ひっそりこっそり復活を
その1
ごく一部にとっては凡そアホみたいな感想を抱くイベントも終え、新学期が始まった。休みボケだのなんだのとぼやきながらも、夏休みと同じように皆段々と学校生活という日常に順応していく。
が、二年生という微妙な立ち位置は、この時期これからのことを考えなければならない。三年に進級する際の文理選択、それらを決めるための用紙を配られたことで、否が応でも意識してしまう。
が、それでも。変わらない部分は当然あって、むしろ変わる部分のほうが少ないとも言えて。
「で、ヒッキーはどうするの?」
「んあ?」
「進路」
「わざわざ聞くことか?」
めんどくさいと言わんばかりの表情で、八幡は結衣の言葉を切って捨てた。む、と頬を膨らませる彼女に向かい、もう一度彼は同じ言葉を告げる。わざわざ聞くことなのか、と。
「ちょっとした雑談の入り方的なやつじゃん」
「分かりきってる質問をしてどういう風に会話膨らませる気だ。その風船穴開いてるぞ」
「むむむ」
「何がむむむだ」
はぁ、と溜息を吐いた八幡はあっち行けとばかりに手で追い払う。その手をはたいた結衣は、そのまま追撃のチョップを叩き込んだ。何しやがると睨んだ彼のことなど気にせんとばかりに、それでと顔を近付けた。
「近い」
「そう?」
ここんとここのくらいじゃなかったっけ、と首を傾げる彼女を八幡は半ば強引に押し戻し、もういいから続きを話せと言い放つ。これ以上付き合っていたら話が始まる前に終わってしまう。
はいはい、と頷いた結衣はそこで表情を真剣なものに変えた。雰囲気が変わったことで、思わず八幡も姿勢を正す。
「……勉強教えてくれない?」
「スタートラインで躓いてんじゃねぇよ」
「違うし! あたしはあたしでやってるの! でも、こう、自信ないというか」
「……まあ、いい。が、俺より雪ノ下とかに教わった方がいいんじゃないのか?」
「ゆきのんは、最終手段と言うか……」
いつぞやのテスト勉強を思い出す。成績は上がったし今でもその部分には自信が持てているが、そこに至るまでの道のりが急過ぎた。仕方ないからとロープを腰にくくりつけてアンカーで巻き取られた感じすら覚えたほどだ。ちなみに八幡は顔面を紅葉おろしにされながら引っ張られていた。比喩表現である。
ともあれ、あれをもう一度と考えた場合、今度の期間は受験終了までになりかねない。となると高確率で途中から自分も引きずられる羽目になる。
「だから少しずつでもいいからやっておこうかな、って」
「動機はともかくその姿勢はまあ褒めてやろう。俺が面倒だが」
「あー、やっぱ駄目?」
「……いや、今更だろ。俺の試験勉強にお前が引っ付いてくるのは」
はぁ、と息を吐く。言い方はぞんざいだが、そもそも八幡は最初から断っていない。面倒だのなんだの言いながらも、結局結衣との勉強を許容しているのだ。それが分かっているから、その場にいるクラスメイトも「また始まった」程度にしか気にしていない。愛の人の称号はついにほぼ不動のものとなったのだ。
「しかし、ガハマ」
「ん?」
「向こうとはいいのか?」
ほれ、と八幡の席から少し離れた場所で集まって雑談している面々を指差す。ゆるふわウェーブロングという彼女の性格とは対極に位置する名称の髪型をしている結衣の親友三浦優美子、そしてその悪友海老名姫菜。向こう、というのがその二人を主に指しているのだと判断した結衣は、別に大丈夫と言い放った。
そう言いながら、そもそも、と視線を向こうから八幡に戻す。
「場合によっちゃ優美子達も一緒に勉強するくない?」
「その時は俺は逃げるぞ」
「何で!?」
「当たり前だろ。何で俺が」
「……まあ、そだね。ゆきのんとか来るかもしれないしね」
八幡の言葉を遮るように、何かを納得させるように彼女が述べる。体の良い逃げ道を作られたと感じた彼は、結衣を睨むと勝手にしろよと吐き捨てた。そんな彼を見て結衣は苦笑すると、了解、とだけ述べる。そこに何が込められているかは、目の前の八幡のみぞ知る。
「ユイー、あんたはどっちにしたん?」
そんなタイミングで声が掛かる。場所は先程話題にした面々からだ。優美子がこちらを向いてそんなことを述べた。なになに、と彼女へと振り向いた結衣は、もう一度質問を聞いてああそのことかと頷く。
「あたしは文系。ヒッキーと一緒だね」
「おい何で俺の答えをお前が代弁すんだよ」
「え? ヒッキー理系行けるの?」
「行くわけねぇだろ」
「だろうな」
「おい葉山、いきなり会話に混ざった挙げ句罵倒するな。傷付くだろ」
いつのまにか優美子以外も八幡達に視線を向けていたからか、隼人がさらりと会話に加わる。当然ながら八幡は物凄く嫌な顔をした。そして隼人はそんな彼を見て笑みを浮かべる。普段の、よく知られている『葉山隼人』ではありえないその表情は、頻度が高くなったとはいえ葉山隼人を知らない面々にはまだ驚きであるらしい。彼の横にいた男子生徒、大岡と大和は少々遅れ気味だ。
「そもそもだな、こうして自分の得意不得意を知っているというのは強みだ。選択を無駄に迷うことがないからな。お前みたいに何でもそつなくこなせる方が無駄に悩んで結局後悔しかしなくなる」
「常に後悔してばかりのお前が言っても説得力がな……」
「うるせぇよ。……冬休み前辺りから、葉山お前、あいつに似てきてないか?」
「やめろ虫酸が走る」
とある少女を思い浮かべ、そして双方ともに自爆した辺りで話は一段落。それで、と翔が他の面々にも進路をどうしたのか聞き始めた。どうやらあちらで一通り聞いてから八幡達に振った、というわけではなく、最初のターゲットがこちらだったらしい。大岡と大和が文系だと軽く述べ、姫菜もそれに同意するように文系を選んだと告げる。
「そういうとべっちはどうなの?」
「俺? 暗記苦手だし、理系もありかなーって」
「は?」
こいつ何言ってんだ、という目で優美子が翔を見た。代表者が彼女なだけで、その場にいる大半が同じような表情である。結衣だけはへー、と流していた。
「いやだって英単語とか無理ゲーだし」
「英語は理系も文系もいるっつの……」
「マジかー……」
呆れたような八幡の言葉に、がくりと翔は項垂れる。だったらもう文系でいいや、と投げやり気味に進路を変えた。
そんな翔を見ていた隼人は、そこで視線が自分に集まっているのに気付く。どうやら今度は自分の番らしい、ということを覚った彼は、しかしゆっくりと首を振った。
「え? 隼人くんこの流れで秘密にする系?」
「まだ決めかねているだけさ。こう言うとさっきの比企谷の言葉を肯定するみたいで非常に嫌だが」
「だから何で一々俺に棘刺してくるんだよ」
サボテンダーかよ、と内心で悪態を吐きながら、それ以上何かを言うことなく八幡は会話に加わらず成り行きを見守る。無理矢理パーティーチャットに加えられた身分としては、ログを眺めるだけに徹するのが定石なのだ。彼の理論では、である。
「ふーん。隼人でも、迷うんだ」
そんな中、隼人の言葉を聞いてどこか安堵したような表情を浮かべたのは優美子だ。どうやら彼女もまだ決めていなかったらしく、他の面々がさらりと告げるのを聞いて少しだけ気になったらしい。加えると、隼人向けに述べた八幡の嫌味が地味に彼女にも命中したようである。
「あー……優美子もそこそこ万能タイプだからねぇ」
「別にどっちも出来るわけじゃないし。ふつーだし」
姫菜の言葉にそう返したが、むしろだからこそ迷っているとも言える。こちらが得意だ、で決められる姫菜や八幡とは違うし、あちらの方がより苦手だの消去法を行える翔とも違う。
だからこそ、彼女はどちらでもいい。どちらでもいいからこそ。
「ユイ」
「ん?」
「ユイは何で文系選んだわけ?」
「あたしは、えーっと……ほら」
ちらりと八幡を見た。そんな彼女の様子を見て、優美子は知っていたが分かったとばかりに頷きもういいと話を打ち切る。迷っているのならばそういう理由で選んでも問題はないだろう。どうせそれでこれからの人生が決定付けられるわけでもないのだから。
「……一応、文系科目の方が成績いいからね、あたし」
「ヒキタニくんと一緒に勉強してるからねぇ」
「いやまあ、そうなんだけどはっきり言われるとちょっと」
「なんで積極的に自爆しに行くんだよ……」
もらい事故してるじゃねぇか、と八幡がぼやく。そんな二人を楽しそうに見ていた姫菜だが、優美子に視線を向けると困ったように笑みを浮かべた。友人として割と濃い日常を送ってきたせいか、案外彼女の考えが分かる。分かるからこそ、どうしたものかと首を捻るのだ。
「隼人くん、決めてないっていうけど、強いて言うならとかある?」
「ん? そうだな……」
姫菜の質問に何かを考えるような素振りを見せた隼人は、暫しの後何かに辿り着いたらしい。ぽつりと、本当にぽつりと、無意識にそれを口にした。本人すら気付かない内に、それを口にしていた。
「――大学。国立の理工系か……」
「え? 隼人くん理系志望?」
翔のその言葉にハッとした隼人は、いや違うと首を横に振った。思っても見なかった言葉を拾われたことで、普段の彼らしからぬ焦りが見えている。が、生憎相手は翔だ。その状態でもあしらわれてしまう程度の男であった。途中大岡と大和も加わったが焼け石に水である。
一方のそうはいかない組は、というと。
「……海老名」
「ん?」
「さっきの隼人の呟きって」
「あー……多分ね」
優美子の言いたいことを察したのだろう。姫菜も苦笑しながらそれに同意する。そうしながら、なんというかと頬を掻いた。
「案外女々しいよね、隼人くん」
「そんだけ、一途だったんでしょ」
「でも、優美子はそれをぶち破らなくちゃいけない」
「あったり前だし」
ぱん、と拳を手の平に打ち付けた。今ここにいない、葉山隼人のかつての想い人。完全無欠に彼を振った人。吹っ切ったという割に、何だかんだで残り続けているあの人。
それを、自分で上書きするのが、彼女の最終目標だ。
「あとついでに一色もぶっ倒す」
「あの娘はあの娘で結構したたかだしねぇ」
思い出の恋敵とは別の現存する恋敵一色いろは、彼女との決着も近い内に決める必要がある。そんなことを思いながら、とりあえず目の前の彼を文系に引き込もうと優美子は自身の決意を固めた。
そんな空気に爆弾が落ちる。言った本人の大岡としては一旦止まった進路の話からのちょっとした話題展開程度であったのだろうが、それはまさしく爆弾に他ならなかった。
「そういや隼人くん」
「ん?」
「雪ノ下さんと付き合ってるって、マジ?」
ピシリ、と空間が固まった気がした。そして八幡はその言葉を耳に入れた瞬間、慌てて口を手で塞いだ。そうしないと止まらなかったからだ。大岡が言った『雪ノ下さん』は、間違いなく雪ノ下雪乃だ。つまり、葉山隼人と雪ノ下雪乃が付き合っているのは本当なのか、と問い掛けた形になるわけで。
「っ――ぶふっぅ……――ほっ!」
「ヒッキー」
手で押さえて尚も漏れるそれと、肩を震わせ痙攣する姿。八幡のその二つを眺めながら、ジト目で結衣は彼を呼ぶ。収まらないので目だけで彼女を見た彼は、しかし仕方ないだろうと視線だけで述べた。
結衣としても、彼のその反応を間違っているとは言い辛い。こんな状況でなければ、彼女だって思わず吹き出していたかもしれないからだ。耐えられたのは、目の前で全力リアクションを押し留めた彼氏がいたことと。
「大岡」
「は、隼人くん?」
「誰からだ?」
「え?」
「誰がそんな無責任なことを言ったんだ」
当の本人である隼人の機嫌がこれまで見たことないほどに悪くなっていたからだ。その眼光は鋭く、言い出した大岡は思わず後退りするほどで。
「や……なんつーか……」
「答えろ大岡。誰がそんな心無いことを言ったんだ」
「ぶふっぅ」
「ヒッキー」
耐えきれなかったらしい。八幡はついに吹き出した。何ぞ、と蚊帳の外であった大和と翔が彼を見たが、机に突っ伏してピクピクと震えている姿を見て、それぞれ別の感想を抱く。大和は困惑、翔は若干の同意だ。
そんな彼のことはさておき。優美子も彼女らしからぬ目を丸くした表情で大岡の次の言葉を待っていた。騒ぎ立てないのは、双方のことをある程度知っているからだろう。そうでなければ、その言葉を聞いていたクラスメイトのようになっていたに違いない。
「いや、誰っていうか……噂? みたいな。冬休みに千葉のショッピングモールで二人がデートしてたって」
「案外具体的だね」
ふむ、と姫菜が顎に手を当てながら思考する。一応その仕草を取ったものの、すぐさま噂に該当する場面を頭に浮かべることが出来た。隣の優美子も同様のようで、あーあれかと息を吐いている。
隼人も同じようで、それを聞いて表情を和らげた。何だそのことか、と言葉を返した。
「別に大したことじゃない。家同士に繋がりがあるから、その関係で顔を合わせていただけさ」
言っていることは間違ってはいない。確かに家同士に繋がりはあるし、その関係で顔を合わせたのも正しい。だから嘘ではない。
「あ、そうなんだ。いやー、俺もそんなことはないと思ったんだけど」
「だったら言うな」
ふぅ、と息を吐いた隼人は彼を軽く小突き、そのまま翔と大和を巻き込んで男子同士のじゃれ合いのような会話を続けていく。それによって段々と空気が和らいでいき、こちらの注目も薄れていった。
そのタイミングで、結衣はようやく息を吐く。そうしながら、八幡をジロリともう一度睨んだ。
「ヒッキー」
「いや仕方ないだろ。笑ってはいけない並の案件だったぞ」
「あはは。まあ確かに私も思ったけど」
そんな二人に姫菜と優美子も合流する。ちょっと焦った、と一人ぼやきながら、優美子もそのまま八幡を睨んだ。
「つかヒキオ。我慢すんなら最後までしろし」
「いやだから、仕方ないだろ……」
あの雪ノ下雪乃と、葉山隼人が付き合っている。そんな愉快な状況を想像して吹き出さない理由がない。どう考えてもズタボロにされる隼人しかイメージ出来ないのが彼の中では拍車を掛けた。
まったく、とそんな八幡を見ながら、結衣はほんの少しだけ眉尻を下げる。件の噂は、まず間違いなくこの間の雪乃へ誕生日プレゼントを送る勝負の時のことだ。
「あれがこんな噂になるなんて」
「いや、ガハマ。それは違うぞ」
「え?」
どうしよう、と悩み始めた結衣に向かい、八幡は苦い顔を浮かべた。先程の内心大爆笑とは違い、噂のことを考えて一つの仮説を立てたのだ。
この噂は、半分くらいは意図的に流されている。
「どゆこと?」
「正確には、噂になる可能性が高いことをしたって感じか」
「意味分かんないし。何でそんなことするわけ?」
「それは、多分だけど」
優美子の問いに、八幡のそれを引き継ぐ形になった姫菜が述べる。きっと同じ仮説を立てたんだと思うけど、と続ける。
「隼人くんを無理矢理にでも動かすため、じゃないかな」
彼女の言葉に、八幡は意義を申し立てなかった。
季節はズレまくったけれどね!