「……」
「どしたの?」
ホカホカとした状態で気まずそうにリビングに戻ってきた八幡は、なんてことのない表情の結衣を見てその顔を苦いものに変えた。いやどうしたもこうしたもあるか。そう言いたいのをぐっと抑え、その隣で年末特番を見ている彼女の母親へと視線を向ける。お風呂、お先にいただきました。そう言って頭を下げると、とりあえず邪魔にならない場所で直立不動を貫いた。
「座ろうよ」
「お前この状況で図々しくソファーに座れるわけないだろ」
「立ってる方がどうかと思う」
いいから座れ、と結衣は自分の隣をポンポン叩く。それを見た彼女の母親は、クスクスと笑いながら立ち上がり冷蔵庫から飲み物を取り出す。コップに注ぎ、はいどうぞと八幡の前へ差し出した。
「あ、ママ。あたしもジュース欲しい」
「はいはい」
手をブンブンと振る結衣を見ながら、もう一杯のコップを用意する。そうして自分の座っていた場所へ戻ると、お風呂どうするのと隣の娘に問い掛けた。
「んー。これ終わってから」
「日付変わるだろ……」
思わず八幡がツッコミを入れる。そういえばそうかと頷いた結衣は、じゃあ入るかと立ち上がった。それをなんとなしに見ていた八幡であったが、ふと思う。それがどういうことなのかに思い至る。
そもそも風呂に入る順番の時点で一悶着あったので蒸し返すとも言う。
「なあ、ガハマ」
「ん?」
「風呂、俺が先に入ったんだけど」
「そだね」
「……お湯、張り替えなくて大丈夫か?」
「思春期の娘を持ったパパみたいなこと言うのね、ヒッキーくん」
聞こえていたらしい結衣の母親が笑う。笑っていはいるが、その口ぶりからすると該当者がいるかのようで。
じゃあやっぱり駄目じゃないかと八幡は改めて結衣を見た。
「いやあたしパパにそういうの言ってないし」
「そうよ~。パパが心配性なだけ」
「パパそんなこと言ってたの!?」
唐突に衝撃の事実をぶっ込まれた。そっかー、と何だか遠い目をした結衣は、帰ってきたら少し父親に優しくしてやろうとこっそり頷いた。
それはそれとして。彼女は別にその辺りを気にしないらしいので、八幡の心配とは裏腹にそのまま風呂に入るらしい。
「てかヒッキー。後に入るにしろ先に入るにしろどっちみち何かめんどいこと言ってるくない?」
「人の家にお邪魔してるんだから普通だ普通」
「ふふっ。別に邪魔だなんてこともないし、これからも遠慮なく来てくれていいのよ~」
「ほらママだってこう言ってるし」
俺が遠慮するんだが、と頭を掻いていた彼に向かい、結衣は別にいいのにと反論する。そもそも割と頻繁にそっちの家に遊びにいっているのでトントンだ。そんなことまで言い出した。
「遊びに行くのと泊まるのは別だろ」
「そかな? ……あ、じゃあ今度ヒッキーの家にあたしが泊まれば」
「すいません。あまりこういうことを言いたくはないのですが、おたくの娘さん大丈夫ですか?」
「酷くない!?」
割とマジ顔で結衣の母親に述べたのは効いたらしい。こんにゃろー、と脇腹をドスドス突いた結衣は、もういいとリビングを後にした。どこに行くの、という母親の言葉に、お風呂だって言ってるじゃんと叫び返される。
「……」
そうして残される八幡。不可抗力とはいえ、恋人の母親と完全に二人きりというのは買い物の時とは比べ物にならないほどに気まずい。ましてや、先程その娘をボロクソに言ったばかりである。
ぶっちゃけてしまえば、今すぐ逃げたい。それが彼の本音であった。
「騒がしい娘でごめんなさいね~」
「へ? あ、いえ、そんなことは」
ないことはないが、ここではっきり言うのも憚られる。それくらいの気遣いは流石の八幡も持ち合わせていた。が、当然というかなんというか、口にはせずとも向こうには簡単に伝わってしまっていたようで。
「でも、ヒッキーくんって。どちらかといえば騒がしい女の子は苦手じゃない?」
「……そもそも女子全般が、いやむしろ人が苦手ですが、まあ」
苦手な女子、という言葉で浮かんだ片方は騒がしく、もう片方は物静かだ。そういう分類を出来るものではないと一人結論付け、ついでに他の面々のことも考えた結果思わずそれが口に出た。結衣の母親はあらそうなのと笑っているので問題はないようであるが、流石に少し気を抜き過ぎたかもしれないと八幡は思う。
だからお前らはお呼びじゃないから消えろ折本と雪ノ下。彼は脳内でそう叫んだ。
「ヒッキー!」
「うぉ!?」
唐突に叫び声。何だ何だと視線を巡らせると、どうやら風呂場の方から誰かが叫んでいるようであった。誰かが、と濁す必要は皆無である。結衣が八幡を呼んでいた。
「何だよガハ……マっ!?」
リビングの扉を開ける。そこには、風呂場の脱衣所から顔だけを出している結衣が。髪を解いているところをみると、扉で隠されている首から下がどんな状態か察することが出来る。
「ヒッキー洗濯物どうしたの?」
「は? いや普通に鞄に詰め直したぞ」
「何で? こっちで一緒に洗えばよくない?」
「よくない。そもそもその負担お前じゃなくてママさんだろ」
「洗濯はあたしやってるよ? 洗濯機全自動だし」
「それはやってるとは言わんだろ……」
「畳むまでやるし。……てかさっきから何でそんな変な方見てるの? 何かあった?」
何かも何も、と八幡は叫びたくなるのを全力で堪えた。ちらりと横目で見た時に、肌色が見えたのだ。明らかに何も纏っていない肩が見えたのだ。よしんば下着姿だとしても、だから大丈夫だなどと言えるはずがない。全裸だったら完全アウトである。
流石にそんな小学生のような状態ではないだろうと思いはするが、少なくとも上は脱いでいるので八幡にとっては同レベルだ。
「いいから、俺のことは気にするな。とっとと風呂に入れ」
「んー、分かった。あ、お風呂上がったらあたしの部屋でなんかやろ」
言うだけ言って扉を閉める。それを確認した八幡は、その場でヘナヘナと蹲った。物理的問題で立っていられないということはないが、精神的には大分疲れた。
「騒がしい娘で、ごめんなさいね」
「……そうですね」
今度は否定をしなかった。
「意外と片付いてるな」
「大掃除したばっかだし。当たり前じゃん」
そうは言いつつ、どこかドヤ顔で結衣は述べた。部屋に鎮座するローテーブルに八幡を座らせると、何やらごそごそと棚に置いてあるものを漁っている。
「というか、ガハマ」
「んー?」
「お前あの特番見なくてよかったのか?」
「録画はしてあるし、まあある程度見たら後はいいかなーって感じ」
部屋に向かう際に彼女の母親が言っていたことと同じ言葉を述べたことで、八幡は思わず吹いた。それが気になったのか、手を止めると今何で笑ったと彼女は振り返る。別段隠す理由もないので、彼は理由をそのまま告げた。
「ママも余計なこと言うから……」
「家族なんだし、それくらい普通じゃねぇの? 知らんけど」
「むぅ。あ、じゃあヒッキーのとこは?」
「場合によるな」
とりあえず今回こうなったのは割とそういう部分があったりなかったりする。そのことを思い出し、家族というのはそこそこ面倒くさいと一人悪態をついた。
「てかガハマ。ママさん一人にさせていいのか?」
「ママは今多分お風呂だし、もう少ししたら年越しそば食べるから、そんな言うほどじゃないと思うけど」
そう言いつつ、結衣はカードゲームを机に置く。こいつこいつとその箱を開けながら、それに、と結衣は視線を八幡に向けた。
ヒッキーが緊張しっぱなしなのもまずいかなって思ったし。そう言って、彼女は微笑んだ。
「ここにいる以上どこでだって緊張しっぱなしだ」
「あはは。まあ、それはそうかも」
とはいえ、確かにここならば結衣と二人きりだ。先程までの状態と比べれば、普段通りの空気であると言えなくもない。
問題は、場所が彼女の部屋だということである。
「何で今ベッド見たの?」
「いや、何かふわっと香りがね、してね。揚げパスタみたいなのがね、あってね」
「……ルームフレグランスのこと?」
何か凄い例えられ方された、と目を細める結衣から視線を逸らし、八幡は誤魔化すように咳払いをする。仕方ないだろう、そんな洒落たものなど我が部屋にはないのだから。ついでに言い訳じみた言葉が浮かび、とりあえず口にもした。
まあいいや、と結衣は用意したカードゲームを広げていく。別段本気でやるわけでもなく、雑談ついでに、空いた手を動かす用程度のつもりらしい。それが分かっているので、八幡も何の気なしにそれを手に取る。
「でも小町ちゃんの部屋とかにはあるんじゃない?」
「かもしれんが、その辺りは俺の管轄外だからな」
「あ、意外。お兄ちゃんを部屋に入れないんだ」
「いや、俺が入らないだけだ」
嫌われたくないからな。真顔でそう述べた八幡を見て、結衣はやれやれと溜息を吐く。相変わらずシスコンだなとついでに思った。
そのまま話題は比企谷家へとシフトしていく。今日こうなった経緯のやり取りの話もして、仲良いねと彼女に微笑まれた。
「親は小町には甘いが俺にはそんな素振り微塵も見せないぞ」
「そう? 本気で仲悪かったらそんなやり取りとかしないと思うけど」
「まあ、無関心ってわけではないしな……」
だがしかし。だからといって仲が良いと評されるのは納得がいかない。決して口にはしないが、ここに来る直前の比企谷家の締めの会話がアレである。一回遮ったが、あんな無責任な発言をする母親をどう評価すれば。
ある意味あれは責任を考えたからこその発言だろう、と脳内誰かさんが頷いていた。やかましい。
「どしたの?」
「……気にするな」
そのことを思い出したせいか、結衣の姿をまともに見られなくなった。風呂上がりの上気した肌はどこか艶っぽく、下ろした髪と相まって得も言われぬ色気を醸し出している。何より、寝る格好ということもあり、彼女の服を押し上げる二つの膨らみは、普段よりガードが少し緩い。
ちらりとベッドを見た。そうしたことで我に返り、自身のその衝動に嫌悪を持つ。それそのものを否定はしない。しないが、あのやり取り通りになるのだけは勘弁ならないのだ。
「……どしたの?」
「…………気にするな」
じっ、と八幡を見ていた結衣は、まあしょうがないと息を吐いた。それらについて全てを見透かした、ということは流石にあるまい。だがそれでも、何となくは察した。
その上で、まあしょうがないと結論付けた。
「そういえば」
「ん?」
そんな彼女に彼が声をかける。それを思考の端に追いやったのか、それとも置きっぱなしで見ないようにしているかは定かではないが、ともあれ切り替えることが出来る程度には落ち着いた。そうするために巡らせた思考で、思い出したことを口にした。
「あの唐揚げ、お前だろ」
「あー……やっぱり分かる?」
「他の揚げ物と比べて色がくすんでたからな」
だよねぇ、と結衣が項垂れる。とはいえ、これまでの彼女を知っている八幡からすればその程度の見た目の違いで済んでいる時点で大金星だ。
「ただ」
そして加えるならば。
「別に味は、悪くなかったな」
「……」
「何だよ」
「ヒッキーが素直に褒めた……!」
「お前の中の八幡像どうなってんの?」
「ヒッキーが、あたしの、料理を褒めた!?」
「お前自分で驚愕してどうすんだよ」
呆れ混じりの八幡の言葉など聞いちゃいない。ぐ、と拳を握り、そのまま体全体で喜びを表現せんと飛び上がる。やったー、と叫びながら、風呂上がりでラフな格好のまま飛び上がる。
拘束具のない二つのお山は、それはもう物凄い勢いで上下にシェイクされた。右と左が別々の生き物のように揺れた。柔らかそうなマシュマロを連想させるそれが、ふわとろな風味を振りまきながら揺れた。
思わず八幡の目がカメレオンになりかけるくらいには、左右のばるんばるん具合は凄まじかった。たゆんとか、ぷるんとか、ゆさっとか。そういうオノマトペを脇に追いやる程度には、凄まじかった。
「どうだヒッキー! まいったか!」
「……お、おう」
「何かリアクション薄くない?」
「この状況で俺はどうテンションを上げろと……」
それもそうか、と案外あっさりと納得した結衣は、そのままごきげんな笑顔で座り直す。この調子なら、お弁当とか作ってもいいかもしれない。そんな調子に乗ったことまで言い始めた。
「自惚れんな」
「酷くない!?」
「お前一人でやったら絶対失敗するだろ」
「そ、そんなこと、ないし……」
目が泳いでいる。はぁ、と息を吐いた八幡は、とりあえず自分の今の感情を相手に覚られないよう必死で思考を巡らせた。風呂場の姿と今のあれを、今この場では決して動画ファイルとして開かないよう厳重に圧縮ファイルへと加工した。
そろそろ年越しそばでも食べましょうか、そんな声が聞こえてくる。時計を見ると、成程確かに除夜の鐘が鳴る頃だ。よし行こうと立ち上がった結衣に遅れて、八幡もゆっくりと、慎重に立ち上がった。
除夜の鐘を聞くだけでこれが解消できるなら世話がない。
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