移り変わりが酷い
部室の鍵を返却しに行った折、平塚静が八幡を呼び止めた。何でも雪乃から言伝があるらしく、今日の放課後奉仕部に来る時はいろはと共に、とのこと。どう考えても嫌な予感しかしないが、一応曲がりなりにも彼は一色いろは陣営である。仕方ないと諦めて頷いた。
そのまま午後の授業を受け、今日も学校生活の一日が終わる。後は帰るなり部活をするなり好きに過ごす時間だ。が、それはあくまで一般の生徒の話。普通ではない、とカテゴライズされてしまった八幡には当てはまらない。所属してもいない部活動の拠点へと半ば強制的に向かわされるのが彼の課せられた使命である。
「物凄く嫌そうな顔をしてますね先輩」
「嫌な予感しかしないからな」
トボトボと廊下を歩きながらいろはの言葉に八幡は返す。そうはいっても、と彼女は少しだけ首を傾げた。これからの勝負、当事者はいろはである。八幡はこちら側だという名目はあるものの、実際は野次馬と変わらない立場しかない。そんな彼が落ち込む理由というのが彼女にはどうにも思い浮かばなかった。
「被害が来るとか来ないとかじゃない。雪ノ下の悪巧みに巻き込まれるのが嫌だ」
「徹底してますね」
「あいつと出会ってからずっとだぞ。嫌でも身構える」
「そこまでですか」
「いやお前も色々巻き込まれてんじゃねぇか」
溜息とともにいろはを見やるが、彼女はどうにもピンとこないらしくやはり小首を傾げたままだ。そもそも今回だって悪魔呼ばわりしていただろうに、という八幡の言葉には、ああそのことですかと手を叩いた。
「先輩と同じですよ。あの時は勢いで言いましたけど、よくよく考えるとそうだな~って」
「納得したのか……。いや待て、だったらなんでその反応だ」
「わたしはそこまで被害受けてませんし」
しれっとそう述べるいろはを見て、八幡は死んだ魚の眼をギョロリと向けた。だったら今日この瞬間からお前も仲間入りだ。そんなような言葉を彼女に投げかけた。
そうだといいですね、といろはは微笑む。その表情はどこか自信に満ち溢れているように感じられ、皮肉を打ち込んだ八幡が思わず言葉に詰まり気圧されてしまうほどで。
「おい一色」
「着きましたよ先輩。それで、どうします? もう開けちゃっていいんでしょうか」
目的地に辿り着いたことで会話が中断される。開きかけた口を閉じると、八幡はガリガリと頭を掻いた。一応念の為、とばかりに扉をノックすると、部屋の中からどうぞという悪魔の声が聞こえてくる。
ではいくか、と八幡はいろはを見やる。視線でそれに返答した彼女は、よろしくおねがいしますと笑みを浮かべた。
「弾除けにするな。レディーファーストだ、お前が行け」
「紳士的な言葉を最低に使えるのって先輩の得意技ですよね」
「人聞きの悪い事を言うな。俺の発想じゃない、元々の語源がだな」
はいはい分かりました、といろはがそれを遮る。そうしながら、彼女は彼の前に立った。どのみちここで扉を開けたところでいきなり斬り掛かられるはずもなし。ならば当事者である自分が真っ先に飛び込むのが筋であろう。
扉に手を掛ける。そのまま迷うことなくそれを開け、中にいるであろう雪乃へと視線を。
「……成程」
「来たわね一色さん。さあ、勝負を決めましょうか」
思わずいろはの動きが止まる。そんな彼女を見た雪乃は、狙い通りとばかりに楽しそうに笑い手を広げた。
「……何でお前らがいる?」
「いや、何でと言われても」
遅れて奉仕部部室へと入った八幡は、そこに立っている面々を見て怪訝な表情を浮かべた。雪乃は当然、結衣も当たり前。優美子と姫菜も問題ない。
本来別の部活動をしているであろう葉山隼人と戸部翔がいるのは大問題であった。とはいえ、呼ばれた本人も何とも言えない表情でいることから、ひょっとしたら事情を聞かされているわけではないのかもしれない。八幡はそんなことを思いながら視線を動かす。
「で、あっちの一色の友人ズは?」
「同じ理由で集められたんだ」
「おい葉山。お前事情知ってんのか」
「流石に知らずに集められるようなことは……いや、雪乃ちゃんなら割と頻繁に平然とやるが、まあとりあえず今回は違う」
小さく両手を上げて首を横に振る。そんな仕草が妙に板についていて、八幡は小さく舌打ちすると視線を男子連中から雪乃へと向けた。ちらりと彼を見た彼女は、しかし今回の相手はお前ではないとばかりにすぐさまいろはに目を向けた。
「さて一色さん。勝負は、あなたを説得出来るかどうか、だったわね」
「はい。それで、雪ノ下先輩はどういう説得をしてくれるんですか?」
「ふふっ、そうね。茶番を挟むのも面倒だし、率直に行きましょうか」
「そうですね。わたしもそれでいいです」
二人の表情は笑顔である。勝負という割には緊張している様子も見られない。いろはのそれは八幡が説得にかかった時の方が余程真剣味があったような気さえする。
小さく雪乃が息を吐いた。そうしながら、そこに立つものを紹介するように手を広げ、その口から言葉を紡ぐ。
「私達は、あなたの生徒会長の仕事を全力でサポートするわ」
短く、それでいて説得としては陳腐でありふれた一言。だが、それを雪ノ下雪乃という存在が発することによって、有無を言わさぬ力に作り変えていた。口だけ、社交辞令、おべっか、お世辞。そんなものではなく、本気で、正真正銘の言葉通りに。やると言ったらやる、そういう力に満ちていた。
傍から見ている八幡ですらそう思うのだ。当事者であるいろはが思わないはずがない。それでも八幡は同時に思う。自分なら、その提案でなれと言われても首を縦に振ることはない、と。だからこんな提案をしたところで、決め手には到底たり得ない。
「……分かりました。しょうがないですね」
「なん、だと……!?」
「……何で先輩が驚愕してるんですか」
あっさりといろはが折れた。それを見て目を見開いた八幡は、ジト目でこちらを見る彼女を理解出来ないものを見る目で見詰め返す。楽しそうに笑う雪乃が異様に癪に障った。
「いや驚くだろ。何でこんな交渉でも何でもないような言葉でお前説得されてんだよ。だったら最初から」
「違いますよ先輩。この流れで、言葉だけなら、わたしでも流石に断ります」
「は?」
何言ってんだこいつ、という目をした八幡を見て、彼女は小さく笑う。視線を雪乃を経由し結衣へと動かすと、まあそうだよね、という顔で頬を掻いている姿が目に写った。
これ自分が言ってもいいやつですか、といろはは結衣へと目で訴える。その視線に気付いた結衣は、オッケーとばかりにサムズアップした。
「結衣先輩の許可も出たので。まずは説明の続きですかね。ほら、雪ノ下先輩がわざわざ葉山先輩とついでに戸部先輩、あとオマケを集めて待ち構えていたわけじゃないですか」
ついでかいと笑う翔と、オマケ扱いとかどういうことだーと抗議するいろはの友人達をスルーしつつ、彼女は続きを述べる。言葉だけでなく、きちんと人員を集めて、そして宣言したからだと言い放った。
「論より証拠ってやつですかね。これであの宣言の時いたじゃないですか、って責められます。多分雪ノ下先輩なら残る証拠用意してくれてるでしょうし」
「ここにお前の正体知ってるやつしかいないからってぶっちゃけすぎだろ」
はぁ、と溜息を吐く。そうしながら、八幡はまあ言いたいことは分かったと頷いた。が、理解しただけで納得は出来ていない。だからなんなんだ、という気持ちは彼の中に残っているからだ。
それを察し、いろははやれやれと肩を竦めた。そうしながら、これ説明するの自分は恥ずかしいと顎に手を当て考え込んだ。
「なら、私が説明しましょうか」
「それはそれで少し……まあ、いっか。雪ノ下先輩、お願いします」
「ええ、じゃあ。三浦さん、あなたはどのタイミングで気付いたの?」
「うぇ、あーし!? ……あー、ほら一色言ってたじゃん。会長やると友達といる時間減るってわざわざ。こいつの性格的にそんなのあーしらの前で絶対言わねーって思ったから」
「成程。由比ヶ浜さんは?」
「あたし? 大体優美子と一緒かな。いろはちゃんがそういう弱音吐くの何か珍しいって思って、ああこれそういうことかって」
あぁぁぁぁ、といろはが絶叫する。恥ずかしいのを誤魔化すために任せたらド直球で晒し上げられたの図だ。案の定いろはの友人達が寄ってたかって彼女をおもちゃにし始める。ほら見ろ、と八幡はそんないろはを見て鼻で笑った。雪ノ下雪乃を甘く見ていたからこうなるのだと見下ろした。
「それで、肝心の部分は言わなかったけれど、比企谷くんは察したのかしら?」
「つまり最初から一色はお前たちに手伝って欲しいと言いに来てたってわけだ」
「はい、よく出来ました」
「今ので分かるならもう少し前に理解してくださいよ! わたし完全に晒され損じゃないですかぁ!」
がぁ、といろはが叫ぶ。よしよしと撫でられている彼女にほんの少しだけ申し訳無さそうな顔を返した八幡は、それでもまだ腑に落ちないような顔で頭を掻いた。
やりたくないことがあって、それをすることで自分の時間が減る。当然友人と騒ぐ時間もなくなる。でも友人が手伝ってくれるなら、友人と騒ぐ時間と大変なことをする時間を混ぜ合わせて、騒ぎながらそれをする時間に割り当てられるなら。
なら、それでもいい。そう言えるのは八幡には無理だ。嫌なものは嫌であるし、どんな付加価値があろうとそれは変わらない。彼にとってそういうのは渋々やることであり、嫌々しなければならないことであり、決して楽しくならないことであるのだ。
「比企谷くん。それはそれで構わないと思うわ」
「何の話だ」
「他の人がそうだからって、あなたもそうである必要性はないもの。あれは一色さんの考えで、あなたの考えじゃない。だから別に構わないと思うわ」
ただし、と雪乃は笑う。今回みたいな状況では、きっと答えに辿り着けない。そう言って彼女は立てた指をくるくると回した。
それは奇しくも、今日の昼にいろはに言われたことと同じで。
「まあ、そんな心配は無用でしょうけれど」
「は?」
「だってそうでしょう? 今回みたいな状況ならともかく、普段のあなたにはそれを補ってくれる人がいるもの」
先程とは違うベクトルの笑み。三日月のように口角を上げた雪乃は、八幡が何か文句を言う前にそれはそれとしてと話題を転換させた。
「あなたはどうするの?」
「何をだ」
「あ、そうですよ先輩! わたしをこんなにしておいて責任取ってくれないとか最低ですからね!」
「何をだ!」
「言わなければ分からないの?」
「言わなきゃ分からないんですか先輩」
展開した話題に食いついたいろはと、そして雪乃が八幡を見る。そのことで何かを察した他の面々も、彼の返事を見守る方向にシフトしたらしく皆揃って視線を向けた。
これはどう考えても同調圧力だ。ここで首を縦に振らなければいけないという状況を作り出している。それを感じ取った八幡の取った行動は当然。
「断る」
「そうですか。分かりました」
「……というかだな、そもそも、俺は一色陣営なんだろ。だからお前らのそれを断ったところで、最初から拒否権は――」
言葉を途中で止めた。同調圧力だと思い込んでいたその視線が、非常に生暖かいものであることに気付いたのだ。つまり、ああやっぱりというやつだ。お約束が見られてほっこりした、というやつだ。
完全に見透かされていたとも言う。
「ヒッキーは頑張った」
「うるせぇよ!」
生徒会役員選挙は問題なく片付いた。いろはの応援演説は隼人が引き受け、ついでとばかりに距離を詰めた姿を見せたことで彼女を嵌めた連中の意趣返しとついでに優美子の牽制もこなした。そうして十二月に入り、本格的に寒くなってきた季節、新たな生徒会が始動するのだ。
その第一歩として、生徒会室は大幅な模様替えが行われていた。前生徒会の荷物の片付けと新生徒会の荷物の搬入。ついでに手伝いという名の冷やかし連中の用意した私物が運び込まれる。
「いろはすー、これどこ置くー?」
「その冷蔵庫はあっちにお願いします」
「おう。んじゃこれは」
「ハロゲンヒーターはこっちの奥に」
「おう。てか俺ばっか重い荷物持ち過ぎじゃね?」
「え~? だってわたしか弱い女の子ですよ~?」
「いやいろはすはともかく、優美子とかは――」
ゴルゴンの睨みで一瞬にして石化した翔は、哀れそのまま放置と相成った。姫菜がついでとばかりに今のは駄目だねと呟き、翔の石像はそのまま砂になる。
「そもそも俺と比企谷がいるんだからそこに言えばいいのに」
「戸部だからな」
えっちらおっちらとめぐり他前生徒会の面々の荷物運びの手伝いをしていた隼人と八幡が砂を一瞥したが、別段気にせず仕事を続ける。一年に積もり積もったそれは想像以上の思い出と重さを誇り、男子であっても結構な労働であった。
ありがとう、とめぐりはそんな二人に声を掛ける。いえいえと返した隼人と八幡は、そのまま変わっていく生徒会室を眺めていた彼女にどうしたのかと問い掛けた。
「なんだか、違う部屋みたいだなぁ……」
どこか感慨深げにそう呟いためぐりは、しかしこれからのことを想像したのか笑みを浮かべた。きっと新しい部屋も楽しくなると、そう続けた。
「一色さんには、強力な味方が一杯いるものね。わたしの時なんかより、ずっと」
「そんなことはないです」
横合いから声。振り向くと、そこには同じように荷物を持った雪乃と結衣が立っていた。どうやらめぐりの話が聞こえていたようで、雪乃が適当な場所にそれを置きつつ彼女に向かって言葉を紡ぐ。
「あの馬鹿姉から名前が出るレベルの人が駄目なわけがないでしょう。城廻先輩は立派な、尊敬できる先輩です」
「雪ノ下さん……」
え、これ感動する場面なの、と八幡は横を見る。ぶんぶんと首を横に振る隼人を見て、良かった俺の感覚は正常だったと胸を撫で下ろした。
が、確かに陽乃と親しいという時点でこの人も大分キテる部類だった、と二人は少しだけ戦慄する。果たして新しい生徒会はきちんと職務を全う出来るのだろうか。ついでにそんなことも考えた。
「んで、ガハマ」
「へ? どしたの?」
「いや、雪ノ下は荷物置いてんのに何でお前は持ちっぱなしなんだよ」
「……何となく?」
「アホか。おい一色、これはどこに置くんだ?」
運び終わり戻る途中であったため手ぶらであった八幡は、そのまま荷物を奪い取るといろはに問い掛ける。視線をこちらに向けたいろはは、荷物と結衣を見てニヤリと口角を上げた。
「せんぱーい。あれですか? さりげない頼れる男アピールですか? そんなことしなくても結衣先輩は先輩にベタぼれですよ?」
「馬鹿言ってないで仕事しろ仕事」
「ヒッキーが仕事しろとか……!?」
「やっぱこれお前持て」
「ちょ!? 投げんなし! あふぁ!?」
「げ」
そこまで大きな箱でなかったのが災いしたのか。投げる素振りをしながら八幡が突き出したそれを、本気で投げたと勘違いした結衣は受け取ろうと思い切り飛びかかるような動きで距離を詰め。
二人で荷物を持ったまま、バランスを崩してすっ転がる。二人揃って箱を落とさないようにと考えたらしく、お互いの手が天に向かい箱を掲げる体勢となっていた。そして飛びついた方はうつ伏せに、飛びつかれた方は仰向けに当然倒れるわけで。
「ヒッキー! 大丈夫!?」
「ヤバいくらい重い」
「酷くない!?」
見事下敷きにされた八幡は、ずっしりとボリュームのあるそれを惜しむことなく顔面に押し付けられる羽目になってしまったのである。叫びとともに避けた結衣が不満げに彼を睨みつつ謝罪するのを気にするなと手でひらひらさせながら、八幡は上半身だけを起こして右膝を立てた状態で座ったまま一向に動かない。
「……ひょっとして、背中とか腰とかやっちゃった?」
「いや、別にそこまでじゃない。そこまでじゃないから、気にするな」
「でもヒッキー立ってないし」
本当に大丈夫? と結衣が屈む。それを必死で押し留めた八幡は、もういいからあっち行ってろと叫んだ。眉尻を下げた彼女は、しかし確かに大丈夫ではあるのだろうと判断し立ち上がった。もう一度ごめんねと述べると、そのまま彼から離れていく。
「……由比ヶ浜さんも、そういうことについては人の気持ちをもっと考えるべきね」
ぽつりと呟いた雪乃の言葉に、隼人は飛び火しないようにひたすらノーコメントを貫いた。
ついオチを下ネタにしてしまった、今は反省している