1965年1月21日 沖縄沖海上
海上自衛隊第一航空群第一航空隊に所属する対潜哨戒機「P2V-7」は、沖縄より850km南西の海上を飛行していた。
P2V-7はアメリカが開発した、中型レシプロ双発プロペラエンジンの対潜哨戒機/哨戒爆撃機のバリエーションの一つで、MSA協定―――日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定により1955年以降自衛隊向けにアメリカから供与された機体だった。
台風吹き荒れる秋と異なり、だいぶ凪いだ沖縄の海面と空には、それこそ何もない。
大波も無ければ雲もなく、今の季節に豪雪に悩まされる本土の人間が見たら、決して羨まぬ訳がなかろう、見事な快晴である。
太陽の位置は大分低いが、しかし白と紺に塗り分けられたP2V-7の機体は、頭上から照り付ける陽光を少なからず反射していた。
同機の機長を務める本城 淳史(ほんじょう あつし) 三等海佐は、かつては旧軍陸攻乗組員として各戦線を飛び回った人間だった。
彼は、前の戦争では、戦場において味方が異変を見つけられず、または異変を見つけても報告を怠った事で、後々それが敵潜の侵入や敵機の侵入を許すこととなり、それによって日本が戦争に敗けたと考えていた。
実際、広島や長崎だって
そのため、本城は二度とそのような事が繰り返されぬよう、同機の搭乗員には、異変が無いか良く注視し――それこそレーダーやソナーはおろか目視まで用いさせる徹底ぶり――、異変を見つけたらすぐに報告するように徹底させていた。
「いいか、何か見つけたら――何でも構わないから――、すぐに言うんだぞ」
「了解」
後部席に座る機内搭乗員に本城はそう告げ、返事が返ってくるとすぐに視線を前方に戻す。
天候が良いためか、今日は非常に遠くまで見渡す事が出来る。
「それにしても、不思議なこともあるもんだな。まさか、日本が別の惑星に飛ばされるだなんて」
本城は思わず呟く。
それを聞いた副操縦士も、別に本城が彼に向けて言い放った訳でもないのに、「まったくです」と返答する。
「そういえば、確かテレビでも、ニュースでキャスターが言ってましたね。そんなこと」
「しかしだからって、いくら緊急事態でも俺たちを派遣させるかね、普通。俺たちゃ軍隊だぜ?」
「民主的じゃありませんね、機長。
「まァな。だが、休暇が無くても、しばらく忙しくなりそうだぞ、俺たち」
「どこもかしこも大騒ぎらしいですからね」
彼らの言うとおり、日本は混乱の渦中にあった。
数日前
日本列島はどういった訳か地球外惑星に転移してしまったのだが、その後に国内に訪れたのは、大規模な混乱だった。
日本政府は数日前、驚くべき行動に出た。なんと、日本列島が異世界に転移してしまった事を、国民に公表したのである。
あくまでも国民の混乱を抑えるのが目的と言われてるが、その真意は定かではない。
公表内容は以下の通り。
国外との通信が途絶したこと、物理的に朝鮮半島と
この中に、これらにより今後他国との貿易が出来なくなり、近いうちに経済的な混乱が訪れ、さらに石油・石炭などの資源や他国からの輸入に頼っている食料品の流入が近いうち完全に途絶えること、それにより人々の生活が大きく制限されることなど、長期的な問題に関しては政府は公表しなかった。
少なくとも、政府は嘘を話していなかったし、真実のみを話した。
しかしその後に訪れたのは、大混乱である。
まず大半の人間は、政府が公表しなかったにも関わらず――むしろ当然でもあったが――、今後輸入品関係の物資の流入が完全に途絶えるであろうことを予想。
結果として全国規模での物資買い占めが始まった。連鎖するように、物資を求めた人間たちの間で暴力沙汰や暴動も多発した。中には買い占めとは何の関係もない暴力沙汰――殺人まで起きた――や暴動も多発した。
治安維持能力の高さについて疑う余地のない日本警察も、あまりの混乱ぶりに民衆を抑える事は出来なかった。人々は自身の不安と恐怖を、他者への暴力で忘れようとしたからだった。
警察は何とかして彼らを抑えようと努力し、そしてついに
また、混乱は日本人以外にも伝播した。
例えば日本にいた在日外国人は、特にその混乱を大きく受けた。
彼らの一部は、転移により本国に帰ることが物理的に出来なくなったことと、祖国にいる家族と二度と出会うことが出来ないことに絶望した。その後の行動は単純だった。彼らは揃って現実から逃れようと、ビルの屋上に足を急がせるか、もしくはロープを手にし、富士樹海へと足を運んだ。そして二度と帰ることはなかった。
その傾向は、嫌々ながら上層部命令で日本に派遣されてきた在日米軍人ほど大きくなった。別に日本にいたくない、早く祖国に帰りたいのに、帰ることが物理的に不可能となった。彼らはロープを持つことも、富士樹海に足を踏み入れる事もなく、ただ支給品の拳銃を頭に当ててとっとと引き金を引くだけだった。
おそらくながら、北方四島に駐留するソ連軍人もほぼ同じ運命を辿った事であろう。
また転移による混乱は、人々の精神を深く侵食した。やがて人々の心の中にある不安は最頂に到達、各地で事故や殺人が続発した。日本転移から一週間、把握出来た限り国内で約1200人の死者(事故・自殺・殺人等々、全て含む)が発生した。
転移直後、最初こそ国会議事堂前で大規模なデモを掛けていた革命家気取りの学生たちも、あまりの混乱ぶりに一時解散――そして最終的には永久的な解散――を強いられた。
そもそも、彼らを金銭的/後方的に支援していた組織が、支援を行えなくなったのも原因だった。その組織は日本の赤化を目指し、東京政権の転覆を狙うソ連の支援を受けていたが、転移によりソ連の支援が途絶えたからだ。自分たちへの支援が途絶えれば、自分たちも支援を行えなくなるのは当然だった。
今、その組織のみならず、ソ連から支援を受けていた反政権市民団体などもソ連からの支援が途絶えた事で急速に足場を失っていった。
ただ、負け犬の遠吠えとばかりに、彼らは最後まで米帝傀儡政権への批判を怠らなかった。
国内の混乱は基本、以上である。
逆に言うならば、以上のこと程度で済んだのは奇跡と言っても良かった。仮に混乱がさらに長く続いたら、国内の政権転覆を狙う組織によりクーデターを起こされ、日本が崩壊していたかもしれなかった。
驚いたことに、これ程の混乱の最中にも日常生活は継続していた。国鉄は時刻表通りの運転を行っていたし(ただし事故による遅延などはあったが)、ほぼ全ての公共交通機関がいつも通りの営業運転を行った。
交通機関以外にも政府官僚はほとんどが転移後も職務を全うしたし、大半のサラリーマンや社会人も、大抵は三日以内に社会復帰した。
おそらくは日本人特有の勤勉さが、普段通りの生活を目指した事で社会の停滞を許さなかった事が原因だったのかもしれない。
結果として、一時はどうなるかと思われたが、日本国内の混乱は早期にして一応の終息を見せ始めていた。
しかしながら、未だに長期的な問題―――食料や資源の再輸入のあては、見つからなかった。
そこで政府は、自衛隊に対して災害派遣という名目で、出動命令を出した。航空自衛隊と海上自衛隊の航空機――最新鋭機のF-104まで――を動員し、日本周辺の地形を調査、あわよくば新たな資源・食料輸入先となりうるこの世界の文明国を見つけるように指示したのだ。
このような経緯があり、本城機長のP2V-7は、沖縄沖の海域を調べる任務を受けて飛行していたのである。
実は自衛隊のみならず、政府は在日米軍に対しても出動を求めようとしたのだが、それは無理な話だった。
転移に関する発表後、米軍兵士らの士気が致命的なまでに低下してしまったのである。とてもではないが、この状態で出動されても事故や遭難を起こしかねなかった。
仕方なく、政府は自衛隊のみに対して派遣を命じたのだ。
「―――ん?」
最初に異変に気がついたのは、機首監視員の五嶋 里吉(ごとう さとよし)二等海曹だった。P2V-7の機首には、コックピット下前方に大型の監視窓がついており、周りを非常によく見渡すことが出来た。
そこの監視席に座る五嶋は、その「異変」を見つけると――本城の指示通り――すぐに報告した。
「こちら機首監視、機長」
「機首監視、どうした。何か見つけたか?」
「陸地です。前方に陸地が見えます」
その報告を聞き本城は、バカなと思った。
何故なら、彼らが飛んでいるのは沖縄南西850kmの空域、日本海溝の直上である。台湾やフィリピンからも大分離れている。つまり、陸地など存在しないはずの海域なのだ。
だがコックピットからも、うっすらと黒い筋が水平線上に浮かんでくるのが見えた。
「……ホントだ。まさかこんな所に陸地があるとは……」
本城はコックピット先に巨大な陸地の姿を見つけると、呆然と呟く。
「転移によって現れたのでしょうか」
「たぶんな」
副操縦士の問いに、本城は簡潔に応える。
今は問いに応えるよりも、あの陸地の正体を知りたかった。だがコックピットからじっくりと眺めても、さっぱり何も分からない。
観測用の高解像度カメラの一つや二つあればいいのだが、そんなもの偵察機ではないこのP2V-7には搭載していなかった。
結局のところ、ここからあの大陸を詳しく調べる手段は一つたりともなかった。
「仕方ない」
本城は決断したかのように周囲に告げた。
「あそこを偵察するぞ」
「えっ、しかしそれは領空侵犯になるのでは?」
副操縦士はすぐさま反論する。
「何、ここは地球じゃないんだぜ。あそこは中国の土地でもソ連の土地でも無いんだぞ」
「でももし国があったらどうしますか」
「いや、そもそも、国があるかどうかも怪しい。国が無ければ、領空侵犯にはならんよ」
「しかし」
「なに、行って帰るだけだ。警告と、迎撃機が飛んできたなら、それで帰る。それなら問題ないだろう」
副操縦士はしばし黙り込む。
やがて彼は簡潔に「分かりました」と応えた。
これで決まった。
彼らは未知の陸地を目指して、ただ真っ直ぐに飛んでいった。
数分後、彼らは次のような報告を上げた。
「所属不明の、人の乗った
ここはもはや地球では無かった。