日向くんが、予備学科から七海さんのクラスに転入することになった。なぜかというと、学園が秘密裏に行っていたカムクラプロジェクトという計画で、日向くんも超高校級の希望という才能が身についたからだ。
元の人格が消去されてしまうという危険性が問題視され、今後この計画は白紙に戻されることになっている。日向くんは最初で最後の実験体となったわけだ。日向くんには悪いが、他に実験体にされる人が出なかったのは救いだったと言えよう。
なお、当の日向くんは、なんか精神力の高さとか奇跡とかのおかげで、様々な才能を身に着けつつも人格はもとのままらしい。よかったよかった。
それで本日の放課後七海さんは、日向くんとクラスメイト達との親睦を深めるために77期生全員とゲーム大会を開くことにしたようだ。
そのため苗木くんは一人で音楽室へ向かったのだった。
「あれ、苗木くん一人だけ?」
「はい、七海さんはクラスのみんなと用事ができたみたいで」
音楽室に入ると、いつものようにピアノを弾いている赤松さんがいた。別に、この曜日のこの時間に集まろう、などと約束しているわけでもないのだが、なぜだか集まるのが当たり前のようになっている。
「そっかそっか、残念だったねー。……ん? じゃあなんでここに来たの? 一人じゃやることないんじゃない?」
「いえ、まあ一応……」
苗木くんは七海さんとゲームで遊ぶ
確かに七海さんとゲームすることが目的の一つではあるのだが、自分と話すためにも苗木くんが来ているということに鈍感な赤松さんは気づいていなかった。
「……ああ、私が心配しないようにわざわざ伝えに来てくれたんだね! 確かに、いつも来てる二人が来なかったら気になったかも!」
苗木くんの気配りに気づいて、赤松さんは遅れて喜んだ。というかよく分かったな。ポジティブ思考な人間はそういう発想がすぐに出るようだ。
「ええと、それもありますけど……せっかくだし赤松さんのピアノが聞きたいなあって」
「お、いいよー! よーし、今日は苗木くんだけのために披露しちゃうね!」
苗木くんに合う曲は何かなー、と少し考える赤松さん。ベートーベンやショパンなど聞いたことのある名前がいくつか出たが、曲名を言われてもいまいちピンと来なくて、苗木くんは全て赤松さんにおまかせした。
「シューマンのトロイメライとか苗木くんに合いそうじゃないかな? あっ、子どもっぽいって意味じゃないからね。七海ちゃんと仲良くゲームしてる姿をよく見るから、つい思い浮かんじゃって」
「バッハのアリアもよさそう……安心して眠れるような優しい曲なんだ。G線上のアリアじゃなくて、ゴルトベルク変奏曲のほうね」
そんなことを言われてもよく分からないが、いろいろ考えていることだけは伝わった。
音楽室の机の一つに座って待っているといつしか演奏会が開始され、やがて一曲弾き終わる。
短い時間のたった一曲だったが、苗木くんは深く感動した。音色だけでなく、鍵盤を叩く彼女の姿も綺麗だと感じた。
かつて霧切さんに、自分の主張を相手に伝える演説力はかなりのものと評価されたこともある苗木くん。自分でも口は回るほうなのかもしれないと少し思っていた。
「あの……とても上手でした。すごかったです」
なのに感動を伝える言葉が見つからず、結局こんな小学生みたいな感想になってしまった。
本当にすごいものを見たときは、すごい以外の感想が出ないのだなと苗木くんは思った。
「えへへー、ありがとっ。苗木くんが楽しめたならよかったよ」
「超高校級のピアニストの演奏を聴けるって、考えてみたら今のボクはめちゃくちゃ贅沢ですね」
「そんな大したものじゃないって。生まれたときから、私は好きでピアノを弾いてるだけなんだし」
謙遜する赤松さん。
いや、そんなことないですって。
いやいや、私より凄い人なんてたくさんいるって。
いやいやいや、あんな演奏できる人そういませんよ。
いやいやいやいや、たくさん弾いてれば誰だってできるよ。苗木くんもやったらできるようになるって。
いやいやいやいやいや。
いやいやいやいやいやいや。
「……いや、ボク本当にピアノの経験とか無いんですけど、本気ですか?」
それからなんやかんやありまして、赤松さん主導のもと、苗木くんもピアノを弾いてみることになった。なんやかんやはなんやかんやです。
連弾という赤松さんと二人で並んでの演奏をやってみたが、さすがに素人なのでまだまだ苗木くんは未熟だった。あとついでに、赤松さんが近くてドキドキした。苗木くんも男の子。
ただ、やってみると意外と楽しいこの連弾。苗木くんは片手で主旋律しか弾けないけれど、隣で赤松さんが伴奏してくれるので、きちんと音楽になっている。
まるで自分の腕が上達しているみたいで、ついつい夢中になってしまった苗木くんだった。
七海さんとゲームできなかった代わりに貴重な体験ができた。いや考えてみれば、超高校級のゲーマーとゲームで遊べていることもかなり贅沢な経験かもしれない。そういう結論に至った苗木くん。
本日は二人しか集まらなかった音楽室。しかしながら三人は、また少し仲良くなれたみたいである。
ちなみに後日、また赤松さんにピアノを教わる機会が訪れて、苗木くんの腕がなまっているどころか上達していることに赤松さんは驚いたりするんだけど、それはまた別のお話。
「えっ? えっ? なんで? 前よりずっと上手になってるよ苗木くん!」
「せっかくこの前赤松さんに教えてもらったから、忘れないように帰って復習を……」
「そうなんだ!? すごいね!」