地の底に星を求めて 作:ヴォイ
夏が過ぎ、秋の訪れを感じさせる涼やかな風が、開け放たれた窓から狭い部室に吹き抜ける。グラウンドからは運動部の掛け声が小さく聞こえ、こんな時期に外で運動するなら随分気持ちがいいだろうな、と柄にもなく考える。
「いつにも増してぼんやりしているね、こなたくん」
「菜々さん」
いつのまにやらこのオカルト研究会の長である花木菜々がやってきていた。小柄な少女だが、小さな丸メガネに白衣とやたらに存在感をアピールしており、見逃すはずもない。しかし、なんというかどこにでも気づくとぬるりと入り込んでいる妖怪のような人だ。
「少しは体を動かしたほうがいいね、君は。どうにも生っ白くていけない」
「菜々さんに言われたくないな」
そういう彼女は白いどころか青く透ける病人のような肌をしている。衣装を整えれば病弱な薄幸のお嬢様とかそんな役が大ハマリしそうだが、見た目に反してエネルギッシュで活動的な人だった。しょっちゅう出張などと嘯いてどこかに出かけているし、部室にいるときはなにか怪しげな実験をしたりしている。僕は昼飯を食べたりするくらいしかしないが。まっとうに高校の文化部らしい活動をしていた3年生はまとめて卒業したため、もはやオカルト研究会は存亡の危機どころか消滅確定である。僕は姉に名義貸しで入れられただけで大した思い入れもないし、会長である彼女はもう受験生で、春には卒業だ。入りたい、続けたいという妙な人間が現れない限り何事もなく自然消滅するのだろう。
「私は意外と体力はある方なのだよ、よく動いているからね。だから君、私を見習ってたまにはオカ研のメンバーとして活動したまえ」
「はぁ」
そんな風に思っていたから、会長のこの言葉は心底意外だった。部室で一人、なにがしかの実験をしたりしてそれで満足しているように見えていたから。もしかしたら寂しかったのだろうか。仲間と言えるような人たちはもういないことが。それならなんとも、可愛いところがある……。
「シャキっとしたまえ」
ビッと、ゆるく捲くった白衣の袖から小さな指が突き出され、そのままデコを突かれる。丁寧に丸められた爪が少しだけ肌に食い込んだ。
「ミッションだ。この街に巣食う狼人間の謎を追え」
何いってんだ、こいつ。ドヤ顔で宣う菜々さんにデコピンの一つもかましてやりたくなったけど、女の子にそんなことをする勇気はなかったのでやはり気のない返事を一つして窓の外を眺めた。綿を引き裂いたような雲が細くたなびき、すっかり短くなった日に照らされ、赤と夜の始めの青に染まっていた。
「それで、いきなりどうしたの。狼人間って、人狼ゲームかなにか? 流行ってたらしいけど僕はルールとかあんまり知らないよ。少なくとも二人でできるゲームではないらしいけど」
「そういうフィクションの話ではないよ。最近噂になっている、この街の話だ。本格的に人の口に上るようになってきたのはここ数ヶ月ほどかな」
僕は友達があまりいないので、噂話だとか最近の流行りだとかには全く疎い。それで不便を被ることはあまりないが、少し寂しいとも思い、なんとかしてみようとも思うのだが、人付き合いの煩わしさがはるかに上回る。かつて彼女はそれを怠惰なことだと呆れたように評したが、無理矢理になにかさせようだとか、世間一般の“正しいこと”を押し付けてくるようなことはなかった。だからこれはなんとも、意外なことなのだが。……そもそも彼女の人となりをよく知るほどの付き合いをこれまでしてこなかったということかもしれない。それなりに仲良しだと思うし、一緒にいる時間は結構長いはずだが、思えば適当な雑談以上のことをするのはあまりなかったかもしれない。
「今時流行らないというかなんというか」
そういう与太話みたいなのは携帯スマホの普及が進んでいなかった数十年前の話というイメージがある。カメラの性能向上で心霊写真が絶滅の危機、などというのも聞く話だ。科学の光が、曖昧模糊とした闇に潜む怪異を次々と焼き尽くしているのだろう。
「まあ一般的にはそうだがね」
少し長くなるからお茶でも淹れよう、と菜々さんは立ち上がった。これも珍しいことだ。普段は自分で自分の分をとか、きまぐれに僕に淹れさせるのに。待つことしばし、茶こし網に適量の茶葉を入れ、ビーカーにポットのお湯を注いで作るオカ研伝統というお茶が出てきた。この狭い部室は元々理科準備室だったらしい。
「今時珍しい怪談話とか、珍しいペットが逃げ出しただとか、そういう話なら別に興味はないのだけど。話を聞くにどうも違うようでね」
「そもそも菜々さんそういう噂話とか聞くような相手いたんだ」
「私は普通に友人は多い方だ。君とは違ってね」
フッと笑いながら言われた言葉に普通に傷ついた。そんな変人丸出しなのになぜなのか。ごまかすためにずるずるとお茶をすする。まだかなり熱かった。
「人間関係というのはいかに手間暇を惜しまないかだ。私は他人に迎合する気はないが、ちょっとした気遣い程度ならいくらでもするとも。そういうのが人間関係を良い形で作ってくれる。ま、それはともかく狼人間の話だ」
「与太話的なものではないってことだっだけど」
「そうとも。まあ私の印象だから結局枯尾花というのも十分ありえるけれどね」
菜々さんが聞いた話をかいつまむとこうだ。
ここのところ夜中に不審者が出るらしい。その不審者はコートを着た人間のように見えるが、よくみると手足は毛むくじゃらで、顔は犬のようだという。狼人間に出会うと少しの痕跡も残さないほど綺麗に"喰い殺される”。狼人間はよる一人で歩く人間を攫っている。狼人間を狩る闇の戦士がいる、などである。わりと意味不明。
「……普通に与太話だと思う」
「まあ、そうなるな。だが、狼人間とはまた別に2つ、おかしな話があるのだ。行方不明者と、薬物だな」
「ここって割と平和な田舎町だと思ってたんだけど、わりとそうでもないのでは?」
人口数万程度、県内では5指には入らないけど10位までだったら大体入ってる。そんな感じの微妙な地方都市、矢波市であるが、そういった物騒な話を聞くことはあまりなかったように思うのだが。
「どうかな。少なくともニュースなんかにはなってないね。しかし行方不明者はうちの学校にもいる。野球部だか空手部だかの男子数名だ。よろしくないところにも出入りしていたらしいし、普通なら事件か、ただの家出かってところだが」
そういえば同じ2年で夏休み明けに何人か学校に来ていなかった。別のクラスだから詳しいことは全然わからないのだが、体育の合同授業なんかで目立っている奴がいなくなっていたのだ。夏休み明けに不登校になるなんてのはそう珍しいことでもないというから、気にしていなかったが。
「それで、その悪所……まあ繁華街の外れあたりでBTという薬物が流行っているらしくてな。感覚が鋭くなるだとか、悩みが吹っ飛ぶとか、超人的なパワーが出せるとか。そのような効能があるそうだ」
「狼人間と、その辺の話が関係していると?」
「察しが良いね」
「まあ話の流れで。でもまあそういうのの調査となるとちょっと、危なそうというか。警察に任せとくべきだと思うけど」
「常識的な意見だ。だがこれは非常識な話でね。ほら、これ」
菜々さんは棚から、何やら赤黒い液体が入った試験管を取り出した。次いで机の引き出しから小さな注射器も。試験管に封をしていたコルクを取り外し、中の液体を注射器に充填する。細く青白い指が引かれるとともにゆっくりと液体が移動していく。なぜか猛烈に嫌な予感がした。
「そのBTとやら、成分を分析した所……粗悪だが神の血、あるいはそれに連なるものだ。非常に興味深い……。ところでそろそろ効いてきたのではないだろうか」
気持ちの上では勢いよく立ち上がり、ダッシュで部室から逃げ出していた。だが、実際には椅子の上からバランスを崩して倒れただけだった。白衣の少女がゆっくりと近づいてくる。狭い部室、すぐのこと。なのにその細い足が目の前にくるまでに永遠にも等しいほどの時間が流れたように思えた。
「これは粗悪品とは違う。私が手ずから調整したものだ。なにも怖がることはないとも……」
思いの外力強くブレザーの左腕を脱がされ、ワイシャツの袖がまくられる。白衣のポケットから取り出された消毒ペーパーでちょいちょいと拭われる。優しく、いたわるような動きなのだが、恐怖しかない。
「それに、これはきっと、君の血によく馴染む。解放されるのだ、人という軛から」
注射針が突き刺され鈍い痛みとともに中身が注入される。見たことのないような融けた笑顔。恋する乙女のような、クリスマスを待つ少女のような、溢れんばかりの熱と狂気、自分が全く違うものへと変わっていく異常な感覚。意識は薄らぎ、そして途切れた。
気づくとすっかり日が暮れた部室で、並べた椅子をベッドに寝こけていた。体を起こすと肩にかけられたブレザーが落ちる。
「やあ、おはよう」
「……おはようございます?」
会長の花木菜々が実に機嫌良さそうにこちらを眺めていた。部室でダラダラしているうちに眠ってしまったのだろうか。今までこんなことはなかったのだが。
「よく寝ていたね。気分はどうだい?」
「ええと、うぅん。悪くないよ、全然」
硬い椅子の上に妙な姿勢で寝ていたのだから、節々が痛くなっていてもおかしくなかったが、なぜかとても調子がいい。元旦の朝に新しいパンツを履いた気分ではないが、異様に体が軽く爽快感がある。
「それは良かった。では、早速調査に向かってもらえるかな」
「調査……ええと、なんだっけ」
部室に来て、狼人間がどうとか話を聞いて、なんだったか。
「今の君が夜の街をうろついていれば何かしらの成果は得られるだろう。今、この街の夜は現実と幻想の境が曖昧になり、人と神の境もまた揺らいでいる。君の血が君を導く」
「何いってんだこいつ」
「ふふ、戯言さ。いつものね。困ったことがあれば訪ねてくるといい。今夜はきっと長くなる」
「はぁ、まあ、わかったよ。行ってくるね」
「ああ、気をつけて」
ふりふりと振られる小さな白い手を横目に、僕は部室をあとにした。