない白い肌は思わず心配なってしまう。そんな彼の中で唯一色を放つ赤い瞳。それは吸い込まれそうになるほど綺麗な色だった。
そんな彼は空から降ってきた。比喩ではない。正真正銘、降ってきたのだ。
あまりにも信じ難い話だ。――――人が空から降ってくるなんて。
キンジが聞けばツッコミの一つでも入れたくなる話だったが、しかしアリアがそうしたときとはあまりにも状況が違う。彼女が少年を助けたときはちゃんとパラシュートを用意した上でビルから飛び降りたのだ。
しかし、彼は違う。
どこから落ちてきたのかはわからない――――が、彼は何一つ装備していなかった。機銃ごとセグウェイの一台を踏み潰し、小さいながらクレーターを作るほどの衝撃を起こした。それでいて、彼はまるで平然していた。体を痛めた様子は無い。
『――――――――』
最初に動いたのはセグウェイ達。突如自分達の真ん中へ現れた白き少年へ一斉に銃口を向ける。
そのときすでに
「……っ」
今度こそアリアには見えなかった。何をしたかはわかる。彼はただ腕を薙ぎ払った。それだけで三台もまとめてセグウェイの基部をへし折ったことも驚愕だが、それよりそんな単純動作の速さが異常だ。キンジの早撃ちも相当だったが辛うじて目で追えた。
だが、今の動きは目に映りもしなかった。気付いたら損壊したUZIが宙を舞い、少年の左腕が振り切られていた。
これで踏み潰された一台を合わせてすでに四台が破壊された。
人ならば仲間が倒されれば動揺もするだろうがラジコン兵器にそんな仲間意識は無い。残された六台が構わず自動トリガーを引きかけて、一台が拳によって叩き潰される。一台は蹴り飛ばされ。一台は玩具のように振り回されて二台巻き込んでガラクタになった。
あまりにも荒々しい。武術の心得があるとは到底思えない。ただ無造作に拳を、足を繰り出しているだけ。
それなのに、疾い。強い。
「危ない後ろ!」
一瞬で、それも素手で機関銃を装備した遠隔兵器を圧倒した白髪の少年だったが、まだ一台残っている。そいつは他のを囮に距離を取っていた。
彼は未だ武器を出していない。本当に丸腰なのかは不明だが、今の彼に間合いをあけられたそれを倒す術はない。
鬱憤を晴らすようなけたたましい銃撃。秒間二十発以上で放たれたそれは無防備な少年に吸い込まれ――――地に落ちた。
「へ?」
間抜けな声がアリアの口から漏れる。
凶暴な弾の群れが少年を食い破る光景を想像していた。凶弾に貫かれ、倒れ伏す姿を幻視さえしていた。
しかしそうならなかった。吐き出された弾丸は残らず地面に散らばった。地面に落ちた甲高な残響だけが耳に残る。
グシャリ、と最後の一台もあまりに無造作に踏み潰される。
「…………」
「…………」
「…………」
誰も、何も言わない。
他の二人は知らないが、アリアは目を奪われていた。目の前で起こった理解不能の光景に困惑していたのもある。けれどそれ以上に、現実離れした風貌の透明な少年に目が惹きつけられていた。
すると、最後の一台を踏み潰した足を抜いた彼と目があった。
「――――ああ、思った通りいい匂いですね」
「なあ……!?」
最初に声。次に気配。最後にようやく少年の顔が間近にあることにアリアは気付いた。
少年はアリアの首筋に顔を近付けてスンスンと鼻を鳴らすと、顔を離して微笑みながらそう言った。
「……アリアから離れろ!」
複数の機銃に狙われても眉一つ動かさなかったキンジが、少年に対して威嚇するように声を張り上げてベレッタを構える。
その銃口は、少年が伸ばした人差し指によって塞がれる。
愕然とするキンジ。今のも、彼がアリアに近付いたときもまるで気付けなかった。
「貴方も、ね」
その行為にどんな意味があるのか。少年はアリアにそうしたようにキンジへ薄く微笑み、あっさり銃口を塞いでいた指を下ろす。
立ち去る彼を、キンジは見送ることしか出来なかった。
何者なのか尋ねることも。結果として救われたことに礼を言うことも。
「な、な、な――――なんなのよあの変態!!」
透明の少年が立ち去って間もなく、アリアの絶叫が轟いた。
>初めましての方は初めまして。別作品を読んでくださっている方はどうもこんばんわ。
まずは閲覧ありがとうございます。
>さてさて、なんと強オリ主の三作品目って……どんだけ強キャラが好きなんですかね。しかも今回のはタグの通り前二作以上に天下無双です。トランプで例えるとスペードのエースに負けないジョーカーぐらい。
いくらなんでもそんだけ強いと扱い難いと思うでしょう?
扱い難くなる前にアニメのブラド編までできっかり終わらせるので大丈夫です!(何も大丈夫じゃないですね)
>こんなことを知っているコアな方がいるかは不明ですが、実はこの作品もISと同じく以前にじファン時代完結させてる作品です。終わり方は前と変えますが、大まかは同じとなります。
>問題児書けない間になんか新しいのを書くつもりだったのですが、妄想……もとい、アイデアが溢れすぎて、それやっちゃうと三作品をガチ連載になってしまいそうだったのでやめました。執筆おっそい私では二作が限界なのです。……それすら覚束ないですが。
なので短くあっさりいけそうなアリアを書き直しです。
書き直し、とは言いましたが前のデータはにじファンと共に消滅しましたので思い出しながら、ほぼ新しく書いていくことになります。
>まま、そんな感じのしばらくの連載となりますが、どぞよろしくお願い致します。