生命の樹が神の街に根付くのは間違っているだろうか 作:ねをんゆう
「戦闘訓練、ですか……?」
「ああ。君がダンジョンに潜るかどうかはさておき、最低限自分の身を守れる程度の力は持っておくべきだと思うからね。身につけておいて損は無いと思うけれど……どうだい?」
「え、えと……お願い、したいです……!」
「うん、良い返事だ。これは僕も期待がもてそうだね」
遠征まで3日と迫った頃、ファミリアでの生活に少しずつでも慣れるため、エルゼは小さな雑用をこなしながらメンバーとの絆を深めあっていた。
ロキから恩恵を受けたその日から辿々しかった喋り口調も不思議と流暢なものへと変わり、僅かながらではあるが積極性も増したように感じられる。
この変化に最初は少しの寂しさを見せていたアイズであったが、彼女がより積極的に甘えてくれることが分かってからはむしろ嬉しそうにしていた。彼女の過保護っぷりは日々増すばかりである。
「エルゼ……!ここにいたの」
「アイズお姉ちゃん……!」
こうして今日も少し目を離した隙に食堂の手伝いに行ってしまったエルゼを探してホーム中を駆け回る始末である。
そんな彼女を迎えるエルゼの嬉しそうな笑みも相まって、ロキ・ファミリアのメンバーからは目の保養になる姉妹だと好評だったりするのだが。
「あのね、フィンさんが護身術を教えてくれるって言ってくれたの」
「むっ……!フィン、エルゼに変なことを教えないでって前にも言ったはず。」
「そうは言うけどねアイズ、僕達だってずっと彼女と居られる訳では無いんだよ?自分の身を守る術くらい彼女ももっておくべきだ。……もちろん、アイズが遠征を辞退してエルゼにずっと付いていてくれるというなら話は別だけどね?」
「む、むむむむむ……!!」
なお、アイズが今回の遠征に参加するしないの論争は未だに続いていた。
エルゼが恩恵を授かったその夜、リヴェリアによって突如として示された遠征辞退の提案。なぜそんなことを今になって提案してきたのか説明してくれなかったが、断ったその後も幾度もリヴェリアやフィンは話を持ち出してきた。
……しかもその話が決まってエルゼに絡めてくるものだから、アイズとしてはたまったものではない。遠征を取る度に罪悪感に苛まれるというのは、存外彼女の精神に大きなダメージを与えていた。
「アイズ、お姉ちゃん……?」
「はっ!ち、違うの……!エルゼより遠征が大事とかじゃなくて……!私にとって一番はエルゼだから……!」
「……うん、分かってるよ、お姉ちゃん。でもね、お姉ちゃんが遠征に行きたがってるってことも私は知ってるんだ。だから安心して、私はお姉ちゃんの帰りをお利口にして待ってるから」
「あ、ああ……うあああああ!!」
寂しさを我慢する様な表情でニッコリ笑われてしまえば流石のアイズと言えど心がもたない。
彼女が誰よりも寂しがり屋で、毎日一緒に寝る時もギュッと身体を寄せてくるくらいにアイズに懐いているのを知っている。だからこそ、何日間も彼女を1人にしてしまうことに抵抗を覚える。
実際にはそうでなくともアイズにとってこの二択は、遠征を取るかエルゼを取るかという究極の選択となってしまっていた。
「うぅぅぅ、違う、違うの。私は本当にエルゼのことが大事で……」
「大丈夫、大丈夫だよお姉ちゃん。お姉ちゃんが私のことを大切にしてくれてるのは、すっごく良く分かってるから。だから安心して遠征に行ってきて?ね?」
「ううぅぅぅぅ……!」
フォローすればするほどに折れていくアイズの心。しかしこれはチャンスとばかりに口角を上げたフィンは悪い顔をして畳み掛ける。
「ねぇアイズ、もし君が遠征に行くというなら、その間の彼女の世話を他のメンバーに頼むことになるんだろうけど……
果たして君が遠征から帰ってきた時、エルゼの隣の席は空いているのかな……?」
「っっっ!?!?!?!?」
「お姉ちゃん!?」
エルゼにも聞こえない様に密かにつぶやかれたその一言は、正にアイズの急所であった。
今の一瞬でアイズの頭の中では、遠征から帰って来た自分達をエルゼが他のメンバーに抱かれながら迎えてくる光景が再現されていた。
久々に一緒にご飯を食べようとしても既に彼女の隣に自分の席は無く、一緒に寝ようと誘おうにも彼女は既に他のメンバーの部屋で就寝している。
自分にだけ懐いてくれていた筈のエルゼの姿はそこにはもうなく、遠征で彼女を放ってしまっていた間に、自分が居たはずの席を他の誰かが取って代わってしまう。
示された二択に対して、エルゼではなく遠征を選んでしまったが故に生じた当然の末路を、アイズの思考はそれはもう嫌になるほどに鮮明に再現してしまっていた。
「……ぁ、ぁぁ、ぁぁぁ……」
がくりとその場で膝をついたアイズはとんでもない絶望顔で震え始める。
エルゼの声も今のアイズには届かない。
最悪過ぎる、けれどこのままではそうなってしまってもおかしくない、そんな未来を受け入れられるほどアイズの心は強くなかった。
「ぅ、ぅぅ……」
返事を返せなくとも未だに励ましてくれるエルゼの右手をガシッと掴み、そのまま引き寄せて胸に抱き、抵抗も何もかも無視をしてアイズはフラフラと立ち上がる。
「……フィン、考えさせて……」
「うん、色よい返事を期待しているよ。」
アイズのその言葉に満面の笑みで返すフィンは、見る人が見れば悪魔にしか見えないだろう。
結局そのままベッドまで連れていかれたエルゼは、数時間ほどアイズの抱き枕にされて過ごすこととなった。
例え遠征を選んだところで、エルゼにとってアイズという存在が誰よりも特別なことに変わりは無いというのに。
それを知らないのは当人ばかりで、その日アイズが部屋から出てくることはなかった。エルゼは隙をついて抜け出して。そして逃げられてしまったアイズは更に落ち込んだ。
修練場の隅の方で武器や防具の手入れをしていたフィン。
そんなフィンを訪ねた時、エルゼは珍しく頬を膨らませて怒っていた。
先ほどのやりとりから3時間ほどが経った頃の話である。
「おや、アイズのことはもういいのかい?エルゼ。」
「はい、もう眠ってしまったので。……もう、あんまりアイズお姉ちゃんのことを虐めないで下さい、フィンさん。」
「あはは、酷いことをしている自覚はあるんだけどね。僕達としてもこの機会を逃すことはできないのさ、アイズには自覚を持って貰わなければならないからね」
「……言いたいことはわかっても、納得はできません」
「分かってくれるだけでも助かるよ」
フィンが何を言いたいのかということは、エルゼはこの数日でなんとなくだが理解できている。
それくらいにアイズという冒険者は向こう見ずで、無謀で、必死になって日々を過ごしていた。
けれどそれとは別に、ベッドに連れ込まれてからずっとエルゼの膝を枕にして震えながらしがみ付いていたアイズの姿を見て見ぬふりなどできない。
腰に両手を当ててプンプンと怒るエルゼの姿は珍しく、けれど全く怖くはなかった。
「さて、じゃあ早速始めようかと思うのだけど……この数日で何かしらの運動はしてみたかい?」
「……はい、少しだけ走ってみたりはしました。すごく身体が軽くて、自分がこんな風に動き回れるようになるなんてすっごくビックリしました」
「うん。ロキから聞いているとは思うけれど、神の恩恵はその名の通り、僕たちに色々な恩恵を与えてくれる。それは単純な運動能力だけでなく、病への耐性や治癒能力の向上もそうだ。それにレベルが上がるほどにこの恩恵は強いものになるからね。僕やガレス、リヴェリアなんかはここ数年まともな病気に罹ったことがないくらいさ」
「……それは、とても良いことだと思います。」
「……そうだね。例えばディアンケヒト・ファミリアの様な医療系のファミリアには延命目的で眷属になるものだっている。機会があれば一度訪ねてみるといい、きっと君と思いを共有できる冒険者もいるはずだよ」
「……はい、そうしてみます」
……そんな希望の塊のようなものが、なぜ前の世界にはなかったのか。当然ではあるが、そう思ってしまう。
貰ったところでレベルを上げられずにそのまま死んでしまうであろうことは容易に想像ができてしまうが、それでもあんな辛く苦しいだけの人生では無かったのではないかと。
『今更言っても』
『もう過去のことだから』
『今は未来のことだけを』
口先だけでならそんなことは簡単に言える。
けれどその言葉がこれまでずっと苦しんできた人間に対して侮辱にもなってしまうことを分かっているからこそ、フィンは彼女の顔を見ても何も言わない。
これは彼女が彼女の中で消化すべき問題だ。
「……うん。話はここまでにして、そろそろやろうか。僕もあまり時間に余裕があるわけではないからね。まずは適当に身体を動かして貰おうと思うけれど、準備はいいかい?」
「へ?あ、はい!大丈夫です!」
期待はしていない。
本当に危険が迫った時、逃げられなくとも助けを呼べる程度に育てばいいくらいにしか思っていない。
……それでも、フィンがエルゼという少女の異常性に気付いたのは間違いなくこの瞬間であった。
修練場の中央で踊る様に木刀を振るう少女の姿。
まるでそこに本当に敵がいるかのような集中力で、しかし空間を縦横無尽に跳び回り、その白過ぎる容姿も相まって、彼女を見る人は例外なく思うに違いない。
あれは妖精の舞ではないかと。
「……本当に、君は一体何者なんだろうね。エルゼ」
そんな光景を冷汗を流しながら見ていたフィンは表情を小さく歪めながら密かに呟いた。
はじまりは単純なトレーニングに過ぎなかった。
走り方、跳び方、回り方、身体の基本的な動きを修正するという単純な作業。それは生まれてからこれまでただの一度もまともな運動をしたことが無いという少女が、当然ながら運動音痴であろうということを想定してフィンが課したものであり、それは確かに的を射ていた。
フィンの予想通り当初の彼女はそれは酷いものであり、普通の人間以上の体を持っているにも関わらず一般的な同世代の子供以下の運動能力でしかなく、走っている最中に転ぶなどということもザラであった。
そんな彼女を見て「先は長そうだ」と微笑ましく笑っていたフィンであったが、彼が直々に修正点を指摘し始めてから状況は一変する。
自分の修正するべきポイントを知るや否や直ぐに集中して取り組む彼女の姿勢は非常に好ましいものであったのだが、その修正力が尋常ではなかった。
言われたことを次の瞬間には直すのは当然であり、続けるうちに指摘していない所にまで修正が及ぶのは異常という他ない。
彼女の持っていた"筈の"知識量では決して実現できない様なより効率的な走り方を自分一人で再現……いや、創作し始め、結果として30分足らずで彼女はマイナスに振り切れていた運動技術を上位冒険者に近い所にまで引き上げていた。
本来、当然のことではあるのだが、知識というものはただ持っているだけでは成立しない。
例え知っていたとしても、それを実現できるかどうかに対する影響は少なく、実現するために必要なのは如何に身体をその動きに慣れさせるかという時間と経験である。どんな天才であってもその過程を無視することはできない、なぜならそれが人間だからである。
……ならば、その過程をこうして無視してしまった彼女は、一体なんだというのだろう。
そこまで考えてフィンは首を振った。
考え過ぎだと、彼女が偶然そういった知識を持っていて、何度もイメージトレーニングを重ねていただとか、そういう話だと。
むしろ覚えが早いのは良いことではないか。
理由は分からないが彼女のこととなると考えがマイナス方面に働きやすいことを自覚していたフィンは、再び自分を戒めて彼女に向き直る。
自分が思った以上に走れる様になったことを素直に喜び、年相応の嬉しさを表に出していたエルゼを見て、フィンは少しでも嫌な方面に思考を持って行ってしまった自分を恥じた。
そうして試しにと剣の扱いを教えてみたのが30分ほど前。
その結果が目の前に広がっているこの光景である。
洗練された剣捌きに、一切教えていないにも関わらず我流でほぼ完璧に仕上がっている足捌き。
効率的で実践的な立ち回りに、達人のものと言っても過言でないほどに卓越した剣技。
どれをとっても一級品であり、どれに関してもこの年齢の少女が身につけられるレベルのものではない。
ましてや、いくら天才だと言っても数日前まで身体を動かしたことのない人間にできるようなものではなかった。
(彼女は本物のバケモノなのかもしれない。)
そう思わざるを得ないほどにエルゼの成長速度は異常であった。
彼女が恩恵を授かって以来なぜか余所余所しいリヴェリアに、過剰なほどに構おうとするロキの姿。
恐らくそれはエルゼのステータスが関わっているのではないかとフィンは踏んでいたが、ここまで来ればそれが実際にそうなのだろうと確信できる。
本来ならば他人のステータスを知るということはマナー違反だ。
しかし彼はこのファミリアの団長であり、彼女はそのメンバーである。今後の方針を考えるという大義名分を使えば知る権利はあるのだ。
……そして、フィンはその権利を使うことを躊躇うつもりはなかった。それほどに今の彼の内心は荒れ狂っていたからである。
(……一度ロキに相談してからだ、場合によっては遠征の計画も練り直す必要があるかもしれない)
それでも、これがまだエルゼの異常の一部であるということを、彼はまだ知らない。