地の底に星を求めて 作:ヴォイ
なにやらふわふわとした気分のまま学校を出る。普段は、なんともいえない倦怠感というか、漠然とした不安感というかそんなものに常に覆われていて、どうにも何かをしようという気になれないことが多かったのだが。なぜだろう、今はとにかく動き出したい、むしろ走り出したいような気持ちに溢れている。運動はあんまり好きではないから、こんなのは初めてだ。
衝動に任せて本当に走り出してしまってもよかったのだが、なんとも異様な雰囲気に気づき足を止める。振り返った高校の校舎は、外れにある部室の明かりだけが灯り、他はすべて消えている。教職員や、守衛の人も普段とは違いいないようだ。周囲を見渡しても、頼りない街灯の明かり以外に光源はなく、周囲の民家に人の気配はない。
高揚していたところに水をさされた思いだが、自分でも少しおかしな状態だったので逆に良かったかもしれない。ゆっくりと、歩きだす。
「狼人間について調べるんだったかな」
昼寝のせいか今日の記憶がどうにも曖昧だ。しかしそんなような話だったと思う。行方不明者と、謎の薬物。
「繁華街の外れ、だっけ。とりあえず、目的地はその辺かな」
繁華街は駅を挟んで学校の反対側だ。そう遠くはない。飲食店が並ぶ繁華街の入り口から、奥の方に入ると少し大きいゲームセンターとかパチンコ屋とかアレなホテルが並ぶ少し柄が悪い地域になる。あまり立ち入ることはない所だから詳しくは分からないので、とりあえず行ってうろついてみるのがいいだろう。
特に何事もなく駅までつく。しかしこの時間帯、駅前はそこそこ賑わっているはずなのだが人っ子一人いない。駅に明かりはついているものの人気はない。と思ったら誰かいた。駅の自動改札に引っかかっては戻り、引っかかっては戻りを繰り返している。普通の会社員のような格好をした若い男だ。少し近寄って様子を見ることにした。
ガコンガコンと、ぶつかっては弾かれ後ろに下がる。酔っ払っているのだろうか。それにしても様子がおかしい。よく見れば、ICカードを読み取らせるような動きはしているもののその手には何も持っていない。しかし、その手は濃い毛に覆われ、長く鋭い、いかにも硬そうな黒い爪が伸びていた。顔は人間のようであるがその目は溶けたように瞳孔を広げている。ぞわりと背筋が泡立つのを感じたのと同時、弾かれたように男はこちらを見た。
獣の唸りが響き、男の顔が泡立つように変貌していく。狼人間。人のような、獣のような。人狼、フィクションのキャラクターにあるような整ったものではない。混ざり合い、生理的嫌悪を催すそれは全くの化け物であった。闇を裂くような吠え声とともに男は改札を飛び越え、こちらに駆け寄ってきた……!
「っ!」
鋭い爪といびつな牙が迫る。まともな喧嘩の一つもしたことがない僕だ。すくんで、腰を抜かすしかない。そしてあの化け物に喰われ、貪られ、この世界から消えるのだ。それが当然の未来。
そのはずだった。
剛毛に包まれ、おそらく元より一回りも二回りも膨らんだ右腕を振り上げ、僕の体を引き裂かんとする狼人間を、僕は驚くほど冷静に見つめていた。人外の高速、それをさらに上回るような速さで脇をくぐり抜け、同時に足を引っ掛けた。ひどく重い感触が足に残るが、か弱い獲物に反撃を受けるなどと思ってもみなかったのだろう。狼人間は無様に頭からアスファルトに突っ込んでいた。赤黒い血が弾け、鈍い悲鳴が上がる。ざわざわと右腕がうずく。体中をめぐる血が手の先に集まる。
カッと熱くなった手刀を、導かれるように倒れた背中に突き刺した。
汚れた血の全てを吐き出せるように、槍のように鋭く固くなった手刀で傷口をかき回し、勢いよく引きずり出す。凄まじい勢いで血と臓物が吹き出し、それを全身に浴びた。
「くは、ははっ……あははっ!」
気が狂うような快感。化け物を一匹、強大で普通の人間など歯牙にもかけないようなモノを、ぐちゃぐちゃの、ぐちゃぐちゃにし、その血という血を抜き出し、化け物を化け物たらしめたチカラを全て奪い取ってやった。
それは快感だった。それまでの人生全てが大したものではなかったように思えるほどの。これこそが生命の目的であったのだと思えるほどの。
しばし、自分のものではないような哄笑が響き渡る。血溜まりの真ん中で天を仰げば、鬼灯のように赤く、巨大な月が雲間から僕を見下ろしていた。
「ふっふふっ、ふへへ……」
息が切れ、腹部に軽い痛みを感じるほど笑い転げ、しばし。僕は唐突に正気に戻った。
「えぇ……」
明らかにオカシくなっていたというか、自分が自分でなかったような不可思議な感覚。どう考えてもヤバいのだが、どうにも危機感が持てなかった。腑に落ちる、といえばいいか。いままでふわふわと居所のなかった自分の体がすっとあるべき場所に収まったような。狼人間を殺すことが生まれてきた理由だったとでも言うのだろうか。そんな馬鹿な話はない、ないだろうが……。
深く考えるのは、やめておこう。
「ひとまず、こいつを調べてみよう」
ズタボロになった狼人間の死体を漁る。血を吸ってベッタリと濡れたジャケットの内ポケットから革のケースに入った注射器が出てきた。ぬるりとした粘性の赤黒い液体は、恐らく元は人間であった彼をこのようにした元凶なのだろう。正直気持ち悪いのだが、なぜだか手放す気になれない。しまっておくことにする。この注射器がどこからやってきたのか探れば、事件の真相がわかるはず、ということもあるし。
改札を通り、駅の反対側へ向かう。跨線橋にも、ホームにも、人の気配はなかった。電光掲示板はいつもの通りに次の電車が来る時間を示しているが、その通りに電車が来る様子はまったくない。自宅に戻るには電車に乗る必要があるのだが、どうも簡単には帰れそうもない。心配するような家族もいないので構わないといえば構わないけれど。
反対の出口から駅を出ると飲食店やコンビニの明かりが街路を眩しく照らしていた。いつも通りの光景。しかしそこにやはり人間が一切いないというのが非常に不気味だ。店員なんかもいる気配はない。中に入る気も起きないし、さっさと先へ行こう。繁華街の先、入り組み、奥まったあたりにあまり近づいてはいけないと度々言われているような区画がある。
そう思い、明るくも空寒い繁華街の通りを歩いていると、周囲から低い唸り声がし始める。人気はない、と思ったのだがまた狼人間か。あたりを見回すと、視界の端に黒い影がよぎる。路地から飛び出してきたそれは低く、速い。四足のシルエット。吠え声とともに飛びかかってきたのは、犬……!?
「うわっ!?」
喉笛を狙ったソレを硬質化させた右腕で強く薙ぎ、払いのける。ギャンと悲鳴を上げて転がる犬は今まで見たことのないような姿だった。パッと見はアフガンハウンドのような毛の長い大型犬。しかし黒く太い縮れた毛は伸び放題になり、隙間から覗いた瞳は先程の男のように融けて広がり、明らかに正気を失っていることが知れる。通常なら規則正しく並んでいるであろう鋭い牙も、無理矢理に歪められたような乱杭歯になり、ダラダラとよだれを垂れ流している。
「いっ、ッてえぇ!」
1匹めに気を取られて怯んだ隙を突き、2匹目、3匹目に襲いかかられていた。片方に左足の脹脛を食いちぎられ、よろけた拍子にもう片方の噛みつきはどうにか避ける。転がっていた1匹目もよろけながら立ち上がり、口の端から僕の血を垂らす2匹目、その匂いに興奮したのかさらに唸りを上げる3匹目。じりじりとこちらを囲むように動く獣たち。破れた制服のスラックスからかなりの勢いで血が流れ出ているのを感じた。思わず一歩、下がる。
それを好機と見たか、3匹はまとめて、僕を喰い殺そうと飛びかかるッ……!
「な、めんなぁっ!!」
右手の爪を鋭く、長く、そう思いながら正面の二匹をまとめて吹き飛ばす。爪の隙間からドロリと濃い血液が流れ出し、杭ではなくナイフのような、五指それぞれに獣の爪を作り出し、犬たちを引き裂いた。足元、先程負傷した左足を狙ってきた最後の1匹は、重く、固く、鉄のようになった足で踏み潰す。流れ出た血で足を固めるとそれはまるで槌のように、アスファルトごと犬を踏み割り、グチャリと押しつぶした。3匹の獣の血は激しく飛び散り、僕はまた獣の血を頭から浴びた。
「あぁ……」
最初のような激しい快楽はなかったが、全身に染み渡るような歓びにしばし浸る。何もいないと思っていた街路、物陰に潜むいくつもの息遣いに気付く。聞こえない音を聞き、酷く微かな香りを知る。すべての感覚が凄まじく鋭敏になり、全く人間を超えているのだと、そしてそれこそが正しいのだと嫌でも気付かされる。
僕がそうなったことを知ってか、知らずか、その場を縄張りと定めているのか。狂った犬や人間サイズにでかくなったネズミや鴉たちが何匹も襲いかかってくるが、全て引き裂き、潰し、その度に血を浴びた。まともな動物であれば、こんな自殺のようなことはしないのだろうが。この獣たちはそのような理性も、あるいは本能も、機能していないのだろうか。
血を浴びるほどに自分がおかしくなっていく。僕もこの獣のようになるのだろうか。何も分からない。しかしこの甘美な殺戮を自ら止めることは酷く困難なように思われた。なんだか無性に人恋しくなるが、まともな友人など菜々さんくらい……あの人をまともカテゴリに入れていいのか悩むところではあるが。ともかく何もなしに戻るわけにも行かない。
道を進むうち、獣に集られ、貪られている人間の死体があった。食い散らかされて原型はまるでないが、たぶん人間。そしてわずかに残った体の一部に獣のような毛が生えているように見える。狼人間を食べた動物がこのように狂うのだろうか。人間はおらず、化け物になった人間と、それを餌に狂った動物。理性のない獣ばかりの街。
夜は長く、しかし血が導く。
今はそれだけが頼るべき指針なのだが。その導きに従って、一体どこにたどり着くのだろう。このおかしくなった世界から抜け出せるのか、あるいは。そして抜け出せたとして、今の僕はそれを望めるのだろうか。
「早くなにか手がかりを見つけて、一度学校に戻ろう」
夜の街のさらに深くへ、僕は歩き出した。