を、目指したかった(過去形)
「それで、どうしたの?」
「その前に物申させろ」
放課後。八幡のリクエストによりお約束のファミレスへと向かった二人は、お約束のようなやり取りを交わしていた。内容を聞こうとする結衣に対し、八幡はそもそもの発端の件について追求したのだ。
「あそこで何か変なことを言う方がマズくない?」
「それは、まあ、そうだが」
「それに。あたしはこういうのも、普通のも、全部ひっくるめてデートでいいと思うんだ」
駄目かな、と結衣は目の前の彼に問う。うぐ、と言葉に詰まった八幡は、溜息と共に分かった分かったもういいと零した。
「まあ、とりあえずはいろはちゃんの件が片付いたらってことで。どう?」
「何でお前俺が不満に思ってるとか寂しがってるとかそういう方向に結論付けたわけ?」
「違うの?」
「違ぇよ」
そっか、と結衣は話を打ち切る。そこで更に何かを言わないことで、八幡は眉を顰めコノヤローと呟いた。何も言わずとも、何かを言っても。それで分かると、お互いにそう思える関係は、かつて彼が思い描いていたものに似ていて。
だからこそ、それを当たり前のようにやろうとしている結衣が、彼は。
「それで、どうしたの?」
「お?」
「何か意識飛んでたし。話するんでしょ?」
「あ、ああ。そうだったな」
「そうそう。んで?」
こほん、と咳払いを一つ。そうしながら、果たしてこいつにどこまで言って大丈夫なのかを一瞬考えた。が、あくまで一瞬である。そこを迷うくらいならば最初から相談相手に彼女を選んではいない。
そんなわけで、八幡はぶっちゃけた。陽乃から聞いた話や、それによって決めた新たな自分の立ち位置。そして雪乃は信頼出来ないという結論も。
「ゆきのんならその辺大丈夫だと思うんだけど」
「お前がそう思うんならそうなんだろう。お前ん中ではな」
「まあヒッキーが違うんならそれ用の対策が必要ってことだね」
ジト目で告げた文句はさらりと流され、結衣はそこで暫し何かを考えるように腕組みをする。二つの腕で強調されたそれは、とても柔らかそうな感触を醸し出していた。
「ちなみに、ヒッキーはどうするつもり?」
「それが決まってたら相談してねぇよ」
「そりゃそうかもしんないけど。何もないの?」
「つってもなぁ……。今の俺の立ち位置で一色を説得しようとすると、どう考えても無理が出てくる」
「いろはちゃんの味方するって言ってたのにね」
「いや言ってはいないぞ。無理矢理加えられただけだ」
「そだっけ?」
んん? と首を傾げる結衣に、奉仕部ではないからという理由で引き込まれたのだと八幡は述べる。若干のセクハラめいた発言を見咎められた部分はスルーした。あれは何故か知っていたいろはが悪い。そういうことになった。
「じゃあ問題なくない?」
「は?」
「ヒッキーなら、『俺はそもそもお前に協力するとは言っていない。雪ノ下の味方をしたくなかっただけだ』とか言っても分かってくれると思うよ」
「お前最低だな」
「酷くない!?」
目の前の彼氏の行動をトレースしただけだ。そんな文句を述べる結衣を眺めながら、しかし確かにそうかもしれないと八幡は思う。結局の所、今回の問題はいろはが勝つと雪乃の思い通りになってしまうという部分だ。彼女の味方をしないからこそいろは陣営に落ち着いている八幡にとって、その結果は所属している意味を無くす。
「でも、ゆきのんが生徒会長、かぁ……。奉仕部やれなくならないかな」
「……生徒会長になったら場所が向こうに変わるだけだろ。今もそう大してやってること変わらんしな」
「あ、そっか。でも、ヒッキーはそれが嫌、と」
「当たり前だろ。あいつが会長になってみろ、間違いなく俺は今以上の被害を受ける。ついでに葉山も」
「……あー。確かに隼人くんが酷いことになると優美子心配しそうだなぁ」
「俺は?」
「あたしが全力でサポートするし」
「役立たずだな」
「酷くない!?」
こんにゃろ、と対面の八幡の頬をブニブニと突く結衣を鬱陶しそうに跳ね除けると、そういうわけだから断固阻止だと強調する。そんな彼を見て笑みを浮かべた結衣は、はいはいと軽い調子で同意した。
「じゃあいろはちゃんを説得する方向でいくとして。ゆきのんとは別の意見を出す感じ?」
「ああ、まあ――ちょっと待て、お前雪ノ下の説得方法知ってんの?」
「そりゃ作戦会議してたし」
「あの宣言から今日で三日目だろ。ひょっとして初日で決めたのか?」
「そだよ。ていうか、ゆきのんは最初っから決めてたっぽい。だから優美子も姫菜も、もう今は普通に暇潰しで奉仕部来てるし」
結衣の言葉を噛みしめる。それはつまり、場合によってはあの時点で既に説得を終えていた可能性もあったというわけで。勝負を行うこと自体が余計なことである可能性すらある。
「待てよ。だったら何で負けたら生徒会長になるとか言い出してんだあいつ」
「言ってたの陽乃さんでゆきのんじゃなくない?」
「そりゃそうだが。……あの人が適当言ったってことはないはず」
考える。結衣の言う通りならば、先日の陽乃の言葉は既に説得方法を決めてからこちらに流した情報だと思って良い。それをする理由は、自分の意見が通用しない可能性を考慮して? 否、そうではなくむしろ。
自身の意見を効果的にするよう、こちらを利用するためだ。
「雪ノ下の野郎……」
「何か分かったの?」
「多分だが……。あ、その前にガハマ、これ絶対雪ノ下に言うんじゃないぞ」
「うん、流石にそれは分かってるし」
「あいつは俺が的はずれな説得をして一色を拗ねさせるのを待っている」
「ちょっと何言ってるか分かんない」
なんのこっちゃ、と首を傾げる結衣を見て、まあ分からないならいいやと八幡は息を吐いた。こちらの失敗を自身の攻撃を倍加させる布石に使おうというのならば、それを逆手に取るだけだ。彼女の意見とは違うもので、彼女を出し抜けばいい。
そのために必要なのは情報。とりあえずダメ元で、と八幡は目の前の自身の彼女を見た。
「なあガハマ。ちなみに雪ノ下の説得って何を言う気だ?」
「肝心な部分は教えてくれなかった。ていうかどっちみち言うわけないし」
「それもそうか」
「まあ、でも。あたしも優美子も何となくゆきのんの説得方法分かったけど」
「は?」
素っ頓狂な声を上げる八幡を見ながら、だってあの状況でパッと出てくる言葉はそれしかないじゃんと笑う。それしかない、という彼女の物言いに彼は怪訝な表情を浮かべ、しかし考えても出てこないことで額を押さえた。
「……分からん。あの場でどういう取引をすると一色が首を縦に振るようになるんだ」
「あはは。ヒッキーは多分性格的に難しいと思うよ。後姫菜も」
「海老名さんも?」
「うん。まあ姫菜の場合は同じ答え出してもちょっと意味合いが違うやつになるかもって感じ?」
「ちょっと何言ってるか分からん」
結衣の口ぶりでは、八幡ではその意見に辿り着くことすら出来ないと言わんばかりだ。それが彼には不可解で、自分は分からないのに彼女が分かるというのが何となくではあるが無性に悔しかった。
そんな八幡を見て、結衣は小さく笑う。まあ今ならヒッキーもその答え出ると思うよ、と指を立てた。
「ちょっと前のヒッキーならキツかったかな」
「なんだそれ……」
「んー、そだね。人の気持ち、もっと考えてみてよ。ヒッキーはいろんなことが分かるんだから、きっとそれで分かると思うよ」
「現在進行系でお前の言ってることが分からんのだが」
「そう?」
微笑みながら八幡を見やる。そんな結衣の視線から逃げるように目を逸らすと、彼は小さく呟いた。考えておく、と彼女に述べた。
勝負は本日の放課後、奉仕部で行われる。つまり八幡が攻められるのは今この瞬間、その直前までの僅かな時間だけだ。結局考えてはみたものの、雪乃が一体何を言おうとしているのかを察することは出来なかった。結衣や優美子も分かったのだから複雑なことではなく、むしろ単純な答えなのだろうというところまでは推理出来たが、確信には辿り着けず。ならば仕方ないと結局自分なりのやり方でいろはを説得するように考えを巡らせたのだが、何をしても雪乃のアシストになるのではないかと疑心暗鬼に陥ること三日、何とかアイデアをまとめたのが昨夜だ。もはや一刻の猶予もない。
昼休みに八幡は一年の教室まで向かうと、いろはのクラスを開いている扉から覗き込んだ。教室で弁当を食べようとしている彼女の姿を発見し、中に入るか呼ぶかを一瞬だけ迷う。
「あー、ちょっといいか?」
「はい?」
即座に結論を出した八幡は近くの生徒に声を掛け、いろはを呼んでもらうことにした。幸いというか何というか、彼を見たその男子生徒はうわ愛の人と無駄なリアクションを取ったおかげで警戒心も抱かれていない。いい加減その二つ名消えないかな、とほんの少しだけ八幡は黄昏れた。
「……何にしに来たんですか、先輩」
「滅茶苦茶機嫌悪そうだな一色」
一方、呼ばれたいろはは完全に警戒モードである。普段のキャラとあまりにも違うその低い声に、それを耳にしたクラスメイトの男子二人ほどは耳の穴をぐりぐりとさせていた。
「まあいい。ちょっと話がある。ここじゃなんだからついてきてくれ」
「え? 普通に嫌ですけど」
「いいのか? 例の話に関連するぞ」
あくまで八幡は表情を変えない。内心は大分テンパっているが、それを覚られると向こうへ一気に天秤が傾くので、彼はポーカーフェイスを保っている。
それが功を奏したのか、いろはが小さく溜息を吐くと分かりましたと頷いた。置いてきた弁当を抱えると、それでどこに行きますかと八幡に問う。昼食も兼ねて、となると図書館などの飲食禁止の空間は却下。季節柄、自身のベストプレイスは流石に寒い。
となると彼の取れる選択肢は自ずと狭まり。
「あら比企谷くん、どうしたの?」
「……ちょっと部屋を貸してくれ」
「一色さんと二人きりで昼食? そう、最後の相談というところかしら」
奉仕部の扉を開き、当たり前のようにそこにいた雪乃にそう述べた。クスクスと笑う彼女の言葉を果たして額面通りに受け取っていいのかどうか。ともあれ、昼食はとうに終えていた雪乃は、紅茶のカップを片付けると八幡へと鍵を手渡した。ちゃんと返しておいてね、と告げ、彼女はひらひらと手を振りながら奉仕部の部室を後にする。
「……よし一色、話をしよう」
「まあいいですけど。今更何を話すんですか?」
閉まった扉を一瞥した八幡は、椅子に座ると同じように座り弁当を広げたいろはへと言葉を紡ぐ。ぱくぱくとそれを食べながら、彼女はジト目で彼に問い掛けた。
間違いなく説得に応じない。それを節々で感じた八幡であったが、しかしここで止まるわけにもいかない。相対的な勝利のために、雪乃が説得にわざと負ける可能性も決してゼロではないのだ。
「なあ一色。お前を嵌めた連中を、見返したくないか?」
「いきなり何言い出してるんですか?」
箸が止まる。持っていたタコさんウィンナーを口に突っ込むと、彼の言葉の意味を問い詰めるように睨んだ。
「言葉の通りだ。やっぱり、やられたらやりかえさないとな」
「……だから、会長をやれって言うんですか? 出来もしないって思ってたあいつが立派に会長を努めて――とか、そういう感じを目指す方向とか?」
そうだ、と八幡は頷く。それを聞いたいろはは小さく溜息を吐くと、食べ終わった弁当に蓋をした。そんな当たり前のことを言われてもだからなんだ。そんなことを思いつつ、口には出さず。だがはっきりと伝わる形で視線に乗せた。
「あのですね先輩。わたし言いましたよ。そりゃあ、まあ、出来ないこともないこともないかな~って思ったりもしますけど、でも無理です。それやっちゃったら、顔もよく知らない連中を見返すためだけに他の色々を犠牲にしないと駄目じゃないですか。そこまで復讐に生きてませんし、そんなことするくらいなら友達と一緒にいるほうが万倍マシです」
「……なら、そこまでの状況じゃないならいいんだな?」
「はぁ?」
ニヤリ、と笑う八幡を見て、いろはが明らかに嫌そうな顔をする。他には、彼女の親しい相手以外には決して見せないそれを視界に入れながら、彼は内心で溜息を吐く。ここからが勝負どころで、後はどれだけ向こうの妥協点を引き出せるかだ。覚悟を決めるとゆっくりと口を開いた。
「まず一色、お前は一年だ。普段生徒会長をやる二年生と違って、ある程度の粗は見逃される、あるいは一年なのにここまでやれたという好評価に繋がる」
「そうかもしれませんけど、でも見返すにはそれじゃあ駄目ですよね」
「そうでもない。ここでもう一つのお前の強みが出てくるからだ」
指を立てる。一色いろははサッカー部のマネージャーであるということを、二足の草鞋なのだということを強調する。
「二つの仕事を同時にこなせる一色いろはって素敵、ってわけだ」
「先輩に素敵とか言われても彼女持ちだからどうせ二番目の褒め方じゃないですか。そういうのは一番とか一つだけとかそういうのに価値があるんですけど」
「こだわるのそこかよ」
「女は常に誰かの一番で有りたいんですよ」
「ああそうかい。じゃあ、もう一つだ」
指をもう一本立てる。その言葉を引き出せたことで、八幡の中ではほんの少しだけ余裕が生まれた。
彼女の一番でありたい相手、それが誰かを八幡はよく知っている。何の因果か何故か友人枠に収まっているらしい見た目と表の評価だけイケメン、中身は彼とどっこいどっこいのダメ人間で雪ノ下雪乃の被害者枠である人物。
「葉山にアピール出来るぞ。三浦と違う方向で、お前の魅力をな」
「む」
揺れた。表情には出さないが、八幡は内心で拳を握る。やはりポイントはここだ。雪乃のそれと同じかは知らないが、彼なりに考えて出した結論では攻める場所はここしかないと踏んでいた。
「それに、考えてみろ。お前が会長に立候補した場合、応援演説をする奴が必要だろ。……誰に、頼む?」
「……葉山先輩に、応援演説を?」
「ああ。お前を推薦した奴らのおかげで距離を詰められましたありがとーってなもんだ」
「仕返しの第一歩ってわけですね」
ニヤリといろはも笑う。そういうことだと頷いた八幡は、よし決まったと息を吐いた。後は細かい調整をして、自分には負担が来ない方向に持っていけば。
そう考えた矢先である。でも駄目です、という彼女の言葉に八幡は思わず顔を上げた。
「先輩の提案、確かに魅力的でしたけど。でも、駄目ですね。わたしの一番の不安が解消されてません」
「お前の不安……? 生徒会長をするには負担が大きいって話なら」
「足りません」
きっぱりと、ばっさりと切り捨てた。先程のものとは違う笑みを浮かべながら、彼女はそう言って彼を見た。
何が足りない、と思考を巡らせている八幡を眺めながらいろはは述べる。そういうところは鈍いんですね、と。
「先輩って、人の立場に立って考えるとか苦手ですよね」
「は? いや、別にそんなことは」
「自分が同じ立場だったら、っていう考え、苦手じゃないですか? 自分なら別に平気なのに何が問題なのか、とか思っちゃいません?」
言葉に詰まる。言われてみればそうかもしれない、という程度ではない。本人としてもその自覚は多少あった。結衣と出会い、今の関係になってから改善の兆しを見せていはいるが、あくまでそのレベル。
「まあ、それはそれで先輩のいいところなのかもしれませんけど。こういう場合は、駄目ですね。わたしを揺さぶるには、失格です」
「……ああ、そうかい」
あの時の結衣の言葉を思い出す。何となく分かっていはいたが、やはりここで躓くのか。そんな事を考え、八幡は小さく舌打ちした。
ともあれ、彼の説得は失敗である。成功するには僅かに届かない。いろはの首を縦に振るには、もう少し足りないと彼女も。
「おい待て一色」
「どうしました?」
「……何だかんだでやる気あるんじゃねぇかよ」
「何の話です? わたしはそんなこと一言も言っていないんですけど」
クスリと微笑んだいろはを見て、八幡は改めて思った。ああそういうことかと溜息を吐いた。何となく分かっていた、から、分かったに変わった。
――人の気持ち、もっと考えてみてよ。
「分からん……」
分かったのに分からない。そんな矛盾した思いを抱え、八幡はがくりと項垂れた。
多分みなさんもうオチが分かってる感がひしひしとする。