LET JUSTICE BE DONE, THOUGH THE HEAVENS FALL.   作:うんちーまん

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heavyじゃなくてheavenlyなんだな。
すっかり勘違いしてたよ。


heavenly blue

 コモン・ロー上、王が王として遂行した如何なる行為も、王が未成年であるという理由で無効にされるということはあり得ない。というのも王は自らの内に二つの身体、すなわち自然的身体と政治的身体を有しているからである。彼の自然的身体は可視的身体であり、本性上あるいは偶有的に生ずるあらゆる弱点に服し、幼児期や老齢期の虚弱さや、他の人々の自然的身体に起こるのと同様の欠陥にさらされている。しかし彼の政治的身体は目で見たり手で触れることのできない体であって、政治組織や統治機構から成り、人民を指導し、公共の複利を図るために設けられているのである。そしてこの身体には自然的身体がさらされている幼児期や老齢期は全く存在せず、他の自然的な欠陥や虚弱さも全く存在していない。そしてこれゆえこそ、王が彼の政治的身体において遂行することは、彼の自然的身体に内在するいかなる無能力によっても、無効にされたり破棄されたりすることはないのである。

 ──プラウドン判例集、1816年

 

 

 

 眼下に青い星が広がっていた。

 地球を取り巻く小惑星帯(サテライト・ベルト上)にある揚陸城からは、この星に広がる赤茶けた陸地と青い海を存分に見渡すことができる。少し前方に視界を移せば緩やかな弧に薄い空気のベールを纏った惑星の輪郭を確かめる事ができた。眺めていると大陸の至る所にポツポツと、落下した月の破片の大きさに比例したクレーターができているのが見える。

 これがかつての大厄災(ヘヴンズフォール)の名残なんだろうな、と僕は考えた。僕が生まれる前に起きた先の戦争。その爪痕は15年経った今でも消えることはない。

 今現在も明滅しているこの星の明かりを見下ろしながら、僕はアルドノア・ドライブ特有の天使の囀りの様な音に耳を傾けていた。奇妙な、しかし美しいこの調べは、どこか懐かしい響きを寄越す。その時ばかりはそこに失われた過去と、記憶にない郷愁が、確かに自分の中にあることを教えてくれる。

 だけどこれは眼下の星の人々を恐怖に陥れた元凶でもある。宇宙に打ち捨てられた人々が手に入れた神の力。彼らの怨念の代弁たるその力が巡り巡って地球に牙を剥き、砕かれた月の破片を降らせるとはなかなかの皮肉だと思う。そしてそんな恐怖をもたらした力に、安らぎを見出す僕自身にも皮肉の色は隠せない。

 思案に浸りながら青い星から目をそらす。この景色を眺めることによって、僕の中に郷愁とでも呼ぶべきものがないかと探したけれど、残念ながら全くと言って良いほど何もなかった。だがそれもいつもの話だ。僕は1つ溜息をつくと再び青い星に視線を戻す。

 この星、地球はかつて僕の故郷でもあった場所だった。そのことを全くと言って良い程覚えていない僕にとって、故郷と読んでいいのかわからない。失われた遠い記憶は、大いなるアルドノアの潮流のせせらぎでしか補完することができない。

 けれども、姫様にとってはそうでも無いらしい。

 この天真爛漫な火星の姫様(プリンセス)は大きな翡翠色の瞳を輝かせながら、この美しい星を一心に眺めていた。白い頬を興奮で紅く染めながらその美しさの虜になっているのだ。

 そしてそのよく透き通った声で言う。

「本当に美しい星。何度見ても心を奪われます。貴方も生まれ故郷が懐かしいですか、スレイン?」

 色白の美しい顔を期待で輝かせながら僕に顔を寄せてくる。その双眸に映し出された僕の顔が、僅かに強張ったのがわかった。それは猫っ毛の髪につり目で線は細く、いかにも頼りない僕の、見慣れたいつもの顔だった。

 これが僕。ただただ毎日を意味も無く過ごし、人に忌み嫌われるためだけに生きている矮小な存在。

 僕が動揺したのは彼女の顔が近くにあるのも理由の1つだけど、そもそもここを懐かしいと思ったことがないのだ。

「えっと…まあ」

 僕の周りの人達は僕の事を地球人と言ってしょっちゅう僕が地球出身である事を揶揄してくれる。けれども、僕にはその記憶が失われているからなんとも言えないのだった。前述の通り、心に穿たれた虚ろな隙間を埋めるので精一杯だ。

 姫様もその事に気が付いたのだろう、顔が少し曇った。

 やってしまったな、僕は心の中で悔いる。僕が好きなのは貴女が笑う顔であって、そんな悲しそうな顔じゃあないんだ。僕は自らの境遇を彼女の笑顔で埋め合わせているのだから。

「すみませんでした。貴方の気持ちも考えず1人ではしゃいでしまって」

 彼女のしょげた声。小さい時からそうだった。彼女は誰よりも正しく、自らの過ちを認めた。それが争いを避ける最大の手段だとして。

 いえ、と僕は口を開く。

「記憶のない僕を救ってくれたのは姫様です。右も左もわからない僕を姫様は導いてくださいました。今の僕があるのは姫様のお陰です。感謝しても仕切れません」

 僕としては角が立たない様無難なことを言ったつもりなんだけど、何故か姫様の顔が一気に輝いた。

「良かった……。てっきり貴方を傷つけてしまったかと」

「まさか、敬愛する姫様のお言葉であれば如何なるものでも耳が痛いなどと言うことはありません。それに、悲願の地球訪問なのですから些か興奮されるのも無理からぬ事です」

 そう、今僕の目の前にいる少女─────僕の唯一の友人、火星ヴァース帝国次期第1皇女アセイラム・ヴァース・アリューシア姫は遠い故郷の星を離れ、クルーテオ家が所有する揚陸城に乗り、長年の夢だった青き星にようやく辿り着いたのだ。

 地球から離れ、赤鉄の死の大地に辿り着き、アルドノアという神の力を手にした選ばれし特権階級の末裔。火星の宮城にて蝶よ花よと育てられ、城から離れることさえ許されない少女にとって、豊かで澄み切った星は憧れそのものだっただろう。

 今から15年前──僕が生まれる前のことだ──火星のヴァース帝国(V∃Яs)外惑星連合(BLF)は地球に宣戦布告した。宇宙開拓ブームの際に宇宙に捨てられた者と捨てた者の戦争。報復が報復を呼び、果てしない循環を描き始めた血塗れの螺旋は止まることを知らず、遂には地球の月を粉々に砕くまでに憎悪は膨れ上がっていた。そうして双方厖大な人が死に、多くのものが失われた。

 両者共に戦争の継続は不可能であるとの結論に至り、両者の間に休戦協定が結ばれた。世界の時間はそこで凍結されたのだ。

 今回彼女が地球に訪れたのは、そんな閉塞感が充満した世界の時を前に進めるためだ。和平を結び、共に輝かしい未来を築いていくのだと。

 姫様は頷くと、

「ええ、私達人類の発祥の地。やっとこの目で見る事ができました。早く降り立ってあの青い水を間近で見てみたいものです」

「地球観光も結構ですが本来の使命を忘れない様に」

「わかっています、その為に私はやってきたのですから」

 少しばかり嗜めると、暫し姫様と僕は笑い合う。

 この時間が僕は好きだった。誰も僕を地球人と蔑む者はおらず、ただただ緩やかに静謐な時間が流れていくこの時が。

 この笑顔が保たれるのならば僕はどんな試練を科されようと成し遂げて見せると、純粋に信じ切っていたのだ。

「ところでスレイン。空も青くて海も青いというけれど、前から不思議に思っていたんです。地球では水や空気に青い色がついているんでしょうか?」

 彼女が向けてきた質問に僕は詰まる。

「いえ、水や空気は透明です」

 慎重に言葉を選びながら、自分がそれらの知識を全く持っていない事に今更ながら気付く。記憶のない僕は知識こそ失ってはいないものの、経験や今まで見てきたものが全て等しく失われている。仕方がない、僕は何処かで習った気がするあやふやな知識を披露する事にした。

「ただ、それが大量に積み重なると光の屈折とかありまして……青い色に見える……って事だと思うんです」

「光を歪めるほど沢山の水と空気。凄いですね想像もできません」

 我ながら至極曖昧で適当な答えだったと思う。だけど普通ならば無礼と受け取られるところを、許されるのが5年来の知己であるらしい僕らの間柄だった。

 だけどそんな幸せも長くは続かない。

「こちらにおいででしたか」

 部屋の扉が開き、長身の男が入ってきた。

 190㎝に届こうかという身長に、美しい金の髪、氷河を思わせる極寒の瞳を備えた男。滅多に瞬きをしないその瞳は相手を威嚇し、コントロールするためのものだ。彼はその冷たい瞳で、権謀術数渦巻く火星の貴族社会を渡り歩いてきた。

「クルーテオ伯爵」

 火星騎士2大名門貴族の片割れ、クルーテオ家当主、クルーテオ伯爵その人だった。

 僕は自分の心臓が跳ね、冷や汗が吹き出るのを感じた。一瞬で首の後ろに冷たいものが走り、思わず首を垂れる。

 伯爵は僕の方に目もくれずなんの反応も見せないままアセイラム姫に視線を移し、

「夜も大分ふけてまいりました。どうか御寝所へお戻りになられますよう、アセイラム姫殿下」

「もうその様な時間でしたか。ではスレイン、明日も講義をお願いします」

 ええ…、と虚ろな返事を返した。それどころではなかった。この男が僕を凄まじい()()()()で睨らんでいたからだ。火星人が地球人を見る時の独特の目付き。元来地球人というのは犬にも劣るクソッタレで等しく滅びるべきだと考えている火星人の中にいる地球人は敵でしかないのだ。何よりも火星の聖女たるアセイラム姫の側に下劣な地球人が存在している事自体許しがたい事なのだろう。

 もしこの瞳を覗き込んだ者ならこの男の瞳が爬虫類となんら変わりない事が容易に理解できるはずだ。普通ならばどの様な人間であれ、瞳に憎悪でもなんでも感情というものが浮かぶはずだけどこの男に関してはその限りではなかった。感情の起伏というのが極端に現れないのだ。そしてそれがこの男の内包している苛烈さを示していた。

 アセイラム姫が部屋から出て行く。

 同じくクルーテオ伯爵は僕を睨みつけると踵を返して出て行った。

 僕を残したまま部屋の明かりが消え、床に投影された青い星だけが唯一の光源になる。

 その時になってようやく僕は折っていた上体を起こす事ができた。強張った体をほぐすように動かしていく。全身が蝋になってしまったかのような疲労感に包まれていた。

 今日は、生き延びる事ができた。

 火星人から、ゴキブリ並みに嫌悪されている僕はいつ殺されるかわからない。主人の機嫌ひとつであっさりと天国に引っ越しさせられるだろう。それだけ僕の命というのは安かった。

 明日も生きていられるだろうか、とぼんやりした頭で考える。明日は良くても明後日は…。そうでなくても明々後日は1週間後は1ヶ月後は1年後は…。思考を繰り返すうちに自分がここから逃れようがない事に気づき、閉塞感に胃が締め付けられるのを感じた。

 どちらにしろ自分には関係ない、僕はそう堂々巡りする思考に決着を着ける。目が覚めてからの3年間という時間は僕に諦観の念を植え付けるには十分な時間だった。

 断ち切るように溜息をつく。

 ─────これが、僕の生きている世界。暗い漆黒というだけではまだ足りない、一切の光を吸い尽くして広がる無辺の闇に浮かぶ巨大な、しかしちっぽけな揚陸城に閉じ込められた人生。宇宙に暮らす民にとっては貴重な我が家であろうと、僕にとっては全長2㎞の鉄の檻に他ならなかった。

 眼下の星を眺めるうち、再び胃が締め付けられるのを感じた。消灯と共に消えたアルドノア音の残滓も最早聞こえなくなっていた。

 視線は自然と常闇にやり場を求めた。

「僕は、誰なんだ」

 そっと呟いた声は宙に霧散して消える。

 視界に広がる闇は、いつまでも途切れることはなさそうだった。

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