横須賀鎮守府執務室。いつもなら此処にはペンがカリカリと紙の上を進む音が響くはずだが、今回がその音がない。代わりに、警告音が響き渡っていた。
『緊急事態発生。緊急事態発生。鎮守府近海に深海棲艦が多数出現。至急、交戦せよ。繰り返す。緊急事態発生・・・」
この警告音も本来なら流れないはずだ。何故なら警告がなされる前に楼牙が全て斬り倒して帰ってくるからだ。しかし、現在彼は執務室のベッドで横たわっていた。というのも、先日に『鹵獲』と称して保護された北方棲姫との接触後、謎の体調不良に襲われていたためだ。しかし、やはり本来なら側にいそうな裕翔はそこにいない。
「すまない・・・お前達を、助けることが・・・出来ない・・・」
「心配しないでください提督!電達がやっつけてくるのです!」
以前とは全く違う、嗄れた声で嘆く楼牙を気遣う電。それはまるで、親に心配をかけまいとする子供のように思えた。
「・・・本当に行くのなら、生きて帰って来い」
楼牙はそれだけ言うと、体力が尽きたのか、眠ってしまった。
「わかったのです・・・必ず帰ってくるのです!」
電はそう言うと、執務室を出た。己の中に渦巻く、様々な感情と共に。
横須賀鎮守府近郊海域。艦娘達は深海棲艦の想像を絶する数に圧倒されていた。
「こいつら・・・一体どれだけいるんだ!?」
「いくら倒してもキリがない!物資が減ってきたものから順に補給へ行った方がいいかもしれません!」
しかし、いくら劣勢に立たされても戦うことを宿命づけられた者達は冷静に状況を判断し、次々と敵を倒していく。砲声がそこら中から鳴り響いていても尚指示が伝わるのは、彼女達の集中力の賜物だろう。だが、それを打ち壊す者が現れた。
「キキキ・・・撃テ」
次の瞬間、轟音が辺りを包む。それは、艦娘達にとって恐怖の象徴。即ち戦艦レ級の砲声である。それを聞いた殆どの艦娘の表情が強張り、ある者は凍りつき、ある者は悲鳴をあげる。まさしく恐慌状態となった指揮系統は、最早意味をなさなくなった。だが、容赦なくレ級は艦娘達を撃ち、お返しとばかりに次々と中破していた艦娘達を追い詰めていく。それは電と、その背に隠れた暁にも言えることだった。そして運悪く、かの戦艦に目をつけられてしまった。
「電!暁!早く逃げろ!狙われてる!」
咄嗟に発した響の言葉も砲声に遮られ、彼女達の耳には届かなかった。そして、無情にも撃たれたその砲弾が直撃した・・・筈だった。
「いやぁもうあんたら・・・さっきから何やってくれちゃってんですかね・・・」
そこに現れたのは、狂気の世界に足を踏み入れた者の目をした裕翔だった。
「馬鹿ナ・・・!?何故マタ人間ガ此処二!?」
人間が自らの侵攻を防いだ。その事実がレ級の恐怖の記憶をフラッシュバックさせる。無数の深海棲艦が一瞬にして葬られ、自分も海底まで叩き落とされたあの日のことを。しかし、レ級はその記憶を振り切り、砲弾を再び発射した・・・だが。
「いや、もう当たらないってわかってるなら撃たない方が経費の削減になりますよね?」
その一言と共に、裕翔が持っていた拳銃に一撃で弾き返され、背後にいた深海棲艦達を一掃する。
「まぁ言いたいことは死ぬほどあるんですがねぇ・・・取り敢えず僕の堪忍袋にも限界が当然あるわけでして・・・」
レ級の驚愕を余所に、小言を呪文のように垂れ流しながらツカツカと靴を海上で鳴らしながら彼女に迫る裕翔。元々の歩幅が大きいこともあり、その拳銃が彼女の額に突きつけられるのに時間はそうなかった。
「まぁ、運が悪かったですね。さようなら」
それが、数多くの艦娘を轟沈させた者が最後に聞いた言葉となった。
「えーっと・・・まだいるじゃないですか・・・というか返り血ついちゃったじゃないですか本当にイライラするなぁクリーニング代高いのに・・・もう怒ったからあんたら全員死んでもらいますよ深海棲艦?」
裕翔がそう言った。と、艦娘達が知覚したときだった。拳銃が一気に発砲される音がありとあらゆる場所で割れんばかりに反響する。その音と同時にそれまで戦っていた敵が一体ずつ蜂の巣にされ、海の底へ沈んでいった。全てが終わったとき、裕翔の制服はいつぞやの楼牙のように血に塗れていた。
「あー銃弾代まで払わないといけないじゃないですか・・・あ。皆さんお疲れ様でした。今日のところはもう来ないでしょうから、早いとこ帰りましょう」
途中何かを思い出したように裕翔は艦娘達にそう言うと、下を向いてブツブツと何かを呟きながら鎮守府へと帰還した。
數十分後。横須賀鎮守府入渠施設にて、修理を終えた電と裕翔がそこにいた。
「あの・・・司令官、ちょっといいですか?」
「え?どうかしました?」
お互いに敬語というのが周りに違和感を与えるところだろうが、二人きりなので誰も気にしない。
「あのときの司令官・・・相当怒ってましたけど、何かあったのですか?」
電は内心では怖がりながらも、尊敬している裕翔に問う。何故なら裕翔があそこまで性格を一変させるときは、相当な怒りが彼の中で燃えているときだとわかっているからだ。彼女がそれを知っている理由は、勿論裕翔の秘書艦だからだ。だからこそ、一番身近にいる存在を気遣うのだ。
「あー・・・格好悪い理由ですけど、聞きます?」
「え、えっと・・・聞きたいです!」
動揺を誤魔化すように目を逸らす裕翔だったが、そのうち電の真っ直ぐな瞳に負けて、話すことにした。
「可愛い秘書艦の貴方が中破したら、怒らない日はありませんよ」
裕翔は照れながらそう言うと、立ち上がる。
「さて!まだまだ仕事は残ってますからそいつをさっさと終わらせてますかね!」
その姿は、子供に心配をかけまいとする親のように見えた。
言い忘れてましたが裕翔は「司令官」呼びで楼牙は「提督」呼びにしようと思ってます。