空には白い月が輝いていた。
砂漠とも、荒野とも見まごうような砂の大地にそびえる退廃の摩天楼。
輝くすべて、煌めくすべて、天の星をすべて地におろしたような不夜の都。
人間の欲望と快楽とそして恐怖を形にしたような人工のエデン、ラスベガス。
本来のラスベガスとは異なる聖杯によって作られた一時の夢幻の都の中を一人の青年が歩いていた。
「悪いねぇ、肉体的には私のほうが頑強ではあるんだけど、腰が」
「結局戻るのは同じ方向だしいいんですよ、教授」
アロハシャツを着た青年と壮年の男が歩いていた。
「まったく彼女たちもはた迷惑なことだヨ。カジノで負けたやけ酒ならまだしも暴れ始めるんだからネ、マスターも酒を飲むときはああいうのには気を付けたまえよ」
壮年の男はバーテンのような腰巻のエプロンをしていた。しかし、よく見ればあちこちに争たような服のほつれやくたびれ、袖のボタンが一つ飛んでいる。青年のほうもいくつか打ち身のようなあとが残っていた。
それは数十分ほど前のこと、教授の営むバーにて青年がジャスを楽しんでいた時のことだった。け破られたのは一日ほど前に見た二人の顔、黒い聖女と狩人という組み合わせ。この時点で気が付いていればよかったのだろう。しかし、生憎と心優しき青年に転んだあとの子供のように涙を湛える彼女たちをそのままにしてはおけなかった。
「尻の毛まで抜かれるくらいは想像してたけど、まさか自分の得物まで担保に入れてそのうえ負けて逃げ帰ってくるなんて思ってなかったな」
「ここもピンからキリまで無数といっていいほどのカジノがある、その中でも下の下を引き当てる上ってところがなんというか勝負運がないというかネ、幸運Cはあったはずなんだけどそれが働いてくれないとはね」
彼女たちのやけ酒の上にバーにまで乗り込んできた悪質借金取りとの大捕り物のために静かだったはずの夜は一気に喧騒と狂乱に包まれた。本来ならばサーヴァントである彼女たち二人にかかれば被害を出すこともなく事態を収束させることは可能だっただろう。しかし、すでに酔いのまわっていた彼女たち、連日の負け越しの恨みつらみによって放たれた宝具はいとも容易く悪党を粉砕し、そして同時にバーもまた玉砕させて見せた。
「まぁ今頃ジャンヌ・オルタ君は姉の説教を食らっているだろうし、アタランテ君もヘラクレスが迎えに来たからネ、否応なく反省はしているだろうサ」
大通りからは少し離れているためか夜の喧騒は遠く、摩天楼の明かりも大きな光となって遠くに見えた。
「それにしても、悪いね教授。わざわざ送ってもらって」
「マスターの頼みとあらば否やなどないさ。店も壊されちゃったしケテルマルクト建設に頼んだ補修も一晩はかかるみたいだし、どうせ今日は店じまいだヨ。それに」
壮年の男は隣に並び歩く、いいや少しかがみながら歩く青年に目をやった。
「微少とは言え特異点、そこを歩くマスターを護衛するサーヴァントがそんな具合ではどうしようもないだろう」
青年の背中、そこには白いブラウスに身を包んだ薄い紫色の髪をした少女がゆっくりと深く呼吸をくゆらせながら眠っているらしかった。
「元から酔いやすいというか場に飲まれやすい子だとは思っていたけど、実際に飲んでみたらほんとに大変なことになったねぇ」
「飲んでみたというか、かかったというほうが正しいけれどね」
大捕り物の最中、取り立て屋の一人が投げたウォッカ、黒い聖女によって切り裂かれたそれはまるで狙いすましたように広がり、琥珀色の膜は見事に少女を包み込んだ。元から場によっていたためか、周りの酒気に充てられていたためか、それともバーテンをしていた壮年の男が元から酒を混ぜていたためかはわからないものの、反応が遅れ微かに口に入ったその琥珀色。唇についたその色をなめとるのは赤く、湿り気を帯びた彼女の舌。白い肌は血が通うように赤く染まり、白いブラウスから延びる手すらも紅色に染まる。
鼓動が早くなる、しかし呼吸は深くそしてなぜか耳に残るほど緩慢に揺蕩う。
体の中に血の通う感覚、これまで見たような命を懸けたような赤ではない。
生きていることを証明するような紅色。
皮膚の下を、肉の中を血が巡っていく。
細く、
白く、
人形のように触れれば折れてしまいそうな少女の体が紅く、
人間として機能している事を見せつけるようなそんな紅色に染まっていった。
「初めての飲酒というかあれだけで彼女たちとともに店を半壊させるに至るんだからネ、将来有望というか無謀というか」
「今後は是が非でも止めなきゃ死人が出ることになりそうだ」
まだ赤い彼女の寝息が聞こえてくる。
「マシュ君も今年で19、日本ではだめなのかもしれないけどイギリスとかドイツとかでも飲酒の解禁年齢は18歳だから飲んでもいいんだけどネ。第一南極生まれのマシュ君の国籍がどこになるのかは聞いていないし、南極自体が国籍を持たない場所であるからそんな法律が適用されるべくもないとも一蹴できるんだがネ」
「俺を先輩って呼ぶってことは日本人の後輩ってことで日本の法律を遵守しているのかなぁ」
自分で納得していないのか少し笑いながら青年は少しずり落ちた背中の少女を持ち直す。少女の体が少しだけ投げるように、軽く、熱く、そして柔らかい少女の体を背負いなおした。
「それにしても背負い慣れているというか、すごく自然に背負うんだね君は」
「ずっと二人で旅してきたんだから慣れもするよ。背負い背負われ津々浦々。まぁ鎧をしてないのは久しぶりではあるけれど」
人理焼却を解決して、彼女の体から英霊が出て行って、オペレーターへと回った少女。訓練のために彼女を初めて背負ったのは四年以上前、まだ子供のような、幼子のような、無垢で小さな少女だった。
久しぶりに感じるのは少しだけ大きくなったような確かに感じる少女の重みと背中から薄い布越し感じる彼女の確かな温度と柔らかな肉体。
そして変わることのない甘い彼女の匂い。
いつの間にか少女から女へと変わっていくその匂い。
「なかなかにいい雰囲気、というかはた目から見ていて二人ともヤキモキするのは老い先短い老人を侮りすぎではないかね。まぁ先行きがどうなるかのトトカルチョは現時点でなかなかに儲かっているからまだ続いてほしいとも思うがね」
青年は笑った。
「かいかぶりすぎ。それにマシュは普通に体に成れてまだ一年だよ。カルデアの中だけじゃなくて世界のどこでも生きていけるようになってまだ一年。いろんな人と会って、話して、触れて、生きることが出来るようになって一年なんだ。世界は今こんな感じだけどそれも解決してそっからでも遅くはないってね」
「悪のカリスマをあまり甘く見ないほうがいいよ。人の機微、考え事、隠し事、そんなものは手に取るようにわかる、それをつつき、利用し、爆発させる、それができない私じゃないことは知っているだろう。なんたって悪属性だからネ」
男のその目に青年は苦笑したように、観念したようにため息を漏らした。
「怖いこと言うなよ、それに別に隠し事じゃないさ」
ただ
「フェアじゃないって思っただけさ」
「どう、フェアじゃないのかい」
男はその先の声がわかっているように、ただその先の言葉を言葉にさせるためだけのように、確かな道しるべを置くようにその言葉を言った。
「俺は彼女が幸せになってくれるならそれが最善だと思うようにしているんですよ。ひな鳥が最初に見たものを親だと思うように彼女にとって俺が初めての先輩だった。それだけならもっといい人がいるかもしれない。彼女のことを思って彼女のためにもっと何か出来る人がいるかもしれない。もっとマシュを幸せにできる人がいるかもしれない」
なら
「俺はお払い箱で構わない」
「君もなかなかどうして面倒臭い性格をしているね」
「単純だよ。抱きたい女を理由を作って抱かないだけのただのヘタレだよ、俺は」
青年は少しだけ赤くなった顔を隠しながら嘯く。
「まったく、あっ」
壮年の男はふとポケットの中に手をやるとその先から小さな紙片を取り出した。
「なんだよあって、なにそのメモ」
「すまないんだけどちょっと店に補修のゴーレムにこれを渡して来てくれないかね。修繕のこまごましたことを書いて渡しておこうと思ってたのを忘れてたんだった」
「ボケが始まったか」
「失礼だなぁ、まったく」
彼は近くのベンチに少女を寝かせると足早に来た道を戻っていく。こらえていた何かを吐き出すように大きくため息をつき、そしていつの間にか街灯に照らされて見えなくなった背中。
「だ、そうだよ」
ベンチに座り込んだ男は横たわる少女にそう声をかけた。
「ああいうのは案外頑固でね、手練手管を使っても存外落ちない。自分が納得できるまでは石のように硬くなる。その分強かったりもするんだがね」
男は取り出したパイプをくゆらせながら言った。
「生憎と当分その高鳴りはお預けってことにはなりそうだ」
ただまぁ
「君の愛した人はいい男だよ。まったく」
頬を紅く染めた彼女は小さく頷いた。
月の綺麗な夜のことだった。