月下龍天街   作:永居 弥尋

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序章

 

その店は、寂れた商店街にある。

青緑色の涙を流すくすんだ銅の看板に刻まれた、

「天宮人形堂(アマミヤ-ニンギョウドウ)」の文字。

幼い姿のままの店主は、

冷気が鼻をくすぐる朝も

深い眠りに誘われる昼下がりも

甘い幻想と街の雑踏が絡み合う夕暮れも

ただ、沈黙を守り、「客」を待ち続ける。

その小さな白い手に小瓶を握り締め、

「約束」の日を待って、願い続けている。

 

薄暗い路地裏。

物音一つしない窓の中。

揺らめく人影。

哲学者 泉 流晏(ツェン・ルーアン)は、

そんな何気ない静寂に身をゆだねて生きていた。

自らの身の置き場所を求めてたどり着いた地で

壁や天井の所々に雨漏りの痕があるような、

時間の流れをそのまま写し、そして受け流してゆく、

ただそれだけの空間……つまり

今住んでいる荒屋が、彼の心の桃源郷なのだ。

「流晏!!居るんでしょう!?開けるよ!!」

……もっとも、それが乱されるのも計算済みだが。

 

梅雨の晴れ間、店先の紫陽花はいよいよ咲き誇り、

夏へ向かう風は希望を乱反射して灰色のビル街を駆け抜ける。

観葉植物で彩られたテラスとライラック色のパラソル、

アンティークを基調としたデザインと

紫・黄緑のカラーリングは、無機質な街並みに映える。

「「いらっしゃいませー」」

ドアを開けると、涼しげなベルの音と共に

二人の男女のさわやかな声が店の奥から聞こえてくる。

昼休みの時間帯になるとOL達で賑わうカフェ、

「美影風輪庵(ミカゲ-フウリン-アン)」の、いつもの風景。

そこは、決して華やかではないのに人の心を惹きつけてやまない場所――

 

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海を望む崖へとつづく道。

その上には、昨日まで何もなかった。

いや、正確には、

「あの日」、日が昇るまでは、なかったのだ。

 

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天宮人形堂の店主――幼い少女は、目を覚ました。

気がつくと、いつも店番をするべき場所で、

夜まで眠りこけていたのである。

こんなことは、店主になってから初めてのことだった。

「僕としたことが…いけない、店の鍵も閉めていないのに…」

眠っているあいだも握りしめていた小瓶を胸ポケットにしまい、

鍵を閉めようと、ドアへ向かった。

が、異変に気づいた。

ドアについた磨硝子の小窓の向こうが、やけに明るいのだ。

「あれっ…」

彼女は寝ぼけていたこともあり、ドアにうっかり手をかけてしまった。

すると、まるでそれを見計らったかのようにノックの音がして、

ドアがひとりでに開いた。

彼女は思い出した。

「約束」の日まで…

このドアを、この手で開いてはいけないということを。

「…ごめんなさい…っ」

反射的につぶやく。

しかし、彼女は知らない。

自分が誰なのか、ここがどこなのか、

「約束」の日とは、何なのか。

 

流晏は、もう既に歩き疲れていた。

普段から家に閉じこもって論文ばかり書いている彼には、

行動力ばかりはある彼女についていくのはきっと

何年経っても不可能に近いだろう。

「もうすぐ家に着くんだからちゃんと歩きなさいよ!

 まったく…いつまで世話焼かせる気なの!?」

「俺、昼過ぎから歩いてる…疲れた…」

恋人兼世話役の花元 文野は、うんざりしながらも

流晏の手を引いて、いつもの薄暗い路地裏に差し掛かった。

ふいに、半ば文野にもたれかかる形でかろうじて歩いていた流晏が、

文野の肩を離れ、先をゆく彼女を引き戻した。

「なっ…何?」

文野が振り返ると、そこにいたのは先程までの脱力しきった流晏ではなかった。

針のように鋭い眼光が、虚空に焦点を合わせている。

「引き返そう」

「何で…?」

「ここ、入った途端に寒くなった

 明日 雨降るから、今日の夜、暑くなるはず

 寒くなるの、おかしい…」

「…わかった。じゃあ、一旦ここを出ましょう」

二人は互いに目を合わせず、ただ、流晏が文野の手を握り締め、

振り返って、来た道を歩きだそうとした。

 

「美影風輪庵」の2階は、経営者である2人がルームシェアしている。

夕方、店じまいを終えるとすぐに帰宅し、それぞれが担当している仕事に取り掛かる。

経理を担当している美影 大地は、部屋に戻ると早速リビングのPCの電源を入れ、

その日の売り上げを計算したり次週のカフェメニューの為に発注をかけたりしている。

その一方で、パートナーの風見 輪華は、夕飯の準備に取り掛かり、

お互いにバランスをとりあった生活をしている。

ある日、いつも通りにPCでの作業をし始めてまもない頃。

「輪華さん」

表計算ソフトに打ち込みながら、大地が輪華を呼んだ。

「美影君呼んだ?」

「今日は外食にしよう。作業は早めに終わらせるから、

 駅前の和食屋で。」

「えーと、『結宴』だっけ?」

「あ、そうそう。だから、出かける準備しといて。」

「ん。わかったー。」

輪華は出かける用意をしながら、ちらりと大地に目をやった。

(今日は何の話があるんだろう…)

淡い紫色のカッターシャツを着た広い背中を見つめるたび、

彼女の想いは募ってゆく。

余計なことは考えたくない、ただの仕事仲間だと思えば思うほど、

その想いは濃く、鮮やかになってゆく。

家じゃリラックスしきって真面目な話し合いができないから、という理由で、

大地は何か輪華と話し合いがあるたびに外食に連れて行った。

最後に外食に行ったのはいつだろうか。

準備を終えた状態で床に膝立ちになったまま指折り数えていると、

「そろそろ行こうか。早めに席も取りたいし。」

大地に声をかけられ、輪華は赤面して、慌てて立ち上がった。

 

――結局、今回の話し合いも輪華が期待したものではなかった…。

帰り道、大地は若干酔っ払っていた。

「もうちょっとさ、うちのカフェも大きく出来たらいいよね。

 何かこう…こじゃれたレストラン的な雰囲気でさ、

 駅前や、大通りに面した人気店にも負けないくらいの。

 支店とかあってもいいかもね」

前から、大地は酔っ払うと、スケールの大きい話をするのが好きだった。

それも、叶いそうにないことではなく、

「いずれはやってやるぞ」といった勢いの夢物語。

「その時には、もっと従業員も増えてるかな」

輪華は、話を聞きながらもそんな野心家な大地に見とれていた。

「増やすよ、そりゃあね。

 でもさ…」

ふと、大地が足を止める。

紅潮した頬には、なぜか緊張の色が見えた。

輪華も足を止める。

「い、いいや!なんでもない!」

すると、大地は急に慌てたように走り出した。

「えっ!待ってよ!」

雑踏の中、じゃれあうように二人は走り出す。

やっとのことで輪華が大地の手を掴んだ。

 

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都会の、冴え渡った熱帯夜。

地球の瞳孔、その真ん中で。

「幻(現)影」は、重なった。

 

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『あなたたちは…誰ですか…?』

 

『『えっ……!?』』

 

『待って…!』

『?』

『…こっちを…見てる…?』

『……!!??』

 

「さあ」

「正体を見せなさい」

 

fin.

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