青天のち霹靂   作:水夫

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後篇・多地点同時雷撃

「私が生まれたのは十五年ほど前です」

 

 兄弟子と合流する数分前、俺は琴都音(ことね)ちゃんの話を聞いていた。

 ぬるくなったお茶を啜り耳を傾ける。琴都音ちゃんの語りは畏まった口調ではあるが、不思議と両の鼓膜を心地よく揺らす。いまだに感情が読み取れないけれども。

 

「その頃はもう、鬼となった姉様が屋敷を支配していました。両親と二人の兄、そして雇っていたという使用人も全員、私の記憶にはありません。私の家族は姉様ただ一人」

 

 悲しんでいるのか怒っているのか。

 懐かしんでいるのかいないのか。

 不定も肯定も曖昧な緩急の無い音を舌先に乗せて彼女は淡々と喋る。

 

「私と姉様が違う生き物だと気付いたのは、覚えている限りでは六年前だったと思います。いつも私の見ていないところで食事をする姉様へのささやかな反抗心が半分と好奇心が半分。入るなと言われていた部屋を覗いたのが切っ掛けです。当時はばれない自信がありましたが、恐らく気配と匂いで筒抜けだったのでしょう。次の日、姉様自ら鬼であることを打ち明けました。わざとだったのかやむを得ない判断だったのかは未だに分かりません。でもその日からでした。姉様が私に、『客引き』をさせるようになったのです。

 食糧調達……配達と言った方が良いでしょうか。客引きという言葉が嫌でしたら呼び込みでも人寄せでも構いません。とにかく私はあらゆる理由を付けて定期的に、見知らぬ人をこの屋敷に招待し、姉様に食べさせました。別にそうしなければ私が食われるかも知れないだとか、人や世界が憎いだとか、そういったものではないのです。ただ、姉様が生きるために必要なものを必要なだけ用意する。その程度の認識しかありませんでした。客観的に見れば人殺しの片棒を担いでいたわけですが」

 

 琴都音ちゃんはそこで一旦話を止め、不意に立ち上がった。何も言わずに戸襖に寄ったかと思うと、思い切りそれを左右に開け放つ。

 堰き止められていた水が氾濫するかのように、外の眩しい光が飛び込んできた。思わず翳す手のひら。自然の色を湛えた中庭から、土や花の匂いと、僅かな孤独の音が風に吹かれて部屋の中を漂う。

 

「それでもこうして生きているのは姉様のおかげです。物の道理を知らない私を、最後に生まれた妹をここまで育ててくれました。母親と変わりない存在です。しかし」

「……君は、俺が鬼狩りだと知って呼んだんだよね」

「ええ。以前にも何度か、鬼狩りさまを見つけて連れて来たことがあるんです。しかし姉様はいつの間にか私の知らない力を身に付けていて、初めは我慢していた食欲も最近になって抑え切れなくなってきました」言葉と共に、彼女の感情の放流も濃密さを増していく。「姉様に陽の光を見せて頂きたいのです。……今度こそ」

「どうして、俺を? 男前の剣士に見えたりした?」

「いいえ。だって貴方は、刀を……優しい刃を、持っていたから。鬼を一つの生き物として見られる目をしていたから」

 

 生まれながらにして鬼と密接な関係を築いた人生。驚愕や同情はあるが、それ以上が無い。

 鬼に何かしらを踏み躙られた過去を持つ者が多く所属する鬼殺隊としては珍しく、俺にはそういった経験が無いからだ。もちろん徒に人を殺し食い荒らす鬼は嫌いだし許せないが、それはあくまでも他人のための正義に過ぎない。

 自分か自分より大切な存在を傷付けられ、どうしても正義の一つ手前に鬼への確然たる憎悪が先行してしまう彼らとは、また少し違う。

 

 だから人と鬼の確執による止め処ない激情の音を聞く時、きっと自分はそのような人たちに心から共感出来ていないんだろうな、とふと思うのだ。事情を理解して納得する事は出来ても自身の経験と重ねて共感する事は出来ない。家族の一員が鬼である感覚は、今の俺には絶対に味わえない。

 

 幸せな悩みだ。

 絶望の種類を一つ知らないでいられるのだから。

 

 俺は家族といえば真っ先に爺ちゃんが思い浮かぶ。

 もし、爺ちゃんが鬼にされてしまったら俺はどうするか。元に戻す方法を探したり、人目のつかない場所に隠したり、あるいは命を絶って楽にしてあげるかも知れない。そうしたら家族の悲劇がより心に響くのだろうか。

 

 獪岳(かいがく)は?

 獪岳を、兄弟子を鬼にされて、俺は琴都音ちゃんの気持ちを理解出来るのだろうか?

 

 所詮は仮定話。誰も鬼にされなければ済む話だしそれが最良だ。身に沁みる共感が出来なくても、同感さえあれば正義の理由付けにはなる。仲間外れにされる訳でもあるまいし。

 ただ、俺がこの子に対してはどことなく共感を抱きたいと思った。

 全く異なる境遇にある姉妹。それなのに彼らを助ける理由が、他人のためでなく自分のためになるような気がしたから。

 

「分かったよ、琴都音ちゃん。その鬼は俺が倒す。でもその前に、一つだけ質問があるんだけど」

「はい」

「琴都音ちゃんはさ、どうして姉さんを……この生活を終わらせようと思ったの?」

 

 ふっと、彼女は安堵にも似た笑顔を浮かべる。

 

「切っ掛けはありません。私は、姉様の妹ですから」

 

 それは質問の答えとしてはやや省略が過ぎる返事だった。

 しかし、助けを求める者の覚悟を聞いておいて損は無い。可愛い女の子なら尚更だ。

 

「あ、そうだ。これ、つまらない物だけど良かったら……」

 

 格好つけて部屋を出ようとしたが、丁度目に入ったそれを無言で置いていく事も出来なかったので直接手渡す。爺ちゃんの用意してくれたお詫びのものだ。中身は結局分からずじまいだけど。

 ……そういえば俺、てっきり何か騙されたと思って断りに来たはずだったのに、いつのまにか鬼退治を引き受けてしまった。よく考えれば日輪刀も持っていない。これでは餌を増やすだけだ。

 

 今更、実は俺今は戦えないんだ、と言い出す勇気も無い。どうしたものかと気を揉んでいると、紙袋の中を覗いた琴都音ちゃんがあっと声を上げた。

 

「全然つまらなくなんてありませんよ。これは、あなたと獪岳さまがお持ちするべきです」

「へ?」

 

 そう言って袋ごと押し返される。疑問符を浮かべても彼女は黙って微笑むばかり。

 

 んん?

 こういう贈り物って速攻で返された場合どうすればいいの? なぜか俺が断られたみたいな状況になってない?

 あの爺ちゃん何を入れたんだ……と紙袋に手を突っ込んでまさぐる。俺の好きな甘い菓子の箱が数個。重さと大きさからしてまだありそうだと奥まで手を伸ばす。

 指先に、馴染みのある硬い何かが触れた。

 

「日輪刀……!」

 

 それを掴もうとした途端、足元に激震が走った。足元だけではない。屋敷全体が唸って広大な敷地を揺らしている。明らかに地震とは異なる現象が悪寒を催し、しばらくして落ち着いてくると、俺の聴覚が音の洪水の中からその正体を掴んだ。

 出口の反対側、複雑に入り組んだ屋敷の中心部辺りだ。ここから中庭と部屋を幾つか隔てた先に鬼がいる。そして鬼のすぐ近くに、もう一つの気配が。

 

「──俺が憎いか! 俺が哀れか! これで満足かよ、いい気味だろうなあテメェはよォ!? 死ぬまでだ! 俺が百足女に殺される前に、必ずテメェを探し出して殺してやる! 覚悟も準備も知ったこっちゃねぇ! 地獄に堕ちるのはテメェも一緒だ!」

 

 しかし考えるまでもなく、自ずから存在を伝える怒号が屋敷内を反響して聞こえてきた。同時に俺は覚悟を決めた。

 

「獪岳さまです! 姉様に見つかったのだとしたら……もう時間はあまり、」

「雷の呼吸」

「え?」

 

 四方へ伸びた雑念を断ち切る。意識するのは地を踏む足と刀を握るこの手のみ。

 鯉口を切り、ハバキが外れた。力さえ込めればすぐに抜ける刃渡りを思い浮かべながら方向と高さの微調整を行う。狙うべきは鬼の傍ら、慌しく逃げ回っている方だ。

 

 踏み出した瞬間に五感までもが消失した。それでいい。今だけは、脳が足の先に宿っている気がする。

 加速は要らなかった。

 琴都音ちゃんの傍を滑り抜け、吐き切った息を刀身に乗せる。

 

 「壱ノ型・改──霹靂一投」

 

 雷の呼吸の基本型を斬撃から投擲に改変した即席の応用技。

 本来なら斬り捨てた後に収めるための返し刀を、空を切って有り余った反動で前方へ引き伸ばした。腰元に戻るはずの刀が放り投げられ、一直線を捉えた軌道に沿って飛翔する。

 中庭を越えて目視が届かない別棟の更に向こう側。殺意と動悸を振り撒くあの男のもとへ、真っ直ぐに、俺の意志を撃ち込んだ。

 

「兄弟子!」

 

 投じた刀は回転しながら、黄色く刻まれた波模様の刃文を上下斜めに折進させる。戸襖を破り、暗がりに立ち込めた冷気の隙間を埋めるようにしてジグザグに軌跡を残すそれは、さしずめ紫電清霜だ。

 

 上手く入った投射角を確認し、俺は不自然に抉られた地面──屋敷を揺るがした鬼の仕業だろう──に着地する。普段あまり使わない動かし方をしたせいか、腕の筋肉が痙攣していた。その事を琴都音ちゃんに悟られないよう左手で紙袋からもう一つの刀を取り出す。

 爺ちゃんが初めからこうなる事を想定していたのか、それともいざという時のために入れておいたのかは分からない。激怒状態だったから大方間違えたのだろうが、結果的に上手く転がったわけだ。

 結局、剣士は堂々と帯剣していた方が良いらしい。

 

「びびって出てきやがったか? 刀をどこから持ってきたのかは知らないが、いい度胸じゃねぇか」

 

 日輪刀は狙った通りに飛んだようで、追いかけてみると兄弟子が廊下の先で待ち構えていた。予想はしていたがやはり喧嘩腰だ。

 

「俺は兄弟子と地獄に行くつもりはないよ。殺すつもりも、毛頭……だけど、勝つ気ならある」

「テメェ……まだ生意気ほざいて──」

 

 兄弟子と対峙して一つ確信した事がある。

 もし爺ちゃんや兄弟子が鬼になってしまったとして、俺がどんな心境を得てどんな選択を取るかは、考えても分からない。

 なぜなら今は誰も鬼ではないのだから。人として分かり合える以上は、俺は爺ちゃんに迷惑をかけ続けるし兄弟子を怒らせ続ける。

 

 ただ、兄弟子が鬼殺隊で、鬼が目の前にいるのなら。

 俺は肩を並べて戦いたい。

 

「──兄弟子と一緒に、勝つ」

 

 言い切るのと同時に息を精一杯吸い、狭い廊下を突っ走る。目標は二十本前後の足を左右にくねらせる百足に似た鬼だ。蜘蛛とどちらがマシかなんて、あまり思い出したくない。

 一方の百足鬼は急速に入れ替わった攻防を把握したらしく、再生途中の足を引っ込めて守りの姿勢に固めた。ごつごつとした歪な形の関節肢。見たところ屋敷にあるものを人工物/自然物構わず煉りこめたようだ。

 

 ずっとこの屋敷に篭り一部を自らに取り込んだのは、罠としての陣地というより今まで暮らしてきた屋敷に愛着があるのだろうか。

 考えても詮無い事は一旦捨て置く。鼻白んだ兄弟子を飛び越える勢いで吶喊するが、近づくにつれ恐怖で音量を増していく心臓がうるさい。まだ直接矛を交えてもないのに首も手も脂汗でびっしょりだ。

 

「ぅう……っ、振り切れ! 俺は鬼なんか怖くないぞ! 死ぬほど帰りたいけど、ちょっと足が気持ち悪くてうねうねしてる鬼なんか怖くない!」

「失礼な……厄介な坊やね。でも、そんな刃でわたしの体が斬れるとは思わないで!」

「いや、え?」

 

 普通に斬れてたじゃないか、という言葉は目の前に迫った足に遮られた。すぐさま上段から振り下ろした刀と激突。そのまま振り抜けると思った刃は、しかし浅く食い込んだだけで完全に力を殺される。

 見れば四、五本の足が重なって衝撃を和らげている。その隙間から百足鬼の顔がぬっと覗いた。

 

「やっぱ無理無理無理無理無理! 無理だって! 無理だよこれは! 近くで見たら毛がいっぱい生えてるし、よく分かんない粘液みたいなの刀に付くしでほんと無理……ひいいぃぃぃぃぁぁああああああああああ──っ!?」

 

 撓んだ足が脈打ったかと思うと、凄まじい力で弾き飛ばされた。俺は悲鳴を上げながら、体勢を整えていた兄弟子に背中からぶつかって二人仲良く床を転がる。

 急いで立ち上がり、案の定文句を言い散らそうとする兄弟子の服を俺は全力で引っ張った。百足鬼とは反対側の琴都音ちゃんがいる方だ。

 

「テメェ、逃げる気か!」

「ふん、逃がすわけがないでしょう! あなたたち全員殺してあげる!」

「なんで二人して俺を責めるんだよ! 兄弟子は味方だろ!」

「勝手に味方にすんじゃねぇ。まずテメェを斬ってから鬼も斬る」

「嘘でしょ!?」

 

 なぜか構図がおかしい二体一の状況に戸惑いつつ、無理やり裾を引っ張って戸襖の前まで来る。日輪刀の投擲で穴の空いた戸から外の陽が射している。鬼は夜じゃないと出られないから、一旦中庭に退いて立て直そうという心算だった。さすがに兄弟子も気付くだろう。

 そう思って振り返ると、鼻先に鋼の冷気が突きつけられていた。

 

 「俺は本気だぞ」

 

 鬼を滅するべくして太陽の光をたっぷり吸ったはずにも拘わらず、刃は冷たく鋭利な光を薄闇に照り返す。雷に色付いた刃文も、その向こうで俺を睨む目も、黒い情感が淀んでいた。

 この期に及んでなお、兄弟子は俺を目の敵にしている。仲間割れと見て静かに接近を試みる百足鬼は気にも留めずに。

 そして、蹴った。

 

 「……えっ」

 

 何をされたのか、理解したのは戸襖を砕いて中庭に放り出された時だ。息が詰まる。手足の動きが鈍い。刃の代わりに突き出された靴底を腹に喰らい、肺が圧迫されたのだ。不意打ちという点も然ることながら、全集中の呼吸で身体能力を底上げしていた分呼吸器官の損傷は顕著に現れる。

 受け身を取れずに砂利の地面に倒れた。すぐには起き上がれず身を丸めていると、琴都音ちゃんが駆け寄ってきた。

 

「大丈夫ですか!?」緊迫の表情で肩に手を添え、俺の体を仰向けに変える。「今手当てをしますから、動かないで……あっ」

 

 しかし言いかけた言葉は驚愕に潰される。見つめる先は俺を蹴飛ばした兄弟子──の向こうから首をもたげる百足鬼だ。

 気持ち太さが増したような関節肢。横に映る視界の中で、兄弟子は俺を見下ろしている。「後ろだ」と叫ぶための空気がまだ肺に届いていない。

 

 なんでだよ。鬼よりも、俺のことが憎いのかよ。

 なんで。

 どうしてなんだよ、兄弟子。鬼殺隊として一緒に戦うのも嫌なのか。

 

 ──ああ、もう。

 やってらんねぇ。

 

「……じゃあ」俺は寝転がった姿勢で大きく息を吸い込み、声を絞り出す。「じゃあさ、兄弟子」

 

 急な事件に巻き込まれただけで断ち切れるほど、俺たちの仲の悪さは脆くないってことが分かった。とりあえずは、それが今の関係。だったら琴都音ちゃんには悪いけど、どうやら鬼退治は後回しにしなくちゃいけないようだ。

 膝を突いて睨め上げる。当然、焦点は鬼に向いていない。鬼が相手でないなら怖くない。

 

「これは、鬼殺隊の任務じゃなくて……兄弟喧嘩ってことでいいのか」

「…………テメェは」

 

 目付きが一際険しくなった兄弟子は刀を右脇に立て、鬼殺隊から一剣士へと闘志を構え直す。

 俺も応じて刀身を鞘に納め、体勢をやや斜めに捻る。

 

「いっぺん徹底的に懲らしめてやらねぇと目が覚めないみたいだからな」

()()は少し、頭を冷やせよ」

 

 息を吐き切ると同時に引き絞った下腿の筋肉は、足首の反動──屈曲と伸展──を爆発的に増強させる。その弾ける音が、二つ。

 全く同時に響いた。

 

「「雷の呼吸」」

 

 鼻で吸った空気は肺を膨らませ、体中の血流を活性化させたのちに、自らも高熱を帯びて口から噴き出る。

 喉が熱い。吸って吐く度に全身が燃えるようだ。

 きっと兄貴も同じだろう。瞬きより遥かに短い単位で視界が前進し、そのどす黒い殺気が拡大される。しかし、口端は薄っすらと吊り上がっている。興奮か錯覚か、チリ、と脳天に痺れが走った。

 

 空気を裂くのではない。焼き焦がせ。

 兄貴に負けないほどの雷鳴を轟かせろ。

 

「壱ノ型、霹靂一閃──」

「肆ノ型、遠雷」

 

 熱は刃を伝って線条として放出され、青白い閃光を軌跡に残す。

 それが交ざり合った際に、本来あるべき鋼の激突音は鳴らなかった。刃先同士が縦と横に擦れながら火花を散らす。互いに衝撃を受け流してすれ違い、位置が逆になる。

 俺は振り切るが早いか片足で踏ん張って旋回。足首にかかる負担を次の動作に回す。まだ、終わっていない。

 

「──六連」

 

 背を向けたままでいる兄貴目掛けて刃を折り返した。

 後ろ姿を見てほんの少しだけ、鬼より俺を優先する執念が理解できる気がした。刀を振るっている間は他の何も目に入ってこない。世界が全て白紙と化し、唯一相手の刀だけが血色を湛えるのだ。

 もしかしたら兄貴とまともに向き合わずにいたのは、俺の方だったのかもしれない。仲良しだけが理解への道ではない。死ぬ気でぶつかり合えば、こんなにも簡単だったのに。

 

 第ニ撃が兄貴の首に触れる直前。腕にも肩にも予備動作はなく、いくら速く持ち上げても間に合わない。

 首を傾けて避けると、そう予測した。ゆえに全力で振るう。戸惑えば三撃目が遅れるから。

 

 跳ね上がったのは、刀身だった。

 まるで知性を持った生命体であるかのように、勝手に動いたのだ。腕がその力に振り回されているとさえ思えた。それほどの速度。動き始めが遅かったのは溜めか。

 振るわれたあとの空気は熱せられて膨張し、刀の峰が陽炎に揺らめく。

 

「伍ノ型。熱界雷」

 

 残像が目の前を通り過ぎると、俺の刀は弾かれていた。力一杯振るったせいで軌道のブレも激しく、対処しなければ連撃が完全に途切れてしまう。一方の兄貴は斬り上げた姿勢から振り向けば、安定してトドメが刺せるはずだ。

 しかしそうはしなかった。横目に窺っただけで、追撃を諦めて跳躍する。

 俺が、刀を放して三撃目を捨て身で突っ込んだからだ。

 刀が無くても型を維持すれば動きは止まらない。可能な限り低く足元を滑り抜け、再度来た方向に折り返して空中の刀に手を伸ばす。

 

 それを掴めば、霹靂の閃きは五撃目に突入する。移動のために二度の攻撃を無駄にしたとはいえ相手は人間だ。一撃で勝敗は決まる。

 目まぐるしく移ろう景色を肌に触れる風で把握し、迷わず疾走。高く飛び上がった兄貴は足首の反動を使えない。力で圧せると俺は判断した。

 助走に加速を踏み込んで一直線に詰め寄せる。

 

 気付けば、頬に切っ先が迫っていた。

 

「そういうところが甘いんだよ、カスが。──弐ノ型、稲魂」

 

 素直に感心した。

 地に足が着いていないという事は、技量次第では全方位に攻撃を届ける事もできる。そして兄貴は戦闘においての努力を怠らない男だった。

 気概も、また同様に。

 

 けれど俺は速度を緩めない。顔だけを傾げて不意の一撃を掻い潜り、かろうじて突っ切る──前に、すでに刃は頭上へ回り込んでいた。考える間も無く刀を振り返して防ぎ止める。だが衝撃を逸らせない。手と腕の関節が限界まで曲げられ、鈍く浸透した痛みに筋肉は悲鳴を上げた。

 これは受け切れない。綺麗に流すのも無理だ。

 柄の向きを僅かに変え、霹靂一閃・六連を殺さず強引に走る。無理やり捩ったせいで肩に激痛が伴いつつも、抜け出す事に成功した。

 

 ただ、稲魂も終わってなどいない。五つ連続する斬撃の中の、二つに過ぎなかった。

 だからこそ俺の足は再び反対方向に踏み入り、残ったその全てに最後の一閃を叩き込んだ。ほぼ同時に三筋の稲光が降り注ぎ、薙ぎ払ったしのぎに喰らい付く。

 

 赤い飛沫が舞った。

 誰のものか、どう斬って斬られたのか、知る由はなかった。

 大きく交差し、距離が一拍だけ遠くなる。体の隅々を屋敷のどこかにぶつけた感覚があるが、今はただ兄貴しか見ていないから、傷の程度が計れない。必要も無い。

 どうせ今に分かる事だ。

 

「雷の呼吸! 陸ノ型ァ、電轟雷轟(でんごうらいごう)ッ!!」

 

 降り立ったそばから地面がびきびきと断末魔を上げて割れていく。局地的に発生した磁界が砕けた砂利を浮上させ、木々を揺さぶる。葉の千切れ飛ぶ先に、兄貴は刀を持った右手以外を地に突いて荒ぶる獣の如く屈んでいる。

 もはやそれ自体が体の一部にも思えるほどに夥しい殺気。真っ向から浴びた俺の視界が、暗雲の垂れ込める激しい雷雨に曝されたかのように黒く染め上がった。

 

 手足の屈曲が限界に達する。

 一息に弾かれた体が突撃し、崩壊を同伴する様は雷電のそれに肉薄していた。

 

 間髪を容れず、俺も迎え撃つために刀を構える。

 立ち止まったのは一瞬。直後、せぐくまった横目に鼻緒を踏み切り、爆ぜ、飛ばす。

 気を抜けば塗り潰されてしまいそうな乱気流の中を、それよりも速く駆け抜けて。

 

 兄貴の顔が驚愕に歪む。

 

 汗と血と筋肉と、怒り。欠片も残さず、出せる限りを尽くしてこの一撃に全てを注ぎ込んだ。

 これは黒雲を振り払い日輪を焼き付ける俺の刃だ。

 

「雷の呼吸。漆ノ型──っ、火雷神(ほのいかづちのかみ)!!」

 

 一振りの紫電を以って、ここに斬り結ぶ。

 

「この技で、いつか兄貴と……肩を並べて戦いたかった」

「ほざいてろ」

 

 ──実に奇しくも。

 引き寄せられるように、俺と兄貴の雷撃は置き去りにされていた鬼を挟んで激突した。

 

 

 †

 

 

 目が覚めたのは、眩い光に顔を照らされたからだった。

 

「ぅあああ……」

 

 漏れ出た声が欠伸と繋がり、吐いてんだか吸ってんだかこんがらかる頭を何かが叩く。

 痛い。でも眠い。

 

 何時だろう。というかどこだろう。背中に当たる感触は布団や畳じゃない。

 ぽん、と再度叩かれる。

 痛い。もう少し寝ていたい。

 

 風が気持ちいい。そういえば禰豆子ちゃんは起きたかな。今日はどこに行くんだっけ。

 ごん、と再三頭に硬いものが落ちる。

 痛い、痛い。あと十分でいいから痛い痛い痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたいいたいいたいいいいいぃぃ……

 

「ぃってええええぇぇぇっていうか禰豆子ちゃんもう起きたー!? 起きたよね!? わああ遅れた! 一昨日約束してたのに寝過ごしたよ! やっぱり起きたよね、ごめんね俺も起きるよ! なんか頭痛いな。あちゃー、もう太陽が中天に……ってえぇ!? あれ、ぅえええ!? 爺ちゃん!? なんで!?」

「騒がしい奴じゃのう……」

 

 痛みと焦りに飛び起きてひとしきり騒ぎ立てる俺の目の前には爺ちゃんの顔があって、もう何がなんだか分からない。

 夢なの? 夢にしては妙に現実感があるけど、俺昨日どうやって寝たっけ? 記憶がない。まだ寝起きでもやもやしてる。

 思い出そうと手を額に当てると、手首に痛みが走った。力を入れにくいというか曲げにくい。体中が同じ状況だ。首も背中も、腰も足も総じて痛みまくり。

 なにこれなにこれやだ怖い。生きた心地がしない……あ!

 

 そうだ、兄弟子だ。

 仲直りが破綻して喧嘩に発展し、最後に真正面からぶつかり合って、それで──

 

「え。もしかして俺って兄弟子に負けて死にかけたの……? いやでも大丈夫だよ爺ちゃん。俺、三途の川は禰豆子ちゃんと添い遂げてから一緒に手を繋いで渡ることにしてるんだ。だから、わざわざ追い返さなくてもいいよ。自分で帰る」

「死んどらんわ! 毎回毎回どうしたらこんな的確に逆鱗を引っぺがすんじゃお前は……」爺ちゃんは頭痛でも我慢するような仕草で顔を覆う。「お前も獪岳も、鬼の妹も死んじゃあいない」

 妹という単語に、寝ぼけていた脳の一部が覚醒する。「ああ、思い出した! 妹……琴都音ちゃんはどうなったんだよ、爺ちゃん!? 鬼は? うじゃうじゃした百足鬼は?」

「まあ落ち着け、善逸。全部説明してやるから。座って聞いてなさい」

 

 大声を出したら首がまた痛くなり、言われた通りに大人しく座ることにした。腰を下ろしてようやく気付く。

 鮮やかな自然の緑色を塗りたくった草原。見渡す限りに青天が続く空に涼風が吹き、その流れを追った先には一本だけぽつんと樹木が生えている。かつての記憶と変わりなく佇む姿がやけに懐かしく感じる。

 

 ああ、ここは。

 爺ちゃんから逃げてよく叱られたあの木の下だ。

 

 それから俺は、爺ちゃんに昨日起きた事の顛末を聞いた。

 

 まず、百足鬼は俺と兄弟子の兄弟喧嘩に巻き込まれて死亡。あの時は意識していなかったけど割と派手にやり合ったみたいだ。

 それを爺ちゃんが発見して鬼殺隊に連絡。幸い琴都音ちゃんは戦いに近づけなかったため無事だった。終わってからは鬼に人を誘導して食わせていたことを自白して、鬼殺隊が一時身柄を確保している。さすがに、数十人もの失踪事件の犯人は自分です、と十代の女の子が名乗り出ても誰も信じやしない。精々が精神病院を勧められる程度だろう。

 でも鬼殺隊は警察ではないし、特に琴都音ちゃんの父親が一部で高名な権力者だったそうで、裏で片付けるのにも難があった。そのため、処罰は先送りにされたのだとか。

 

 話を戻して、俺は最後の力を振り絞った後兄弟子と同時に気絶したらしい。鬼に立ち向かった恐怖心や人間と剣を交えた緊張感で、精神的にも肉体的にも疲弊していた。だから兄弟子が気を取り戻して去った後もずっと眠り続け、やっと起きたのだ。

 贈り物の紙袋の中に日輪刀が二本とも入っていた事に関しては、爺ちゃんも記憶にないと言っていた。そろそろボケかも知れない。耄碌かな?

 

「爺ちゃん……怒ってる?」

「……」

 

 屋敷に行った当初の理由としては、爺ちゃんの怒りを解くためというのが一つあった。しかし結果的にこの有り様だ。あろうことか、弟子同士で本気の斬り合いをしてしまった。一歩間違えれば即死、あるいは後遺症が残る可能性だって十分にあった。

 そのことを、爺ちゃんは。自ら手をかけて俺たちを育ててくれた師範はどう思うだろうか。それが怖かった。

 

「善逸。覚えとるか? 儂が前に何度か教えたことを」

「多すぎて分かんないよ」

「お前の頭を叩きながら言ったことじゃ」

「叩かれすぎて思い出せないよ」

「……刀のことじゃ。強靭な刀を作るためには、徹底して叩き上げねばならんと言ったじゃろう」

 

 言われて気付いた。俺は鋼じゃなくて人間なのに、爺ちゃんがとにかく頭を叩きながら説教した時の言葉だ。

 あれは今でも理不尽だと思っている。いやだって、俺を叩く必要は無かったじゃん。

 

「獪岳は、腕も筋も悪くない。協調性がちょいと問題じゃがな。あやつは自身が既に強靭な刀であることを、まだ自覚してないんじゃよ。鞘から抜けなければ、どんなに練磨された刀でもそれはただの鞘でしかない」座った俺を見下ろしながら、指を差す方には鞘に収まった日輪刀がある。「じゃから叩くんじゃ。目を覚まさせろ。叩き起こせ。そうすればいつかは気付いて、自ずから鞘を出るじゃろ。日の目を見れば鋼は輝く。叩かれた分な」

 

 例えているようでそのままのようでもある話は、なんとなく理解できた。兄弟子の精神面の問題だ。いつも不満の音が聞こえていたのを、俺は覚えている。

 昨日もそうだった。絶え間なく不満と苛立ちの音が続いて、口喧嘩してから敵意に、果てには殺意にまで変わった。聞いている方が息苦しくなるような閉塞感の中で、兄弟子は必死に声を上げていた。そこには誰もいないのに。塞ぎ込んでいるから、誰にも聞こえないのに。

 

 いや、違うか。俺には聞こえていた。

 不満も、苛立ちも、敵意も、殺意も──最後の一合に轟いた、絶叫のような雷鳴も。

 

「でも爺ちゃん、俺じゃ無理だよ。俺には叩けないんだ。昨日だって、」

「昨日、お前が初めて叩いたんじゃぞ、あの意固地の鉄塊を」

「え?」

 

 戸惑う俺を横目に、爺ちゃんが懐から何かを取り出す。大きさは手のひらに乗るくらいだろうか。拳に握ったそれを、俺の目の前で広げて見せた。

 

「獪岳が置いて行ったものじゃ」

「あっ」

 

 そこには、青い勾玉があった。

 すぐに分かった。兄弟子がいつも首に付けていた飾り物だ。

 

 砕けたそれの、小さな破片を嵌め合わせている。

 

「お前が、お前の刃で叩き割ったんじゃよ」

 

 実感はあまり無かった。あの戦いで勝った気も負けた気もしなかったから。

 何度となくぶつかって、ぶつけられて、それでもようやく俺の方からぶつけたものがここにある。物証って言うと無粋に聞こえるけど、これは確かな兄弟喧嘩の証だ。こればかりは俺が兄弟子から勝ち取ったものだ。

 

 叩いて叩いて叩き上げて不純物や余分なものを飛ばし、鋼の純度を高めて出来るのが刀。

 一度叩いたくらいじゃ、まだ足りない。鞘から出すのにはどれくらいかかるのだろう。

 

 というか俺が作った漆ノ型を爺ちゃんは知っているのだろうか。鼻緒もよく見れば直っているし感付いたかもしてない。そう考えると、無性に嬉しくてどこか気恥ずかしくて、顔を背けてしまう。

 爺ちゃんはそんな俺の頭に優しく手を乗せ、力強い声で励ましてくれた。

 

「よくやってくれたわい。……頑張ったな、善逸や」


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